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ひなげしの花咲く丘で  作者: yuuHi
第二部 ~男装の伯爵令嬢は、元婚約者の親友の用心棒になる~
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 はらりはらりと雪が降っている。

 久しぶりの雪だった。


 早春の訪れをつげる野の花に、冷たい欠片が張りつき、花弁を震わせている。


 ベルリオーズ領の北部に位置する街道を、騎兵の集団が静かに移動していた。

 彼らのあいだに緊張感は感じられるものの、その表情はけっして暗いものではなかった。

 騎士らを率いているのは、若いベルリオーズ家の嫡男と、同じくアベラール家の跡取りの青年、そして、シャルム王国の第二王子である。


 若く輝かしい主人らに率いられた騎士らは、遠征の途にありながらも、誇らしげに街道を進んでいた。

 その堂々たる騎士らが進軍する様を、そして、ベルリオーズ家の次期公爵となる青年の姿を一目見ようと、街道には多くの領民が集まった。


 彼らは、リオネルの秀麗な容貌、貴族らしいすらりとした肢体、優美な物腰とやさしげな雰囲気を目にすると、感嘆の吐息をもらし、喜びを露わにする歓声をあげた。他でもないこの青年が、将来この領地を治めるのであるから。


「リオネル様のお姿を見てみろ、亡きアンリエット様に瓜二うりふたつではないか」

「あんた、アンリエット様を見たことがあるのかい?」

「公爵様のご祝婚のときに、シャサーヌに行ったことがあるのさ。それはもう精霊のようなお美しさだった」

「そりゃ、わたしも見てみたかったね」

「いいじゃないか、今、リオネル様を見たばっかりなんだから」

「ああ、本当にいい男だ」


 人々は興奮気味に会話を交わしあい、また一部の者は、直接リオネルに向けて言葉をなげかけた。


「リオネル様! どうぞお気をつけて」

「騎士のご叙勲おめでとうございます」

「無事のご生還を!」


 何百人、何千人もの輝くような眼差しが、リオネルに向けられている。

 この領地における、領主家の人気ぶりが垣間見える光景だった。


 また、レオンがいることに気がついていないのか、彼らのなかには、


「正統な王子殿下、万歳!」

「リオネル様こそ、この国の王でいらっしゃる!」


 と叫ぶ者もあった。

 リオネルは、ときに領民に笑顔を向け、言葉を返したこともあったが、ほとんどは穏やかな表情で黙って馬に跨っていた。


 また、一部の領民の視線は、リオネルやディルク、それにレオンの他に、ある人物にも向けられていた。それは、先頭からさほど離れていない位置で葦毛の馬に跨っている年若い騎士である。

 透明な水色の瞳や、フードからのぞく月明りのような髪、それに見たこともないような白い肌が人々の目を引く。降りそそぐ雪にかすんで消えてしまいそうな風情の少年だった。


「あれはいったいどなただ?」

「ベルリオーズ家にお仕えする家臣のおひとりだろうね」

「そんなことは、見りゃわかる」

「父ちゃん、天使が地上に降りてきたら、あんなふうかな」


 幼い子供までもが、山賊討伐に赴くとは思えぬ容姿の少年騎士を見上げている。


 一方、人々の視線を集めている少年は、視線をかすかにうつむけているが、しっかりと周囲に気を張りめぐらせ、主人に危害をくわえるような者がいないか細心の注意を払っていた。そのため、彼らの話し声は聞こえていても、意識にまではのぼってこないようだった。


 そんな様子の少年だが、領民からもらう花の量は、リオネルに次ぐ多さである。

 リオネルが受けとる花は、近くの騎士があずかるので彼自身が持っている必要はなかったが、少年は従騎士にすぎないので自ら携えるしかない。

 そのため、この季節に咲く花々――菜の花や、瑠璃唐草、蔓桔梗、クロッカスなどを溢れんばかりに馬の鞍にくくりつけており、少年つまりアベルは、さながら白馬の王子――否、白馬に乗った姫君のようだった。



 ベルリーズ家とアベラール家の騎士の集団が、集落があるあたりから離れていき、街道で見送る領民の姿も次第に少なくなっていくと、ようやく彼らのあいだにも私語が交わされるようになった。


 その雰囲気に少し緊張を解き、そして、ふと気がつくと大量の花に囲まれている自らの状況に、アベルはなんとなく気まずいような心持ちがした。


 なぜベルリオーズの民が、自分に花をくれるのだろうか。

 むろん、花を手渡され、声援を送られれば嬉しいが、明らかにディルクやレオンよりも多く受けとっていることが釈然としない。

 周囲の騎士たちより年少だから、身を案じてくれたのだろうかとアベルは思った。


 先頭付近では、レオンがリオネルの近くまで馬を寄せ、馬上から声をかける。


「すごいな、ベルリオーズ領における、おまえの人気は。こんなに大勢の者たちに見送られるとは思わなかったぞ」


 リオネルは、レオンをちらと見やって笑った。


「久しく領内にいなかったから、珍しくて見に来たんじゃないかな」

「それだけではないと思うが……おまえに手渡された花の量はすごい」


 周囲の騎士の鞍にくくりつけられた花々を見やり、リオネルはうなずく。


「ありがたいことだと思う」

「それにしても、『正統な王子』という発言にはまいったな。おれの立場がまるでなかった」


 その台詞を、いつもの耳聡さで拾い声を立てて笑ったのは、リオネルを挟んで反対側にいたディルクである。

 レオンは、面倒くさい相手に話を聞かれたと思った。


「なにがおもしろいんだ」

「それはそうだよ。ベルリオーズにおいて、領主家の人気はすごい。そう言われるのも無理はないし、むしろ、おまえが袋叩きにあわなくてよかったよ」

「…………」


 レオンは仏頂面で、ディルクの発言を無視した。

 するとリオネルが困ったような顔をする。


「大丈夫、だれもレオンを袋叩きなどにしようとは考えていないよ」

「あたりまえだ。こんなところで、袋叩きになどされてたまるものか」


 真面目なはずの二人の会話が、なんだか逆におかしくてディルクは再び笑った。


「まあ、そうなったらレオンは、任務を遂行しようとする以前に、ベルリオーズの領民によって返り討ちということになるね」

「任務?」


 意味ありげな言葉に、リオネルが首をかしげる。


「な! なんでもない! ディルク、おまえはわけのわからないことを憶測で言うな!」

「わけのわからないことって、具体的にどんなこと?」


 意地悪く言う悪友を、レオンは睨みすえた。


「おぼえていろよ、ディルク。いつか思い知らせてやる」

「ああ、怖い怖い」


 ディルクはそう言いながらも、にやにやしていた。


「うしろに、リオネルの次に花をもらった人気者がいるよ」


 ちらとディルクが振り返ると、花に囲まれたアベルと目があう。

 その姿に手を振ると、アベルは戸惑った表情を浮かべてから、軽く頭を下げた。


「アベルは花が似合うね。おれたちがもらうはずだった花が、アベルに集中するわけだ」


 ディルクが戻した視線を向けた先は、レオンである。おそらくアベルがもらった花々には、本来ディルクやレオンに渡すはずだったものが多く含まれているに違いない。


「我々に花を渡してくるのは女が多いが、アベルには男からの分が多く入っているから、あれだけの量になるのではないか」

「ああ、そうだね。騎士というよりは、深窓の令嬢という風情だからね」


 リオネルは二人の会話についていけずにいた。それは、しばらくアベルの姿を見ていなかったからである。

 一度でも振り返ってその姿を確認すれば、幾度も気になってかえりみてしまいそうだったので、リオネルはそれまでずっと前のみを見つめていたのだ。


 けれど二人の話を聞いていると、どうしても彼女を一目見たくなり、このときようやく背後を振り返った。


 白い馬と白い雪、そして黄や紫、水色の花に彩られた想い人の姿が目に入る。

 空色の瞳と視線があうと、リオネルは速まる己の鼓動を感じつつ、かすかにほほえんだ。

 するとアベルも同様に笑みを返してくる。

 それが嬉しくて、胸の奥が静かに熱くなる。花に囲まれ、ほほえむアベルは、十八歳の青年の目には、例えようがないほど愛おしく映った。


 男から花をもらっていると話していた友人らの言葉が、今更ながらにひっかかる。

 最年少でかわいらしい従騎士に、女ではなく男たちからの花が集まるのは、しかたのないことだろう。

 だが、リオネルの気持ちはもやもやした。この気持ちを、人はなんと呼ぶのだろう。


「どう? たくさんもらっているだろう」


 ディルクはリオネルの様子をうかがうように覗きこむ。この日、リオネルが、普段気にかけているはずの従騎士の少年をほとんど見ていないことに、ディルクは気がついていたのだ。


 ディルクの眼差しから逃れるようにリオネルは視線を逸らし、「そうだね」と小声で答えた。


「嫉妬か?」

「――――」


 思いもよらない言葉に、リオネルはどきりとする。

 ――嫉妬?


「図星? いいじゃないか、おまえのほうが多くもらっているんだから。おまえの人気は揺るぎないものだし……って、あれ? 違った?」


 複雑な表情のリオネルを見て、ディルクは言葉を止めた。

 どうもそうではないらしい。


「それもそうか。考えてみれば、おまえが嫉妬したところなんて見たことないしな。嫉妬なんて感情、持ちあわせてないか」

「いや……」


 自らの発言を訂正したディルクに曖昧な返事をして、リオネルは独り自嘲気味に口端を吊り上げる。


 嫉妬――。

 そうかもしれない。

 アベルに花を渡した男たちに、自分は嫉妬したのかもしれない。

 嫉妬するとは、こんな気持ちのことをいうのだろうか。


 リオネルは、焦げつくような苦しさに似た感情を、胸の奥に押しこんだ。

 これから幾度こんな思いを経験するのだろうか。

 そう考えると、先が思いやられる。


 そして近い未来、リオネルの危惧は、深刻な現実問題になるのだった。





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