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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
281/513

19






 リオネルたちが、敵国ローブルグの首都エーヴェルバインに到着したのは、シャサーヌのベルリオーズ邸を発って十日ほど経ったころだった。


 通常、馬車で旅をすれば少なくとも十二、三日はかかる距離である。それを、途中でシリルのために二日近くニーシヒで過ごし、それでも十日で到着したのだから、六人の馬術と馬たちの持久力が驚くべきものであることがわかる。


 またこれだけの偉業を可能にしたのは、シャサーヌからエーヴェルバインまでの道程が、山脈や谷、大河などなく平坦であったからでもある。……隔てるものがないからこそ、両国間では長年にわたって争いが生じているわけでもあるが。

 実際、ラ・セルネ山脈に隔てられたネルヴァルとは、歴史的に激しく争ったという記録は見られない。争ったとしても、あのような険しい山麓を介しては、戦いを続けることが互いに困難であるからだ。


 かくして一行は、エーヴェルバインの街の門をくぐったのだった。


「ああ、ここがエーヴェルバインか」


 感慨深そうにつぶやいたのは、レオンである。

 街の門をくぐれば、すでにそこは大変な混雑だった。ローブルグ人以外にも、様々な人種が入り乱れている。まさに東にサン・オーヴァン、西にエーヴェルバインと謳われる華やかさだ。


 けれど、旅人から圧倒的な人気を誇るのは、やはり両者の途中に位置するベルリオーズ領の大都市シャサーヌである。どの街もそれぞれ魅力はあるが、特にシャサーヌは街並みの美しさや、開放的な雰囲気、明るい気風などが、旅人を惹きつける。


「敵国の王都に足を踏み入れることになるとはな」


 混雑する道で、人にぶつからぬよう馬の手綱を繰りながら、ベルトランが周囲を見渡す。


「アベル、はぐれないように」


 心配そうにリオネルは馬上から背後を振り返った。


「はい」


 うなずくアベルは、異国の王都へ足を踏み入れたという感動と、ここが歴史的敵国の首都であるという、ある種の緊張感のなかにいる。


「もう少し先へ進んだほうが、混雑を避けられるはずです。ここは街の出入口ですから」


 一同に気を配りながら説明するのはマチアスで、


「さすがに金髪碧眼が多いな」


 と空気を読まない発言をするのはディルクだった。


「ディルク様、ここを訪れた本来の目的を忘れてはいらっしゃいませんか?」


 従者に指摘されて、ディルクは肩をすくめる。


「もちろん、忘れてないよ。リオネルとジルの命がかかっているからね、おれだって必死だ」

「いまいち必死感が伝わりませんが」

「それはそれとして、単に事実を述べただけだよ。ついでにもうひとつ言うなら、これだけ金髪碧眼が多くても、アベルを凌ぐ美人はいないね」

「それは……」


 マチアスが立場上、否定も肯定もできずにいると、リオネルが振り返る。


「アベル、大丈夫か?」


 ディルクが呆れ顔になった。


「どうやらおれは呑気に見えるようだけど、いったい五秒に一度アベルの安否を確かめる必要もあるのか?」

「それだけリオネル様は緊張感をもっていらっしゃるのです」

「はあ、そうですか……」


 周囲であれこれ交わされる会話にかまわず、アベルは真剣に街を観察している。

 ここまで来れば、やはり異国の都は、サン・オーヴァンやシャサーヌとは雰囲気が違う。道の間隔や、建築物の造り、家や商店の窓や扉の大きさ、行き交う人々の格好もシャルムとは少しずつ異なった。


 大都市のわりに道幅は広くとってあるし、建物も全体的に大きめに作られている。髪や瞳の色については、ローブルグ人とシャルム人との違いはだれもが知るとおりだが、体格については、男性はシャルム人とさほど変わらず、けれど女性は全体的にシャルム人より背が高いようである。これでは小柄なアベルなど、普段よりも幼く見られてしまうだろう。


 流行りの服装はむろん地域によって異なるが、シャルム人は都会的で垢抜けているといわれている。実際に洗練されたリオネルやディルク、レオンらの格好に比べれば、ローブルグ人や他国の旅人は素朴な服装や、ひと昔まえにシャルムで流行っていたような格好が多く見受けられた。


「アベル、ぼんやりしていると、人と――」


 人とぶつかるから気をつけるように、と注意を促したリオネル本人が、アベルを振り返った途端に他の馬と接触する。

 手綱を引いたときにはすでに間にあわず、リオネルの愛馬ヴァレリーと相手の馬は互いにたたらを踏んだ。


「すまない」


 態勢を立て直しながらリオネルが謝罪すると、


「大事な馬が怪我でもしたら、どうしてくれるんだ!」


 と罵声が返ってくる。怒鳴っているのは、奇遇にも同郷のシャルム人らしき中年の男だ。無精髭が長いのに比して、気が短い。短気はシャルム人に多い気質である。


「名前はなんていうんだ。もし馬の調子が悪くなったら、おまえに獣医代を払ってもらうからな」


 相手の馬は無傷なようであるが、リオネルは再び真摯に謝罪する。


「申しわけなかった。馬が怪我をしていたら、治療代は払う」

「今は怪我してないが、これから具合が悪くなるかもしれないだろう」

「どうすればいい?」

「いい身なりをしているようだが、金はあるんだろう? 先に払ってもらおうか」

「…………」


 リオネルが沈黙したところへ、ベルトランが口を開きかけるが、わずかな差で先に二人のあいだに割って入ったのはアベルだった。


「軽くぶつかっただけで、具合が悪くなりますか?」


 当然、気が長いとは到底言えぬアベルだから、口調はすでに喧嘩腰である。


「なんだと、それが謝る姿勢か。よそ見をしていたのはそっちだぞ」

「こちらはすでに謝罪したではありませんか」

「生意気な子供ガキが。憲兵につきだしてやる」

「難癖をつけたのはあなたのほうですから」


 かくして短気なシャルム人同士の喧嘩が、異国の王都で繰り広げられることになった。


「アベル」


 諌めるリオネルの一方で、ディルクは「いいぞ、アベル! 言ってやれ」などと喧嘩をあおる。


 頭に血が上り、アベルの肩をつかもうとシャルム人の男は手を伸ばす。だが、アベルは巧みに馬ごと身体を逸らして、背を向けた。


「あまり近づくと、後ろ蹴りを食らって本当に怪我することになりますよ」


 ちっと舌打ちして、無精髭の男は手を引っ込める。どうやら馬上での喧嘩では、自らに分がないと悟ったようだ。


「覚えてろ、このくそガキ。今度会ったら問答無用で馬から突き落としてやる」

「どうぞご勝手に」

「絶対にやってやるぞ」

「なんなら今やってみてはいかがですか」

「おお、やってやろうじゃないか」


 小競り合いをしているところへ、懲りないディルクが加勢する。


「おいこら。謝っているのに難癖つけるから、こんなことになるんだ。シャルム人の評判を落とすようなことをするなよ、おっさん」

「ディルクも、やめておけ」


 頭を抱えるマチアスの代わりに、ディルクを諌めたのはレオンだ。けれどディルクは聞こえていないかのように続ける。


「ひどくぶつかったならともかく、あれくらいで怪我する馬なんかいない。具合が悪くなれば治療代は払うけど、どうみても元気じゃないか」


 アベルとディルクをまえにして、シャルム人の男は二度目の舌打ちをした。

 そこへリオネルが小さな革袋ひとつを放る。危うく取り落としそうになりながらも、男はそれを受けとった。


「よそ見をしていたことについては、悪かったと思っている。だが、この子を馬から突き落とそうなどとすれば、そのまえに必ずおれがそちらを馬から落とす」

「…………」


 先程とはうってかわって鋭いリオネルの眼差しに、男はややひるんだようだ。


「はじめからこうしていればよかったんだよ」


 弱みを見せまいとするように唾を吐き捨てると、男は馬首を巡らせ、エーヴェルバインの城門へ向けて駆け去っていく。


「シャルム人の恥だな」


 投げつけるようにディルクが言った。


「お金、渡してしまったのですか」


 残念そうにつぶやくアベルに、リオネルは笑ってみせる。


「渡したのは銅貨二枚だ」

「それでもなんだか悔しいです」

「よそ見をしていたのはおれのほうだからね。それより、アベルもディルクもこんなことで喧嘩をしないでくれ」

「すみません。でも、黙って見ていられませんでした」


 ディルクも同調する。


「おれはアベルが言い返してくれて爽快だったけど? あれはどう見ても難癖だ」

「気持ちは嬉しいが、不必要な争いは避けたほうがいい」


 リオネルが言うとおり、フリートヘルム王に面会するまでは、大きな騒ぎを起こしたり、面倒事に巻き込まれたりすることは避けたいところではある。


「まずは逗留地を定めよう」


 リオネルが皆を見渡して仕切り直す。


「王宮へ向かうのはそれからだ」

「……王宮か」


 緊張感を漂わせながらベルトランがつぶやいた。

 ローブルグは長きにわたるシャルムの敵国。そして今まさに、その国王のもとへ行こうとしている。

 奇人と名高い彼のフリートヘルム王は、果たしてどのような人物なのだろうか。

 ――交渉の行方も、リオネルらの運命も、未知なるものだった。









 エーヴェルバインで真っ先にやるべきこと。

 それはリオネルが述べたとおり、宿探しである。


 けれど、宿探しは思いのほか難航した。


 旅先での宿探しで最も重要なことは、部屋の広さや建物の美しさなどよりなにより、信頼できそうな主であるかどうか――その一点に尽きる。

 数多ある旅籠や宿屋においては、その主人が宿泊客を騙して多額の金を要求したり、ひどいときは金品を盗んだり、さらに悪質な場合、相手が女子供であれば人攫いに売り渡したりすることもある。そのため宿屋の主の人柄を見極めることがなにより大切で、続いて部屋の清潔さや場所の利便性が選ぶ基準となる。


 一軒目の宿の主は、痩せた大人しい男であったが、その妻が見るからに狡猾そうだった。


「今夜の夕食には、特製の豚の腸詰めをお作りしますよ」


 と女将は愛敬を振りまいたが、


「ローブルグ人はケチだ。節約と称して、腸詰めに猫の肉を混ぜられてはたまらない」


 ――というベルトランの偏見に満ちた意見が決め手となり、この宿は採用されなかった。


 次の宿では、主の若い息子がやけにアベルを眺めまわしていたため、リオネルが即座に退け、三軒目は逆に派手な化粧の女将がディルクに色目を使っていたので、ディルク本人が嫌がった。さっさと次の宿に移り、それがエーヴェルバインでの逗留場所となった。



 真新しい建物ではないが、裏に大きな厩舎もあり、なかはそれなりに清潔で、場所も中心街に近いわりに落ち着いている。なにより主が穏やかで誠実そうな男だった。


「妻に先立たれましてね。娘と二人きりで切り盛りしているので、至らないところもあるかと思いますが、お客様がゆっくり滞在できるよう心を尽くさせていただきます」


 深々と腰を折って主は一行を歓迎した。



 かくして宿は決まったが、さて、待ち受けているのは大きな試練である。

 その日は一室に皆が集まり、作戦会議となった。


 ……フリートヘルム王はどのような治世を行っている人物なのか、いかなる方法でフリートヘルム王に面会を申し出るか、それが叶った暁にはいかにして同盟に向けての交渉に持ち込むか……議論は尽きない。



 三台の粗末な寝台がようやく入るだけの小さな部屋に、六人の人間が集まっている。話を聞かれぬように窓は閉め切ってあるが、湿気がないので蒸し暑さは感じられない。


 皆、寝台を椅子代わりにして座り、味のよい葡萄酒が手に入らなかったため、代わりの麦酒で喉と思考を潤しながら話し合っていた。


「ユスターからの使者は、王との謁見をまったく許されなかったというわけだな」

「閣僚たちはそのように話していた」


 王宮で耳にした内容を、レオンはありのまま皆に告げる。


「門前払いだったそうだ。だからこそ父上は、身分の高い者を交渉に向かわせなければならないと考えたらしい」

「しかし、謁見が許されなかったのは、使者の身分が低かったらという理由だったのか?」


 ディルクの疑問に、レオンは曖昧に首を傾げた。


「謁見が許可されなかった理由はわからないが、少なくとも後継者である王子が直接交渉に向かったらば、追い返しはしないだろうと父上は考えたのだろう」

「覚悟を見せようとしたというところだろうな」


 ベルトランが難しい表情で言う。


「しかし第一王子は交渉に当たることができなくなった。リオネルや第二王子が代行したことが、吉と出るか凶と出るか……」

「そもそも覚悟なんかが通用する相手かどうか、それ自体があやしい。なんといっても奇人、変人、変態のフリートヘルム様だろう?」


 遠慮なく他国の国王を小馬鹿にするのはディルクだ。


「ディルク様、シャルム国内ならともかく、ローブルグでフリートヘルム王の中傷をなさるのは避けるべきです。だれが話を聞いているとも限りませんから」

「とても国民に人気があるとは思えないけどね」

「どうやら姉のカロリーネのほうが、王の気質に恵まれていると評判らしい。我が国もそうだが、国王に恵まれなかった民は哀れだな」


 ベルトランが同調すると、レオンが気まずそうに小さく咳払いした。それに気づいていないのか、それとも気づかぬふりか、ディルクは表情を変えずに話を続ける。


「たしか、病死したアルノルト第一王子は、カロリーネ姫を凌ぐ絶大な人気を得ていたんだろう?」

「本来は、優秀な第一王子が玉座に就くはずだったのに、彼が若くして病死したために、フリートヘルム第二王子に王冠が転がり込んできた――ということだ」

「人気のある兄や姉のなかで、最も目立たない存在だったはずの末っ子が玉座に就いたというのは皮肉なことだね。趣味もおかしくなるわけだ」

「けれど、個人的趣味が変わっているからといって、国王の人格や政治感覚が劣っているとは言い切れない。現にローブルグの治安や繁栄は、現治世においても保たれている」


 麦酒の杯を片手に言うリオネルに、ベルトランが返す。


「しかし、この国の政治を牛耳っているのは、先代国王の治世から仕えているシュトライト侯だという噂もある」

「シュトライト候か……」


 彼の名は、シャルムでも知られている。自らの娘を、奇人と名高いフリートヘルム王に強引に嫁がせてローブルグ王家の外戚となり、絶対的な地位を確保した典型的な権力者として、である。


「いくら権力欲のためとはいえ、大事な娘をあの変態に嫁がせるとはね」

「たとえそうだったとしても、それで国の平和が保たれているならば、シュトライト候に治世を委ねるというのも国王の政治手腕のひとつだ」

「まあ、たしかに」


 リオネルの説明にディルクは納得したようだ。


「そういう考え方もあっていいかもしれない」


 部屋にひとつしかない燭台の明りが、それぞれの真剣な表情を照らし出している。


「しかし、ユスターからの使者を、要件も聞かずに追い返すというのは、為政者としていかがな態度だろうか」


 真面目な口調でつぶやくレオンを、


「おお、的確な意見だなあ」


 と感心したようにディルクが見やった。そんなディルクを厳しく諌めたのはマチアスだ。


「真剣な話をしているのです。茶々を入れるのはおやめください」

「別に茶々を入れたつもりはないんだけど……」


 二人のやりとりを聞き流して、リオネルはレオンに答えた。


「それは、そのとおりだと思う。だが、追い返したことひとつをとってフリートヘルム王の手腕を評価するのも危険ではないだろうか。我々も同じ目に遭うかもしれない。けれどもし、そういった対応の背景になにかしらの意味があるなら、交渉の余地はあると思う」

「しかしまずは会わなくては、どうにもならない」


 ベルトランに指摘され、リオネルはうなずきながら窓のほうへ視線を向ける。


「すぐに謁見が叶うかどうか――そればかりは、おれにもわからない。だがジルを救うため、この国を守るためにはどうにかして会わなければならない。それだけは、はっきりしている」


 皆があれこれと議論を交わす傍らで、アベルはどうしてもついていけずにいた。


 個人的趣味が変わっている……。

 奇人、変人、しかも変態……。


 当然のように皆が前提としていることが、アベルには理解できなかった。

 いったいフリートヘルム王は、どれほど悪趣味な人物なのかということに、つい気をとられてしまう。

 ローブルグ国王は、家具から壁……衣類に至るまですべてを桃色に統一しているのか、あるいは犬の蚤取りが趣味なのか、それとも日がな一日ムカデの足を数えているのか……。


 アベルの困惑をよそに、議論はいかにしてフリートヘルム王に面会するかということについて移り、先に書状のみを渡して様子を見るべきだとか、レオンが身元を明かして掛け合うべきだとか、まずは宮廷内の様子を探るべきだとか、様々な意見が出たが、最終的にはリオネルが正面から直接交渉へ赴くということでまとまった。


 それから具体的な交渉内容へと話は進み、話し合いは夜中まで続くこととなった。







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