第三章 花冠を、大切なきみに 40
目を覚ましてからの時間は、アベルにとっては苦行のようだった。
アベルの話を聞いてマチアスがこの部屋を飛び出ていったのは、昼前のこと。
今は、ようやく姿を見せた太陽も、すでに地平線を朱色の炎で焼きながら沈んでいくところである。
リオネルは戻らない。マチアスからの連絡もない。
アベルは気がおかしくなりそうだった。
傍らのジェレミーとは、最初だけ、ぽつりぽつりと話をした。ボドワンのところをどうやって出てきたかとか、リオネルやベルトランとどんな話をしたかだとか、これまでの経緯などである。
あとは、ジェレミーは思いつめたように黙っていた。
彼がなにを気にしているのか、アベルに想像できないわけではない。けれど、かける言葉は思いつかなかった。自らが絶望的な想像に足をとられぬようにするので精一杯だったからだ。
こんなとき、あの強く優しい青年なら、自らの不安を踏み越え、他人を励ます言葉をかけられるのだろう。アベルはそう思うと、余計に辛くなった。
自分にはそのような強さはない。
強くなれない。
不安で、心細くて、襲いかかってくるなにかに、耐えられなくなりそうになる。
主人ひとり、子供ひとり守れやしない……。
それでも。
神様、どうか、どうか、あの人を助けてください……。
アベルは祈り続けた。
落陽の光が完全に部屋から消え去ると、窓の外、遥かサン・オーヴァンの丘のうえにわずかに残った残照だけが、世界に唯一残された色となった。孤独な色だった。
太陽が姿を消すと、室内の温度はまたたくまにに下がる。
その寒さに、アベルは身震いした。
「寒いね、暖炉に火を熾そうか」
ようやくジェレミーは言葉を発する。
最後に会話を交わしたのがいつなのか、アベルには思い出せなかった。
「大丈夫です」
「でも……」
ジェレミーは火を熾そうと浮かしかけた腰を、アベルの言葉で、中途半端な状態のまま止めた。
「アベルは病気なんだよ。部屋を暖かくしなきゃ」
「リオネル様のご無事を知るまでは、どのような場所にいても同じです」
「…………」
頑固で、どこか突き放すような響きさえ感じられるアベルの口ぶりに、ジェレミーは口をつぐんだ。
目のまえにいるのは、確かにジェレミーが知るアベルのはずだが、それは暗闇のなかで、まったく別人のようにも感じられる。
リオネルを心から案じるアベルは、ジェレミーからとても遠い場所にいた。
「……じゃあ、せめて燭台に火を灯すくらい、いいだろう?」
ジェレミーの提案にアベルが返事できなかったのは、言葉を発したら、声が揺れて、震え、そして泣き出してしまいそうだったからだ。
張りつめていた気持ちが、切れそうだ。
リオネルが戻らない。
最後の残照が闇にかき消される。
この気持ちを、どのような言葉にすればよいのだろう。
――胸をかきむしられるほどの不安で埋めつくされていた。
自分の弱さが骨身にしみる。リオネルなしでは、なにもできない。
アベルは息苦しささえ覚えた。彼がいない世界では、息さえつけないに違いない。
……そのとき、なにかの音が、幻聴のようにアベルの鼓膜を打った。扉がわずかに軋む音を立てながら、ゆっくりと開いたのだ。
暗闇に染まった室内に、廊下の燭台の光が差し込む。
その光が、暗い室内に、複数の者の影を映しだした。
「……ジェレミー?」
扉の外から、訝るように少年の名を呼ぶ声。
アベルは大きく瞳を見開いた。そして、その姿を一刻も早く確かめたくて、身を起こそうとする。
すると身体中の痛みがアベルを襲い、身を縮めた。
「アベル――」
廊下から差し込むわずかな光から状況を察し、ひとりの青年が寝台に駆け寄る。
「気がついているのか――、無理に動いてはだめだ」
間近から聞こえてきたのは、求めてやまぬ声だった。
暗闇のなかで手を伸ばす。
気がつけば、アベルは相手の逞しい肩に抱きついていた。
「……リオネル様……!」
「アベル」
低い美音が闇に響きわたり、そっと、だがしっかりとアベルを抱きしめ返す。
あたたかい腕のなか。
そこは、アベルのよく知る場所――世界で最も安心できる場所だった。
ずっとこうしていたいような気がしたが、無理に腕を伸ばしたせいで、身体が悲鳴を上げる。それと同時に、主人に抱きついているのだという自覚が芽生え、恥ずかしさと、畏れ多いと感じる気持ちがこみあげてきた。
すっと痛みが消えていく。
気がつけば、リオネルがアベルの身体を寝台にそっと戻していた。
室内に明かりが灯る。
その光が映しだしたのは、燭台に火を灯すベルトラン、そして少し離れたところで見守るディルクとマチアス、そしてレオンの姿だった。
「アベル、気分はどうだい?」
ディルクの心配そうな声。
「遅くなり、申しわけございません」
すまなそうなマチアス。
「大変だったな」
レオンが、気遣うように言い、
「どうして、この部屋はこんなに寒くて暗いんだ」
ベルトランが、怪訝そうに言った。
彼らの姿とリオネルを見比べたアベルは、次第に胸からなにかが溢れていくのを感じる。
――どうして、この部屋はこんなに寒くて暗いんだ。
寒くて、暗かった。
長いことこの人たちと離れていた自分は、とても寒くて暗い場所にいた。
いや、違う。
逆だ。
――この人たちがいる場所は、なぜこんなにも温かく、明るいのだろう。
アベルの瞳に涙がたまり、そしてこぼれて、こめかみを伝った。
リオネルは無事だった。
生きて、ここにいる。
彼の命を、ここにいる人たちが守ってくれた。
ここにいる人たち――。
レオンにはひょんなことで最近会っているが、他の者は久しぶりの再会である。
ひとりひとりが懐かしく、そして大切で、愛おしい。
涙は次々と溢れて、こぼれ落ちた。
リオネルと、ここにいる彼の仲間が無事で、皆が笑っていてくれたら、それは今のアベルにとって幸福そのものだった。
「どこか痛むところはないか?」
目元をぬぐうアベルの髪へ、リオネルは切なげに触れる。
「きみは怪我をしているうえに、病を患っている。絶対に起き上がろうとしてはいけないよ」
「無事で――」
リオネルに髪をなでられる、そのぬくもりを噛みしめながら、アベルは伝えようとした。
この想いを。
「あなたが無事でよかった……」
「ああ、おれは無事だ。きみとマチアスのおかげで」
「本当に、本当に……よかったです」
「けれど、おれを救うために、アベルは怪我を負ってしまった」
わずかに低くなったリオネルの声。
「ベルリオーズで本の整理をしていたはずのアベルが、こんな姿でサン・オーヴァンにいたんだ。雨に打たれ、死んだように地面に伏しているきみを見たときは、心臓が止まるかと思った」
「……申しわけありませんでした」
アベルは、自分が叱られているのだと思った。
主人の命に背いて勝手な行動をとり、あまつさえ、身体はこの状態である。猛烈な叱りの言葉をぶつけられても、言い返すことはできない。
けれど、向けられたのは思いもよらぬ言葉だった。
「――いや、今回のことは、すべておれが悪い」
なぜリオネルが謝罪しなければならないのか、アベルにはわからない。
アベルは涙をぬぐえぬまま、水のなかにいるようにぼやけた視界のなかで、リオネルを見つめる。すると、リオネル言葉をつないだ。
「すまなかったと思っている。……無鉄砲で、向こう見ずで、自分の身を大切にしないきみが、どうしてこんな無茶をするかもしれないことに、おれは思い至らなかったのだろう」
すまない、と言っているわりには謝っているようには聞こえなかったが、リオネルの口調は真剣そのものだった。
部屋のどこかからか、押し殺した笑い声が漏れ聞こえる。
アベルの涙も、自然と止まっていた。
「……本当はわたしが悪いのだと、リオネル様はとても怒っていらっしゃるのですね」
沈んだ調子でアベルがもごもご言うと、
「違うよ」
とリオネルは、きっぱりと言った。
「アベルを片時でも離したおれが悪かったんだ。本気でそう思っている」
「…………」
「王都へ、きみを伴うべきだった。今回の失敗はもう繰り返さない。もう二度と離れないと誓うよ」
まるで愛を告白するような台詞であったが、アベルはやや別の解釈をしていた。
つまり、主人であり、命を懸けて守りたいと思う相手から、「常にそばで警護にあたる許可」をアベルは得たというわけである。……理由はともかくとして。
「無鉄砲で、向こう見ずで、自分の身を大切にせず、無茶ばかりするにもかかわらず、アベルの命に別状がなかったことだけは、不幸中の幸いだ」
先程と同様の言い回しを繰り返し、リオネルはあらためて深いため息をつく。
アベルは複雑な表情になった。
「やはり、リオネル様は怒っているのですね。そうならそうとはっきりおっしゃって下さったほうが……」
だがアベルを見返したリオネルの瞳は、はっとするほど真剣で、また神秘的なほど深く、アベルは息を呑む。
「きみに万が一のことがあったら、おれはこの先、生きていけなかった」
その瞳に魅入られ、まばたきひとつできない。
「今回、アベルは実にアベルらしい行動をとった。その行動を予測できなかったのは、おれの失態だよ。きみは、きみらしく行動しただけだ。すべてはおれの読みが浅かったということだ」
なんともいえぬ面持ちで、アベルはリオネルを見つめ返した。
どう返事をしていいのか――するべきなのか、わからない。
リオネルの真の考えも、よくわからなかった。本当にリオネルがアベルに対して怒っていないのか、そのあたりが読み切れない。
そんなアベルの心情を察したように、リオネルはふっと笑む。
「探るような目でおれを見ないでくれ」
「ごめんなさい、そんなつもりじゃ――」
「おれはアベルに礼を言わなければならない。陰謀のことをきみが事前に知り、マチアスに伝えなかったら、おれは今頃ここにはいられなかっただろう」
「リオネル様……」
「ありがとう、アベル」
素直な感謝の言葉に、アベルの瞳から再び涙が溢れる。
自分のやってきたことは無駄ではなかったのだと、このときはじめてアベルは実感することができた。
命令に背きベルリオーズ領を飛び出してから、本当は不安もあったし、リオネルやラザールに対する罪悪感が常につきまとっていた。けれど、それは報われたのだ。リオネルを救うことによって。そして、彼の言葉によって。
旅の途中で出会ったタマラやミーシャのこと、幾度もひとりで見た夕焼け、ボドワン親方に雇ってほしいと申し出たときのこと、ジェレミーと過ごした時間、煙突の上から見た広い空、陰謀を耳にしたときの恐怖、ジェルヴェーズに加えられた痛み、冷たい雨……様々なことが思い出され、それらがアベルの胸を濡らした。
「アベルのおかげで、おれはまだしばらく、シャルムの美しい青空を見ることができるよ」
「まだしばらく、なんて言わないでください。あなたが白髪になるまで、飽きるほど見ることができます」
愛おしそうにリオネルはアベルの髪に触れる。
――美しいシャルムの青空。
まだしばらく見ることができるとリオネルが言ったそれは、ほかでもない、アベルの澄んだ空色の瞳のことである。
白髪になるまで、そばで見つめていられたら、どんなにか幸せなことだろうとリオネルは思う。けっして見飽きることなどない。
「ありがとう、アベル」
リオネルが繰り返すと、ベルトランが聞いておられぬといった様子で、頭に手を置き、天を仰いだ。
ディルクはしかたなさそうに、だが、ほほえましいものを眺めるように優しい笑みをたたえていたが、マチアスはただじっと見守っているだけだった。
リオネルは、そっとアベルから視線を外し、斜め後方を顧みる。そして相手の名を呼んだ。
突然、声をかけられた少年は、ひどく驚いたように肩を震わせる。
「ジェレミー、あらためてきみにも感謝する。アベルのことを、おれに教えてくれてありがとう」
少年はうつむいた。
「おれは……」
「今日のことを気にしているなら、それはもう終わったことだ」
うつむいたままのジェレミーの髪が、かすかに揺れる。
「伝言を忘れたのは、それだけアベルのことが心配だったからだろう? きみが心配してくれたからこそ、アベルは致命的な状態にならずにすんだのだと、おれは思っているよ」
ジェレミーは目元を乱暴に手の甲でこすった。
涙が溢れそうになったのかもしれない――、目がかゆかったのかもしれない。
けれど、顔を上げたときのジェレミーは、十二歳とは思えぬ、確かな意思を秘めた眼差しをしていた。
「ありがとうございます。貴方が無事でよかったと思っています。それと、アベル」
ジェレミーはアベルに向き直った。
アベルがかすかに顔を動かし、そばに立つジェレミーをそっと見やる。
「おれはまだ十二歳で、お金もなくて、力もなくて、頼りなくて……なにもないけど、これから頑張るから」
かわいらしい宣言に、アベルは口元をかすかに笑ませた。
「アベルから借りたお金も、ちゃんと働いて返す」
「そんなのいいんです」
「ううん、絶対に返す」
ジェレミーの語調は驚くほど強かった。
「借りたものはちゃんと返すし、おれが自分で働いたお金で、シャサーヌのエシャロットスープとパンを、きみにご馳走するから」
「スープとパンを?」
「おれを自由にしてくれたのは、アベルだ。だから、それだけじゃない、もっといろんなものをお礼にご馳走するよ。待ってて、おれが大きくなるまで」
先程までの沈んだ雰囲気とは違い、ジェレミーが元気になったように見えたことが、アベルは嬉しい。だから、笑顔で答える。
「待っています」
ほしかった返事を得て、ジェレミーは顔を輝かせた。
ためらいつつも、アベルの寝台に歩み寄り、その手をとる。
「頑張るよ。強くなる。アベルみたいに」
白いシーツのうえで、出会ったころよりも弱々しく見えるアベルの姿に、ジェレミーは胸がしめつけられた。
弱々しく見えるのに、この人は強い。そのことをジェレミーは知っている。
「カミーユが」
手が離れた瞬間だった。これまで黙って様子を見守っていたディルクが突如発した名に、アベルの心臓が跳ねる。
「アベルに会いたがっていたよ」
「え?」
「彼を助けてくれて、ありがとう」
アベルの心臓は早鐘を打ち、その音が、部屋中に響いているような気がした。
ディルクとカミーユのあいだに交友があることは、以前から知っている。
――どうやらカミーユが、あの事件のあとも無事であったようだと悟り、アベルは心から安堵した。
「カミーユは、おれが婚約していた女性の弟なんだ。アベルが助けてくれなかったら、彼はどうなっていたかわからない」
ディルクの様子からは、彼がカミーユを大切に思っていることが、手にとるように伝わってくる。
「心から感謝してる。カミーユもだ。きみに手紙を書くと言っていたけど、残念ながら今日は間に合わなかったんだ。今度、直接受けとることはできないかな」
「それはできません」
「ん?」
あまりにも返答が早かったので、ディルクは聞き間違えたかと思い問い返す。
アベルはためらいつつも、焦る気持ちで繰り返した。
「……カミーユ様には、お会いできません」
ディルクは軽くまばたきした。
その傍らで、密かにマチアスが表情を消し去る。――自らの表情から、だれかになにかを悟らせぬためである。
「なぜ?」
ディルクは不思議そうに首を傾けた。
「……それは、えっと……直接に感謝されるのは、苦手だったりするので……」
ディルクだけではなく、ベルトランやジェレミー、すぐそばからリオネルの視線まで受けて、アベルはしどろもどろ答えつつ瞼を伏せた。マチアスではないが、己の心情を隠すためである。
「そうか」
やや残念そうにディルクは言った。
「うん、無理はしなくていいよ。でも、カミーユは心からアベルに感謝していたから、会わなくてもいい、手紙だけは受け取ってやってくれないか」
アベルは小さくうなずいた。
本当は会いたくてしかたがない。会って、この腕にしっかり抱きしめたい。またかつてのように笑いあいたい。
かわいい弟。
思いに反する態度をとらねばならないことは、アベルにとっては、身を引きちぎられるように辛いことだった。
「手紙だけなら」
瞼を伏せたまま、小声で言う。
せめて手紙だけでも――カミーユの書いた文字にだけでも、触れたい。
「ありがとう、アベル。近いうちにカミーユから受けとっておくよ」
窓の外で、木の葉がざわめいた。風が出てきたのかもしれない。
ベルリオーズ家別邸を包んでいるのは深い闇。
気温が上がってきたのか、庭園に灯る松明が照らしだす大気は、少し霞んでいた。
だが、遥か遠く、わずかな雲間からときおり垣間見えるのは、たしかに春の星座。
風が、明日の朝までに、すべての雲と霞をさらっていってくれるだろうか。
「アベル、気分は?」
言葉少なであるアベルに、リオネルが心配そうに尋ねた。
「なにかあれば、ドニを呼ぶよ」
「……大丈夫です。あなたの無事を知り、なんだか身体までらくになりました」
素直な言葉に、リオネルは微笑する。
答えるアベルの口調は、しっかりしていた。けれど、さすがに顔には疲労の色が浮かんでいる。
途中で起こされてからというもの、絶えずリオネルの身を案じながら過ごしてきたのである。リオネルの無事を知った今、こみあげてくる安堵と共に、アベルは重い眠気に襲われていた。
「ゆっくりおやすみ」
リオネルの言葉に、アベルは視線だけを相手に向ける。
「眠いんだろう?」
驚きながらもアベルは小さくうなずいた。……この人には、なにも隠せない。
「もうなにも考えなくていい。なにもかも忘れて、まっさらな夢のなかで眠るといい」
「リオネル様は?」
アベルは不安だった。
リオネルが宮殿に戻れば、別の罠が張り巡らされていて、再び彼に危険が迫るのではないかと。そう考えると〝なにもかも忘れて、まっさらな夢のなかで〟眠ることなどできるはずがない。
リオネルは安心させるように笑んでみせた。
「おれはずっとここにいる」
予想していなかった返答に、アベルはつい確認してしまう。
「……王宮へは?」
「行かなくていいことになったんだ」
一方的に五月祭を欠席すると表明したわりには、「行かなくていいことになった」とは、ずいぶんと控えめな口ぶりである。
「ああいう集まりは、なにかと疲れるだろう? 少し館でゆっくりさせてもらおうと思って」
事の経緯を知るディルクは、リオネルの背後で苦笑している。
招待された五月祭に出席しなくてよいのだろうか。アベルはそう思わずにはおれなかったが、城へは行かないとリオネルは言っているのだから、これ以上質問を重ねる必要はない。あの怖ろしい宮殿に赴かずにすむなら、それに越したことはない。
「だから、アベルはなにも考えずに眠っていていいんだよ」
リオネルの言葉を聞きながら、すでにアベルは猛烈な眠気に襲われていた。
心地よい眠気だ。
視線を、リオネルからジェレミーへ、そして、ベルトラン、ディルク、レオン、そしてマチアスへと移し、それから、最後に再びリオネルへ。
深い安堵が、アベルを包む。
皆が無事な姿で、ここにいる。
これから先も、ずっとこうしていっしょにいられたらいい。
そして笑いあっていられたら。
……そのそばに、自分もいられたなら――。
どれほど幸せだろう。
霞む宵。
意識を失う直前に、窓外の景色が瞼に映り込む。
――春の歌が、聞こえるような気がした。