悟り
リビングで待つこと十数分ほど、リビングの扉が開けられる音が聞こえ僕は扉の方を見る。
「ま、待たせてごめんね。サトリ」
「うん、大丈夫。それよりお母さん咲は?」
「あー、少し具合が悪いみたいだから部屋で寝かせてるわ」
母はそう言うと僕の横に何かを置く。
「それよりサトリ服を置いておくから着なさい。あ、その前に手を拭いたほうがいいわね」
「手……確かにベタベタ」
先ほど起き上がろうとした時に触れた何かの所為で僕の手はベタベタだった。
せっかくお風呂に入ったのになぁ。
「はい、タオル」
僕の膝の上にタオルが置かれる。
「ありがとう」
僕は膝の上に置かれたタオルを取り手を拭く。
手を拭き終わると着せられているエプロンを脱ぎ、横に置かれている服を着ようとする。
「ちょっ、ちょっと待ちなさい!」
「ん?」
「ん? じゃないわ。お母さんが廊下に出てから着替えてちょうだい!」
母はそう言うとリビングを出た。
確かに母は女性だ。
女性の前でいきなり着替え始めるなんて失礼すぎたなと僕は少し後悔する。
早く着替えないと、と思い僕は急いで着替えた。
着替え終わると僕は廊下にいる母を呼びに行く。
「お母さん、着替え終わった」
「あ、早かったわね」
「うん、待たせたら悪いから」
僕がそう言うと母は僕の頭に手を置き髪を撫でてくれる。
一瞬、何が起きたのか理解できなかった。
「サトリはいい子ね」
「……うん」
なんて返せばいいのか分からず相づちのような返事になってしまった。
頭がポワポワするというかポカポカするというか、数年ぶりに撫でられて嬉しいとはまた違う喜びの感情が僕の心を満たしていった。
「あっ、ごめんね。つい頭撫でちゃって……」
「あっ……」
母が寝出るのをやめ頭から手を離すと僕は、もっと撫でて欲しかったと思ってしまった。
「さて、今日の夜はピザのデリバリーにするわね」
「うん」
母と僕はリビングに戻る。
__ピザは頼んで二十分ほどで来た。
「さて、食べましょうか」
母はそう言ってリビングにあるテーブルの上にピザを置く。
いつもは食事用のテーブルで食べているが今日はリビングで食べるようだ。
「ピザ、初めて」
「あら、そうだったかしら?」
ピザは値段が高いし、僕のお小遣いじゃ手の出ない食べ物だ。
強烈に香ってくるチーズの香り、そして食欲をそそる海鮮の香り。
「それじゃあ、早速食べようかしら」
「いただきます」
僕は手を合わせてそう言った。
僕の記憶が正しければピザはパン生地を薄く丸く伸ばしてその上にチーズと具材を乗せ焼いた物だ。
それを何等分かに切り分け、家族や友人と一つを分けて食べる。
「……」
という、知識はあるのだが……。
「ん、どうしたのサトリ?」
どう取ったらいいのか全く分からない。
もし間違った場所に手をやってしまったらチーズに突っ込んでしまう可能性もある。
それに、ピザはかなり熱いと聞いたことがある。
火傷は嫌だ。
「あっ、ごめんね! 今サトリの分取り分けるから」
「……ありがとう」
母が気付いてくれたみたいで僕の分のピザを取り分けてくれている。
そうか、母に言えば良かったのか。
「はいサトリ、ピザはね。こうやって下の方を持って食べるのよ」
「なるほど」
母は僕の手を動かし、ピザの食べ方を教えてくれる。
「ほら、食べてみて」
「うん」
僕は手に持ったピザを口に入れる。
一口分に噛み切り、咀嚼する。
「おいしい……!」
初めてのピザは衝撃を受けるほど美味しかった。
一口、また一口と口の中に入れる。
「サトリ、そんなに焦って食べたら喉に詰まらせるわよ?」
母はどこか嬉しそうにそう言った。
「だって、おいしい。もう一枚」
「ふふ、はいはい」
僕が手を前に出すと手の上にピザが乗せられる。
「むぐむぐ」
今日は本当に良い日だ。
僕はピザを食べながらそう思った。
結局僕は一人でピザを半分も食べてしまったらしい。
久しぶりに感じる満腹感に僕は大満足だ。
__ピザを食べ終わり、歯を磨いた僕は自分の部屋まで戻ってきた。
ベットに座り、心地の良い満腹感にお腹を抑える。
「目、開けてみようかな」
何年ぶりか、僕はそう思った。
目を閉じると決めたあの日から一度も開けなかった目。
でも、今日は開けてみようと、開けて見たいと思った。
正直、まだ恐怖の方が強いが今日は大丈夫な気がした。
「すぅー、はぁー」
僕は一回、大きな深呼吸をして左目を開いた。
「綺麗……」
久しぶりに目を開け最初に入ってきた光景は綺麗に掃除されている自分の部屋だった。
目の見えない僕は隅々まで掃除は出来ない。
でも、パッと見ではあるがこの部屋に散らかった場所などは一つもなかった。
本も丁寧に並べられて、床にも塵一つ落ちてない。
「お母さんが掃除してくれてたのかな……」
それしか考えられなかった。
僕は自分のために母が自分の絵屋を掃除してくれたことを考えると嬉しくて頬が緩む。
「よいしょ……」
僕はベットから立ち上がり、月明かりで十分に明るく照らされている部屋を見渡す。
「大丈夫なはず……。こんなに嬉しかったんだから」
僕は恐る恐る窓の前に近づく。
窓に映るのは左目を開けた自分の姿だった。
「ねぇ、僕、今日楽しかったよね。咲もお母さんも優しくて嬉しかったよね」
窓に反射する自分に問いかけた。
すると、窓に反射する自分の顔に文字が浮かんでくる。
浮かんでくる文字から目を背けたくなる気持ちを押さえ込んで僕は自分の顔を見る。
『今日、楽しかった。みんな優しかった。嬉しかった』
顔に浮かんできた文字にはこう書いてあった。
「よかったぁ……」
はぁ、と僕は息を漏らし安堵する。
『でも』
先ほどの文字が消え、次は違う文字が出てくる。
僕はそれを見て開けている左目をぎょっとさせる。
『まだ怖い。みんな怖い』
浮かび上がってきた文字を見て、僕は少しだけ悲しい気持ちになる。
「まだ、ダメなんだ」
この文字は僕の心の奥底の僕にもわからない自分の感情だ。
書いてることは悲しいけど全部本当のことなんだ。
「でも、今日は本当に嬉しかった。それだけでもいいや」
この気持ちが嘘じゃない。
それが分かっただけでも十分だ。
まだ、みんなの顔をこの目で見ることはできないけど、今日みたいな日が続けばいつか、みんなの顔を見れる日も来るはずだ。
僕は再び目を閉じ、ベットに座る。
そのまま倒れるように横になり、少しずつ意識を落とす。
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