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ジークベルトとマチアスが王宮に戻ってきたのは、真夜中のことである。
めまぐるしく貴族の館を巡った二人であるが、疲労の色を見せずに仲間たちとの話し合いに参加した。
集合したのは、王宮の一室――やはりジークベルトの寝室である。
まずはリオネルがカロリーネの城に赴いた結果と、余った時間で各所を捜索した結果とを語り、それからディルク、続いてジークベルトとマチアスがそれぞれの結果を持ち寄った。
カロリーネのツィンドルフ城と、シュトライト邸に関しては前述のとおり、行方知れずの二人が監禁されている様子はない。ツィンドルフ城を辞した後にリオネルとベルトランが捜索した場所――すなわち取りこぼしていそうな場所にも、二人の姿はなかった。
ジークベルトとマチアスもまた、各貴族の館において不審を抱かせるものはなにもなかったと報告した。
かくして、捜索範囲をエーヴェルバインの街から、周辺の高位の貴族の館や居城に広げたものの、二人の姿はおろか、手がかりさえ掴めなかった。
――最悪の事態だ。
昨夜からほぼ一睡もしていない彼らの身体は、休息を必要としている。
顔には出さないが、皆、極限の状態までに疲労しているはずだ。このまま動き続ければ、二人を探しだすより先にだれかが倒れるだろう。
けれど、残されている時間はわずかだった。
「陽が昇るまであまり時間はないが、仮眠を取ろう」
提案したのはリオネルである。ディルクやベルトランがほっとした表情になったのは、今夜も一睡もせずに探しつづけるなどとリオネルが言い出すのでは――と懸念していたからだ。
「気は焦るが、いったん休まなければ、このまま捜索を続けることは難しい」
「賛成だよ、リオネル」
そう答えたディルクは、途端に眠気に襲われたのか、小さなあくびをする。ディルクのあくびを横目で見ながら、ジークベルトがつぶやいた。
「もう日付が変わっているから、明日の昼までには探さなければならないということになるね」
「我々に残された時間はわずかだ。この時間を有効に使うためには、今夜は最低限、休んだほうがいい。夜明けと共に再びこの部屋で集まろう」
部屋を出るつもりなのか、早速立ちあがるリオネルを、ジークベルトが呼びとめる。
「その意見には賛同するけど、きみはひとりで探しにいく気じゃないだろうね? そちらがちゃんと休むと約束するなら、ぼくもそうしよう」
「もちろん、休憩するつもりだ」
リオネルの返答に、ジークベルトは双眸を細める。
「赤毛の用心棒殿は、ご主人様が真夜中にほっつき歩かないよう見張っていたほうが懸命なんじゃないか?」
「さすがに今夜はリオネルを外に出さないつもりだ」
ベルトランが答えると、ディルクが顔を引きつらせた。一度ベルトランがこうと決めたなら、おそらくなにがなんでも実行するだろうからだ。
本気を出せば、ベルトランのほうがいくらかリオネルの腕を凌ぐだろう。力ずくでも、ベルトランはリオネルを部屋から出さないに違いない。
「それを聞いて、ある意味安心したけど、ある意味不安でもあるな」
ディルクのつぶやきから彼の抱く懸念を察したのか、「手段は選ぶ」とベルトランが短く答える。
二人の会話を聞いていたリオネルが、
「ちゃんと休むよ、そんなに心配しなくても」
と苦笑した。が、それからすぐに笑みを消し去って、真剣な表情になる。
「アベルのことは心配だけど……おれは明日の昼まではけっして倒れるわけにはいかない。そのために今夜は休む」
リオネルの台詞に胸を打たれたが、ディルクはふと首をひねる。レオンの名前がなかったような気がするのだが、はて、気のせいだろうか……。
「では夜明けに」
マチアスに促され、ディルクは疑問を抱いたまま寝室へ向かう。
各々あてがわれた部屋で休み、再び夜明けと共に集まったのだった。
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濃紺の空が徐々に白み、星たちの姿が霞んでいく。昨日に続き、この日もエーヴェルバインは快晴だった。
夜明けと共にジークベルトの寝室に集まった若者らは、早速話し合いを再開する。
レオンとアベルの行方が知れなくなってから、二日が経とうとしていた。
「これだけ探しても、まったく居場所がわからないとはね」
朝食代わりの麦酒を飲みながら、ディルクがため息交じりに言った。数時間の睡眠をとったはずのディルクだが、昨夜よりも表情に疲労の色が滲んでいる。
身体の疲れは癒されても、仲間が見つからない焦りは増していた。
それは皆も同様である。寝れば妙案も浮かぶかと思いきや、やはり手詰まりの状態のままだ。
「ヒュッター殿に調査いただいた結果はどうだった?」
窓際に立つリオネルが尋ねる。
リオネルは昨夜と変わらず冷静で、あらゆる感情を押し殺していた。
「ちょうど話そうと思っていたところだよ」
ジークベルトが答える。
「皆がここへ集まるまえに報告があった」
どうやらヒュッターも寝る間を惜しんで、捜索に協力してくれているらしい。
「それで?」
一同の視線がジークベルトに集まる。彼は長椅子の中央に浅く腰かけたまま、自らに向けられた無数の眼差しを見返す。
「ユスター使節の滞在場所は、エーヴェルバインの街なかから北西部に外れた位置にある古い居館だ。彼らはしばしば王宮を訪れて、叔父上との面会を願い出ているようだが、今のところ一度も許可されていない」
「では、行動範囲としては、館と王宮を往復しているだけということか?」
ディルクが確認する。
「そのあたりが不確かなんだ。……というのは、目立った行動はしていないものの、真夜中に馬車でどこかへ向かう姿を近くに住む者が目撃しているらしい」
眉をひそめて、ディルクは麦酒の杯を小卓の上へ置いた。
「いったいどこへ?」
「どこへ行ったのかはわからないのだけど、もうひとつの報告があってね」
ジークベルトは声を低める。
「彼らはどうもシュトライト公爵と通じているようだ」
「それは確かなのか?」
不愉快げに確認したのはベルトランである。
「ユスターの使者をエーヴェルバイン王宮内へ度々引き入れているのは、シュトライト公爵らしい。公爵は、ユスターとの交渉を受け入れるよう、叔父上に何度も進言していると聞いた」
「やつらが夜に向かった先というのは、シュトライト邸か」
「そう考えるのが、今のところ自然だろうね」
「つまりシュトライト公爵も、我々シャルム使節には自国に戻ってもらいたいと考えているわけだ」
「ますます厄介な状況だな」
ベルトランがぼやくが、
「いや、彼らが結託してなにか企んでいるなら、今度こそシュトライト公爵を追いこむきっかけにもなるかもしれない」
とジークベルトはむしろ好機と捉えるようだ。
人差し指を顎に添えて、ディルクは考えこむ。
「かといって、シュトライト邸には二人が囚われている様子はなかった――それは、この目で確かめてきた。ユスター使節の滞在場所も、やはりだれかが監禁されている様子はない」
「もし、両者が共謀してレオンとアベルを監禁しているとしたら、いったいどこだ?」
ベルトランの問いかけに、深い沈黙が降り落ちた。
鳥のさえずりがどこからか聞こえてくる。
窓の外では、夜の闇が去り、世界が彩りを取り戻しつつある。
「――もしかしたら」
これまで沈黙を守ってきたリオネルが、静寂を破って声を発した。
「なにか思いついたのか?」
ディルクが顎から指を離して、リオネルを見やる。
「一箇所、まったく探していない場所がある」
「どこだ?」
「シュトライト公爵とユスターの使節が繋がっているとしたら……」
「だからどこなんだよ」
「ここだ」
きっぱりとリオネルは答えた。
「ここ? ジークベルトの部屋か?」
とぼけたディルクの質問を無視して、ベルトランは、もたれかかっていた壁から身体を離す。
「そうか、王宮内か」
「……たしかに私たちは毎日王宮に出入りしていたため、内部を探そうとは考えませんでした」
はっとするマチアスに、ベルトランは相槌を打つ。
「これほど近くにいるとは想像もしないからな」
「ジークベルト、この王宮内で人を監禁できそうな場所はあるか」
リオネルに問われて、ジークベルトは咄嗟に答えた。
「地下牢や、牢獄塔はあるけど……もしアベルやレオン王子がいたらすぐに発覚するだろう」
「それ以外の場所は?」
長椅子に腰かけたままジークベルトは、難しい顔つきで考えこむ。
「そうだな……食料庫、使われていない使用人部屋、衣装室、酒の貯蔵庫、旧武器庫、地下墓地、納屋、ほかにも普段は人が立ち入らない場所があるけど、それでも毎日だれかが見回りに行っているはずだよ」
「彼らはかなり慎重に計画を立てている。少なくとも一週間、いやそれ以上はだれにも発見されない場所に監禁するはずだ」
「わかっている」
リオネルに指摘されて、ジークベルトはやや苛立った様子で答えた。
「だから今、必死に考えてる」
「絶対に人が入らない場所はないのか? 鍵がかかるところとか」
ディルクにさらなる案を促され、ジークベルトは右手で額を押さえる。
「鍵ね……」
「使用されていない賓客室に監禁することはできないか?」
たしかに賓客の寝所であれば、鍵はかかる。だが――。
「いや、さすがに無理だよ。鍵がかかるとはいっても、毎日、掃除しているはずだ」
「おそらく、大声を上げても、暴れても、人に気づかれない場所だ。そう考えれば、王宮の敷地内ではあっても、王の居城ではないのかもしれない……」
リオネルが思案に沈みながらつぶやく。
と、ジークベルトが顔を上げた。
「……そういえば――」
なにかを思い出そうとする顔で、ジークベルトはリオネルを見上げる。
「なんだ?」
「――昔、ここへ来たばかりのころ、庭園で遊んでいて妙な場所を見つけたことがあった」
「妙な場所?」
「はっきりとは覚えていなんだ。まるで夢の一部のように、記憶に残っている」
「かまわない。聞かせてほしい」
「旧館の裏に、何百年もまえに造られた人口の丘がある。その藪に迷いこんで、行く手をかきわけ進んでいたら、突然、手に硬いものが当たったんだ。まわりの草をよけてみると、それは鉄格子のはめられた通路だった。鬱蒼とした場所で、当時ぼくはひどく怖かった気がする。どうしてあんな場所へ行ったのか、そこからどうやってもとの場所に戻ったのか、今も思いだせないけれど。……あるいは、夢だったのかもしれない」
「そこへ、もう一度行けるか」
リオネルが尋ねると、ジークベルトはわずかに視線を逸らしてうなずいた。
「もし夢でなかったならね」
「夢でもいい。わずかにでも可能性があるなら探しにいこう」
言い終えないうちに、リオネルは扉口へ向かっていた。