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感謝を込めて、今週二度目の投稿です(といいつつ、今回は主役が出てこなくて申し訳ないです)。
長いお話で更新も遅いにも関わらず、いつもありがとうございます。
yuuHi m(_ _)m
息を切らして走ってきた少年は、カミーユの手にある弓を目にして、安堵の表情を浮かべた。的を外した矢が、だれかを傷つけたのではないかと案じていたらしい。
だが何事もなかったと悟ると、少年の顔から安堵の色はすぐに消失し、次には不敵とも呼べる表情が浮かんだ。
「矢を返してくれよ」
雰囲気に呑まれてうっかり相手の言葉通りに矢を渡しかけてから、カミーユは、はっとして手を引っ込めた。
「なんだよ、それ。怪我はないかとか、相手を気遣う台詞が先だろう? この矢にもう少し勢いがあったら、おれに当たっていたかもしれないんだぞ」
怒りを込めてカミーユは言うが、少年のほうは平然としている。
「でも怪我していないのだろう? 別に迷惑をかけてないんだから、いいじゃないか。早く返してくれよ」
「そういう問題じゃないよ」
「じゃあ、どういう問題なんだ」
二人の少年は睨みあった。
「言ったじゃないか。怪我させていたかもしれないんだから、無事を確かめるべきだって。そもそもこの場所で矢の練習をするのは禁止されてる」
「おれは今、そんな小さなことにかかずらっている場合じゃないんだ。悪いけど、怪我がないんだったらさっさと矢を返してくれないか」
「小さなことって……」
怒りとも呆れともつかぬつぶやきが、カミーユの口から漏れた。
「矢で相手を怪我させたら大変なことだよ。それに、王宮の規則を破れば厳しく罰せられる。どなたの従騎士かしらないけど、師匠からそう教わっていないのか?」
少年はカミーユから問われて、しばし口を閉ざす。
沈黙の間に、カミーユは目前に立つ少年の姿形をはじめて観察した。
身長はカミーユよりわずかに低い。けれど根元が寄った眉や、引きしまった頬、相手を睨みつけるような眼差しは、勝気な性格を現している。服装は上品でありながらも細やかな装飾で飾られており、高貴な家の者であるようだ。
「おれには、まだ師がいない」
短く少年は答えた。
「え? だって従騎士なんだろう?」
「そんなのは小さいことだと言っただろう。矢を返せ」
「小さい小さいって、じゃあきみにとってはなにが大きなことなんだよ」
不満を露わにしてカミーユは尋ねる。先程から少年の態度は、カミーユを馬鹿にしているように思われたからだ。
これだけ同じ言葉を繰り返されると、まるでカミーユが「小さな存在」と言われているような心地になる。どうみたって二人はおなじ従騎士だというのに。
「おまえにわかってたまるか」
またも少年はカミーユの問いをかわした。
「なんだよ、なにも話してくれないのに、わかるわけないだろう!」
カミーユもさほど気の長いほうではない。ついには喧嘩腰で叫ぶ。
「おれの気持ちを、おまえなんかが理解できるはずない。だから言わないんだ。おまえみたいな身分の低くて気ままな従騎士にはね!」
「気ままな従騎士だって? おれは死ぬ気で強くなろうと思ってる!」
一方的に決めつけられてカミーユは腹が立った。
館を追放された姉を探すため、そして見つけだしたときは彼女の力になれるようにと、必死で毎日鍛錬しているのだ。この少年がなにを背負っているのかは知らないが、皆がそれぞれの事情を抱えている。けれど少年はあくまでそれを認めようとはしなかった。
「死ぬ気だなんて笑わせるな。死ぬ気で鍛錬しているのはおれのほうだ!」
「おまえにだって、おれの気持ちなんかわからないじゃないか!」
「ああ、知りたくもない! おまえなんかが死ぬ気で練習するとしたら、どうせブレーズ家の嫡男のように王族に取り入るためだろう」
「なんだって!」
カミーユの逆鱗に触れたのは、自分のことを言われたからだけではない。従兄弟フィデールのことを非難されたからだ。
「このやろう!」
素手でカミーユは相手に殴りかかった。カミーユの一撃は相手の頬を直撃したが、少年も黙ってはいない。
「なにするんだ野蛮人!」
すぐに立ちあがり少年は剣を鞘から抜き放った。今度はカミーユが仰天する番である。従騎士同士の喧嘩で、いきなり抜刀するとは思っていなかったからだ。
「おまえも剣を抜け! これは正統な貴族同士の決闘だ。おれの顔を殴ったことを、あの世で後悔させてやる!」
「待てよ、剣を抜くのはまずいだろうっ」
「腰ぬけが! おれはロルム領を治める領主の嫡男コンスタンだ。おまえも騎士の子弟なら名乗ってから堂々と戦え!」
いきり立つ少年とは違い、カミーユのほうはすでに冷静さを取り戻していた。それはたった今耳にした名前のためである。
「ロルム? 竜の尾に位置する、あのロルム領か?」
決闘をするというところであるのに、相手が剣も抜かず、ただ質問を返してくるので、コンスタンは気勢を削がれそうになる。怒りが鎮まってしまわぬように、コンスタンは大声で答えた。
「そうだ、シャルムに十と存在しない公爵の位を賜る父の治める領地だ! 決闘に応じろ」
「とすると、きみはロルム家の跡取りなのか?」
「そうだ!」
「つまりきみの故郷は、緊迫している西方情勢の只中にいるんだね」
「そうだ」
「それはいろいろ心配だろうね」
「……そうだ」
「遠く離れているからこそ、もどかしい――そうだろう?」
「…………」
質問に答えていくうちに、コンスタンはすっかり戦意を喪失していた。
目の前の少年――カミーユは、同情でも哀れみでもない感情をその瞳にたたえて、コンスタンを見ていたのだから。
「きみほどの身分だったら、立派な騎士様に従騎士として仕えているんじゃないのか?」
この質問を受けてコンスタンが押し黙るのは二度目である。怒りに任せて決闘をするにも、もはや時機を失している。コンスタンは次のように要求するしかなかった。
「そのまえに、おまえも名乗れ」
声に怒気は滲んでいない。これまでいきり立っていたのが嘘のように、コンスタンは落ち着いていた。いや、彼は安堵していたといってもいい。
「もちろん、でもそのまえに剣を収めてくれないか」
苦笑しつつカミーユは言った。
コンスタンは、カミーユに指摘されてはじめて気がつく。多量の汗と共に、長剣を握りしめていたのだ。
「さっきは殴ったりしてごめん」
草の上に腰かけた二人は、気まずそうに並んでいた。
「おれはカミーユ・デュノア。デュノア家の跡取りだ。母はブレーズ家の出身だから、おれは近衛隊副隊長ノエル・ブレーズ様つきの従騎士をしてる」
約束どおり名乗ってから、一拍置いてカミーユはつけくわえた。
「フィデール様とは従兄弟にあたるんだ。フィデール様の悪口を言われてつい手が出ちゃった。悪かったと思ってる」
「べつに……。おれもおまえの従兄弟だとは知らずに言っていたし。剣を抜いたのは、身体が勝手に動いたというか……」
歯切れ悪くコンスタンは答える。面と向かって謝罪することには慣れていないようだった。丁重に育てられた名門貴族の嫡男らしい反応である。
「殴ったところは痛くない?」
「こんなのは平気だ」
「よかった。それできみはだれの従騎士なの?」
「……ここへは来たばかりなんだ。だから、だれのもとにも師事していない」
「そんなことがあるの?」
従騎士として王宮に住まうのに、だれにも従っていないなどということがあるのだろうか。少なくともカミーユは聞いたことがなかった。
カミーユの問いに答えるコンスタンの口調は重い。
「このあいだ、ユスターの件について話し合う会議が王宮で開かれた。そのときに父上に連れてこられて、そのままおれはひとりここに残されたんだ」
「ロルム公爵様は帰ったのに?」
「うん。おれは王宮で修業するように言われた」
そうなんだ、とうなずくカミーユの脳裏に、あることがひらめく。コンスタンが王宮に残された理由を悟ったのだ。
――つまりロルム公爵は、激しい戦場になる可能性のあるロルム領から、コンスタンを遠ざけたに違いない。
「はじめは納得できなかったよ。どうして自分の領地が危険な状況にあるのに、後継者であるおれが、ひとりこんな遠くにいなければならないのかって」
コンスタンもまた、父ロルム公爵の意図を理解しているようだった。
「ロルム領は、ユスターとの国境にある。戦争になるならおれもいっしょに戦いたい。おれの領地なんだ。ひとりで安全なところにいるなんて、卑怯だろう?」
「きみと同じ立場だったら、きっとおれも考えたと思う。剣を握って戦いたい。家族を残して安全な場所に行くなんていやだ」
「そうなんだ。最初の何日かはずっとそのことばかり考えていた。……でもひとり王宮で過ごすうちに気づいた」
カミーユはうなずく。聞かずとも、コンスタンの思いはわかる。それは、自分もまったく同じだからだ。
「ロルム邸にいたころは、おれはひとりでなんでもできると思ってた。修行なんてしなくても、騎士にだってなれると信じていた。でもそれは周りの人がおれを助けてくれていたからなんだ。王宮ではだれも助けてくれない。ここに来てみたら、おれはなんの力もないことに気づいた。剣や弓を持って戦うどころか、おれは身の周りのことさえろくにできなくて、きっといっしょに戦っても皆の足手まといになる。父上の役に立ち、領民を守るためには、自分の足で立てるようになったうえで、もっともっと強くならなければならないんだ」
「うん、きっとそうだね」
「だからそれ以外のことはなにもかもおれにとっては『小さな』ことなんだ。祖国のために戦える人間になりたい。武器の磨き方も、馬の手入れも見よう見まねで学んでる。まだだれにも教えてもらえないから、自分で剣も弓も鍛錬してる。今のおれには他になにをしていいのかわからないから」
「わかる気がする」
「…………」
カミーユの同意にコンスタンが押し黙った。
「本当だよ。おれも強くなりたいんだ」
「どうして?」
問われても、本当のことは言えない。カミーユが己の弱さを自覚した二年前の事件の真相について、つまりデュノア家で起きた事件について、他人に言うわけにはいかない。
だからカミーユはこう説明した。――自分に力がなかったがために、姉を失ってしまった。これからは剣の腕を磨き、大切なものを守る力を身につけたいのだと。
「そうか、きみも辛い思いをしていたんだ」
納得したらしくコンスタンはしみじみと言った。
「大切なものを守るために強くなる、と言う意味においては、おれたちは同じだね」
「そうだね」
失って早二年――もうすぐ三年だ。けれどカミーユは鮮明にその姿を思い出すことができる。
剣を握っている勇ましい姿、ディルクのことを語るときの笑顔、館を出されたときの悲痛な叫び声、それらの記憶と共にカミーユは自らの膝を抱いた。
「自分の力を誇示したり、だれかに気に入られたりしたいんじゃない。少しでも強くなって、自分の両足でたしかにこの地面を踏みしめたいんだ」
「おれもだよ」
二人は顔を見合わせる。厳しい現実のなかに生きる少年らは、この孤独な王宮においてはじめてわかりあえる友を得た。