21
騎士館にある食堂は、夕餉の時間になり、男たちでごった返していた。
広い食堂内には、巨大な食卓が五列に並べられ、その両脇に背もたれのない木の長椅子が置かれている。天井は高く、窓は大きいが、宮殿や離宮に比べると飾り気がなく、質実剛健な装いだった。
話し声、スプーンやフォークが食器にぶつかる音、食事の匂い、薪が燃える香り、それらが広い食堂内で混ざり合って独特の雰囲気をつくっている。
新年を実家で迎えた者も、王宮に残った者も、この日からは全員顔をそろえての夕餉となった。
「レオン、それだけしか食べないのか?」
ディルクは、先に食卓に腰かけていたレオンを見つけて、声をかける。年明けの第一声がそれだった。
ディルクはアベラール領から王都に戻り、荷物を部屋に置き、荷ほどきする前に食堂へ腹ごしらえにきたところだ。明日からは稽古漬けの日々が再びはじまる。
「ああ、ディルク。元気そうだな」
「おまえは、元気なさそうだな」
「正直、まいっている」
「そうそう。新年のお慶びを申し上げます、王子さま」
「慶べるか」
レオンはあえて空気を読まないディルクに、不機嫌に言い捨てた。
「どうしたの? 風邪でもひいた?」
さすがに食べ過ぎて体調が悪いとはレオンも言いづらい。そんなことを言えば、ディルクにどれだけ笑われるか分かったものではない。
「……ちょっとな」
「ふぅん」
納得いかない顔で、ディルクは、レオンの向かいに食事の盆を置いた。その上には、豚肉と白インゲンのカスレ、パン、根菜のスープが、乗っている。
「どうせ、饗膳でも食べすぎたんだろう」
図星をつかれて、レオンは渋面をつくった。
「結論から言えばそのとおりだが、いろいろ事情があるのだ」
「わかるよ。貴族連中とのくだらない宴に参加させられるおまえは、本当に大変だと思う」
ディルクの反応に、レオンは拍子抜けした。すっかり馬鹿にされるものかと思いきや、レオンが置かれた状況を理解しているようだったからだ。
「ジェルヴェーズ殿下あたりがいると、ろくな話にはならないだろうからね」
「…………」
「おれも騎士に叙任されれば、面倒な集まりに出席させられるんだろうな」
「ああ、シュザンの稽古のほうがましだ」
「そんなに叔父上の稽古は嫌い?」
質問してきた声は、ディルクではなかった。
「お、リオネル。久しぶり」
声がしたほうを振り返って、ディルクは手を上げる。
リオネルの声が、シュザンの声と似ているので、当の本人に聞かれたのかと一瞬思い、レオンは心臓が跳ね上がった。
「久しぶり」
リオネルは二人に笑顔で答える。アベルがベルリオーズ家の居候になって六日が過ぎ、リオネルも別邸から王宮の騎士館へ移ってきていた。
リオネルは、すっきりした表情のディルクと、顔色の悪いレオンを見比べる。
「二人とも、元気そう……だね?」
「これのどこが元気に見えるんだ?」
ディルクは呆れ顔で、レオンを指差す。
「いや、指摘すると悪いと思って、あえて言わなかったのだけど」
リオネルの気遣いは、ディルクの悪態よりも、レオンにはこたえた。
「そんなにおれはひどい顔をしているのか」
「…………」
レオンのつぶやきに、リオネルは答えない。もちろんそれが返事だ。
リオネルは、ディルクの隣に腰かける。その横に、二人に軽く会釈だけをして、ベルトランが座った。
「どんな顔をしていても、シュザンの稽古を受ければ、すぐいつもどおりに戻るよ」
リオネルのありがたい助言に、レオンは顔をしかめる。
「おまえは、優しい言葉というもののなかには、毒が潜んでいることを知っているか?」
突然そう言われ、リオネルは首を傾げた。
「そういうものかな」
「……わざとだろう」
「優しい? リオネルが? そうかな」
ディルクはレオンの言葉に反論する。
「けっこう意地が悪いよこいつは。なあ、ベルトラン」
ディルクは、リオネルを挟んだところに座る赤毛の男に声をかける。けれど話をふられたベルトランは食事を中断せずに、さあ、と首を傾げただけだった。
「あいかわらずここでは寡黙だね、用心棒殿は」
「なるべく目立たないようにしてくれているんだよ」
「充分に目立っていると思うが」
そう評したのはレオンだ。新年の宴で、ジェルヴェーズたちが話していたことを思い出し、この二人の身に、危害が加わらないとよいが、とレオンは思った。
「まあ、目立っているからこそ、おいそれと手をだせないのだろうな」
レオンの呟きを、前に座るディルクだけが耳聡く拾った。
「宴でリオネルになにか仕掛ける算段をしていたのか?」
「え? それは、さあ、どうなのだか……」
慌てたレオンに追い打ちをかけたのは、リオネルの声。
「なんの話?」
「べ! 別に、いや、その……あ、ほら、空が青いなと思って」
「…………」
リオネルとディルクは、レオンが指差す窓を見上げたが、そこには星も光らぬ夜の闇があった。
「暗いから分かりづらいけど、もしかしたら、青いのかもしれないね」
リオネルはそう言ってから、何事もなかったかのように、皿に視線を落としてスープをすくいあげる。
「……やはりリオネルの優しさは毒気だな」
「違うよ。実のところ、意地が悪いんだよ」
「おまえのほうが、よっぽど人が悪いと思うが」
「見る目ないね、レオン様」
「…………」
「その手、どうしたの?」
レオンが黙ったところで、不意にディルクがリオネルの右手に巻かれた包帯に気がついた。
「怪我? 珍しいね」
「いや、これは……猫にひっかかれたんだ」
「猫……? 猫なんて、おまえの屋敷にいた?」
「……拾ったんだよ、この冬に」
「へぇ。ひっかく前に、よくベルトランがその猫を、剣で叩き切らなかったなあ」
ディルクがそう言うと、リオネルは苦笑しただけだった。その代わり、珍しくベルトランが答える。
「とんでもなく、お転婆な猫だ」
食事をほとんど残したレオンが先に食堂を去り、残って食事を終えた三人は、部屋に戻る途中の長い廊下を歩んだ。幼いころから、共に過ごす時間の多かった三人である。気兼ねない空気が流れていた。
時折すれ違う騎士が、リオネルに頭を下げていく。それらに軽く目で答えつつ、リオネルは、しばらく気になっていたことをディルクに尋ねた。
「ディルク、その雰囲気だと、婚約者殿の弔問はつつがなく終わったのか?」
「え? ああ、そうだね」
ディルクは問われてリオネルに向けた顔を、今度はうつむけて答えた。
「デュノア伯爵と、彼女の弟に会ってきたよ」
「どうだった」
「うん、なんだかね……伯爵は、そう見えただけかもしれないけど、淡々としていたよ。悲壮感も、おれに対する敵意も感じなかった。かたや十一歳になる彼女の弟には、殺されかけた」
リオネルは驚いてディルクを見る。
「殺されるって?」
「シャンティが死んだ池に、おれをつき落とそうと思ったみたいだ。でも、このとおり、無事だった」
「それは……おとなしく突き落とされるディルクではないだろうね」
友人の自分への評価に、ディルクは少し笑った。
「それでもいいと思っていたんだよ。まだ死ぬ気はないけど、彼女が眠っている池に、つき落とされるくらいはかまわない」
「…………」
「彼も、苦しんでいたみたいだった。本当に、申しわけないことをしたと思っている」
「ディルクのせいだと決まったわけではないだろう」
「少なくとも弟殿は、そうは考えていなかったみたいだった」
「仲違いして別れたのか?」
「いいや、それが、おれなんかよりよほどしっかりしたやつで……もしおれが彼と同じ立場だったら、あんなふうに振る舞えないと思う。確実に相手を殺しているだろうな」
「きちんと話ができたのか」
「ああ、また来てほしいと言ってくれたよ」
「……そうか。よかったね」
「よかった、のかな」
「弟殿がよければ、それでよかったのではないかな。いくら表面をとりつくろっても、憎い相手にまた来てほしいとは言えないよ」
「そうだね」
家族が謝罪を受け入れたのであれば、あとは、ディルクが自分の罪の意識とどう向き合っていくかの問題だ。
三人が、広めの相部屋に戻ると、レオンがしんどそうに寝台に横たわっていた。