二年五組
着替えを済まし、僕と咲は玄関にいた。
「咲は自転車に乗って先に行ってて」
「えっ、なんで!?」
咲は驚いたような声を上げる。
「なんでって、このままじゃ遅刻しちゃう。咲は自転車で行けばまだ間に合う」
「そ、そんなぁ……」
なんだか、残念そうな声を出している咲だが、僕の所為で咲まで遅刻するのは申し訳ない。
僕は遅刻確定だが、咲は急げばまだ充分間に合う。
「二人とも、車で送って行ってあげるから車に乗っておきなさい」
「えっ」
僕は車で送ってくれるという母の言葉に驚く。
ここ数年、母が自分を車に乗せてくれることなどなかったからだ。
「やった! ほら、お兄ちゃん。車に乗ろう!」
「あっ」
咲が僕の手を握り、車庫まで引っ張る。
車庫に着くと咲は車のドアを開け、僕を後ろの席に座らせる。
「お兄ちゃんのとっなり〜」
そう言って咲は僕の隣に座る。
少し近すぎる気もするが車の大きさ的に仕方ないのだろう。
僕は待っている間、特にすることもないので何も考えず座っている。
「お兄ちゃん、無防備すぎ……」
「ん、何か言った?」
「い、いや、何も言ってないよ!」
あはは、と作ったような笑い声を出す咲の方を向き、僕は首を傾げる。
「ねぇ、お兄ちゃん」
作ったような笑いをやめ、咲は少しトーンの落ちた声を出す。
「何?」
「お兄ちゃんはさ、まだ私達のこと__」
「お待たせー、ちょっと時間かかっちゃったわ!」
咲が何かを言おうとした瞬間、母が車のドアを開け入ってきた。
少しタイミングが悪いよ。
「咲、なんでそんな目で私を見るの?」
「知らない!」
「えー……」
僕は二人のやり取りを聞いてはははと苦笑いをする。
なんだか、母と咲のこんなやり取りを聞くのもすごく新鮮だった。
普段は一緒の家に住んでるとは思えないほど会話のない家庭だが、今日はたくさん話しができている。
「とりあえず、学校に行くわよ」
「うん」
車が動き出し、僕たちは学校に向かった。
学校に向かっている途中は特に会話はなかった。
久しぶりに車に乗った所為か家から学校までの短い距離で僕は少しだけ気分を悪くしてしまった。
「大丈夫?」
「うん、大丈夫……それより、送ってくれてありがとう」
「お兄ちゃん、保健室行く?」
「大丈夫、せっかく送ってもらったのに保健室行ったら元も子もない……」
「分かった」
母と咲は心配したような声でそう言うが流石に送ってもらったのにそれを無駄にはできない。
「私は帰るけど、サトリ気分が悪かったら無理せず早退しなさいね」
「うん……」
車酔いでここまで心配されるのは少し情けない気もするな。
僕は内心肩を落としながらそう思う。
「じゃあ、お母さんは帰るけど咲、サトリの事お願いね」
「うん、任せて! じゃあ、行ってきまーす!」
咲はそう言って僕の手を引っ張る。
正直、目の見えない状況で誰かに引っ張られるのは結構な恐怖だ。
「気をつけるのよ〜」
「はーい!」
僕は母の声のする方に手を振る。
「お兄ちゃんの手、硬い……見た目と違ってしっかりと男の子の手……」
「ん、咲?」
「な、なんでもない! それより、行こお兄ちゃん!」
咲が小声で何かを言った気がしたんだけど、多分気の所為だろう。
僕は咲に手を引かれ教室の前まで来た。
「じゃあ、お兄ちゃん。私は自分の教室に行くね」
「うん、ここまでありがとう」
「えへへ、じゃあ、お昼にまた来るね!」
咲の足音が遠ざかっていく。
「さて、早くしないとチャイムが鳴っちゃう」
僕はドアを開けて教室に入る。
二年五組、僕のクラスは二階の一番奥にある。
目の見えない僕は本来、普通の学校に通うことはできない。
しかし、僕はある特例のおかげで普通の高校に入ることができた。
「あ、サトリ君……」
「遅刻ギリギリなんて珍しいね」
「あぁ、今日もミステリアスで素敵……」
「私、サトリ君の持っている杖になりたい。本気で」
五組は特別クラスと言って自分で言うのもあれだが比較的頭のいい人が入れるクラスだ。
僕が普通の学校に通えているのも頑張って勉強をして、この学校に特待入学できたからだ。
「よいしょ」
僕は自分の席に着席する。
「サトリ、おはよう」
僕が席に座ってカバンから点字教科書を取り出していると前の方から中性的な声が聞こえる。
「うん、おはよう健斗」
中性的な声の主は僕の唯一無二の友人で親友の佐藤健斗だ。
僕が盲目になってから出会った初めての友人だ。
「サトリが遅刻ギリギリなんて珍しいな。なんかあったのか?」
「うん、久しぶりに家族とごはん食べてた」
「おぉ、そら珍しいな。ま、いいんじゃねぇか? 家族が仲いいのはいいことだ」
にしし、と笑いながら健斗はそう言った。
「うん、僕もそう思う」
「……」
僕がそう言うと健斗は黙ってしまう。
何かおかしいことでも言ったかと思い首を傾げる。
「どうかした?」
「いや、今日のサトリは随分素直だな。と思ってな」
「……お母さんにも同じこと言われた」
やはり、周りがおかしいんじゃなくて僕が素直になっただけなんだ。と僕は健斗の話を聞いて確信する。
「ま、俺はそっちの方がいいと思うぜ」
健斗がそう言うとSHRのチャイムが鳴る。
「おっと、怒られちゃうな。それじゃ、また後で」
「うん、また後で」
SHRが始まり、それからすぐに一時限目の授業が始まる。
鉛筆などで文字を書くことはできないが点字盤という点字を書く道具を使ってノートをとっている。
だが、点字盤は扱いが非常に難しい。
その為、どうしても覚えられないことだけを点字盤で書いてそれ以外は聞いた内容を記憶するようにしている。
四時限目が終わり、昼休みに入った。
僕は前の授業で使った点字教科書を鞄の中にしまう。
「ふー、終わった終わった〜。サトリ、昼飯食べようぜ」
「うん」
僕は鞄の中からクロワッサンとお茶を取り出す。
流石に学校の机の上を汚すわけにはいかないので学校ではパンかおにぎりを食べている。
「__お兄ちゃ〜ん」
「ん?」
僕がクロワッサンの入った袋を開ける瞬間、教室の入り口の方から咲の声が聞こえた。
「あぁ、先にご飯食べてる! お昼行くから待っててって言ったじゃん!」
「あ、ごめん」
すっかり忘れていた。
僕は咲の声のする方を向いて頭を下げる。
「なぁ、もしかしてサトリの妹か?」
「うん」
前の健斗の方から椅子を動かす音が聞こえた。
「はじめまして、俺は佐藤健斗だ。サトリの親友だぜ」
健斗の声が先ほどよりも高い位置から聞こえた。
どうやら健斗は立ち上がったみたいだ。
「あ、はじめま……え?」
挨拶をしている途中、咲は戸惑ったような声を出した。
何かあったのかな?
「ん、どうした?」
「えっ、いや、なんでもないよ!」
咲は明らかに裏返った声を出したが、何かを隠したいならあまり追求するのも良くないだろう。
「お、そうだ。せっかくだし三人で昼飯食べようぜ」
「いいね」
「わ、私も、別にいいですけど……」
咲は少しだけ不満げな声を出していた。
「じゃ、三人で屋上行こうぜ。今日は風も弱いし天気もいいし、最高の屋上飯日和だぜ」
にしし、と健斗は笑いながらそう言った。
健斗は屋上が好きなようで僕とご飯を食べるときはよっぽど天気が悪かったり風が強かったりしない限り屋上で昼食を食べようと言ってくる。
「むぅ、せっかくお兄ちゃんと二人で……」
「ん、何か言った?」
「なんにも〜」
咲は不貞腐れた様にそう言った。
僕は咲がどうしてそんな声を出すのかわからず頭を傾ける。
健斗は気にしない風に、にししと笑う。