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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第四部 ~波乱に満ちた誕生日と、切なる祈り~
252/513

34







 口に入れた瞬間、ふわりとラベンダーが香り、それから徐々に甘さが広がる。

 ラベンダーの香りと甘さを口内で弄んでいるうちに、小さな砂糖菓子は、レオンの口のなかで溶けて消えていった。


 砂糖菓子が溶けて消えるたび、レオンは遠く離れたところにいる友人を思う。

 ――今日は、彼の誕生日だというのに。


 すぐにでも駆けつけていきたいと思うのは、にわかに噂を信じることができず、無事な姿を一秒でも早く確認したいがためか。


 この日は、竪琴も、フィドルの演奏もない。音楽よりなにより会話を楽しみたいという、王妃グレースの意図がはっきりとわかる集まりだった。

 グレースお気に入りの応接室サロンの中央で、小さな卓を囲んでいるのは、主催者であるグレースと、二人の息子たちである。


 先王の直系であるリオネル・ベルリオーズが負傷したという噂は、すでにシャルム貴族のあいだに広まっており、王宮への正式な報告はまだないものの、当然ジェルヴェーズやレオンの耳にも入っていた。

 機嫌がよいとまでいかないが、ジェルヴェーズは普段より口数が多く、逆にレオンは浮かぬ面持ちだ。その二人に、グレースはしきりと砂糖菓子を勧めていた。


 普段は菓子など一切食べないジェルヴェーズも、母であるグレースの勧めを断りきれず、これまでに三つ四つは口にしている。一方、甘いものは好きでも嫌いでもないレオンは、勧められるままに食べていたので、胃のなかが砂糖とラベンダーで埋めつくされたような心地だった。


「ベルリオーズ家は大変な様子ですね。子細がわかり次第、見舞いの手紙と品を届けなくてはなりません」


 案じる声音でグレースが言う。


「左腕のないマリオネットでも、特別に作らせて贈りましょうか」


 砂糖菓子より葡萄酒のほうばかり消費しているジェルヴェーズは、いつになく舌が滑らかだ。王妃のまえで口走った台詞は悪意に満ちていた。


「なんてことを言うのです、ジェルヴェーズ。リオネル様は貴方のお従兄弟ですよ」

「冗談です、母上」


 葡萄酒の杯を持ち上げ、ジェルヴェーズは愉快げな笑みを半ば隠している。


「……左腕を獣に噛まれるなど、さぞかし辛いことでしょう」


 そう前置きしてから、グレースはジェルヴェーズをしっかりと見据えた。


「あなたがベルリオーズ領へ直接、見舞いに行ってはいかがですか。従兄弟としてそれくらいのことをしても罰は当たりませんよ」


 王妃の提案に、二人の息子は同時に口を開く。


「遠慮しておきます、母上」

「それでは、治るものも治りませんよ」


 一度に発せられた言葉を解するのに、三人にはしばし時間がかかった。

 言葉を解すだけの時間が経過すると、


「治るものも治らないとは、どういう意味ですか、レオン」


 とグレースに静かに問い正され、レオンは気まずい面持ちになる。


「いえ、その――」


 レオンが口ごもっていると、助け船を出したつもりではないはずだが、ジェルヴェーズが突如、口を挟んだ。


「安心してください、母上。リオネル・ベルリオーズには、いたく気に入っている年若い家臣がいると聞きます。私が行かずとも、信頼する家臣らに囲まれていれば、すぐに回復するでしょう」


 唐突な話の展開についていけず、グレースがわずかに首を傾げる横で、ジェルヴェーズはレオンを見やる。


「名をなんといったかな、レオン」


 強引な話の展開は、兄が自分からなにかを聞き出そうとしているためだと、すぐにレオンは気づく。だから、ひとりの少年を思い浮かべたが、レオンは素知らぬふりをした。


「……いえ、私は存じあげません」

「あれほどリオネル・ベルリオーズのそばにいたおまえが、知らないと?」

「思い当たる人物はいません、兄上」

「イシャスとかいう名だ――知っているだろう」


 レオンが、記憶からなにかを引きだそうとしたのは一瞬のことである。すぐにこれまでの白々しい面持ちに戻り、淡々と答えた。


「いえ、イシャスという〝家臣〟は知りません」


 嘘をついたわけではない。記憶のなかから呼び起こした「イシャス」という名の人物は、家臣などではなく、まだ言葉も鮮明ではない二歳の子供である。

 けれど、見かけほどレオンの内心は平然としていたわけではなかった。


 ――ジェルヴェーズは、アベルのことを言っているのかもしれない。


 その可能性にレオンはぞっとした。

 なぜ、ジェルヴェーズはアベルの存在を知っているのか。そしてなぜ、ジェルヴェーズはアベルの存在を気にしているのか。

 リオネルは、家臣らのなかでも、ことのほかアベルのことを大切にしている。そのことがジェルヴェーズに気づかれているのだとすれば、それは危険なことである。


「そうか、いないというのか」

「……私の知るかぎり、いないはずです」


 なにかを見定めようとするように、ジェルヴェーズはじっとレオンの目を見つめていいたが、不意に嘲るように鼻で笑った。


「どうせすぐにわかることだ」

「なにを気にしているのですか?」


 不思議そうに尋ねたのは、王妃グレースである。


「リオネル・ベルリオーズの一刻も早い回復のために、私になにができるか考えていただけです」

「そうですか」


 グレースはほほえんだ。


「やはりあなたは、昔の優しいジェルヴェーズのままですね。音楽を奏でるのが得意で、蛙と、蛙の卵の苦手だった……」

「あまり昔の話をおっしゃらないでください」


 答えるジェルヴェーズはきまりの悪い様子で、好きでもなく勧められたわけでもないはずの砂糖菓子を、ひとつ口に入れる。

 その光景を見やりながら、レオンはさりげなく切り出した。


「母上、私がリオネルの見舞いに赴いてもかまわないでしょうか」


 菓子の甘さのせいか、わずかに眉根を寄せながら、ジェルヴェーズはレオンを見やる。

 わずかなあいだ考える素振りをしてから、グレースはジェルヴェーズとレオンの二人を見比べた。


「レオン、あなたもジェルヴェーズのように、リオネル様のことを心配しているのですね」


 ジェルヴェーズのように――という部分には首をかしげずにおれなかったが、心配しているという部分については、迷わずに首肯できる。

 けれど、ジェルヴェーズのまえである。レオンは感情を隠し、言葉を濁した。


「兄上が赴けないということであれば、王家とベルリオーズ家の今後の関係のためにも、私が代わりに――と思っただけです」

「そうですか」


 柔らかくほほえんで、グレースはレオンの表情を眺める。


「あなたも変わらないのですね」

「どういう意味でしょうか、母上」

「とても素直だという意味です」

「それは――」


 それは皮肉ですか、と聞こうとして、レオンは言葉を呑んだ。グレースが、どこか嬉しそうだったからだ。


「今日は久しぶりに、あなたがたとゆっくり過ごせて本当によかったです。変わらない二人の様子を見て、安心しました。これからも、兄弟仲よく――協力しあっていくのですよ」


 むろんです、と即座に返答したのはジェルヴェーズで、レオンはその正直さゆえに、反応が一拍遅れる。

 そんなレオンを見やり、グレースはかすかに笑みを浮かべてから、自らも砂糖菓子を口に入れた。









 母子らが和やかな時間を共有するころ、庭園のさらに西北に位置する騎士館では、すらりと背の高い若者が壁に背を預け、片手で頭を押さえていた。

 頭痛持ちのシュザンである。

 平穏という言葉は、この男とは無縁のものだ。頭痛の種は、後を絶たなかった。


 ――リオネル様が負傷されたというのは、事実かもしれません。

 入室して一礼するなり、シメオンはこのような報告をした。


「今しがた、王宮に伝書鳩が到着しました。すぐに陛下のもとへ届けられましたが、手紙はベルリオーズ家のものに間違いありません」

「こんなときに――」


 表情を険しくするシュザンに、シメオンは気遣わしげな視線を向ける。


「西方の情勢については、正確なことを把握するまでに、まだ時間がかかります。今は甥御殿のことだけを案じていてください」


 シュザンは無言だったが、その顔には、そういうわけにはいかないと、はっきり書いてあった。

 すべてはつながっているのだ。

 どちらもまだ噂の段階で、はっきりしたことがわかっていない。いましばらく状況を見なければならないことはたしかだ。

 ――だが。


「ユスターは、こちらが考えていたより狡猾こうかつだったということか」

「各国が北方に気をとられている隙に、アルテアガと手を結び、シャルムの竜の尾に喰らいつく――それが事実ならば、よく機を捉えたものですな」


 ユスター王国は、左翼に位置するベルリオーズ領より西南、「竜の尾」部分と国境を接する大国である。シャルムとローブルグは歴史的な敵国であり、絶えず小競り合いを続けているが、ユスターはここ百年ほど大きな動きを見せていなかった。

 相互不可侵の条約こそ結んでいたわけではないが、互いに攻め入らないという暗黙の了解のようなものはあったのだ。


 それが今回、シュザンの耳に寄せられた密使の報告によると、ユスター王国がシャルム西方に侵攻すべく、アルテアガ王国に働きかけているという。

 現時点では、まだ可能性の域を出ない報告だ。

 けれどこれが現実となれば、シャルム西方ではこれから、多くの血が流れることとなる。西方の領地を治める諸侯は戦いに駆りだされ、そのときは、ベルリオーズ家も例外ではない。


 そのような折に耳にした、リオネル負傷の噂。


 大国エストラダが北方で血生臭い暴風となり、南下しようとしているというのに、西方にも不穏な風が起こりはじめている。

 リオネルの怪我それ自体だけでも心配であるのに、北方の脅威や、今後のユスターの動きを考えると、さらに頭は痛い。情勢次第では、ベルリオーズ家にも参戦命令が下るかもしれない。


 いち早く、伝書鳩によりシャルム国王に報告があったことは、歓迎すべきことだ。

 ひどい怪我であるならば、さすがにエルネストも、甥であり、かつて愛した相手の忘れ形見であるリオネルに、出兵を命じることはないはずだ。それとも、これを好機とリオネルを戦場に送りだすだろうか……。


「ユスター国内への諜報員を増やしますか」

「いや……今の状況下では危険だ。数を増やして目立てば、ユスター側に我々の活動が知られ、諜報者は皆虐殺される」

「では現在ユスター内に入っている者だけで、諜報活動を続けますか」

「これまでどおりの構成員で、けれどこれまで以上に慎重に、だ。それと――」


 シュザンは頭を押さえていた手を下ろし、シメオンを凝視した。重要な指示が下されることを予測し、シメオンは黙って次の言葉を待つ。


「――西方地域に、密かに軍を配備する」

「今の段階で、ですか」

「少数の部隊でかまわない――三部隊、いや、二部隊でもいい。この二部隊の統率は、フランセルに委ねる」

「陛下には」

「私から報告する」

「事後報告は、処罰の事由になりえます」

「かまわない」


 しばらく黙していたが、シメオンは「かしこまりました」と頭を下げる。

 それからシメオンは、退出する間際に一度だけシュザンを振り返り、けれどなにも語らずに扉を閉めた。








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