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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
278/513

16







 街はまだ半分眠っているようである。


 八百屋やパン屋の扉が開き、徐々に動きはじめている様子は見受けられる。

 だが、日用品を売る店の門戸は固く閉ざされており、冷たい沈黙を保っていた。


 市の立たない日なのか、広場も閑散としている。サン・オーヴァンやシャサーヌのような大都市であれば市は毎日欠かさず立つが、田舎町では曜日が決まっているのが一般的だ。


 行き交う人の数は、ベルトランと共に夕暮れ時に訪れたときの三分の一にも満たない。そうした人々も、忙しそうに荷物を抱えて足早に歩いており、散歩や買い物をしているような風情の者はいなかった。


 準備中の看板を掲げているかのような街に、のんびりとした足取りで歩むのはレオンとアベルである。


「今朝は、とんだ目に遭ったな」


 皆のまえでは口にしなかった愚痴を、アベルと二人きりになるとレオンはちらとこぼした。


「本当にそうですね」

「なぜかいつもこういう目に遭うのはおれだ」

「いつもって……これまでに同じようなことがあったでしょうか?」


 過去の記憶を辿りながら、アベルが首を傾げる。


「いや、実際に起こったか否かは問題ではない。リオネルやディルクが羊乳をかけられ、あまつさえ服を破られるという状況が想像できないということだ」

「なるほど……」


 同意してよいものかどうか迷いながら、アベルは曖昧に答えた。それがなにを意味するのか、追求しないほうが賢明であるようにも思われた。


「それにしても、この時間に開いている仕立屋があるのだろうか」


 広場の中央に立ち、ぐるりと周囲を見渡しながらレオンがつぶやく。

 それは当然湧きおこる疑問だった。朝早くに服を買いに行く者など滅多にいないだろう。ならば店側も、早い時間から開店する必要はない。仕立屋の看板を下げた店は、ことごとく寡黙な扉に閉ざされていた。


 けれど、レオンには急がねばならない理由がある。明日の払暁に出立するならば、今日中には服が仕上っていなければならないのだ。昼の開店を待ってから仕立屋に行ったのでは、夜までに受け取ることができなくなってしまう。


「このあたりはすべて閉まっているようですね」

「やはりしばらく待つしかないか」


 仕方なさそう――あるいは、やや諦めたように言うレオンに、アベルは「大丈夫ですよ」と笑みを向けた。


「門を叩いて店を開けてもらうという手も、最終的には残されていますから」

「休んでいるかもしれない店主を起こすのか?」

「こちらも一大事ですから」


 いたずらっぽく言うアベルに、レオンは呆れたように笑う。


「さすがはアベルというべきか」

「どういう意味でしょう?」

「リオネルの家臣らしいという意味だ」

「余計にわかりません」

「褒め言葉だ」


 とても褒め言葉には聞こえなかったが、アベルはそれ以上追及しなかった。


「さて、もう少し歩いて探してみるか。それでもだめだったら、アベルの提案を採用するとしよう」


 二人が宿から反対の方角へ歩きだした、そのときである。

 何者かがアベルの肩を叩いた。

 気配にまったく気づかなかったアベルは、驚き振り返る。一拍遅れて、レオンも同じほうを振り向いた。


 アベルの肩に軽く手を触れていたのは、アベルよりもやや黄みの強い金髪と、瑠璃を思わせる群青色の瞳の若者。リオネルやディルクと同じほどの長身は、陽気な雰囲気を纏いながらも隙がない。


「ジークベルト!」


 思わずアベルは声を上げていた。


「やあ、アベル。あいかわらず美人さんだね」


 名を呼ばれたジークベルトは驚いた様子もなく、一歩前へ出てアベルとの距離を縮めた。


「知っている相手か?」


 不思議そうにレオンが金髪碧眼の騎士とアベルを見比べる。


「知り合いというか……」

「いまは友達かな? これから昇格する予定だけど」


 にこにこと答えるジークベルトにレオンは腑に落ちぬ面持ちで尋ねた。


「昇格……? 友達から、いったいなにに昇格するのだ?」


 けれどジークベルトは、レオンの声などまったく聞えておらぬかのように聞き流し、笑顔のままアベルの手をとった。


「会えないかもしれないと心配していたけど、ようやく会えた」


 よかったよかったと手を握りしめるジークベルトを、アベルは微妙な面持ちで見上げる。


「わたしは会える可能性さえ思いつきませんでしたけれど」


 そう言いながらアベルはやんわりと相手の手から逃れた。


「相変わらずつれないね」

「相変わらず奇遇ですね」


 このローブルグ人らしき騎士に会うのは、これで三度目である。いずれもまったくの偶然に、だ。


 最初にジークベルトに出会ったのは、シャサーヌの屋台でリオネルを待っていたときのこと。心細そうにしているアベルに、ジークベルトは突然声をかけてきたのだった。

 二度目はやはりシャサーヌの街で、アベルが騎士館の鍵を作りにいったとき。掏られた財布をジークベルトが取り返してくれて、なぜかそのあと二人は共に芝居を見にいくこととなった。


「二度あることは三度というだろう?」

「まあ、そうですが……」

「今日もこれから二人で芝居を見にいこうか」

「意味がわかりません」


 一方的に親密そうな態度をとる若者に、レオンはやや胡散臭そうな視線を向ける。その眼差しに気づいたジークベルトが、ようやくレオンのほうを向いた。


「連れがいたのか。これは失礼」

「さっきから居たし、話もしていたが」


 台詞そのものは棘があるようにも聞こえるが、レオンはけっして不機嫌なわけではなく、ただ冷静に事実を述べただけだ。


「ああ、そうだね。いたような気がするし、話もしていた気がする。悪いね、アベルを前にすると、途端にまわりが見えなくなってしまうんだ。おれはジークベルト。よろしく」


 差し出された手を、淡々とレオンは握り返す。


「レオンだ」

「アベルといっしょにいるということは、ベルリオーズ家の騎士と認識しておけばいいのかな? どうもそうは見えないけど」

「そのあたりの認識でけっこうだ」

「ぼくは見てのとおり、どの家に仕えてるわけでもない、気ままな身の上だ」


 気がかりげに二人の様子を見守っていたアベルは、会話の途中でレオンに説明する。


「ジークベルトとは、たまたまシャサーヌの街で知り合ったんです」

「シャサーヌで?」


 レオンはいかにもローブルグ人らしいジークベルトをまじまじと見やった。


「シャサーヌで会ったのに、なぜここに?」

「ぼくはあちこちを旅してるからね。今は、エーヴェルバインに向かう途中だ。アベルとレオン、きみたちは?」

「わたしたちは……」


 アベルは口ごもらざるを得ない。ローブルグ王と交渉せねばならぬリオネルのお供をしているとは、さすがに言えなかった。

 沈黙したアベルの代わりに、レオンが続きを引きとる。


「おれたちはこの町で仕立屋を探している。朝から開いている店はないか、見て回っているところだ」


 嘘はついていない。だが、本来の目的は伝えなかった。うまく答えたものだと、ジークベルトは感心する。


「そうか、服を作りたいのか。この時間でも注文を聞いてくれる仕立屋を知っているよ」

「本当ですか?」


 顔を輝かせたのはアベルだ。


「ああ、本当さ。この町に滞在していたこともあるからね。店をたたんでなければ、紹介できるはずだよ」

「ぜひお願いします」


 答えてから、ぱっとアベルが横を向くと、レオンはなんともいえぬ表情でアベルを見返した。この男を信用していいのか、とその顔には書いてある。


「行ってみましょう。このまま探していても時間だけが過ぎていきますから」


 明るく言われ、レオンはアベルからジークベルトへ視線を移す。しばしそのまま沈黙したのちに、


「まあ、そうしてみるか」


 と、自身のなかでなにかを納得させたようだった。その様子にジークベルトが笑う。


「大丈夫、きみたちを取って食ったりはしないから」


 言い終えるまえに、ジークベルトはすでに歩きだしていた。


「そう言いながら、さっきからおまえはアベルを取って食いたそうな雰囲気だが」


 ジークベルトに従いながらレオンがつぶやく。するとジークベルトが思いのほか真面目な口調で答えた。


「気持ちは山々だけど、もちろんそんなことはしない。嫌われたくないからね」

「普通に言うな」


 レオンは眉をひそめる。


「ローブルグ人にはその手の人種が多いのか?」


 率直なレオンの問いに、少し前を歩くジークベルトは小さく吹きだした。


「ああ、有名な話があるから、そう思われても仕方がないけど」

「有名な話?」


 不思議そうに尋ねるアベルにレオンはなにか言いかけたが、ジークベルトの声で遮られる。


「大丈夫、おれは普通だよ。それより、もしきみたちがこれからエーヴェルバインに立ち寄るなら……」


 動向を見透かしているかのようなジークベルトの台詞に、アベルもレオンもぎくりとして咄嗟に口をつぐむ。


 背後を振り返り、なにかを見定めるようにレオンを眺めながら、ジークベルトは言った。


「きみは気をつけたほうがいいね、レオン」

「なにをだ?」

「さあ、なんだろう」


 ジークベルトの人を喰った態度に、レオンは狐につままれたような表情になる。


「気をつけるべきはアベルだろう」

「なぜわたしが?」

「リオネルがいつも心配している」

「それは知っていますが……無用の心配です。リオネル様は心配症すぎるのです」


 会話を聞いていたジークベルトが、今度は振り返らずに言った。


「もちろんアベルはいつも気をつけるべきだと思うよ。けれど、時と場合によってはだれもが他人事ではなくなるかもしれないということさ」


 ジークベルトの意味するところがわからぬアベルとレオンは、互いに顔を見合わせて首を傾げる。けれど、やはりジークベルトはそれ以上の説明をするつもりはないようだった。


 そうこうしているうちに、三人は一軒の仕立屋の看板のまえへ辿りつく。


「ここか?」

「昔、おれも仕立ててもらったことがあるんだ。真面目な店主だし、腕も悪くないよ」


 小さな扉を押すと、どこかに取り付けられた鈴が鳴る。ジークベルトを先頭に、レオンとアベルが続いて店内へ入ると、奥から背の低い初老の男が姿を現した。

 男は暗い店内から、光の差し込む扉口を眩しそうに見据えている。


「ああ、貴方は……」

「ブレンケ、久しぶりだね」


 店主は客を認識すると、速足で駆けより、しっかりとジークベルトと握手を交わしながら「何年ぶりでしょう」と笑みを浮かべる。笑うとブレンケの顔は、特に目尻のあたりが皺だらけになり、人のよさそうな印象を与えた。


「しばらくシャサーヌに滞在していたんだ。今はまたあちこち旅をしている」

「今日はお連れ様がおいでで?」

「そう。朝早く悪いけれど、この若い騎士殿の服を仕立ててほしい」

「年をとると朝は寝てられなくてね。時間が早いことなど、問題ではありませんよ。喜んでお作りしましょう」


 礼を述べるとジークベルトはレオンを近くへ来るように促す。こうしてレオンは無事、新たな服を調達できることになったのだった。




 レオンが身体の寸法を測ってもらっているあいだ、アベルは部屋の片隅にある丸椅子に腰かけて待っていた。


 上半身が裸のレオンを視界に入れないように、アベルはなんとなく目線を扉のほうへ向けている。すると、不意にジークベルトがアベルに声をかけた。


「アベル、今日は会えて嬉しかった」

「こちらこそ。お店を見つけることができて、とても助かりました」

「お安い御用だよ。けれど、おれはそろそろ行かなくちゃならない」


 現れるのも突然であれば、いなくなるのも急である。


「今すぐに――ですか? なにかお礼をしたいのですが」

「ずっときみのそばにいたいけど、周りをうろうろしていると苛立つ人もいるだろうからね」

「だれのことですか?」


 わずかに眉を寄せて、水色の瞳で見上げてくる少女を、ジークベルトは口元に笑みを添えて見つめ返した。


「いや、本当は違うんだ。ここを離れなければならないのは、ぼく側の事情でね」

「…………」

「そうそう。案内ついでに、もうひとつきみに紹介したい店があるのだけど」

「紹介したい店?」


 意外な申し出に、アベルは思わず尋ねる。


「別の仕立屋ですか?」

「いや」


 ジークベルトは店内を見回し、それから目的のものを見つけたのか、いくつかの小物を手に取って再びアベルのもとへ戻ってくる。ジークベルトが持ってきたのは、寸法を測るための筆記具と布の切れ端だった。


「さっき、もしきみたちがエーヴェルバインに立ち寄ったら――という仮定の話をしただろう?」


 なにやら布の切れ端に文字を書きつけながら、ジークベルトは言った。

 エーヴェルバインへ向かっていることを公言するわけにはいかないので、どう答えてよいかわからず、アベルは黙っている。


「だからこれも、『もしも』の話だ。おれは今日の昼までにはこの町を離れ、エーヴェルバインへ向かう。もしアベルもあの地へ赴くなら、そしてもしそこでなにか困ったことがあったなら――ここへおいで」


 ジークベルトは先程の布切れをアベルに手渡した。そこには、


『美女と美酒には、金と時間を惜しむな』


 と書かれている。いったいこれはなんだろう。


「ローブルグに伝わる格言ですか?」


 格言にしてはお粗末であるが……。

 笑いながらジークベルトは、「格言じゃないよ」と首を横に振った。


「宿屋も兼ねている居酒屋の名前だ。エーヴェルバインに滞在するとき、ぼくはよくこの店を使う」

「ずいぶん変わった名前ですね」

「察しているとは思うが、おれはローブルグ人だ。国内のことなら、きみたちより知ってることも多い。なにかの役に立てるかもしれない」


 無言でアベルはジークベルトを見上げる。ジークベルトはいつもの明るい表情で笑っていた。


 店の名前の書かれた布切れとジークベルトを、アベルは交互に見やる。そんなアベルにジークベルトは軽い調子で告げた。


「あまり深く考えなくてもいいよ。なにもなければ、それは捨ててくれてもかまわないから。もちろん、なにもなくてもぼくに会いにきてくれれば、嬉しいけどね」


 相手の言葉を、アベルはどう受け止めればいいかわからない。とりあえず礼を述べると、ジークベルトは満足そうに手を振った。


「また会おう。レオンとブレンケによろしく伝えておいてくれ。あときみの怖いご主人にも」


 怖いご主人――とはいったいだれのことかと、アベルは首を傾げる。

 リオネルが主人であることをジークベルトは知らないはずだが、もし彼のことを指していたとしても、リオネルは「怖い」とはとても形容できぬ青年である。




 鈴の音を鳴らして、ジークベルトは仕立屋を出ていく。そのことに、寸法を測るのに集中しているブレンケは気づいていなかったが、レオンはジークベルトの後ろ姿を目で追っていた。


 ジークベルトがアベルになにやら書きつけた布を渡す現場も、レオンはしっかり目撃していたのだった。


 ディルクは耳がいいが、レオンはというと、目がいい。

 二人の会話はほとんど聞えていなかったものの、布切れに書かれた文字をレオンはたしかにみとめていた。


「美女と美酒には、金と時間を惜しむな……? ディルクの格言か? いや、兄上の格言だな」


 レオンの独り言は、だれの耳にも届くことなく宙に消えた。







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