プロローグ
風が強い。
平原の先には丘陵地帯が広がり、平原の中腹に浅く広い川が流れている。上空を遮るもののないこの土地に、丘の彼方から吹き来たる風は冷ややかだ。
丘陵地帯を真紅に染め上げ、太陽が沈んでいく。
その光景を、屈強な身体つきの騎士らが馬上で見届けていた。
「まるでユスターが、火に呑みこまれていくようですね」
傍らにいる兵士の口から、ぽつりと言葉がこぼれ出る。
ローブルグの王都エーヴェルバインを流れるルステ川は、ここシャルムとユスターの国境を隔てる標でもあった。対岸はすでにユスターの領土である。
夕陽は、ユスターの大地を焼き尽くしながら、西の寝所へ戻るところだった。
騎士らの背後、東の夕空には星が散らばりはじめている。
太陽が地平線に沈みきると、先頭に馬を立てていた偉丈夫が手綱を引く。
「戻るぞ」
彼のひと声で、周囲の兵士らがいっせいに馬首を巡らせた。
東の方角へと戻っていく一隊を率いているのは、濃灰色の巻き毛と、やはり髪と同様に癖の強い顎髭を持つ、余人よりもひと際体格のよい騎士。この偉丈夫を筆頭に、騎乗した男たちは軽快に平原を後にする。
「サンティニ将軍」
呼ばれた偉丈夫は、馬の速度を緩めることなく声のほうを一瞥した。
「……西は動きませんね」
返答をせずに、サンティニと呼ばれた男は視線だけを夕陽の沈みきった大地へ向ける。
「ユスターはこのまま大人しくしているでしょうか」
「さあ、どうかな」
すぐに視線を戻して、フランソワ・サンティニは馬の腹を蹴る。遅れずに兵士が従った。
「もしユスターが全軍を率いて国境を超えてくれば、我々は幾日持ちこたえることができるでしょうか」
兵士の不安は、充分理解できるものだ。
フランソワ・サンティニ率いる一隊は、シュザンの密かな命によりユスターとの有事に備えて国境に派遣されたシャルムの正規軍である。けれど。
王宮でも散々議論がなされていたとおり、万が一ユスターが攻め入ってきたとしても、サン・オーヴァンの正騎士隊を動かしては、北の防御が手薄になる。エストラダの脅威が拭えぬうえは、安易に全軍を戦いに投入することはできない。
……とすれば、その「万が一」が起きた際、ユスターとの国境に派遣されたフランソワらは、すでにここにいる少数の兵力で戦わねばならなくなる。援軍が駆けつければよいが、政府中枢の判断によっては切り捨てられかねない。
何日持ちこたえられるか。
答えはだれにもわからない。
あるいは相手の兵力によっては寸時に壊滅させられる可能性もある。
「やれるだけ、やるしかない」
フランソワの回答に、兵士は表情を曇らせる。
「もし正規軍が動かなければ――」
「案じるな。シュザン・トゥールヴィル隊長は、我々を見捨てはしない」
「隊長のご意志は存じています。けれど、それが必ずしも陛下のご意向に沿うとは限りません」
「そのときは、そのときだ」
「…………」
「足搔いても仕方あるまい。ここにはロルム家の騎士団もいる。案外、いざとなれば我々だけで敵を撃退できるかもしれないぞ」
よく言えば楽観的――ある意味呑気ともとれるフランソワの態度に、兵士は浅く溜息をつきつつ、東の空を眺めやった。