人形ノ街
雑草がまだらに生えた小高い丘を一人の少年が早足で登っていた。少年はフードのついた厚手のコートを身に纏い、肩から革の鞄をさげている。その少年のそばを闇のように黒い鴉が、付かず離れず飛んでいた。
「おいディオ。まだ着かないのか?」
疲れたような声で鴉が少年に向かって文句をたれる。ディオと呼ばれた少年はむっとした顔を鴉に向けた。
「さっきからそればっかりだね、ネロ。この丘を越えれば見えてくるんじゃない?前の街で、一時間ぐらい歩けば着くって聞いたし」
ディオはそう言い返し、あとはもう何も言わず黙々と歩く。ネロはふんと鼻を鳴らし少年の傍を飛び続けた。
しばらくしてディオとネロは丘のてっぺんに辿り着いた。そこから下を見下ろすと、小さな街が広がっていた。
「やっと街が見えたな」
やれやれとネロはディオの肩に乗り羽根を休めた。
「ちょっと、なに人の肩にのってんの」
「俺はもう疲れたんだよ。あともう少しで街に着くんだからいいだろ」
ネロはディオの肩からおりる気は無いらしく、クチバシを羽根の間に入れ毛づくろいを始める。ディオは諦めたようにため息をつき、それから緩やかな丘の斜面を下りていった。
その街は城壁などに囲まれておらず、どこからでも自由に出入りできた。街の中央には円形の広場があり、そこから放射線状に街道がのびている。ディオは石畳の道をゆっくりと歩き、街の景観を楽しんだ。
「この街は『バンボラ』という名があるんだけど、周りからは人形の街と呼ばれているみたいなんだ」
「人形の街?」
ネロは首を傾げる。
「ここには腕の良い人形職人が沢山住んでいて、いたる所に人形の店があるらしいよ。ほら、あちこちに人形屋の看板があるだろう」
ディオはそう言って前を指差す。確かにそこここに人形の店を示す木の看板が掲げられていた。
「ほんとだな。けど、こんなに人形の店ばっかりあるのも薄気味悪いな」
ネロはぶるっと体を震わす。
「そういうこと言わないの。あ、これかわいい」
デュオはふと一軒の店の前で足をとめた。その店の軒下に、木製の白い安楽椅子の上で丸まって目を閉じている黒猫の人形が飾ってあった。まるで本物の猫が眠っているかのようだ。
「かわいいか?」
ネロは嫌そうに顔をしかめる。
「ネロは猫嫌いだもんね」
「ああ、特に黒猫はな。おい、それより早く飯にしようぜ。もう昼過ぎてるぞ」
デュオは顔を上げて広場の中央にある時計台を見上げた。時計の針は一時を少し過ぎた時刻をさし示している。
「本当だ。どこか食べる所あるかな?」
デュオは、歩きながらキョロキョロと辺りを見回した。
「お、あそこにレストランがあるぞ」
ネロが少し先にあるレストランを翼で示しながら言った。
「ほんとだ」
デュオとネロは淡い黄色に塗られた壁の、小さなレストランにむかった。デュオがレストランの扉を開けると扉の上で客を知らせる鈴がカランと鳴り、口元に白い髭をたくわえた店主のおじいさんが出迎えた。
「いらっしゃい。どこでも好きな所に座って」
おじいさんに言われデュオは窓際の席に座り、着ていたコートを椅子の背に掛けた。店にいる客はデュオ達だけで、がらんとしていた。
「ご注文は何がいいかな?」
おじいさんに聞かれ、サクラは茸のパスタと温野菜のサラダ、それからデュオのためにナッツの盛り合わせを頼んだ。
注文を受けると、おじいさんは店の奥に引っ込み、しばらくすると、湯気の立つ温かそうな料理を銀の盆にのせて運んできた。
「これは店からのサービスだよ。外は寒かっただろう?」
注文の料理を置いた後、そう言っておじいさんは暖かい紅茶の入ったカップとネロ用の水の入った皿を机にのせた。
「ありがとうございます」
サクラは礼を言い、一口紅茶をのんだ。紅茶の暖かさが体にしみこんでいく。
「おいしいですね」
サクラが言うと、近くの席に座り新聞を読もうとしていたおじいさんは顔を上げて微笑んだ。
「それはよかった。それにしても、この時期に旅人が立ち寄るなんてめずらしいね」
「そうなんですか?」
「ここは寒さが厳しいところだから、秋の終わりごろになるとほとんど来る者がいなくなるんだよ。冬が終われば、買い付けに来る商人や観光客でにぎわうんだが」
おじいさんは、ふっと窓の外を見た。誰も歩いていない道を木枯らしが吹き抜ける。
「それに今の時期、ほとんどの職人は店を閉めて人形作りにいそしんでいるから、開いている店は少ないだろう」
「そうなんですね。もう少し早く来られればよかったなあ」
デュオが残念そうにつぶやくと、「ちょっと待っておれ」と言っておじいさんは立ち上がり、店の奥にいってしまった。少ししておじいさんは一枚の紙を持って現れ、デュオにそれを差し出した。それはこの街の地図だった。
「赤いペンで丸くかこってある店はこの時期でも開いている店だよ」
机の端に地図を広げ、印をした店を指で示した。印のある店は五つほどしかない。
「わざわざありがとうございます」
おじいさんから地図を受け取ると、デュオはそれを鞄の中にしまいこむ。おじいさんは微笑むと再び近くの椅子に座り、新聞を読み始めた。
デュオはしばらく黙々と料理を食べていた。ネロはさっさと食べ終え、椅子の背に乗り毛づくろいをしている。
「ネロ、そろそろ行くよ」
食べ終えたデュオがネロに声をかけると、ネロは椅子の背からデュオの肩に飛び移った。
「ごちそうさまでした」
サクラは立ち上がっておじいさんに声をかける。おじいさんは新聞から顔を上げデュオの方を向いた。
「おいしかったかい?」
「はい、とても。ネロも気に入ったようです」
デュオが言うと、肩に乗るネロを見ておじいさんは顔をほころばせた。
「それはよかった」
デュオは代金を払い、「ごちそうさまでした」と言って店を出ようとした。
「旅人さん」
ふいにデュオの背をおじいさんは呼び止めた。
「暗くなると物騒なやからが出てくるから、気をつけてな」
「はい」
デュオは頭を下げ、店を出た。
「おいしかったね」
デュオが満足そうに言うとネロも同意するように頷く。
「だな。機会があったらまた行ってもいいかもな」
言い方は偉そうだが、ネロもあの店がだいぶ気に入ったらしい。デュオはそんなネロに苦笑しながら、もらった地図を鞄から取り出した。
「えっと、あ、あの店開いてるよ」
地図とそばにある店を見比べながら、デュオは言った。地図を畳んで鞄に入れ、ドールハウスのような可愛らしい店に入った。店の中には、棚や台に様々な動物の人形が並んでいる。サクラは近くにあった台に近づき、深い青色の翼をもった小鳥の人形を手に取った。小鳥は歌を口ずさんでいるように、目を閉じ、くちばしをわずかに開けている。
「きれいだね」
デュオはうっとりとした声でつぶやいた。
「手触りが本物みたいだよ」
白い羽毛をなでると、ふわふわとした触感を指先で感じる。まるで本物の鳥みたいだ。しばらく小鳥の人形を眺めたあと、デュオとネロは店の中を回り気に入った人形を手に取って感想を言い合った。
デュオ達はその店を出た後、開いている人形の店を全て見て回った。全てを見終わった時、すでに日は山に沈み、空には星が煌めいていた。秋の夜は冷えこみ、デュオは慌てて鞄からマフラーを取り出した。
「おい、そろそろ宿を探した方がいいんじゃないのか」
ネロが軽くデュオの頭をつつく。
「わかってるよ。つつくなって」
デュオが宿を探しながら街道を歩いていると、ふいにネロが振り返り、「おい」とデュオの耳元で囁いた。
「どうやら俺達つけられてるぞ。さっきから後ろで人の気配がする」
「おじいさんが言っていた物騒なやからかな?」
デュオが振り向くと、人影がサッと建物の陰に隠れた。
「逃げた方がいいね」
デュオは裏路地に入り駆けだした。空はますます暗さをましていく。外灯がついていない裏道は、闇にすっぽりと包み込まれていた。ところどころ家の窓からもれている明かりを頼りにデュオは裏道を駆け抜ける。走っても走っても足音はデュオ達を追ってくる。さきほどより足音の数が多い。振り返ると曲がり角の隅で松明の明かりが見えた。
「おい、右に道があるぞ」
ネロの言葉にデュオは右を向いた。少し先に、大人が一人やっと通れるくらいの細い脇道がある。デュオは何も考えずそこに入りこんだ。
「あっ」
デュオとネロは思わず声をもらした。道の先には家が建っており、行き止まりになっていた。
「どうするんだ」
「取りあえずここ家の人に助けてもらおう」
デュオは家のすぐそばまで近寄り木の扉を軽く叩いた。二、三度叩いたが反応はない。もう一度叩こうとした時、ゆっくりと扉が開いた。
「どなたかな?」
扉を開けたのはお昼に入ったレストランのおじいさんだった。デュオが急いで事情を話すと、おじいさんはすぐにデュオ達を家にいれてくれた。デュオ達が家に入ったすぐ後、複数の足音が脇道を通り過ぎていくのが聞こえた。
「助けてくださりありがとうございました」
デュオが深くお辞儀をするとおじいさんはほっとしたように笑った。
「無事でよかった。まずはお茶でも飲んで落ち着きなさい」
おじいさんは部屋の中央にあるソファにデュオを座らせ、お茶を持ちに部屋を出ていった。ネロはデュオの肩の上で興味深げに部屋を見まわしている。部屋にはいくつか棚がおかれ、そこに可愛らしい女の子や小動物の人形が並んでいた。デュオとネロが人形を眺めていると、カップとティーポットをのせた盆を持っておじいさんが部屋に入ってきた。
「素敵な人形ですね」
デュオが言うと、おじさいさんは微笑みながら、ソファの前に置かれたガラスの机にポットとカップを置いた。
「あれらは前に私が作ったものだよ。これでも昔は人形職人だったんだ」
デュオと自分のカップにお茶を注ぎながら、おじいさんは静かに言った。
「なぜ、やめてしまったんです?」
デュオが聞くとむかい側のソファに座ったおじいさんは皮肉めいた笑いを見せ、それからとつとつと話し始めた。
「私は元々王都に住んでいたんだよ。王都でこの街の噂を聞いて、数年前にこっちにやって来たんだ。この街に来た当時は、人形のあまりの完成度の高さに驚いたものだ。私もこんなに素晴らしい人形を作ってみたいと思った。だが、この街の人形には秘密があったんだ」
「秘密?」
デュオは眉を寄せ聞き返した。
「ああ、この街で作られている人形は全て死体からできている」
「えっ…」
デュオは言葉が出ず、口を開いたままおじいさんを見つめた。
「この街には昔からある毒薬が作られていた。その毒薬は動物を一瞬で死に至らしめる強力なものなんだが、その死体を腐らせたり干からびさせたりないんだ。死体は死んだ直後の姿を保っていられる。この街の人形職人はそれを加工し人形にして売っているんだ」
おじいさんはおもむろにカップを持ち上げ、お茶をすすった。
「まあだが、さすがに人間を人形することは禁じられている。だが中には、顔立ちの良い女子供を攫って人形にしている人形職人もいる。君達を追いかけていたのも、そういった者たちだ」
「…役人は何か手を打たないんですか?」
おじいさんは悲しそうに首を振った。
「役人達は裏で金をもらっているらしく動いてくれない。それに人形にされる人間は、この街に来た旅人や、他の街から連れてこられた者ばかりだから、街の者も、自分達には関係無いと言って見て見ぬふりをしている。下手に騒いで外に毒のことを知られるのが嫌なのだろう」
そう言ってからおじいさんは自嘲気味に笑った。
「この事を知って人形作りの熱は冷めたが、街を出ようとは思わなかった。人道を欠いた作り方をしていても、やはり美しい物から目が離せないんだよ」
デュオもおじいさんも、しばらく無言でお茶を飲み続けた。
「ごちそうさまでした。そろそろ行きます」
お茶を飲み終えるとデュオは立ち上がった。
「大丈夫かい?まだやつらがその辺を探していると思うが…」
「ええ。逃げ切ります」
おじいさんはデュオを止めようとしたが、デュオが穏やかに笑うのを見てでかかった言葉をのみこんだ。
「私に助けを求めなくても、何とかなったんじゃないのかな?」
デュオは答えず、含みのある笑いを見せただけだった。
「この部屋の奥はレストランにつながっているから、そちらから行きなさい」
おじいさんは部屋の隅にある扉を指差した。
「ありがとうござます」
サクラは頭を下げ扉に近づいた。扉を開ける前におじいさんの方を振り向く。
「お茶、おいしかったです」
「それはよかった」
おじいさんの笑みを見てから、デュオは扉を開け部屋を出ていった。
レストランを通り抜け、デュオとネロは表通りに出た。
「で、どうするの?言った通りただ逃げるだけじゃないよな」
「うん、せめて人攫いはどうにかしないと。毒薬の方は僕がどうこうできる問題じゃないけどね」
「じゃ、久しぶりにデュオの魔法を見れるのか」
わくわくした声で言うネロをデュオは複雑な顔で見た。
「体力使うから、あんまり使いたくないんだけどね」
デュオがそう言った時、突然頭上から網がふってきた。すぐに何者かに押さえつけられる。
「デュオ」
「わかってる」
頷くとデュオは網をにぎった。すると網はクネクネと動き出し、何十匹もの蛇に変わった。デュオ達を押さえつけていた何者かは、「ひえっ」となさけない声を出し慌てて離れた。数十匹の蛇はデュオを押さえつけた者に向かっていく。デュオが起き上がると、複数の蛇にまとわりつかれた男が失神して傍に倒れていた。デュオはすぐさま何匹かの蛇を縄に変え男を縛り上げる。残りの蛇たちは他の人攫いを探すべく夜の街に消えていった。
「あとは、人攫い全員が捕まるまで待ってよっか」
「そうだな」
ネロは薄く笑い、闇の向こうを見つめた。
東の空が明るくなり始めたころ、全ての人攫いが蛇によって捕まえられた。人攫いはあまりの恐怖に気絶していて、縄で縛るのは容易かった。
「これで全員だね」
人攫いは全部で五人だった。デュオは人攫いを全員宙に浮かせて時計台のそばまで運ぶ。
「さすがに人を浮かせて運ぶのは疲れるね」
運び終わった後デュオはそう言ってため息をつき、鞄から羊皮紙とペンを取り出した。デュオはつらつらと手紙をしたため、書き終えると羊皮紙を丸めた。それから羊皮紙をすっと指でなぞると、羊皮紙は真っ白な鳩に変わった。
「城へ」
デュオがそう言うと鳩はバサッと翼をはばたかせ、空高く舞い上がっていった。
「毎度毎度めんどくさいな」
「しょうがないよ、なにかあったら報告しろって女王様に言われているんだもん」
「密偵は大変だな」
「こういうのを密偵って呼ぶのかな?」
苦笑してネロの頭をなでた後、デュオは鞄からもう一枚羊皮紙を取り出した。
「何書くんだ?」
「うーん、警告かな」
デュオはペンで大きく文字を書き始めた。ネロは脇から顔をのぞかせ、それを声に出して読む。
「『二度と過ちを犯さぬべし 女王の使い』…これをどうするんだ?」
ネロが首を傾げていると、デュオは時計台の所へその紙を貼り付けた。貼りつけ終えると、くるりとネロの方を向いて言った。
「じゃ、そろそろ行こっか」
デュオはマフラーを首に巻き付け直した後、ゆっくりと歩き出した。ネロは後ろを悠々と飛んで追う。
「今度はどこへ向かおうかな」
「暖かい所に行こうぜ」
「そうだね、これからどんどん寒くなっていくし。南の方へ行こっか」
デュオとネロは広場を抜け、南へのびる道を選んで進んだ。
「また来たいな」
デュオがつぶやくと、ネロは「はぁ?」と首を傾げた。
「もうやだぜ、こんな物騒な街は」
「あはは、あまり良い思いをしなかったもんね。でも、またおじいさんのお茶を飲みに来たいな」
東の空から太陽がゆっくりと昇ってくる。デュオとネロはキラキラと光る朝日に照らされながら、人形の街をあとにした。