第一話-6 本気
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隣の部屋を借りて着替えを済ませてから、私は再び道場に戻り、巴絵ちゃんと正座で向き合った。
「巴絵ちゃん、かんべんな。待たせてしもて」
「ううん、気にしてないわ」
静かな声と、穏やかな表情。
ほんまに怒ってへんのかどうかは判らんけど、とりあえず落ち着いたようや。
勝負の前に心を乱すようなまねをして、ほんま申し訳なかったなあ。
「よろしくお願いします」
「よろしくお願いします」
座して一礼の後、揃って立ち上がる。
巴絵ちゃんは、半身になって右の拳を引き左手を前に掲げる、オーソドックスな空手の構えを取った。
対する私は、正面を向いて左足をやや引きぎみに、両手をゆるりと下げた姿勢。
一見無防備に見える、いや見せかける。獄落院流格闘術、柔の拳二の型『柳枝影』の構えだ。
獄落院の格闘術にはいくつかの流派があるが、私が学んだのは、柔の拳の一派。
己の力を頼みとせず、向かってくる相手の力を利用し、間合いと重心を支配して倍返しの力を叩き込んで敵を制する。
非力な女性向けの、いわば合気道のような拳術や。
そしてもちろん、それは表向きの技。真髄は衣の奥に、人知れず。
「ふううっ」
巴絵ちゃんが、気合のこもった息を吐く。
呼吸で体内に力を蓄える、いわゆる内功の技やな。
ウチの柔拳と、巴絵ちゃんの剛拳と。柔よく剛を制すか、剛よく柔を断つか。
勝つのは、強い者。
高揚感に胸が熱くなる。でも、高まれば高まるほど、頭は冷静に、身体はしなやかに。
鏡明止水柳枝戦風、これがウチの戦い方や。
「始め!」
審判役のお母はんの合図で、巴絵ちゃんが動く。
さあさあおいで、どんな豪拳でもウチのこの右手にはご馳走や。きれいに平らげたる。
と思たら、巴絵ちゃんは両手をゆるやかに開き、全身から力を抜いた。
「?」
それからゆっくりと、体を左右に揺らし始める。表情の抜けた顔で、まるで居眠りでもしているように……ゆらあり、ゆらありと……。風にそよいで……。
いや、風なんか吹いてへんのに……。でも、霧の彼方にかすんでいくよう……に!
消えた?!
その直後、背後から強烈な殺気が襲い掛かってきた。
とまどうよりも速く、私の身体は機械のように自動的に反応し、両手を頭の後ろに交差させて襲い来る鋭い突きを跳ねのけた。
瞬間、ほんの少しだけ、相手の体勢が崩れるのを手首の感触で知った。
その隙を追い詰めるように、振り返りながら下段蹴りを放ち、脚を刈りに行く。
だがわずかに届かず、巴絵ちゃんは後ろに跳び退った。
距離を取った巴絵ちゃんは気の抜けた表情もそのままで、だが今度は空手の構えのままに再び体を揺らす。
私は体勢を変え、正面から敵を迎え撃つ一の型の構えをとりながら、かつてない衝撃に身を震わせていた。
なんや、今の攻撃は……!
あれは絶対に空手なんかやない。決して表に出ることのない秘中の秘、獄落院で言うところの『奥衣の術』や。
こないな非常識な技を持つ流派は、ウチとこと同じ殺人拳に決まっとる。
そうか。お母はんのあの抜き身の刃ような気、やっと納得いったわ。
これが柊流、巴絵ちゃんもただの空手馬鹿やなかったいうことやな!
ふたたび、巴絵ちゃんの姿が消えた。
来るか! と反射的に意識を背後に向けた直後、眼前の何もない空間にいきなり正拳突きの拳が現れた!
避け切れない。中指の背が鼻面に当たる、と同時に私は巴絵ちゃんの突きと同じ速さで、上体を後ろにのけぞらせた。鼻先に拳を触れさせたまま。
発条を弾くような、ノーモーションからのフル加速。無理な体勢変化の反動は全て両腕に流し、その反作用で両手を跳ね上げた。
右手で巴絵ちゃんの手首を捕まえ、左の掌底で肘を突き上げる。
『逆さ肘』、一撃で敵の関節を破壊する決め技だ。
だが腕が伸び切る寸前に、巴絵ちゃんは拳を止め、鞭のように腕を引き戻した。
一瞬にして攻防が入れ替わる。私の掌底に、巴絵ちゃんの肘拳がカウンターとなって襲いかかってきた。
私は掌をすべらせ、巴絵ちゃんの肘を絡め取った。同時に床を蹴り、背中から飛びついて腕を両脚で挟み込み、全身を使って絞り上げる。
『跳び松葉』、柔道で言うところの腕ひしぎ十字固めだ。
左膝で巴絵ちゃんの首筋を固めつつ、上体をそらして肘を逆関節に極める。これで重心を崩して床に転がせば、終いや。
だが巴絵ちゃんの両脚は、ウチを片腕に絡みつかせたまま微動だにせず床を踏みしめる。
ウチは腕を更に捻り上げようとしたが、それよりも先に巴絵ちゃんの左拳が顔面に襲いかかってきた。
とっさに身体を離そうとしたが、抱え込んだ右腕から伝わる感触で、力を緩めた途端に反撃を食らう気配が伝わってきて、私は逆に体を強張らせてしまった。
一瞬の躊躇が命取りになる。鉄拳が頬をとらえ、ウチは後方に撃ち飛ばされた。
「ぐうっ……!」
直撃をくらったものの、辛うじて自ら身を投げ出してダメージを最小限に抑え、そのまま床を転がっていったん距離を取ろうとする。
が、巴絵ちゃんは追撃の手を緩めない。
瞬時に間合いを詰め、腹を踏み付けにしようとしてくるところを、ウチは四肢を発条にして海老のように跳ね、一気に後方に飛び退った。
床を叩き、その勢いで立ち上がったところに巴絵ちゃんが飛び込んでくる。
息をも吐かせぬ蹴打の連続攻撃をさばきながら、私は動揺と焦りを隠せずにいた。
なんやの、この娘?!
パワーは及ばないものの、技とスピードでは確実に私の方が上。どんな剛拳でも当たらなければ意味がない。私の、この返し技に勝てる者などいるはずがないのに!
受けても避けても、待ってましたとばかりに更なる攻撃を仕掛けてくる。
開始直後の、訳のわからんステルス攻撃を使う気配はない。それはそうやろ、あれは初動が大きすぎて撃ち合いには向かへんもん。
だがあんな奇策など無用なほどの、嵐のような乱撃。
くそっ、こない防戦一方になるなんて、想像もしていなかった。
激しい連打、そして強烈な蹴り。ウチはそのすべてを受け切り返し技を仕掛けるが、巴絵ちゃんはそれすらも余裕たっぷりに受け、なおかつ的確にカウンターを返してくる。
まるで、全ての動きを読まれているかのように……。
まさか! 読んでいるのか、私の動きを!
「くっ……」
刹那の逡巡が、大きな隙を作る。
巴絵ちゃんが突然背中を向けた時、私はとっさに反応することが出来なかった。
一瞬ののち、再びこちらを振り向いた彼女は、体をひねりながら右脚を自分の頭よりも高く振り上げ、頭頂から斬り降ろすように叩き付けてこようとしていた。
回し上段! 頭上に、弾道ミサイルのような剛脚が迫る。
とっさに腕を振り上げながら、この一撃は受け切れないことを悟る。その瞬間……。
ウチの右手が、若草色の光を放った。
しまった! 絶体絶命の危機に、体が無意識のうちに反応してしまった!
神光をまとった手刀は、堅い岩をも両断する。人間の体など豆腐同然だ。
巴絵ちゃんの蹴りをこの手で受けたりしたら、取り返しのつかないことになる!
私はギリギリで手首を返し、なんとか逃れようとした。が、巴絵ちゃんの右脚はそれを更に追いつめてくる。
巴絵ちゃん、あかん! 避けて!
その直後、私は信じられない光景を目の当たりにした。
巴絵ちゃんの脚が右手に触れた瞬間、彼女の全身から蒼白い閃光がほとばしったのだ。
神光?! 巴絵ちゃんが、どうして?!
岩をも切り裂く手刀をものともせず、神光をまとった巴絵ちゃんの足が、肩口にめり込む。
さらにその勢いのまま、足首を使って首筋を絡め取り、そこに体重を乗せて体ごと圧し潰すように斬り下ろして来た。
抗う隙すら与えぬ、圧倒的パワー。
ウチは何が起きたのか理解できぬまま、顔面から思い切り床に叩き付けられて、一瞬で気を失っていた。




