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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第四部 ~波乱に満ちた誕生日と、切なる祈り~
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「王妃様」


 複数の侍女を伴い、高官席まで足を運んだグレース王妃の手に、フィデールは恭しく口づけを落とした。王族以外でシャルム王妃の手に触れることのできるのは、公爵家以上の貴族か、他国の王族だけである。


「お話をしているところ、申しわけありません。息子たちを探していたのです。ジェルヴェーズは、あなたと共にいると思いまして」


 けれどここにはいないようですね、とグレースはフィデールに笑みを向けた。


「申しわけございません。礼拝が始まるまではお供しておりましたが、終わってからはお見かけしておりません」

「そうですか……一緒にお菓子を食べようと思っていたのですが、ジェルヴェーズもレオンも見つからなくて困っているのです。ラベンダーの砂糖菓子を、兄がルスティーユ領から持ってきたのです。よい機会なので、兄弟そろって甘いものでも食べれば、互いに打ち解けると思ったのですけれど……わたくしの企みが知れてしまったのかしら、二人とも隠れてしまったようです」


 ――甘いものでも食べれば、互いに打ち解けると思った。

 つまりは、両者のあいだに隔たりがあるということである。


 ほがらかに笑いながら説明するグレース王妃に、フィデールはなんと答えてよいか即座には判断がつかなかった。


「あの子たちは、昔は仲がよかったのですよ。兄が余計なことを吹聴するまでは」


 グレース王妃の兄とは、つまりルスティーユ公爵のことである。


「……兄がよからぬことを企んでいることは知っています」


 ちらとガイヤールに視線を向けてから、グレースは一歩前へ進み、フィデールの手をとった。


「ジェルヴェーズは貴方を信頼しているようです。あの子の助けになってあげてください」


 母の願いは切なるものであった。

 母親が己が子に対して抱く愛――それは、幼いころに母親を亡くしたフィデールには、けっして得ることのできないものだった。


「王妃様、私をかいかぶらないでください。私には、なんの力もございません」

「それでよいのです。ただ、ジェルヴェーズのそばにいてあげてほしいということなのですから。聞き届けていただけますか?」

「私は、殿下に忠誠を誓っております」


 フィデールの答えに、グレースはそっとほほえむ。それから手を離すと、ガイヤールに向きなおおり、


「今朝の説教は素晴らしかったです」


 と、ひと言だけ告げて、ゆったりとした歩みで大聖堂を立ち去った。

 グレースと侍女らが去ったあとの本堂には、かすかな香水の香りが残される。


 今朝の説教のどこが素晴らしかったのか、フィデールにはわからなかったが、グレースが息子らに対して抱く想いの深さだけは、充分に伝わる出来事だった。


 曖昧かつ不透明な感情が胸につかえている。このようにもやもやとした気持ちを抱くことは、フィデールにおいては珍しいことだった。






+++






 ベルリオーズ邸の外門をくぐれば、内門に続く長い石畳の坂道があり、その頂上に騎馬像が建っている。

 騎馬像のある高台からは、左手に内門と荘厳な館、目前に美しいシャルム式庭園、右手に木立の散歩道を見渡すことができた。


 リオネルの誕生日まであと二日というころ。


 騎馬像のまえに、二人の若者の姿があった。

 両者とも長身かつ精悍な体つきで、年齢もほぼ同じくらいのようである。ひと目で、武芸に秀でた騎士とわかる若者らだった。


「リオネル様とフェリシエ様は、本当によくお似合いだ。リオネル様ももうすぐで十九歳になられる。やがてお二人がご結婚され、ベルリオーズ家の主となられる日が楽しみだな」


 そうは思わないか、と同意を求めてくる悪友に、ベルトランは呆れたように言う。


「能天気なおまえが、うらやましいかぎりだ」


 ややむっとしてクロードが言い返した。


「おれのどこが能天気なんだ。おまえこそ、リオネル様のおそばを離れてぶらぶらしているではないか」


 騎馬像のある場所からは、シャルム式庭園が見渡せる。

 腕を組みながらゆったりと歩む一組の男女――リオネルとフェリシエの姿を見やりながら、ベルトランは仏頂面で答えた。


「しかたがないだろう。お二人の邪魔をせぬようにという公爵様のご命令だ。だからこうやって遠くから見守るしかない」

「だから、この数日おまえは手持無沙汰なわけか。リオネル様のおそばから片時も離れない大男が、あちこちひとりで歩き回っていると、目についてしかたがない」

「図体が大きくて悪かったな」

「そういえば、昨日館に到着したヴィートもかなりの長身だったな」

「おまえも充分な大きさだぞ。能天気なうえに、図体が大きいのは性質が悪い」

「さっきからおれのことを能天気と言うが、どういう意味だ」


 軽く眉根を寄せながら尋ねるクロードに、ベルトランはあいかわらずの仏頂面を、庭園へ向けたまま応える。


「リオネルもアベルも……二人とも見てられないという意味だ」

「どうしてそこでアベルが出てくるんだ。アベルは体調も回復して、ずいぶん仕事を頑張っているではないか」


 相手の台詞があまりに呑気であったので、ベルトランはクロードの頭を小突いた。


「おまえは筋肉でも鍛えていろ」

「見ていられないのは、おまえのような大男の仏頂面だ」

「頭のなかまで筋肉でいっぱいになれば、おまえのような能天気になるのか?」

「たまには爽やかに笑って過ごせないのか、この仏頂面男」






 ベルリオーズ家でも一、二を競う勇猛な騎士が二人、玄関の前で子供っぽい言い合いをしているころ、庭園をリオネルと共に歩くフェリシエは、幸福と不安の混ざりあった感情のなかにいた。


 薄絹の手袋をはめた細い指先を絡めているのは、リオネルの腕である。


 ベルリオーズ邸に到着してから、リオネルは多くの時間をフェリシエのために割いてくれていた。その結果、彼が政務を夜遅くまでやっていることは知っている。


 だが、リオネルがフェリシエと共に過ごすのは、ベルリオーズ公爵の命令ゆえであることも、フェリシエは知っていた。

 結婚するつもりはないと、はっきり言われているのだ。公爵の命令がなければ、リオネルはフェリシエと過ごそうなどとは思わないだろう。


 共に過ごすことは至高の幸せであるはずなのに、フェリシエはリオネルといると、常にそのことばかりが心に引っかかった。


 また、一度だけ挨拶に現れたものの、アベルはほとんど騎士館にこもったまま出てこない。アベルが二人の前に姿を現さないのも公爵の計らいであるかと思うと、フェリシエは余計に苛立つのだった。


 こうして二人で歩いていても、リオネルはほとんど自分から話題を振らない。アベルに対して向けるような笑顔は、けっしてフェリシエには向けてくれないのだった。


 ――あの子が完全にいなくなってしまえば、リオネルはもっと自分に関心をしめしてくれるのではないか。

 いや、例えこのままでもいい。この人が幸福な表情を向ける相手を、この世から葬り去ってしまいたい。

 そんな思いが、フェリシエの頭から離れなかった。


「あら? この薔薇……折れているわ」


 花壇に咲く緋色の薔薇が、頭を地面に向けてうなだれている。

 ともすれば煮え立つような感情に呑まれてしまいそうになるのを、フェリシエは他愛ない会話をすることで紛らわせようとしていた。


「あ、これも。このあたりの薔薇は、傷ついているものばかり。ひどいわ。だれかがいたずらをしたみたい……そう思いませんこと?」


 問われて、リオネルは手折られた薔薇に、そっと手を添える。


「このあいだイシャスが庭で遊んでいたからかもしれません。けっして悪意があってやったわけではありません」

「イシャス……アベルの弟ですね」

「ええ」


 そう答えるリオネルの横顔は、薔薇ではなく、どこか遠くを見つめているようである。


 この館に、アベルの弟が住み始めたということを、フェリシエはライラから聞いていた。それがベルリオーズ邸の規則違反であるということ、けれどもリオネルがそれを押し通したということも。


「子供は好きでいらっしゃいますの?」

「好きですよ。六歳離れた弟妹きょうだいが生まれるはずだったので」


 視線をフェリシエに向けずにリオネルは答える。


 フェリシエは黙っていた。それから静かに涙を流した。

 小さくすすり泣く声に横を振り向いたリオネルは、手袋をはめた小指で涙をぬぐうフェリシエに、無言でハンカチを差し出す。


「ごめんなさい……リオネル様のお気持ちを想像すると、哀しくなってしまって――」

「昔の話をして申し訳ありませんでした。私のために泣いてくださり恐縮です」


 リオネルから受け取ったハンカチで目頭を押さえながら、フェリシエは口を開いた。


「リオネル様が、わたしを愛してくださっていないことは、わかっています。今はそれでもかまいません」


 この青年の心を動かすには、絶好の、そして数少ない機会だった。


「わたくしはあなたと結ばれ、あなたのお子を産みたいのです。リオネル様が子供を大切に思う気持ちは、理解しているつもりです。子供たちを愛してくだされば、わたくしを愛してくださらなくてもかまいません」


 わずかに驚いたような面持ちでリオネルはフェリシエを見たものの、けれどすぐに、深い紫色の瞳を相手から逸らした。


「どうかそのような哀しいことを仰らずに、真に貴女を愛する男性と結ばれてください」

「わたくしはリオネル様を愛しています」

「貴女には真に幸福になってほしいと願うのです」

「わたしの幸福は、リオネル様のおそば以外にはありえません」

「私は貴女を幸せにすることはできません」

「そのようなことはよいのです。おそばにいるだけで幸せなのですから」

「…………」


 黙したリオネルの腕に手を添え、フェリシエは背伸びをした。


 柔らかい身体がもたれかかってきて、リオネルは咄嗟にそれを避けようとしたが、フェリシエの手が回るほうが先だ。


「おやめください」


 静かに告げる低い声に、答える声はない。


 やわらかな日差しのもと、輝く花々に囲まれ、身体を寄せ合う二人。

 その傍らで、手折られた薔薇が哀しげに地面を見つめていた。








 小さく舌打ちしたのはヴィートである。

 それから、やや心配になって横に立つ人を見た。


 心配な気持ちになったこと自体が、負けを認めているようで悔しかったが、その人の横顔を見れば、そのような些末な気持ちは失せていた。


「アベル……その、なんだ。いい天気だな」


 久しぶりに騎士館から城のほうへ足を向けてみれば、シャルム庭園でリオネルとフェリシエが抱き合っているではないか。

 それを目にしたアベルは眩しそうに、けれど、どこか切なげに微笑んだ。


「とても仲がいいのですね」


 笑っているのに、泣きそうにも見える。その表情をまえにして、ヴィートはひどく慌てた。


「あ、あれは本当にリオネルか? 茶色い髪の男なんてどこにでもいるぞ。いやいや、そういう問題じゃなくて……なんでおれは、あの男をかばおうとしているんだ?」


 ひとりぶつぶつ言うヴィートに、「行きましょう」と声をかけてアベルは歩き出す。


「いいのか?」


 軽々と追いつくと、ヴィートは遠慮がちに尋ねた。


「なにがですか?」

「気に……ならないのか?」


 不思議そうな面持ちでヴィートを見上げてから、アベルは小さく笑った。


「あんなに仲がよさそうなんですから、お二人が仲違いなどすることはきっとありません。大丈夫ですよ」

「そうじゃなくて……」


 言い募ろうとして、けれど足早に歩き続けるアベルの姿に、ヴィートは嘆息する。


「まあ、いいか。これはおれの好機ということだ。そうだ。あんな浮気男は痛い目に遭っちまえ」


 ひとりつぶやき、ヴィートはアベルの後を追った。








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