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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
287/513

25






 もうすぐ昼時というころ。

 街は活気に溢れている。


 これまでエーヴェルバインの大礼拝堂や市場、裁判所の周辺や、商店を回り、フリートヘルムに関する噂などを収集していたが、そのあいだ常につきまとう問題がひとつあった。

 濃い茶色の髪を持つリオネル、燃えるような赤毛のベルトラン、そして灰茶色の髪のマチアスという三人で行動しているため、淡い髪色が多いこの街ではとにかく目立つ。


 むろん、異国からの旅人が数多く訪れる大都市であるから、人目を引くのは髪色のせいだけとは言い切れない。

 長身の異国人を見上げれば、皆そろって貴公子然としている。特にリオネルは見逃すことのできぬほどの容姿だ。


 ――目立ってしかたがない。


 さりげなくフリートヘルムのことを聞こうにも、存在それ自体が目立って「さりげなく」調べるどころではなかった。


 それでもリオネルが笑顔で話しかければ、市場の売り子は頬を染めて応じたし、ベルトランが無愛想に問いかければ、裁判所周辺の野次馬はおどおどしながら答え、マチアスの人あたりの良さに、たいていの者の口は軽くなる。

 こうして収集した情報は、やがてひとつの終着点へと向かっていった。


 すなわち、フリートヘルム王の亡き兄である第一王子アルノルトは、病死ではなく実は自死であるという噂が、密かに流れているということ。その背景には、市井の娘とのあいだに子をもうけたことを、当時のローブルグ王ディートリヒが許さず、相手の女性を殺めたという悲劇があること。アルノルト王子の遺児はかつて王宮に住まっていたこともあったが、今は行方不明であること。


 短時間の情報収集のわりには、よく調べ上げたものである。それもすべて、三人の特異な個性と絶妙な話術の賜物であろう。


 フリートヘルム王が政治に対して関心の薄い理由は、過去の悲劇に隠されているのかもしれない。



 情報収集もひと段落し、そろそろ昼食をとろうというころ、リオネルたちは、やけに目立つ二人連れの青年騎士らを見かけた。


 その二人連れの姿を目にして、リオネル、ベルトラン、そしてマチアスの表情は途端に険しくなる。

 軽く癖のある淡い茶髪に、女性に好かれそうな整った顔立ちの青年。さらに、鳶色の髪の、どこかやる気のなさそうな青年……。


 真っ先に動いたのはリオネルだった。

 リオネルは二人連れの騎士に背後から駆け寄り、淡い茶髪の青年を引きとめた。


「ディルク」


 腕を掴まれた青年は、はっとした表情で振り返る。


「ああ、びっくりした。リオネルか」


 ディルクが驚いたのは、相手の気配を読むことができなかったことと、腕を掴む力がやけに強かったからだ。


「偶然だね。驚かせるなよ」

「アベルは」


 単刀直入にリオネルは尋ねた。


「アベル? あの子はおまえといっしょに……」


 答えながら、リオネルの周囲を見渡し、ディルクは顔色を変える。

 アベルの姿がない。ベルトランとマチアスの浮かぬ表情だけが、ディルクを見つめていた。


「アベルがおれといっしょであるはずがない。あの子は、ディルクたちと行動するはずだっただろう」


 リオネルの声音は明らかに強張っている。


「アベルはどこへ行ったんだ」

「別行動になった直後、なにかおまえに言い忘れたことがあるからといって、追いかけていったんだけど」

「来ていない。今朝別れてから、アベルには一度も会っていない」

「…………」


 ディルクは言葉を失う。


「なぜしっかり繋ぎとめていなかった!」


 事態を即座に把握して、リオネルは苛立ったようだった。冷静な彼にしては、珍しいことである。


「まさか別れた直後だったから、追いつかないはずはないと思ったんだ」


 声の調子を落としてディルクは言った。真実ではあるが、今は言い訳にしか聞こえない。


「すまない。おれも、アベルはリオネルといっしょだと思って、安心しきっていた」


 そう説明したのはレオンで、ディルクを弁護するためというよりは、自らの責任を重く受け止めている様子だった。


「追いつけなかったんじゃない。おそらく、追いかけなかったんだ」


 リオネルは苦い口調である。


「追いかけなかった?」


 思わずディルクは問い返した。


「アベルは足が速い。直後に追いかけたなら、追いついたはずだ」

「途中でだれかに誘拐されたという可能性は?」


 発せられたベルトランの声は、従騎士に対する心配が滲んでいる。


「……絶対にないとも言い切れないが、可能性は低いだろう」


 三人ずつで行動することを発案したのはアベルだ。なにかしらの理由で、単独行動をするために、ディルクとレオンを撒いたと考えるのが最も自然だ。

 もしそうだったとしたら、実に鮮やかな手法である。優秀な騎士ら五人を見事に欺いたのだから。


「手掛かりを探しましょう」


 マチアスが言った。


「闇雲に探すよりも、アベル殿の行動の手掛かりを探るべきです」

「だが、手掛かりといっても、なにかあるだろうか。リオネルのあとを追って走っていったアベルの後ろ姿を見送ったのが最後だ。あれが演技だったとすれば、最終的にどの方角へ向かったのか見当もつかない」


 説明するレオンに、リオネルが問いかける。


「『言い忘れたこと』とやらについて、なにか言っていたか」

「いやなにも。だが、おれとディルクに仲良く過ごすようにと言い置いて、去っていった」

「リオネルに言うべきことなど、はじめからなかったようだな」


 ベルトランがこぼしたつぶやきは、つまりアベルが計画的にディルクとレオンのもとから離れたことを意味していた。

 ――アベルはひとりで行動するつもりだった可能性が高い。


 しばしの沈黙の後、リオネルはなにかを決断したように皆の顔を見回す。


「単独で動こうとしたのなら、アベルは王宮へ戻って、交渉の手がかりを掴もうとしたのかもしれない。おれとベルトランは王宮へ向かう。ディルクとマチアスは、街のなかを捜索してくれないか。レオンは宿で待機していてほしい――もしかしたらアベルが戻ってくるかもしれないから」


 リオネルの指示に、一同はうなずき返した。

 こうして、五人はアベルを手分けして探すことになったのだった。








 一方、まさかそのような事態になっているとは露とも知らぬアベルは、王宮を去り、ちょうどエーヴェルバインの街へ戻ってきたところだった。


 フリートヘルムの頬を張った手のひらは、じんと鈍く痛んでいる。

 混乱していたとはいえ、ローブルグの国王になんということをしてしまったのだろう。つい感情にまかせて、力のかぎりに叩いてしまった。


 深く後悔する反面、これで良かったのだという気もした。


 なにしろ提示された条件が、あまりにひどい。

 リオネルを尊敬するアベルにとっては、許し難いことだった。むしろもう二発くらい平手を見舞ってもよかったのではないかとも思ったが、やはりいくら変態であっても相手は国王だ。フリートヘルムの機嫌を損ねたら、交渉に悪影響を及ぼしかねない。

 ――いや、もうすでに機嫌を損ねているかもしれないが……。


 あのとき、一発で憤りを鎮めることができたのは、せめてもの僥倖ぎょうこうだったともいえる。

 だが、このような結果なってしまった今、どう動くべきか。


 リオネルたちが昼食を終えて宿で落ちあうまでには、まだしばらく時間がある――と、アベルは思い込んでいる。単独行動が可能なあいだに、いかにして過ごそうかとアベルは考えをめぐらせた。


 アベルが得た情報は、「フリートヘルム王は過去の経緯から政治に対してやる気がなく、けれど男色家であるため、こちらが条件を飲むなら、会うだけ会ってもいいと言っている」ということだけだ。

 前半はともかく、後半の条件をリオネルに伝えるわけにはいかない。もう少しなにか成果がほしい。


 けれど、街に戻っては、得られる成果などあるはずがない。諦めて先に宿に帰り、謝罪の言葉でも考えているべきか。そう思ったとき……。


 アベルは、ふと思い返す。

 フリートヘルムはアベルになんと説明したか。


 自分は王位を預かっているだけで、真の王は――。



 真の王は、兄アルノルトが遺した子。



 そう言っていたはずだ。

 だとすれば、もし第一王子の遺児がシャルムとの同盟を認めれば、フリートヘルムは納得せざるをえないということにはならないだろうか。フリートヘルムが探し出すまえに、アベルたちが第一王子の遺児を探しだすというのもひとつの方法である。


 おそらくフリートヘルムとて血眼ちまなこになって探しているだろう。

 アベルが捜索したところで、容易に見つかるはずはない。けれど、このままではフリートヘルムとリオネルの対面は叶いそうにないし、どうにか面会を許されたとしても、あの王が積極的な政治姿勢を示してくるとは限らない。


 ならば、たとえ難しいことだったとしても、第一王子の遺児を探しだして話し合うほうが、まだ希望が持てるのではないか。

 いったん決意すると、アベルはすぐに前向きな気持ちになった。


 リオネルを救うことができるのであれば、茨の道でも迷わずに進むだろう。アベルは第一王子の遺児を探す手掛かりを収集することを決意した。



 アベルはその人物について、なにも知らない。だが、おそらくエーヴェルバインの街に住む者ならひととおりの噂を知っているはずだ。

 街中を第一王子の遺児について聞いてまわるか、それとも――。


 アベルの脳裏に、ある人物の声がよみがえる。


『知ってのとおり、おれはローブルグ人だ。国内のことなら、きみたちより知ってることも多い。なにかの役に立てるかもしれない』


 これまでに幾度か会ったことのあるローブルグ人騎士は、エーヴェルバインに馴染みがあるようだった。見知らぬ者たちに聞きまわるより、効果的に情報が得られるかもしれない。


 アベルは懐から、一枚の布切れを取りだす。

 そしてやや不安な気持ちになったのは、その文言ゆえだった。

 布には――、


『美女と美酒には、金と時間を惜しむな』


 と、書かれている。

 おかしな店の名前に、頼りにしてよいものかどうか、にわかに判じかねるのだった。






+++






 薄暗い部屋にひそひそと話す声がある。

 時刻は真昼だというのに、窓がない部屋にはわずかな陽光もなく、手燭の明りだけがようやく室内の中心部を照らしていた。


「いましばらくお待ちいただきたい。陛下を説得するためには、もう少し時間が必要なのだ」


 その声は、先程までフリートヘルムの居室にいたシュトライト公爵のものだ。すぐあとに、別の男の声が響く。


「むろん我々は同盟を結ぶそのときまで、ここを離れるつもりはありません。ですがフリートヘルム陛下は、果たして待ったところで、我々ユスターとの交渉を本当に受け入れてくださるのか」


 小声であるのに反響して聞えるのは、ここが地下だからだろう。大陸の乾いた気候にも関わらず、湿気が室内を満たしていた。


「受け入れさせるつもりだ。いや、そうでなければ困る。時間をかければ説き伏せることはできる」

「最近、噂を耳にしまして」


 先程とはまた別の男の声がする。その声の主は若く、赤茶色のくせ毛が蝋燭の火に照らされて、鈍く光っていた。


「――噂とは、ザシャ殿」

「シャルムから、第二王子と、ベルリオーズ家嫡男が交渉のために王宮を訪れたとか……それは誠のことですか」


 一拍置いて、苦々しい口調でシュトライト公爵は答える。


「事実だ」


 束の間、重い沈黙が地下の空気を支配した。


「まさかフリートヘルム陛下は、我々ではなくシャルムの使者と会うなどということは……」

「今のところ陛下はだれにも会わぬつもりのようだ」


 シュトライト公爵が言葉を濁したのは、拭いきれぬ懸念が彼のうちにあったからである。

 というのも、歴史的敵国であるシャルムを憎むべき立場にいるはずなのに、フリートヘルムからはそもそもシャルムに対する憎悪というものが感じられない。彼は「ユスターもシャルムも同じだ」とさえ言いきったのである。その空気は今や王宮のかしこに蔓延し、門番でさえも易々とシャルムからの使者を客間に通す始末だ。


 なにを考えているかわからぬ王であるからこそ、突然シャルムと手を組むとなどと言いださないともかぎらない。

 それは、案じるあまりの思いこみか、それとも単なる考えすぎかもしれないが、とにかくシュトライト公爵は釈然としない心地でいた。


 すると、どうやらシュトライト公爵の心情が相手方に伝わり、不安を与えたようだ。


「ローブルグとシャルムは凄惨な戦いを繰り返し、憎みあっているはず。シャルムの使者など捕らえて、牢に繋いで殺してしまえばよいではありませんか」


 ユスターから訪れた若き使節――ザシャは、シュトライトに迫った。


「そういうわけにもいかない事情がこちらにもある。相手は第二王子と名乗った。下手に手を出せば、シャルムにつけいる隙を与えることにもなりかねない」

「シャルムと戦争になったらば、それこそ、こちらの望むところではありませんか。フリートヘルム陛下との面会が叶わずとも、ユスターとローブルグが手を組み、シャルムを潰す絶好の機会になりましょう」


 若きユスターの使者はさらにけしかけたが、シュトライト公爵はあくまで冷静だった。


「だが、シャルムは手強い。同盟を組まずして戦いになったとき、果たして貴国が本当に我々の味方をするか――」


 探るような視線をシュトライト公爵が向けると、今一方の使者がたちまち顔を赤くする。


「我々を疑われるのか」

「けっしてそうではない、モーリッツ殿。だがシャルムの強兵をまえに、ひるまぬとも言い切れまい」


 はっきりとシュトライトは疑念を口にした。正式に同盟を締結しなければ、ユスターを信用することはできない――ということである。


「わかりました」


 憮然とした口調でモーリッツと呼ばれた男は言った。


「ならば、なんとしてもシャルムの使者を追い返し、我々がフリートヘルム陛下との対面を果たすことといたしましょう」

「そのための協力は惜しまないつもりだ、モーリッツ殿」

「では、シュトライト様にお願いがあります」


 早速相手からの要請があったので、シュトライトは興味を引かれる面持ちで耳を傾ける。


 ――と、室内の空気が動き、扉からひとりの気配と共に甘い香りが入り込んだ。 

 ほのかな光源が映し出したのは、茶味の強い金髪を優雅に結わえた女性である。歳は三十になる手前ほどであろうか。容姿は美しいが、気の強さのほうが見る者へ与える印象は強い。


「マディルデか」

「王妃様」


 シュトライト公爵とモーリッツの声が重なる。


「愉しい計画がおありでしたら、ぜひお聞かせ願いたいものですわ」


 フリートヘルムの妃マディルデは、紅い唇の両端を吊り上げる。暗い地下室には強い香水の匂いが満ちていた。







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