6才 (ケイトス ③)
取り敢えず纏まりましたが、予想外にどんどん内容が増え、今までで一番長くなりました。……四万字越えております。
そして、不思議なことに本編に未だ出ていない攻略対象者が出てきてます。
「ケイトス様。本日の予定ですが、朝食後はリフィーユ嬢の元へ行かれるのですか?」
早朝訓練後、クーガに話しかけられた僕は一つ頷いた。
地の精霊王をリフィと呼び出してから三日が過ぎ、この三日間、僕は朝食後に毎日従兄弟の家に入り浸っては本を読んだり、魔法の訓練したり、武芸の鍛練したり、午後に街に繰り出しては、同年代の子供たちと遊んで街を駆けずり回っていた。
「何も予定はなかったと思うけど、急用でも入った?」
「いえ、遊びに行かれるのもよろしいのですが、たまにはこちらにご招待されては如何かと思っただけです。シェルシー様のお部屋もまだ残ったままですので。まぁ……警護の者たちが多い男所帯でむさ苦しくはありますが。……やはり、大の男ばかりというのは怖いものでしょうか…?」
クーガが考えるように、顎に手を当てて呟いた。どんな時もそつなく正解を選択する彼にしては珍しい姿だ。
いつもなら特に気にせず流すのに、今日は少しからかってみたくなった。
「クーガもそんなにリフィに会いたいの?」
「…………自分も、ということは、他の誰かに面会を催促されたのですか?」
質問をはぐらかされたことに気づいていたけど、触れないことにした。クーガの疑問に答える。
「朝練の時にラッセルたちに、今日も従兄弟の家に行くって言ったら、一目見てみたいから連れてきてって頼まれた」
「あいつらは、まったく……」
クーガは頭が痛そうに額を押さえた。僕は苦笑するしかない。サンルテア家の皆が気にしている僕の従兄弟。連れてきて引き合わせたいのは山々なんだけど、調整が必要なんだよね。王子たちや他の貴族たちに会わせないために。
もうそろそろ城で、次の勉強会という名目の交流会やお茶会もある。その準備に追われてリフィの相手ができないのも嫌だし、ないとは思うけど、急にイナルやキースが来るとも限らない。王子もその二人も城で外せない用事があって、確実に現れない日に、万難を排してリフィを招待したい。会いたくないと力説した彼らに、万が一この家で鉢合わせたら、きっとリフィは遠慮して遊びに来なくなるし、よそよそしくなると思うんだ。
「日程を調整して、誘ってみるよ。家の警護隊と護衛隊全員と一気に会わせたらさすがに驚くと思うから、慣れるまでは少しずつ会わせる方がいいかな。リフィの家の男手って料理人と執事のジャックと従僕、庭師兼下男の四人で若い男はあまりいないから。メイド業もこなす侍女のメイリンを除けば、女性も三人と少ないよね」
「そうでしたか。それではこの男所帯に驚かれるかもしれませんね。サンルテア家は他の貴族よりも多く警護と護衛の私兵を抱えておりますから。畏まりました、リフィーユ嬢がいらっしゃる際はお知らせ下さい。当日の警護の人数調整をしておきます」
「うん、ありがとう」
クーガならしっかり統制してくれるだろう。僕は笑顔で頷いた。ついでにこの際だから、リフィが貴族全般に会いたくないと思っていることも伝えておく。
クーガが目をぱちくりと瞬かせた。商家の令嬢が後ろ楯や便宜をはかってくれる貴族との繋がりを望まないなんて、そういう反応になるよね。
「だから、絶対に会わせないようにするから、クーガもそうして」と言えば、クーガが「畏まりました」と苦笑して頷いた。
シャワーで汗を流して、清潔な服に着替えてベストに袖を通した僕に、クーガがジャケットを持って後ろに立つ。暑いから今日はいらないかな。向こうに行けばすぐに訓練だし、午後には街で昨日の続きの鬼ごっこで遊ぶ予定だから。
クーガは意を読み取ったようで、さっさと片付けて代わりにリボンタイを差し出す。でもそれも襟元が苦しくなるし、良家の子供って感じになるから断った。
朝食の席について簡単に済ませて、いざ出掛けようと最後に水を飲んでいたら、席を外したクーガが戻ってきて一通の手紙を差し出した。宛名は当然ケイトス・サンルテア。僕の名前が子供の字体で書かれていた。……嫌な予感がする。
席に座ったままで受け取り、宛名からひっくり返すと赤い封蝋に翼を広げた火を吹く竜の紋章━━王家からだ。
僕は胡乱げにそれを見て、無視することも出来ないので、仕方なくクーガからペーパーナイフを受け取って開封した。
中身にざっと目を通して、クーガに渡した。恭しく受け取ったクーガが僅かに眉を顰めて、視線でどうするのかと問うてきた。
内容は、急に手紙を送って詫びる内容と、季節がらの簡単な挨拶。それと急遽送った訳━━第一王子から限られたメンバーでの遊びのお誘いだった。メンバーは宰相子息のイナル、騎士団長子息のキース、他に数名と第二王子も含まれていて、あちこち探検したいというものだった。はっきり言って興味ない。
おそらく、弟の第二王子あたりと冒険の話で盛り上がって、探検することにしたんだろう。あちこち━━城の禁止区域や城を抜け出しての探検。思いついて、早速のお誘いといったところか。
返事は今日の昼までに。急なことなので、強制ではなく用事があるなら優先していいとのこと。でも実質、手紙を受け取った臣下にとっては、ほぼ参加しろという命令に近い。断れるとしたら、王家に近い公爵家や侯爵家、名の知れた有力貴族たち。でも子供の招待状だから王様ほどの強制力はない。
「予定があるから断っておいて」
「畏まりました」
王子たちのお守りなんて冗談じゃないよ。イナルとキースがいれば、充分なはず。王様や重鎮たちに言い含められているのか、第一王子は僕に話しかけようとしたり、イナルたちと遊ぼうと誘ってくるけど有り難迷惑なんだよね。普段は取り巻きという名の城に喚ばれる勉強会仲間が王子との間に立って、僕を構わないように見下してくるから、あまり口もきかずに済んでいるけど。
城も王族も好きじゃない。僕は早々に出掛けようと玄関ホールに向かい、用意された馬車に乗り込んだ。このままじゃイナルから遊びにつきあってほしいって手紙が届くか、迎えがきて城に連れて行かれる。そうなる前に先手必勝だよね。いなければ手紙が届いても、迎えがきてもどうしようもない。
僕が敷地を出た後で、早馬が駆け込んで行くのが見えたけど、何も見てない事にした。
・*・*・*
ムーンローザの館につくと、いつものようにジャックに出迎えられてリビングに通された。ソファーで本を読んでいたリフィが顔を上げて、僕を見ると「今日は早いね」と笑った。
簡単に挨拶を済ませて、そのまま広い庭へ出る。すぐに伯母様と侍女のメイリンが現れて、訓練が始まった。これがここ数日の日課だった。
大体お昼になるまでの、一、二時間内で組手と魔法の練習。その後、汗を流して着替えてから昼食。それがいつもの流れだけど、今日は朝食後すぐに僕が来たから、正午まで二時間くらい余裕があった。だから、シャワーを浴びて着替えた後は、リフィとのんびり池の畔の東屋で読書することにした。今日も快晴できつい日差しだけど、屋根のある日陰にいるので、外にいるのも苦にならない。むしろ時折、風が水面を揺らして吹き抜けるので、涼しいくらいだ。
ちなみにアッシュは訓練中は日陰で寝ていたけど、今は精霊界から遊びに来た双子の弟妹と庭を駆け回っていた。何でも土の精霊王が、リフィとアッシュと僕がいるならその敷地限定で遊んでいいと、許可して送ってくれたらしい。
アッシュよりも白くてふわふわの毛並みに、どちらも濃茶色の瞳。リフィが大歓迎で「ふわふわ~」と二匹とも抱き締めて離さなかった。それを何とか引き離して、二匹の子犬とアッシュの追いかけっこを見守る。
弟を仮名でグラウンと僕が名付けて、妹をリフィが仮名でチョコと名付け、双子の精霊がそれでいいということなので、その通りに呼ぶことにした。
最初にリフィが「大福!」と笑顔で叫んだときはアッシュが「ふざけんな、センスゼロ娘! てか、大福ってナンだ!」と怒ったけど、「色的にチョコ大福なんだよ」とリフィが訴えて、妹が「チョコってかわいい」と言うと、アッシュが負けた。やや落ち込むアッシュを僕とグラウンで慰める。
双子はアッシュよりも小さくてすばしっこい。けれど、力は強くて……バキィッ!! ドゴォッ!!
……木を薙ぎ倒しながら走るのはやめてほしい。とてもじゃないけど、読書に集中できなかった。すぐ元に戻すのはさすが地の上級精霊と言えるけど。
木々を傷つけたことをアッシュに怒られて、グラウンとチョコが落ち込む。それから言い争う声がして双子が逃げ回り、それをアッシュが俊敏に追いかけた。
僕は読書を諦めて、微笑ましいその様子を見守りつつ、隣で本に集中する従兄弟を眺めた。
東屋の木陰で、陽光を弾く水面の照り返しを受ける白い陶器の肌に、仄かに風に揺れる柔らかな薄翠の髪。シャンパンゴールドの瞳は思慮深く紙面に向けられており、長い睫毛が陰を落として大人びて見える。レースのついた白い丸襟に爽やかな水色のストライプのワンピースは、涼しげに見えてよく似合っていた。まるで一枚の絵画のようだと、ぼんやり見つめる。
この数日でわかったことは、リフィは一度本や何かの作業に集中すると、周りの声や騒がしさに気づかずそれに没頭してしまう傾向があるということ。
現に今も、子犬三兄弟の騒々しさに気づきもせずに、視線は文字を追っていた。それ故に、この状態だと簡単に誘拐されるのではと思ってしまう。
「リフィ~! 兄様から助けて!!」
チョコとグラウンが東屋に向かって駆けてきた。大声に気づいたリフィが顔を上げて、文字通り東屋に飛び込んできた二匹を、咄嗟に立ち上がって受け止めた。けれど勢いがありすぎてよろけ、庭から東屋への出入口同様に、池側にあった囲いの切れ目に向かって後ろから落ちそうになる。
僕が手を出してリフィの腕を掴んで引っ張り、ほっとしたのも束の間。追いかけてきたアッシュも勢いよく東屋に飛び込んできて、池側の出入口で団子状に固まって動けない僕たちにぶつかり━━ザッパァァァンッ!!
盛大に水飛沫が上がり、陽光を受けてきらきら光を弾いた。……見事に全員濡れ鼠。びしょ濡れだ。
助かったのは、池に面した東屋の付近は浅瀬だったこと。尻餅をついた僕とリフィの肩くらいの水位で、顔は水上に出ていた。
沈黙が落ちる。
それも数秒で、明るい笑い声が辺りに響いた。
「ふっ、あはははっ! ビックリしたね、ケイ!」
「本当に!」
きらきらと輝く水と日の光の中で、リフィの笑顔が弾けた。呆然としていた僕もアッシュたちもつられて笑い、何事かとやって来た伯母様とメイリン、ジャックが困ったように笑ってすぐにお風呂の用意を整えてくれた。
僕とリフィはそれぞれ、浴場に案内された。
その間にアッシュは時間だと弟妹を、精霊界の土の精霊王の宮殿に連れ帰ると浴室へ向かう際に言ってきた。こちらに召喚されてからアッシュも、自力で精霊界に行き来出来るように訓練していて、昨日ようやく成功したばかりだった。そのまま少し休んで、あっちで一晩のんびりしてくると言われたリフィは、「わかった」と笑顔で頷いた。
そうして、もう一度お風呂に入ったのはよかったのだけど。ここで問題が一つ。いつもの訓練後はシャワーを浴びるから、着替えを持ってきているけど、その着替えを汚した場合の替えはない。
一先ず、髪と体を乾かして、用意されていた大人用でぶかぶかの白いシャツを着た。伯父様のらしく布地は良いものだけど、裾が脹ら脛まで届いて、シャツワンピースみたいだ。
大至急、着てきた服と一緒にさっきの服も洗ってくれているけど、土汚れとかあるから落とすのに時間がかかると思う。楽しかったけどついてない。
浴室から出ると、チョコ色の装飾が一切ないすっきりとしたワンピースを着たリフィが待っていた。
現れた僕を見て可憐に微笑むと、「わたしの部屋にきて」と二階のリフィの部屋に手を引かれて案内され、引っ張り込まれた。
リフィの部屋は緑の壁紙に濃茶色の腰板が張られたさっぱりした爽やかな色合いの部屋で、森の中にいるような雰囲気だった。物も多くなく、清潔に片付いている。従姉妹とはいえ、異性の部屋に入るのは初めてで、少し緊張した。
任務で女性の部屋は何度か見たことがあるけど、その部屋とは違って落ち着くというか、ごてごてとしていない。派手なピンクや赤や極彩色でフリルやレースを至るところに多用した女の子の部屋より好感が持てた。
物珍しくてつい艶のある濃い茶色で統一された家具や、種類の豊富な本棚のある部屋を見ていると、壁半分の小部屋がウォークインクローゼットとなった衣装部屋の前に、いつの間にか立っていた。……何だろう。背筋がゾワゾワ、嫌な予感がする。
「あの、リフィ…?」
自分の服を掻き分け、何着か取り出して横に置いた従兄弟に、恐る恐る声をかけた。ずっと脳内に警鐘が鳴っている。思わず一歩後ずさると、振り向いたリフィが僕の手を掴んで微笑んだ。それはもう凶悪なまでに生き生きとした可愛らしい笑顔で。
「洗濯に時間がかかるし、午後の遊びの時間に間に合うか微妙だし、わたしのズボンは小さいし、シャツも全部洗濯中だし、その不恰好でいるのも申し訳ないから━━わたしの服を着て、ケイの服を買いに行こう」
「………………ちょっと待って。色々オカシイよね!?」
リフィがきょとんとした顔で僕を見てきた。可愛いけど、流されないよ。この人畜無害そうな従兄弟が、僕を女装させたがっているのは知っているから。
「この天気なら、着て遊んでいたら簡単に乾くよ。そのくらい我慢できるし、屋敷に戻るか、クーガか利用している服飾店に問い合わせて、既存の服を届けさせてもいい」
「急な任務でクーガさんたちは忙しいようで、ジャックがお店に問い合わせたら今日は人が出払っていて、届けられないみたいなの。しかも、下着はあるけど、ケイの体格に近いズボンは運悪く品切れで大きめのしかないんだって。大まかにサイズ調整しているけど、出来れば合わせた方がいいらしいから」
ちらりと見上げる星色の瞳と目が合った。僕の目が死んだような感じで顔色が悪くても、仕方ないと思う。こんなに切羽詰まった状態になるなんていつ以来だろう。魔力が暴走して制御不能で焦った四歳の時以来かな…。
「それでね、元から今日は半日でお店を閉めるらしいの。だから、今すぐにいかないと間に合わないんだ」
「……それなら服が乾くのを待っているよ」
「ケイ、今もまだ汚れが落ちないって洗ってるんだよ? 遊ぶ約束した時間までに乾くのは無理だと思う。それともわたしが一人で先に行って、後からケイだけ合流する? それでもわたしは構わないけど」
「━━それは駄目」
リフィ一人で行かせて、何かトラブルに巻き込まれたら困る。王都の外れでは今、誘拐が多発しているそうだから。警戒するに越したことはないし、目をつけられて狙われていないとも限らない。
それに、約束に遅れていくのも嫌だ。僕が貴族だから用事があって遅れるなんてなれば、折角出来た友達が遠慮して離れていく。
特に秘密ではないけど、別の仕立て屋に頼んで体の情報━━傷やサイズが他所に漏れるのも好ましくない。
つまり、選択肢は一つしかなくて……何でもう一着予備の服を用意しておかなかったんだろう。今回みたいな不足の事態だってあるのに。そもそもあの時、リフィを助けられたと安心して周りを見ていなかったから━━悔やんでも悔やみきれない…!
でも今回のことは、いい教訓になったよ。助けたとほっとして、辺りの警戒を怠ってはいけなかった。気が緩むときこそ奇襲や不意打ちが効果的になりやすく、油断を招くことになる。次は大丈夫。任務でも終わったからって油断しないし、計画でも何でも予備の予備まで備えておく必要があるってことだね。 今回は高い勉強料を払ったということにしておこう。
そんなわけで物凄く不本意だけど、リフィの服を借りることになった。リフィの服は訓練着以外は、すぐに成長するからどれも大きめに作られているらしい。一番飾りのない濃い緑の踝丈のワンピースドレスを着た……着られたときは少し悲しくなったよ…。
足元がスースーして落ち着かないけど、従兄弟はとても上機嫌。鏡台の椅子に座らせた僕の青緑の髪を、丁寧に梳かして濃い緑のカチューシャを挿してくれた。━━満面の笑顔で。
これがただの知り合いとかその辺の令嬢たちだったら、迷うことなく仕返しを考えているんだろうけど……リフィだからなぁ。
悪気は少ししかないし、こんなに嬉しそうにされて「可愛い! 美少女!!」と度々ぎゅっと抱き締められて愛情を示されていれば、怒る気も削がれていく。鏡に映る今の僕は死んだような顔をしているけど。
リフィが頬を緩めきった笑顔で、後ろから抱きついていた。子供特有の高い体温を感じる。俯いて、盛大にため息を吐いた僕は悪くないよね…。
そのとき漸く、広い鏡台の上に置いてあったポシェットと小さなL字型の小物に気づいた。……これ何だろう? 何だか胸騒ぎと危険な感じがして、落ち着かない。
「…リフィ、これ何?」
僕の視線の先に気づいたリフィが、「ああ!」とにんまり笑う。……何で嫌な予感しかしないんだろう。
「さすがケイ、お目が高い! それはね、無属性魔法で造った拳銃と異空間入れ物だよ」
「……ケンジュウ…? 異空間入れ物?」
「そう。この世界には銃ってあるのかな?」
「………銃はあるよ。長くて大きい物で、連射が出来ない物。この国と隣国ゴルドでは製造されていなくて、海を渡ったブロン国で作られているらしいよ」
僕の答えにリフィが「そんなものか」と小さく唇が動いたのが見えた。僕もちょっと違和感を感じて聞きたいことがあったけど、口を噤んだ。まだ聞けない。
知り合って一週間も経っていない血の繋がらない従兄弟に何でも話してくれると思うほど、自惚れても楽観的でもない。━━『この世界には』ってどういう意味? なんて。
リフィに説明を促すと、彼女は快く話してくれた。
拳銃というのは、魔力が皆無の人でも護身用に精霊魔法が使える武器らしい。弾丸を込めて、最大六発の連射が可能。引き金を引くだけで、強力な攻撃が発せられる。銃に込める弾には様々な属性を付与してあり、上手くいけば最大六属性を使えるとのこと。
『魔法銃』という名で売りだそう思っているとリフィが告げた。今はまだ試作段階で、これは子供や女性でも使える小型の物を、リフィが試すために造った物だと。
聞いたときにゾッとした。誰でも気軽にこれさえあれば攻撃魔法が使える。魔力が切れた人でも戦え、極端な話、魔力がない子供でも、犯罪に利用出来るようになるのだ。
僕の知っている従来の銃と違って、持ち運びも簡単で連射も出来る。そして壊れるまで半永久的に使用が可能。これが世に出たら、恐ろしい武器になるだろう。この従兄弟は何て物を簡単に造り出してくれたのだろうか。━━制作者は間違いなく大陸中から狙われる。
「そうパカパカ造れないから完全受注生産で、どこの誰が注文したかリストを作成して、銃にナンバリングを付けて管理するけどね。それと対人用ではないから、人に照準が定められた時点でトリガーにロックが自動でかかる仕組み。あくまで対魔物用。建物とか無生物を壊そうとか悪意を込めて銃を向けても、自動でロックがかかる仕組みにしたの。そして受注した本人以外には使用不可。この三点を三回守れなかったら、銃本体が自壊するよ。これ造るとわたしの魔力がごっそり持っていかれるから、五十から百挺くらいで魔物退治を生業とするギルド関係者に売る予定。ちなみに弾は別売りでね!」
しっかり商売と危機管理意識があるようで安心した。でもやっぱり、危険だ。値段をどんなに高く設定しても、それなら制作者を手に入れればいいと考える輩は掃いて捨てるほどいる。いくら素性を隠してギルドの登録名で人を介して売るといっても、知られるのは時間の問題だ。最悪、王様たちの耳に入り、招集されて利用されることも考えられる。━━そんなことは、させないけどね。
「それでね、この異空間入れ物も試作なんだけど、あらかじめ決めた入れ物にかけた無属性魔法で、例えばこの部屋の広さと同じ空間っていう設定にしたら、入れ物にこの広さの異空間を形成して入れられる分だけ際限なく、物でも食料でも詰め込めるという便利なものなの。どれだけ入れても重さもこの入れ物の重量のみ。しかも入れた時点で、入れた物の保存状態が保たれるという優れもの! だから、魔物に襲われて死にそうな仲間をここに収納すれば、まだ生きている仮死状態でお医者さんか魔法使いのところまで運べて、すぐに治療すれば助かる可能性も無きにしもあらず! まぁ、そうでなくても収納に便利だよね」
確かに便利だけどね。防犯という意味で話してくれているのはわかるんだけど、仮にも五歳の女の子が、仮死状態とか笑顔で話す内容なのかな…。
「色々入れた時は取り出したい物を思い浮かべれば、取り出せるんだよ。もし重い物や一人で運べない物を出し入れする時も、異空間入れ物がある半径五メートル以内で使用者が、入れる物、出したい物の名前を呼べばその場で出し入れできるの。但し、手に持てる物━━魔物のドロップした物は、直接手に持たなくちゃ入れられないけどね。ちなみにこれも壊れるまで半永久的に使用が可能だけど、リスト作って完全受注生産で番号管理するし、購入者以外は使用不可。物によっては危険な物や魔物や死体とかも運べるし、誘拐も可能で、それらが国内外に持ち運びも可能になっちゃうから、この国で規定された麻薬や毒、それに該当する種や植物、魔物や死体は入れられないし、悪意を持って閉じ込めることはできないよ。それでも閉じ込められたら、中に入った人が『出たい』と叫べば出られて、その際に入れ物の使用者にはペナルティが科されて五分間体が痺れて動かせなくなるの。後は国外に異空間入れ物を持ち出そうとしたら、国を出る時点で入れた物だけその場に残して異空間入れ物は自壊する仕組み。これも冒険ギルド向けに売り出す予定なの」
「凄いでしょ?」と意気揚々と語る従兄弟に、僕は頭が痛くなった。凄いなんてものじゃない。凄すぎる。その発想もだけど、それを造り出して実現させてしまう能力の高さと魔力に。
本当にこの従兄弟は、何ていうものを作り出そうとしているのかな。ことの重大さはわかってないんだろうなぁ。間違いなく色んな所から勧誘、連れ去り、意思のない操り人形、能力を危険視して放たれる暗殺者……そんな物騒な未来が、待ち受けていること請け合いだろう。ただでさえ綺麗な容姿で狙われやすいというのに、ますます欲しがられる標的になるなんて。
『国の闇』を代々監視してきたサンルテアには、表に出たものから出てない過去の凶悪事件の資料もある。優秀な人物が巻き込まれた事件もたくさんあり、全て覚えさせられるから、見知っていた。日常が壊されるなんてあっという間なことを。
その中で、簡単に拐われたり、籠の鳥にされた人たちには、ある共通点があった。それは何の後ろ楯もないこと。穏やかに一生を終えた著名な学者や研究者は大概、どこかに所属している。有名ギルドや国の機関、巨大な組織。それらが庇護していたのだと窺えた。だから僕は即決した。━━リフィはサンルテアで保護しよう。
情報統制して守るのは勿論、万が一リフィに辿り着かれても、バックにサンルテアがいれば、ある程度の組織は抑えられるはず。お父様もリフィのことは気に入っているし、反対しないだろうから都合がいい。
たぶん、お父様はリフィを姪として可愛がっても、利用しようとはしないから。今の状況を考えると、リフィがサンルテア直系の伯母様の娘に生まれてきて、良かった。
僕も力になれるし、生まれながらに『国の闇』の後ろ楯があるから。
それにしても、本当にこの従兄弟には驚かされてばかりいる。それが面白くもあり、新鮮でもあるんだけど。
「リフィ、販売するときは僕にも教えて。サンルテアの方でも目を光らせて、君を守るようにするから」
「うん、わかった。貴族の情報力はあった方がいいから、お願いします」
ぺこりと頭を下げて微笑むリフィ。……きっと自分がどれだけ凄いことをしようとしているのか、わかってないんだろうなぁ。いや、薄々勘づいていても、この商品一つを手に入れる為に今後どれだけの人間が動くかをわかっていないのかな。国民性が基本のんびり穏やかだからか、あくまで売り物としか考えてなさそう…。
「ところでリフィ、この商品のこと誰かに話したり、作りたいとか構想を教えたり、試作を見せたりした?」
「誰にも言ってないよ。話したのはケイが初めて。魔法の訓練仲間だからね~。試作が上手くいったら、一番にケイにあげるね!」
本当に可愛いしとっても嬉しいけど、もう少し色々と自覚して欲しい。
「ありがとう。でも、この事はなるべく誰にも言わないで欲しいかな。以前、高度な魔法専門書をリフィが読解出来ることを内緒にしたように、この事も触れ回らない方がいいと思うから。話す必要があったり、リフィが話しても大丈夫だと判断したなら、それはそれで構わないけどね」
「うん、わかった。ケイがそう言うなら内緒にしておく。わたしだとまだその辺のさじ加減がよくわからないんだよね」
困ったように、でもどこか安心したように笑うリフィ。何故だか僕のことを信頼してくれているみたいだ。……仕方ないな。僕が目を光らせておけばいいから、諜報の『影』の仕事を頑張るとしよう。絆されてるなぁと思うけど、それはそれ。妹分は可愛いものだよね。━━たとえこんな格好をさせられて、「可愛い!!」と絶賛されたとしても…。
・*・*・*
いつもお世話になっている仕立て屋を出て、僕はほっと息を吐いた。その後にリフィも続いて出て来て、店の年配の女性ににこにこと笑顔で見送られた。
昼前に、馬車を店前に直接付けた僕たちは、外套をしっかり着込んでいたお陰で、女装姿を見られることもなく無事に、貸し切り状態の服飾店で下着もシャツも少し大きめのサイズを直した黒いズボンも手に入れた。濃い緑のチェックのベストを着て、女装から解放されて人心地つく。……良かった、誰にも見られなくて。
お店の女性には見られたけど、マニエ婦人が言い触らす可能性は低い。彼女が、女装で現れた僕をいつも通りに対応してくれた事に、安心した。
リフィに借りた服は、洗濯して後日ムーンローザの館に届けて貰えるよう手配したら、「お嬢様に合うように、手直ししてもよろしいでしょうか?」と、マニエ婦人に瞳を輝かせて問われた。リフィに確認したら興味ないようで「いいよ」と返された。
それよりも帽子や訓練用の服を真剣に見ていた。……男向けのばかりだけど、深い意味はないよね。男装したいとは言わないよね?
マニエ婦人に僕が費用を持つから時間をかけて、好きにリメイクしていいと告げると、彼女は狂喜乱舞して、ドレスを作業場に運んだ。何でも久し振りに女性用の衣装に触れて、それもリフィという極上の広告塔の為に作業出来るのが嬉しいらしい。
その気持ちの表れか、僕が着替えている間にマニエ婦人は、首もとで括っただけのリフィの髪を整えていた。結い上げられなかった横髪は残して、一部を三つ編みにしてお団子に巻きつけ、綺麗に結い上げていた。それを濃茶色の細いレースに白い小花が刺繍された繊細なリボンで飾り、とても愛らしい。婦人も満足そうだった。
僕が借りたドレスを脱ぐ時は、見ている方が胸を締め付けられる悲しげな顔で肩を落としたリフィ。
「また時々、じょそ……変装してくれる?」とお願いされたけど、笑顔で流したよ。━━明らかに今、女装って言いかけたよね。別にしたくてした訳じゃないから!
スルーして話題転換もしたのに、可愛い顔で再度お願いされたので、笑顔ではっきり「遠慮する」と伝えたら、衝撃を受けて泣きそうな顔になった。罪悪感に駆られたけど、僕は悪くないよね? ここで許したら、今後も女装させられるんだから。
確かに任務で変装することもあるし訓練も受けたけど、僕にそういう趣味はないよ。
……きっぱり断ったはずなのに、何故かまた後で話そうということになったのが解せない。
マニエ婦人のお店を後にした僕たちは、ジャックが予約した大通りの有名なカフェに入り、二階にある個室の予約席で簡単に昼食を済ませた。
時間に余裕があるからと、約束した噴水広場前に向かいながらお店を覗いて、二人で歩いた。楽しいのに、すれ違う度に向けられる視線が少し不愉快だった。
前から薄々思っていたけど、リフィは視線に鈍感だ。いや、全く気にしていないと言った方が正しい。様々な思惑の視線が自分に向けられているとは、少ししか思っていない。
遊びに繰り出したこの数日も視線を感じるか聞いてみたら、僕が美人だから注目されていると、おかしなことを言ってきた。……視線の元は七割が男だったよ? その全員が僕を見ていたとか怖すぎるから。その勘違いは、切実にやめてほしい。
心配する僕に、「もう少し大きくなったら、もっと気を付けるようにするよ」と言ってくるくらいには、全くの鈍感というわけでもないのだけれど、どこか軽く考えていて、他人事みたいだ。
凄い売り物を作るのに、あちこち興味を引かれてはふらふらして、ぼんやり考え事をしながら歩く従兄弟。やっぱりここは僕がしっかりしておこう。
ちらりと左右の十メートル後方に目を向けると、慣れ親しんだ『影』の気配がした。街での護衛だろう。僕はひらりと後ろ手で然り気無く手を振って、もう少し離れるように伝えた。
噴水広場前に着くと、この三日間で毎日遊んだ面々が既に五人、集まっていた。リフィはその中でも特に仲のいいサリーを見つけて、笑顔で話の輪に入る。女の子三人で楽しそうだ。
僕もサイラスとマルコに挨拶して、時間まで昨日のことや午前中は何をしたかと話して盛り上がった。お茶会や城で顔を会わせる子息より、彼らとの方が大分打ち解けたと思う。今日は三人が家の用事や手伝いで参加出来なくなったらしい。
いつも最後に集合した子が、鬼役という決まりなので、今日はカルドが鬼になった。鬼を残して一分の間に、僕たちが散って姿を隠したり、あちこち逃げ回る。そうして、いつも通りの鬼ごっこが幕を開けた。
・・・ *** ・・・ (リフィ)
鬼から逃げ回っている街で。
偶然にも見つけた姿に、わたしは思わず二度見して、姿を隠した。心臓が早鐘のように鳴っている。それの上に手を置いて、落ち着け、わたし! と、深呼吸。
よし、ちょっともう一回、確認してみよう。
狭い路地裏の建物の影から、ちらりと更に細い奥の路地に目を向けた。━━後悔した。
…………何で? なんッで、第一王子がここにいる!?
わたしは愕然とした。
えっ、ここって庶民の憩いの空間の街だよ? お貴族のトップが呑気に一人でお散歩する場所じゃないよ!? てか、何故に一人!? お上品に優雅にお散歩するなら城に戻りやがって下さい!!
はっ、混乱していた。━━落ち着け、わたし。
ここで取り乱したら、敵の思う壺。まずは冷静に状況を整理しよう━━って、出来るかぁ! 何でこっちに走って来るの!? イヤだ、絶対に遭遇したくない!!
わたしは慌てて来た道を戻るように、全力で走り出した。何だか別の鬼ごっこが、始まっちゃってるよ?
とにかく、今は敵から逃げ切ること優先で!
どこかに隠れてから、冷静に考えよう。
何が何でもフラグ回避、絶対会いたくない王候貴族。━━今後もこのスローガンを大事にしよう。
どうにかこうにか逃げ切って、自分でもよくわからない、来たことのない通りの外れの外れ。どこか薄暗くて、人気があまり無く寂しいところ。
途中、「そっちに行っちゃダメだ」と少し前に路地で知り合って以来、たまに街で話をするお爺さんに引き留められたけど、会いたくない人が全力で追いかけて来るから「大丈夫」と、手を振り切って逃げてしまった。
そんなこんなで現在、柄の悪い大人や、身なりや人相が悪い人がちらほらいる細い道から隠れて、建物と建物の間の地下へと続く暗い階段に隠れるように腰掛け、わたしはやっと息を吐き出した。
とりあえずやり遂げた! 逃げ切れた…はず!
ちょっと自信がないのは、逃げても逃げても何故か逃げるわたしのいる方に第一王子が走ってきて、隠れてもすぐ側を通って見つかりかけたから。その度に、どこかで大きな物音がしたり、バタバタと大人数の騒がしい気配がしたり、王子が転んだり。
そのお陰でこうして逃げ切れて、助かった!!
会ってたまるか、攻略対象者! 断固シナリオ拒否だよ!!
でもこの状況も安心とは言えない。何でこんな人拐いが横行してそうな場所に来てしまったの、わたし!!━━大丈夫、わかってる。原因はあの王子だ!
くそぅ、あの王子はわたしに何の恨みがあるんだ、全く!
無駄に汗かいたよ。どこまでもしつこく追いかけてきて、本当に怖かった。取り敢えず、バクバク鳴る心臓を落ち着かせながら、情報を思い出そうと試みる。大きく息を吐き出して上を見ると、建物の隙間から見える六月の空が高く青かった。
シルヴィア王国第一王子、スピネル・ライト・シルヴィア。薄紫の髪に銀の瞳の儚げな美貌、品行方正の温厚で優しい王子様。五歳のわたしより二つ年長で、四月が誕生日だから、現在八歳。
五月生まれの六歳、わたしと同い年の弟こと、第二王子のブレイブ・ライト・シルヴィアがいる。兄弟関係は良好。そしてこの弟は活発でやんちゃな俺様気質。━━関わるの面倒臭そう。
えーと、確かに彼らは、幼い頃にヒロインと会っていた。それが今日ってこと? ヤバい、完全に油断してた。六歳とか七歳になってから会うんだと思ってた。いや、それよりまずは、どんな状況で会っていたんだっけ?
ん~……。確か本では、遊んでいる最中にぶつかって遭遇して、見かけない子だなと思いながら「どうしたの?」って、焦っている少年にヒロインが声をかけてたな。
それが子供だけで、護衛を撒いてお忍びで遊びに来ていた第一王子で、弟とはぐれて困り果てながら探していたところだったんだよね。この街に来たばかりで道をよく知らないという王子と、そうとは気づかずに協力を申し出て二人で探していたら、人拐いに遭いかけて、王子が魔法を使って相手が驚いた隙に逃げたし、ヒロインが道案内してどうにか逃げ切って。
第一王子が街の警備隊の詰め所に向かい、その間、大通りだけの条件でヒロインが第二王子を探して、発見して無事に詰め所で兄弟が再会。そのまま二人は城に連れ戻され、再会するのは魔法学園。━━うん、イヤだ。関わりたくない。
でもこのままっていうのも寝覚めが悪いよね…。王子たちが何かトラブルに巻き込まれたら、見捨てたわたしが悪いみたいで罪悪感が……。って、そうだよ。第二王子もいるはずなんだよ。兄弟でナニ気軽にプチ家出してくれてんの!? お付きの人も護衛もいい迷惑だよね! ━━よし、然り気無く見たことない子供が道を行ったり来たり変な行動をしていると、警備隊にでも情報を渡そう。後は彼らに保護してもらって、わたしは一切関わらない方向で。
気合いを入れて拳を握ると、ふと頭上が翳った気がして空を仰いだ。先程まで見えていた青空を遮る、胡散臭い笑みを浮かべた二人の男の顔があり、驚いて息を呑んだ。
慌てて、けれど階段の途中なので慎重にバランスを取りながら振り返り、相対する。━━王子たちの心配している場合じゃなかった…。明らかに今、危なくて助けが必要なのは自分って……王子たちのせいだ!!
後ろは閉ざされた建物の地下へ続くドア。見上げる階段の先には、明らかに不審者が二人。
わたしは逆恨み上等と、胸中で盛大に王子たちを罵った。
・・・ *** ・・・ (ケイ)
カルドを鬼にして街中を逃げ回りながら、『影』のメンバーの仕事ぶりを様子見して行く。今のところ、異状は無いようだ。大丈夫だとは思うけど、風の精霊魔法でリフィのいる場所を探索して、従兄弟のいる狭い路地裏の密集している区画に向かうと、小さな通りに出ようとしていた僕の目の前を、探し人が駆けていった。マニエ婦人があげた繊細なリボンがひらひら揺れて、通り過ぎる。更にその後を見覚えのある茶褐色の髪に、赤い目の男の子が追いかけるように駆けていった。━━見覚えがある。って、第二王子のブレイブ・ライト・シルヴィアじゃ…!?
僕は驚きながらも気配を消して姿を隠しながら、慌ててその後を追いかけた。第二王子は第一王子と違って王族特有の真実を見る『精霊の眼』を持っていない。だから、魔法で姿を隠したり、変えたりしても見破られる心配はなかった。
取り敢えず、警備隊への連絡と、恐らく探しに出ているはずの騎士団の近衛隊を見つけたら、第二王子がここにいることを伝えるよう、街に来てから僕の護衛として張りついた『影』の一人に指示を出した。
そうして暫く様子を見ていると、間違いなく本人だと知れた。あんなに上等な服と靴で、どんな物理と魔法攻撃からも身を守る守護の石の淡い黄色のピアスをしている子供は、第二王子だけで十分だ。隠そうとすらしていない整った容姿も何度か見たことがある。━━何でこんなところに…。
ついでに言うと、どうしてリフィの後を追いかけているのだろうか。それも一人で。不可解だった。
暫く観察していたけど、鬼がいないか確認して隠れ場所を探しながら走るリフィの後を、明らかに必死に息を切らしながらも追いかけ回していた。僕の従兄弟は全く気づいていないけど。
時折、立ち止まっては走り続けるリフィ。いつもの訓練の成果かあの持久力はさすがだね。呼吸はまだ乱れていない。それに引き換え、ゼハァ、ゼハァと息も絶え絶えのブレイブ王子。汗が滴っていても、赤い目は獲物を定めたようにリフィにのみ向けられ、歯を食い縛って食らいついていく。
また立ち止まっては、鬼がいないかキョロキョロするリフィ。漸く追いついたブレイブ王子が手を伸ばし、するりと彼女に逃げられた。けれど執念か、ブレイブ王子の指先に、ひらひらしていた濃茶色のリボンが引っ掛かり、彼はそれを掴んだ。━━はい、アウト。女性の物を引っ張り取るとか、紳士にあるまじき行為だよ。
僕は、再度走り出そうとしたブレイブ王子の首根っこを捕まえた。ぐえっと喉が締まった声がしたけど、無視。
「ナニをするんだっ!!」と声を張り上げて振り向く、一つ年下の第二王子を、僕は冷ややかな笑顔で迎え撃った。
「ご機嫌麗しゅう、ブレイブ第二王子殿下。一体こんなところで何をなさっておいでで?」
「あっ、お前は兄上の! お前こそ何してるんだよ! というか、名乗れ!」
「これは失礼致しました。サンルテア男爵家の長子でケイトス・サンルテアと申します。お見知り頂いていたようで恐縮です。それで、ここで何をなさっておいでで?」
強い口調で睨んで問いかけると、気圧された王子様は困った顔になって、ぼそぼそと不貞腐れたように質問に答えてくれた。リフィのリボンを手で弄りながら。
王子の話を要約すると、昨夜の就寝前に王子兄弟で『城下町王子の冒険』という物語を読んだらしい。
王家の血を引くもののその事を知らない平民の男の子が、城下町の仲間と色々な困り事を解決しながら悪事を暴き、命を狙う大臣の魔の手を逃れながら、王太子として迎えられるという、目を輝かせて興奮した第二王子曰く、大層イカしてカッコいい物語だそうだ。……ちょっと殴りたくなった。やっぱり今朝届いた招待状は、そんな理由だったのだ。
予定通り護衛を撒いて、兄の第一王子と二人で城の抜け道を使ってこの街にやって来た二人は、初めての城下町の活気にそれはもう感動して浮かれた。あちこち眺めて回ったのはいいが、大通りの人混みではぐれて今に至るとのこと。
ちなみにイナルとキースには、計画だけしているとそれとなく反応を窺う為に話してみたら、子供だけは絶対に駄目だと反対されたので、二人や他の連中を城に置いてきた━━殴っても許される気がする。
僕は王子に聞こえないよう結界を張って、風の精霊魔法で城にいるイナルと、残っていた『影』の護衛のもう一人に、言霊の伝言で事情を説明する声を送った。ついでに『影』の護衛に第一王子を探すよう命じた。すぐに気配が離れる。
僕は怒りを押し出すように、重いため息を吐いた。
「お前も来ていたんだな、ケイトス。なかなか冒険心があっていいことだ」
「僕は今凄く、頭が痛いんですけどね。それでどうしてはぐれた際の待ち合わせ場所ではなく、こんなところにいるのですか?」
「きちんと待っていたんだぞ。けどな、目の前を絶世の美少女が通り過ぎて行ったんだ。それで気になって追いかけていたら…」
「いつの間にかここに来ていたと?」
本格的に頭痛を覚えている僕に、第二王子は「そうだ!」と頷いた。現場を目撃した通り、女の子のお尻を追いかけ回していたらしい。━━バカか!? この王子本当にバカなの!? 今、自分でバカですって言った!?
「ケイトス、あの子を探して俺のところに連れてこい! 気に入ったんだ! あれは俺の取り巻きの一員にしてやるん━━った!? ナニす……るっ!?」
「これ以上ふざけたこと言わないよう発言には気をつけろよ、王子サマ? 一体どれだけの人たちに今現在、心配と迷惑をかけているか、その足りない頭で考えろ」
僕は凍りついたブレイブ王子を睥睨して、彼が手に持っていたリフィのリボンを取り戻した。怒り心頭で、ぶちギレるという感覚を初めて経験していた。不敬なんて知るか。
下手したらこの王子たちのせいで、何人もの人が職と信頼を失い、或いは罰せられるかもしれないというのに。国王を始め、たくさんの人が心配して探し回っているだろうに。こんなところまで女の子を追いかけて、取り巻きにするから連れてこい?
一発殴るだけで済ませた僕は、よく抑えたと思う。そうじゃなきゃ本気で、頭蓋骨陥没させるつもりで殴っていたよ。
こんな奴に誰が僕の大切な従兄弟をやるか。
取り巻きにするつもりで追いかけ回していたとか、腹が立つ。
「お、王子の俺様にこんなことをして」
「うるさい。偉ぶって権力をかざすのなら、それ相応の責任を果たせるようになってからにしろ。不敬罪でも何でも訴えればいい。僕の全力でお前の無能を大陸中に知れ渡らせてやる。そんなお前を庇えば、陛下の程度が知れて、王家や国に迷惑をかけるだけだけど」
第二王子が目を丸くして、口をぱくぱくさせて、絶句した。
そこへ『影』が、呼びにいかせていた近衛隊と警備隊の人を数名連れて戻って来た。その『影』にお父様にこの件を報告するよう命じると、すぐに気配が消えた。
赤い目が熱心に僕を見ていることに気づいていたけど、無視して、やって来た彼らに簡潔に事情を説明した。近衛隊たちに第二王子の保護と対応を任せ、僕は第一王子を捜索するためにその場を離れた。
すると、先に捜索に向かわせた『影』の護衛から、風の精霊魔法で声の連絡が届いた。
すぐに報告にあった入り組んだ路地へと向かって、僕はまたもや驚かされ、頭痛と目眩を感じた。━━本当に、この王子どもは…っ!
第一王子のスピネル殿下もまた、リフィを追いかけていた。
何でだろう……国のためにと頑張っていた自分が虚しく思える。
正確には、スピネル第一王子は明確にリフィの姿を見て追いかけているわけではない。ただ、彼女の向かった方向に、まるで引き寄せられているかのように走っていた。
第二王子とは違い、さすがに少し鍛えているのもあってか、第一王子はバテること無く食らいついて、髪の毛や服の切れ端しか見えない背中を追いかけていた。
リフィも付いてくる気配に気づいているのか、慌てているのに、背後を気にして怯えながら、後ろを振り返りつつも全力で走っている。……姿見えないし、確かにストーカーみたいで怖いよね…。きっとあれが第一王子って知らないだろうけど。
追いかけられたリフィは、隠れても近くに寄ってきて、どこに行っても彼が側に来て見つかりそうになるから、怖さも倍増だろう。きっと追いかけられているのも気のせいと思いたいけど、よくわからなくて困ってるんじゃないかな。
僕は風の下級精霊の目を、魔力を渡して借りながら、障害のない屋根の上を走って薄紫の髪の第一王子を追いかけた。
移動している途中で、走るリフィの手を掴んだ老人がいて、驚いた。「そっちに行っちゃダメだ」という彼に、背後を気にしながら「大丈夫」と、慌てて去っていく従兄弟。━━リフィ、あの人と知り合い…?
……それは、今は置いておこう。まずはあの王子をどうにかしないと。
報告してくれた『影』には、サンルテアの屋敷に戻ってクーガにこの件を伝えて、何か情報があったら持ってくるよう指示を出し、ついでにこの場所をまだ第一王子捜索中の近衛隊と警備隊に伝えるように頼んだ。
肉眼で、実際に迷惑な行動をしてくれた第一王子見つけて、精霊の目を解除した。漸く追い付いた。けれどリフィが側に隠れているので、下手に近寄って話しかけられない。知り合いだって、王族に会いたくない彼女に知られたくない。
それなのに、スピネル王子は勘の良さを発揮して、リフィ隠れている場所に近づく。
お節介かなとも思ったけど、リフィは会いたくないって言っていたし、僕も何となく会わせたくないから。
リフィが見つかりそうになる度に、大きな音を出して注意を逸らしたり、近衛隊と警備隊の人を誘導して王子を確保しようとした。リフィの行った方━━王都の外れであまり治安のよくない方に行こうとしたので、魔法で転ばせて近衛隊の人たちに確保させた。聞き分けのいい第一王子が珍しく、抵抗したけど。
「離せ、弟を探さないといけないんだ!」
「殿下、弟君なら既に保護しております。ですから、安心して城にお戻り下さい」
「えっ! ケイトス!?」
「殿下は今回のご自分の行動で、どれだけの人たちに心配と迷惑をかけているかご存知ですよね?」
スピネル王子が気まずそうに銀の目を逸らした。
わかってはいるらしい。取り敢えずよかった。これで解っていないようなら、勉強仲間も今後の付き合いも断る予定だった。
「ご対応を間違われないようにしてください。それでは、僕はこれで失礼します」
「えっ、一緒に城に……」
「急用があるので失礼します」
「………はい」
本当にこれ以上、迷惑かけないで欲しいんだけど。
折角、楽しく遊んでいたのを邪魔されて、従兄弟を怖がらせて追いかけ回された挙げ句、そのせいで今、彼女は危険な区域に行っちゃったんだよ。早く迎えに行きたいのに、引き留めるのはやめて欲しい。
それが伝わったのか、大人しく第一王子が引き下がったのに、大人の近衛隊が食い下がった。
「サンルテアのご子息。この度は誠にありがとうございます。お陰で大事に至らず、無事に殿下たちを保護出来ました。詳細に報告するためにも、ぜひ城で陛下方に説明を……」
「後で行きます」
「ですが」
「後で、行きます」
苛立ちに殺気も込めて、自分でもゾッとするほど冷たい声が出た。近衛隊が青ざめた顔で息を呑んで、震えを隠すように拳を握ったのがわかる。後ろにいた人たちも同様で、もう僕を引き留めることはしなかった。ただ「後で必ず事情説明に城に来て下さい」と念を押すことは忘れなかったけど。
「解っています。それでは、僕はこれで失礼します」
一礼して、すぐにリフィの後を追って最近騒がれている危険区域に入った。風の精霊魔法で探索をかけて、従兄弟を探す。これでリフィが危険な目に遭って怪我でもしたら……あの王子どもを赦さないよ。
じりじり焦燥感が増していくのを感じながら、辺りを見て駆けていく。昼間でも薄暗い入り組んだ細道と、ちらほら見掛ける人影。でも昼間だからまだこの程度の人たちで済んでいることを、僕は理解していた。
探索魔法に引っ掛かり、漸く見つけたと安堵して瞬間、心臓が止まるかと思った。
隠れるように地下へと続く階段にいた従兄弟に、二人の男が近づく。ここから遠い。僕は慌てて別の道に入り、走った。
早く早く早く…!
一人の男が『ここは危ないから大通りに連れていってあげるよ』と手を伸ばした。リフィが逃げ道を探しつつ、その手を避ける。『怖がらなくていい』と繰り出される男たちの手を後退して避けるけど、所詮狭い地下へと続く階段。すぐに追い詰められ、男たちも本性を表して捕まえようとし、二人の間で一瞬、炎が燃え上がった。
男たちが驚き、その隙にリフィが階段を上ろうと駆け出したものの、慌てた一人の男の振るった手が運悪くぶつかり、上がりかけた階段から足が離れて、強かに背中を壁にぶつけた。意識はあるけど、すぐに動けないリフィに抵抗されて逆上した男が、小さな細い首を掴んで締め上げた。━━速く速く速く…っ!
僕は奥歯を噛んで走った。もどかしい。その辺にいる精霊の目を借りて見ることは出来るのに、遠距離の魔法が使えない自分に腹が立つ。遠距離の魔法は歴史に名を残す魔法使いでも難しいのだけど、それでも━━何で僕はこんなに弱くて、無力なんだろう。
リフィが苦しそうに呻きながら、星色の瞳で男を睨み付けた。魔法を使おうとしたんだろうけど、もう一人の男が横から彼女の髪を力任せに引っ張り、『魔法を使わせない為に早く意識を失わせろ』と告げた。その考えはムカつくけど正しい。集中を乱せば魔法の発動は難しいから。
リフィが悔しそうな顔で、魔法を発動させた。首を絞めていた男の上半身が炎に包まれた。体を持ち上げていた男の圧迫が切れて、リフィは地面に落下した。ごほごほと噎せるように呼吸をしながら、リフィが呆然と燃える男を涙目で見て、慌てたように水魔法で消火した。
弱い火ですぐに消したからか、男の皮膚は赤く僅かに爛れだけで済んだが、そんなの本人には関係なく、腰に下がっていたナイフを取り出して、リフィに向けた。それを視認したリフィが目を瞑る。
その時には地下階段に辿り着いていた僕は、ナイフを持つ男に風魔法を放っていた。
キン、と澄んだ音がして、男の手にあったナイフの刃先が消失した。風で切り取ったその刃でナイフの柄を握る手の甲を浅く傷つける。男が柄を手放して、切りつけられた手を庇う。
リフィが目を開けて驚いて「ケイ」と掠れた声で呟き、僕を見て泣きそうな顔になった。一先ず、無事でよかった。
ほっとしたけど警戒は怠らなかったから、もう一人の男が隠しナイフを持って僕に襲いかかって来ても、冷静に最小限で避けて懐に入り、土系統の強化魔法を足にかけて男の鳩尾を蹴り飛ばした。
手の甲を押さえていた男を巻き込んで、派手にぶつかって転がり、動かなくなった。念のために闇魔法で意識を奪い、深く眠らせる。
座り込むリフィの側に降り立って、改めて従兄弟に目を向けた。唖然として硬直していたリフィがはっと我に返り、ぷるぷる震えながら、どうにか立ち上がろうとして、転倒。僕は慌てて支えて、手を引いて立たせた。繋いだ手からきちんと体温を感じて、リフィがそこにいると実感できて、僕は知らずに詰めていた息を肺から吐き出すと、無意識に抱き締めていた。
「無事で、よかった……」
深く安堵の息を吐き出した。震えるリフィがぎゅっと僕の服を掴んで、わんわん泣き始める。何を言っているのか解らなかったけど、「ごめん」と聞き取れたから、謝っているのだろう。
僕はあやすように背中を撫でながら、もう片方の手で頭を撫でた。マニエ婦人渾身の出来映えで綺麗に纏まっていたのに、今では無惨に崩された薄翠の柔らかな髪。絹のように触り心地がいいそれを、指を通して手櫛で整えるように撫でる。
「何か変なのが追いかけてきて、怖くて……っ!」
「……うん」
変なのって第一王子なんだけど、まぁいいか。
「…っく、気づいたら、知らない場所で変な人たちがたくさんいて……」
「………うん」
ここのチンピラ犯罪者と、一応仮にも第一王子その人が同列の変な人扱い……。僕も大事にすべき第二王子を殴ったから、何も言えないかな。それに今は王子たちの沽券よりも、このボロボロ泣く真っ赤な顔の従兄弟を無事に連れ帰る方が先決だよね。
ふいにリフィが少し離れて、俯いたまま普通のポシェットからハンカチを取り出すと、泣き濡れた顔を拭って鼻をかんだ。それでもまだ涙が流れて、ごしごしと手で擦る。そろそろ無事な顔を見たいなと、手を伸ばしたら。
「どうやら無事に片付いたらしいな」
腹に響く声がして、僕は頭を冷やして、服に隠し持つ手持ちの武器を考えながら、階段の入り口━━地上からこちらを見下ろす老人を見上げた。リフィが弾かれたように赤い泣きはらした顔で、「そっちに行っちゃダメだ」と止めた老人を目を丸くして見つめる。リフィを見た老人が、安堵したように微かに表情を緩めた。……三人か。
「遅い登場でしたね。後処理はこちらでしますので、お引き取りを」
僕が硬質な態度で白髪に厳つい顔の老人を見据えた。六十近い年齢のはずなのに、体格がよくてがっちりし、盛り上がった筋肉が衰えていないことが見てとれた。
リフィが戸惑ったように僕と老人を見てくるけど、僕は老人から顔を逸らせない。……はっきり言って、僕はこの老人にも腹を立てていたから。
厳つい老人━━この王都の裏側である危険区域一帯を牛耳るラカン長老に。
『国の闇』を監視しているから、何度か見かけたことがあるし、三度の面識もあった。
まだ長老という年齢ではないけど、王都の裏側を統べる人は何故かそう呼ばれている慣習があるので、皆そう呼んでいる。
彼には彼独自の法があり、それをこれまでの生涯の中、ただの一度も破ること無く、筋を通して貫いてきた豪の者。サンルテアも一目置く人物だった。
だから、最近になって新しく流れてきた奴らが子供を拐っていても、サンルテアは手を出さずに沈黙した。子供を利用した犯罪を嫌う彼が、きっと動いて片を付けると考えていたから。何より彼らは自分の領分に手を出されること嫌う。
『国の闇』を監視、管理し、時に共生している部分もあるので、まずは長老たちに任せることにしていた。
それがこの体たらくだ。
危うくリフィが傷つき、連れ去られるところだった。
もし僕に急用ができて今この街に、一緒に来ていなかったら。もし誘拐の情報を心配してリフィを探し、王子たちとの追いかけっこを知らないでいたら。
最悪、王子たちと一緒に大変なことになっていた。
つい怒りが抑えられず睨み付けてしまったら、ラカン長老が器用に片眉を上げて、まじまじと血のように赤い目で面白そうに僕を見て来た。
「サンルテアの人形だと思っていたが、人のようになったな。だがお前の立場でわしらに意見するな、サンルテアとは名ばかりの小倅が」
威圧する声と赤い眼。数々の修羅場を潜り抜けてきただけあって、呼吸をするように簡単に雰囲気を一変させた。
「いいか、もう一度言うぞ。お前ごときが口を出すな。人形が人間になった気でいるなよ? ひよっこの番犬が。吠えるなら分別のつく大人の番犬を連れてきな、坊っちゃん」
薄く嗤われて、僕の表情が死滅していくのが、わかった。
そちらこそ動きが鈍すぎるから、年寄りは引っ込んでいろ。
普段の僕らしくなく、そんな言葉が喉から出かかっていた。
「お爺さん、わたしの大事な従兄弟を侮辱しないで。ケイは人形でも、名ばかりでもないよ。その辺にいる坊っちゃんとも違うから、一緒にしないで。ケイはわたしを助けて守ってくれた、格好いい子なの」
リフィがいつかのようにぎゅっと僕の手を握りながら、はっきりと長老を見て告げた。手からはずっと震えが伝わってくる。
「……よく解らないけど、二人は知り合いなんだよね?」
僕とラカン長老の視線が交わり、僕は笑顔で安心させるように微笑んだ。さっきまで殺されかけて怯えていたのに、僕たちが殺伐として更に怖がらせてどうする!
自己嫌悪に陥りかけたけど、反省するのは今じゃない。
よくよく見ると、泣きはらして赤かったリフィの顔色が、今は青白かった。━━こんなジジイに構っている場合じゃなかった!
「リフィ、大丈夫だから、ゆっくり呼吸して。どこか怪我とか痛いところはない?」
「……大丈夫」
深呼吸をして、弱々しく笑う。右腕の動きがぎこちない。建物の石壁にぶつかった時に痛めたのだろう。何より痛々しいのは首に残る鬱血の痕だ。この男たち、どう処分しようかな…。
焦ったのは僕だけではなく、ラカン長老も気遣うようにリフィを見ていた。……本当にこのジジイとどういう知り合いなんだろう。
………。どんどん自分の言葉遣いが悪くなっている自覚はあるけど、今は平民に変装中だからってことにしておこう。サンルテア男爵子息に戻ったら、ちゃんとすればいいから。
「その子をこちらに。わしの知り合いに診察させよう」
「必要ありません。治せます」
「ほう?」
僕は光の精霊魔法で、治癒の光を発動させると、じんわりと白い光がリフィの全身を包み込んだ。リフィの血色がよくなり、呼吸も楽になる。それと同時に極度の緊張や命の危機から解放され、泣き疲れたせいか、ぼんやりと眠そうな顔で充血した目を擦った。
僕は彼女の首から手形の痕が消えたこと、震えがひとまず治まったことに安堵する。ふらふらと体が揺れるリフィに気づいて、苦笑した。「寝ていいよ」と声をかけると、少し不安げな顔でラカン長老と僕を見比べた。
「全部、大丈夫。僕がリフィを家に連れ帰るから」
頭を撫でると、目を細めて微かに笑い、「ごめんね」と言いながらリフィは意識を手放した。傾いだ体を膝をついて支える。
「その子はお前を余程、信頼しているようだ。そして、わしやお前の背後にあるものに薄々勘づいていても、普通に接してくれる。血が繋がらない従兄弟か」
「はい。知り合って今日で四日目ですけど、とても仲はいいです」
そう告げたら、ラカン長老は面白くなさそうな顔で口を開いた。
「それで、どうする?」
「あなたの背後に三人、控えてますね。僕一人でリフィを守りながら四人を相手にするのはきついですが、三対四なら悪くないと思うんです」
ラカン長老が僅かに瞠目した。同時に僕の左右の後方に空から降ってきて、音もなく着地した黒づくめの『影』の護衛。目元以外を隠しているが、身のこなしに隙はない。
僕の側を離れた『影』から連絡がいき、代わりの護衛が手配されることは折り込み済みだった。
ラカン長老が歯を剥き出して笑った。
「会話は時間稼ぎか。少し前と比べて面白く育ったな、ケイトス・サンルテア。驚いたぞ」
「それはどうも。リフィがあなたと知り合いだったことに僕は驚かされました。本当にこの従兄弟はどこで何をしているのか…」
「心配するな。わしがヘマをして怪我して路地裏にいたら、遊んでいたこの子が通りかかって、治してくれただけだ。それからは時々、お互いに名乗らず素性も知らないまま、話し相手になってもらっている」
意外な事実に驚いていると、僕を見てニヤリと老人が笑った。
「正直に話したんだ。その子を家に閉じ込めてくれるなよ。籠の鳥では、その子らしく生きられまい。こちらでも、その子には手を出さないように告げておこう」
「それはやめて下さい」
即断ると、ラカン長老が不思議そうな顔をしたけど、当たり前でしょう。その手には乗らないよ。
「王都の裏側を牛耳るあなたの名でそんな声明を出したら、裏の住人たちや、あなたを蹴落としたい連中がリフィに興味を持つでしょう。そんな面倒ごとに巻き込まないで下さい」
「だが、その子はサンルテアの直系だろうに。………まさか?」
目を丸くした老人に、僕は一つ頷いた。
「リフィはサンルテアの裏事情を全く知りません。今回の件で賢いから気づいたかもしれませんが、それでもこのまま何も知らない平民として生きてもいいと思います。彼女の選択に任せますよ」
でも薄々勘づいている気もした。他の貴族たちはのんびりとしていて、修行やら鍛練とは縁がないのに、僕は明らかにそれとは違う教育を受けている。リフィ自身もね。そのきっかけは彼女の母であり、その母の侍女。そして、二人の出身はサンルテア男爵家。
少しおかしい、変わっている家の方針と思っていたことが、もしかして、くらいの疑惑に変わっているだろう。
伯母様が何も話していないから、そのままにしてきた。いずれ教えるだろうから、と。それまでは、このまま普通に居たかった━━ただ単に知られて怖がられたり、距離を置かれたくないと、僕自身が思っていたから。
自分の裡で思考に没頭しそうになるのを、軽く頭を振って止めた。
ラカン長老を見上げる。
「━━あげませんから」
「何のことかの?」
「あなたを恐れずに対話出来て、事情を聞かずに治療してくれた子が貴重なのもわかります。それが孫のサイラスの初恋相手なら協力してあげたくなる老婆心も。だからあなたの名で声明を出して面倒に巻き込み、保護と自分たちが責任をとるの名目でリフィを貰っていこうとしたでしょう? ご心配無く。彼女はサンルテアが保護してますから」
「………ちっ。人形が可愛くない子供に化けおった」
「誉め言葉として受け取っておきます」
すぐ後方から向けられる視線に、僕は背中に隠した後ろ手で、何もするなと護衛に指示を出した。いつでも武器を取り出せる状態だった二人が、警戒を怠らずに構えだけを解く。
「サイラスのことまで知っておったか」
「身内の付き合いに関係することですから、調べました。どこから取り入ってくる輩がいるとも限りませんので」
「はっ、よく言う。よーく覚えておけ、ケイトス。お前のそれは執着と言うんだ。しつこくすると嫌われるぞ。それと身内がいつまでも側で一緒にいられるとは限らねぇぞ」
「……それは、知っていますが…?」
何が言いたいのか解らず戸惑っていると、「自覚なしか」と楽しそうに老人が笑った。それが少し勘に障ったから、笑顔で遠慮無く言った。
「……では、薄々気づいているサイラスに、あなたのことを教えても構わないということですか? 身内がいつまでも一緒にいられるとは限らないんですよね」
「…………わしを脅してくるとはいい度胸しとる」
笑顔で火花を散らしたけど、リフィが身動ぎしたのでそれは長く続かなかった。背後の護衛二人がほっと胸を撫で下ろした気配がした。
「この後も用事があるので、手早く取引しましょう。最近の誘拐について何か知っていそうなこの二人をあなたに引き渡します。だから、新しく流れて来てこの街を荒らそうとしたバカ全員をしっかり、反省させてください。けれど、拐われた子供たちの保護は警備隊に任せて貰います。反省させた後は首謀者くらいは警備隊に引き渡してください。国の役人が捕まえたという事実が大事なので。その二人から情報を得られないようなら、こちらで調べた居場所の情報を差し上げましょうか?」
「いらんよ。元々そいつらを泳がせて現場を押さえたら乗り込む予定だった。それにしても、大変だな貴族も。わざわざ警備隊に花を持たせてやらなきゃいかんとは。取引は成立だ。手間をかけたの。巻き込んですまなかった。サイラスたちにはわしらの方から連絡を入れておこう。この暑い中、走り回って気分が悪くなったその子をお前が看病しているところに、わしが出くわして伝言を預かった。話はそう合わせておけ」
ラカン長老が疲労困憊で眠るリフィを、不安げに赤い目に映した。
「……目が覚めて体調がよくなったら、また街に連れ出します。それまでに、少なくとも子供が拐われない街にしといてください」
「誰に言っている。当然だろ。今回の件は貸し一つだ。何かあったら訪ねてこい、ケイトス。その子はいつでも大歓迎だがの」
ラカン長老が後ろを振り返ると、下町のチンピラを装った服なのに、鋭い雰囲気を纏った男が二人現れた。長老に一礼して、僕たちにも頭を下げて、深く眠っている誘拐犯二人を担いで去っていく。
後の詳細報告と取引交渉はクーガに一任して、そちらを窓口にするよう伝えると、警戒していたラカン長老が少し肩の力を抜いた。もしやと思って「まぁ今後リフィに手を出す場合は、執事のジャックが黙ってませんけどね」と呟くと、やはりラカン長老が苦虫を噛み潰した顔になった。
この老人とジャックは天敵。いい情報を貰った。
・*・*・*
ラカン長老たちとその場で別れて、僕は街に異状がないか、子供を拐っていた奴らのアジトや子供の無事の有無、ラカン長老たちがどこまで情報を掴んでいるか、リフィを背中に背負いながら、『影』たちの報告を聞いた。ついでに急ぎでお父様やクーガからも『影』に届いた伝言も聞いた。
すべて僕に任せるから、僕の指示に従うよう命令が出されていた。城の方はまだ王子たちについては王とその側近関係にしか話がいっていなかったので、際立った混乱がないから後は父が何とかしてくれるらしい。━━たぶん、イナルあたりの指示かな。近衛隊がこの街にいたのも、計画を聞いた彼が察したんだと思う。
クーガからも街の監視の強化指示と、朝の早馬がイナルからのもので、「何だか不穏な感じがするから用事が済んだら城に来てくれ」っていう伝言も受け取った。━━逃げたのに、強制的に巻き込まれたけどね。
ため息を禁じ得なかった。
僕は今後の予定をざっと頭に思い浮かべた。
リフィを家に送り届けて、ジャックと伯母様、それとメイリンにはあったことを委細話して。そうしたら、城に行って報告しなくちゃ。本当にあのアホ王子兄弟のせいで、面倒で余計なことに巻き込まれたよ。ものすごく疲れた。
城に行かないで、リフィの看病していたらダメかな…。
『影』が用意した馬車に乗り込んで、僕の膝を枕に眠るリフィの頭を撫でる。馬車の外では未だに先にジャックに連絡する役を『影』の二人が押し付けあい、ジャンケンで決めているようだ。━━そんなに嫌なもの? かつての上司に会うのが。
急かしたらそれだけ早く城に行く羽目になるから、黙って放っておいた。
リフィを届けたら、一度サンルテアの屋敷に戻って着替える必要がある。服はクーガが準備していると、連絡も受け取っていた。
あ、そういえば第二王子を殴ったことが、王様の耳に届いていたら━━何でもいいや。我が儘を言って聞き分けなかったので、とか。適当に言っておこう。優等生を演じていた僕と、我が儘で周囲に迷惑かける不真面目なブレイブ第二王子では、周りは僕に味方してくれる。
うるさく第二王子が喚いたら、別に真実を話してもいい。頭を抱えることになるのは王様とその重鎮たちだ。
常日頃からアホだと囁かれている第二王子が、迷子になったのにふらふらと取り巻きにしたい平民の女の子を追いかけ回して付きまとっていたなんて。
ジャックに教えたら、暗殺しに行きそうだよね。
・*・*・*
リフィを送り届けて。
先に『影』の一人から簡単な説明を受けていた伯母様とジャックに今日あったことを包み隠さず話して。不安げな伯母様と、怒り狂って魔物も恐れそうな顔になったジャックには、サンルテアの僕がついていたのに危険な目に遭わせたことを謝罪した。
二人は慌てて「そんなことはないわ。助けてくれたありがとう」、「お嬢様をあらゆる魔の手から救ってくださり、ありがとうございます」と感謝してくれたから、僕は少しだけ心が軽くなったけど、無力感の痼は残った。
今後も僕か『影』を付けるから、リフィを自由に街で遊ばせてほしいと言うと、二人はあっさり了承してくれた。ちょっと拍子抜けしたら、そんな僕を見た伯母様とジャックに、くすりと笑われた。
また来ることを告げて、僕はサンルテアの屋敷に戻った。すぐに着替えて城へ向かう。
陛下の仕事が一段落するまで待つよう案内された応接室には、藍色の髪のイナルとアホ王子兄弟がいた。素だったら嫌な顔をしていたところけど、城だから柔らかく挨拶した。第二王子が僕の態度に怪訝な顔をしていたけど、無視。ここで公私混同はしないよ。
王子兄弟が姿を消してからのことをイナルから聞き、先ほどまで一緒にいたキースは、自分がついていながらと不甲斐なさを感じて落ち込み、王子たちの無事を確認して謝罪した後に、謹慎すると家に帰ったらしい。
「キースからあなたに『ありがとう。助かった。領地から戻ったら礼をさせてくれ』と伝言を預かりました」
「領地? 自分から言い出した今回の謹慎で、わざわざ領地にまで帰られるのですか?」
「ええ、鍛え直してくるとのことでしたよ」
頷くイナルに、僕も「そうですか」と神妙に頷いた。
相変わらずキースは真面目だ。悪いのは僕の目の前に座っている兄弟二人なのに。
二人きりではないので、当たり障り無く他人行儀にイナルと話していると、何が気に入らないのか第二王子がソファーから立ち上がり、僕を指差して「その気持ち悪い態度をやめろ」と言ってきた。
城中どころか側近の友人たちにまで迷惑をかけたと落ち込み、王様たちにも酷く叱責されて申し訳なさそうにしてた第一王子が慌てて弟の指を下ろして、座るように促した。
スピネル第一王子を保護した近衛隊の一人が、安心したように動くのをやめて王子たちの背後に控える。壁際に控える二人の近衛の顔には、この王子たちで今後の国は大丈夫だろうかという不安が見てとれた。気持ちが解る僕は心で同意した。
これが今の王子たちへの評価。今回の件であった信頼も無くりかけたただろう。勉学や魔法、マナーにおいても特別優秀とは聞こえてこないから尚更だ。
僕とイナルは、不貞腐れる第二王子とそれを宥める第一王子を見やり、互いの目線を一瞬だけ合わせてそっと息を吐いた。━━早く帰りたい。困ったような笑顔を張り付けながら、切実に思った。
「街ではそんな態度じゃなかった! ちゃんと今の俺と向き合って話していた。あっちの態度の方がいい! お前までその辺にいる側近たちや貴族たちと同じようにするな」
……何でか、気に入られたみたいだ。全然嬉しくない。
第一王子もイナルも、控えている近衛も驚いたように、赤い目で僕を見る第二王子を見つめていた。
そして何を思ったのか「兄上、ケイトスを俺の側近にくれ」と言い出した。またもや呆ける一同。僕も合わせて演技しつつ、お断りだと思った。どちらの側近にもなるつもりはないよ。サンルテアの家業だけで手一杯だから。
「ブレイブ、それは駄目だよ。ケイトスは私の側近候補で」
「まだ候補なんだろ。ケイトスはきっと兄上の側近になるつもりないぜ」
「なっ!」
絶句する第一王子。その通りだけど、変なことに巻き込まれたくない。
どう切り抜けるかと考えたその時、ドアがノックされて助けが来た。開かれたドアから入った陛下の侍従が「お待たせしました、ケイトス様。陛下がたが執務室でお待ちです」と告げた。
これ幸いと僕は何事もなかったように席を立って、「僕はこれで失礼します」と退室した。頭を抱えるイナルが見えたので、心の中で応援だけしておいた。
これが終われば帰られる。
宰相や近衛隊長、他の重鎮やお父様もいるだろう場所に向かいながら、従兄弟は目を覚ましたかなと思った。
・・・ *** ・・・ (リフィ)
意識はある。
だから、今見ているのは、正確には今思い出しているのは、夢なのだと理解していた。だってもう終わった出来事だったから。
だからわたしは、その光景を、その時の自分を、沸き上がった感情を、冷静に把握して見ることが出来た━━。
一人の男が『ここは危ないから大通りに連れていってあげるよ』と手を伸ばしてきた。 わたしは逃げ道を探しながら、その手を避ける。背筋がぞわぞわした。━━だって、明らかに嘘でしょ。そんなの信じられません!
前には男が二人。後ろと左右はドアと石壁。地面にも逃げられない。残るは空に飛んで逃げる方法。━━でも残念! 飛行の上級魔法はまだ使いこなせてないんだよ~。普通のお店くらいの高さなら、屋上とか屋根とかなら、風魔法を利用して跳んで逃げられるのに。
掌には汗がじわりと滲んだ。わたしは暴れる心音を、深呼吸で落ち着かせようとするけど、無理だった。それどころか、焦燥感と恐怖心に痛いくらいに鼓動が速くなる。……怖い。逃げたい。誰か助けて…。
そんな思いばかりが強くなって、体が強ばる。男たちから目を逸らせない。わたしは気を抜けば恐慌状態に陥りそうになるのを堪えて、呼吸を整えることだけに集中した。
体は沸騰したように熱いのに、寒気を感じて、なのに咽がからからだった。
『怖がらなくていい』と繰り出される男たちの手を後退して避け続けるけど、所詮狭い地下へと続く階段。すぐに追い詰められ、男たちも本気で捕まえようとしてきた。
でも何だかんだでここまで捕まらないのってお母様とメイリンの特訓の成果かな?
さすがお母様! きっとこうなる未来を予想していたに違いない!! ━━なんて呑気に現実逃避してる場合じゃなかった!
じりじりじわじわ追い詰められて、後退する。……困った。逃げ場がないよ…。どうしよう………あ、逃げる隙がないなら作ればいいよね!━━よし、集中!!
タイミングを見計らい、待っていたけど、……わたしが恐怖心に耐えられなかった。
ギリギリまでわたしに引き付けて、捕まえられると相手の気が緩む瞬間に炎を発する予定だったのに、怖くてどうしようもなくて、早めに二人の男の間で一瞬、炎が燃え上がった。━━こうなったら行くっきゃない! 女は度胸だ突っ込め、わたし!!
男たちが驚き、その隙にわたしは二人の間をすり抜けて、階段を上ろうと駆け出した。捕まらずに逃げ出せたらこっちのもの!
慌てた一人の男の振るった手が運悪くぶつかり、上がりかけた階段から足が離れて、強かに背中を壁にぶつけた。肺から息が出ていく。意識はあるけど、すぐに体は動きそうにもなかった。ついでに右腕もぶつけたせいで、地味にじんじんと痛みが響いた。
男の太くて汚い手が伸びてきて、首を捕まれた。背中を石壁に押し付けた状態で持ち上げられて、息が苦しい。四肢に力が入らなくて、徐々に痺れてくる。手を離させようともがき、生き延びることに必死だった。
━━こんなところで死んでたまるか!
強く思った感情はたった一つで、それまでわたしの中にあった恐怖を凌駕した。何でこんな奴らに殺されなくちゃいけないの? 理不尽すぎる! 大人しくなんて死んでやるわけないじゃん!!
吹っ切れたせいか、さっきまであった加減をせずに魔法を使って相手を傷つけたら、なんて恐怖は消え去った。気にせず魔法を使おう。そう決めた矢先に、血が上った頭に痛みを感じた。左側にもう一人の男がいて、髪を掴んだまま押したり引っ張ったり。
わたしの首を圧迫する仲間に『魔法を使わせない為に早く意識を失わせろ』と告げた。━━それは困る!! 禿げるよりも困るかも!?
涙が眦に浮かんで意識が朦朧としてきたけど、一か八かの賭けで、破壊力を求めて魔法を発動させると、目の前の男が燃え上がった。上半身が発火した男は、わたしから手を離して、炎を消そうと自分の体を燃えた手で叩くが効果はない。
体が痺れて動けないわたしは地面に強制落下。新鮮な空気がほしいと体が訴えて、大きく息を吸い込み、噎せた。咳き込みながら自分がしたことに愕然とした。━━このままじゃ殺してしまう!?
慌てて水魔法で消火した。
見た目よりも弱い火ですぐに消したからか、男の皮膚は赤く僅かに爛れだけで済んだ。けれど、そんなの本人には関係なく、腰に下がっていたナイフを取り出して、わたしに向けた。
それから先は、やけにゆっくりと景色が動いて見えた。
鼻息荒く興奮した男の血走った目。じくじくと焼け爛れた肌。男の手が持った鈍く光る鋭い刃。勢いをつけるために僅かに肘が引かれて、突き出される。頭で今後の展開が予想され、恐怖に目を閉じた。コレはヤバい。
━━あ、詰んだ。
頭の片隅で呑気にそんなことを思った。
これまでの短い人生五年間が思い出され、走馬灯のように駆け抜けていく。心残りは両親と天使のような従兄弟を救えなかったことだけど、わたしがここで終わるなら、それこそ未来は分からないはずだよね。……死にたくないなぁ。
ぐっと唇を噛み締めた。
きっと魔力全開で暴走させれば、相手を殺してでも止めれば、この周り一帯を破壊すれば、わたしは助かる。なのに、ブレーキがかかってしまう。それは駄目だと。好き勝手生きてる自分でも少しは良心があったというか、ここまできても殺す覚悟がないビビりというか…。━━未だに誰かに助けを求めて、すがっているなんて、嗤える。
自分の手を汚したくないのに、誰かに汚させて守ってほしいなんて。━━本っ当に、弱くて浅はかでダメダメだな、わたし!
━━………。違う、本当はそうじゃない…。
きちんと現実だって理解していた。だって一ヶ月前に前世の記憶を思い出すまでは、普通に暮らしていたんだから。
思い出してからは、主人公なんて柄じゃないし、お断りだって、本気で思っていた。でもどこかできっと思っていた。━━主人公は死なない、って。
物語のヒロインであることに甘えていたのは、わたしだ。
そんなわけないのに。
ここは物語の世界じゃないから、わたしが主人公とは限らないし未来は分からない。確かにそう思っていた。けど、思っていただけで、本当の意味で理解はしていなかったんだ…。
━━ここでは、わたしは簡単に死ねるし、殺せる、ちっぽけな存在でしかない。それがこの世界の現実だ。
主人公じゃなくて、わたしが死ぬ。
死ぬ今頃になって、漸く理解するとか、本当にバカだ…。
ナイフって刺されたら痛いのかな。血が流れるってどんな感じたろう。あまり痛いのはやだな━━なんて、とりとめなく考えていたら、キン! と、澄んだ音がして、男の呻き声。それからふわりと頬を撫でる風の感触。暫くしても、全然痛みも何も感じないことに気づいて、わたしはそろそろと目を開けた。
すぐ斜め前に立つ従兄弟の少年と、ナイフを握っていた手を庇う男。その手からは赤いものが流れ落ちている。目にしたのは、そんな光景だった。
わたしは呆然と「ケイ」と掠れた声で呟いた。━━わたし、死んでない…。助かった……?
微笑したケイと目が合い、じわりと涙が滲む。
だってこんな非日常の危険な場面で、いつも通り穏やかに微笑む天使がどこにいるよ?
助けが嬉しくて、安心して、力が抜けてしまった。
両親やジャック、メイリン、そしてケイトス━━助けを求めた時に、思い浮かんだ人の登場だったから。
同時に少し、やっぱりとも思ってしまった。
訓練していても恐怖でいざとなったら動けなかったわたしと違って、ケイは普段通り動けるんだね…。
━━目を覚ますと、見慣れたベッドの天蓋の木目。
ぼやける視界に何度か瞬きを繰り返すと、頬を涙が伝った。少し頭が痛い。息を吐いて、のろのろと体を起こす。
窓に目を向けると、まだ綺麗な青空が広がっている。でも昼間見たときよりも日が傾いている気がした。
置時計を見ると、午後四時少し前。寝ていたのは、一時間と少しみたい。
体調に異常はなく、服は薄桃色のワンピースに、着替えさせられていた。清拭してくれたのかな。汗やべたつき土汚れとかは感じなかった。髪も簡単に拭いてくれたのか、さらさらストレート。
ぎゅっと布団を握った現実の感触に、わたしは安心して過ごせる日常に戻ってきたことを実感して、息を吐き出した。
窓の外の青空をただぼんやりと眺めた。
夢に見たあの後は、とても強い従兄弟がいとも簡単に二人の誘拐犯を倒して、意識も奪った。その間、わたしはぷるぷる震えて怯えていただけ。一人で立ち上がることもできずに、結局ケイの手を借りて、甘えた。
『無事で、よかった……』
その言葉に助かったと実感して、ケイにしがみついて、わんわん泣いた。今思い出すと、少し恥ずかしい。
年の変わらないケイに守られて、わたしの代わりに相手を倒して貰って。━━暴力の責任をケイに押しつけた。
従兄弟を死なせないために、強くなるために頑張ったはずなのに、わたしが守って貰って━━情けない!
自分の不甲斐なさに落ち込む。
確かあの後は、偶然知り合ったお爺さんが現れて、ケイと知り合いみたいでピリピリしてて……。わたしは気分が悪くて、ケイが治療してくれたんだよね。それでケイがここまで運んで━━日常の空間に戻してくれた。
従兄弟様々だ。もうケイに足を向けて眠られない。━━って、わたしはいいけど、ケイはどうなったの? 怪我はしてなかったと思うけど、無事!? お爺さんとは喧嘩してないよね!?
落ち着かなくて、わたしはベッドから出た。部屋も出て、応接室やリビング、ダイニングとばたばた従兄弟の姿を探して、駆け回った。冷静に考えれば、部屋で誰かを呼んで話を聞けばよかったけど、そこまで気が回らなかった。
走り回るわたしを見て驚いたのは、お母様とジャックとメイリン。駆け寄ってきて囲まれて、質問攻めにされて……めちゃくちゃ対応に困りました…。心配かけたわたしが悪かったんだけどね。
それから、母たちから事情を掻い摘まんで聞いた。何となく隠されている部分があることに気づいていたけど、そこには触れずに最後まで聞いた。
わたしは最近あった子供誘拐に巻き込まれて、間一髪、助けられたこと。━━あ、そこは原作(?)に忠実なんだ……って、そんな事を思うから、現実認識の阻害になるんでしょ、わたし!
いや、でも、今はもう理解しているから大丈夫かな。それに、知っている話と違っていることを確認するのは、大切なことだよね。わたしの知る物語と、今の現実とは違うんだって再認識するためにも。
犯人たちは捕まり、間もなく子供たちも警備隊が保護すること。事件は無事に解決。だけど、お母様とジャック、メイリンからまたもや心配したと、そんな危ないところに入り込まないよう注意を受けた。そんなに酷く叱責されなかったのは、ケイから誰か━━第一王子に追いかけられていたことを聞いていたからみたい。お出掛けもお散歩も今後、制限されること無く自由にしていいとのこと。これにはちょっと驚いたよ。なるべく、ケイや誰かと出掛けることが条件だけど。
そのケイは今、城に呼び出されて、誘拐犯についての事情説明をしているらしい。
とある貴人の子供が街にお忍びで来ていて、わたしのところに来る前に迷子になっていたその子供たちをケイが保護したこと。━━うん、明らかに王子たちのことだよね。そして、やっぱりいたのか第二王子。会わなくてよかった!
すっかり忘れていたけど、二人とも無事なようで何より。第一王子には若干の恨みがあるけどね。
でも、これでシナリオを外れた…よね? まだ油断はできないけど、王子たちの監視も厳しくなるだろうし、鉢合わせる可能性は低いはず。……それともまさか、学園入学前までに出会えればいいなんて補正がかかってない……よね?
ふと思ったのは、もしシナリオがあってその通りに進むとして、その通りに動かなかった場合はどうなるのかってこと。その邪魔な存在、邪魔した存在を強制的に排除━━つまり今回邪魔したわたしを消そうと動いた、なんてことは…ない、よね?
自分で考えてゾッとした。首を横に振って否定する。だってここは、現実だ。そんなの関係ない。
今のわたしの目標は、両親も従兄弟も死なせないことなんだから!!
万が一シナリオ補正が仮にあったとして、邪魔してくるなら叩き潰して塗り替える!!
最初に決めた時点で、難しさは百も承知の上で覚悟したのは、他ならぬわたしだからね。
・・・ *** ・・・ (ケイ)
王様たちに簡潔に詳細を報告して、漸く解放された僕は、何故か待ち構えていた王子兄弟をかわして馬車に乗り込み、ムーンローザの館へ向かった。
まだ明るいけど、もう午後五時を回ったようだ。遠くで街の時計塔の鐘が五回鳴るのを僕の耳が拾う。
リフィはもう目を覚ましたかな。怯えてないかな。怖がっていたらどうしよう。僕を避けたら……。
そんな事を考えながら訪れた館の玄関で、髪を下ろした従兄弟に出迎えられた僕は、心配事が杞憂だったことがわかった。
葉擦れの音がする草木。
時折、風か吹いては一層音を奏で、原色の花々が競うように咲く花の庭を抜けて、僕とリフィは緩やかな斜面を上って歩いていた。
「ごめんね、ケイ。それと助けてくれて本当にどうもありがとう」
すっかり体調がいいというリフィと小高い丘に向かって歩きながら、僕は会ってから何度目かになる謝罪と感謝の言葉を聞いた。
「もういいよ、リフィ。そんなに畏まらないで。むしろもっと早くに行けなくてごめんね。……ちょっと邪魔が入って」
「え?」
「ううん、何でもないよ」
僕は笑顔で流した。
本当に、あの時行くのを邪魔されなければ、そもそも王子たちがいなければ、あんなことには……当分、あの王子二人の誘いは無視しよう。登城もしない。その権利も貰ったからね。
報告が終わり、気心が知れた王様と宰相とお父様と近衛隊も統括する騎士団長だけになった部屋で、望む褒美はあるかと王様に聞かれたから、座学も魔法訓練も、武芸も僕の習うレベルと同じになるまで城に通わなくていい権利を貰った。王様たちはその時、改めて息子たちの学習速度に気づいたらしくて、愕然としていた。
本当は側近候補を外して欲しいと言おうとしたけど、正攻法で言っても渋って誤魔化されて頷かないことはわかっていたから、搦め手でいくことにした。
このままじゃ自分の知識も腕も鈍ってしまうと訴えれば、いざとなった時に困るのは、王様たちだからね。少し渋られたけど、結果的に承認された。但し、第一王子たちが僕と同じくらいに成長したら、一緒に授業を受けて交流するよう言われたけど。つまり、僕が追い付かせなければ、その間は式典やお茶会以外の交流を持たなくてもいいってことになる。
それに加え、王様たちが由々しき事態だと遅々として進まない現状にテコ入れして、学習法を見直すと思うから、きっと今まで以上に厳しくなって城から出てくることは少なくなるね。少しでも関わりが減って、本当に嬉しい。
見透かしたお父様は苦笑していたけど。
「訓練して強くなったと思っていたのに…」と声無く呟く、しょんぼりした従兄弟の唇を読み取って、僕は困ったように笑った。
はっきり言って、リフィの方が第一王子たちよりも強いんだけどね。ただリフィは実戦慣れしていない。魔物とすら戦ったことはないから仕方ないし、普通は魔物に遭遇する機会もあまりないから当然と言えば当然だ。
訓練も戦闘というより格闘の試合。実際に命のやり取りは無く、そんな心配も無い形式。伯母様とメイリンもあくまで護身として教えているに過ぎないからなぁ。
僕も身を守ってくれたら、それだけでいいと思うよ。けれど、そんな思いはなかなか伝わらなかった。
「よし、決めた。ケイ、わたしギルド登録したら、たくさん依頼をこなして、もっと強くなる! 魔法ももっと使いこなせるようになって、今日みたいなことになっても、相手をちぎっては投げ、ちぎっては投げっていう感じに出来るくらい強くなるから!」
「…うん?」
どうやって萎れたこの従兄弟をいつものように笑わせようか悩んでいたのに、自分で復活して何だか斜め上の方向に進んでくれた。
「目指せ、最強冒険者! 頑張って魔物を倒すぞー」と、拳を作って一人でやる気に満ちている従兄弟。
……えーと、うん。これはこれでいいのかな?
とりあえず。
「じゃあ、その時は僕もギルド登録して同行するよ」
心配だし、何だか、城に行くよりも面白そうだからね。
「本当? ありがとう! ケイがいたら百人力だね」と喜んで明るく花を咲かせる従兄弟。元気になってくれてよかった。
「難易度Aランクの依頼もこなせそうだよね~」
「……ん?」
鼻唄でも歌い出しそうなほどご機嫌の従兄弟。僕は慌てて「ちょっとそれはやめとこうか、まずは簡単なのからね」と止めた。
「ダメなの?」と不思議そうな顔をしないで。出来るかもしれないけど、それやったら間違いなく話題になっちゃうから。これ以上、注目集めるの今はまだやめて。隠すの大変なんだよ。
それに…。
すっと横を歩くリフィの首もとに、相手が視認していることを確認しながら、ゆっくりと手を伸ばした。お互いに立ち止まり、僕の手が近づくと、リフィはビクッと反応して、僕から距離を取って少し体を背けた。……予想してわかっていたけど、やっぱりちょっとショックだった。傷ついているのはリフィなのに。
伸ばした手を戻そうとすると、ガシッと両手で掴まれた。僕は驚いて顔を上げる。目の前には強い星色の瞳で、でもどこか泣きそうなリフィ。僕はその瞳に魅入られたように、固唾を呑んで動けなくなった。
「ごめんね、怖くないよ。ケイは命の恩人だから」
言うなり、リフィが掴んだ僕の手を華奢な首に宛がった。ドクドクと脈打つ音が伝わってくる。
怖くない、そう言いながらもぎゅっと目を閉じて、本当に少し微かに震えた従兄弟。僕は呆れて、苦笑した。
「……チームを組む相手を信頼して、命を預けられるのなら最低ランクのFよりも、もう少し難しい依頼もこなせるかもね」
「本当?」
星色の瞳がきらきらと輝いた。僕を傷つけたと反省して落ち込んでいた表情が、笑顔に変わった。やっぱり彼女は元気な方がいい。
「それなら、Bランクを受けても大丈夫かな」
「………」
僕は笑顔で流した。━━前言撤回。リフィはもう少し大人しくてもいいかな。目を離したら、どこで何に巻き込まれているかわかったものじゃない。それはそれで楽しそうではあるけど、今回みたいに彼女がいなくなりかけるのは嫌だ。
僕は無防備な急所に宛がわれていた自分の手を戻した。危機意識が足りないとも感じたけど、信頼してくれていると思うことにした。
呑気に「どのくらい報酬に差があるんだろう」と呟く従兄弟に呆れ、現実を思い出させることにした。
「その前に、地の精霊王の召喚はしなくていいの?」
「ううん、やるよ!」
てっきり忘れていたと我に返ると思っていた僕は、しっかりした強い返事に目を瞬かせた。横を見ると大人びた雰囲気で、固く拳を握って決意をしているリフィ。…………この従兄弟は、意外に強くて、少しのことではへこたれないんだろうな。
「わたし頑張るよ、ケイ。今回は守ってもらったけど、次はわたしがケイを助けられるようになるからね」
決意を秘めた声に、力強く真摯な言葉だった。だから、本気で言ったことだと解る。
僕は微笑んで「無理はしないでね」と返した。少し不満そうだったので、「楽しみにしてる」と微苦笑したら、満面の笑顔で「任せて」と返された。
風に棚引く薄翠の髪を見て、僕は胸の内ポケットを探った。リフィが不思議そうに小首を傾げて見守る中で、ブレイブ第二王子から回収しておいたリボンを差し出す。受け取ったリフィが目を丸くして、表情を綻ばせた。
「ありがとう、ケイ! 失くしたと思っていたから、すごく嬉しい! どこにあったの?」
「ちょっと治安の悪い区域の境に。それでリフィがそっちに行っちゃったと思って、探したんだよ」
「そうだっんだ。何にせよ、ありがとう。気に入っていたから戻ってきてくれてよかった~」
丘に立つ大木に向かってやや駆け足になるリフィ。その後を追いながら、僕はそっと息を吐いた。
気になっているだろうサンルテアの家とラカン長老との関係。その説明を求められたら、どうしようかと考えていた。その一端を見せて聡いこの従兄弟は気づいているだろうから、怖いと、避けられても仕方ないなとも思っていた。でも何も尋ねられず、これまでと変わらない接し方だった。
その事に僕は感謝した。
城から真っ直ぐに来て。
不安に思いながらも館に足を踏み入れて、リフィが変わらない笑顔で出迎えてくれたから。
片鱗を覗かせても、拒絶せずに受け入れてくれたから。それだけで今は十分だった。
その翌日、リフィは出会った時の宣言通り、見事に地の精霊王を喚び出した。追い詰められたような顔が、安堵に変わって泣き出したことには当惑したけど、「おめでとう」と言って泣き止むまで頭を撫でた。本当に頑張って成し遂げた成果であることを、彼女の努力の結果であることを、僕は見知っていたから。
更にその翌日は、街に出て急に帰ったことを遊び仲間に謝り、ラカン長老に会いに行った。
・*・*・*
誘拐事件から二日後。
ラカン長老と会ったその日の夕方、僕は早めに帰宅して、部屋で勉強をしていた。ふと気配を感じて扉を開けると、クーガがノックしようとしていたところだった。
クーガの茶色の目と目が合うと、彼が苦笑した。
「ケイトス様、お待ちかねの方が参りましたよ。応接室に通しております」
「わかった。すぐ行く」
クーガが開けてくれた扉を出て、僕は廊下を最速で歩いた。その後を苦もなくクーガも随行した。
一階に下りて、真っ直ぐ応接室に向かう。
クーガが開けてくれた扉をくぐって、僕は部屋に足を踏み入れた。
部屋に居たのは、小柄でやや膨らんだ体型にスーツを着こなすにこにこと笑う商人。僕が生まれる前から屋敷に出入りしていて、サンルテア領地に本社を置く気心の知れたルディ老人だった。
ルディはすっかり白い髪を綺麗に撫で付けて、常から細い黄土色の目を更に細めて僕を見た。楽しそうに僕を見て一礼し、顔を上げる。
「これはケイトス様、お久しゅうございます。暫く見ない内にまた大きくなられましたなぁ。わたくしめを急ぎでお呼びと聞き、馳せ参じました。何でも贈り物を購入したいとのことで」
「そう。誕生日プレゼントなんだ」
「ほうほう。ご令嬢ですかな?」
「うん。従兄弟なんだ。何かお薦めはある?」
「年齢と髪と目の色、ケイトス様の印象をお伺いしても?」
「透き通った綺麗な薄翠の髪で長さは肩下。瞳は柔らかな星の色みたいなシャンパンゴールドで、明日で六歳になるんだ」
「はっ? 明日!? で、ございますか?」
ルディ老人の糸のように細い目が、限界まで見開かれた。僕は気にせず、にこりと笑う。
「そう、明日。ついでに朝早めに向かって神殿に行く前に、一番に贈りたいんだ。ここ数日、街で色々見て探したけど良い物が見つからなくて」
「………わたくしめがご連絡を賜りましたのは、確か五日前の朝でしたが」
「うん。僕も会ったのは六日前の午後だよ」
唖然と僕の笑顔を見て、ルディが覚悟を決めた顔になった。
「━━畏まりました。どのような物をお探しで?」
「首飾りとか指輪、耳飾りはあまり好きじゃないみたいなんだ。腕輪はまだいいらしいけど、髪飾りとしてリボンを集めるのが好きなようだから、何か珍しい髪飾りがあったら見せてくれる? あと、腕輪とブローチがあればそっちも」
「それでしたら、こちらになります」
ルディが三つあるトランクの一つをテーブル椅子にのせて、開いた。次から次へと小箱が取り出され、蓋を開けて並べられていく。控えていたクーガも協力して、箱を開けていた。
一通り出し終わったルディが僕を見てくる。
「どのようなお嬢様でしょうか?」
「勇ましくて強くて、活発で可愛い。見ていて飽きない面白い子だよ」
「……………」
「どうかした?」
「いえ、何でもございません」
「クーガ?」
「自分は何も申しておりませんが?」
「何か言いたそうにしていたから」
「気のせいです」
「そう」と、僕は笑顔で流した。
聞かれた印象を答えただけなのに、何でため息を吐かれたんだろうね。
気を取り直したようにルディが口を開いた。
「従兄弟といいますと、もしやシェルシー様のご息女でしょうか?」
「そうだよ」
「それはさぞかし綺麗なお嬢様でしょうねぇ」
「そうだね。ジャックが溺愛して大切にしているお嬢様だから」
またもや驚くルディ。少し前のクーガと似た反応だ。
「失礼しました……。そうですね、お値段は張りますが、サンルテアの特産として魔物から出てきた珍しい宝石はいかがでしょうか? どれも稀少な物でそれぞれに特性があったり、守りが付与されている一品もございます」
「守りが付与された物?」
「ええ、それ程お美しいお嬢様でしたら、危険もありましょう」
品物を探すルディを見ながら、僕はちょっと首を傾げた。
「確かにそういう危険もありそうだけど、一番は何か珍しい厄介事に突っ込んでいくというか、巻き込まれるというか、僕がよく驚かされるんだよね」
「ほほっ、ケイトス様を振り回すとはやりますなぁ。とても微笑ましいではないですか」
「そうかな? ギルドで最強の冒険者を目指したり、初任務でAランクやろうとしたり、ランクの報酬の差額を考えたりしている子だけど━━微笑ましい?」
僕は凍りついたルディとクーガに視線を向けると、二人は乾いた笑みを浮かべた。
おまけに全精霊王との契約を希望したり、熱心に鍛練に取り組んだり、トンデモナイ物を造り出したり、ラカン長老と茶飲み友達になっている子だよ。
「…………さすがはサンルテアの血筋、と申し上げておきましょうか…」
疲れたように笑うルディ。クーガが遠い目になったけど、すぐに戻ってきた。僕は思わず笑ってしまった。曲者のこの二人を話だけでここまで顔色を変えさせる人は初めてだ。さすがはリフィだね。
「まぁ、その、冒険心豊かなお嬢様には、危険が付き物ですのでこちらの一品がよろしいかと思われます」
渡されたのは黄色い薔薇の髪飾り。軽いのに大理石のように硬質で不思議な素材だった。少し長めのピンのような物で、髪を挟み込むタイプの髪飾り。透明感のある琥珀色も精巧に彫られた薔薇も見事で直感で、良いなと思った。
「ルディ、これは?」
「そちらは最近取れた琥珀核でございます。滅多に現れない、倒すことが非常に難しい守護に優れた魔物から採れる大変稀少な物で、持ち主の命の危機からどんなに状況でも一度だけ守ると言われています」
「これを貰う」
話を聞いて、ますますあの従兄弟にぴったりだと感じた。
この前みたいにリフィが傷つかずに、時間稼ぎが出来る物なら大歓迎だ。彼女は人を傷つけることを恐れていたから。
ルディの呆気に取られた表情の意味がわからなくて、僕は首を傾げた。
「……よろしいのですか? 加工もとても大変な物で、これだけの品物は今後現れない可能性があるので、結構なお値段になりますが……」
「いいよ。いくら?」
躊躇いがちにルディが値段を告げて、クーガが僅かに眉間に皺を寄せた。僕は一つ頷いた。
「わかった。一週間以内に振り込んでおくよ」
「えっ、本当によろしいのですか!?」
「ケイトス様!?」
「心配ないよ、クーガ。今までの仕事の報酬で僕が払うから。僕個人の資産だからお父様に報告も相談もいらないよね」
「……はい」
「そういうことだからルディ、急ぎで頼むよ」
「畏まりました。至急包ませて頂きます」
ルディが包んでいる間に、僕は渡された契約書を読んでサインした。品物と契約書を交換する。
満足のいくものが手に入ってよかった。さすがはルディだね。
「来年の参考までにケイトス様、そのお嬢様の好みはどのようなものでしょう?」
「そうだね……あまり派手な物や高価な物に興味はないかな。宝石よりも、高級なお菓子やお茶を喜んでいたよ」
「……何か珍しい物でも探しておくとします」
僕は笑って頷いておいた。それにしても、とルディが困ったように訊いてきた。
「売ったわたくしめが申し上げるのも何ですが、本当によろしいのですか? 誕生日プレゼントにしては大分値が張っているのではないかと…」
「いいんだ。これからも彼女には驚かされて、楽しませて貰う予定だから。それに何より、大事な掛替えの無いたった一人の従兄弟だからね」
ルディが苦笑した。
クーガが穏やかな表情で、僕たちに紅茶をサーブしてくれる。
僕は笑って明日を楽しみに思い、おまけと称してルディから情報をたくさん貰うことにした。
お疲れさまでした。
次は本編になります。