34, 9才 ①
ブクマ、感想、レビュー、間違いのご指摘、ありがとうございます。
これまで、ずれていた話数とリフィの冒険者名を直しました。
途中から、フロースがフローシスになってました。失礼しました。
もうすぐ、収穫できるかな~。
ムーンローザの館、庭の一画の家庭菜園で、わたしは青空の下で水やりをしながら、色鮮やかなトマトや茄子やきゅうりを見て、にへらっと笑う。
夕飯は野菜サラダにしよう。新鮮なまま味見して、明日は何にしようかな~。
暢気にツナギ姿で麦わら帽子を被って鼻歌を歌っていたら、「お嬢様」と呼ばれて、肩が跳ねた。
振り返ると、執事服に身を包んだ青年と少年の間のようなデゼル。
「本日はサンルテア男爵家に訪問する予定ですよ。そろそろお召し替えをしましょう」
「はーい」
如雨露を戻し、手を洗ってから、わたしは帽子を取ってデゼルの隣に並ぶ。デゼルが帽子を受け取って微笑んだ。頬に手が伸びてきて「土がついて汚れてますよ」と払ってくれる。
「ありがとう」と笑えば、デゼルもにっこり笑った。
わたしが九歳になる少し前の六月、快晴が広がる教会に近しい人たちだけ呼んで、お母様は無事に叔父様と再婚し、サンルテア男爵夫人となった。━━素敵なウェディング姿だった! ええ、もう女神降臨かと崇め奉りたくなったよ!!
ちょっと寂しくて胸が痛んだけど、号泣してお母様を祝福しました! 叔父様には「呉々もお母様を宜しくお願いします」と土下座をしたら、「こちらこそ」と土下座を返された。
ケイとアッシュには「…ナニしているの」と呆れられたけど。お母様が嬉し泣きしていたから、問題なし。
予てから決めていた通り、サンルテアの血をひくお母様の娘だけど、わたしは平民のムーンローザのまま。母はサンルテア男爵家に入ったけど、わたしはムーンローザの館で、楽しく毎日を過ごしていた。
サンルテア邸のリビングで寛ぐケイとわたしの元に、母と叔父が結婚の報告に来た時、わたしは祝福した。母にも叔父にも抱きついて、もう泣いて喜んだよ。そして、落ち着いてから「サンルテアの家に入らない」と告げた。混乱する二人に、再婚を反対してないと何度も説得して、前から決めていたことをケイを証人として巻き込んで、話した。
それなら結婚を辞めるとお母様が言いかけて、慌てて止めた。そうなると思ったから言わなかったんだよって。たくさんの人に、何度も理由を聞かれて説得されたけど、コレばかりはねぇ。わたしの未来がかかってますから!
理由は貴族に関わりたくないで押しきった。わたしを扱き使いたい王様たちが手ぐすね引いて待っていて、叔父やケイを除いて、上流階級の男と関わると、祖父やハイド然り、商会主だった父やサルマ然り、ロクなことがないからと。……何故か聞いた皆さん、黙られた。そこは嘘でも否定してほしかった…っ!
そんなこんなでヤサグレかけたけど、説得には本当の理由を知るケイも協力してくれた。
「貴族になるということは、ゆくゆくはドラヴェイ伯爵令嬢になります。そうすると、政略と称して王様たちが婚約者にと命じてきたら、断るのが難しいですよ。王として臣下のお父様に命を下す分には、以前リフィが結んだ契約に抵触しません。その上、後見人と監視対象者の距離が近いと文句も出て、城とサンルテアで監視しようと言ってきそうです」
息子の言葉に、お母様と叔父様が衝撃を受けた。
「王家はダメよ。わたしくしからリフィちゃんまで奪うなんてっ」
「リフィを嫁に……城で監視……家族水入らずに邪魔……始末するか…」
何やら考え込んでしまったサンルテア夫妻。
「どうなっているの?」と問えば、両親を葛藤させたケイが、「色々あるんだよ」と困った笑顔で返してくれた。悩んだ二人は最終的に、わたしがムーンローザでいること、一人暮らしを条件付きで認めてくれた。━━ハイスペック従兄弟が頼りになりすぎる!
着替え終えて、わたしは玄関ホールのデゼルのところへ向かう。「ケイとアッシュは先に行ったんだよね?」と問うと、手を繋ぎながら「はい」と頷くデゼル。わたしたちは、メイドのルミィに見送られて、サンルテアの屋敷へと移動魔法を発動させた。
・*・*・*
わたしが一人暮らしをする条件として、『影』を必ず一人、館に常駐させること。用があるとき以外、週に四日は必ず男爵家に顔を出して、母とお茶するというか会うこと。それから、週に二日は男爵家に泊まること。
他にも、何かあったらすぐに連絡することや、ギルド依頼で出掛けたり泊まりになるときは事前に知らせること、妙な客が来たら教えること、等々、条件が出された。
今もその条件を律儀に守って、男爵家にやって来た。クーガが出迎えて、庭のテーブルへと案内される。
条件の一つで、常駐の『影』であるデゼルとは、ここで別れた。隊長のダグラスに呼ばれているらしい。
ムーンローザの館の周りに『影』の訓練場があり、常に『影』がいるから常駐は要らないと言ったけど、却下されました。なので、週交代で『影』が派遣されて、派遣された『影』は執事の真似事をしている。今週はデゼル。
ちなみに、元いた使用人の料理人ギルは隠居すると引退。メイドのメアリは他の働き場所を紹介、針仕事が得意で産休から復帰したルミィの母親は、自宅で子育てしながら服や小物の縫製をして、サリーの商会でお世話になっている。
一人暮らしに使用人なんて贅沢なもの要らないし、ある程度は自分でこなせるからね。
ただルミィには何故かわたしのお世話がしたいと、熱心にお願いされて、留守番がいてくれた方がいいかなと、雇用した。
お陰で、料理も掃除も洗濯も針作業も、一緒に楽しくこなしている。時々カルドがおばさまから差し入れを持ってきたり、サリーたちも心配して見に来てくれるから、感謝だね。
他にも、たまにメイリンがルミィに侍女指導しているらしい。「立派な侍女になってお嬢様を助けます」と言われた。有り難いけど、何で包丁捌きが上達しているの…?
お母様たちが色々と心配しているのも、させているのもわかるけど、もう少ししたら条件を緩めて貰おう。
お母様とメイリンに見られながら、爪先まで意識しながら淑女然と挨拶をして、席に着く。紅茶を頂きながら、当たり障りなく和やかに会話をした。母のお許しが出るまでは、マナー試験状態。
お母様は大好きだけど、コレは頂けない。普段の一人暮らしで怠惰にしている分、面倒でやりたくないと思ってしまう。いつ化けの皮が剥がれやしないかと、緊張して心臓が煩いんだよ~。助けが来ないかな…。
「今日はこのくらいにしましょう」
にっこり微笑むお母様。
ようやくお許しが出たら、いつも通り。よかった、及第点で。間違えたら、夜までマナー講習だからね。淑女とは何かと語られる。一度体験したら、もう懲り懲りです。ある意味、攻略対象者より恐怖でした……。
世間話をして、劇団『ステラ』についてあれこれ話し合う。普段なら、劇団のパトロンであるサンルテア男爵夫人であり、統括責任者の母とメイリンと一緒に、お茶会の後は劇団に顔を出しに行くのだけど、今日は違った。
「わたくしと一緒に詩の暗唱をしましょう」
……死のアンショウ…? 何だかとても不吉な感じがします、お母様。メイリン、何ですか、その分厚い本は…。
開いて渡されたのは、貴族の恋の詩の部分だった。ちらりと正面を見ると、笑顔で読むよう促される。
「リフィちゃんの考える台本も音楽も劇中歌も素晴らしいのですもの。古代の激しい愛の詩や、歌を知って幅を広げてみるのはどうかしら?」
「本を読むの好きでしょう?」とお母様。ええ、好きですよ。詩ではなくて物語を読むのが。恋愛だけの話は飽きて、冒険やスパイもの、推理ものに成金物語を読んでいて、サリーに嘆かれたけど。
それなのに、恋愛話大好物のサリーにさえ、ゲロ甘と言わしめた古代の詩を読みましょうって、新手の拷問デスカ。何の苦行ですか…。
確かにわたしは、顧問というか総合監督というか、こんな台本がいいとざっくり設定を語って、セリフ回しは脚本家に丸投げし、こんな感じの音楽と演奏家に素人が口出しして、稽古を見たり、舞台衣装や宣伝、経営や団員の住居や面倒事━━様々なことに少しずつ関わっている。
団員たちにはナゼか「団長」とか、「頭領」とか呼ばれていた。どこの悪の親玉だと頭領は遠慮したら、団長で定着したけど、ちょっと不本意。呼び名を聞いたときは、お母様とメイリンも困ったように笑っていた。ケイやアッシュ、『影』たちには笑われたけどね!
……え、もしかしてそれで?
最近やたらと宝飾品を身に付けさせようとしたり、令嬢に人気のお菓子やドレスを買いに行ったり、お茶会に誘われたりしたのって、少しでも淑女に軌道修せ…ごほん。更に淑女らしくしようとしたから!?
光の消えた濁った目で、わたしは無心に本を流し読むことにした。
「後でどの詩がよかったのか、暗唱しましょうね。折角だから『影』やメイドたちにも聞いてもらいましょうか」
「ぇ…」
危うく漏れそうになった声を留めた。ソレなんて羞恥プレイですか!? な、流し読めない…! くっ、さすがお母様。逃げ道を塞いでくるなんて……コレで恥じらいを鍛えるんですね! 心底遠慮したい!
落ち着こうと、わたしは紙幣を数えることにした。バール紙幣が一枚、二枚三枚………今月の収入は、いくらかな…。ルミィに払うお給料を差し引いて……後は貯金に……はっ、現実逃避してた。
正面で優雅に本を読むお母様を見て、ほぅっと息を吐く。幸せそうで、よかった。娘から見ても、益々美しさに磨きがかかって、前より笑顔も穏やかになった気がする。メイリンの表情も柔らくなった。改めて叔父様━━お父様に感謝した。
少し前までは、普通に叔父様と呼んでいたけど、珍しくケイに「気にしているから、父と呼んであげて」と頼まれた。それから、身内だけのときはお父様と呼んでいる。
あざとく「お父様と呼んでもいいですか?」と上目遣いで言ってみたら、予想以上に喜ばれた。それ以来、何でかよく抱っこされたり、膝に乗せられたりする。……あの、わたしもう九歳になって一ヶ月以上経ってるんですが。
さすがに恥ずかしいと逃げようとすると、悲しい顔をされるから、つい流されてしまう。美青年てズルイと思いました。
メイリンが紅茶のおかわりを注ぐ音で、わたしは我に返る。
早く、どれか詩を選んで、覚えなくちゃ。
「奥様、申し訳ございませんが、少々よろしいでしょうか?」
クーガが手紙を二通持って、現れた。母が許可を出したので、クーガが口を開く。
一通は、王妃様から。何でもお母様と学生時代の友人らしい。聞いたときは戦慄したよ。こんなところにも地雷があったとは…。
手紙を読んで、母曰く。
王妃様というか、その侍女からで、王妃が塞ぎこんでいるので話し相手になってほしい、と。今朝から何も食べずに部屋に閉じ籠って、誰の言葉も耳に入らないらしい。━━あぁ、いつものアレですか。
母の再婚後、城で舞踏会があった。サンルテア男爵夫人として出席すると、体調不良でよく欠席する王妃が珍しく出席して、母と再会した。それから、たまにこうして呼び出しがかかる。お茶会だと、なかなか二人では会えないから。
「仕方ないわね。行ってくるわ。もう一通は?」
「旦那様からで、王都郊外に魔物が発生したと」
「ああ、それでケイトスくんとアッシュちゃんが、ここに来るなり転移魔法で城に向かったのね」
納得するお母様。わたし、初耳なんですが。確かにここに来てから見かけないとは思ったけど。いつもなら頃合いを見て、お母様のマナー試験から助けてくれるのに。
「ケイトス様は旦那様の代わりに、騎士団と王都郊外に向かわれたそうです。ですが、何分至急の呼び出しでしたので、ケイトス様が旦那様に届ける予定でした書類を渡しそびれまして、後程、直接私が届けて参りま━━」
「━━クーガさん!」
慌てたように『影』の一人が、庭に現れた。眉を顰めたクーガを見て失態に気づいたようだが、母に「構わないわ。続けて」と促されて、彼は口を開いた。
「隊長とデゼルが喧嘩しているんです! 幹部の方は郊外に出払っていて誰も止められなくて……訓練場が大変なことに」
「……」
「クーガ、止めに行ってきて」
「はい。奥様の馬車を手配しておきます。ザップ、お前が御者をしろ。メイリン、奥様のご支度を」
メイリンが頷いて、母が席を立つ。『影』ザップは、すぐ消えた。わたしはお留守番か~。
何して過ごそう。町にでも顔を出そうかな。それにしても、あの温厚なデゼルが、生真面目なダグラスと喧嘩ってナニゴト? わたしも仲裁に行った方がいいかな。それとも見られたくないかな。
「リフィちゃんはわたくしと一緒にマリー…王妃様へご挨拶にでも行きましょうか? マナーを実地で学べて、いい経験になるわ。彼女も会いたがっているのよ」
「遠慮します。一般市民ですので」
少し前から、母に王妃様の元に誘われて今も逃げ回ってる。何故か会わせたいみたいだけど、攻略対象者の母親と会うなんて、別のフラグ立ちそうで怖すぎる! 切実に辞退したい!
お母様が友人と再会できて、嬉しいのはわたしも嬉しいよ。けど、ソレに巻き込まれるのは話が別。
「王妃様はそんなこと気になさらないわ」
「お母様。王妃様のお心が広いのは知っておりますが、それとこれとは話が別です。わたくしと面会したことが周囲に知れ渡れば、眉を顰められますわ。お母様お一人でしたら貴族でご友人だからと見逃されても、そこに平民のわたくしが加われば、社交界に戻った男爵夫人が王家に取り入る、平民の娘を売り込んで何を考えているのか、と思われても、仕方ありません。そのように振る舞われたお母様と王妃様の落ち度となり、弁明してもお父様とケイの立場が悪くなります。わたくしにそんな親不孝をせよと仰せですか?」
やりきった!
これで諦めてとお母様を見ると、とても驚いた顔をしてました。メイリンとクーガもわたしを見て固まっている。……いやいやいや、わたしヤラカシテないはず。正論を主張して、懇切丁寧にお断りしただけ。
いくら大好きなお母様といえど、聞けることと聞けないことがあるのです。社交界では隙を見せてはいけない、と口を酸っぱくして言い聞かせたのはお母様だよ。まぁ、とどのつまり。━━絶対に行きたくない!! 禍の芽は早くに摘み取りましょう。
「リフィちゃん…。そこまで考えて…わたくしたちのために…。ええ、そうよね。わたくしが悪かったわ。ごめんなさいね。でも、立派な淑女に育ってくれて嬉しいわ! すっかりどこに出しても恥ずかしくないレディね。わたくしが開くお茶会でも━━」
「いえ、それも遠慮します」
従兄弟経由で、王妃が気晴らしの外出がてら、サプライズゲストで出ようと考えているお話を耳にしたことがあるので。彼の情報源はスルーしたけど、王妃に会うのは無視できない。
これ以上何か言われる前に、ここは早めに撤退せねば!
「クーガ。わたしが書類を届けてくるよ。前みたいにして、直接お父様に渡せばいいんだよね? 渡す書類は?」
突然捲し立てられて、珍しく戸惑ったクーガが「え、あ、ここに」と、上着の内胸ポケットから茶封筒を取り出した。いつもお世話になっているから、クーガにも異空間入れ物を造ろうとしたら、ジャケットの内ポケットにと頼まれたんだよね。役立っているようでよかった。
わたしは封筒を手早く受け取って、自分の異空間ショルダーバッグにしまう。
「行ってきます!」
何か言われる前に、移動魔法を発動。城の西側にある旧闘技場に転移した。ふぅ、何とか逃げきれた…。
誰もいない旧闘技場。歴史的建造物だから残しているけど、用がないので誰も近づかないと、以前ケイと一緒に来たときに案内された。
……お城…できれば、来たくなかった。
やってしまった感があるけど、あの場に居続けて母のお願いを断り続けるのも、精神的に疲れる。王妃も王族なのに、母は友人という認識の方が強く、王家を避けているようなのに、王妃は王家とは別と考えているのか仲がいい。仲がいいのは構わないけど、わたしは関わりたくないんだよね…。お母様の友人に会えないのは残念だけど。
周囲に見えないよう不可視の魔法を自分にかけ、闘技場の入口に向かう。
避けていた城だけど、もし何かあったときのために、と年が明けてから一度、従兄弟に連れてこられていた。
ケイ自身が、イナルと会ったことを気にしていて、城で逃げるときに人のいない通路や、隠れられる場所、ジルお父様の執務室、『影』への連絡の仕方や、王子たちのよくいる場所等、新年の行事で王族や上位貴族が拘束されているときに、案内してくれた。
あれから約八ヶ月。まさか、それが役に立つときが来るとは……うちの従兄弟がマジ半端ないわー。
闘技場を出て、様子を伺いながら慎重に草木が繁った道を進んで、父のいる場所へと足を進めた。
どうか誰にも会いませんように。
深呼吸して自分を落ち着け、気配も消す。以前来たときと同じ道を人の気配に注意しながら辿り、案内してくれた従兄弟は無事だろうかと東の空を見た。
きっと大丈夫だよね。アッシュも『影』もいるし………気になるけど……。
父がドラヴェイ伯爵に、情報統制局長官の仕事を一時だけ任されてから多忙で、ケイも祖父の命で手伝いに駆り出されて、今日は魔物退治。わたしは、嘆息した。
後でちょっと祖父に言っておこう。そうして、わたしに訪問させるのが狙いなのかもしれないけど。
ドラヴェイ伯爵━━お祖父様とは……まだ蟠りはあるけれど、最近は少しだけ口を利くようになった。再婚するに辺り、ちょっと協力してもらったんだよね。
母に亡き夫との間に子供がいることは、お茶会とかマナーを習いに集まったターニャ夫人の所で、多少接触していた下級貴族には知れ渡っていた。
それなのに子供は平民で、執事が付いているとはいえ一人暮らしをしているから、まぁ変な噂も立つよね。
絶対にあり得ないけど、父と母が虐待しているだとか、家から追い出したとか、他にも両親を貶める噂話に花を咲かせようとする暇人が、どこにでもいると予想していた。
だから、ドラヴェイ伯爵の力を借りた。わたしの我儘を認めてくれた両親が、苦しむのは嫌だから。迷惑かけるのを重々承知の上で、わたしはサンルテアになることを拒否したから。
きちんと子供が駄々をこねて拒否したこと、法に則って作成された書類がしっかりあり、法的手続きも済んでいて王にも承認されたこと。二人の子ではあるけど、貴族の領地や財産、諸々の相続権は嫡子のケイにのみ存在し、わたしには何もないこと。それらの証明書もあること。
下衆な噂が出回るとすぐに潰し、真実を知る他所の貴族から話されたことで、そんな噂は立ち消えた。
得てして面白味のない真実には興味が薄く、悪辣な醜聞が好まれる社交界では、噂に事欠かない。別の不倫スキャンダルがタイミングよく流れたことも都合がよかった。━━改めて。……うちのジーチャンも端ねぇ…。いや、感謝してるよ。わたしがお願いしたことだし、今回はただで引き受けてくれたから。
大事な娘と息子のためだし、祖父はこの二人をくっつけたかったから、素直に協力してくれたんだと思う。
「ケイトスとは仲良くやっているのか?」と聞いてきたときには、また何か企んでいるのかと顔を顰めてしまったけど。当たり障りなく「変わらずアッシュ共々仲いいですよ」と返しておいたよ。
ええ、仲がいい同居人デスヨ。
わたしの一人暮らしを最後の最後で渋る両親に、承諾させた決め手になったのが、ケイも一緒に暮らすこと。条件の一つに加えられて、既に一緒に暮らしているというか、わたしがサンルテアに泊まるとき以外は、ケイもムーンローザの館で生活していた。対外的にケイは、サンルテアで暮らしていることになっているけど。
色々な事情を知るケイがいるのは気が楽だけど、薬の調合に失敗して異臭が『影』の訓練場を襲っちゃった事件とか、動く植物育てちゃった事件や、ソレに追いかけ回されたときとか、めっちゃ頼ってお世話になったけど。でもね? 一人の方がおやつ抜きにならなかったし、正座でお説教もなかったし、アッシュとダブルで責められることもなかったと思うの!
母は「ケイトスくんが一緒だと安心ね」と微笑み、アッシュは「ケイがいるなら暴走しても助かるな」と言い、わたしの反論は悉く封じられた。解せない!
当時を思い出して、わたしの口からため息がこぼれた。
訓練場の側を通り、気もそぞろに空を見上げながら歩いていたら、ガッと何かに足が引っ掛かった。躓いたわたしは地面に手をつき、一回転。よし、完璧な前転。って、そうじゃない。
驚きと接触で不可視の魔法が解けたまま、わたしは「っぅ」と声がした後ろを振り返った。木の幹に体を預けながら、足を伸ばして寝ている少年。躓いたのは足かなー……。………。
顔を顰めたのは、長い金髪を一つに括った端整な顔立ちの美少年━━攻略対象者のキース・エアル侯爵子息。
「ごめんなさい」と謝罪より先に「ヒィッ」と悲鳴が出かけた。それを何とか堪え、震える体を逃がそうとして、死んだように眠る青白い顔の少年を見た。
風が吹き抜けるが、キースは微動だにしない。疲労の濃い顔で、ぐったりしており、呼吸をしているのかも怪しい。服はよれて汚れ、腕には打撲痕や切り傷。よく見ると顔にも擦過傷があり、俯いたままで━━。
コレは……まさかの…攻略対象者ヤっちゃった!?
実は、急所の鳩尾を踏み抜いて殺っちゃったの、わたし!?
ど、どうしよう、どうしたら…。
真っ青になって震える。ヤバい、と、とにかく証拠を隠滅して、どこかに埋葬して……いやいや、待って。既に瀕死の重症で死んでいた可能性もある! ということは。
「し、死体の第一発見者━━っ!?」
間抜けな叫び声をあげて、わたしは慌てて両手で口を塞いだ。どうしよ、誰か、人っ、人を……呼んだら、わたしが疑われたり…。
背筋を冷や汗が伝った。
「…っう、…うるさい……」
「よかった、生きてた!」
動いたことに、すっかり気が動転していたわたしは、安堵した。━━って、安心できないよ!?
目を閉じた顰めっ面で軽く頭を振り、覚醒しようとする少年。邂逅するのダメ絶対、と思ったわたしは反射的にギュッと目を瞑り、ショルダーバッグを持ち上げて振り下ろした。
「んがっ」
そっと目を開けると、再度気絶した少年。
「………」
サァーッと血の気が引いた。
つい、手が出てしまった。コレは本格的に、ヤバい。てか、ヤっちゃったわたし!? ろ、牢屋ですか、臭い飯ですかっ?
わたしは急いで最上級の治癒魔法を行使した。
何でこんなときに、ツッコミのアッシュがいないの!? もう一人でテンパってるよ! ナニこの展開、ついていけないんだけど!?
お願い治ってと念じながら、縄をかけられて連行されるわたしが思い浮かんだ。
体のあちこちにあった少年の傷が全て癒されていく。
「こ、こうなったら始末する他…」
「……勝手に殺す、な…」
か細く、寝起きで掠れた声に、わたしは天に感謝した。やったー、生き返ったー!
痛そうに頭を押さえて俯く少年。
そこに、バタバタと騒がしい足音が近づいてくる。
咄嗟にわたしは頭を両手で押さえる少年の首根っこを引きずり、木と茂みの影に隠れて、「声を出さないようにね」と不可視の魔法をかけた。
引きずったときに額を枝にぶつけたらしく、少年が顔面を押さえて踞る。
やって来たのは衛兵で、「声がしたのはこっちか?」「死体がどうのって聞こえたよな?」という話し声に、そっと目を逸らした。……あ、はい。ソレわたしです。
騒いで申し訳ない。気にせず、お仕事に戻ってください。
暫く辺りを調べた衛兵が、何もないことを確認して去っていった。ホッしたのも束の間。隣で「ぐっ」と呻いて、もぞもぞしていると目を向けたら、金髪を鷲掴みにして地面に押さえ込んでました。……あ、つい兵から隠そうとしてヤっちゃった。
━━ナニしてんの、わたしぃっ!?
手を放して立ち上がり、逃亡を決意した。けれど、ガシッと腕を捕まれる。右手で額を押さえながらゆっくり立ち上がるキース少年。怒りのオーラが見える気がするっ! そして逃げ場がない!
……あ、コレ終わった。
背筋を冷や汗が伝った。
九歳編はあと一、二話で終わらせたいです。




