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「ようするに大陸中央に位置する我が国は今、北方の脅威と、西方の脅威に晒されているということだ。そして両者はすでに傍観していられないほどの脅威……というわけだ」
フェルナンは、あまり顔の似ておらぬ弟に視線を投げかけた。
「そのとおりです、トゥールヴィル公爵」
公の場においては、シュザンは兄を肩書きで呼んでいる。
「ですから、我々は早めに手を打たねばなりません。三国が手を組み、我が国へ攻めてきてからでは、打つ手が限られてしまいます」
シュザンが言うと、参席者の議論が再燃した。
「先に手を打つといっても、どうすればいいのだ。やつらがローブルグと手を組む前に、こちらから戦争を仕掛けるということか」
「それもひとつの手でしょうな。ユスターとアルテアガだけなら、我が国が負けるわけがない」
「だがそれも、北方の脅威がなければという前提ではないのか。エストラダがいつネルヴァルの領土を侵して、シャルムに侵攻してくるかわからない。そのためには、北部や王都を空にするわけにはいかないが、かといって軍の半数でユスターと戦えば、勝てるという確証はなくなってくる」
「ではいっそシャルム全軍でユスターと戦い、後方の憂いを絶ってからエストラダに備えるというのがよいのでは」
「いやいや、万が一にも、その動きを察知してエストラダのみならず、他国が侵略してくれば、我が国は容易く王都を奪われてしまう」
あれこれと意見が出されるなか、シャルム国王エルネストが議論の流れを折った。
「他国の出方を予測してみたところで、結果は不確かだ。確実に我が国を守る方法を見つけなければならない。だれか、それについて意見はあるか」
「ユスターに交渉を持ちかけ、和平協定及び対エストラダ同盟を西方諸国で組むというのはいかがでしょう」
発言したのは、この情勢のなか、最も戦いを恐れているロルム公爵である。ロルム領は、ローブルグ、ユスター、そしてアルテアガの三国に囲まれた「竜の尾」に位置する。いかに戦うかではなく、いかにして戦いを避けるかという方向で議論を進めたいようだった。
「すでにアルテアガと手を結んだ今、さてユスターは我々の交渉に応じますかな。交渉が失敗して、こちらの弱みを見せるだけに終わらなければいいが」
他人事のようにルスティーユ公爵は言った。それもそのはず、ルスティーユ領は「竜の尾」から最も離れた「竜の頭」という位置にあるうえに、ロルム公爵家は公言してはおらぬものの、王弟派寄りの貴族であった。
「ならば、貴殿はいかなる意見をお持ちか、お聞かせ願いたい」
むっとした様子で、ロルム公爵はルスティーユ公爵に意見を求める。ルスティーユ公爵は、わかりきったことを口にするかのように答えた。
「確実に我が国を守るためには、一戦交えて、ユスターに我が国の強さを見せつける以外に方法がないでしょう」
「しかしそれでは、これまでの議論の通り、王都を空にすることになる」
「いやいや、正規軍を動かさずとも、この国には強力な騎士団がいるではありませんか」
ルスティーユ公爵の発言が意味するところを、ここにいるだれもが瞬時に理解する。
「しかし――」
あまりに無情な意見に、ロルム公爵が言葉を失うと、すかさずフェルナンが発言した。
「ベルリオーズ家が有する兵力のことを言っておられるのか」
「いかにもそのとおりだ、トゥールヴィル公爵殿」
「リオネルが怪我を負い、動けないことは貴公も承知のはずだ」
姉アンリエットが残したひとり息子のことを、フェルナンが庇わずにいられるはずがない。
「それとも貴殿は、甥にむざむざ戦場へ死にに行けと仰るのか」
「いえいえ」
ルスティーユ公爵はわざとらしく笑った。
「なにも、リオネル殿ご自身が剣を握る必要はありますまい。兵を率いていけば、リオネル様ご自身は安全な陣屋に残って指揮を執ればいい」
「怪我を負った身で兵を率いること自体が、命に関わる。断じてそのようなことをさせてはならない」
「だが、他にいい方法もないでしょう。フェルナン殿の優秀な甥御殿であれば、その役目以上の結果を導くに違いない」
「山賊討伐のときのように、ていよくベルリオーズ家の兵力を利用するつもりか」
「ていよく利用したとは聞き捨てなりませんな。私はリオネル殿の能力やベルリオーズ家の実力を買って、このように申しているつもりだ。それを疑うなら、貴殿は私を侮辱したことになりますぞ」
「だれが貴様の綺麗事など鵜呑みにするか」
すでにフェルナンは喧嘩腰だった。
「そんなくだらない意見に流されて、リオネルを危険な目に遭わせるほど、おれは間抜けではない」
ここがどこであり、自分がどういった立場であるかを、完全に失念している――あるいはそれと知っていてあえて自由に振る舞っている兄の発言に、頭痛持ちのシュザンは頭を押さえる。昔からフェルナンは誰のまえでも物怖じしないところがあった。
だから自領におとなしく籠っていてもらいたかったのだと、内心でシュザンはつぶやく。
「いくらトゥールヴィル公爵殿とはいえ、そのような暴言は許しませんぞ」
当然のことながら、ルスティーユ公爵が声を荒げる。
「今すぐにこの場で謝罪願いたい」
「貴様の目論見を知らないやつは、ここにはいないぞ。おいシュザン、おまえもはっきり言ってやったらどうだ、見え透いた姦計はもう通用しないとな」
少しは正騎士隊を率いる自分の立場のことも考えてほしいと、シュザンは心の底から思った。
「おまえらの汚いやり方で、リオネルの命は奪わせないぞ、ルスティーユの姑息な狸が」
「なんだと――」
『姑息な狸』とまで言われれば黙ってはおれない。ルスティーユ公爵が席を立って、剣の柄に手をかける。フェルナンはそれを悠然と見上げた。
「わたしと決闘なさるおつもりか」
フェルナンは正騎士隊隊長シュザン・トゥールヴィルの兄である。公で披露することは滅多にないものの、彼は抜きんでた腕の持ち主だ。
「それなりの覚悟があるなら、受けて立ってもいい」
余裕の態度に、ルスティーユ公爵がややひるんだそのとき。
「まあ待て、両名とも」
あわや高位の貴族同士で決闘となるところ、すかさず仲裁に入ったのはエルネスト王である。エルネストの態度は落ち着いていた。
「ここでシャルム人同士が喧嘩をしてもしかたがあるまい。我々が剣を向けるべきは、シャルム人ではなく他国なのだから」
国王の言葉に、ルスティーユ公爵は剣を握る手を離し、一礼して席につく。だがフェルナンは胡散臭そうなものを見るような眼差しで、エルネストへと視線を向けた。
フェルナンは、エスネストが姉のアンリエットに言い寄ってきたときの状況を、だれよりもそばで見て知っている。異母弟であるクレティアンから王座を奪い、さらには彼の最愛の婚約者まで我がものにしようとしたのだ。エルネストの卑劣極まりない行動を、フェルナンは心底軽蔑していた。
それに加え、エルネストは真意が知れない。今しがたの発言も、敵意を向けるべきは他国といいながら、正統な血筋を継ぐリオネルを亡き者にしようとしている可能性もある。
とにかく信用ならない相手だというのが、フェルナンの、エルネストに対する印象だった。
「たしかに、先の山賊討伐の折りに、ベルリオーズ家並びに左翼に位置する諸侯らの挙げた成果は素晴らしいものだった。ルスティーユ公爵が彼らに期待する気持ちは理解しうるものだ。彼らには一国の命運を託すだけの価値があるだろう。だが、トゥールヴィル公爵が言ったとおり、我が甥にも当たるリオネルは今、手負いの身だ。むざむざ戦場に送り出すことはできない」
「ならば、我々にはどのような道がいったい取りうるのでしょうか」
やや不服げに尋ねたのはルスティーユ公爵だ。彼は、エルネストが自分の意見に当然賛成するものだと信じていたが、それが外れたので納得がいかないらしい。
エルネストは義兄の質問に直接は答えず、視線を信頼する若者の上へ投げかけた。
「シュザン、おまえの意見をここで述べなさい」
立ったままであったシュザンは、王に一礼し、それから出席者を見渡した。ルスティーユ公爵がややうんざりした面持ちであったのは、エルネストとシュザンのあいだですでに話がついていたことを、このとき察したからである。
「僭越ながら、私の意見を述べさせていただきます」
長机に向かう貴族らの視線はすべてシュザンに集まっている。ただエルネストだけは、目を伏せていた。
「私は、今、ユスターと剣を交えるべきではないと考えています」
「剣を交えずに、いかにこの危機を乗り越えるというのです」
堪え切れずに口を挟んだのは、生粋の国王派貴族ベルショー侯爵である。
「ここはお聞きなさい」
諌めたのは、ロルム公爵だった。ちらと二人のやりとりを見やってから、シュザンは続ける。
「とにかく早く手を打たねばならないと最初に申しあげましたが、我が国はできうるかぎり早々にローブルグと交渉すべきだと、私は考えています」
「ローブルグだと……!」
だれかが驚きの声を上げたが、それ以外の声はなく、議場は静まり返っていた。声にも出せぬほど意表を突かれたのだ。ただフェルナンだけが小さく笑っていた。
「ユスターがローブルグとの交渉を成立させる前に、我が国がローブルグと手を組むのです。そうすれば、ユスターは手を出せなくなるでしょう」
シャルムとローブルグという強国同士の同盟――それは、大陸に領土を有する国々が恐れる同盟である。だが、そこには見過ごせない問題があった。
「ローブルグと手など組めるか!」
参席者のひとりが叫ぶ。その声を皮切りに、次々と声が上がった。
「我が国の兵士が、どれほどローブルグとの戦いで失われてきたか」
「今は、我々のほうが、立場が弱い。こちらから頭を下げて同盟を申し出るというのは、シャルムの威信と誇りにかけて避けるべきだ」
「さよう、菖蒲が鷲のまえにひれ伏すことなど、断じてならぬことだ」
菖蒲はシャルムの、鷲はローブルグの国章である。
「そもそも、ローブルグが我が国の申し出を受け入れるわけがない。ユスターと手を組んでシャルムに攻め入れば、ローブルグは長年の敵国を支配下に置くことができるのだからな」
「フリートヘルム王は、奇人という噂。話さえ通じるかどうか」
「ローブルグに頭を下げるくらいなら、いっそ勇敢に戦い死んだほうがましというもの。エストラダ相手だろうとユスター相手だろうと正々堂々と戦えば、たとえシャルムが滅んだとしても、名誉だけは残るだろう」
熱を帯びた意見が続くなか、けっして大きくはないのに、よく通る声が響いた。
「本当に、そう思われますか」
その声は、会議に出席する者たちに、重ねて尋ねた。
「本当に、このままこの国が滅んでもかまわないと、そう思われますか」
甥のリオネルとよく似た美声は、シュザンのものである。議場は水を打ったように静まり返った。
「いや、滅んでもかまわないとまでは――」
勢いにまかせて口にしてしまった言葉を、発言者がもごもごと弁解する。
シュザンが言い放った。
「窓のそとでは青空が広がり、蝶が舞い、人々の笑い声が響いています。今のシャルムは平和そのものです。ですが、目に見えぬ危機は目前に迫っています」
だれも言葉を発しない。静まり返ると、窓の外の音が際立った。木の葉のざわめき、鳥の鳴き声、そして人々の明るい笑い声……。
「今ここで打つ手を間違えれば、大げさなどではなく、言葉どおりシャルムは他国の手に落ち、滅びます」
シュザンの声は、実に穏やかだった。
「矜持のために、このシャルムの大地を、血に染めてもかまわないとお考えですか」
答えは返ってこない。その沈黙こそが、答えである。
「ローブルグと交渉することは、両国の長き戦いにおける、我が国の負けではありません。ローブルグもまた選択をすべき時なのです。北の脅威のまえで、大陸諸国がどう動くべきか決断するときなのですから。これまでどおり隣国同士でいがみ合っていては、いずれ自らの首を絞めることになるということくらい、ローブルグもわかっているはず。ならば、ユスターと手を組むか、それとも我がシャルムと手を組むか、それはローブルグとの交渉次第です」
シュザンの話が終わると、再び静寂が訪れる。政派など関係なく、ここにいるだれもが、真剣にシャルムの未来を思っていた。
ルスティーユ公爵は、エルネスト王の顔を盗み見る。目を伏せたままのエルネストの顔には、驚きの色もなければ、考えこむ様子もない。ルスティーユ公爵はわずかに顔をしかめた。
王は、事前にシュザンの意見を知っていたのだ。
知っていてそれを受け入れ、この場で意見を披露させた。これまでの議論はただの形式上のものにすぎない。ようするにここまで辿りつかせるための、儀式のようなものだったということだ。
ルスティーユ公爵はおもしろくなかったが、王が同意している以上、この意見に異議を唱えることにはなんの意味もなかった。この場にジェルヴェーズがいないのだから、なおさらである。
「私はシュザン殿の意見に同意します」
真っ先に賛同したのは、「竜の尾」に領地を持つロルム公爵だった。
「今は非常事態です。長年の敵国同士であることなどに、こだわっているときではありません」
「そうかもしれませんな」
ロルム公爵の意見に、ちらほらと同意する者が現れる。王が後押しする案に、あからさまに反意を示す者はない。
「しかし、いったいだれがローブルグへ交渉にいくんだ?」
訝るように目を細めたのは、フェルナンである。彼のうちには、ある懸念があった。懸念の滲むフェルナンの疑問に答えたのは、シュザンではなくエルネストであった。
「ジェルヴェーズだ」
途端に室内がざわめく。
まさかローブルグとの交渉に、ジェルヴェーズを行かせるとは。あの気が短く、傲慢で、冷酷な王子を……。
「ユスターからの使者は、フリートヘルム王との謁見を許されなかったそうだ。王族を遣わすくらいのことをしなければ、我が国も同じ扱いを受けるだろう」
「しかし、ジェルヴェーズ殿下とは……」
だれかがつぶやく。
話し合いにおいて短気を起こせば、交渉など成立するどころか、新たな戦いの火種を作りうる。
「この国を継ぐのはジェルヴェーズだ。その覚悟を、ジェルヴェーズには見せてもらおう」
もし交渉が決裂すれば、その結果を最終的に背負うのは当然、この国の頂に立つはずのジェルヴェーズだ。しかし、それに巻き込まれるのは、彼に仕える騎士や兵士であり、そして、シャルムに暮らす民であるというのもまた真実である。
浮かない顔つきで、シュザンは机のうえに視線を落としている。
意見は受け入れられた。
だが、果たしてジェルヴェーズをその役目にあたらせるということが正しい選択なのか、シュザンにはわからない。
当初、交渉には、発案者であるシュザン自らが赴くつもりだったが、ジェルヴェーズという人選を行ったのは、他でもないシャルム国王だった。エルネストなりの覚悟が垣間見える判断ではあったが、はたしてそれがこの国のためになるのだろうか……。
一方、フェルナンの口元には、皮肉めいた笑みが浮かんでいた。ジェルヴェーズを派遣するということに対し、どこか呆れたような、そして諦めたような表情である。そこまで話がついているならば、やらせてみればいい。どうなるか見ていてやろうではないか。そんな雰囲気だった。
シャルム王国の青空に迫る暗雲の存在を――その雲がもたらす嵐を――、多くの者が感じていた。