第三話-4 苦悩と決意
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それからも、みんなの修行は毎日続いた。
藍子お姉さんの修行はずっと同じ、自分が何者かを問い続けるというものだ。
ババアの話では、お姉さんの力は他人と魂で語り合うというもので、使い方を誤ると、他人と自分の区別がつかなくなって自我が崩壊してしまうらしい。
この修行は、どんなことがあっても自分を見失わない為のものなのだそうだ。
「よかろう、今日はこれまで」
「はあっ、はあっ……。あ、ありがとうございました」
修行はただ問答を繰り返しているだけなのに、お姉さんの負担は相当なものらしい。
終わるといつも汗だくで、すぐには立ち上がることも出来ないくらいに消耗している。
汗の量は、初めの頃に比べればずいぶんと減ってきてはいるみたいだけれど、顔は真っ赤に紅潮しているし、目には涙さえ浮かべている。
そしてソファにぐったりともたれかかり、目を潤ませてハァハァと荒い息を吐くその姿は、なんというか……。エロい。
蓬子ちゃんの修行は、いつも一瞬で終わる。
毎日、古い殻を弾き飛ばすように、中から新しい球が生まれてくる。一回ごとに曇りが取れて輝きが増していく感じで、ほんとうに宝石を磨いていくみたいだ。
美しさで言えば二人のお姉さんには全然及ばず、素人目で見てもまだまだだなという感じだけれど、驚くべきことに、輝きの強さだけはお姉さん達をはるかに凌いでいた。
完成したらどれ程の輝きになるのか、想像もつかない。
(世が世なら、一国の女王程度なら容易かったじゃろうな。その気になれば、世界の半分くらいは手にすることも出来ようぞ)
そんな力が暴走したら、一体どんなことになるのか。ババアの言った「鬼」という言葉の恐ろしさがよく判った。
(まあ案ずるな、そのために二人の姉がおるのじゃ)
そして修行が終わった時、蓬子ちゃんはいつも気を失っているのだった。
そして撫子。
修行というより、ただ雑談をしているだけだ。
(ほうほう、つまりバスケというのは手毬のようなものか)
(そう。だけどボールはもっと大きくて重いんだ。それを二手に分かれて取り合って、壁につけた籠に放り込むんだ。沢山ボールを入れた方が勝ちだよ)
(それは面白そうじゃな。撫子がやっておるところを、一度見てみたいものじゃ)
(もうすぐ学校が始まるから、試合でもあれば見られるわよ。凄いわよ、撫子は)
(なに、学校じゃと? おぬしら、学校なんぞに行くのか)
(学校ってわかるの?)
(足利じゃろう? あんな遠いところへ)
(あはは、今では日本中にあるわよ。6歳から15歳までの間、身分も男女も関係なくみんなが通うのよ。そしてもっと勉強したい人はその上の高校、大学へと進むこともできるの)
(なんと素晴らしい。ん? じゃがおぬしらは、学校へ行っておらぬではないか)
(夏の間は学校もお休みなのよ。九月からまた始まるわ)
(それは楽しみじゃな)
(ばあちゃん、学校にまでついてくる気か)
(む)
(撫子!)
(これ以上あたし達の生活に入り込むのはやめてくれよ。迷惑なんだよ!)
(ちょっと、そんな言い方!)
(巴絵は黙れ。あたしはイヤなんだ)
(……むう)
「ふう、判ったわ。この話はまた後にしましょう」
心でなく、声に出して言った。
目を開いて撫子を見ると、ふて腐れてそっぽを向いている。まったくもお。
「ところで撫子」
「なんだよ」
「夏休みの宿題は、全部終わったの?」
「ブーッ! げほっげほっ。なっ、何だよいきなり!」
私の不意打ちに、撫子がむせた。
ざまあ見なさい。いつまでもそんな駄々っ子みたいな態度は、許さないんだからね。
「何だよじゃないでしょう? 今の話で思い出したのよ。夏休みももう残り少ないんだし、まさか全然やってないなんてことは、ないでしょうね?」
「や、やってるよ! まだ全部は終わってないけど、もうちょっとだから」
「じゃあ見せてくれる? ババア、修行はもういいんでしょ?」
(ああ、もうええぞい。しゅくだいって何じゃ?)
「学校がお休みの代わりに、自分で勉強しなさいって課題が出るのよ」
(ほう)
「さっ、撫子の部屋へ行きましょうか」
私は立ち上がった。
「ちょ、ちょっと待って巴絵! ごめんなさーい!」
♧♧♧
夜、私は撫子の部屋を訪れた。
「撫子?」
「ん、なあに? 姉ちゃん」
「宿題、進んでいるか?」
私は部屋に入ると、ベッドに腰を下ろした。
珍しいことに、撫子は真面目に机に向かって宿題をやっている。
「んー、ボチボチだね。今日中にこれだけ終わしておかないと、明日また巴絵にシメられちゃうから」
「毎度のことながら、巴絵は厳しいな」
「ホントだよ、あのドS女」
「でも、悪気があってやってる訳じゃないからな。お前の為を思ってやってるんだぞ」
すると撫子は顔を上げ、クルリと椅子を回してこちらを向いた。
「だから余計にタチが悪いんだよ!」
「そうだな」
私はクスクスと笑った。
撫子もクスクスと笑いながら立ち上がると、私の隣に座った。
「あーあ、ちょっと休憩」
そう言いながら寄りかかって来る。
「なあ、撫子」
「ん?」
「初代様が巴絵に取り憑いているの、気に入らないのか?」
撫子は、返事を返さなかった。
「私もまさかこんな事になるとは思わなかったけど、初代様は巴絵のことを気に入ってるみたいだし、巴絵も大して気にしてないみたいだよ。
案外あの二人、気が合うんじゃないか?」
「そんなの、どうでもいい。言っとくけど、あたしは別にばあちゃんが嫌いなわけじゃないんだよ」
「判ってるさ。でもまさか、巴絵を取られて嫉妬してる訳でもないだろ?」
撫子が、体を離して声を上げた。
「そんなわけないだろっ!」
「フフッ」
私はそんな撫子をニヤニヤしながら見つめ、撫子はムッとした顔で私を睨んだ。
「もうっ、姉ちゃんの意地悪!」
ドンと体をぶつけてきて、そのまま私の腕を抱え込む。
「嫉妬なんかじゃないよ。ただ、巴絵には静かな生活を送って欲しいだけなんだ」
「うん」
「長野から帰ってきて、これで全部終わったと思った。
あたしは巴絵が好き。とうとう自分でそう認めちゃって、そしたらなんだか急に巴絵の顔を見るのも恥ずかしくなっちゃって。でもそれが嬉しくて……。
これからはずっとこういう毎日が続くんだって、そう思ってた。
なのにそうじゃなかったなんて、そんなのひど過ぎるだろ?」
「そうだな」
「あたしはいいんだよ。
あたしは壬鳥の娘だし、これから何が起きてもなんとかしてみせる。姉ちゃん達だっていてくれるしさ。
でも、巴絵は違う。
八百年の呪いだかなんだか知らないけど、うちのせいであんな目に合って、やっと終わったと思ったら、これからもまだまだ続くだなんて。
ばあちゃんが言ってたよね。あたし達は、力を持ったせいで見なくていいものまで見えるようになっちゃったって。
だったら巴絵も、ばあちゃんが離れれば力がなくなって、そういうおかしなものと関わらなくて済むようになるんだろ?」
「そうかもな」
「だからさ……」
撫子が、私の腕を強く掴んだ。
震えている。
私には、撫子がこの後何を言おうとしているのか、判っていた。
私はそれを聞いてあげるために、ここに来たのだ。
「ばあちゃんには山へ帰ってもらって、でなければあたしに憑いてくれてもいい。とにかく巴絵からは離れてもらって、そしたら、そしたら……」
「……」
「あたし、巴絵と別れようと…思うん……だ」
そうか。
「だって、いくら力がなくたって。ううん、力がなければなおさら、あたしの側にいたらダメじゃん。
いつ何が起きるかわからないし、もう二度と巴絵をあんな目に合せるわけにいかないだろ?
だったら、別れるしかないよ」
「お前はそれでいいのか? 巴絵もきっと怒るぞ」
「いいよ。もしそれで巴絵が怒ったとしても、あたしのことを嫌いになったとしても、それで巴絵が危ない目に合わないで済むのなら、あたしは構わない。
てゆうか、嫌いになってくれれば会わなくて済むじゃん」
「撫子……」
「だって……。あたし、怖かったんだ。
あの時、巴絵が呪いにかかって命が危ないって。死んじゃうかもしれないって。
この一年間ずっと、怖くて怖くて仕方がなかったんだ。
もう嫌なんだよ、あんなの。巴絵にはもうこんなのに関わって欲しくないんだ。
ねえ、巴絵のことはそっとしておいてあげてよ。あたしが頑張るから、ねえお願い。
巴絵を巻き込まないで済むなら、あたしは巴絵と別れたって構わない。
独りぼっちになったって、それで巴絵が幸せになってくれるなら、あたしは平気だから」
撫子が、すがるような目を私に向ける。
私は、その肩をそっと抱き寄せた。
この子は心の底から、巴絵の幸せを願っている。うん、判っているよ。お前の優しさも、辛さも。
「姉ちゃん……」
お前はたぶん間違っている。
お前が巴絵と別れて平気なはずがないし、巴絵だって幸せになんかなれる訳がない。
でも、この一年のお前の苦しみを考えれば、二度とあんな思いをしたくないというその気持ちも、よくわかる。
すぐそばで見ていた私だって、あんなに辛かったんだもの。
「うっ……、うっ……」
撫子は私の肩に顔を押し付け、声を押し殺して泣いた。
初代様、ご覧になっていますか? あなたの娘が泣いています。
この子の今の苦しみは、避けることのできない運命だったのでしょうか。それとも、後の幸せの為に必要なものなのでしょうか。
私もあなたも、この子達の幸せに対して大きな責任があります。
例え当主失格と言われようとも、私は見知らぬ他人の幸せなんかよりも、妹達の幸せの方が大事です。
大切な妹の為なら、私はいつでも壬鳥を捨てますよ。
(わかっておる……)
頭の中で、初代様の声が響いた。




