コトリ君の一日(後編)
「ただいまー!」
玄関から咲の声が聞こえる。
まだ、お昼を少し回ったくらいだ。
いつもなら部活でまだ帰って来ていない時間のはず。
「お兄ちゃん居るー? 今日、午前練習で早く帰って来れたんだー」
一階から声が近づいてくる。
そうか、午前練習だったんだ。
ど、どうしよう。
「お兄ちゃん? 入るよー」
コンコンとドアがノックされ、部屋の扉が開いた。
すると、長く綺麗な黒髪をゴムでまとめ、部活用の服を着て、テニスラケット用のバックを背負った咲と目が合った。
「……」『何この天使』
「やぁ、咲ちゃん。お久しぶりだねぇ~」
「なっ、迷子の人……」
温泉旅行の日。天美さんは僕を攫った。
僕はそこまで気にしていないけど、咲やお母さん、他の人からしたら警察を呼んでもおかしくない事件だ。
だから、今後の関係が面倒くさい事にならないようにと、天美さんはお母さん達の記憶を操作して、僕は天美さんと迷子になっていたという事になっている。
超能力って本当に便利。
「ま、迷子の人……私はぁ、神ヶ埼天美だよぉ。文化祭の日に一回あったよねぇ~」
天美さんのおふざけモード。
久しぶりに聞いたけど、本当に違和感しかない。
なんでみんな気にならないのかな。
「はぁ……。私は三河咲です……」『この人の喋り方……めんどくさそう』
やっぱり、違和感は感じてるんだ。
「あぁ、それでねぇ。この子は私の甥っ子くんで『神ヶ埼コトリ』だよ~。ほら、コトリ~ご挨拶」
あぁ、やっぱり甥っ子設定で行くのね。
僕も天美さんみたいに性格変えたほうがいいよね。
いつも通りだと流石にバレるだろうし。
「初めまして! 僕、コトリです! 天美お姉ちゃんがいつもお世話になってます!」
僕は満面の作り笑いをした。
いつもと違い、出来るだけ明るく、天美さんの甥っ子感を出さなきゃ。
「あ、天美お姉ちゃん……。グハッ!?」『お姉ちゃん。そういうのもあるのか』
天美さんが鼻血を出しながら、倒れてしまう。
ど、どうしたのいきなり!?
「か、神ヶ埼さんの甥っ子ですか……」
さ、咲の目が怖い。
なんで睨むような眼でこっちを見るの。
『お兄ちゃんに負けない天使力……。お持ち帰りしたい』
な、なに言ってるの咲。
天使力って何。意味が分からない。
「ど、どうかしたんですか。咲お姉さん」
「お姉さん__!?」『お姉さん。そういうのもあるのか』
さっきの天美さんと同じ事を思いながら膝をつく咲。
え、なんで、どうして。
「と、ところでお兄ちゃんはどうしたんですか……?」『ダメだ。この天使と喋ってたらお兄ちゃんの部屋が鼻血まみれになっちゃう』
え、なんで鼻血まみれになるの!?
もしかして咲、体調悪いの。
「さ、サトリ君はお出かけ中みたいだよ~。多分、健斗ちゃんか獣山姉妹と一緒にいるんじゃないかなぁ」
「なるほど……」『あの人達の所……それはそれで不安だけど』
「私達もサトリ君と遊ぼうと思ったんだけどねぇ。部屋で待っててってメールが来たから待ってるんだよ~」
天美さん。嘘が上手い。
視線の動かし方とか声のトーンが全然ブレてない。
詐欺師みたいだ。
「そうなんですね。分かりました。私は飲み物とお菓子を持ってきます」
「おっとぉ、そんなに気を使わなくてもいいよぉ」
「いえ、礼儀ですから」『ただの口実だけど』
咲は部屋を出ていってしまう。
口実ってなんのことだろう。
数分ほど待つと、咲が部屋に戻ってくる。
咲はお盆を持っており、お盆の上には幾つかのスナック菓子とジュースの入ったペットボトル、コップが三つ置いてあった。
え、三つ?
「さて、何かお話でもしますか?」
「うん、君居座る気満々だね」『だと思ってたけど』
「はい、お兄ちゃんの部屋に何かされないか心配なので」『本当はお喋りしたいだけだけど』
もしかして、咲は天美さんと仲良くなりたいのかな。
いや、多分そうなんだろう。
咲が友達と遊んでるところ少ししか見たことないし。
お友達が欲しいんだろう。
「それでぇ、話すと言っても何を話すんだい~?」
「んー、ここは趣味とか好き嫌いとか。コトリくんは好き嫌いはあるの?」
え、いきなり振られても。
そうだな。好き嫌い。
んー、考えたこともなった。
好きなものは思いつくけど、嫌いなものは思いつかない。
怖いものなら沢山あるけど、怖いと嫌いは違うし。
それに、今は怖いものもないし。
取りあえず、好きなものだけでも言っておこう。
「優しい人は好きです……」
「そ、そんなんだ」『なにこの子、純粋すぎるよ。本当に天使なんじゃないの!?』
「へぇ、お姉ちゃんも初耳だよぉ」『サトリ君。君の純粋さは兵器だよ。可愛すぎ』
二人が悶えている。
ど、どうしたんだろう。
純粋って何が。僕、何かおかしなこと言ったのかな。
もしかして、咲達の言ってる好き嫌いって食べ物とかのだったのかな。
「コトリくん。ジュースの注ぐよ」『優しいお姉さんアピールしなくちゃ』
「いやぁ、私が注ぐからいいよぉ~」『抜け駆けはさせないよ』
い、いや、ジュースくらい一人で注げるよ。
それに、なんで二人ともにらみ合ってるの。
いや、顔は笑ってるけど……目が鋭いよ!
「じ、自分で注ぐからいいですよ?」
「そ、そう」
「コトリは偉いねぇ……」
えっ、なんで二人ともそんなに落ち込んでるの!?
僕何かした。いや、今回は本当に心当たりがない。
もやもやした気分のまま、僕は自分のグラスにジュースを注いだ。
「あ、お姉ちゃん達のグラスにも注いでおきますね」
「あ、ありがとう」『なにこの子、優しすぎ天使』
「コトリは優しいねぇ」『ショタにジュースを注いでもらうとか、なんか感動』
感激した表情を浮かべる二人。
しょ、ショタって何?
それに、そんなに喜ぶなんて、そんなにジュース飲みたかったのかな。
「どうします? 何かゲームでも持ってきましょうか」
「いやぁ、いいよぉ。それよりも私はサトリ君の事を聞きたいなぁ」
え、いきなり僕の話題。
「お兄ちゃんのですか?」
「うんうん~、例えばぁ、サトリ君がこの家に来たばかりの時の話とかねぇ。私、凄い興味あるよぉ」
う、天美さん。もしかして僕を弄ろうとしてるのかな。
いや、そうだ。だって天美さん、悪い顔してる。
「そうですね。お兄ちゃんが家に来たのは丁度十年くらい前ですよ。初めて会った時は可愛い人だなぁって思いましたよ……。例えるなら、そうコトリ君にそっくりでした!」
微笑みながら咲が僕を指さす。
そっくりというか本人です。
というか本当に、気づかれないのが不思議だ。
「でも、お兄ちゃんが来てから色々不幸が重なって……。特に、父が死んでしまった時は……その、お兄ちゃんに酷い事を言ってしまって……。分かってたんです。お兄ちゃんが関係ない事くらい」
咲の声がどんどん落ち込んでいく。
悲しい顔をしている。
「でも、私もお母さんもお兄ちゃんを疫病神だなんて……。お兄ちゃんの、せいだなんて……酷い事を……」『私は最低だ』
咲が涙を流し始める。
違う。違うよ。
僕は、そんな事……。
僕は咲に声を掛けようとする。
しかし、天美さんが僕の前に手を出して止める。
『サトリ君、これは聞かなきゃいけない事だよ』
天美さんの顔を見るとそう書いてあった。
聞かなきゃ、いけないこと……。
「そんなある日、お兄ちゃんが泣いているのを見て……。私達に聞こえないように部屋で毛布にくるまって、声を押し殺して……。その時、やっと気づいたんです……。辛いのは私達だけじゃないって。お兄ちゃんも家族を亡くしたばかりで、一番辛いのはお兄ちゃんだったはずなのに私達に気を使わせないように声を押し殺して毎日泣いている事に」
咲の目から涙が溢れる。
下唇を噛んで、後悔するように泣いている。
そんな、あの時、見られたなんて。
「私は最低なんです……。本当はお兄ちゃんの妹になる資格なんて__!!」
「落ち着きなよ。サトリ君は君の事をちゃんと妹だと思っているよ」『そうか。そんな過去があったんだね』
天美さんが咲を励ます。
優しい声で、優しい手で背中をさすっている。
しばらく、泣くと咲は落ち着き真っ赤になった目を摩る。
そして、天美さんの方を見て軽く頭を下げる。
「ありがとうございます……。なんででしょう。コトリ君を見てると昔のお兄ちゃんを思い出して……。話すつもりのない事まで」
「いや、いいよぉ」
「コトリ君もごめんね」
「い、いえ、気にしないでください!」
僕は出来るだけ優しく微笑んだ。
「それじゃあ、コトリ。あまり女の涙を見るもんじゃないし。今日は帰ろうかぁ」『そろそろ効果が切れるから一回離れるよ』
天美さんは僕の背中をポンポンと軽く二回叩き、立ち上がる。
「え、帰るんですか?」
「うん~、貴重なお話ありがとうねぇ」
「えっと、失礼しました!」
咲は、少し困惑しながら玄関に向かう僕達の見送りをする。
見送られ、玄関から出た僕と天美さんは近くの茂みに隠れる。
「__3、2、1」
「あっ」
視界が一瞬くらみ、戻ると視線が高くなって視野が狭くなっていた。
そう、体が元に戻ったんだ。
「……さて、ボクは報告書を書かないといけないから、サトリ君は家に帰るといいよ」
「あの、天美さん……」
さっきの話、天美さんは僕に聞かせるためにわざと話させた。
それはなんでなのか、それを聞こうとすると。
「サトリ君。君は心が読めるから大丈夫だろうけど、普通の人は誰が何を思ってるか分からなくて不安なんだ。それが好意を持っている相手なら尚更ね」
天美さんは僕に近づいて、僕の口に指をさす。
「だから、口で伝えるっていうのは重要なんだよ」
「……口で」
天美さんはクルリと後ろを向いく。
「それじゃ、ボクは家に帰るよ。サトリ君もあまり遅くなって不安を掛けないようにね」
「……ありがとう、天美さん」
「ふふ、何の事やら」『ちょっとカッコつけすぎかな……』
天美さんはそう思いながら帰って行った。
僕も、速足で家に帰る。
忘れないうちに、咲に伝えなくちゃ。
※ ※ ※ ※
「__ただいま!」
僕は勢いよくドアを開けて、いつもは出さないくらいの大きな声を出した。
「お、お兄ちゃん。どうしたの!?」
リビングに居た咲が慌てて廊下に飛び出してきた。
「咲、僕は咲の事、最高の妹だと思ってるよ」
「ふぇっ!?」
靴を脱いで驚いている咲に近づいて、肩を掴んだ。
「昔の事とか、色々あるけど。今の咲の事、僕は凄い好きだよ!」
「お、おにいひゃん!!?」
「だから、昔の事なんて気にしないでね!」
「え、えぇ、えぇ」
咲は困惑し、照れた顔をする。
僕は勢いに任せて言いたいこと全部を言い切り部屋に帰る。
いそいで部屋に戻った僕は、思わず赤面してしまう。
「言い過ぎた……」
今日は部屋を出られそうにない。
サトリ君は暴走すると止まらないタイプです。
その分、普段は冷静ですが。




