14
大きな包みを幾つも抱え、楽しそうに話しながら道を歩く二人の姿を見て、
「まるで親子みたいだな」
と微笑したのはリオネルである。
灯りに照らされた街路を見下ろす宿屋の二階――開いた窓に腰かけるリオネルに気づき、アベルが子供のように無邪気に手を振った。それに応えてリオネルが手を振り返すと、アベルが嬉しそうに笑う。
ベルトランはそんな二人の様子を、たしかに父親のような眼差しで見守っていた。
思わずアベルの笑顔につられてリオネルも笑顔になりかけたとき、すぐ近くから声がした。
「親子では、ベルトランが気の毒じゃないか?」
いつのまにか、リオネルの横にディルクが立っており、笑顔でアベルに手を振っている。そうしながら、ベルトランに対しては、なにやら同情しているらしい。
「ああ見えてまだベルトランは二十三歳だ。アベルのような子供を持つにはまだ若い。せめて兄弟でどうだ?」
「ディルク様、『ああ見えても』という言い方こそ、ベルトラン殿に失礼です」
鋭い指摘を放ったのは、マチアスだった。
「ああ? 悪気はなかったんだけど。ほら、なんか落ち着きというか、貫禄あるだろう? 褒め言葉だよ。そう聞こえなかったか?」
「あまり聞こえませんでした」
主人の失言に容赦のないマチアスである。思わぬ議論に発展した傍らで、レオンがぼそりと言い放った。
「父親扱いされたベルトランより、子供扱いされたアベルのほうから苦情が出るのではないか? あれは変なところで短気だからな」
的を射たレオンの指摘に、一同がはっとする。
たしかに、そうかもしれない。
変なところで短気だとレオンは言ったが、アベルはこと子供扱いされることに関しては特に敏感である。
「今の発言はなかったことにしてくれ」
本人が二階まで上がってくるまえに、リオネルはすかさず皆の口を封じた。アベルの耳に入れば、彼女は気分を害するかもしれない。さしもの冷静なリオネルも、恋する相手からは、なるべく嫌われるような失態は犯したくないようだった。
「了解」
ディルクが答えたとき、ちょうど部屋の扉が開いた。
アベルはディルクとは違って「地獄耳」の持ち主ではないので、むろんこれまでの会話は聞こえていない。
「遅くなってすみません」
やや遅れてベルトランが階段を上ってきて、姿を現した。二人の忠実な家臣へリオネルは笑いかける。
「いや、おれたちもちょうど戻ったところだ」
宿の裏にある厩に馬は繋いであった。そこでリオネルらは、昼からつきっきりで馬の世話をしていた。よく働いてくれている愛馬たちへの恩返しだとリオネルは言う。リオネルらしい考え方だった。
「街はどうだった?」
包みを受けとりながら、リオネルはアベルに問いかける。
「市場の様子や、行き交う人の格好を見ても、あまりシャルムの街と雰囲気が変わりません」
「そうか、まだ国外へ出たという感覚はないか」
「ただ、豚の腸詰めが街のあちこちで売られているのを見かけました。あれは珍しい光景です」
アベルの返答に、リオネルが笑んだ。
「ベルトランの予想したとおりだね。それで? この一際大きな包みはなんだ?」
受け取った包みを、リオネルがのぞき込む。
「お土産です」
興味津津の様子で、レオンやディルクもそばへ寄った。
「土産?」
「――豚の腸詰めです」
短くアベルが答えると、笑いが巻き起こる。
まさか――、と笑いながらディルクがベルトランを指差した。
「あれだけ豚の腸詰めが続くのはうんざりだと言っていたのは、ベルトランじゃなかったか? それなのに土産に腸詰めか?」
「まあ、あれだ。せっかくローブルグに来たのだから、まずはこれを食べないと始まらないだろう」
「案外、一番腸詰めにはまるのはベルトランだったりしてな」
「そのときは、たくさん買って帰りましょう」
笑顔でディルクに同調したのは、アベルである。ディルクと共にベルトランをからかったような形になっているが、アベルはいたって真面目であり、むしろ友好的な気持ちから発言したのだ。
それがわかるだけに、ベルトランも反応に困る。
無双の騎士の複雑な表情を、リオネルは含み笑いで見やった。
「ベルトランが望むなら、腸詰めを得意とする料理人を新たに雇ってもいいよ」
主人であるリオネルにまで言われて、さすがのベルトランも苦笑いだ。
「では、この腸詰めの味次第でそうすることにしよう」
――ということで、一同は腸詰めの話で盛り上がり、アベルやディルクは早速買って帰ったばかりのそれを、宿の調理場へ運びはじめる。
賑やかな様子を眺めつつ、リオネルは腕組して立つベルトランに小声で話しかけた。
「街で危険なことはなかったか」
実はリオネルが窓辺に座っていたのは、アベルたちの戻りが遅かったことを心配し、外の様子を見るためだった。アベルはともかく、ベルトランはむろんそのことに気づいている。リオネルからこの手の質問がくることも予測していた。
「危険とまでは言わないが――」
ニーシヒの街で老人がアベルに話しかけてきた一件について、ベルトランはリオネルに手短に語る。
「ラスドルフ……」
話を聞いたリオネルは、考えこむようにつぶやいた。
「アベルは行ったことがないと言っていた。嘘をついているようには見えなかったし、金をせびるために老人が作りあげた話かもしれない」
軽くうなずきながら、リオネルはベルトランへ視線を向ける。
「それでアベルは相手にいくら渡したんだ?」
「さあ、すぐにしまったから見えなかったが――」
それにしてもアベルは優しすぎる、とベルトランは低い声で続けた。
「おまえも親切な部類だろうが、アベルは輪をかけて情が深い。助けてやりたいというより、どうしても放っておけないというように見える。負けず嫌いで、気が強いわりに、自分より弱いものをまえにするととたんに気を許してしまう。あれは危険だな」
「…………」
リオネルは黙りこんだ。
困っている相手に手を差し伸べたいと思うのは、人間らしい感情である。人として生まれたからには、それぞれがある程度は持っている――持っているべき類の情だろう。
だが、苦しんでいる人をどうしても放っておけないというのは、おそらくアベル自身の苦しみゆえであることをリオネルは知っていた。
哀しみや苦しみを知る者は、他人のそれに耐えられないのである。
どのような過去を背負っているのか――。
アベルのことを自分はなにも知らないのだと、リオネルはあらためて痛感するのだった。
「本人は無自覚だろうから、おれたちが気をつけてやらなければ」
黙りこんでいるリオネルに、ベルトランが言った。
「むろんだ」
短くリオネルが答える。
危なっかしいほど――だが、哀しいほど優しい。
そのようなアベルだからこそ、守らなければと思う。
ディルクやレオンらと笑いながら、アベルが階段を上ってくる。彼らの話し声と共に、香ばしい匂いが漂ってきた。入室したアベルが手に持っていたのは、豚の腸詰めの乗った大きな木の皿だ。
「お待たせしました。できましたよ!」
無邪気なアベルの笑顔。
リオネルはふっと表情を緩める。
危険な旅の途中、思わぬ事態で足止めを食らうことになってしまったが、こうして皆が楽しそうに過ごしているのを見れば、これでよかったのだという気持ちになった。
どのみちシリルが回復するまで動けないのだ。重大な任務と責任を背負う緊張感から解放されて、ゆっくり過ごすのもまたひとつの大切な過程かもしれない。
「ああ、おいしそうだ」
アベルの持つ皿をリオネルは覗きこんだ。
「たしかに、うまそうだ」
続いてベルトランが覗きこんでつぶやくと、今度はなぜか皆のあいだに笑いが広がる。
「なぜリオネルと同じ台詞をおれが言うと、笑うんだ?」
わかりきった質問をするベルトランにだれも返事をしなかったが、アベルだけは生真面目に答える。
「ベルトランのことが好きだからですよ」
「よくわからないが……」
微妙な表情でベルトランは頭をかいた。
よくわからないが、かわいい従騎士にそう言われれば、くすぐったいような感情を抱かないでもないらしい。それは普段のベルトランとは無縁のもので……。
「照れるベルトランなんて滅多に見られないな」
とリオネル。
「見たいかどうかは別だけど」
とディルク。
「ですから、先程から貴方の発言は微妙に失礼です」
と諌めたのはマチアス。
「微妙に――か? かなり、だと思うが。まあ、ここまできて相も変わらぬディルクの態度を見ていれば、なんだか安心するが」
と珍しく悪友を褒めた……のかもしれないのはレオンだった。
他愛のない会話は尽きることなく、六人はローブルグ領内に入ってはじめて豚の腸詰めを胃袋に収めたのだった。
+++
空に灰色の雲がかかっている。雨粒が落ちるほどではなく、けれど太陽の日差しを感じるには厚みのある雲だった。
陽光を遮られた空のもとで、剣を撃ち交わす音は高く反響している。
ベルリオーズ邸の騎士館敷地内にある鍛錬場。
シャルムにおいては珍しく湿気の多いこの日に、騎士たちは汗を流しながら鍛錬に励んでいた。剣を撃ち合う彼らの姿は、真剣そのものである。普段から鍛錬には余念のない彼らだが、それ以上の気迫がそれぞれの表情には見受けられた。
ベルリオーズ家に仕える騎士らを、激しい鍛錬に駆りたてているのは、このごろラクロワにあるビューレル邸において起こった事件と、それによってベルリオーズ家嫡男リオネルが敵国へ赴かねばならなくなったという、二つの大きな出来事だった。
王子ジェルヴェーズによって、仲間であるナタン・ビューレルの命が奪われ、その兄が捕えられた。さらにリオネルは命がけで交渉へ向かったのである。到底納得できる話ではなかったし、仲間と主を救うために自分たちにできることはなにもなく、そうしたもどかしさと葛藤が、彼らの鍛錬の激しさに現れているようだった。
「うりゃあぁぁぁあ!」
意味のない叫び声を上げて、相手の長剣を叩き落とした男がいる。ひときわ体格のよいその騎士は、腕の立つラザールだ。
「ラザール殿、いくらなんでもベルトラン殿ではないのですから、練習でこれはやりすぎですよ」
剣を叩き落とされた若き騎士ダミアンが、右腕をさすりながら苦笑した。
「ああ、すまない。どうもむしゃくしゃしてな」
さすがに悪かったと思ったのか、ラザールは自分が叩き落とした長剣を拾いあげて相手に手渡す。礼を言ってそれを受けとりつつも、ダミアンは苦笑したままだった。
「気持ちはわかりますが、私に八つ当たりしないでください」
「当たるつもりはなかったのだ。ベルトラン殿ほど激しくはなかったと思うのだが。いや、ともかく、捕らわれているジルのことや、ローブルグに向かわれたリオネル様のことが心配でな。身体を鍛え直すくらいしか、できることがないとはどうにも」
剣を鞘に収めながらダミアンはうなずく。
「ここにいるだれもが同じ気持ちです」
「せめて旅にご一緒できたらなあ」
リオネルが少数しか伴わなかったのは、対外的には知られたくないことだからだ。
ジェルヴェーズがローブルグへ向かったこと自体がそもそも極秘のことであるが、けれど現時点でこの件が明るみになったら最も困るのは、ジェルヴェーズ側ではなくベルリオーズ家のほうだった。
――ナタン・ビューレルは第一王子であるジェルヴェーズの命を狙い、返り撃ちにあった。
そのことが世間に知れ渡れば、ベルリオーズ家の立場は大きく揺らぐことになる。
大勢を伴えば人目につく。リオネルの動向を知られれば、事の経緯は明るみに出るだろう。
事件の真相も解明されていないうちに話だけが広まるのは、避けたいところだ。
かくしてベルリオーズ家では、ナタン・ビューレルがジェルヴェーズに斬りかかった経緯を調べはじめたところであるが……。
「あ、クロード隊長――」
鍛錬場である騎士館の中庭に姿を現したのは、ベルリオーズ家の騎士隊長クロードである。ラザールの肩越しにその姿をみとめたダミアンは、即座に一礼した。
一方ラザールは振り返ると同時に、相手のもとへ駆け寄っている。
「クロード殿」
年齢はむろんラザールのほうが上だが、立場は騎士隊長であるクロードのほうが上である。しかしラザールはだれに対しても臆するところがない。軽く一礼してから、なにかを尋ねようとラザールが口を開こうとすると、クロードが先に声を発した。
「ラザール。おまえが聞きたいことはわかっている」
「ならば教えてくれ。ナタンについてなにかわかったのか?」
隊長であるクロードに敬語を使わないのもラザールらしい。
「いや、まだ調べはじめたばかりだ。なにも判明していない」
「隠すとは水臭いぞ。公爵様にご報告に行っていたのだろう?」
「隠してなどない。報告ではなく、今後の調査方法について話し合っただけだ」
クロードは、ビューレル邸で起こった事件の真相を究明する調査を、ベルリオーズ公爵から任されていた。むろん全体の指揮を執るのは公爵だが、調査それ自体はクロードが中心になって行うということである。このような形になった背景には理由があった。
「ではもうひとつの懸念について教えてくれ。公爵様のお加減はいかがな具合だ?」
ラザールから質問を受けたクロードは、わずかに表情を曇らせる。それが答えだった。
「よろしくないのですね……」
近くに来ていたダミアンが、黙り込んだラザールの代わりに、憂慮に満ちた声でつぶやく。
ベルリオーズ公爵クレティアンが体調を崩したのは、リオネルが館を発った翌朝のことだった。朝食に姿を現さず、皆心配していたところに、「風邪を召した」との報告が執事のオリヴィエによってもたらされたのだ。