32, 8才 ③
ざっくりした説明ですが、腹黒変態が苦手な方はバックしてください。ちょびっと流血もあります。
誤植、手直し等のために更新しても、内容に変更はありません
気分が悪い…。最悪だ。
頭痛と胸のムカつき、吐き気、体の痺れを感じながら、最低な気分で意識が戻った。一瞬、サルマに膝枕されている状態に混乱しかけたけど、気絶するまでの状況は覚えている。
くそぅ、まさか一服盛られるとは…。この恨みは倍返しじゃい、と内心で悪態をついた。
まずは自分の現状を確認。寝たふりをしながら、薄目を開けて揺れる狭い室内を見て、馬車に乗せられて誘拐されている最中かと、内心で嘆息した。フッ、さすがに誘拐にも慣れてきたよ。嬉しくないけどね。
目は動く、声も平気そう。ただ体の動きが鈍い。まだ薬の影響が残っているのかな、吐き気と頭痛もあって、繊細な魔法は扱えるか謎だ。
周囲を気にせず、被害もどんとこいであれば、遠慮なく魔法をぶっ放すのに…。……そんなことしたら、ケイが王様たちに咎められるかな。わたしを管理できてないとかイチャモンつけてきそう。
下級精霊に伝言を頼もうかと馬車内を見るけど、いつもならあちこちに漂っているはずの精霊たちの姿がない。
いるだけで和んで安心できて、ケイかアッシュに伝言を頼んで助けを求められたのに。それができない。……誘拐犯の膝の上で、動けないのに…。
「目が覚めたようだね。けれど薬で体は動かないだろう。それに精霊魔法は使えないよ」
……気づかれたか。狸寝入りも飽きたので、左側を下に横になったまま目を開けて、サルマを睨み上げた。けれど視線の先にあるのは、見慣れた穏やかな笑顔で、裏切られてないんじゃないかと錯覚しそうになる。
何か事情があって…って、どんな事情。執事と共謀してわたしに薬盛った時点でアウトでしょ。未だに整理できず、そんなことをつらつら考えていたら、サルマがいつものように頭を、髪を撫でて、愛しそうにツインテの毛先に口づけた。
うっとりとした満足げな表情に鳥肌が立った。
気持ち悪くても、振り払えない。
……落ち着け、わたし。深呼吸して、冷静に情報を集めよう。それ次第では交渉も可能になるから。体力の回復を待ちつつ、油断を誘って好機を待とう。
「……魔法が使えないって、どうして?」
話しかけると、サルマが嬉しそうに破顔して口を開いた。
「精霊が近づくのを嫌がる精霊避けの石があってね、それが馬車の四隅とここにあるからだよ」
そう言って、得意気に座席に立て掛けてあったステッキの柄に付いた紫紺の玉飾りを見せた。
「この石は昔からブロン国にあったんだけど、ただのお土産として扱われていたんだ。それが半年くらい前にとある魔法研究の錬成過程で、精霊避けになることがブロン国で発見されてね、試しに買ってみたんだよ。向こうでは精霊が殆どいないから物も研究も捨て置かれているけど、たくさんいるこの国では使えるんじゃないかと思ってね。魔法を使いたくとも、近くに精霊がいなければ力を借りて発動できないだろう?」
初耳の情報だった。この数ヶ月、自主練習はしていたけど、サンルテアの訓練には顔を出していなかったから、最新の情報が入ってこなかった。ギルドでも依頼と報酬ばかり注目して、情報収拾を怠っていたからなぁ。
考えていると、サルマの太い指が首もとに伸びてきてゾワッとした。「君にも付けさせてもらったよ」と紫紺の首飾りを見せられる。━━首輪を付けるなんて悪趣味ー、へんたーい。不愉快ー。
怒りを押し込めながらも、心の内で遠慮なく罵る。すると御者席から「南門を抜けました」と声がかかり、益々最悪だと頭を抱えたくなる。
館から大分離れ、ここまで追手もなくて少し気が緩んだのか、サルマが今後の予定を上機嫌に語る。自宅に戻って、婚約届けを神殿に提出して……中身のない夢物語なので聞き流してよし。
サルマの話によると、執事が我が家の情報というか、主にわたしに関する話を小遣い稼ぎがてら渡していたらしい。通りでやけに詳しくわたしの行動を把握していたわけだ。
結構前から買収されて、繋がっていたとはね……後でぜってー殴ってやる。
おっと、つい溢れんばかりの怒りが迸るところだった。冷静に冷静に。サリーに言葉遣いが悪いって注意されるし、お母様たちに下町の悪影響を知られる訳にはいかない。矯正淑女教育は遠慮します。
寒気の走る話と下らない情報しか垂れ流さないサルマから、少しは有益な情報をもらわないと、わたしは頭を切り替えた。━━まずは、名うての商人がこんな暴挙に出た理由を知らなきゃ。
冷静に考えれば、何の目的もなくわたしと婚約なんて言わないはず。ジェレミーと仲がいいようだし、わたしが多属性魔法を使えるとか、魔力量が多いとか、精霊と仲がいいとか、そんな姿をどこかで見られて、何かに利用できる或いはどこかに高く売れるとでも思ったのかな。
もしくは、わたしがミラ・ロサで無属性魔法が使えて、魔道具を造っていることがバレたとか。
……相手を刺激しないようにして、慎重に思惑や背景、今後の扱いを知り、隙を窺おう。
敵の演技とペースに騙されちゃいけない。自分でわたしとの婚約は利益がないって言ったでしょ、リフィーユ。しっかりしろ。まさかやり手の商人が、三十歳も離れた子供に本気で求婚するとかないから。それも計画的ではなく急拵えなのは、どこかの組織に警護が少ない内にとせっつかれた可能性もある。
「……どうして、わたしと婚約を?」
内心の焦りで慎重を忘れて、ズバリ切り込んだわたしに、愛玩動物のように髪を撫でていたサルマが、穏やかに微笑んだ。語られた内容には、実に胸くそ悪くなったけど。
何でもサルマは昔から小さい子供以外に、興味がないらしい。綺麗なら男の子でもいいけど、可愛い、愛でたい、手元において溺愛したいと思えるのが、大体八歳~十歳(どんなに我慢して頑張っても)十二歳の女の子なんだとか。
はは、どんなに我慢して頑張ってもとかウケるー。てか、んな力説いらんわ! 相手だって願い下げに決まってんでしょ!?
なかなか理想の子に会えなかった…って、どーでもいー。ドン引きだ!
でも納得。だから、羽振りがいいのに独身で、やたらとスキンシップ多くて、会う度に抱き締められ、お土産たくさんだったのか。真実知ると、気持ち悪っ!
深淵な理由とか、なかった。裏組織とかも関係なかった。まさかの真性のロリコン変態なだけだった…。おまわりさーん、この人です。ヤバい変態がここにいます!
「エアルドに娘が生まれたと聞いてね、会いたかったけど彼と会うのはいつも仕事先で彼とだけ。自宅に行ったことがなかったんだ。まさか皮肉にも彼の葬儀で運命に会えるなんて…幸運だったよ」
運の使い方を間違ってる! てゆーか、わたしの運が悪すぎる!! 変態に目をつけられるとか、なんて嫌な運命のイタズラだ!?
気持ち悪さに鳥肌全開! サブイボだらけだよ!
サルマの話は続き、亡き父にかこつけてわたしと母の様子を積極的に伺い、自分の代わりにわたしを見守る者としてジェレミーに目をつけ、情報を集めた。━━確かに、何かある度にすぐに駆けつけたね。サンルテアの『大波』の後とか。
最近は誘拐に遭うことが多く、母の再婚話の他に、わたしへの婚約打診も増えてきたので、我慢できずに迎えに来たとのこと。━━少しも嬉しくねーわ。何で変態と犯罪者にモテてんの!?
自分が変態ホイホイとか、ヤだ、こわい。まともな告白が一個もねぇ。
おかしい、中身はともかく外見はいいはずなのに。最近誰にも言われないし、認識もされてないけど、よりにもよって美少女と認めて接触してくるのが、誘拐犯とロリコン変態ばかりってドユコト? 誰得でどこに需要があんの!?
思わず遠い目になりました。
脳裏に『近寄りがたい正統派美少女っぷりを見せず、中身が残念だから…』と言ってくる『影』たちの声が再生されて、振り払う! ━━喧しいわ。例えそうであっても、近寄ってくる犯罪者に問題がある!
少しの間、理解を拒否って現実逃避していたら、手をにぎにぎしていた変態が、「倒れたときに破片で切れたのかな」と微かに血のついた右の指先を舐められた。
ヒイィィっ!? ナニすんの、変態滅ビロ!
背筋に悪寒が走ったよ、表情は反応できずに呆然。生温かいぬめりとした感触がキモチワルイ。
ザワザワ、ゾワゾワ。
自分が急に汚くなった気がした。うっそりと笑う変態ロリコン。キモい。
コレわたしじゃなかったら気絶するか、トラウマもんだよ!?
わたしも頬を撫でられ、腕も撫でさすられて限界だけど。
精霊魔法を使えなくても、魔方陣なら使えるかな。
でもそれには陣を描かなくちゃいけない。外出時いつも持ち歩くポシェットになら、既に魔方陣が描かれた紙や色々と収納してあるけど、今はない。自分で描くしかないけど、描く物もなく、この状態で繊細で複雑な陣を描けるとは思えない。
あまりな話に、怒りと驚愕が痛みを凌駕して頭痛は収まりつつあるけど、気分は格段に悪くなったよ。
わたしは指先や足先に意識を向けた。痺れは残っていても、さっきより反応する。ゆっくり歩くくらいはできるかな。ついでに左袖口を確認。花瓶の破片が肌に擦れて痛いけど、そのお陰で気だるい眠気に抗えていた。
掌を擽る感触にイラッとした。これ以上何かされる前に気を逸らさせようと、嫌々ながら話を続行させる。
「今はよくても、わたしが年を取れば興味がなくなって嫌にな…」
「リフィなら大丈夫な気がするんだよ。君が年を重ねるごとに私は夢中になっているんだ。年甲斐もなく、君に好きな人や婚約者ができる前にこうして拐いたいと思うほどに」
食い気味にくるな、人拐い。本当メーワク。
「君なら十三、十四歳になっても一緒にいたいと思える気がしているし、他の子ならそんな姿を想像するだけで嫌なのに、リフィならそれが嫌じゃないんだよ」
わたしが嫌だ。そんな大発見したみたいなキラキラした目で言われても、全く心に響かない。顔面ひきつりそう。
「私は子供が嫌いじゃないし、むしろ自分の子がほしいと後継ぎを望んでいる。他所の女に子供だけでも作って産ませようかとも思ったが、どうにも無理でね」
ヤバイ。カール以上にガチのロリコン変態キタ━━━!!?
子供相手にナニ語ってんの。あんたの女性遍歴や特殊な愛好歴なんざどうでもいい。
ええ、なんか生々しい話をしてるんで、現実から逃げてます。実際に逃げたい。聞きたくもないし、知りたくもなかったよ、この人の性癖なんて。
わたしから意識を逸らせたから結果オーライってことにしとこう。今の内に体力温存、逃走する計画に集中。こんな奴のヨメになんて誰がなるかっ!
各精霊王の加護のお陰で、常人より異常状態からの回復は早い。今は…指先までの触覚痛覚がある。わたしは袖口から掌に花瓶の破片を移動させて、握り締めた。力もある程度、戻った。
ギリギリまで回復を待って、いよいよ危なくなったらブチのめしてトンズラ!
手順を決めて、動きを脳内でトレースしていたら。
自分の子に商売を教えて、ブロン国で暮らすのも悪くないとアツく語っていた変態が、ふと思い出したように話を変えた。
「そうそう、僕の商業の取引相手はブロン国が多くてね。そこでこの精霊避けの石だけじゃなくて、かつての大事な友人も見つけたから、驚いたよ」
……まさか…。
ニヤリと笑う変態を目だけ動かして見やる。サルマは愉快そうに懐を探り、紙を取り出した。
「彼はとても苦労しているようでね、かつての姿からは想像もつかないほど見すぼらしく、落ちぶれていたよ。私も始めに見かけた時は、誰だかわからなかったくらいに老け込んでいたんだ。妻とその弟と粗末な家で三人で暮らしていたが、妻もその弟も病にかかって寝たきりで、薬も買えず、生活するのも四苦八苦していてね、ふと思い付いて彼に契約を持ちかけたんだ」
「……」
「死別したとはいえ、…まぁ偽装だったようだけどね、彼には娘がいたから、その子を私にくれることを条件にまとまったお金を渡したんだよ」
サルマが折り畳まれた紙を開く。わたしに見せつけるように。そこには、二度と見られないはずの、かつて父だった人のサインがあった。
書面には話の通り、わたしの後見人としてサルマを指名する旨が書かれていた。勝手にわたしの戸籍をこの変態に譲渡するという信じられない文もあった。
「彼も渋っていたけどね、商会は既に機能せず、クラウスが横領して夜逃げし、使用人も辞めていった。元妻は不治の病とされていた放熱病で寝たきり。館には娘が一人でいるのが不憫で、君の忘れ形見を大事に育てると言ったら、悩んだけど納得してくれたよ」
━━こいつ、言葉巧みに騙したな。
商会は機能していなかったけど、クラウスは捕まえて、借金もない。使用人が辞めたのは一身上の都合で、お母様は病気だけど、放熱病には特効薬があって療養で入院しているだけ。けれど、二年前にこの国を離れたあの人はその事を知らない。確かめる術もない。
……はっきり言って、ショックだった。
混乱して…哀しかった…。いなくなったあの人を時と共に美化して、最低でも……父親だったから…わたしや母を大事にしてくれたことにかわりはなかったから、こんなことをするなんて思わなかった。今後わたしたちに関わらずに生きると約束したのに…。━━……………あのヤロウ。
衝撃を受けて暫く愕然としけたけど、次いで腹の底から沸き上がってきたのは、感傷も塗り替える目も眩むような強い怒りだった。
ブロン国に渡った父がわたしの譲渡を許可した契約書……はあっ!? ナニそれ、フザケンナ!
わたしのためを思ってみたいな言い方したけど、自分の子を、愛してると言った娘を、この変態に売って金を得たってことだよね。
引き離そうとしたドラヴェイ伯爵も悪いけど、母とわたしを捨てて、何も話さずに愛人を選んで国外逃亡したことが揺るがない事実であるように、あの人だって悪い!
同時にこいつに弱味を握られた。死んだはずのエアルドが国を騙して生きていること。死人のサインがあるこの書面は法的に無効だけど、国に提出されたら不審に思われる。
書面を元に、このことを調査されて真実を知られたら、国から査察が入る。わたしやお母様が徹底的に調べられて、サンルテア男爵家やドラヴェイ伯爵家にも類が及ぶ可能性がある。
この二家を邪険に思う貴族は多い。とんだ醜聞だ。
今はショック受けてる場合じゃない。どうにかしないと、わたしも母も、叔父様やケイにまで被害が出る。それにしても、こんな状態の子供に追い討ちかけるとかドS!
「……衝撃が強かったんだね。悲しまなくていいよ、リフィ。これからは私が君を大事にして守るから」
撫でようとした手を振り払い、相手の膝上から転がるようにして、床板に無様に座り込んだ。近くのステッキに手を伸ばして掴み、サルマの顔面に叩きつけるふりをして、渾身の力を込めてそのまま振り下ろした。
「ふぐぅうっ!?」
変態が股間を押さえて悶絶し、泡吹いて前のめりに倒れた。対面の座席に顔から突っ込む。ふぅ、コレで悪は滅びた。
証拠を隠滅しようと懐を探り、変態から契約書を奪取してエプロンのポケットにしまう。
とはいえ、この書類も変態の自作自演の可能性があるから、筆跡鑑定して精査しよう。偽造文書かもしれないけど、このサイン…クロだと思うんだよね。あまりの怒りについカッと激情を抑えられなかった。
それはさておき、どう逃げるかな。何とか馬車を止めて、裏切った執事を叩きのめして、わたしの血で魔方陣を描くか。左手を開くと、あまりに破片をきつく握り締めたせいで、掌から出血していた。……冷静になって視覚で認識すると、痛みが…。
ふいに、ポロっと涙が零れた。
勝手に次々と涙が溢れてくる。……ああ、最悪だ。これじゃまだ外に出られない。ジェレミーに涙を見せるなんて嫌だし、下衆な勘繰りをされたらムカつく。
深呼吸して、落ち着けと自分に言い聞かせる。
……ん? 何か馬車の速度上がってない?
すると、一際大きくガタンッと揺れて、「うわぁっ!」と外から叫び声が上がった。ついでにわたしの体も跳ねて、変態は座面に頭を打ち付けた。……打った尻が痛い。
わたしが止めずとも、馬車が急停車した。何が起こったのかな…これ以上の厄介事はいらないよ。
警戒して耳を澄ませると、外で争うような気配と音。複数ではなく、数人。
わたしはステッキを構え、変態を踏みつけ、息を詰めてドアの側で待機する。そっと内鍵を開けた。
コンコンとドアが叩かれて━━わたしはドアに体当たりするように、勢いよく飛び出した。
飛び出たのは林道だった。夏の熱気が身を包む中で、先手必勝とステッキを向けると、身構えたデゼルがいた。お互いの顔を見て目を丸くする。……えーと、これは…助け、ですかね…?
張りつめていた気が緩み、痙攣していた足から力が抜けた。
「お嬢っ!」
「……デゼル?」
「はい。何ですか、お嬢」
「助けに来てくれた?」
「そうです。とても心配しました…!」
へたりこんだわたしの前で、泣きそうな顔をしたデゼルが、くしゃっと笑う。そのまま強く抱き締められた。……ああ、助かったんだなと目を瞑り、深呼吸を繰り返した。通信機で報告するデゼルに寄りかかり、わたしも徐々に落ち着きを取り戻した。
デゼルは話してないと落ち着かないのか、わたしが拐われてからのことを教えてくれた。……ルミィには後で怖い思いをさせたことを謝らなくちゃ。それと、感謝だね。デゼルに知らせてくれて助かった。
さすがは音に聞こえし『影』たち。対応が迅速だ。
さっき馬車が速度を上げたのは、馬で追いかけるデゼルにジェレミーが気づいたからで、大きく揺れたのは風で足止めの魔法を投げつけたかららしい。馬が驚いて急停止した模様。
そこでジェレミーと戦闘になり、魔法が使えなくても敵ではなかったのでアッサリのしたデゼル。
精霊避けの石にも効果範囲があるようで、離れたところからなら魔法が使えるみたい。それと魔法は石の影響を受けないから、石の範囲内でも消えることはない。石を避けるのは精霊だけってことらしい。
北を見れば、小さいながらも王都の外壁がある。馬車で戻るのに三十分くらいかな。
自分のことにいっぱいで、外の騒ぎに気づけなかった。
密室で変態と二人きりという緊張状態を強いられたから仕方ないかな。
今、馬たちは木に繋がれ、馬車から引きずり出された変態と元執事が縄で縛られて地面に仲良く転がっている。
わたしも随分と体調がよくなってきた。少し離れた所に心配してくれる下級精霊たちを見つけて、安堵した。
「オレが館を出たとき、若やボスは仕事中でまだ連絡が取れていなかったんですけど、すぐに駆けつけると思います」
「そっか。また、迷惑をかけちゃったね」
ふと転移魔法の気配を感じると、ラッセルとセス、マシューが現れた。何だか久しぶりに会った気がする。
三人とも顔面蒼白で焦燥の滲んだ顔が、わたしと目が合うと安堵に変わった。心配してくれたことが、嬉しくもあり、申し訳ない。
わたしは何とか自力で立ち上がった。まだ動きが鈍いというか、脹ら脛が微かに震えている。
また転移魔法の気配がしたけど、そちらより駆け寄ってくる三人に、わたしは過敏に反応していた。走って近づく三人を、怖い、と感じてしまった。
男性にしては大柄な三人。似てないのにジェレミーやサルマと重なって混乱し、喉がひくついた。血の気が引いて真っ青になり、体が震える。
「お嬢っ」
「無事か!」
「怪我は?」
「━━来ないで!」
咄嗟に、自分の口から出た言葉が信じられなかった。
心配して声をかけてくれた三人が、衝撃を受けたように動きを止めた。そのことに、少なからずホッとするわたしがいることに、愕然とする。
この三人は違うと解っているのに…。
後ろで寝転んでいる二人とは違う。わたしを裏切ることはないし、不純な感情も持ってない。何度も守ってくれた三人に失礼だが、…それでも体の震えが止まらなかった。
怖々と足を止めた三人を見て、胸が痛んだ。三人とも悲しげで、どうしたらいいのかわからない途方にくれた顔をしていた。そんな顔をさせたのは、わたしだ。
━━最低だ。
大丈夫と言いたいのに言えなくて、声が喉に張り付いたように出なくて、どうすればいいのかわからない。震えが止まらなくて、自己嫌悪で消えてしまいたくなった。
結果、お互いに動けず固まる人間オブジェが四体。
……ナニやってんだ、わたし…。…とゆーか、ここで鍛えられた演技力を発揮できなくて、どうするよ。
自分にがっかりだ。
深くため息を吐いたお陰か、余分な力が抜けた。少し強張りがとけて、足が限界でしゃがみこみ、顔を隠すように踞った。
「……ぁ、……うぁ━……ごめん」
「お嬢?」
訝しげなラッセルの声に、情けなくなる。情緒不安定なのかまた涙が出てきた。自分を奮い立たせるつもりで、踞ったまま声を張り上げた。
「ごめん、ちょっと休ませて! 心配かけてごめんね! それと来てくれてありがとう。ちょっと今、安心したら気が抜けちゃって……それで…っ」
あーもー、下手な言い訳!
かっこよく、余裕で振る舞える大人になりたい!! 笑顔で大丈夫と言いたいけど、こんな下手な嘘をつく方がカッコ悪い気がする。嗚咽も止まらなくなって、泣いてんのモロバレ。
「……ごめん、怖いから近づかないで…」
か細い呟きに、近くでデゼルが息を飲む気配がした。様子のおかしいわたしを案じて一歩近づこうとして、音にビクッとわたしが大袈裟に反応したから、デゼルも動くのを止めた。……本当っに、ごめん!
「わたしの問題で、デゼルたちは悪くないからね!」
それだけは言っておかないと。早く混乱収まれ、落ち着けと思うのに、脳裏に最初に死にかけたことや、カールのことに誘拐されたこと、髪や腕や頬を撫でた変態がフラッシュバックされて、余計に混乱する。
「━━リフィ。無理しなくていいよ」
思わず声に反応して。
弾かれたように顔をあげると、これまた久しぶりに会うケイの姿。中腰で気遣うように微笑んで、右手を差し出していた。その傍らには、灰がかった白い毛並みのアッシュ。
ちょっと呆けてしまった。
相変わらず、麗しいですね。幻想かと思っちゃったよ。……なるほど、これが正統派美少女の威力か…。負けた……。
「君も相変わらず、意味不明だねリフィ」
「いい加減、その間抜け面をやめろ」
苦笑するケイと呆れるアッシュ。
何だかいつも通りな二人に、深く安心して、驚きで止まった涙がボタボタと溢れ出した。みっともなく大泣きしながら、立たせてくれたケイにそのまま抱きつく。
ぎゅうぎゅうに締め付けて、幻じゃないと言ったら、「遅くなってごめん」と返されて、頭を振った。耳の少し下にある心臓が、早鐘を打っているように聞こえた。心配して急いで駆けつけたのだというように。
アッシュも足元で寄り添い、ポンポンと尻尾で慰めてくれた。
顔を赤くして大泣きして、垂れる鼻水をすすって、ようやく落ち着いてくると……ものっすっごく! ……羞恥に苛まれました。
淑女にあるまじき行為だけど、まぁいっかと開き直る。無事に恐慌状態から復活したし!
しがみついていたケイから少し離れると、くっついていた熱が冷め、わたしは周りを見る余裕ができた。少し離れたケイの背後を見て、硬直する。
慈愛の微笑で見守る叔父様と、困ったように、どこか安堵したように笑う傷つけた『影』たちと目が合い━━悶絶した。
……儚く気絶してみたい…。
切実に願ったけど、無理だった。
パニックから立ち直ったわたしはハンカチで顔を拭き、深呼吸して、叔父様やラッセルたち、それからデゼルに、もう大丈夫と笑って見せた。
お疲れさまでした。あと少し続きます。
無事に八歳編が終われそうで一安心。




