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温泉編『初日(前編)』

『この子が生まれたら、旅行にでも行きましょう』

『あぁ、この子には沢山の思い出を作ってあげよう』


 綺麗な女性が大きくなったお腹を摩りながら微笑む。

 そんな女性を見て優しい笑みを浮かべる男性。


『そう言えば、この子の名前はもう決めてるの?』

『あぁ、決めてるよ。この子の名前はサトリ……』

『サトリ……。いい名前ね。漢字はどう書くの?』


 男性がポケットからメモ張を取り出して、漢字を書く。


『こう書いてサトリ。どうかな……?』

『……ふふ、あなたっぽくて良いわね__』


 なんでだろう。

 凄く、懐かしい。

 そして、凄く優しい。


「……にいちゃん。お兄ちゃん!」

「ん?」


 咲の声で、僕は夢から覚める。

 あれ、なんで僕の部屋に咲が居るの?


「大丈夫お兄ちゃん……!?」

「も、もしかして具合が悪いの!? 酔い止めしかないけど飲む?」


 咲とお母さんが凄く心配した声を出す。

 どうしたんだろうと思い、自分の顔を触ると指先が濡れた。

 あ、僕泣いてる。


「お兄ちゃん。大丈夫!? 怖い夢でも見たの?」

「大丈夫……酔い止めもいらない」

「な、なら良かったわ」


 お母さんが安心した声を出す。


「お兄ちゃんがいきなり涙を流しはじめたから驚いたよ……」

「ごめん」

「もう少しでホテルに着くから、少し休みましょうか」

「ホテル?」

「もしかして、お兄ちゃん寝ぼけてる?」


 あ、そうだった。

 僕は今、草津に来てるんだ。

 一週間くらい前に天美さんから送られてきた『お礼』で僕達は草津の温泉旅行に来ている。

 流石に、最初は遠慮して返そうとしたんだけど、強引に渡されてしまった。

 それに、いつもは予定いっぱいの咲は休みだし、仕事で毎日忙しいお母さんも休みだし。

 ここまで偶然が重なれば行けという事なのだろう。

 というわけで僕たちは今、草津のホテルに向かうバスの中にいる。


「着いたー!!」

「チェックインしてくるから少し待っててちょうだい」

「うん」


 僕と咲はホテルのロビーにあるソファに座り、お母さんがチェックインを済ませるまで待つ。


「__なっ、サトリ!?」

「お、この前のボーイフレンド君じゃないか」

「なぬ! どこでござるか!?」


 健斗達の声が聞こえた気がしたが草津に健斗達がいるわけがない。


「お、おい、聞こえてないのか?」

「健斗……?」

「一瞬、無視されたかと思って焦ったぜ」

「なんで、健斗が草津にいるの?」

「え、俺達は神ヶ埼からのお礼で温泉旅行に来たんだ」


 そうか。健斗も天美さんを助けたんだし、天美さんからお礼が着ててもおかしくない。

 というか妥当だ。


「健斗さん……」

「おう、サトリたちも家族で来てるんだろ?」

「うん、咲とお母さんと」

「こんにちは。健斗さん」

「久しぶりだなサトリ妹!」

「うっ……、今日も元気ですね」


 咲は健斗が苦手らしい。

 だけど、この前まで苗字呼びだったのに名前呼びになってるし、少しは治ったのかな?


「健斗。俺達はチェックインしてくるから少し待っててくれ。ほら、海斗宗谷行くぞ」

「ぬっ、拙者もサトリ殿とお話したいでござる!」

「健斗姐上の邪魔になるからダメです。行きますよ」

「ひっ引っ張るでないーーー!!」


 ずるずると引きずられる音と一緒に健斗の家族の声が遠ざかっていく。

 相変わらず面白い人たちだなぁ。

 それに凄く仲いいし、ちょっと羨ましいな。

 僕も最近はお母さんや咲と仲いいけど、少しよそよそしさがある。


「にしても、温泉旅行をお礼として送ってくるとはな。神ヶ埼の家ってめっちゃ金持ちなのか?」

「どうだろう。エジプト……石油王の娘とか?」

「いや、そんな訳ないだ……ろうと言い切れないのが神ヶ埼だよな」

「うん」


 天美さんって謎が多すぎるし、本当に石油王の娘だったとしてもあんまり驚かないかも。

 天美さんの事で分かってるのって名前と作った性格で過ごしてるくらいだよな。

 今更な感じするけど、なんで作った性格でいるのかな。

 一度、素で話した事あるけど普通だったし。


「ねぇ、お兄ちゃん。神ヶ埼って旅行券くれた人でしょ?」

「うん、そうだよ」

「てか、サトリ妹は合った事あるだろ。ほら、文化祭の時にいた変な喋り方の奴」

「えぇ、あの人だったの!? あの人……ただの変な人だと思ってた」


 変な喋り方の人で通じるんだ……。

 それに咲、変な人は言い過ぎ……僕も最初思ったけど。

 天美さんって少し可哀そう。


「でも、なんであの人がお礼で?」

「あぁ、それがな……。ちょっと、おかしい話なんだが__」


 健斗がファミレスに行った日の事を話した。

 改めて考えるとあの事件、ちょっとじゃなくて凄くおかしい気がする。


「__というわけでな。どうだ、分かったか?」

「作り話下手過ぎませんか?」

「ホントだよ!! サトリも現場にいたもんな。俺の言ってる事、作り話じゃないよな!」

「うん、本当の話だよ」

「お兄ちゃんが言うなら信じますけど……。ちょっとじゃなくて凄くおかしい話でした」


 それは僕も思った。


「サトリー。チェックイン終わったわよ……ってその子は?」

「あ、お母さん」

「なっ、サトリのお母さん!?」


 健斗が驚いた様な声を出す。

 そして、健斗の足音がお母さんの方に向かっていく。


「初めましてお義母さん! 俺、佐藤健斗って言います。サトリのとも、親友です!!」

「……そう、一回電話で話した子ね。私はサトリの母で三河岬よ……。それと、あなたにお義母さんと呼ばれる筋合いはないわ」


 お母さんの声が凄く冷たい。

 凍っちゃいそうだよ。


「お母さん。それは怖いよ」

「あら、そう?」

「サトリの母ちゃん俺より強いんじゃね?」

「ん、どうだろう」


 健斗が僕の傍によって耳打ちをする。

 そういえば、お母さんって剣道で全国行った事あるって聞いた事ある気がする。

 ……いつ聞いたんだっけ?


「それにしても、こんなところで偶然ね」

「健斗達も天美さんからのお礼で来てるらしい」

「あら、そうなの」

「健斗ー。チェックイン終わったぞ……ってそちらの方は?」


 丁度良く健斗の家族も戻ってきた。


「あぁ、この人はサトリのお母さんだ」

「あ、そうなのか。初めまして、健斗の母の佐藤謙介です」

「拙者は健斗の姉の佐藤海斗でござる」

「佐藤宗谷です」

「あ、私はサトリの母で三河岬と言います」


 全員が自己紹介を済ませる。

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