17
王都のベルリオーズ別邸に着くまでに、それほど時間はかからなかった。
館に常駐している医師に少年を預けると、結局騒ぎのせいで夕餉を食べそこねていた二人は、暖炉で暖まった食堂で遅い夕飯をとった。
数週間離れていただけだったが、王都は懐かしく感じられた。あと一週間もすれば、また王宮の騎士館住まいになり、この館に戻るのは一カ月に一度ほどである。
リオネルは、少し落ち着かない様子で、食事を口に運んでいる。
その様子に気づいてはいたが、ベルトラン自身は淡々と目のまえの皿を平らげていた。
リオネルはもともと、身近な者に対し、親切で思いやりがある青年だ。けれど本気で怒れば、先ほどの騒ぎの場で見せたような、だれもが戦慄するようなすごみがある。
そんな彼が、見ず知らずの少年ひとりについて、このように気をもむのは初めてのことだった。優しい心根の持ち主だが、同情や感傷に衝き動かされることはない。
今回のことで、面倒なことにならなければよいが、と思いつつ、同時に、どのような心境がこの十六歳の青年をそうさせているのか、ベルトランには少しだけ興味があった。
「あらかじめ言っておくが、助かっても、助からなくても、おまえのせいじゃない」
その言葉に、リオネルは驚いたように顔を上げ、そして苦笑した。
「うん、わかっているよ、ありがとう」
いつか聞いた台詞だと思ったからだ。こうやってベルトランが自分の心配をしてくれていることが、嬉しくもあったし、申し訳なくもあった。
トントン、と開いたままの食堂の扉をたたく音がする。
リオネルがはっと顔を上げた。ベルトランもそちらを見ると、少年を診ていた医師が、遠慮がちに扉の前で一礼する。
「お食事中に申し訳ございません。取り急ぎご報告に参りましたが、後にいたしましょうか」
「ああ、ドニ、ありがとう。今、大丈夫だよ。それで?」
「はい、肺炎を患ってはいますが、母子ともに命に別状ありません」
「そうか……」
リオネルはほっとした顔でうつむいてから、再び医師のドニに視線を戻し、その顔を凝視した。
「母子?」
ベルトランも、危うくスプーンを手から落としそうになりながらドニを見やる。
「はい、母親も、お腹の子供も、生きております」
ドニが言っていることの意味が分からず、リオネルとベルトランは一瞬、視線を交わした。
「ドニ、すまない、おれが連れ帰ったのは少年だが?」
「はい……少年の恰好はしておりましたが、患者は女性です。そして、身ごもっております」
二人は驚き目を見開いた。
ついにベルトランの指の間からはスプーンが滑り落ち、床の上で鳴る。
「様子をご覧に行かれますか?」
「え、あ……いや……」
リオネルの言葉は、いつになく歯切れが悪い。
女中が拾う前に、自分でスプーンを拾い上げたベルトランが、ドニに尋ねた。
「意識は戻っているのか?」
「はい、目は開いたのですが、どうも様子が」
「なにか問題でも?」
「こちらの問いかけなどには答えず、ただ宙を見据えているというか」
「どういうことだ?」
「まだわかりませんが……身体も弱っていますが、心のほうも病んでいるかもしれません」
「…………」
三人は押し黙る。
そして、最初に口を開いたのは、リオネルだった。
「もし……行ってもかまわないのであれば、様子を見にいきたい」
「かまいませんよ、リオネル様」
「リオネル、食べ終わってからにしたらどうだ」
ベルトランにそう言われて、一度立った席に、リオネルは再び腰かける。
二人は黙って食事をすませ、少年だと思っていた少女のいる部屋へ向かった。
少女が身体を横たえていたのは、食堂の近くにある客室の寝台の上だった。
ドニを伴って、二人が部屋に入ったとき、少女の瞳は閉じられていた。かすかな寝息が聞こえなければ、死んでいるのではないかと思うほど、その顔からは生気が感じられない。
「先ほども、意識は戻っていなかったのかもしれませんね」
ドニが二人の背後でつぶやく。
少女の頬や額に、まだ砂や血がこびりついているのを見て、リオネルは眉をひそめた。
「身体を拭いてやることはできないのか?」
「そういたしたいのですが、今は身体を温めることを優先したほうがよろしいかと思います。私が診たとき、すでに身体が温まっていたことが、この少女と子供の命を救いました」
ドニの言葉を聞いて、ベルトランがリオネルを見やる。
先ほど、ベルトランの適当な助言を受けて、冷たい身体をずっと抱きしめていたのはリオネルだ。けれど少年だと思っていたからこそ迷いなくやっていたわけであり、少女であったと思うと気まずいような思いがして、リオネルは少し顔を赤らめた。
そんな彼の様子に気づかない様子のドニは、続けて言う。
「後ほど、顔だけは拭きましょう。今は落ち着いていますが、いつ容体が変わるか分からないので、今夜は一晩、私がついています」
「……そうか、すまない」
「なにもなければ今夜はこのまま寝かせておいて、明日の朝、女中に身体を拭かせて着替えなどするのがいいでしょう」
「わかった、だれかに頼んでおこう」
リオネルは、少女の寝顔を眺める。年端も行かないのに子を宿した少女が、少年の姿に身をやつし、雪の夜に一人で道端にいた、その経緯に思いをめぐらせた。
「家族も心配しているだろうな」
つぶやくように言ったリオネルの声を、ベルトランが拾う。
「いれば、そうだろうな」
「……そうだね」
そこに居合わせた三人は、そのとき同じことを考えていた。けれどはっきりとは、だれもなにも言わず、ベルトランが次のように言っただけだった。
「家族がこの子を探しているといいんだが」
「…………」
「まあ、考えても仕方ないことだ」
今夜は休もう、と言うベルトランに、リオネルは小さくうなずいた。
二人はドニにねぎらいの言葉をかけて、部屋を後にした。