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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
305/513

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 乾燥した、さわやかな風が丘を吹き抜けていく。

 雨が降り続いていたとは思えぬほど、エーヴェルバインの空は晴れ渡っていた。


「ここか」


 城の全貌が見えるところまで辿りつくと、ベルトランがつぶやく。城を囲む青空の眩しさに、リオネルは目を細めた。


 ゆるやかな丘の上に建つ城は、過ぎ去った時代の建築様式を残しつつも、外壁や屋根などは新しく造られている。一方、周囲を巡る池や庭園などには、最近の流行が取り入れられており、旧式の建築と織りなす光景が新鮮な印象を見る者に与えていた。


 城の周囲には田園地帯が広がっている。ぽつりぽつりと見える民家の煙突からは、おそらく調理をしているのだろう、煙が上がっていた。


 滅多に人が訪れぬ城であるらしい。城へ続く道に人気はなく、異国人であるリオネルとベルトランが門前に現れると、衛兵は警戒心を露わにした。

 けれど、フリートヘルム王の捺印が施された書状を目にすると、いま一度異国からの訪問者をまじまじと見やってから道を開ける。


 花壇の並ぶ中庭を通り、城のなかへ。


 シャルム使節の突然の来訪を知ったカロリーネは、ただちに面会を許可した。


 カロリーネにとっては意外な展開であったはずだ。なぜなら、フリートヘルムとの面会が叶わずにカロリーネを頼ってくるというのは予測していただろうが、フリートヘルムの後ろ盾を得たうえでこの城を訪れるとは思っていなかっただろうからである。

 先に使節から預かった書状には、「彼らに協力していただければ幸いです」とだけ、フリートヘルムの字で記されていた。そもそも、フリートヘルムと話ができているならば、ここへ来る必要などないはずである。



 両者が対面したのは、女性の城ならではの、優しい色調で統一された客間だった。

 ひざまずく二人の若者を見下ろし、まずカロリーネは顔を上げるように命じる。

 膝をついたまま顔を上げた異国の騎士らを眺めやって、カロリーネはわずかに驚きの表情になった。


「リオネル・ベルリオーズ様とは貴方のことですね」

「突然の訪問をどうかお赦しください、カロリーネ様」


 カロリーネは、謝罪するリオネルへゆっくりと近づくと、顎に軽く指先を触れてかすかに笑む。薄布の手袋越しに、カロリーネの白い指先が透けて見えた。


「もっと大人かと思っていましたのに、想像していたより、ずっと若くて可愛い方」


 特別なことは何ひとつしなくとも、カロリーネは色気のある女性である。三十を過ぎているとは思えぬ瑞々しさに、大人の雰囲気を加えていた。

 その人から「可愛い」と言われたリオネルは、一瞬の間を置いたものの、いたって冷静である。


「……この度は、お願いがあって参りました」


 カロリーネもまた、思いも寄らぬ言動とは裏腹に、真面目な態度だった。


「交渉のことですか?」

「いいえ」


 はっきりと否定したリオネルから指先を放し、その顔をカロリーネは探るように見つめる。


「それ以外のことでわたしになにか用向きが?」

「探している人がいるのです」


 意外な答えだったのか、カロリーネは首を傾げた。


「いったいどなたのことでしょう」


 さらなる説明を求めるカロリーネに、リオネルはこれまでの経緯を大まかに説明した。

 ――そこでカロリーネは、驚くべきことを耳にすることになる。


 すなわち、シャルムから訪れた使節のうち二人――レオン第二王子と従騎士アベルの行方が、突然わからなくなったというのだ。

 ジークベルトを救ったリオネルらは、褒美として、その二人の捜索に協力することをフリートヘルムから約束され、ジークベルトもまたゆえあってリオネルらと共に二人を探しているという。


「二人がいなくなったことの背景に、陰謀の影があるということですね」

「……いなくなってから丸一日が過ぎました。二人は優秀な剣士です。一夜明けて戻らないということは、なにかが起こったと考えて間違いないでしょう」


 あえてリオネルはユスターの存在については口にしない。他言しないという約束を守るためだ。ちなみにフリートヘルムにも、直接ユスターが絡んでいるということは告げていなかった。

 他言したことが知られたときには、おそらく現実的にアベルとレオンの命は保証されないだろう。


「なるほど――ジークベルトが戻ってきたということは聞いていましたが、そのような経緯いきさつだったのですね。甥を救ってくださったこと、わたしからも感謝いたします」

「恐れ入ります」

「ジークベルトを襲った相手については容易に想像がつきますが、さあ、あなたがたの仲間を襲った相手についてはわたしも思い当たりません」


 そう言ってからいったん言葉を止め、カロリーネは、まさかという顔をした。


「あなたがたは、わたしが二人を襲ったとお考えでいらっしゃるのですか?」

「けっしてそうではありません。フリートヘルム陛下にもご協力いただき、エーヴェルバインの街をくまなく探しまわりましたが、二人は未だに見つかっていません。そのため、捜索範囲を広げているのです。この城において普段と違ったこと、あるいは奇妙なことが起きていないかということだけをうかがいたく参りました」

「この城に、何者かによって二人が囚われている可能性があるかどうか、知りたいのですね? なるほど、ここならだれにも知られずに隠しておくことができます」


 政治感覚に優れていると名高いカロリーネである、話の呑み込みが早い。


「そのとおりです」


 軽く頭を下げるリオネルに、カロリーネは「残念ですが」と告げた。


「わたしが知る限りでは、この城は普段と変わりありません。城主として断言できますが、レオン王子殿下とあなたのご家臣は、この城にはいないでしょう」


 納得した様子でリオネルはうなずき、ベルトランと顔を一瞬だけ見合わせる。


「それを聞くことができれば、我々はもはや長居はいたしません。平穏な時間を妨げたことをお赦しください」

「本当にそれだけのためにここを訪れたとは、欲がないのですね」


 カロリーネは薄く形のよい唇に、笑みをひらめかせた。


「この城に珍しい風が迷いこんだようで、わたしも新鮮な気持ちにさせられました」


 ひざまずいたままのリオネルの頬に手を添え、流れるような仕草で上向かせる。


「大切な方々なのですね」

「…………」

「知的な瞳に、焦りと怒りが垣間見えます」


 リオネルは無言で紫色の瞳をカロリーネへ向けていた。


「一刻も早く見つかることを祈っています」

「ありがとうございます」

「ジークベルトの顔を見るため、わたしも近いうちに王宮へ赴きます。また会いましょう、リオネル・ベルリオーズ様」


 再度礼を述べて、リオネルとベルトランはカロリーネの城を辞した。

 帰り道において、ベルトランが、


「おまえが『可愛い』とは。ローブルグ王家には、やや変わった人物が生まれるのだろうか」


 とつぶやき、リオネルが微妙な面持ちになったのは言うまでもない。









 一方そのころ、ディルクはローブルグ王フリートヘルムと共に、シュトライト邸を訪れていた。


 むろん王宮や、古くからの大貴族であるベルリオーズ家の館ほどの大きさではないが、それでもシュトライト邸は、建物の造りや装飾は相当に凝っていて、かなりの金銭を費やしたと察せられる屋敷であった。

 あえて古い様式を採用して建築されており、外壁には等間隔に伝説の生き物の彫刻がほどこされ、双頭の犬やら、四本脚の蛇、半馬半魚などが訪れた者を出迎えている。

 門の両脇には獣人の像が立ち、玄関の扉には狼男の絵柄が掘りこまれていた。


「趣味の悪い家だな」


 思わず漏れたディルクのつぶやきにフリートヘルムは、


「成り金とは悪趣味なものだ」


 と笑いもせずに返す。


 国王の突然の来訪に、シュトライト邸の家人はひどく慌てた様子だったが、かといって隠し事をしているような雰囲気は感じられない。館の当主であるシュトライト公爵はというと、大袈裟に王の来訪を喜んでみせた。


「フリートヘルム陛下、驚きましたぞ」


 両手を広げ、完璧な顎髭によって飾られた口元に笑みと皺を刻む。


「我が館においでくださるとわかっておれば、盛大な宴の準備をいたしたものを」

「私のほうから、妻の館に赴いてはいけなかったかな?」

「妻?」


 思いもかけぬ台詞であったのか、シュトライト公爵は一瞬虚をつかれた面持ちになった。


「ああ、マティルデですね」

「他に私の妻がいたかな?」

「いえ、その――あれはいくつになっても子供のように甘えており、我が館に頻繁に出入りしておりますこと、陛下には大変申し訳なく思っております。今後はマティルデには、王宮にいるよう申しつけますので……」

「いや、その必要はない」


 妻の館に赴いたと言いながらも、きっぱりと断るフリートヘルムに、シュトライト公爵は当惑の面持ちになる。


「は?」


 普段からなにを考えているかわからぬフリートヘルム王であるが、この日はいつも以上に理解に苦しむ。


「マティルデに会いにきたというのは口実で、実のところそなたに会いにきたのだ、シュトライト公爵」

「それは……光栄でございます」


 と答えつつも、シュトライト公爵は怪訝な面持ちだ。

 普段なら、なにかあれば王宮へ呼びつける。それが国王自ら足を運ぶとはどういうことだろうと、シュトライト公爵の顔には、はっきりと疑念が浮かんでいた。


 しかしながら、その表情からは慌てた様子は読みとれない。もし二人を隠していて、これだけ自然に振る舞うことができているなら、この男はなかなかの役者ということになる。


 ――どうも、ここにはいないらしい。


 それさえわかれば、今回の訪問の目的はほぼ達成されたことになる。しかし、フリートヘルムのほうは他にも用があるようだった。


「義父でもあり、忠臣でもある貴公に、尋ねたいことがあってね」


 フリートヘルムは視線だけを動かして、ちらと背後にいるヒュッターを見やる。その仕草に、シュトライト公爵はなにか予感したのか苦い面持ちになった。


「このようなところでは落ち着きませんので、どうかお部屋へ」


 ヒュッターをそばから離そうとしたのか、シュトライト公爵はフリートヘルムを促す。

 だが、賓客のための応接間に案内されたフリートヘルムは、ヒュッターとディルクをそのまま伴ったのだった。

 見慣れぬ若い家臣の顔に、シュトライト公爵は眉を寄せる。


「その者は、新しいご家臣で? どこかで見たことがあるような……」


 むろん両者はエーヴェルバイン王宮の廊下で会っているのだが、場所がうす暗かったうえに、他の者の印象が強すぎて、ディルクの顔はシュトライトの記憶に残っていないようだった。


「新たな恋人だ」


 平然とフリートヘルムが答えると、シュトライト公爵は顎を上向かせて、納得の表情になる。


「ああ、そういうことで」


 ディルクの迷惑げな表情を一瞥してから、公爵は皮肉めいた笑みを浮かべた。


「ならば、マティルデは王宮には赴かないほうがよいでしょうな」

「公爵の寛大な理解には、いつも感謝している」

「年若く、見目のよい青年でなによりですが……そのような話をするためにいらしたわけではありますまい?」

「むろん」


 素っ気ないほど淡々と答えてから、フリートヘルムは運ばれてきた葡萄酒に口をつけた。

 奇妙な沈黙が流れる。

 居心地の悪さを覚えたシュトライト公爵が、ひとつ咳払いをした。


「そういえば」


 ようやく発せられたフリートヘルムの言葉。


「公爵の甥御で、ベンヤミンという名の若者がいただろう」


 そのひと言は、公爵の顔色を一変させた。

 喉が詰まったかのように息を止めてから、シュトライト公爵は何事もなかったかのように苦笑してみせる。


「ああ、そういえばおりましたな。行方がわからなくなったのは、もう何年も前の話です。いったいどこでなにをしておるのか」

「公爵は随分と、かわいがっていたのではなかったか?」


 フリートヘルムの質問に、シュトライトはかすかに眉を動かした。


「ええ、なかなか利口な子でしてね……マティルデとも歳が近かったので……ああ、そういえば、この館に呼んで住まわしたこともあったかもしれません」

「見つかったぞ」


 短く発せられたフリートヘルムの言葉に、シュトライトの顔は歪んだ。

 一方、フリートヘルムの淡々とした横顔を、ヒュッターは期待と驚きを混ぜ合わせた眼差しで見つめている。


「さようですか、見つかったとはなにより……ですが、なにも言わずに我々の前から姿を消したのですから、もはや親族とは思っておりません。私共とは関係のない話です」

「あれほどかわいがっていたのに、冷たい物言いだな」


 ひとり部外者ではあるディルクは、長身に似合わず、なるべく存在感を消しながら、事の成り行きを見守っている。フリートヘルムの恋人に仕立て上げられたのは不愉快だが、この際、演じきるしかない。


「恩を仇で返されたのですからね、当然のことです」

「ベンヤミンはそなたを実の父のように慕っていたようだが」

「そうでしたかな」

「死んだぞ」


 ついに公爵は口をつぐんだ。


「我々に捕らえられた直後、彼は舌を噛み切って死んだ」

「…………」

「知っていたのだろう?」


 問われてようやく発せられたシュトライトの声は、普段よりも低く、かすれていた。


「いったい……」


 かすれてうまく声を出せなかったので、ひとつ咳払いしてから公爵は言いなおす。


「いったいなんのことをおっしゃっておられるのか」

「我が兄の忘れ形見を襲った狼藉者のひとりだった」

「まさか、ベンヤミンがそのようなことを……」

「舌を噛み切って死んだのは、そなたの名をけっして洩らさぬためだろう」

「なにをおっしゃいますか、陛下。私がベンヤミンをけしかけたとお考えであらせられますか」

「けしかけたのではない――指示したのだ」


 薄い藍色の瞳をまばたかせてから、シュトライト公爵は耐えきれなくなったかのように笑いだす。


「なにがおかしい」

「いえ、あまりに突拍子もないご想像をされておられるので……なにか証拠でも?」


 静かにフリートヘルムは首を横に振る。


「証拠はない」


 安堵したのか、今度は余裕を感じさせる笑みを公爵は浮かべた。


「おかしなことをおっしゃるものですな。今回だけは、疑いをかけられたことを忘れることといたしましょう」

「いや、忘れないでもらいたくて、私は今日ここへ来たのだ」


 眉をひそめてかすかに首をひねるシュトライト公爵へ、フリートヘルムは射るような眼差しを向けた。


「私は兄上からジークベルトのことを託された。彼に手出しする者を、私はけっして赦しはしない」


 けれど、このような眼差しをフリートヘルムから向けられても視線を外さずにいられるのは、さすがはシュトライト公爵というべきか。


「私は断じて手出しなどしておりませんぞ」

「ジークベルトが戻ってきたのは、公爵も承知のとおりだ。万が一、ジークベルトになにかあれば、真っ先にそなたが疑われると思え」

「陛下、それはあまりな言いようではありませぬか。マティルデを通じて、私と陛下は親子であるというのに」

「親子だと思うなら、ジークベルトのことも大切な親族と考えてほしいものだ」


 皮肉を込めたフリートヘルムの台詞に、公爵はなにか返そうとして口を開くが、けれど言葉は出てこなかった。


「私は王宮に戻り、この青年とゆっくりと過ごすことにする」


 言葉が出ないまま、シュトライト公爵は立ちあがるフリートヘルムにぎこちなく頭を下げる。露骨に嫌な顔をしているディルクを促しながら、フリートヘルムは賓客室から出ていった。


「なぜあのようなことを?」


 馬車のなかで、ヒュッターがフリートヘルムに尋ねる。

 フリートヘルムは表情を動かさずに答えた。


「潮時だ、ヒュッター」

「……時が満ちたと?」

「彼は兄上だけではなく、ジークベルトの命までも奪おうとしている。野放しにしておくわけにはいかない」

「けれど、陛下がシュトライト殿の手綱を手繰り寄せるのは、あの者を完全に捕らえることができるときだと思っておりましたが」

「そうだな、今回は証拠がないから捕らえることはできなかった」

「このままでよろしいので?」

「手繰り寄せようとして、かえって手綱を放してしまったように見えたか?」

「そうは申しませんが……」


 ヒュッターが言葉を濁すと、フリートヘルムは一方的に会話を打ち切り、シュトライト邸を出てからずっと警戒するように距離を保っているディルクのほうを見やった。


 視線に気づき、遠慮なく眉を寄せるディルクを見て、フリートヘルムはおかしげに笑う。


「心配しなくてもいい。そなたも、そなたの友人であるリオネル殿も、よい顔立ちだが私の趣味ではない」

「…………」

「たしかに身目の良い者は好きだ。だが、私の好みは、そなたらのように完璧な者ではなく、もう少し地味な者だ。目立ったところはないが、よく見れば良い顔立ちで、いざというときには芯が強く、普段は哲学書を読み耽っているような真面目で落ち着いた青年がいい」


 無言のままディルクはフリートヘルムの台詞を頭のなかで反芻し、そしてついにはひとりの存在を思い浮かべるに至った。


 ――地味で目立ったところはなく、だが実は端正な顔立ちで、いざというときには案外に行動的で、そして普段は哲学書(特にベネデット)を読み耽っているような真面目な青年……。


 まさにあの人ではないか。


 が、だれよりもこの手のことを嫌いそうなのもまた彼である。

 実のところ、彼はユスターの使節に囚われたままのほうがいいのではないか――と、ディルクは密かに思ったのだった。








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