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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第一部 ~婚約破棄された伯爵令嬢は、男装して旅に出る~
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「ねえ、ベルトラン、きみはリオネルが館に戻る理由を知っているんだろう?」


 これまでにも幾度となく聞かれた質問を、この日もベルトランは繰り返し聞かれていた。


「そろそろ教えてくれてもいいんじゃないか?」

「おれは知らない」

「知らないわけないだろう、きみはリオネルのそばを片時も離れないのに」


 この日は槍の稽古だ。

 稽古の休憩時間に、わざわざ木立にいるベルトランのそばまで行き、ディルクは問いつめていた。


「直接、リオネルに聞いたらどうだ」

「本人が教えてくれないから、きみに聞いてるんじゃないか」

「リオネルはなんて?」

「『わからない』の一点張りだよ」

「……教えてくれているじゃないか」

「どこが?」

「リオネルが、館に戻る理由がわからないって言うなら、本人にもわからないのだろう」

「……なんだそれは。余計にさっぱり意味がわからないよ」

「本人がわからないことを、おれがわかるはずないだろう」

「リオネルとベルトランがわからないことを、おれがわかるはずないよな? あれ、なんだか、わけがわからなくなってきたけど……とにかく、あの日からリオネル元気ないよね」


 あの日とは、リオネルとベルトランが、ベルリオーズ家別邸に赴いたものの、泊まりもせず、深夜に騎士館に戻ってきた日のことだ。


 ディルクに指摘されてベルトランは黙りこむ。そのことについては知っていることがあったからだ。

 毎週ベルリオーズ家別邸に足を運ぶようになったリオネルに、ベルトランはその理由を尋ねたことはない。リオネルがどのようなことを考え、どう行動するのか――、それに危険を伴わないかぎり、詮索するつもりはなかった。文句の一つも言わず、黙ってリオネルに従うベルトランに、リオネルはよく「つきあわせてすまない」と言う。

 だが昨夜のこと。

 リオネルはぽつりとベルトランに言った。




『あの日から……』

『え?』

『あの日から、ずっと迷っている』


 ベルトランは、黙って言葉の続きを待った。


『アベルにひどいことを言ってしまった』

『…………』

『謝ろうと思うんだけど、なぜか、会えない』


 馬に乗ったアベルを残して、館をあとにした、あの日。

 あれからすでに二週間が経っていた。そしてあの日から、二人は一度も館に戻っていない。


『明日、戻るか?』


 ベルトランが言うと、リオネルは茶色の睫毛を伏せたまま、返事をしなかった。

 リオネルは自らの危険な立場や、置かれている厳しい状況などに対して、けっして弱音を吐くことはない。幼いころから周囲からの期待と、そして敵意を一身に受け、どれほど思い悩むことがあったか想像を絶するが、リオネルはそんな素振りは見せず、ベルトランやディルクをはじめ周囲のどんな者に対しても、いつも穏やかな態度で接していた。

 そのリオネルが、自らの発言を後悔するのは初めてのこと。珍しく思いつめた様子に、ベルトランもどうしてよいのか、少なからず戸惑う。


 黙りこくってしまったベルトランに、ディルクは続けた。


「レオンも心配してるよ。おれたちでなにか役にたつこともあるかもしれないし、今度一緒に行かせてよ」

「……そういうことは、本人に聞いてくれ」

「だからさっきも言ったけど、本人に断られたから、おまえに聞いてるの」

「主人がだめだというのに、おれがいいと言うわけがない」

「主人といっても、従兄弟同士だし、ベルトランのほうが年長じゃないか」

「又従兄弟だ」

「なんにせよ、あいつの兄みたいなもんだろ」


 しつこい相手に、ベルトランは苦笑する。


「そんなに気になるのか?」

「なんかおもしろそうだから。リオネルが夢中になるものって、見てみたいだろう」

「……夢中、か」


 ベルトランがそう呟いたとき、休憩している従騎士たちのほうへ駆けてくる一騎の姿があった。その姿を見るやいなやベルトランは駆けだす。

 このようなところで白昼堂々と狙ってくるとは考えにくいが、もし刺客であればリオネルを守らなければならない。ディルクも、ベルトランのあとから駆けてくる。

 けれど、相手の顔が確認できる位置まで来ると、ベルトランは小さく息を吐いた。よく見知った顔だったからだ。


「パトリス、どうかしたのか?」


 走ってきたベルトランに目で答えてから、リオネルは館に仕える兵士パトリスへ顔を向ける。

 馬から降りて、二人に一礼したパトリスは、リオネルに小さな紙切れを手渡した。


「ドニ先生からです」


 紙切れを開き、そこになぐり書きされている文字を目で追うと、途端にリオネルの表情が険しくなる。

 リオネルはベルトランを振り返った。


「館へ戻る」


 咄嗟に返事をできないベルトランの代わりにディルクが言う。


「え、戻るって――稽古は?」

「シュザンに伝えておいてくれ。あとで直接謝るから」


 言い終えるや否や、リオネルは厩のほうへ足早に向かう。あっけにとられる周囲を残して、ベルトランとパトリスがそのあとを追った。


「リオネル、なにがあった」


 リオネルに続いて馬の背に飛び乗ったベルトランに、リオネルは紙切れを渡す。

 そこには、


『このような手紙を王宮まで届けることをお許しください。アベルが危険な状態です。そのことだけをお伝えいたしたく。ドニ』


 と、書かれていた。

 それを読んでいる間に、リオネルは馬を走らせている。

 ベルトランは馬の腹を強く蹴った。





 無言で王宮からベルリオーズ家別邸まで駆け、リオネルらは館の門をくぐる。

 外套も羽織らず、稽古着のまま突然戻ってきた主人に、ジェルマンは大いに驚いたようだった。


「リオネル様、そのように急がれていったいどうなさいました」


 彼の様子からすると、ドニの配慮で館の者はアベルの状況を一切知らされてないようだ。

 ジェルマンの質問にも答えず、リオネルは大階段を駆け上がっていく。

 最上階へ一目散に向かう主人に、ジェルマンはアベルの身に何かが起こっていることを、察したようだった。


「ジェルマン、館の者に悟られないようにしろ」


 なにやら察したらしいジェルマンにそれだけを告げながら、ベルトランも大階段へ向う。

 ジェルマンは二人の後ろ姿に一礼した。

 アベルの部屋の前まで来たリオネルは、拳を握り、わずかにためらってから、意を決したように扉を叩く。


「おれだ、ドニ。入っていいか」


 しばらくして扉が開き、エレンが顔を出した。

 扉が開くと同時に、苦しそうに呻く声がリオネルの耳に飛びこんでくる。


「エレン。アベルは?」

「今は……お入りにならないほうがよいかと思います」


 そう言ったエレンの目は充血し、その周囲は涙で濡れている。

 次に聞こえてきたのは、アベルの悲鳴にも近い声だった。


「アベルは――アベルは大丈夫なのか」


 エレンはうつむいて首を横に振る。

 そしてそっと部屋から廊下にでて、背後の扉を閉めた。


「実は、もうすでに二週間ほど、アベルの容体は悪かったのです」

「二週間……というと、おれが最後に戻ったあたりか」

「はい。リオネル様が王宮に行かれた日の夜、アベルの顔色が悪かったので問いただすと、お腹が痛いと申しまして」


 リオネルの面持ちが苦いものになる。


「王宮のリオネル様に、お伝えするべきことかどうかわからず……」

「――それで?」

「それからずっとお腹の痛みに耐えていたのですが、今朝から尋常ではなく苦しみはじめ……ドニが言うには、産気づいたとのことです」


 眉を寄せ、リオネルは戸惑うように言った。


「予定ではまだ一ヶ月半あるはずだ」

「ですから、とても厳しいようです。そしてこのままでは、母体も子供も助からないかもしれないと……」


 エレンは、頬に零れ落ちた涙をぬぐった。


「……そんな」


 リオネルは拳を握る。


「どうにかして助けられないのか」


 エレンはうつむいた。


「わたしにはわかりかねます。アベルの身体が出産に耐えられれば、助かるのでしょうけど……」


 押し黙ったリオネルの代わりに、背後に来ていたベルトランが口を挟む。


「なかには入れないのか?」

「ちょっとそれは……あの、お腹の子の父親というわけではありませんし……それに、アベルのあのように苦しむ姿を見ているのは、もう本当に耐えられません……」

「……そうか」


 もう一度涙をぬぐったエレンに、ベルトランはうなずいた。


「でも、ドニ先生以外に、わたしだけでもあの子のそばにいてあげたいので」

「そうしてくれ、エレン」


 リオネルがそう言うと、エレンは二人に深々と頭を下げ、再び部屋に戻っていった。


「リオネル」


 ベルトランは、拳を握って佇む青年に声をかける。


「大丈夫だ、あいつは。あんなにお転婆な娘が簡単に死ぬわけがない」

「…………」

「おれたちは、信じるしかない」

「……おれは、こういうときにいつもなにもできないんだね」


 リオネルの脳裏に、母の白い死に顔が鮮明によみがえる。

 アベルのことが気になっていた最大の理由は、母のことを思い出さずにいられなかったからだ。


 十年前、ほっそりとした身体のなかにリオネルの弟か妹かを宿したまま、その小さな命と共に、この世を去った母。

 助けた少年が、女性であり、身ごもっていると知ったそのときから、アベルが無事に子供を産んで、笑顔でその子供を抱く姿を見たいと思っていた。それは十年前に叶うことのなかった、リオネルの切なる願い。

 けれどどんなに願っても、アベルにその思いは届かなかった。

 ――そして、届かないまま、再び永遠の別れをしなければならないのか。


「アベル……」


 不安を振り払うように首を振ると、リオネルはもう一度、拳を握りしめた。






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