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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第五部 ~敵国の都は、夏の雨にけぶる~
268/513


 感謝を込めて、今週二度目の投稿です(といいつつ、今回は主役が出てこなくて申し訳ないです)。


 長いお話で更新も遅いにも関わらず、いつもありがとうございます。

 yuuHi m(_ _)m











 息を切らして走ってきた少年は、カミーユの手にある弓を目にして、安堵の表情を浮かべた。的を外した矢が、だれかを傷つけたのではないかと案じていたらしい。

 だが何事もなかったと悟ると、少年の顔から安堵の色はすぐに消失し、次には不敵とも呼べる表情が浮かんだ。


「矢を返してくれよ」


 雰囲気に呑まれてうっかり相手の言葉通りに矢を渡しかけてから、カミーユは、はっとして手を引っ込めた。


「なんだよ、それ。怪我はないかとか、相手を気遣う台詞が先だろう? この矢にもう少し勢いがあったら、おれに当たっていたかもしれないんだぞ」


 怒りを込めてカミーユは言うが、少年のほうは平然としている。


「でも怪我していないのだろう? 別に迷惑をかけてないんだから、いいじゃないか。早く返してくれよ」

「そういう問題じゃないよ」

「じゃあ、どういう問題なんだ」


 二人の少年は睨みあった。


「言ったじゃないか。怪我させていたかもしれないんだから、無事を確かめるべきだって。そもそもこの場所で矢の練習をするのは禁止されてる」

「おれは今、そんな小さなことにかかずらっている場合じゃないんだ。悪いけど、怪我がないんだったらさっさと矢を返してくれないか」

「小さなことって……」


 怒りとも呆れともつかぬつぶやきが、カミーユの口から漏れた。


「矢で相手を怪我させたら大変なことだよ。それに、王宮の規則を破れば厳しく罰せられる。どなたの従騎士かしらないけど、師匠からそう教わっていないのか?」


 少年はカミーユから問われて、しばし口を閉ざす。


 沈黙の間に、カミーユは目前に立つ少年の姿形をはじめて観察した。

 身長はカミーユよりわずかに低い。けれど根元が寄った眉や、引きしまった頬、相手を睨みつけるような眼差しは、勝気な性格を現している。服装は上品でありながらも細やかな装飾で飾られており、高貴な家の者であるようだ。


「おれには、まだ師がいない」


 短く少年は答えた。


「え? だって従騎士なんだろう?」

「そんなのは小さいことだと言っただろう。矢を返せ」

「小さい小さいって、じゃあきみにとってはなにが大きなことなんだよ」


 不満を露わにしてカミーユは尋ねる。先程から少年の態度は、カミーユを馬鹿にしているように思われたからだ。

 これだけ同じ言葉を繰り返されると、まるでカミーユが「小さな存在」と言われているような心地になる。どうみたって二人はおなじ従騎士だというのに。


「おまえにわかってたまるか」


 またも少年はカミーユの問いをかわした。


「なんだよ、なにも話してくれないのに、わかるわけないだろう!」


 カミーユもさほど気の長いほうではない。ついには喧嘩腰で叫ぶ。


「おれの気持ちを、おまえなんかが理解できるはずない。だから言わないんだ。おまえみたいな身分の低くて気ままな従騎士にはね!」

「気ままな従騎士だって? おれは死ぬ気で強くなろうと思ってる!」


 一方的に決めつけられてカミーユは腹が立った。

 館を追放された姉を探すため、そして見つけだしたときは彼女の力になれるようにと、必死で毎日鍛錬しているのだ。この少年がなにを背負っているのかは知らないが、皆がそれぞれの事情を抱えている。けれど少年はあくまでそれを認めようとはしなかった。


「死ぬ気だなんて笑わせるな。死ぬ気で鍛錬しているのはおれのほうだ!」

「おまえにだって、おれの気持ちなんかわからないじゃないか!」

「ああ、知りたくもない! おまえなんかが死ぬ気で練習するとしたら、どうせブレーズ家の嫡男のように王族に取り入るためだろう」

「なんだって!」


 カミーユの逆鱗に触れたのは、自分のことを言われたからだけではない。従兄弟フィデールのことを非難されたからだ。


「このやろう!」


 素手でカミーユは相手に殴りかかった。カミーユの一撃は相手の頬を直撃したが、少年も黙ってはいない。


「なにするんだ野蛮人!」


 すぐに立ちあがり少年は剣を鞘から抜き放った。今度はカミーユが仰天ぎょうてんする番である。従騎士同士の喧嘩で、いきなり抜刀するとは思っていなかったからだ。


「おまえも剣を抜け! これは正統な貴族同士の決闘だ。おれの顔を殴ったことを、あの世で後悔させてやる!」

「待てよ、剣を抜くのはまずいだろうっ」

「腰ぬけが! おれはロルム領を治める領主の嫡男コンスタンだ。おまえも騎士の子弟なら名乗ってから堂々と戦え!」


 いきり立つ少年とは違い、カミーユのほうはすでに冷静さを取り戻していた。それはたった今耳にした名前のためである。


「ロルム? 竜の尾に位置する、あのロルム領か?」


 決闘をするというところであるのに、相手が剣も抜かず、ただ質問を返してくるので、コンスタンは気勢を削がれそうになる。怒りが鎮まってしまわぬように、コンスタンは大声で答えた。


「そうだ、シャルムに十と存在しない公爵の位をたまわる父の治める領地だ! 決闘に応じろ」

「とすると、きみはロルム家の跡取りなのか?」

「そうだ!」

「つまりきみの故郷は、緊迫している西方情勢の只中にいるんだね」

「そうだ」

「それはいろいろ心配だろうね」

「……そうだ」

「遠く離れているからこそ、もどかしい――そうだろう?」

「…………」


 質問に答えていくうちに、コンスタンはすっかり戦意を喪失していた。

 目の前の少年――カミーユは、同情でも哀れみでもない感情をその瞳にたたえて、コンスタンを見ていたのだから。


「きみほどの身分だったら、立派な騎士様に従騎士として仕えているんじゃないのか?」


 この質問を受けてコンスタンが押し黙るのは二度目である。怒りに任せて決闘をするにも、もはや時機を失している。コンスタンは次のように要求するしかなかった。


「そのまえに、おまえも名乗れ」


 声に怒気は滲んでいない。これまでいきり立っていたのが嘘のように、コンスタンは落ち着いていた。いや、彼は安堵していたといってもいい。


「もちろん、でもそのまえに剣を収めてくれないか」


 苦笑しつつカミーユは言った。

 コンスタンは、カミーユに指摘されてはじめて気がつく。多量の汗と共に、長剣を握りしめていたのだ。







「さっきは殴ったりしてごめん」


 草の上に腰かけた二人は、気まずそうに並んでいた。


「おれはカミーユ・デュノア。デュノア家の跡取りだ。母はブレーズ家の出身だから、おれは近衛隊副隊長ノエル・ブレーズ様つきの従騎士をしてる」


 約束どおり名乗ってから、一拍置いてカミーユはつけくわえた。


「フィデール様とは従兄弟にあたるんだ。フィデール様の悪口を言われてつい手が出ちゃった。悪かったと思ってる」

「べつに……。おれもおまえの従兄弟だとは知らずに言っていたし。剣を抜いたのは、身体が勝手に動いたというか……」


 歯切れ悪くコンスタンは答える。面と向かって謝罪することには慣れていないようだった。丁重に育てられた名門貴族の嫡男らしい反応である。


「殴ったところは痛くない?」

「こんなのは平気だ」

「よかった。それできみはだれの従騎士なの?」

「……ここへは来たばかりなんだ。だから、だれのもとにも師事していない」

「そんなことがあるの?」


 従騎士として王宮に住まうのに、だれにも従っていないなどということがあるのだろうか。少なくともカミーユは聞いたことがなかった。

 カミーユの問いに答えるコンスタンの口調は重い。


「このあいだ、ユスターの件について話し合う会議が王宮で開かれた。そのときに父上に連れてこられて、そのままおれはひとりここに残されたんだ」

「ロルム公爵様は帰ったのに?」

「うん。おれは王宮で修業するように言われた」


 そうなんだ、とうなずくカミーユの脳裏に、あることがひらめく。コンスタンが王宮に残された理由を悟ったのだ。

 ――つまりロルム公爵は、激しい戦場になる可能性のあるロルム領から、コンスタンを遠ざけたに違いない。


「はじめは納得できなかったよ。どうして自分の領地が危険な状況にあるのに、後継者であるおれが、ひとりこんな遠くにいなければならないのかって」


 コンスタンもまた、父ロルム公爵の意図を理解しているようだった。


「ロルム領は、ユスターとの国境にある。戦争になるならおれもいっしょに戦いたい。おれの領地なんだ。ひとりで安全なところにいるなんて、卑怯だろう?」

「きみと同じ立場だったら、きっとおれも考えたと思う。剣を握って戦いたい。家族を残して安全な場所に行くなんていやだ」

「そうなんだ。最初の何日かはずっとそのことばかり考えていた。……でもひとり王宮で過ごすうちに気づいた」


 カミーユはうなずく。聞かずとも、コンスタンの思いはわかる。それは、自分もまったく同じだからだ。


「ロルム邸にいたころは、おれはひとりでなんでもできると思ってた。修行なんてしなくても、騎士にだってなれると信じていた。でもそれは周りの人がおれを助けてくれていたからなんだ。王宮ではだれも助けてくれない。ここに来てみたら、おれはなんの力もないことに気づいた。剣や弓を持って戦うどころか、おれは身の周りのことさえろくにできなくて、きっといっしょに戦っても皆の足手まといになる。父上の役に立ち、領民を守るためには、自分の足で立てるようになったうえで、もっともっと強くならなければならないんだ」

「うん、きっとそうだね」

「だからそれ以外のことはなにもかもおれにとっては『小さな』ことなんだ。祖国のために戦える人間になりたい。武器の磨き方も、馬の手入れも見よう見まねで学んでる。まだだれにも教えてもらえないから、自分で剣も弓も鍛錬してる。今のおれには他になにをしていいのかわからないから」

「わかる気がする」

「…………」


 カミーユの同意にコンスタンが押し黙った。


「本当だよ。おれも強くなりたいんだ」

「どうして?」


 問われても、本当のことは言えない。カミーユが己の弱さを自覚した二年前の事件の真相について、つまりデュノア家で起きた事件について、他人に言うわけにはいかない。

 だからカミーユはこう説明した。――自分に力がなかったがために、姉を失ってしまった。これからは剣の腕を磨き、大切なものを守る力を身につけたいのだと。


「そうか、きみも辛い思いをしていたんだ」


 納得したらしくコンスタンはしみじみと言った。


「大切なものを守るために強くなる、と言う意味においては、おれたちは同じだね」

「そうだね」


 失って早二年――もうすぐ三年だ。けれどカミーユは鮮明にその姿を思い出すことができる。

 剣を握っている勇ましい姿、ディルクのことを語るときの笑顔、館を出されたときの悲痛な叫び声、それらの記憶と共にカミーユは自らの膝を抱いた。


「自分の力を誇示したり、だれかに気に入られたりしたいんじゃない。少しでも強くなって、自分の両足でたしかにこの地面を踏みしめたいんだ」

「おれもだよ」


 二人は顔を見合わせる。厳しい現実のなかに生きる少年らは、この孤独な王宮においてはじめてわかりあえる友を得た。







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