第一話-13 ショッキング・ピンク
★★★
放課後、私は体育館にいた。
我が校には、新旧ふたつの体育館がある。部活の時には、少し小さめの旧体育館をバレー部と剣道部が、広い新体育館はバスケ部と卓球部が使っている。
そして私が今いるのは、新体育館の方。
今日はバレー部の練習をサボって、バスケ部の見学に来ている。
なぜかと言うと……。
「「おおおおー……!」」
館内に、どよめきと歓声が沸き上がった。
それまでと明らかにリズムの違う、高速のドリブル音が体育館に響き渡り、その激しいビートとともに漆黒の獣がコートの中を駆けて行く。
獣は、まるでディフェンスなど存在しないかのように一直線にコートを走り抜け、ゴールに向かって一気にジャンプした。
小さな体が鳥のように宙を舞い、リングの上から思い切りボールを叩き込む。
館内が、再び歓声に包まれた。
「いやー、やっぱ撫ちゃん凄いわ」
私の隣で、大生くんが溜息をもらす。
ほんと、何度見ても凄い。
期末試験が終わって、撫子は溜まりに溜まったストレスを発散すべく、バスケ部の練習に参加していた。
もちろん、バスケ部の人達もみんな大歓迎。練習は試合形式で行われて、相手はなんと男子部だ。
そしてこの日の体育館は、撫子が出るという噂を聞きつけたギャラリーで超満員。
やっぱこの子の人気は凄いわ。
今日の撫子は、黒のタンクトップ。いつものように、ダブダブのユニフォームを腰のあたりで団子に縛っている。
小柄なあの子に合うサイズがないから仕方なくやっているという訳でもなく、どうやらあのスタイルがお気に入りらしい。
まあ、あの子らしくて似合っているし、時々おへそが覗くのも可愛いから良いけどね。
撫子は、プレースタイルも独特だ。
その小柄な体を存分に生かし、抜群の反射神経と思い切り低い姿勢で、相手ディフェンスをスイスイとかわして行く。
加えて、あの驚異的なジャンプ力。
どうしてあの身長でダンクなんかできるんだろう? ひょっとすると、私よりも高く飛んでいるかもしれない。
それに、空中でも自在に体勢を変えられるらしく、頭上に伸びる何本もの腕の間を平気ですり抜けて、飛び出してくる。
マシンガンのような超高速のドリブルも、撫子の持ち味だ。
あの低い体勢だからこそ可能な高速ドリブルは、相手のリズムを狂わせ、しかも小刻みに左右にブレる独特の動きで、敵を翻弄する。
あれはもう、分身の術そのもの。
敵味方共に大柄な選手たちの足元を自由自在にすり抜け、コートの中を縦横無尽我が物顔で走り廻る。
その姿はまるで……。
「ゴキブリみたい」
「え゛?」
あらやだ、声に出ちゃったわ。
「いいいやっほほほほほほほほほほほ!!」
撫子が、またボールを奪った。
ほほほほほほほ! と奇声を発しながら一直線にゴールへ向かう彼女の、あのどんなディフェンスも紙一重ですり抜けてしまう、魔法のような体捌きは、私の蹴りをかわす時と全く同じ。
あの技はもしかしたら、毎日の私との喧嘩の中で培われたものなのかもしれない。
そしてまたもや、ダンクシュート!
ギャラリーの間から溜息が漏れる。
とにかく撫子にボールが渡ったら、もう決まったも同然。
そのプレーは、味方にとっては無敵の槍、敵にとっては悪夢、そして観客には特撮以上のイリュージョンだ。
ただし残念なことに、撫子はロクに練習をしないのでまるで持久力がない。
試合の時だって、終盤のほんの5分くらい出てくるだけだから、撫子一人の活躍でチームが必ず勝つとも限らない。
元々うちのバスケ部は、弱小なのだ。
以前、バスケ部の子に「なんで正式部員にしないの?」と聞いてみたことがある。
そしたら、
「だって、そんなのつまんないじゃない。大体うちの部なんてヘタクソばっかりなんだから、一緒に練習なんてできるわけないし。
あの子は試合を盛り上げて、ついでに時々、私たちに勝利を味あわせてくれればいいのよ」
ということだった。
そういうものなのかな。
とにかく、撫子のプレーは見る者全てを魅了する。
アイドルのような顔立ちと、野生動物のように鋭いプレースタイルのミスマッチに加え、出場時間が短いこともファンにとっては魅力らしい。
どうも巷(ただし学外ね)では、「人には言えない故障が」とか「実は不治の病で」とか憶測が飛び交っているらしく、それも人気の一因になっているようだ。
真相は、ただ根性無しなだけなのにね。
「初めて目にした者は誰もが衝撃をおぼえ、二度見た者は虜になる。人呼んで『ショッキング・ピンク』か。
どう、この盛り上がりは? 『ザ・サイクロン』も負けちゃうんじゃない?」
「私、その名前嫌いなんだけど。だって可愛くないんだもん。私も撫子みたいなのがよかったわ」
誰が付けたか知らないけれど、女の子のニックネームにサイクロンはないと思わない?
ちなみに『ピンク』っていうのは、撫子の花の英語名ね。
いいなあ、可愛くて。
「第2ピリオドも5分経過か。そろそろ限界だな」
大生くんが、時計を見て呟く。
「えっ、もうそんなに経ったの? すごい、新記録じゃない」
中学のバスケは、1クォーター8分を4回、その間にインターバルが入る。
バスケは、バレーとは違って試合中ずっと走りっぱなしで、しかもほとんど全力疾走だ。
選手はその中でも、緩急を考えながらスタミナが切れないようにプレーするのだけれど、お馬鹿な撫子はそんなことはまるで考えず、本能の赴くまま全力で走り回っている。
ただでさえ基礎体力がないのに、これではすぐ潰れちゃうのも当たり前よ。
「あーあ、来た来た」
私達の予想通り、撫子のスピードが急激に落ちてきた。息が上がって、もうフラフラのようだ。
かつての漆黒の獣は、もはや酔っぱらいのカラスといった感じで、コートの中をよたよたと右往左往している。
ホントにあーあ、だわ。
「見てられないわね」
「ほら、キャプテンが動いたよ」
審判役のキャプテンが、撫子を引っ込めようと苦笑しながらホイッスルを吹こうとした。その時。
ヘロヘロの撫子に向かって、鋭いパスが飛んだ。
「あっ!」
「撫子!」
「ふえ?」
バチコーン! という効果音と共に、撫子はそのボールを顔面でキャッチした。
「キャーッ! 撫子ーっ!」
ひっくり返った撫子を見て、慌てて飛び出す私。
他の選手たちも、集まって来た。
「あーあ」
「だから1クォーターで引っ込めって言ったんだよ」
「まったくしょうがねえなー」
「巴絵、後はよろしくねー」
コートの真ん中で白目を剥いている撫子を取り囲んで、皆、言いたいことを言っている。
心配してくれる人が一人もいないというのが、実に哀しいわ。
私も溜息をつきながら撫子を抱え上げると、コートの外へと運び出した。
『ショッキング・ピンク』のご退場に、あちこちからパラパラと力ない拍手と、失笑と溜息が聞こえてくる。
ちなみに、さっきゴールした時の溜息は「ほおーお」で、今の溜息は「はぁあ」。
みんな撫子の正体は良く知っているから、どうせ最後はこんなもんだろうと思っていたのね。
その上「やると思った」とか「やっぱ壬鳥だもんな」とかいう声まで聞こえてきて、なんだか私の方が恥ずかしくなってきちゃうわ。
そして当の撫子はというと、私の腕の中でぐったりとしたまま、ハァハァと荒い息を吐きながら、その顔に恍惚の表情を浮かべていた。
よかったね、満足したのね。
「まったく、しょうがないわねえ。この後、カラオケに行くんでしょう? 大丈夫なの?」
「カ…、カラオケ……。い……いぐ……」
「はいはい」
ちゃんと聞こえてたみたい。
「と……とも……」
撫子がノロノロと手を上げる。
「ん? どうしたの?」
何か言いたげな撫子の言葉を聞き取ろうと、耳を近づける。すると、
「お…っぱ……」
撫子の両手が、私の胸をしっかと掴んだ。
「なにすんじゃこのクソガキ!」
思わず撫子をコートの中へ放り投げると、その顔面にまたもやボールが直撃した……。