21
「久しぶりだな」
エルネストは目を細めて甥を見やった。
青年の姿は、否が応でも愛した女性を思いおこさせる。
こうして彼を目の前にすれば、討伐で命を落とすことなく凱旋したことを、心のどこかで安堵する自分がいることに気がつき、エルネストはやり切れぬ思いになった。
己の過去を正統化するため、そして息子の玉座を安泰にするため、リオネルを亡きものにすることに踏ん切りをつけたはずであったのだが――。
「ラ・セルネ山脈における賊の征伐、誠に見事であった」
「ありがたきお言葉です、陛下」
「ディルク・アベラール、そなたもよくリオネルを支え、尽力してくれた。そなたらの功績は、五月祭の日に称え祝杯を上げるとしよう。討伐に参加した他の諸侯にも書面を送ってある。五月祭に全員が集まることはできぬが、気持ちは我らと共にあろう」
討伐に参加した諸侯やその臣下は、少なからぬ痛手を被っている。そのうえ、彼らがいるラ・セルネ山脈沿いの地域は王都から遠く、五月祭に間にあうように駆けつけることはできなかった。
怪我を負ったブリアン子爵や、フォール家のセドリック、ラロシュ侯爵をはじめ多くの家臣を失った諸侯らの面々、そして負傷した兵士たちの姿を思い浮かべながら、リオネルはそっと答える。
「自らの土地を、そして領民を守るために戦った者たち、そして命を賭した者たちの魂と共に、私たちはこの宮殿に参ったつもりです」
リオネルの言葉は、優しい響きに包まれていたものの、正騎士隊を動かさず諸侯らだけに負担を強いた中央政府への批判も暗にこめられていた。
そのことにエルネストは気づいているのかどうか、
「……さようか」
とだけ、重い口調で返す。
「ところで、陛下に伺いたきことがございます」
ためらいを一切感じさせない声音で、リオネルは国王に告げた。この謁見の場において、会話の主導権をつかんでいるのは国王ではなく若き家臣のほうにさえ見受けられた。
「言ってみなさい」
エルネストはわずかに表情を硬くして、リオネルを見据える。この青年が、真っ向から尋ねてくることがなんなのか、興味と警戒心が同時に生じた。
「私たちと共に討伐に参加なされたレオン殿下の姿が本日は拝見できませんが、いかがなされたのでしょうか」
そのことか――、とエルネストは意外に思う。
考えてみれば、当然のことである。目前に跪いている二人の青年は、レオンと共に修業した従騎士時代の仲間でもあるのだ。安否が気にかかるのは当然のことである。
そう考えてから、どこかほっとしている自分に、エルネストは気がつき戸惑う。
――自分はいったいなにを怯えているのだ。
この年若い甥に対して、なにを恐れているのか……。
「レオンは、疲労から体調を崩している。だが重い症状ではないと聞いている。案ずる必要はない」
国王の口調がややそっけなくも聞こえたので、妻のグレースを含めて、周囲の者は不思議そうな面持ちになった。実のところ、エルネストは我知らず己の戸惑いを隠そうとしたため、このような答え方になってしまったのである。
けれどリオネルは臆することなく尋ねた。
「お見舞い申し上げることは可能でしょうか」
「今は、ひとりで休みたいと申している。だがレオンは、そなたにとり従兄弟であり、共に修行した仲間でもある――快復したら面会するといい」
答えているうちにエルネストは平静さを取り戻し、普段通り息子を案じる父親の顔を垣間見せる。王の様子からは、レオンは本当に疲れて休んでいるだけのようにも見受けられた。
「ではご快復をお待ちいたします。ただその前に、手紙を一通したため、陛下直臣の手から直々に、レオン殿下にお渡し願うことはできますでしょうか」
「……手紙?」
「我々がレオン殿下のご快復をお祈りする気持ちを、お伝えしたく存じます」
「かまわぬだろう」
快くとまではいかなくとも、エルネストは承諾した。リオネルがレオンに害を成そうと企んでいるとも思えなかったし、断る理由もなかったからだ。
けれど、エルネストにとっては意外な者が、この件について口出しをした。
――もうひとりの息子、ジェルヴェーズである。
ジェルヴェーズにとっては、そのようなことをされたら甚だ不都合だった。
エルネストの直臣が手紙をレオンに渡しにいけば、彼の容体がどれほどのものか父王に知られてしまう。そうなれば、エルネストはなにが起こったのか、レオンに問いただすであろう。
レオンの性格からしてジェルヴェーズの名を父に語るはずがないが、可能なかぎり阻止したい事態ではあった。
「それほどまでに、レオンのことが気にかかるか」
壇上から、跪く青年に向けられたのは、威圧的な声だった。
リオネルは視線を壇上のジェルヴェーズへ向ける。
そのとき初めて、二人は真っ向から視線を交わした。
――交わしたといっても、それはもっと静かで、だが、もっと激しいものだったかもしれない。
視線は、絡み合ったわけでもなく、ぶつかり合ったわけでもない。
ジェルヴェーズの冷ややかな眼差しと、リオネルの深い紫色の目が、互いをとらえる。
従兄弟の瞳を見返したまま、一瞬のうちに逡巡した挙句、
「具合が悪いとうかがえば、気にならないはずはございません」
と、リオネルは曖昧な返答をした。
心から案じていると本音を口にすれば、レオンの立場が危うくなる。レオンがリオネルの――つまり王弟派側にいると思われたら、危険だ。けれど、案じていないと言えば、それは不敬にあたる。
だから、リオネルは一般論を――しかも正論を持ち出したのだ。
知人が体調を崩していると聞いて、案じない者はいないだろう、と。
この答えを聞いていたフィデールは皮肉っぽく笑み、ジェルヴェーズはいっそう冷ややかな視線をリオネルのうえへ落とした。
「手紙などを受け取れば、『ひとりでいたい』と言う病人としては気が休まらぬ。本当に案じているのであれば、出さないことが賢明と思え」
リオネルは沈黙する。
「そうは思われませんか、父上」
玉座に腰かける父王に憚り、ジェルヴェーズは同意を求める。エルネストが一度は承諾したことだからだ。
まさかジェルヴェーズがレオンに薬を飲ませたなどとは夢にも思わぬエルネストの目には、ジェルヴェーズの態度がごく自然なものとしか映らかなかったことも、しかたのないことだったかもしれない。
「それもそうかもしれぬな」
国王の言葉の最後に、おっとりとした声音がかぶさる。
「手紙くらい、よいではありませんか。従兄弟同士ですよ」
その声は、この場で初めて発言した王妃グレースのものであった。
むろんジェルヴェーズは心中で舌打ちしただろうが、実の母に怒鳴るわけにもいかない。
おっとりとしたグレースにはわからなかったかもしれないが、周囲の者には、ジェルヴェーズの機嫌が損なわれていくのが手に取るように見えていた。
国王エルネストは、妻のグレースに弱いところがある。
それは、愛情からくるものではない。むろん、親族としての「情」がないわけではなかったが、妻に頭が上がらないのには他の理由があった。
妻グレースが第一子目であるジェルヴェーズを孕んでいるあいだ、自分は弟の婚約者に心を奪われ、「王妃とは離縁し、子供からは王位継承権を奪う」とまで言って求婚し、さらには病でこの世を去った今でも、未だに彼女のことを忘れられないでいる。
夫の心に、妻が全く気づいていないわけがない。
けれど、グレースは結婚した当初から現在まで穏やかそのものである。
彼女が不満を漏らしたこともなければ、心離れを責め立てたこともない。
そのグレースの態度は、彼女の兄であり、エルネストの腹心であるルスティーユ公爵との関係を良好に保たせているし、シャルム国王としての威厳をも守ってくれている。
息子の気持ちもわからぬでもないが、ここは妻の意見を尊重しないわけにはいかない場面だった。
けれど、エルネストがなにかを言うより先に、グレースはリオネルに告げる。
「手紙はわたくしがレオンに渡しましょう。わたくしもレオンの体調が気になっていたところなのです。ちょうどよいきっかけではありませんか。『ひとりでいたい』などという我儘につきあうのも、今日までといたしましょう」
そう言ってグレースはほがらかに笑う。
リオネルが深く頭を下げて礼を述べたとき、ジェルヴェーズを包む空気がまたたくまに激しい怒りを帯びた。
国王夫妻がいなければ、怒りに任せてリオネルを殴りつけていたかもしれない。
このような事態になるならば、いっそレオンを別の場所に監禁しておけばよかったと、ジェルヴェーズは腹立ちまぎれに思った。母グレースは、思わぬところで勘がよいのだ。
毒を飲ませたのが自分だと知られれば、甚だ都合が悪い。
「母上、それでは手紙は私が渡しましょう」
「ジェルヴェーズ、あなたが?」
「それでよいな、リオネル」
確認するジェルヴェーズの声には、有無を言わせぬ強引な響きがある。断ればどうなるか、だれもが察することができた。
けれどリオネルは毅然とした態度を崩さなかった。
「王妃様にお願いいたしたく存じます」
広間にいる貴族らが、息を呑む。
重い沈黙。
すっとフィデールが組んでいた腕を解く。
……ジェルヴェーズの瞳に炎が灯る。
「私に手紙は託せぬと?」
もはや隠しきれぬ怒りを孕んだ声だった。
それでもなお、リオネルは少しもひるまない。
「王妃様のご厚意を無駄にしたくないと思ったがゆえです――殿下の申し出につきましては、身に余るものと心得ております」
ジェルヴェーズが沈黙すると同時に、不穏な空気が流れた。
リオネルの背後に控えるベルトランは、視界の片隅にある己の長剣の位置を確かめ、そして密かに右手に力を入れる。
傍聴していた貴族たちは、息を殺す。
国王エルネストも、気性が激しい息子がどのような行動にでるのか予測できるはずもなく、だが、なにかがあったときには、この場を収めることができるのは自分しかいないということもよくわかっていた。
エルネストが目線だけで息子を制しようとした、そのときだった。
「私のことか? それなら心配は無用だ」
暖炉の脇の扉から姿を現し、空席だった壇上の椅子に腰かけたのは、レオンである。
会場内の空気が一変し、驚きの声が広がった。
本日は欠席と伝えられていた第二王子が、突如、姿を現したのだから。
驚いたのは、壇上にいた者も同様である。
「そなた、体調は戻ったのか」
「ええ、父上。お陰様で」
そう答えるレオンは、ひどく痩せた――というよりやつれていた。
「……レオン」
ただ苦々しげに名を呟いたのはジェルヴェーズで、レオンは疲れた顔を兄王子に向けると、なにも語らぬまま、目前に跪く友人らへ視線を移した。
「リオネル、ディルク――」
名を呼ばれた二人がはっきりと顔を上げると、レオンはひどく懐かしそうに目を細めた。
「何日ぶりかな。よく王宮に来てくれた。私の身を案じてくれたこと、感謝する」
「殿下のお姿を拝見でき、大変嬉しく存じます」
答えたのは、ディルクである。普段のディルクとレオンの関係を知っている者からすれば、思わず吹き出してしまいそうな会話だった。
貴族らの顔にも安堵の色が広がる。
この場でジェルヴェーズがリオネルを殴りつけたり、斬りかかったりでもしていたら、たちまちシャルム国内は混乱に陥っただろう。それが回避できたのは、この場にレオンが無事な姿を現したからに他ならない。
「皆、心配していたのですよ」
声をかけてきた母に、レオンは心からすまなそうな顔を向けた。
「ご心配をおかけして申しわけございません、母上。正直なところ、私も心配でした」
「……は?」
意味がわからぬという様子のグレースに肩をすくめてみせてから、レオンは自分にしか聞こえぬほどの声でつぶやいた。
「今回ばかりは、本当に死ぬかと思ったよ」
と。
公式な場であるためリオネルとディルク、そしてレオンは目線だけで互いの無事を確認しあい、その後、国王は再び討伐に参加した貴族らの功労を称え、王妃も称賛の言葉を添え、なごやかな雰囲気で謁見は終了した。




