8才 SS (ケイ・アッシュ)
活動報告にのせた物です。その後におまけも付け足しました。本編に関わりはないので、読み飛ばしても問題はありません。
時系列的には、SSがリフィが八歳の誕生日を迎える前の話で、おまけ話は八歳の本編後です。
初夏の日差しが降り注ぐ、自然が美しいムーンローザ家の庭。
まだ六歳の僕は、散歩する従兄弟の背に声をかけた。
「ねぇリフィは、何かなりたいものや欲しいものはある?」
何気ない僕の問いかけに従兄弟が振り返った。
リフィは今よりも幼くて、出会ったばかりの頃だとわかる。やや俯いて黙考し、顔をあげた。星色の目がキラキラ輝いていた。微笑ましく見守っていると。
「巨神兵」
「ん?」
「巨神兵!」
「え?」
「巨神兵!!」
「………はっ?」
意味がわからなかった。でも従兄弟は可憐な満面の笑みで、僕の戸惑いなんて異に介さない。
「…えーと、巨神兵ってナニ?」
「巨神兵っていうのは、大きな大きな人形の機械兵で、こう、小さな人を見下ろして、簡単に足でプチって潰せるの。そうなれたら、素敵だなって」
「……」
それは素敵なの…? ゴメン、僕にはヨクワカラナイ。
はにかんだ笑顔は可愛いけど、言葉と合ってない気がするよ。
「お母様にもそう話したら、『あら素敵ね』って。あ、お母様!」
振り向くと、伯母様とメイリンがいた。相変わらず子供がいるとは思えないくらいに若々しく麗しい。
リフィが駆け寄り、今さっき話していたことを話すと、伯母が楽しげに笑った。
「素敵な夢ね、リフィちゃん」
「はい! 応援してくれますか?」
「もちろんよ! そうしたら、お母様も乗せてくれる?」
「はい、必ず!」
何か話が弾んでいるけど、やめて。本当にやめて。僕は自然と遠い目になった。 ━━この母子は穏やかな雰囲気で、素敵な笑顔で何を言っているの?
伯母様も止めてください! この際メイリンでもいいから止めてと、冷静な侍女を見ると、微笑ましいと笑って賛同していた。
……え、コレ、僕が止めるの? 何て説得するのが正解!?
「巨神兵になったら、みんな驚くわね」と伯母様。「世界征服できますか」と興奮しているリフィ。それを見守るメイリン。
僕も言葉を紡いで、止めようと会話に混じるも誰も聞いていなかった。どうしようと、この従兄弟ならやりかねないと焦って、冷や汗をかいて━━はっと目が覚めた。
外はまだ夜明け前。白藍の空でぼんやり見える室内は、見慣れた僕の寝室。「夢…」と無意識に呟いて、深く安堵した。ノリにのった従兄弟の暴走を止めるのは、夢でも疲れる。
背中に汗をかいていて、夢なのに相変わらず従兄弟は従兄弟で、僕を振り回していたなと妙に感心した。着替えようとベッドを出て、手や足が目に入り、夢よりも成長している今の自分に安心した。
・*・*・*
とある日の午後。
そんな夢の話をリフィにしたら、微笑ましいとにこにこ聞いていたのに、途中で遠い目になって無反応になった。
どうしたのかと首を傾げて見守っていたら、端正な所作でお茶を飲み、ふっ、と乾いた笑みを浮かべた。
「わたしは、ケイがわたしをどんな風に思っているかが気になったよ」
「……」
僕は無言で微笑んでおいた。けれど、リフィは誤魔化されない。目を半目伏せて、じっと見てくる。
「ケイの中のわたしって、そんなに変な子なの? わたしの印象って巨神兵!? 世界征服する子!?」
「……そんなことないよ。リフィは稀に見るほど綺麗で聡明な自慢の従兄弟だと思っているよ」
笑顔で如才なく答えた僕に、リフィが微笑んだ。
「回答までの間はナニ?」
僕は笑顔で返答を拒否した。簡単に流されてくれないらしい。無言で笑顔の応酬をしていると、少ししてリフィが嘆息して紅茶を飲んだ。もういいやと流してくれた様子。
僕は内心で胸を撫で下ろした。久し振りに少し焦ったよ。
「それにしても巨神兵かー。…………なってみようかな…」
「!?」
呟かれた一言に、僕は目を見開いた。
安心したところに爆弾を落とすとは……。思わず黙考する従兄弟を見つめてしまう。
そして、ふっと表情を綻ばせるリフィ。可愛いけど、絶対妙なことを企んでるよね?
輝く星色の目と合った。
「冗談だよ。わたしは立派な淑女ですから、そんなことしません。なりたかったのは、昔の話だよ」
「なりたかったの!?」
いやいやいや。それ淑女関係ないよね? というか、少女が考えること事態がおかしいから。
「そう。魔法で大きなゴーレムでも作って発進させようかと、考えてたんだ」
……どこに発進させるつもり? というか、いきなりそんな物が王都に出現したら、大混乱だから。討伐部隊が派遣されるから。
「……やめたのは、どうして? 君なら簡単に作れたよね」
「作れたけど、出張から戻ったお母様とメイリンに計画をお話ししたら、とても悲しげな顔でぬいぐるみをくれたの。もっと大きいものをお土産に買ってくればよかったって嘆いて、忙しい二人が作ろうって話し合うから、このぬいぐるみで充分ですって言ったの。それきり、ゴーレム計画は忘れちゃってた」
ぜひ、そのまま忘れてていいよ。伯母様とメイリンも気にするのは、そこじゃないと思う。
余計なことを思い出させた僕は、作ると言い出す前に、話題を変えることにした。
「お土産のぬいぐるみって、ふかふかな手触りのウサギ?」
「そう。すんごく、もふふわでお気に入りなの」
「本物とは違うけどあれはあれでよし!」と幸せそうに笑うリフィ。僕は、ゴーレムと巨神兵の話を忘れてくれることを祈った。
「……あのぬいぐるみを巨大化させられないかな」
真剣にポツリと呟かれた一言に、僕は笑顔で固まった。
ゴーレムよりはマシだけど、やめて。「跳ねるようにして…」って、跳ねたら地震が起きて建物が潰れるから。……でも、馬くらいの大きさにしてその辺の庭を跳ねるだけなら、大丈夫かな。
「空高くポーンと跳ねて、ズドンと着地を」
予想外の単語が出てきた。軽やかに聞こえて重量級だった…。
「……何を破壊する気なの?」
「え、破壊? ……いやいやいや。そうじゃなくて潰…って、何で生気のない目で疑わしげに見るのっ?」
だって、ゴーレムくらい巨大化させてズドンと着地を決めるつもりなんだよね? 潰すって言いかけたよね?
あの可愛らしいぬいぐるみを破壊兵器に進化させて、どこかの町を侵略する姿が思い浮かんだ。
従兄弟も想像したのか、感想が声に出ていた。
「シュールな光景だけど、周りを破壊して、もふふわうさぎに乗って高笑いするわたしが似合いすぎる…」
精神的ダメージが大きかったのか、「ダメかぁ」とリフィがしょんぼりしてお茶を飲んだ。暫く静寂に、器や焼き菓子を食べる音が微かに響いた。
何となく罪悪感を感じて、僕は「リフィは今ほしいものはあるの?」と話題を振った。
リフィが少し考えて、思いついたと表情を輝かせる。
「今はね、ナイスバディか筋肉がほしい!」
また随分と予想外の答えを返してくれたね。とりあえず、理由を聞いた。
「諜報活動において、男性を籠絡させるのは大人の女性が適してるってラッセルたちが盛り上がって話していてね、サンルテアの女性たちは使用人として忍び込んだりとても有能だけど、成長したわたしには絶対無理だって笑っていたのを聞いて、ちょっとこう……見返してやりたいなって」
「君がここ最近、彼らを冷たく蔑視していた理由がわかったよ。でも、普段のリフィはそんなこと気にしないと思うけど」
リフィが重々しく頷いて、深く深く嘆息した。
「そうだね。好きに言わせておくよ。でもね、その場にいた全員に無理って否定されて、ついでに女装したデゼルよりも魅力に欠けると言われた日には━━淑女のわたしのプライドズタボロ。ゴーレムで突進かけても仕方ないと思うの」
それって、ズドンと着地の標的は僕の家だったってこと?
危機一髪だった…! まさか従兄弟に奇襲をかけられるとは思ってもみなかったよ!?
僕は青ざめながらも、首を横に振った。
「全然仕方なくないからね。報復は直接ラッセルたちにしていいから。それはもう遠慮なく」
「でも全員を叩きのめすにはちょっと体力が足りないから、ムキムキの筋肉がほしいかなって」
……深窓の令嬢からムキムキの筋肉とか聞きたくなかったよ。淑女らしくないとはあえて口にしないでおく。
筋肉とナイスバディを欲しがった理由はわかったけど…。
ため息を吐くと、くすくすと笑声が聞こえた。
「冗談だよ。どちらもなくても叩きのめすのに支障はないから」
「…だろうね」
どうやら僕をからかっていたらしい。まんまと騙された僕は苦笑した。本当に、そんなことをするのはリフィくらいだよ。
鉄拳制裁には口を出さない。淑女じゃないというツッコミも省略した。
その後は、先日の任務や今抱えている案件について少し話して、和やかに別れた。
帰り際に「ラッセルたち全員が女装して土下座するまでは無視するね」と恐ろしい宣言をしていたけど、僕は笑顔で流しておいた。
見たくないと思ったけど、一部のメイドや『影』たちから悲鳴が上がったのは、数日後のことだった。
死んだ魚のような目をしたクーガを初めて見た僕は、笑いを堪えて、ゲテモノたちの記憶を速やかに抹消した。
※※※※※※━━おまけ話━━(アッシュ)
「ふぉぉぉおっ!」
リフィが感激のあまり、奇声をあげた。隣を見なくとも、オレには目をキラキラとさせて、うっとりしている少女の姿が容易に想像できた。確認のために横目で見れば、想像通りの反応━━想像以上に興奮していた。
オレは目の前の光景を見て、ふっと軽く息を吐いた。
目の前には多少の丘陵があるものの、広大な草原が青空のもとに広がっていた。あちこちに区画で区切った柵があり、その中には羊や兎や馬、山羊にアルパカに大型犬、狸やカピバラなどの動物が来客を迎えて、触れ合っている。
「ときめきが止まらなさすぎる! ヤバい! ここ天国!!」
そうか。それはよかった。オレ様の安寧のためにもよかった。ただ思ったよりも興奮しすぎていて、ハアハアと呼吸が荒い。知り合いじゃなきゃ、不審者として通報してるな。
シャンパンゴールドの瞳は大きく開かれ、どの動物のもとへ行くか視線がさ迷っている。……取り敢えず、涎を垂らす前に口を閉じろ。肉食獣さながらで、動物たちに怯えて逃げられても知らねーぞ。
コレが『影』たちが言う残念さだな。オレは知り合いだと思われないよう、そっと離れた。そしてここに来た経緯を思い出す。
ケイトスに付き合うことが多くなり、リフィの側を離れることが多くなった。それで久々に再会すると、それはもう構い倒される。特に変態の誘拐があってからはそれが顕著だ。
夏で蒸し暑い気候だというのに、毛皮も着ているというのに、体温の高い子供が四六時中ベッタリいれば、脱走したくもなる。追いかけられて更に走れば、余計に暑くて疲れてぐったりだ。
シェルシーが無事に退院してから一ヶ月。メイリンとジルベルトを共にブロン国に行き、サンルテアの家で厄介になってから、一週間。ひと月以上のお嬢様生活で疲れているのはわかるが、オレのストレスも考えろ。
相談したら、ケイは困ったように笑ってリフィに注意したが、効果があったのは数日だった。それを見かねて、王都郊外のここを紹介してくれた。……あいつはいい奴だ。どこかの暴走娘のように手がかからん。
本当はケイも一緒に来て、動物に襲いかかりそうなリフィの手綱を握って欲しかったが、城から呼び出しがかかったらしい。やっぱり友達辞めとけばよかったと、呟いたケイが少し怖かった。
お目付け役はオレとデゼルとラッセル。デゼルが「どこを見に行きますか?」と声をかける。リフィが「もふもふ素敵」とよくわからん答えを返した。デゼルとラッセルは苦笑しているが、スーハーと深呼吸している姿が変質者にしか見えねー…。
「う、埋まりたい!」
よし、埋まってこい。オレ様の安寧のためにも埋まってこい。そう送り出したいのは山々だが、出来なかった。
「迷惑だからやめろ。まず動物に迷惑で、次に牧場に迷惑、最後に遊びたい他の子供に迷惑だ」
「くぅっ…アッシュに正論で諭されるなんて…!」
「おい。何で今さりげなくオレを貶した」
「気のせいだよ~」
リフィが目を泳がせた。そして頬を染めてうっとりと嘆息した。胡乱げに視線を辿れば、巨大な二足歩行の羊がいた。しかも薄紅色の柔らかな毛並みだ。牧場の看板に描かれたマスコットキャラクターのようだ。
ふら~っとリフィが歩き出す。今にも抱きつきに行きたそうに、うずうずしていた。
「あれなら誰にも迷惑をかけずに…」
「ああ。アレならな。中身おっさんだけど」
「おぅっふ。余計な情報を聞きたくなかった…っ!!」
リフィが両手で顔を覆って膝をついた。ガチに凹むな。「子供の無邪気さを装ってもふりたかったのに…」って、何でこいつが言うと残念で、犯罪っぽく聞こえるんだ?
打ちのめされるリフィに、「それならオレが」とラッセルが両腕を広げたが、早々に立ち直ったリフィはスルーした。横を通り過ぎて、羊の群れに突進していく。それをデゼルが追いかけた。……やれやれ、子供のお守り開始だな。
その後は羊にじゃれて、馬の首に抱きついて乗って、兎に囲まれて撫でくりまわし、山羊に餌をやり、アルパカに触って大型犬と戯れた。リフィにはデゼルが付き添い、ラッセルがカメラで撮りまくっていた。
こうして見ていると、無邪気に楽しんでいるリフィの姿は癒されるというか、和む光景だな。多くの客である親子連れも、どこへ行ってもリフィに注目していた。
だが、誰もが近寄りがたそうにしているというか、リフィの邪魔をしないよう遠目に見守っていた。護衛が楽でいいことだな。
そこに、従者を連れた身なりのいい少年が一人、嬉しそうに笑ってリフィに声をかけた。大型犬に抱きついていたリフィが不思議そうに少年を見た。
「チッ、この辺を治める男爵家の子供か。お嬢に馴れ馴れしくして、撮影の邪魔だな」
……おい、ラッセル。さっきまでのデレデレ顔はどこ行った。ナニ殺伐とした雰囲気を垂れ流してんだよ。
熱心に話す少年の側に向かいながら、ラッセルから情報を聞く。
名前はイヴァン・サウロー、十歳。サンルテアより狭いサウロー領というより、村と小さな街を一つずつ治める男爵子息らしい。特筆する特徴がない平凡な少年だが、今は頬を上気させて熱くリフィを見つめていた。
「お久しぶりです。お茶会や誕生会でここ数ヵ月なかなかお会いできず、残念に思っておりました。最近はまたお茶会に出ているそうですね。その内に会えると思っていましたが、このような所でムーンローザ嬢にお会いできるなんて、光栄です」
「サウロー様、ご無沙汰しております」
リフィが淑女の仮面を被った。先程までの開放的な笑顔や地を引っ込め、上品に微笑んで相対する。暫く話して、偶然会えて興奮したイヴァンが、園内を案内するとリフィの手を取って引っ張った。振り払うことも出来ず、ついていくリフィ。
デゼルや従者が後を追い、オレたちも追いかけた。
リフィは終始、取り繕った笑顔を貼りつけ、あちこち手を引かれるままイヴァンに付き合った。
イヴァンはすっかり浮かれて、リフィを振り回す。悪気がないのはわかるが、一人で必死に喋って、リフィも従者も口を挟む隙がない。ラッセルたちが無理に止めるわけにもいかない。ケイがいればまた違ったんだろうが…。はぁ、人間て面倒だな。
シートを敷いて休む家族たちがいる小川沿いを歩きながら、イヴァンは良ければ食事でもと、近くにある館にリフィを誘った。「羊や犬がいますよ」って、リフィ。反応するな、悩むな。デゼルとラッセルも、歪な笑顔を浮かべるのヤメロ。
誘惑に勝ったリフィが残念そうに断ると、脈ありと感じたのか、今度出るお茶会に誘い、近くの湖にでもと何とか会う約束を取り付けようとするイヴァン。リフィは困ったように笑って断り、距離を取ろうとした。
イヴァンは、後ろを歩くリフィを振り返りながら足を動かしていたので、前方を気にしていなかった。ちょうど川沿いの斜面に座ろうとしていた無防備な男児の背中に足が当たり、体制を崩した男児が斜面を滑って川に落ちた。
ついでに男児にぶつかったことで、躓くようにバランスを崩したイヴァンが斜面に足を滑らせて、転がっていく。手を繋いでいたリフィも巻き込まれて前のめりで、斜面を下っていった。
恐怖のせいか、イヴァンはリフィの手を放すことなく、仲良く川に落ちた。それどころか命綱のようにリフィに抱きつくというより、リフィを下にして自分が這い上がって空気を吸うことに必死だ。水の中に顔面を押さえつけられながらも、もがいていたリフィの手が力なく水中に沈む。
「お嬢っ!」とラッセルとデゼルが追いかけ、躊躇うことなく川に入ろうとし、「動くな!!」とオレが止めた。代わりに飛び込む。
こんなに苛立ったのは、リフィたちが死にかけた時と変態が誘拐したリフィに執着したのを見た時以来だ。
オレは惜しげもなく力を使った。
川底の地面を隆起させて流れを塞き止め、これ以上男児が流されるのを防いだ。同時にリフィたちがいる所より上手の地面に穴をあけて、水を下に逃がす。
それから上流の水を下流に繋がる別の迂回道を作って流せば、三人が落ちた区域の水位が下がって、少し水の残る川底が出てきた。
助かったと青ざめ、座り込むイヴァン。そいつを「邪魔」と突き飛ばして、倒れているリフィを仰向けにした。顔面は蒼白。気を失っているが、呼吸もしていてオレはひとまずホッとした。顔に張り付く髪を避けて、濡れ鼠のリフィを両腕で抱き上げた。
「お、お前は誰だっ」
リフィを抱えながら立ち上がったオレは、震えるイヴァンを見下ろした。不快な表情を全面に出す。
「好きな女を巻き込んだ挙げ句、そいつを犠牲にしてでも助かろうとした奴に名乗る名なんかねーよ」
「なっ!?」
「忘れるなよ」
「な、なにをっ」
「お前も助けてやったのは、そうしないとコレが気に病むからだ。もしまたリフィの周りをうろちょろしたら、…こいつを危険に晒したら━━この土地、枯らすぞ」
怒りを抑えることなく睨み付けたら、「ひぃっっ」と叫んで失神した。従者が川底に下りて、イヴァンに駆け寄る。オレは鼻を鳴らして、軽く地面を蹴った。
陸地に戻ると、デゼルは男児を助けて親子の元に届けており、ラッセルだけが出迎えた。間抜け面でオレを見てくる。
「…お前……もしかしなくとも、アッシュ、か…?」
「そーだ」
水のせいで、顔や体に張り付く白灰色の長めの髪と、服が鬱陶しい。いつもの姿の時のように、体を振って水気を飛ばそうとして、そうできないことに顔を顰めた。
すると、「こほっ」と何度か咳き込んで、リフィが目を開ける。ぼんやりと辺りを見て、抱き抱えるオレと目が合う。シャンパンゴールドの瞳が大きく開かれて、ポカンと口も開けた。
星色の目には、鋭い緑の目に白灰色の長髪を一つに括った人型のオレが映っている。人でいう所の十歳くらいの子供姿だ。
「……え、と、…どちら様でしょうか?」
「ぶはっ」とラッセルが口元を押さえて、肩を震わせた。……後で噛みついてやる。
オレは、状況がわからず目を白黒させているリフィを地面に座らせた。間近で見下ろす。いつも見上げてばかりいたから、新鮮な角度だ。
「助けたのに随分と薄情だな、リフィーユ」
「その声……アッシュっ!?」
「そーだ」
ほけっとした顔で、まじまじと凝視されて居心地が悪い。オレがふいっと顔を逸らすと。
「け……毛がないっ!?」
「第一声がそれか!」
「だってもふもふがっ!」
「お前は普段のオレをどう認識してんだ!」
「モフモフ~」
「泣きそうな顔をするな! 毛か? オレは毛だけの存在かっ!?」
「ははははっ」と腹を抱えたラッセル。コノヤロー、後で全力で噛みついてやる。
「待ってて、アッシュ。毟られた毛皮はわたしが取り返」
「さなくていい! とゆーか、毟られてねー!」
「剥ぎ取られた毛皮は」
「問題は取られ方じゃねぇ! オレは人型になっただけだ!」
「………ひと、がた…」
「そーだ!」
呆けたリフィに、理解が広がる。毟られても剥ぎ取られてもいないとわかったらしい。ったく、こいつはオレをどう認識して見てんだ!?
リフィがオレを見上げて残念そうに嘆息し、悲しげな顔をした。ぜってー、こいつの反応は間違ってる! 初めて見せた人型で、何で驚かずにがっかりされてんだ!?
周囲に視線を向ければ、目が合った少女たちが頬を染めて唖然としている。リフィを見れば、落ち込んでいた。オレ様に失礼だな!
「……あの生意気な感じのモフモフの愛らしさが転じて、ワイルド系イケメン……」
「取り敢えず、失礼なことを言われているのは何となくわかった。元に戻ればいいんだろ。悪かったな、可愛くなくて!」
一年以上練習して、せっかく上手くできた人型への反応にムッとしつつ、オレがいつもの姿に戻ろうとしたら。
「悪くないよ。むしろ、さすがというか、かっこいいよ」
胡乱げに見やれば、リフィは真面目な顔で頷いていた。じっと真っ直ぐ向けられる視線。居心地が悪い。顔ごと逸らそうとして、頬を両手で挟まれた。正面から視線が合い、微笑まれる。
「うん、かっこいいよ。助けてくれて、ありがとう。それと、人型の習得おめでとう。これでお店とかにも入れるし、人前でも普通に会話できるね」
「……」
こそばゆくて反応に困っていたら、リフィが手を伸ばしてオレの一つに括られた髪を触る。表情が輝いた。
「うん、やっぱりアッシュだね」
「おい。今、何で確認した」
誤魔化すように、にへっと笑うリフィ。……何か疲れた。オレは自然と口元を弛ませて、無事でよかったと頭を撫でた。
その後は、デゼルとラッセルがイヴァンの従者と騒ぎを聞きつけてやって来た責任者と話をつけて、サンルテアの館に戻った。びしょ濡れで戻ったリフィとオレに、クーガたちに驚いて何やかやと動き出す。
オレたちもそれぞれ風呂に入り、リフィは着替えてメイドに安静にとベッドに押し込められた。オレはクーガから改めて話を聞かれ、ケイが戻ってきて少し驚かれたものの「アッシュ、助けてくれてありがとう」と笑いかけられた。
人型でいるのも疲れたので、いつもの姿に戻ると、ケイが頭を撫でた。心地いいのでそのままにして、クーガと話し合うケイの隣で丸くなる。人間同士の面倒な話し合いは、こいつに任せておけば問題ないだろう。
翌日、よく寝たリフィからもケイが話を聞いて、改めて溺死させられかけたことに、クーガとケイが笑顔で怒った。ベッドの上で丸まったオレには、退室したケイとクーガの物騒なやりとりが微かに聞こえたが、知らん顔をした。
熱視線を感じて片目を開けると、満面の笑顔を浮かべたリフィが頭を撫でてきた。「人型になってもいいけど、たまにはこっちの姿でもいてね」と、死にかけたことも忘れて呑気に笑っている。オレはやや呆れながら、鼻を鳴らして目を閉じた。
その後、男爵子息の行動で溺れかけた子供を、たまたま通りかかった大地の精霊が救出した話が出回った。騒ぎの中心になった男爵家は、公式に出席しなければならない場以外は、半年間は謹慎して過ごしたらしい。
オレはというと、時々、人型になって街を歩いて、図書館に行ったり、お使いに出たりして人の生活に紛れたが、普段はいつもの姿で、気に入った人間のケイとリフィの側に付き添っている。
秋が過ぎて冬になり、暖炉が近くにあるソファーで本を持ったまま寝こける二人の子供。その様子を足元から見上げ、苦笑しながら丸まった。こういう時間が、お気に入りになりつつあるなと自覚しながら。




