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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
295/513

33






 リオネルのもとに戻る際、アベルは細心の注意を払った。


 なぜなら、先程は官吏であるニクラスに気配を勘づかれてしまったからだ。フリートヘルムが彼の注意を逸らしてくれなかったら、アベルは見つかってしまうところだった。


 呼吸さえ殺すようにしながらアベルは客間に戻ったが、ニクラスはすでにリオネルらにフリートヘルムの言葉を伝え終えて立ち去ったあとだった。



 アベルの姿を確認して、リオネルらは安堵の表情を浮かべる。

 暖炉から出るのを助けながら、リオネルはまず怪我がないか尋ねた。無事であることを伝えると、リオネルは深く息を吐きだす。


 他の者もアベルの無事を喜んだ。皆の関心事はフリートヘルムとの話し合いの結果であるかと思いきや、なかなかそのことについて尋ねる者はなかった。だれもが、ジークベルトから預かった指輪の効力については半信半疑であったせいかもしれない。


「無事に合流できてよかった。それで、フリートヘルム王とは会えたのか?」


 ようやく確認してきたのはレオンだ。


「会えました」


 アベルが答えると、皆が顔を見合わせる。

 今しがた官吏ニクラスの口から、フリートヘルムがあくまで接見しないつもりであること、だが待っていたいというなら好きなだけ待っていてかまわないし、あるいは帰りたくなったらいつでも帰ってよいという、なんともいい加減な返事をもらったばかりである。


「首尾は? 国王はなんと言っていた?」

「詳細については、宿に戻ってからお話しさせていただけませんか?」


 問い返すアベルの声には覚悟が滲む。

 フリートヘルムからはたしかな手ごたえを感じた。このまま突き進むしかない。リオネルとジルを――ひいてはベルリオーズ家を救うため、残されている道はたったひとつしかないのだから。







 珍入者が去った直後、フリートヘルムは兄アルノルトの家庭教師であったヒュッターを呼び寄せた。

 突然の呼び出しに慌て参じたヒュッターに、フリートヘルムは命じる。


「ジークベルトを探せ」


 真の名をフリートヘルムが口にするのは珍しいことだった。二人のあいだでは、世間で呼ばれている名を使うことが多い。


「殿下の捜索はすでに全力をあげて行っております」

「ジークベルトはおそらく近くに――このエーヴェルバインの街にいる」

「は?」


 唐突な王の言葉に、ヒュッターは目を丸くした。これまでエーヴェルバインの街なかはくまなく探してきたが、アルノルトの遺児は見つかっていない。異国でそれらしき姿を幾度か確認したこともあり、すでにこの街にはいないと考えられていたというのに。


「なぜそのような?」

「必ずいるはずだ。戻ってきたばかりなのかもしれない。シュトライトが嗅ぎつけるまえに、総力を投じてジークベルトを探しだせ」


 事情を説明するつもりなどフリートヘルムにはないらしいと察したヒュッターは、恭しく頭を下げる。とにもかくにも、この街中を血眼で探せということだ。


「……かしこまりました」


 続けてヒュッターが、昨夜カロリーネと交わした会話を伝えようと口を開きかけると、背後で扉が鳴り、官吏のニクラスが微妙な面持ちで入ってくる。ヒュッターはひとまず言葉を呑み込んだ。


「陛下、ご報告申しあげます」

「なんだ」

「その……シャルムの使節が先程、王宮を去りました」

「そうか」


 あれほど謁見が叶うまで帰らないと主張していたのに、彼らはあっさりと立ち去ってしまった。ニクラスはなにがどうなっているのか、わけがわからない。

 まさか、フリートヘルムのもとに使節のひとりが会いにきて話を通していたなど、ニクラスには知る由もないのだから。


 フリートヘルムは平然と言った。


「飽きたのだろう。この王宮はなにもおもしろいものがないからな」

「はあ」


 ニクラスは軽く首をひねる。退屈だからといって本来の仕事を放りだすのは、自国の王であるフリートヘルムくらいだとニクラスは信じていたのだが。


「ところで彼らの滞在場所を知っているか」

「シャルムの使節団ですか? それは、調べさせればわかるかと思いますが」

「わかったら私に報告を」

「かしこまりました」


 一礼して出て行こうとするニクラスを、フリートヘルムは「ちょっと待て」と呼びとめる。


「使節の代表はリオネル・ベルリオーズ殿だ。彼の噂は聞いている。――若いのに知略に富んだ無双の剣士だとか。慎重にしなければ気がつかれるかもしれない。もし滞在場所を突き止めたら、さりげなく周囲を見張りなさい。もしかしたら兄上の子と接触するかもしれない」

「まさか」


 驚きの声が重なりあう。ニクラスだけではなく、ヒュッターも声を上げたのだ。


「なぜシャルムの使節が――」

「子細は私にもわからない。とにかく気づかれないように遠巻きに動くのだ」


 上官と部下の関係にあたるヒュッターとニクラスは、顔を見合わせる。フリートヘルムの様子からすると、どうやらゆっくりと外交について話をしている余裕などなさそうだ。


 ヒュッターは話をするのを諦め、ニコラスと共にフリートヘルムに向けて一礼すると、王命を実行に移すために部屋を辞した。






+++






 宿に帰りついたとき、総勢六名のシャルム使節は、四人に減っていた。

 というのも、宿に買い置いてあった酒を飲みつくしてしまっていたため、エーヴェルバイン王宮からの帰りに、ディルクとマチアスが買い出しに行ったのだ。


 話し合いには酒が付きものである。いかにしてジークベルトから預かった包みを、フリートヘルムに届けるかという議題について、昨夜、皆で意見を出し合っている最中に飲み干してしまった。


 入手する役目を買って出たのがディルクとマチアスだった。

 麦酒ならばどこでも手に入るが、葡萄酒で、しかもそれなりの味のものとなるとなかなか難しい。いいものに出会えるかは、二人の見る目と勘と、運次第だ。


 かくして宿に戻った四人は一部屋に集い、酒と仲間の到着を待つ。


 昨夜は月明りを映していた窓が、今は、夏の終わりの陽射しを室内へ招き入れていた。

 陽射しは強いが、よくよく眺めやると、東の空には雨雲が迫っている。夕方くらいには再び雨になるだろうか。昨日もそうだったが、安定しない天気がエーヴェエルバインでは続いている。

 夏を締めくくる嵐になるだろうか。


 すでにアベルは服を着替え終えている。話し合いは、ディルクとマチアスが戻ってからなので、特に会話もなく四人は寝台に腰かけていた。


 退屈そうにしていたレオンが、ふと口を開く。


「ジークベルトから預かったものは、フリートヘルム王に献上してきたのか?」


 レオンとしては、他愛のない質問をしたつもりだったのかもしれない。話し合いの結果を尋ねたわけでもなく、単に預かり物をどうしたのか確認しただけだったのだから。

 けれどふとアベルは違和感を覚えて尋ねた。


「レオン殿下は、白い包みの中身をご存じなのですか?」


 預かり物の中身ではなく、その行方のみを先に尋ねられたことが腑に落ちない。普通なら、先に中身を知りたがるはずだ。


「え? いや、そんなはずはない。おれはなにも知らない」


 慌ててしら・・を切るレオンをアベルはしばし見つめたが、相手が相手であるから、それ以上の追及はできない。代わりにアベルはリオネルとベルトランを見やった。

 もしレオンが知っているとすれば、この二人が知らないはずがない。


「お二人は、ご存じなのですか?」


 リオネルとベルトランは黙って視線を交わす。それからリオネルが落ち着いた口調で答えた。


「指輪――だろう」


 わずかに瞳を大きくしてアベルはリオネルを見上げる。リオネルの白状はあまりにもあっさりしていた。


「どうして……?」

「すまないが、きみのことが心配で昨夜調べさせてもらった」

「…………」

「けっして見ないときみが言っていたにもかかわらず、無断で開き、ジークベルトとの約束を破らせてしまったこと――申しわけないと思っている」


 自らの失言によって思わず事態を引き起こしてしまったレオンはおろおろとし、一方ベルトランは難しい顔つきで二人のやり取りを見守っている。


 頭を下げるリオネルをまえに、アベルは複雑な思いになる。怒りが湧かないわけではない。けれど他人を責める資格をアベルは持たなかった。


「謝らないでください、リオネル様」


 アベルが言うと、リオネルがゆっくりと顔を上げる。


「わたしもあなたに謝らなければならないことがあります」


 わずかにリオネルの表情が動く。フリートヘルムのもとからアベルが戻ってきた瞬間から感じている不安が、リオネルのうちにはあった。

 なんのことだとリオネルが聞くまえに、アベルが告げる。


「――これからジークベルトに会いにいかなければなりません」


 リオネルが紫色の瞳を大きくする。咄嗟に言葉が出ないようだった。

 沈黙してしまったリオネルの代わりに、昨夜の二人の会話を聞いていたベルトランが低い調子で尋ねる。


「なんのために?」

「……ある条件を前提に、フリートヘルム陛下はリオネル様との交渉に応じると約束してくださいました」

「条件?」

「わたしたちがジークベルトに対し、王宮へ来るように説得することです」

「ジークベルトが王宮に行く必要が、どこにある」

「わかりません。ただ、指輪が関係しているのだと思います」


 無言でベルトランはリオネルを見やる。リオネルは険しい表情だった。


「それが、フリートヘルム王との話し合いの結果なのか」


 ローブルグ王に会い、ジークベルトから預かったものを渡したときのことを、アベルは皆に語った。

 指輪を目にしてフリートヘルムの態度が変わり、どこで入手したのか、持ち主はどこにいるのか聞きたがったこと、そして――、


『これはジークベルトのものだ。返してきなさい。そして、そなたがジークベルトをここに来るように説得できれば、私はそなたの主人と会おう。約束する』


 そう述べたことなどを話して聞かせた。


「ですから、皆でジークベルトを説得しに行きませんか?」


 室内を包んだ静寂を破ったのは、レオンの不思議そうなつぶやきだった。


「いったいジークベルトは何者なのだ?」


 レオンのつぶやきに被さるように、別の声が響く。


「彼に助けを求めるのは最後にしてほしいと頼んだはずだ」


 厳しい口調はリオネルだった。予想以上にリオネルの纏う空気が不穏に変化したので、アベルはひるみそうになる。けれど弱気になる気持ちを、ぐっと抑えこんだ。


「フリートヘルム陛下からは、たしかに手ごたえを感じました。もう少しで、謁見が叶います」


 だが、互いの想いがすれ違うほどに、リオネルの身を案じるが故であるというアベルの気持ちは、うまく伝わらない。


「もうあの男を頼るつもりはない」


 リオネルは低い声音だった。


「なぜですか? ジークベルトは親切な人です。事情を話せば、きっと聞き入れてくれると思うのです」


 必死にアベルは食い下がるが、リオネルは紫色の双眸を細めて答える。


「おれのために、きみが彼に頭を下げる必要はない」

「よく意味がわからないのですが」

「意味などない。――嫌なんだ」

「嫌……と言いましたか?」

「ああ、言った」


 耳にした言葉をすぐには理解することができず、アベルはしばしのあいだそれを咀嚼しようとした。


「……そんな子供っぽい理屈を口にされるなんて、リオネル様らしくありません」

おれらしさ・・・・・、とはなんだ?」


 いつになくリオネルは頑なだ。大人げなく見えるほどに。


「リオネル様は、ジークベルトを信用していないのですね」

「好きに解釈してもらっていい」

「ジークベルトを説得すれば、謁見が叶うかもしれません」

「他の方法もあるだろう。それほどまでにあの男を信頼し、協力を求めるのか?」

「わたしにはそのように警戒される理由がわかりません」

「――そこまで言うなら、勝手にすればいい」

「え?」


 リオネルの言葉に、アベルは心臓が凍るような心地を覚えた。リオネルから突き放されたような気がした。


「ジークベルトを頼りたいなら、勝手にすればいい。だがそれは、おれの望むところではない」

「――――」


 言葉を失い、アベルは呆然と立ちすくむ。

 胸の奥に鋭く尖った氷が突き刺さるような痛みを覚えた。喉の奥からなにかがこみあげ、声を詰まらせようとする。


 リオネルとジルを救いたい。けれど、大切な人を守ろうとすればするほど、リオネルとのあいだに距離が生じていく。

 ようやく発することができたのは、小さな声だけ。


「……では勝手にさせていただきます」


 なんとか言い終えると、アベルは深くうつむき部屋を出ていく。走るわけでもなく、けれど止まることのない足取りで。


 ――頭のなかは真白で、ただ、アベルは自分が立っている足元が物理的に揺らいでいるような感覚を覚えた。歩いていなければ、倒れてしまうような気さえする。


 ベルトランがアベルの後を追おうとすると、レオンがすかさずそれを止めた。レオンは苦い面持ちでベルトランに告げる。


「おれがきっかけを作ってしまったのだ」


 たったひとつの質問からこのような展開に発展するとは、レオンも夢にも思っていなかっただろう。せめてディルクとマチアスがいるときに議論したなら、もう少しましな結末になったかもしれない。


「ベルトランはリオネルを守っていてくれ、おれがアベルを追う」


 かわいい従騎士のこともむろん心配だが、敵国で主人のそばを離れないというのは揺らぐことのないベルトランの信条である。ベルトランはレオンにアベルを任せた。


 アベルに引き続き、レオンが宿から飛び出していく。

 部屋に残されたのは、深い沈黙。


 ベルトランが振り返ると、リオネルの表情は逆光のために見えなかった。ただ、右手で髪をかきあげている――その姿だけは、光にふちどられた影から見てとることができる。


 二人の仲を取り持つ言葉など、ベルトランには見つけられるはずもなかった。







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