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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
304/513

42






「まさかユスターだったとは」


 事情をすべて聞き終えたジークベルトが、険しい面持ちでつぶやく。

 落ち着いた態度ではあるが、内心にくすぶる怒りは口調の固さから察せられる。たとえ激しい感情を抱いていても、面に出さない。そのようなところも、ジークベルトとリオネルは似ていた。


 ここはジークベルトの寝室――つまり宮殿内で最も警備の厳しい王族の部屋である。

 いくらユスターの使者たちがエーヴェルバイン王宮内をうろついていようとも、さすがにここまでは立ち入れないだろうと踏んでの集合場所だった。


「――いっそこのまま、ユスターの使者を捕らえて居場所を吐かせようか」

「そうしたいところだが、二人の身に危険が生じる可能性もある」


 指摘したのはリオネルだった。


「ということだな」


 むろんジークベルトもそのことはわかっている。だが、このままでは怒りも焦りも抑えようがない。


「二人が囚われていそうな場所――か」

「協力してもらえるか」

「聞かれるまでもなく」


 確認するリオネルに、ジークベルトはややそっけなく答えた。

 アベルがあくまでリオネルの配下であり、捜索に協力してほしいとリオネルの口から頼まれることそれ自体が、ジークベルトにとってはおもしろくない話であったのかもしれない。

 けれどとにかくジークベルトは、ユスター側に囚われたレオンとアベルを助けだすことに協力する姿勢を示した。


「しかし……」


 ジークベルトは思案する様子である。


「たしかにぼくはこの街や周辺のことについてよく知っているけど、かといってたった二人の人間を隠そうと思えばいくらでも隠し場所はある」

「わかっている――だが、それでも二人を探しだすつもりだ」


 きっぱりと答えるリオネルに、ジークベルトはうなずいた。


「もちろん、諦める気はないよ。必ずアベルを助けだす」

「……皆、たまにレオンの名前が抜け落ちていないか?」


 他にもレオンの名を抜かした者がいた気がして、ディルクは記憶を辿る。あれはだれだっただろうか。

 ディルクのつぶやきは聞き流され、議論は先へと進んだ。


「明後日の昼までに探さなければならないのか」

「それも、大がかりな捜索はできない」


 帰国すると約束した以上、レオンとアベルを探しだそうとしている動きを見せるわけにはいかない。身体を動かすのではなく、頭を働かせる必要がありそうだった。


「ユスターの使者の動向を探ることはできないだろうか」


 ベルトランが言う。


「ザシャやモーリッツの行動範囲を調べれば、二人の居場所が絞れるかもしれない」

「まずはそこからだね」


 ディルクが同意すると、ジークベルトもうなずいた。


「わかった。事情は伏せて、ヒュッターあたりに調べさせよう」


 どうやらフリートヘルムの腹心であるヒュッターを、ジークベルトもまた信頼しているようである。父親であるアルノルトの家庭教師であったのだから、当然のことかもしれない。


「尾行してもけっして居場所はわからないと、彼らが言い切っていたのが気になりますね」


 先程の会話を思い出しながら、マチアスが眉を寄せる。


「彼らがまったく足を向けない場所に監禁しているということか」

「ええ、ベルトラン殿。あるいは、はったりかもしれませんが」

「手掛かりがない以上は、ひととおり行動範囲を調べてみる価値はあると思うよ」


 ディルクの意見にマチアスはうなずく。


「そのとおりでしょう」

「ユスターと繋がっている可能性のある者たちを調べるのも、有用かもしれない」


 机を指先で軽く叩きながらリオネルが言った。指先の動きに、隠しきれぬ苛立ちが滲む。

 怒りを冴えた冷静さに変容させているものの、一刻一刻と過ぎていく時間に焦りを覚えるのは、恋しい相手のことを想えばこそ。


「彼らには仲間がいる可能性もある。廊下で会った使節とは別に、レオンとアベルを監視している者がいるとすれば、外部の存在ということも考えられる」

「たしかに」

「それもいっしょに調べさせることとしよう」


 答えたジークベルトに、ディルクが問いかけた。


「あとはどうかな? この土地を知る者として、まだ捜索していない場所があると思うかい?」


 ジークベルトは腕を組んで考えこむ。そしてしばらくしてから、とある人物の名を出した。それは先程、ユスターの使者と会う前にすれ違った相手である。


「――そういえば、シュトライト公爵の館はまだ立ち入っていない」

「あの胡散臭そうな男の館か」

「あとは、叔母上の居城も探していないけど……」


 彼がいうところの「叔母の居城」とは、カロリーネの住まうツィンドルフ城のことだろう。濁ったジークベルトの言葉には、あのような場所に隠せるはずがないという思いがあるようだ。


「念のため、調査しておきたい」


 リオネルが言うと、ジークベルトはうなずく。


「叔母上の許可を得れば、ツィンドルフ城については入れると思う」

「シュトライト邸は?」


 ジークベルトは眉を寄せた。


「正面からは、まず入れないと思ったほうがいい」

「正面から入れないなら、忍び込もう」

「狡猾で卑劣な男だ。見つかったらなにをされるかわからない」

「問題ない。おれが行く」

「なにが『問題ない』だ。危険すぎる、リオネル」


 即座に反対したのはベルトランだ。


「ああ、そう思う。きみの容姿はとくにこの国では目立つ」


 ジークベルトが同意した。


「そちらが行くよりはましだろう?」


 このようにリオネルがジークベルトに尋ねるのは、むろんシュトライトが今最も殺したいと願っている相手は、ジークベルトであるに違いないからだ。


「シュトライト邸に、最も安全かつ容易に立ち入れるのはだれだ?」


 ベルトランに問われたジークベルトは、しばし考えてから答えた。


「叔父上だろうね」


 ――つまり、フリートヘルム王のこと。

 フリートヘルムは国王であり、この国では立ち入れぬ場所など存在しえない。さらには、シュトライト公爵にとって娘婿であり、出世するための大事な切り札だ。危害を加えるとは思えない。


「そういえば、二人を探しだすと国王陛下は約束くださっているんじゃなかったか?」


 思い出したようにディルクが言うと、ベルトランが真面目な調子で返す。


「口実を見つけて、陛下には館に行っていただくとするか」


 ジークベルトが苦笑した。


「ああ、行ってくれるとは思うよ。約束を違える人じゃない」

「ならば、おれが陛下の供として同行しよう」

「だからリオネル。おまえは目立ちすぎるって。相手は絶対におまえの顔を覚えてる」

「では、だれが調べに行くんだ?」

「このなかで一番ローブルグ人に近い風貌の者……」


 ベルトランのつぶやきに、皆の視線がディルクに集まる。


「……あ、おれ? いいよ。行くよ」


 気軽に答えながら、


「じゃあ、リオネルはカロリーネ殿のところに行ったらいいよ」


 とディルクは勝手に采配した。それをジークベルトが引き継ぐ。


「そうしようか。赤毛の用心棒殿はご主人に同行するのだろう? そうしたら、ぼくと従者殿は手分けしてそれ以外の貴族の城館を探すことにするよ」


 従者殿とは、むろんマチアスのことである。


「しかし、シュトライト邸は巨大なんだろう? どうやって内部を捜索すればいいんだ」


 顎に手を置いて考えこむディルクに、リオネルが告げた。


「すべての部屋を探す必要はないよ」

「というと?」

「王子であるレオンを監禁しているなら、フリートヘルム王の来訪によって事態が発覚しないかシュトライト公爵を含めて、館の者はかなり神経を尖らせるはずだ」

「後ろめたい様子がないかを探るってこと?」

「他の貴族の城館についても同様だ。各所をくまなく調べ上げることはできないから、相手の動揺を見破るほうが手っ取り早い。少しでもおかしいと感じるところがあれば、それから調査をはじめよう」

「なるほどね。いったん下調べを済ませてから、本格的に乗り込むってことか」


 ディルクに続いてジークベルトも賛同して、大方の意見はまとまった。方向性が定まれば、あとは行動に移るのみである。ジークベルトを含めた五人は部屋を出た。


 彼らが真っ先に向かったのは、王の書斎。シュトライト邸へ赴くようフリートヘルムを説得するためだ。

 それから若者たちは、各々に割り振られた先へ向かった。






+++






 芝の香りが舞いあがる。

 青々とした芝の上では、三歳にもならぬ幼児が楽しげにまりを追いかけていた。毬は木を削って作られたもので、水色に塗られている。

 危なげない足取りで毬を追いかけ、拾いあげては持ち帰る。幾度繰り返しても飽きぬようで、幼子は楽しげな声を上げながらそれを続けていた。


 毬を転がしているのは、ベルリオーズ公爵クレティアンである。

 彼が自室を出るのは久しぶりのことだった。

 弱っている身体には、リヴァロ式庭園はやや遠いため、正門から玄関に至るまでの長い通路の両脇に広がる前庭で、クレティアンはイシャスの相手をしている。


 ここしばらく部屋にこもっていたクレティアンが姿を現し、それも従騎士であるアベルの弟イシャスを遊ばせているのだから、通りかかった館の者は驚いてその光景に目を奪われた。


 駆けまわるイシャスに、クレティアンは気長に毬を投げてやっている。

 子供の相手など病の身体ではひどく疲れるだろうと思いきや、クレティアンの表情は活き活きとして、楽しげだった。


「こうしゃさま、はい、まり」


 戻ってきたイシャスから毬を受けとったクレティアンは、


「よくできたな。そなたは利口だ」


 と、幼子の頭を撫でながら目尻を下げている。

 ともすれば、孫の相手をする祖父の顔だ。


 困惑するような、けれど微笑ましいような面持ちで、周囲の者はその様子を見守っていた。戯れる二人のそばに控えているのは、執事のオリヴィエ、ラザールやダミアンを含めた数名の護衛の騎士、それからエレンとその他幾人かの女中だ。


「公爵様は子供がお好きなようですね」


 主の意外な一面を垣間見たらしいダミアンがつぶやくと、ラザールが満面の笑みで答える。


「そりゃあれだ、イシャスはアベルに似てかわいいからな」


 やけにラザールは嬉しそうである。


「一番そう思っているのは、ラザール殿ではありませんか?」


 ダミアンは苦笑した。

 この豪快で屈強なベルリオーズ家の中堅騎士ラザールは、ことアベルに関することとなるとやけに機嫌がよくなる。最近、新たに加わった最年少の従騎士であるアベルのことを、だれよりも気にかけている男だった。


「妻帯しないでこの年になるとな、アベルのことは弟のようだし、イシャスのことは我が子のようにかわいく思うよ」

「気持ちはわかります」

「そんなことを言って、おまえは抜け駆けして結婚する気だろう」

「いいえ、私はすべてをベルリオーズ家に奉げていますので」


 騎士のなかには、ラザールのように所帯を持たずに生涯、主に仕える者が少なからずいる。それは、家族を持つことで、主人に捧げる忠誠心が揺らぐことがないようにするためだ。

 むろん妻帯が禁止されているわけではない。

 望む相手がいれば、妻を娶り家庭を築くことは可能だ。けれどその場合は、騎士館を出て館の外に居館を構えなければならない。


 こうして、ベルリオーズ邸の騎士館に住まう者はすべて、忠誠心を揺るがぬものにするために生涯独身を貫く者か、もしくはダミアンのような結婚前の若者ばかりだった。

 彼らは皆、貴族の出身であるが、長子ではない。だからこそ、家を継がずに他家に仕えるのであり、子孫を残しても残さなくても出身家の繁栄とは関係ないのだった。


「ラザール殿こそ、まだ結婚を諦めていないのでは?」

「なんだ? その結婚したくてもできなくて、この歳まで館に居ついてしまったかのような言い方は。おれは妻よりも、クレティアン様とリオネル様を思って生きると誓ったんだ」

「そういいながら、同じくらいにアベルとイシャスのことも思っているではありませんか」


 おかしそうにダミアンが指摘する。


「いや、リオネル様への忠誠心があるからこそ、リオネル様の大事にされる家臣を、おれが気にかけているのだ」

「はいはい、そうですか」


 言い訳を聞き流して、ダミアンは視線をイシャスの育て親であるエレンへ向けた。まだなにか言いたげなラザールを無視して、ダミアンは気の毒そうな面持ちで言う。


「イシャスは楽しそうですが、エレンは浮かない顔ですね。イシャスが公爵様に粗相をしないか心配しているのでしょう」

「ほう、ああいうのが好みか、ダミアン」

「な……なにをおっしゃるんです、ラザール殿」


 慌ててダミアンが否定する。


「そういうつもりで言ったわけでは――」

「その慌てぶり、やっぱりな」

「なにが『やっぱり』ですか」


 ダミアンが眉を寄せる。本当にそういうつもりではなかったようだ。

 だが、ラザールの冷やかしは続いた。


「照れるな、ダミアン。いくらか年上のほうが、嫁にもらうにはいいというしな」

「変な噂が立ったらどうするのです。私はかまいませんが、エレンがかわいそうですよ。彼女は気立てのいい女性ですから、きっと良縁があります」

「では、どんなのがいいんだ?」

「……さあ、わかりませんが」


 ラザールが歯を見せて笑う。


「まだまだ子供だな」

「貴方に言われたくありません」


 がちゃがちゃと言いあいを続ける二人に、執事のオリヴィエが呆れたような視線を向ける。だが、オリヴィエの視線など意に介さず、ラザールとダミアンは、つまらない小競り合いを続けていた。


 平和な時間である。

 けれど平和に見えるのは、この時、この場面を切りとり、そこだけを眺めているからにすぎない。

 北方と西方からは戦争の気配が漂いはじめ、ベルリオーズ家の家臣のひとりであるジル・ビューレルは囚われの身、王位後継者の命を狙った嫌疑でベルリオーズ家は揺れ動き、リオネルは遥か敵国ローブルグの王都にいる――左腕は未だ動かせないままに。


 今、クレティアンとイシャスの笑顔だけが、この館に明るさを呼び込む。


 かつては部屋にイシャスを連れてくるようにと言ったクレティアンが、実際には外で遊ばせることにしたのはそのためではないかと、最もクレティアンのそばにいたオリヴィエは思う。


 ――重く暗い空気に呑みこまれそうになる館の者たちに、自らの元気な姿を見せるため、そして、イシャスの笑い声を聞かせるために、こうして最も目立つ前庭で遊んでいるのではないかと。


「見れば見るほど、イシャスはアベルに似ているな」


 毬を両手に持ちながら、クレティアンは目を細める。


「そして、イシャスを見ていると、なにかを思い出せそうで、思いだせない気がする」

「……以前も、アベルをまえに、そのようなことをおっしゃっていましたね」


 オリヴィエは、イシャスの背の高さにあわせてしゃがむクレティアンを見やった。


「イシャスは、他のだれかにも似ている気がするのだが」

「いったいだれに?」

「さて……」


 話していると、クレティアンがなかなか毬を投げてくれないので、イシャスが「まり、はやく、こっち」と毬を取りにくる。

 そのイシャスの肩に軽く手を添え、クレティアンは尋ねた。


「イシャス。そなたの兄アベルは、リオネルやベルトランらと、どこでなにをしているだろうな?」


 大きな青灰色の瞳を見開き、イシャスはクレティアンの顔を見つめる。

 むろんクレティアンもこのような幼子から答えを期待したわけではない。だが、イシャスはなにか考えるような面持ちだった。


「そなたににも、私の言葉の意味がわかるか? アベルやリオネルがいなくて寂しいだろう」


 問われると、なにに対しての返事かわからないが、こくんとイシャスがうなずく。

 それを見た涙もろいエレンが、指先で目元を拭う。

 だれもが不安だった。――エーヴェルバインに向かった六人が、無事に帰還できるのかどうか。


 シャルムとベルリオーズ家の頭上に広がる暗雲の行方を知る者はない。


「大丈夫だ、アベルもリオネルも無事に戻ってくる」


 イシャスの空色の瞳に、クレティアンは語りかける。


「リオネルの腕も、そのうち動かせるようになる。ナタンの嫌疑も解け、ジルも無事に解放されるだろう。そうしたら、皆が戻ってきて、すべてがもとに戻る。なにも心配することはない」


 自らに言い聞かせるようにクレティアンが言うと、そばで様子を見守っていた女中らも顔を伏せて、目元をぬぐいはじめる。感動しやすい質のラザールが小さく鼻をすすったが、このときばかりはダミアンもからかわなかった。







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