第一話-10 終わらない悪夢
☆☆☆
次の日の朝。
明け方まで続いた容赦ないしごきで身も心もボロボロのあたしと、体力馬鹿の疲れ知らずで超元気な巴絵は、またもや持ちきれないほどの手紙やら花やらを抱えて、教室に入った。
大生は先に登校していたようで、自分の席で携帯と何やら格闘している。
「おはよ」
「あぁ、おはよう撫ちゃん」
携帯をいじりながら、こっちも見ずに生返事。何をやってんだろ?
「ねえ、またこんなに色々貰っちゃったんだけど。何とかなんないの?」
「んー、今やってるから。も少し待っててね」
「て、さっきから何してんの?」
「いいからいいから、まかせといてよ」
「?」
よくわからんけど、あたしは深く考える気力もない。
ああ、この地獄があと何日続くの? こうなったら、むしろ試験が待ち遠しい。
「あ、そうだ、撫ちゃんともちゃん」
「ん?」
「なあに?」
「悪いけど、そこで二人でニコッと笑って、ピースしてくんない?」
なんだそれ?
あたしと巴絵は顔を見合わせ、まあいいかという感じでポーズを取った。
大生はそれを写真に撮ると、満足げにまた携帯をイジり始めた。
「おい、その写真をどうすんだ?」
「うん、やっぱ写真くらいはないとね」
なんか怪しい。
「ねえ、ちょっと大生くん。その写真……」
巴絵も心配そうに声をかける。
うん、変な事に使われたりしたらたまんないもんな。
「大丈夫大丈夫、心配すんなって。この俺が二人に迷惑かけるような事をするわけないだろ」
「嘘つけ。誰がお前のことなんか信用するか」
「そうじゃなくて。私、ちゃんと可愛く写ってる?」
て、そっちかい!
☆☆☆
そして次の日もその次の日も、お勉強会という名の拷問は続き、あたしは3日目にして既に人の心を失いかけていた。
なにしろ、朝がつらい。
いったいいつ寝て、いつ起きたのか。朝ご飯とか着替えとか全然記憶にないのに、なぜか気がついたら学校にいるという超常現象まで起きている。
そしてとうとう、悲劇は起きた。
今朝も、次々と手渡される手紙やらプレゼントやらを機械的に受け取りながら、あたしは朦朧とした意識のまま、学校に向かっていた。
そこにいつものように、元気いっぱいの渚ちゃんが現れた。
「きゃはん、撫子様っ。おっはよっうごっざいっますうっ!」
渚ちゃんは歌うように挨拶しながらあたしの腕に抱きついてきて、そしてすぐにあたしが抱えている手紙の束に気づき、眉をひそめた。
「あぁぁ、渚ちゃん……。おあょぅ」
はあ、声を出すのも辛い。
「うわあ、今日も身の程知らずがいっぱい来たんですねえ。私が全部捨てましょうか?
って、撫子様! どうなさったんですか、そのお顔!」
顔? ああ、きっとゾンビみたいになってんだろな。
「うぅ、ちょっとね。試験勉強で……」
「期末試験ですか? すごーい。こんなになるまで一生懸命お勉強するなんて、撫子様って真面目なんですねえ。
さすがです! 尊敬します!」
巴絵のやつが隣で苦笑いしてるのが見えた。このやろう、誰のせいだと思ってんだ、馬鹿おっぱいめ。
「はは、ありがと」
「でも、いくら何でもそのお姿はおいたわし過ぎます。撫子様、お疲れでしたら私に寄りかかって下さってもいいんですよ?」
言い訳するわけじゃないけど、その時のあたしは本当に疲れていて、まともな思考ができなかったんだ。
「ホント? ありがとう。渚ちゃんはほんとに優しいね、大好き」
言うやいなや、あたしは渚ちゃんに思いっきり抱きついた。
渚ちゃんは1年生だけど、あたしより少し背が高い。手を伸ばして首をかかえ込み、体を預けるようにギュッと抱きしめた。
当然、持っていた手紙は全部落ちて道に散乱したけど、そんなのは全然気にしない。
「ふええ、な、撫子様そんなだだ大胆な……。あはあ、いい匂い」
「ちょ、撫子! あんた何してんの!」
巴絵がなんか言って騒いでる。うるさい、お前なんかより渚ちゃんの方がずっと優しいじゃないか。
あたしは、巴絵の馬鹿をほったらかしにして、大勢の生徒達が登校して行く中、渚ちゃんに抱きついたままうっとりと目を閉じていた。
あー、このままここで寝ちゃいたい。
そして、周りにまたもや人の輪ができていることにも、まるで気付いていなかった。
「渚ちゃん、あったかいなあ。それに柔らかくて、えへへー、ほっぺもぷにぷにだあー」
「あっ、な、撫子様も柔らかいです。でっ、でも、みんな見てますよ」
「渚ちゃんお肌すべすべだねえ」 スリスリ。
「えっ、ちょ、だめ……」
「うふ」 ブチュ。
「ひいっっ!」
その瞬間、あたし達の周りでカシャカシャとかピロリロリンとかいう音が一斉に鳴り響いた。
♦♦♦
これが後に「木曜日のホッペチュー事件」と呼ばれ、撫ちゃんの真っ黒歴史の1ページを飾ることとなるのであった。
ああ、俺も見たかったなあー。
☆☆☆
バカ大生、勝手に割り込むな!
★★★
「死にたい……」
また言ってる。今日、何度目?
「ああ、もう死んでしまいたい……」
撫子は、朝からずっと机に顔を伏せたまま、ひたすら死にたい死にたいと呟き続けていた。
あの時私は、すぐに周りの連中に「あんたらその写真を消しなさい!」と怒鳴ったけど、もちろん手遅れ。あいつらときたら、蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出しやがって、まったくもお。
舞島さんは腰が抜けたみたいにヘタリ込んじゃったし。撫子は撫子ですぐに我に返ったのはいいけれど、「いやああ! 恥ずかしいいっ!」と顔を押さえてしゃがみ込んだまま、立ち上がろうとしないし。
二人の手を引いて教室まで連れてくるのは、ホントに大変だったわよ。
とはいえ、撫子の気持ちも良く判る。私だって、公衆の面前であんなことをやらかしたら、きっと死にたくなるわ。
「ねえ撫子、そんなにずっと頭を机に乗っけていたら、おでこが真っ赤っかになっちゃうよ?」
私は慰めの言葉が見つからず、優しくそんなことを言ってみるけど。
「うん、そうだね巴絵。机さんごめんなさい」
そう言って撫子は一旦頭を上げてから机に向かってお辞儀をし、そのまままた頭を机に乗せた。
意味ないわ。
「そうじゃなくて、撫子のおでこが」
「うん、そうだね巴絵。おでこさんごめんなさい」
そう言ってまたお辞儀をし直す。
ああ、もお。
「ああ、あたしは恥ずかしい。朝っぱらから、みんなの見てる前であんなハレンチなこと、写真まで撮られちゃったし。
ああああああああああはあぁぁ……」
うーん、困ったわ。
撫子がこんなに落ち込むのなんて、見たことがない。
「ねえ巴絵、お願いがあるんだ」
「なあに? なんでも聞いてあげるよ?」
「あたしを殺してええええええんん」
うわあ、ダメだこりゃ。
「だっ、大丈夫よ撫子。大したことじゃないから、そんなに気にする事ないって」
撫子をなだめながら、私は内心ちょっと反省していた。
やっぱり、勉強のしすぎが悪かったのかしら。いくらなんでも、今朝のアレはなかったわよねえ。
はあ、しょうがないか。
「わかった! じゃあ、今日からお勉強は少し軽めにしましょう。ねっ」
「ほんと?」
撫子が顔を上げた。
「うん、ホントホント。やっぱり無理しすぎるのは良くないし、試験はまだ先なんだから、のんびりやりましょ」
「うん、ありがとう。巴絵って優しいね」
そう言って撫子は涙ぐむ。そんなに辛かったの?
「ううん、私の方こそごめんね。撫子がもっと楽しくお勉強できるように、私も頑張るから」
「うんっ!」
★★★
その日の夜は、私は約束通り撫子に精一杯優しく、お勉強を教えた。
無理なく。撫子が、勉強が楽しいって思えるように。
丁寧に丁寧に。
一生懸命。
……力一杯。
そして深夜。静かな住宅街に、撫子の叫び声がこだましたのだった。
「巴絵のうそつきいいいぃぃいぃぃいぃーー……!」