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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
298/513

36







 リオネルとベルトランが宿へ戻ってきたのは、夕暮れ時だった。といっても、夕焼け空が広がっているわけではない。

 昼間に一度は止み、ひととき晴れ間の垣間見ることができた空も、午後には再び崩れて雨粒が滴りだした。


 部屋で待っていたのは、ディルクとマチアス、そして医師の治療を受け終えたジークベルトである。アベルとレオンの姿がないことを知ると、リオネルは落胆の色を浮かべた。


 一方、リオネルらの帰りを待っていた三人も、探していた仲間がそばにいないことをみとめて表情を曇らせる。


「見つからなかったのか」


 ディルクが確認すると、雨外套を脱ぎながらリオネルは軽くうなずく。


「なんの手がかりもつかめなかった」

「雨のせいで視界が悪かったうえに、地面が泥の海のようになっていて痕跡も探せない」


 リオネルに捕捉する形でベルトランが説明した。ちらとジークベルトの腕に巻かれた包帯を見やって、リオネルが尋ねる。


「怪我の具合は?」

「おかげさまで軽傷だよ。きみたちが助けてくれたから死なずにすんだ」


 礼を言うジークベルトの隣でディルクが、


「医者は、もう少しで動かせなくなるほどだったと言っていたけどね」


 とつけ加える。


「左腕におそろいの怪我なんて、つくづくリオネルとジークベルトは似ているんだなあ」


 ディルクの軽口を聞き流し、ジークベルトはリオネルに尋ねた。


「アベルは本当にぼくのところへ向かおうとしていたのか?」


 リオネルとベルトランが戻ってくるまでのあいだに、彼はディルクからこれまでの経緯を聞いていた。けれど、その話もディルクが直接見聞きしたわけではなく、ベルトランからの又聞きである。

 それを踏まえたうえで、アベルが本当に自らに会いにいこうとしたのか、ジークベルトはあらためて確認したのだ。


「ぼくはずっと宿にいたけど、現れたのは黒ずくめの男たちだけだった」

「おれはアベルがそちらへ向かったのだと思い込んでいた」

「あるいは、美女と美酒にはなんとやらへ向かう途中でなにかが起こったか」


 つぶやくベルトランにディルクが首を傾げる。


「アベルはレオンと一緒にいたんだぞ? なにが起こるというんだ? そんじゃそこらの相手では、あの二人に危害を加えることはできないと思うけど」

「それがわからないんだ」


 ベルトランは腕を組んだ。


「アベルがジークベルトのもとへ向かったかどうかはさておき、どこに行こうとしたにせよ、二人が共に戻らないということが不可解だ」

「考えられる可能性は――」


 ディルクは一同を見渡しながら、考え込む仕種になる。


「――どこかで雨宿りをしながら酒でも酌み交わしているか」


 軽く首をひねるマチアスを横目で見ながら、ディルクは続けた。


「道に迷ったか、あるいはリオネルの顔など見たくないと言ってアベルが帰るのを拒否しているか」


 ごほんと咳払いしたのはベルトランだ。


「もしくは、どちらかがなにかの拍子に怪我をして動けなくなったか――それとも、あまり考えたくはないが、何者かに襲われたか……」

「アベルのことだから、人助けをしようとして騙された可能性もある」


 ベルトランの案に、ディルクが苦笑する。


「……ずいぶん具体的な例だな」

「まったくないとも言い切れませんが」


 マチアスに言われて、ディルクは首をひねった。


「ようするに、いくらでも状況は考えられるわけだ」

「埒が明かない」


 ベルトランが溜息をつく。リオネルは壁に背中を預けて、硬く両目をつむった。

 雨の音が気になる。

 再び強まろうとしている雨足が、リオネルの気持ちを焦らせた。


 アベルとの会話が脳裏に蘇る。


 ――そんな子供っぽい理屈を口にされるなんて、リオネル様らしくありません。

 ――リオネル様は、ジークベルトを信用していないのですね。

 ――わたしにはそのように警戒される理由がわかりません。


 無数の棘のように、アベルの言葉がリオネルの胸を苛んだ。

 アベルはどこへ行ったのか。

 なぜ彼女は戻ってこないのだろう。


 先程ディルクが口にしたように、自分の顔も見たくないほどまでにアベルを傷つけてしまったのか。

 やりきれない思いに駆られる。


 たしかにジークベルトのもとへ行くことには、あらゆる意味で反対だった。けれど、こんなことになるなら、やはりアベルの思いを受け止めるべきだったのだろうか。


 考えているうちに、ふと気になってリオネルは瞳を開ける。紫の双眸に映りこんだのは、ジークベルトの姿だった。


「ジークベルト」


 呼ばれてローブルグ人の若き騎士は顔を上げる。


「襲われた理由に心当たりはあるのか」


 軽く瞳を細めただけで、ジークベルトはなにも答えない。するとリオネルは質問を重ねた。


「襲ってきたのは何者だったんだ」

「――もしぼくを襲った賊と、アベルやレオンの居場所との関係を疑っているなら、おそらく両者はまったく関わりのないことだよ」

「賊の正体を知っているということか?」

「…………」

「フリートヘルム王は指輪を見て、きみを王宮へ連れてくればシャルム使節と会うと約束した」


 リオネルから視線を逸らし、ジークベルトは眼差しを斜め下方の地面へ落としている。


「――なぜだ?」


 再度問われても、ジークベルトはただ瞼を伏せ黙っていた。答えようとしないジークベルトに、リオネルもそれ以上は追及しない。代わりに、未だに雨水を滴らせている外套を再び羽織って、扉のほうへ歩き出す。


「おい、リオネル。どこへ行くんだ?」


 呼びとめるディルクを振り返らずに、リオネルは告げた。


「もう一度、アベルとレオンを探しに出かけてくる」

「まさか、この雨のなかを? やめとけよ、身体を壊すぞ。今度はおれとマチアスが行くから、おまえたちはここで待ってろ」


 肩を掴んで引きとめたディルクを、リオネルはようやく顧みる。


「なにかあってからでは遅い――行かせてくれ」

「だから、おれが行く」

「もうすぐ夜だ」

「それはわかってる」

「連れ戻さなければ」


 頑な親友に、ディルクが頭を抱えると、背後から声がした。


「取り込み中のところ悪いけど」


 ジークベルトである。


「ぼくは用事を思い出したから、先に失礼させてもらうよ」

「おまえもアベルを探しにいくつもりだろう、ジークベルト」


 負傷したばかりだというのに動こうとするジークベルトを、ディルクは眉を寄せて見やった。


「そんなことはない。新たな宿を探しにくんだ」

「怪我人はおとなしく寝台で寝ているもんだよ」

「じっとしているのは性に合わなくてね」


 部屋を出て行こうとする二人の若者――親友リオネルと金髪碧眼のローブルグ騎士をまえに、ディルクは再び頭を抱える。


「いったいどうすればいいんだ、この二人の頑固者を……。マチアス、おまえもこいつらを止めてくれ」

「アベル殿とレオン殿下の御身が心配ですね」

「それで引き止めているつもりか?」

「引き止められる気がしませんし、皆で探したほうが見つかる可能性は高まります」

「こんな状態で全員で探しにいけば、さらに行方不明者が出るぞ」

「アベル殿を守るためには多少の危険も覚悟すべきでしょう」

「おい、レオンの名前が抜け落ちてなかったか?」


 主人の指摘を聞き流し、マチアスは立ち上がった。


「動ける方は全員、探しに行きましょう。ただし、二人が宿に戻ってくる可能性も踏まえ、ジークベルト様はここでお待ちいただけますか」

「ぼくが?」


 自らの逗留場所ではないのに、ジークベルトがひとりでここに残るというのも奇妙な状況だ。


「今はひとりでも多くの人数が必要です。どうか手を貸してください」

「…………」


 室内に降り落ちた沈黙を都合よく肯定的にとらえて、マチアスは雨外套をつかんだ。


「さあ、行きましょう」


 一行がジークベルトを残して部屋を出ようとしたそのとき、思わぬ事態が起きた。 



 ――宿の階段を駆け上る無数の足音が、ここまで響いてきたのだ。



 全員が咄嗟に剣の柄に手をやり、近づいてくる気配に全身の神経を集中させる。重たい足音が、ぎしぎしと木組みを軋ませる。その数はかなりのものと思われた。


 静かにリオネルが長剣を引きぬくと、ほぼ同時に他の者も得物を構える。足音が猛烈な勢いで近づく合間に、リオネルは仲間に告げた。


「この部屋では、剣を撃ち合わせる広さも、逃げ場もない。おれが扉を開けたら、皆いっせいにここから出て散ってくれ」

「了解」


 答えたのはディルクで、さらにリオネルは視線をすぐ横に向ける。


「ベルトラン」


 名を呼ばれて、赤毛の騎士は軽くうなずいた。


「ジークベルトを守ってほしい」

「リオネル」


 あからさまに不服だという表情のベルトランに、リオネルは淡々と説明する。


「頼む。彼はアベルの友人で、負傷している。危険な目に遭わせるわけにはいかない」

「おまえだって片腕しか使えない」

「おれは慣れてる」

「慣れているとは――」


 ベルトランが最後まで言い終えることができなかったのは、リオネルが扉を開け放したからだった。


 扉を囲んで今にも突入しようとしていた侵入者たちは、相手側から扉が開けられたので、戸惑いと驚きの表情を浮かべる。だが、リオネルらが剣を構えているのを見て、いっせいに剣を鞘走らせた。


 剣と剣がぶつかりあう――まさにその直前。

 声が上がった。



「待て! 王子殿下がおられる、剣を収めよ!」



 声のかぎりに叫んだのは、柔和な面持ちの、武人らしからぬ初老の男だった。

 水を打ったように静寂が訪れ、次の瞬間、抜刀したはずの侵入者らはやや躊躇いながらも得物を鞘に戻しはじめる。


 その光景を、リオネルらは警戒心を込めて見つめていた。


「シャルムの使節殿ですな」


 長剣を片手に立つリオネルに向けて、初老の男は確認する。リオネルは軽くディルクと視線を交わしてから、「そうだが」と答えた。


「我々はフリートヘルム陛下の御命でここへ参りました。けっして御身を傷つけるためではございませぬゆえ、どうか剣をお収めいただきたい」


 頭を下げるフリートヘルムの家臣をしばし見つめてから、リオネルは無言で仲間に目配せし、剣を下げる。ディルクらもそれに倣い、すべての得物が鞘に収まった。


 初老の官吏らしき男は、争いが回避されたのを確認して安堵の表情を浮かべると、今度はその場に恭しくひざまずく。


「王子殿下、お迎えにあがりました」


 王子と呼ばれるべき人物は、この場所にはいないはずだったが――。


「……ヒュッター、老けたな」


 つぶやいたのはジークベルトだった。








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