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第三話-6 その名は春風

★★★


 あの後、私はなんとか渚ちゃんを振り払って撫子を追いかけたのだけれど、結局あいつには最後まで逃げ切られてしまった。

 教室に着いても、撫子の奴ったらそっぽを向いたまま、目を合わせようともしない。

 でもニヤニヤしてるのが見えてるわよ。ああ憎たらしい!


 やがてホームルームの時間になり、先生が教室に入ってきた。

 そして、先生の後ろについて、見知らぬ一人の女の子が入ってきた。

 その姿に、教室がざわつく。


「きりーつ! 礼! ちゃくせーき!」


「あー、みんなお早う。長い夏休みも終わって、またこうしてみんなの顔を見ることができてうれしいぞ。みんなも先生と会えなくて寂しかっただろ?」


「ぜんぜーん」


「もう帰りたーい」


「冬休みマダー?」


 みんなが口々に勝手なことを言うのを、先生はニコニコしながら聞いている。


「あー、わかったわかった。じゃあお前らには後でたっぷり宿題出してやるから、楽しみにしとけよ」


「ええーっ!」


「ごめんなさーい」


「先生大好きー」


「わかったから静かにしろー。

 えー、今日から新学期ということで、早速だがみんなに新しい仲間を紹介する。今日からこのクラスに転校してきた、ん、自己紹介するか?」


 女の子は「はい」と小さく返事をすると、軽く会釈してから黒板に名前を書き始めた。

 長い黒髪に白い肌、眼鏡の奥に覗く切れ長の目。ちょっと冷たい感じだけれど、きれいな人だなあ。


『獄』

『落』

『院』

『春』

『風』


獄落院(ごくらくいん)春風(はるかぜ)です。皆さんよろしくお願いします」

 ごくらくいんはるかぜ。なんかすごい名前ね。

 獄落院さんは深々とお辞儀をしてから教室を見渡し、そして私と目が合うと、薄く笑った。


 ん?


「えーと、じゃあ獄落院の席は……。あ、おいちょっと」


 彼女は、先生の言葉を無視して教壇を降り、私の席までやって来て、座っている私を見下ろした。

 そして、


「貴女が、壬鳥撫子さん?」


「?」


 彼女は冷たい目で、なおも私をじっと見つめてくる。

 えっと……。


「壬鳥さんでしょ?」


「いえ、違いますけど」


「……」


 私は隣の撫子を指差した。


「壬鳥撫子は、この子です」


 するといきなり、彼女の顔が真っ赤になった。


「えっ、えっ、うそっ! あなた壬鳥さんじゃないの?」


「はい、私は柊巴絵といいます」


「せやって今朝職員室でセンセにクラスに壬鳥撫子はんゆう人いてはりますか聞いたらああそれなら今窓の外を走って行ったのがそうだよってそしたらあんたはんが走って行くんが見えて後ろ姿しか見いひんかったけどその身長にそのポニテ間違いないわあれあんたはんやろ? せやろ?」


 早口でまくし立てる獄落院さん。

 あれ? この子関西? 京都弁?

 まあ確かに、今朝は撫子を追いかけて走ってたけど。


「あー、すまんすまん。俺が獄落院に言った時は、確かに壬鳥が職員室の前を走って行ったんだけど、その後すぐに柊が通ったんだよ」


 先生が、後ろから声をかけてきた。

 ははあ、逃げる撫子の姿が私に隠れちゃって、私一人しか見えなかったのね。


「ええー! そんな、センセえー!」


 極楽院さんが半泣きになって先生に抗議する。うわ、なんか可愛い。


「えっと、失礼しました。ひいらぎ、はん?」


「ううん、気にしないで」


 彼女はモジモジしながら私に謝り、それから撫子の方を向いた。

 そして、私にしたのと同じように、冷たい目で撫子を見下したのはいいけれど。獄落院さん、顔真っ赤なままだよ。


「あなたが壬鳥さん?」


 あ、標準語に戻った。


「はあ」


 撫子が気の抜けた返事をする。


「私、獄落院春風」


「はあ、さっき聞きました」


「わからないの? 私、獄落院よ?」


「?」


 きょとんとした顔で、獄落院さんを見つめる撫子。


「あなた、壬鳥さんよね?」


「はい、壬鳥です」


「本当に、あの壬鳥?」


「どの壬鳥でしょう?」


「壬鳥のくせに獄落院を知らないの?」


「はあ、すみません。えっと、どこかでお会いしましたっけ?」


 獄落院さんはそんな撫子を無言で睨みつけ、撫子は相変わらずきょとんとした目で彼女を見つめ返す。

 そのうちに彼女がプルプルと震えだし、そしてついに。

「もう、いややー!」と叫んで、教室を飛び出して行った。


 クラス中が呆気にとられて、彼女を見送る。


「ねえねえ撫子、知り合い?」


「いや、ぜんぜん。あっ」


 撫子は、私に普通に答えてからハッと気が付き、プイッと向こうを向いた。

 まったくもお。


 5分後。

 獄落院さんは無言で教室に戻ってきて、先生に促されるまま一番後ろの空いている席に座り、そして下を向いた。

 教室中に微妙な空気が流れ、周りの連中も何だか声をかけ辛い雰囲気になってしまって、結局彼女は午前中ずっと独りで俯いたままだった。


 そして昼休み。

 さすがにこの空気に耐え切れなくなったみんなが、獄落院さんを取り囲んだ。


「ねえねえ、獄落院さんてどっから来たの?」


「は、はいあの、京都です」


「あー、やっぱり。おうち何やってんの?」


「えっと、お父さんは会社をやってます」


「社長さん? 何の会社?」


「よく判らないけど、いろいろ」


「すごーい。どうしてこっちに来たの?」


「えっと、いろいろあって」


「へえー」


 初めはなんなとなく冷たい感じだったけど、今朝のアレのおかげでかえって親しみやすくなったみたい。

 本人的にはどうか知らないけど、結果オーライで良かったんじゃないかな。


「なあ撫ちゃん。あの子、撫ちゃんのこと知ってるみたいじゃない?」


 向こうの方の人だかりを横目に見ながら、大生くんが撫子に聞いた。


「えー、あたし全然知らないよ」


 いつもなら、転校生なんていったら真っ先に飛んで行くはずの撫子だけど、さすがに今回はちょっと近寄り難いみたい。


「私と間違えたくらいだから会ったことはなさそうだけど、でも撫子の名前は知ってたのよね?」


 撫子の家と、なにか因縁があるのかしら。ひょっとしてババアが言ってた「乱れ」に関係しているのかも。


「撫ちゃんの遠い親戚とか、親同士が知り合いとか?」


「聞いたことないなあ」


「ババアは何か知らない?」


(獄落院のう、知らぬなあ)


「え? ババアって?」


 大生くんが私を見る。しまった。


「ちっ、この馬鹿」ゴンッ


 撫子が小さく舌打ちをして私の足を蹴った。

 痛ったあーい!



☆☆☆


 その日の夜、晩御飯を食べながら、あたしは獄落院さんのことを母ちゃんに聞いてみた。


「今日、転校生が来てさあ」


「ふうん」


「名前が獄落院春風さんていうんだけど、母ちゃん獄落院って知ってる? なんかうちのことを知ってるみたいだったんだけど」


 すると母ちゃんは箸を置いて、あたしをジロリと睨んだ。


「獄落院ですって?」


「母ちゃん、知ってんの?」


「あの獄落院?」


「どの獄落院だよ」


「お母さん、その人がどうかしたの?」


 藍子姉ちゃんが、怪訝そうに母ちゃんに訊いた。

 姉ちゃんも知らないんだな。


「獄落院ていうのはね、長い歴史の中で私達壬鳥とずっと覇を争ってきた、宿敵の名よ」


「宿敵って、んな大袈裟な」


(儂はそんなの知らんぞ)


「初代様はご存じないでしょう。

 あの連中が世に出てきたのは今から約三百年前、江戸時代の頃よ。

 奴らは、言ってみれば陰陽師くずれの集団ね。

 元々は九州熊本の出らしいけど、卑弥呼の末裔で、阿部清明も我が一族だとか、天皇家をずっと裏で操ってきただとか、壇ノ浦で潮の流れを変えたのは我らの力だとか、武田信玄を呪い殺したとか」


(無茶苦茶じゃの)


「ようするにインチキ野郎どもなのよ。ハッタリと、権力に媚びるのが大好きだから、力だけはあるみたいだけどね。

 あの下衆女め」


「えっ、知り合い?」


「大学時代の同級生にいたの。あのにっくき性悪女、獄落院日芽子。ああ、思い出しただけでも腹が立ってきたわ。

 撫子も気を付けた方がいいわよ。何かされなかった?」


 うーん、されたと言えばされたのかな、今朝のアレは。


「そんなに悪い人には見えなかったけど、でも何か知ってるみたいだったな。あたしの名前も知ってたし」


「ほんと? やっぱり何か企んでるのね」


(まあ、よう判らんが儂も気を付けておくとしよう。

 ところで撫子よ、気づかんかったか? あやつ、能力者じゃぞ)


「えっ!」


「初代様、それは本当ですか!」


(うむ、そこそこ力は持っとるようじゃ)


 母ちゃんは、それを聞いて腕を組んで考え込んでしまった。

 一方、藍子姉ちゃんと蓬子は、興味なさそうに黙々とご飯を食べている。

 蓬子はともかく、姉ちゃんは当主になったんじゃなかったっけ?

 うちの宿敵だって母ちゃんが言ってるのに、いいのかよそれで。


 でも待てよ。

 覇を争うって言っても、大昔はうちもそれくらい栄えてたかもしれないけど、今じゃこんなだよなあ。

 あっちのお父さんは会社をいくつも持ってる社長さんらしいし、もう勝負はついてんじゃないの?


 うーん、わかんない……。



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