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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
311/513

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「……にしても、おまえがいっしょにいて、この結果はなんだ? もう少しましな状況だと思っていたよ」


 真っ先に耳に入ってきたのは、ディルクの声。

 続いて、やや元気に欠けるレオンの声がする。


「おれだって、なんとかしようとは思ったのだ」

「そもそも相手の目的はレオンだけだったんだろう? なのに、おまえはほぼ無傷で、アベルが満身創痍まんしんそういとはどういうことだ?」

「むろんアベルを巻きこみたくはなかった」


 そこで二人の会話に口を挟んだのはマチアスだ。


「たしかにアベル殿は巻き込まれて大変な目に遭われましたが、レオン殿下ご自身が無傷であったことは喜ばしいことです。不幸中の幸いでしょう。アベル殿も今回の結末に不満などなく、むしろよかったと思っているのではないでしょうか」

「まあ、ね……」


 それ以上ディルクが言わなかったのは、アベルの負傷に胸を痛める一方で、レオンの気持ちも想像できぬわけではないからだった。


「いや、代わってやれるものなら代わってやりたかった。ただ見ていなければならなかったおれの気持ちも想像してくれ。自分が袋叩きに遭うよりも、よほど辛いぞ」

「……たしかに、それはそうかもしれない」

「アベルには本当に申しわけないことをしたと思っている」


 意気消沈したレオンの台詞のあと、新たな声が加わった。ジークベルトである。


「あの子は、代わってほしいなんて微塵も思ってやしないだろう。むしろレオンが同じ目に遭わなかったことに安堵しているんじゃないか?」

「それがわかっているからこそ、レオンもやりきれないんだろうけどね」


 ディルクのひと言に、レオンが「そのとおりだ」とつぶやく。次の瞬間――。


「わ!」


 驚きの声を発したのは、やはりレオンだった。


「ベルトラン、おまえいつからそこにいた?」

「さっきから開けていた。ずっと会話が聞こえていたぞ」


 まるで化け物にでも遭遇したかのようなレオンの反応に、無愛想な声で答えたのはベルトランである。


「アベルは目を覚ましたのか?」


 ディルクに問われて、ベルトランは無言でうなずく。


「見舞いには行けるのか?」


 重ねて尋ねたのはジークベルトだ。ベルトランは軽く眉を寄せて部屋を振り返った。


 会話が耳に入っていたリオネルが、ちらとアベルを見やる。

 アベルは口元にそっと笑みを浮かべて、


「ご心配なく、とっても元気ですよ」


 と答えた。今しがたのディルクとレオンの会話が聞こえていて、アベルがこう答えないわけがないのだ。深く溜息をついてから、リオネルは「少しのあいだなら」とベルトランに返事をする。


 ほっとした空気が皆のあいだに広がった。






 部屋に入ってきた面々を目にして、アベルの意識は普段の明瞭さを徐々に取りもどしていく。


 ディルク、マチアス、レオン、そしてジークベルト……皆の元気そうな姿に、アベルは心から安堵した。

 真っ先にレオンと視線が合う。レオンはアベルの寝台に歩み寄った。


「アベル……大丈夫か」


 うなずきを返すアベルの手に軽く触れ、レオンは申し訳なさそうに頭を下げる。


「悪かったな、巻きこんで」


 アベルはほほえむ。


「謝るのはわたしのほうです。それに、殿下のくださったパンと林檎のおかげで、死なずにすみました」

「あれくらいしかやってやれなくて、本当に申しわけなかった」

「そんなことありません。殿下がご無事でよかったです」

「そう言ってくれるのは、アベルだけだ。こんなに弱っているのに、アベルは本当に優しいのだな」


 レオンが目頭を熱くすると、ディルクが抗議の声を上げた。


「まるでおれたちがおまえの無事を喜んでいないみたいじゃないか」

「違うのか? さっきまで、おれが元凶なのに、アベルが傷つき、おれが元気だったことに文句を言っていたではないか」

「そこまでは言っていないだろう」

「同じことだろう」

「違う」

「どこが違うのか言ってみろ」

「それくらい説明されなくても理解しろ」

「なんだ、その一方的な説明は」


 小競り合いをはじめた二人を見て、アベルは笑う。


「お二人の会話を聞いていると、本当に無事に戻ってくることができたのだと実感します」

「この二人の会話を聞いて?」


 目を丸くするジークベルトの傍らで、レオンとディルクは微妙な表情になり、リオネルとマチアスは苦笑していた。ベルトランは、食事を取りに行ったらしく姿が見えない。


「喧嘩するほど仲がいい――、ですか」


 マチアスのつぶやきに、ディルクが渋面を作る。


「おい、おかしな方向にまとめるな。マチアス」


「ジークベルトは、どうして?」


 ずっとまえから共にいるかのように、ごく自然に皆といっしょにいるローブルグ人騎士を、アベルは不思議そうに見やった。


「おれに会いに来てくれるはずだったんだろう?」


 ジークベルトに問われ、アベルは「あ」と形に小さく口を開いてリオネルへ視線を移す。

 リオネルは複雑な表情で答えた。


「きみが宿を出ていったあと、心配になってジークベルトの宿へ行ったんだ」

「わたしたちを探しに?」

「勝手にすればいいなんて言っておいて、実際のところ、気が気じゃなかった」

「…………」

「そうしたら、アベルとレオンはいないし、ジークベルトは賊に襲われていた」

「賊、ですか?」


 眉をひそめてアベルはジークベルトを見つめる。ジークベルトは軽く肩をすくめた。


「物取りかなにかだろう」

「物取り……」


 いまいち状況が呑み込めない。リオネルたちが、アベルとレオンを探すために『美女と美酒には、金と時間を惜しむな』へ行ったとき、ジークベルトは物取りに襲われていたというのか。


 困惑した面持ちのアベルに、リオネルは短く告げる。


「ジークベルトは、きみの探していたアルノルト王子の遺児だ」

「アルノルト王子……?」


 思考が止まる。

 ――今、リオネルはなんて……?


 頭のなかでリオネルの台詞を咀嚼していくうちに、アベルの瞳が大きく見開かれた。


 まさか……。


「ジークベルト――あなたが?」


 この世のなかでは、信じがたい出来事が起こるらしい。

 ベルリオーズ領シャサーヌでぶらぶらしていた、人あたりのよい金髪碧眼の騎士がローブルグの王子……?


 本当のことなのだろうか。それともなにかの冗談だろうか。


 けれどリオネルは真剣そのもので、けっして冗談など言っているようには見えない。

 当のジークベルトは、居心地悪そうに顔を歪めた。


「そんな顔で見ないでくれ」


 どんな顔で見ていただろうと、アベルは自らの顔に手をやって、頬を引っ張る。痛い。少なくとも夢ではないようだ。


「まえに相談に来てくれたときには、真実を明かさなくて申し訳なかった。でも、アルノルト王子の遺児なんて、大袈裟な肩書きは忘れてほしいんだ。ぼくは何者でもない、ただのジークベルトだよ。父親や母親がだれだったかなんて、そんなことは関係ない」


 ……何者でもない、ただのジークベルト。


「これまでどおり接してくれるか?」


 不安げにジークベルトがアベルに確認する。蒼い瞳に覗きこまれ、アベルはふと自らのことを思う。

 ……例え女性であることを知られても、これまでどおりに接してほしいと願う。

 それと同じかもしれない。ジークベルトの気持ちはわかるような気がした。


 なんの肩書きもない、〝アベル〟という人間を受け入れてもらえることの喜びは、だれよりもアベルが知っている。


「もちろんです、ジークベルト。わたしにとってあなたは、シャサーヌの街で自由に生活していた気ままな旅人です。これまでも――これから先もずっと」


 柔らかな笑みの添えられた返事に、ジークベルトはぱっと明るい面持ちになる。


「ありがとう。アベル」


 半身のみを起こしているアベルを、ジークベルトは両腕で抱きしめた。すぐに終わるかと思いきや、抱擁はしばらく続く。


 ――アベルの肩を抱いているのは、まぎれもなく若い男性の逞しい腕。

 黄金色の髪からは、ジークベルトの香りがした。


 抱きしめられたままアベルは、どうしていいかわからず視線を彷徨さまよわせる。

 と、リオネルの紫色の瞳と視線がぶつかった。けれど、すぐにリオネルは目を逸らして、軽く顔を背ける。

 その仕草に、アベルがわずかな痛みを覚えたとき、


「アベル殿は、脇腹にも怪我を負っていますので、それくらいで」


 二人を引き離したのはマチアスのひと声だった。

 名残惜しそうにジークベルトがアベルから離れる。


「ああ、それくらいにしておいたほうがいい。リオネルがブチ切れるまえに」


 胸を撫で下ろしながら言ったのはディルクである。


「なぜリオネルがブチ切れる・・・・・のだ?」


 投げかけられたレオンの問いに、「おれにもわからないけど」とディルクが曖昧あいまいな答えを返した。


「先程の話の続きですが」


 中断してしまっていた話を、マチアスが引き取る。

 リオネルらが『美女と美酒には、金と時間を惜しむな』のまえでジークベルトを助けたことから、レオンとアベルの捜索にフリートヘルムが全面的に協力することになったことなどを、マチアスは淡々とした口ぶりで語った。


「皆様に大変なご迷惑をおかけしていたのですね」


 消沈した様子でアベルが言うと、マチアスがゆっくりと首を横に振る。


「殿下とアベル殿が、命あって我々のもとに戻ってきた――それだけで充分です」

「そうだよ、アベル」


 マチアスの台詞にディルクの声が重なる。


「迷惑なんかじゃない。レオンを守ろうとしてくれて、ありがとう」


 すると、レオンが溜息をついた。


「もうあのような状況で、おれを守ろうなんて考えないでくれ。囚われているあいだじゅう、アベルが殺されてしまうのではないかと、おれは気が気ではなかった。そのようなことになれば、おれは先祖に顔向けできないところだった」


 なぜ先祖に顔向けできないのかは不明であるが、しみじみとレオンがそう述べると、不意にジークベルトが提案する。


「これからは、ご主人やレオンのことなんて放っておいて、ぼくと旅に出るというのはどうかな?」


 ジークベルトのひと言が、リオネルを怒らせないはずがない。皆それがわかるだけに、場が凍りついたが、アベルはぷっと笑い飛ばした。


「おもしろい冗談ですね」

「……冗談ではないのだけどね」

「それくらいにしておいたほうがいい。リオネルがブチ切れるまえに」


 ディルクが言うと、「どこかで聞いた台詞だな」とレオンが眉をひそめる。それもそのはず、数分前にディルクが発した言葉と一字一句違わない。


 先程から、ディルクは親友の沈黙が恐ろしかった。

 リオネルはジークベルトのことを気に入っているはずがない。それが、やけにアベルに馴れ馴れしいのだから、リオネルの機嫌がいいわけがない。けれど、リオネルはアベルからやや離れたところで沈黙を保っている。それが不思議であり、不気味なのだった。


 けれど空気を読んでいるのは、鈍感なようでいて実は親友のことをよくわかっているディルクと、あとはせいぜい聡いマチアスくらいで、アベル、ジークベルト、そしてレオンはいたって呑気だ。


「それで、いったい旅というのは、どこへいくのだ?」


 とレオン。


「アベルといっしょなら、どこへでも」

「わたしがいなくとも、ジークベルトはどこにでも行くのではありませんか?」

「そんなことはないよ。もしアベルがいっしょに来てくれなければ、おれはずっとシャサーヌあたりでうろうろしているだろう」

「あそこはいい街だからな」


 談笑する三人を、やや呆れた気分でディルクが見やったとき、マチアスが発言する。


「では、アベル殿の負担になってはいけませんので、そろそろ私たちは退室しましょうか」


 むろん気を効かせたのだ。


「それもそうだな」


 ディルクが賛同すると、背後で扉が開く。

 ベルトランだと思い振り返った一同の目に飛び込んできたのは、ローブルグの廷臣ヒュッターと、長い金髪の貴公子――この城の主にして、この国の王であった。








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