第三話-11 反撃の狼煙
★★★
背筋を伸ばし、真っ直ぐ前を向いて、全身の力を抜く……。
目は閉じず、見開かず、瞼の力も抜いて半眼の状態を保ちつつ……。
呼吸は浅く、長く。風のゆらぎに合せるように……。
空気の流れを全身で感じとり、逆らわず遮らず、その身を委ね受け流す……。
水の底に潜んで水面をうかがうように……、静かに……静かに……。
その状態を保ったまま、足を踏み出す。
初めの一歩は慎重に、空気を乱さぬよう。
そして2歩、3歩、4歩……。
もう一歩……、踏み出したところで息を吐いた。
「はああっ、ダメだあ。息が詰まって持たないよー」
「あーダメダメ、やり直し。ほら戻ってもう一度」
兄貴がパンパンと手を叩く。
「ちっくしょー」
この数日、私は家の道場で兄貴のトレーニングを受けていた。
小さい頃から、私には兄貴がずっと空手の師匠だった。道場の師範は父だけれど、父は何故か私に空手を教えたがらないのだ。
「ねえ兄貴、もう一回やって見せてよ」
「またかよ、しょうがねえなあ。いいか、こうやって……」
兄貴がふっと息を吐き、体の力を抜いた。同時に顔の表情も消え、体がゆらりゆらありと左右にゆらめく。
そのひと揺れごとに、そこにいるはずの兄貴の存在が次第に希薄になってゆく。
まるで体が透明になっていくような錯覚に陥り、そして……。
「あ……」
消えた。どこに行った?
思わず周りを見回した途端、頭をポンポンと叩かれた。
「あっ、いつの間に」
私のすぐ後ろに、兄貴が立っていた。
「わかったか? こうやるんだよ」
「ちぇっ、またやられた。おっかしいなあ、なんでこのデカい体が見えなくなっちゃうんだろう。納得いかないわ」
兄貴が笑いながら、偉そうに腕を組む。
「わっはっは、修行を積むしかないな。でもお前、結構いい線行ってるぞ。俺の境地には程遠いけど、かくれんぼで見つからない程度には、もうなってるだろう」
「ほんと? よーし、じゃあもう一度」
私は再び姿勢を整えながら、先日のばばあとのやりとりを思い返していた。
★★★
(巴絵……巴絵……)
(ん……、ババア? どうしたのよ、こんな夜中に?)
(なあに、夜の散歩じゃ。撫子の中にばかりいるのは、つまらんでな。なにしろあやつときたら、巴絵の様に儂を自由にはさせてくれぬのじゃ。
外に出て来るな、大人しくしておれと、面白くもなんともないわい)
(ふうん、それで勝手に抜け出して来たってわけ? 暇なのはわかるけど、だからってなにも夢の中に出てこなくてもいいじゃない)
(夜中に起こされるより良いであろ。これなら明日、寝不足にならずに済むぞ)
(かえって最悪の眼ざめになりそうだけどね。まあいいわ、話し相手くらいならしてあげる)
(ほっほっ、有難や有難や)
(お礼なんかいいけど。で、どうなの?)
(どうとは?)
(決まってるでしょ、あの馬鹿のことよ)
(ああ、あの馬鹿か。相変わらず馬鹿じゃぞ)
(そんなことは判ってるわよ。そうじゃなくて……、寂しがったりしてないの?)
(ぶははは)
(笑ってんじゃないわよ、クソババア)
(いや、すまぬすまぬ。寂しがっておるのは一体どちらの方かと思うてな)
(う、うるさいわね)
(まあ、あやつに関して言えばじゃ。寂しくて寂しくて、今にも死んでしまいそうに見受けられるな)
(はあ、まったく何考えてんのかしら。だいたい他のみんなもみんなよ、あんな奴の言うことなんかを真に受けたりして)
(まあ、そう言うな。あやつはあやつなりに悩んだすえのことじゃ)
(だいたいねえ。私はまだ、その別れなくちゃならない理由ってやつを、ちゃんと聞いてないんだけど)
(はて、撫子が理由を言う前に問答無用で殴り倒したのは、いったい誰であったかの?)
(ぐっ……)
そうだった。くそ。
(で? 私はいったいどうすればいいのよ?)
(ん? どうもなにも、勝手にすればよかろうに)
(そんなこと言ったって。撫子があんな調子じゃ、側にも寄れないじゃない)
(遠慮しておるのか? 巴絵らしくもない)
(私らしいって何よ)
(傍若無人。立ちはだかるものは、人であろうが物であろうが木端微塵にぶち壊し罷り通る、天災女)
(ほんとにぶち殺すわよ、クソババア)
(まあまあ。それほどまでに撫子の側に寄りたいのなら、気づかれぬように寄ればよいのじゃ。ほれ、おぬしの兄者がなにやら面白げな技を使っておるではないか)
技? 撫子に気づかれずにって……。
(あっ!)
(判ったか)
(あれね。面白い、とっても面白いわ。ババアありがとう、いいことを教えて貰ったわ)
(ふふ、それは何より)
★★★
待ってなさいよ、撫子。
今にギャフンと言わせてやるんだから。




