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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第三部 ~五月祭は、春の歌と花冠をきみに~
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20







 広間の片側にあるいくつもの扉窓からは、燦々と真昼の陽光が差し込み、大理石の床に白い日溜まりを作っている。


 等間隔に並んだ窓のあいだ、壁の空洞に悠然と立つ石像もまた、正面から強い光を受け、乳白色に透けて輝いていた。


 広間の奥には彫装飾が施された暖炉があり、床は他より一段高くなっている。

 壇上に据えられているのは黄金と宝石で飾られた玉座で、その両脇にある銀色の椅子は、玉座には劣るものの、煌びやかで美しい。


 壇上の席に、まだ王家の姿はなかった。


 シャルム宮殿内、「舞踏会の間」である。


 隣接する大回廊とほぼ同じ造りの広間で、大回廊と同じく普段は貴族たちが憩ったり待ちあわせの場になったりもするが、「舞踏会の間」という名のとおり、宴や舞踏会が催される際にはその会場になり、この日のように賓客との接見や儀式の際にも利用される場所である。


 今その広間に居並ぶのは、そうそうたる顔触れのシャルム貴族たちだ。

 彼らが立ち並んでいるのは、広間の中央に敷かれた長い絨毯の両脇で、皆、ひそひそと会話を交わしながら、そのときがくるのを待っていた。


 シャルム王家の紋章――菖蒲イリスの花――が描かれたこの絨毯の上を、もうすぐひとりの青年が歩いてくる。

 青年はそれから、壇上に座す国王夫妻及び王子らと謁見するだろう。


 その光景を目にするのを、貴族らは各々の心持ちで待っていた。


 最も玉座に近い場所には、ルスティーユ公爵やブレーズ家嫡男フィデールの姿もある。彼らにとっても、リオネル・ベルリオーズの姿を直接目にするのは、これが初めてのことだった。


「フィデール殿」


 普段から口数の多くないブレーズ家の嫡男に語りかけたのは、ルスティーユ公爵である。


 ブレーズ家の父子はそろって無用なことは語らぬたちであるが、けれど議論の場になると相手を言い負かすほど弁が立つ。

 顔立ちはさして似ているわけではないが、内面的なところでは、ブレーズ公爵とフィデールは似通ったところが少なからずあった。


「五月祭で、ジェルヴェーズ殿下に対し、リオネル殿に忠誠を誓わせるという貴殿の案は、実に巧妙で素晴らしい。そうなれば、王弟派の者たちがいくら悔しがったとて、吠えたてるわけにはまいりませんでしょうな」

「お褒めにあずかり光栄です」


 さして嬉しかったわけではなかったが、フィデールはほほえんでみせた。


「誠にお若いにもかかわらず賢明でおられる」


 さらなる世辞に対しては、フィデールは黙している。公爵がなにかを言おうとしていることに気づいていたからだ。


「――しかし、フィデール殿」


 公爵は早速、切りだした。


「五月祭以前に、リオネル殿がお亡くなりになってしまえば、それが最も単純かつ明快な形だとは思われませんか?」


 しばし沈黙したのち、フィデールは丁寧に、だが冷ややかな響きのこもった語調で答える。


「さて、不幸な病か事故などが、自ずとこの数日のうちにリオネル殿を襲うのでしょうか。そうでなければ、宮殿は大変な騒ぎになります。どれほどの騒ぎか、公爵殿ならばおわかりになりましょう?」


 大変な騒ぎ――それは、リオネルが国王派の者によって暗殺されたと王弟派貴族が騒ぎ立て、シャルム貴族間で争いが生じることである。それが宮殿の外へ波及するのは、時間の問題だ。


「下手なことをすれば、己の首を絞めることになります」

「いや、もしそうであれば……という話です。私は、リオネル殿が生きているかぎり、妹や甥たちの将来について安心できないのですよ」


 妹とはグレース王妃、甥とはジェルヴェーズ王子とレオン王子のことである。


 つまり、リオネルがジェルヴェーズに忠誠を誓えば、それはそれで一定の安心感は得られるが、それだけでは、いつまた将来的にリオネルを玉座にと推す声が高まるかわからない。いっそのこと、早い段階でリオネルを始末してしまいたいということだ。


 以前から、ルスティーユ公爵が結果を急いでいることは、フィデールも知っていた。だからこそ、数知れぬ刺客をリオネルの誕生直後から彼の周辺に送ってきたことも。


 ようするに、ルスティーユ公爵の考え方は硬直的なのだ。性急に結果を急ぐため、強引な手段しか思い浮かばないとみえる。


 フィデールはただ次のように告げただけだった。


「お気持ち、お察し申し上げます」


 ここでルスティーユ公爵を説き伏せようとしても、彼の考え方が変わることはないだろう。逆に反感を抱かれても面倒である。


 ブレーズ家跡取りの考えが読み切れず、


「フィデール殿は誠に賢くておられる」


 と、ルスティーユ公爵は探るようにフィデールを見やる。

 けれどフィデールは、うっすらと口元を笑ませただけであった。







 広間に隣接する「控えの間」では、リオネルとディルクがゆったりと肘掛椅子に腰かけていた。


 さすがに、葡萄酒を片手に……というわけにはいかないが、これから国王に謁見するとは思えぬ落ち着きようだ。


「くそ髭じじいの、くそ面を見るのは、何年ぶりかな」

「おれは、騎士館の鍛錬場で会ったのが最後だ」


 リオネルが答えると、


「おれは何度か宮殿内で見かけているからな」


 とディルクが記憶を辿る。


 ディルクはリオネルと違い、宮殿の夜会などに密かに出入りしていた時期があるのだ。

 本来、従騎士の身分では許されぬことだが、多くの若者はその掟を破っていた。

 むしろリオネルのように生真面目に守っているほうが珍しい。


 この日、二人は正装していた。

 リオネルは濃紺を、ディルクは深緑色を、それぞれ基調にした礼服をまとっており、彼らは普段より一段と凛々しく美しい。


「あいつのくそ髭は伸びたかな」

「髭なんて、伸びてもすぐに切るだろう。……趣向を変えたかもしれないけどね」

「趣向を変えて、三つ編みにでもしていたらおもしろいんだけど」


 親友の冗談に、リオネルは吹きだした。


「本当に三つ編みになっていたら、今度、上等な葡萄酒をアベラール家に送っておくよ」

「そのときは、いっしょに祝おうぜ。三つ編み万歳――ってね」


 この緊張する場面において、青年らはくだらない話をしている。


 主人たちの呑気な雰囲気に比べ、家臣であるマチアスやベルトランはやや落ち着かない様子である。

 今日この場でなにかが起こるとは考えにくい。

 けれど、冷酷な性格と気性の荒さが伝えられているジェルヴェーズと、初めて対面する場である。なにも起こらぬとは言い切れない。


 この際、相手が王子だろうがなんだろうが、主人を命懸けで守るのが、ベルトランやマチアスの務めであり、いざとなれば刺客のみならず国王や王子にも剣を向けるし、そのために命を投げうつ覚悟もできている。


 一方、そのような覚悟の傍らでは、くだらない話が続いていた。


「でも、シャルム国王が三つ編みをしてるってことで、貴族のあいだで髭を三つ編みにするのが流行ったらどうする?」


 つまらない仮定を立てたのは、ディルクだ。


「そうだな……アベラール侯爵の三つ編みが一番見たくないな」


 リオネルが顔をしかめてそう呟くと、ディルクは爆笑した。


「おれもだ」


 けれど、笑いが途切れたとき、ディルクはなにか考えこむような顔をした。


「レオンは、この場に現れるだろうか」

「……そうであってほしいけど」


 旅の疲れでレオンが寝込んでいるということは、今朝宮殿に到着したリオネルも方々から伝え聞いている。


 リオネルとディルクは話しあい、この謁見の場にレオンが現れなかったときには、彼の身になにが起こっているのか本格的に調べる必要があるという結論に達していた。


 よほどのことがないかぎり、レオンは「旅の疲れ」などという理由で、リオネルやディルクとの接見を辞退しないはずだからだ。

 もし辞退したなら、それは「辞退させられた」と考えるほうが、納得がいく。


 そのときには、最も手っ取り早くレオンの様子を探る方法は、この謁見の機会を利用することであった。


 二人が友人の身を案じているところへ、衛兵が現れる。


「リオネル様、ディルク様、お時間でございます」


 ベルリオーズ家とアベラール家の嫡男らは、ゆっくりと椅子から立ちあがった。

 二人は無言で顔を見合わせてから、背後の家臣らに頷いてみせ、先にリオネルが、続いてディルクが「舞踏会の間」への扉をくぐった。






 

 先に姿を現したのはシャルム王家である。


 シャルム国王エルネストが玉座に腰かけ、続いて王妃グレース、そして第一王子ジェルヴェーズが傍らの椅子に座した。

 彼らの前後には近衛兵らが控えており、そのなかにはノエルや従騎士のカミーユの姿もあった。


 広間には緊張感が漂い、貴族らは会話を慎む。


 国王も王子も、明らかに普段より神経を尖らせている。二人がまとう空気が、会場全体をひりひりするような緊迫感で包んだ。


 それから間もなく。

 扉が開き、若者が現れた。


 臆することなく菖蒲の絨毯のうえを歩むのは、清々しくも端然たる態度の青年。


 貴族らの視線が釘付けになる。


 ――彼が、リオネル・ベルリオーズ。

 先王の嫡出子クレティアンの、ひとり息子。


 しなやかでありながら颯爽とした姿は、血筋にふさわしい気品と知性とを兼ね備えている。

 さらに、その顔立ちは――。


 静かなざわめきが貴族らのあいだに生じる。それは亡きトゥールヴィル家の令嬢アンリエットを知る者たちからあがったものだ。


 絶世の美女と称されたアンリエットと瓜二つではないか。

 その似通いようは、彼女の弟であるシュザン以上である。かくも整った顔立ちの青年は、シャルム中を探してもリオネルの他にいないだろうと思われるほどだ。


 さらにその背後を歩むアベラール家の長男も、貴公子然とした美男子だった。


 青年らの背後には、それぞれ家臣がひとりずつ控えている。彼らは、冷静な表情の奥に鋭い警戒心を秘めて主人を守っており、特に赤毛の騎士については、うかつに近づこうものなら、一刀のもとに斬り殺され兼ねないほどの雰囲気を漂わせていた。


 玉座の前まで歩んだリオネルは、長身を優雅にかがめ、床に片膝をつく。

 ディルクも同様に跪いた。


 会場は静まり返る。


「国王陛下におかれましては、ご機嫌麗しく恐悦至極に存じあげます」


 青年の声は、涼やかに広間の隅々まで響きわたった。


「王妃殿下、並びに王子殿下におかれましては、初めてお目にかかります。ベルリオーズ領を治め、陛下より爵位を賜る父クレティアンの子、リオネルと申します。お見知りおきいただければ光栄です」


 伯父と甥、そして従兄弟同士の対面であったが、リオネルの口上はけっして丁寧すぎるものではなかった。


 過去の経緯はどうであれ、今はエルネストがシャルム国王、ジェルヴェーズが第一王子であり、この国において彼らの前ではだれもが臣下にすぎないのだ。

 先王の嫡出子の子という立場であるリオネルは、なおさら臣下としての礼儀を尽くさねば、謀反の企てありと疑いをかけられる可能性さえ生じる。つけいる隙を与えぬためにも、己の立場が下であることを示さねばならない。


 むろんそれは王弟派貴族にとっては悔しいことである。ディルクやベルトランとて、歯がゆい思いだ。


 だがそれも、リオネルを宮殿に招くという案を考え出した、フィデールの思惑のうちにあったものなのである。少しずつリオネルの臣下としての立場をはっきりさせ、それからゆっくり首を絞めていけばよい――と。


 リオネル同様にディルクも口上を述べると、会場からは感嘆の溜息が洩れた。二人の青年は、容姿だけではなく、態度や物腰も素晴らしいものであったからだ。







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