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第二話-3 修行、そして

☆☆☆


 それからあたしと姉ちゃんは、すぐに修行を始めた。

 巴の呪いを浄化するための、念を創り出す修行だ。


 頼るべきは、あたし達の魂のみ。

 余計なものは何もいらない。精神を集中して邪念の一切を消し去り、心の中を純粋な想いだけで満たす。

 そして、そこからしたたり落ちる心のしずくの一滴一滴を、両手で受け止めるように、少しずつ溜めていく。

 せっかく集めた滴も、ほんのわずかな心の揺らぎでこぼれ落ちてしまう。こぼさないように大事に大事に、そっと優しく……。

 そうして集めた清らかな心の塊。朝日に照らされた葉の露のように透明に光り輝き、そして儚いそれを掌から他の者の体に注ぎ込んで、その者の中にある悪しきものを浄化する。

 これが浄めの術だ。


 修行は厳しかった。少なくともあたしにとっては。

 なにしろ精神を集中する修行というのは、結局何もしないでじっとしてるってだけなんだもん。

 これは辛いよ、ほんと。


 初めの一ヶ月は……、何も起こらなかった。

 なんだよこれ座禅かよ、と思ったけど、それでも最初の頃は我慢できた。

 だって、こんな訳のわからない術がそう簡単にできるようになるなんて考えるほど、あたしも馬鹿じゃなかったし、それに最初に婚姻届の光を見せてもらっていたおかげで、なんとなくイメージも掴めていたから。

 あんな感じの光が出せるようになればいいんだな、くらいに思っていた。


 次の一か月も……、何も起こらなかった。

 はっきり言って、この修行は座禅なんかよりもずっときつい。

 なぜって、ただ心を空にしてじっとしてるだけとは言っても、座禅はその結果何も起こらなくてもそれは当然のこと。そのままずっと続けていればいいだけなのに、あたし達の修行はそうじゃない。

 何かが起こってくれなくては困るんだ。

 それがいつ起こるのかも、そもそも本当に起こるのかさえも、誰にも判らない。判らないのに、じっと耐え続けることしかできない。

 まるで、出口の見えないトンネルを、たった一人で歩き続けているみたいな……。


 そして三ヶ月目。

 我慢が焦りに変わり始めた頃、やっとかすかな兆しが見えた。


(あ……)


 心の中心で、ポッと火が灯るような感覚。

 真っ暗な闇の中に、小さな小さな光が生じたと思ったら、その輝きは次第に強く、鋭くなって行った。

 そして光は暫くその場にとどまった後、ゆっくりと下に落ち始めた。


(だめ……)


 両手を差し出して、そっと受け止める。

 目を開いても、その光はあたしの手の中で静かに輝き続けていた。


「姉ちゃん」


「うん」


 藍子姉ちゃんにも見えている。これが、これが心の滴だ。


「あ……」


 輝きが少しずつ小さくなって行く。


「お願い、行かないで……」


 その言葉が終わらないうちに、光は空気に溶け込むように、ふうっと消え去ってしまった。


「ああ……」


「これが心の滴か。やったな、撫子」


「うん、でもまだまだこれからだ」


 やっと見えた出口。ここからはダッシュで駆け抜けてやる。


 と、決心してから3カ月。

 その間、あたしの心が再び輝くことは一度もなかった。


 なんで? どうして?

 焦りと失望の毎日。かつての期待も希望も、どこかへ置き忘れてきてしまったような気分に陥り、一度だけ見えたはずのあの光でさえ、もしかしてただの錯覚だったのじゃないかと思い始めていた。

 でも、それでも、諦めの心だけは抱かなかった。

 そしてそれが、とても苦しかった。


 そんな、唇を噛みしめるような日々が続いた、ある秋の日。


「……」


「……」


「…ねえ、藍子姉ちゃん」


「何?」


「足、痺れた」


「あそ」


「……」


「……」


「…ねえ、藍子姉ちゃん」


「何?」


「腹へった」


「ふーん」


「……」


「……」


「…ねえ、藍子姉ちゃん」


「何?」


「飽きた」


「じゃあやめれば?」


「……」


「……」


「…うっ、…うっ」


「泣くことはないだろう」


 姉ちゃんが、とうとう顔を上げた。


「だあってえー」


「まったくもう、しょうがないなあ。

 お母さんが言ってただろう? これは心を空っぽにする訓練なんだから、そんなに焦ったってしょうがないんだよ。別に正座なんかする必要もないし、もっとリラックスしてやればいいのに」


「だって、姉ちゃんはちゃんと正座してるじゃん!

 あたしだって、一生懸命やらなくちゃダメだもん!

 だってもう半年だよ! こんなんじゃ……、こんなんじゃ間に合わないよ!」


「馬鹿、気張りすぎだよ。

 私は正座でも平気だから、これでいいの。

 だいいちお前は、こないだはちょっとだけ出来ていたじゃない。あの時の感覚を思い出すようにすればいいんだよ」


「でも、ほんとにちょっとだけだったよ。少し光ったと思ったら、あっという間に消えてなくなっちゃったし。

 あれを掌いっぱいに溜めるなんて、絶対に無理だよ」


「それでも撫子は凄いよ。私なんて、これだけやってもまだそこまで行けてないんだから」


「姉ちゃんでも、やっぱりダメなの?」


「うん。もう少しで何かが見えてきそうな感覚はあるんだけど、でもお母さんや撫子が言うような、命のしずくが滴るって感じじゃないんだよな。

 なんて言うか、空を飛ぶような、私が世界に溶け込んで消えて行ってしまうような……」


「ん? なにそれ。あたし、そんな風になったことないよ」


「そっか。やっぱり何かが違うんだ」


「じゃあ、もっかいやってみる」


「うん、私も……」


 姉ちゃんの言う通りに。今度は脚を崩して、楽な体勢で。

 目をつぶり、ゆっくりと静かに呼吸を繰り返す。

 頭の中を空っぽにして、余計なことを考えないように……。


 なんて、色んなことが頭の中をぐるぐる回って、空っぽになんかできないよ。

 空っぽと言ったって、ただボーっとしていればいいってもんじゃないことくらい、あたしにだって判る。

 でも、心を清い想いで満たすって言われても。


 清い想いって、いったい何だよ。あたしなんかが良いことを考えたからって、どうなるっていうの?

 世界平和? この世から争いが無くなりますように? 病気の人や貧しい人を助けてあげる?

 違う違う! そうじゃないだろ!

 そんな取って付けたような、薄っぺらなことじゃなくて!

 ちくしょう、こんなんじゃ……。こんなんじゃ巴絵を救うことなんて……。


(撫子…焦っちゃダメだ……)


「姉ちゃん?」


 気が付くと、藍子姉ちゃんはあたしの手を握ってくれていた。

 声をかけても返事はなく、目をつぶったまま精神集中をしているようだ。


「うん」


 あたしも再び目をつぶり、精神を集中させる。


(ありがとう、藍子姉ちゃん)


 そうだ。このあたしに、世界を救うことなんかできる訳ないじゃん。

 そんなとんでもないことなんか、考える必要はない。

 あたしにできるのは、巴絵を救うことだけ。だからそれだけを考えればいい。


 巴絵の命を、魂を救う……。

 あたしの想いで……。

 心の光で……。


  光……。心の光……。光のしずく……

  心ってなに……? 魂ってどういうもの……?

  命あるものには魂が宿り……心が生まれる……

  心あるものは魂を持ち……それが命となる……

  命と心は同じもの……? 心あるところに命も生まれる……?

  じゃあ、あたしの心は……あたしの想いは……


  あたしは……巴絵を助けたい……

  あいつがいなくなるなんて……そんなの嫌だ……

  あいつの泣き顔なんか、見たくない……

  あいつはあたしの、半分だ……

  生まれてから今まで、ずっと一緒に生きてきた

  これからもずっと、ずっと一緒に生きて行く

  あいつの笑顔と! あいつの幸せと!


  いつまでも!

  いつまでも!


  ずっと!


  ずっと!!


 いつしかあたしの心の中には、その想いだけが嵐のように吹き荒れていた。

 止められない……止められない……。なにこれ、怖いよ……姉ちゃん……。

 滴だなんて、そんな小さなものじゃない。

 心の奥底からとめどなく溢れ出すその想いは、滴り落ちるどころか、受け止めることも出来ないほどの奔流となって、あたしの心を押し流そうとした。


 これが……あたしの……。

 ゴウゴウと音を立てて荒れ狂う、光の大洪水。

 そうか、これでいいんだ。


 あたしはためらうことなく、その流れの中に自分自身を投げ込んだ。

 そうだ。

 想いを心に満たそうとするのではなく、想いの海にあたし自身を沈めてしまえばいい。

 そうすれば、ただ手を差し出すだけで、いつだって好きなだけ光を注ぐことができる。


「撫子!」


 藍子姉ちゃんの声が聞こえる。

 大丈夫、大丈夫だよ。

 ここはあたしの心の海、決して溺れたりなんかしない。


 ゆっくりと、目を開く。

 涙が溢れて止まらないよ。でも……。


「撫子、大丈夫か?」


「うん……大丈夫。藍子姉ちゃん……、見て……」


 あたしの両手が、ピンク色の光に包まれている。

 手を上げると、掌からこぼれ落ちた光の粒が、風に舞うタンポポのように宙に踊った。


「すごい……。これが……」


「うん、命の滴だ。姉ちゃん、手を出してみて」


 差し出された藍子姉ちゃんの手の中に、溢れ出る光を注ぎ込む。


「温かい……。撫子、やったのか」


「うん。これで巴絵を救える」


 それは、母ちゃんが教えてくれた方法とは全く逆のやり方だった。

 一歩間違えば、あたしの心は自分自身の想いの中に溶け去ってしまって、二度と目覚めることはなかったはずだと、後でこれを聞いた母ちゃんは声を震わせた。

 でもあたしには、絶対にそんなことにはならないという確信があった。

 なぜって? だって、巴絵がいたから。

 あたしがどんなに自分の想いに溺れようとも、そこにあいつがいる限り、あたしの心はその姿を見失ったりはしない。

 つないだ手を、決して離したりはしないんだ。


 やっとたどり着いた出口。

 でもここがゴールじゃない、ここからがスタートだ。

 巴絵の幸せはあたしが守ってやる!


 でもその一方で、藍子姉ちゃんは結局最後まで術を会得することができなかった。あたし以上に必死に修行したのに。

 想いの強さに差があるとは思わない。姉ちゃんだって、巴絵のことをあたしや蓬子と同じ妹の一人だって思ってくれているし、本気で巴絵を救おうとしてくれている。

 やっぱり、体質みたいなものがあるのかな。

 姉ちゃんはとても悔しがったけど、これだけはあたしにもどうすることもできなかった。


 それからずっと、あたしは巴絵の胸に術をかけ続けている。

 術自体は簡単だ。

 巴絵の胸に手を当て、心の光を注ぎ込むように呪文を唱える。つまり『引っ込めおっぱい』だ。

 巴絵に真実を話すことはできなかった。

 とても信じて貰えるような話じゃなかったし、例え信じたとしても、あの婚姻届が原因と知ったら巴絵は悲しむに決まっている。

 悪いのはあいつじゃない。家にこんな呪いがあるのが悪いんだ。


 ただ一つだけ、問題があった。

 実はあたしの力はあまり強くなくて、呪いの完全な浄化には不充分だったんだ。

 術をかけると、確かに手ごたえを感じる。巴絵を覆う嫌な感じが消えるのがわかる。

 でも何日か経つと、またおかしな気配が巴絵の胸のあたりにまとわりついてくるのが見えてくるんだ。

 繰り返し、術をかけるしかなかった。


 でも巴絵にしてみれば、あたしがタチの悪い悪戯をはじめたとしか思えないから、反撃は容赦ない。

 あたしがあいつのおっぱいを掴むたびに、本気の蹴りとパンチが飛んできた。


 藍子姉ちゃんはその様子を見ては、力になれない自分を悔やんだ。


「撫子ごめん、お前にばかり辛い思いをさせて。お姉さんなのに、何もしてやれないなんて」


「大丈夫だよ、藍子姉ちゃん。これはあたしの役目だ」


 嫌われてもいい、殴られても蹴られても平気だ。巴絵はあたしが守る。


 いつか呪いが消え去って、巴絵に平穏な日々が訪れますように。

 その祈りを込めて、あたしは呪文を唱え続けた。



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