23, 7才 ⑩
二万二千字越えました。
・・・***・・・(ケイ)
四方八方から魔物が襲いかかってくる。
僕の視界は無数の魔物の影で真っ黒に塗り潰された。……早く、もっと早くに、全員で逃げればよかった。
そんな後悔が頭を占めた。最後まで足掻いて戦おうとしたら。
ふわりと、風が駆け抜けた。
視界も明瞭で、はっきりと見えた。
僕たちを中心に、光の風が渦巻いて半円形に覆っていた。魔物が手を伸ばすと、光の風に触れたところから雲散霧消していく。
百体は減ったかな。同類の末路を見て、学習した魔物たちが距離を取った。
僕たちは複合魔法の使用者に目を向けた。
リフィは警戒するように辺りを見回して、それから僕たちに「怪我は?」と視線を向けた。
僕も含めた全員が首を横に振ると、ほっと安堵の表情。薪用だった長めの棒を拾い、リフィがあちこち動き出す。
そこに、父から国の命令を伝える伝言の風が届いた。
埋める結界石が残り一つだというのなら、それを埋めるように。騎士団の派遣は王都との領境まで。それが一日かけてようやく決まった、国の方針。その後はまた指示があるまで待機。
つまり最悪、僕たちが失敗しても、騎士団が王都を守るけど、サンルテアの領民は守らない。━━同じ国民なのに。……さすがの僕もふつふつと怒りが込み上げてくる。それはラッセルたち全員も、同じ気持ちだった。
きっと怒り狂うと思った従兄弟は意外にも落ち着いて、先程から長めの木の棒で、僕たちの周りの地面に、ガリガリと何か描いていた。それでも話は聞いていたらしく、冷ややかな顔と声で「わかりました」とだけ。どうでもいいと顔に書いてあった。
僕は少し冷静になって、父に逼迫した現状を伝えた。報告を聞いたお父様が息を飲んで、言葉を失う。
リフィのお陰でまた助かったけど、いつまでも保てる訳じゃない。終わりは来るし、力も尽きる。けれど、援軍はこない。父もまた会議に戻る。
「お父様。国の命令通りに僕は従いますから、ご心配なさらず。ただ、 僕以外は従う必要がありませんよね。ですから、ここにいた全員が罪に問われるようなことにだけはしないでください」
「ケイ……」
「大丈夫です。わかってますから、気に病まないでください」
「━━朝まで、耐えてくれ。それまでに南西の貴族も説得して、全て整えるから。次の会議が終わり次第、すぐに向かう」
こんなにまで真剣に思い詰めた父の声を聞いたのは、久しぶりだった。今の僕は落ち着いていて恐怖はなく、ここにいる全員を巻き込んだ罪悪感と、ここまで付き合ってくれた感謝と、もう怪我をしないでほしいという気持ちだけ。
でも、僕だけ指示に従うと言ったら、全員に睨まれた。どうやら、素直に命令を聞いて帰ってもらえそうにない。こんな命令に従う必要、ドルマンたちやリフィにはないのに。
「心配ありませんよ」
「ケイ?」
「どうやら全員、僕の命令を聞く気はないようですから」
少し沈黙して、微かに父が笑う声がした。僕たちの側に戻ってきたリフィが「叔父様」と父に声をかけると、にっこり微笑んだ。
「マースたちにケイを連れ帰ると、お母様とメイリンにも全員で無事に帰ると約束しましたので、大丈夫です。もしものときは自由に動けるわたしが命令を知らなかったことにして、ケイを気絶させてでも連れ帰りますから」
棒を持っていない右手を拳にして宣言する従兄弟に、僕も笑顔で便乗した。
「━━だそうですので、心配要りませんよ。この状況も、一年以上も僕たちに魔力量を隠してきたリフィが、頑張ってどうにかしてくれますから」
「えっ?」
「ね、リフィ」
「いやいやいや。ケイさん、それ無茶ぶり。わたし、か弱い女の子デスヨ?」
「あはははは」
「いや、笑って流さないで!?」
か弱い女の子はこの状況で図太く寝ないし、起きて早々あんなに魔物に囲まれた中で目を据わらせて「魔物ツブス」とか物騒なこと言わないから。ついでに「議会の無能な奴ら、精霊に頼んであとで締める」とかボソッと呟かないよ。
そう言ったら、リフィが慌てた。聞いていたお父様も笑顔で固まっていた。
「うふふふふ。いやーね、ケイ。淑女のわたくしがそんなことを言うはずがないわ。せいぜい悪夢に魘されればいいのに、という可愛い嫌みよ?」
「お嬢、そこは全力で違うと否定しような?」
「そうだぜ、お嬢。あと、悪夢に魘されればいいのには、可愛い嫌みの範疇じゃねぇ」
「だな。お嬢ちゃんは有言実行で、その議会の奴らに悪夢を見せるんだろ」
しぐさと微笑みは完璧な淑女のリフィ。ただ動揺したのか、咄嗟に言葉を繕いきれなかった。そこにラッセル、セス、更にはドルマンからもツッコミが入った。
……皆、リフィのことをよくわかってるね。
「あとその令嬢の仮面、気持ち悪ぃ」
「お嬢、淑女という言葉はギャグじゃないぞ」
「……ご忠告、感謝いたしますわ。ところでラッセル、セス。少しお話があるのだけど、お時間を取っていただけるかしら?」
リフィが淑女の笑顔で、威圧感たっぷりに二人に声をかけた。左手に握られた棒がボキリと折れる。二人が青ざめて、やりすぎたと震えた。
二人が真剣に謝り始めるけど、リフィは丁寧な言葉遣いに慣れてほしいからと他人行儀を崩さない。どこにいるかを忘れかける見慣れた日常の光景だった。……まだ魔物に囲まれている緊迫した状況なのにね?
僕は苦笑した。
父も聞きなれたやり取りに、頬を緩めた。
それから、もう少しだけ堪えてほしい、と心底申し訳なさそうに言われた。僕は首肯を返す。
何か言いたげな父に、僕は「大丈夫」と微笑んで話を終えた。
これからどうするかを考える。
状況は改善されるどころか、悪化している。国からの指令が加わったことで、更に厄介になった。命令を聞く前に、邸に戻っていればよかったと思う。━━こんなに魔物に囲まれた中で、結界石を埋めに行けとか、オニだね。
「よしできた」
リフィが折った棒を薪にくべて、満足そうに描いたものを見る。僕も足元に目を向けて、ちょっと驚かされた。それはドルマンたちも一緒で、地面をキョロキョロ見ながら、描いたリフィを見て刮目していた。
「……お嬢ちゃん、あんた何でこんなものを描けるんだ…?」
僕の従兄弟が描いたのは、隣国ゴルドの魔術師が長年に渡って魔法記号や文字、構成などを修練しないと描けない魔方陣だった。習得中の僕はパッと見、結界だとわかる。既存のものにアレンジが加えてあった。実際にリフィが魔力を込めると、描かれた魔方陣が発動して消え、代わりに光の壁が結界としてできた。同時に僕たちを守っていた光の風も掻き消えた。
「もしかしなくても、魔方陣を習得済みなのか…?」
恐る恐る訊ねたドルマンに、リフィはにこりと微笑み返し、それ以上は何も語らない。「マジでどうなってんだ、ここの子供たちは!?」とドルマンが呟いていたけど、リフィは気にせずラッセルとセスに最後の結界玉二つを一つずつ渡した。
「では、結界石を埋めに行ってきます。あとよろしく!」
敬礼して、そのまま去ろうとする。
「ちょっと待った!」
僕を含む全員の声が重なった。僕はリフィの腕を掴み、アッシュが行く手を遮る。リフィが難しい顔をした。
「ケイ。よーく考えて。結界石を埋めに全員で移動するのは、面ど……とても大変だし、守る労力がかかるでしょ。ここに残って囮を引き受けつつ、誰か身軽な人が埋めに行った方がまだ成功する確率は高いよ。それで一人で動くなら適任は、魔力も体力もあるわたしだよね」
「そうかもしれないけど、僕は許可してないよ。一人で行くなら僕もついていくって言ったよね」
「………お姫様抱っこで?」
「それはなし━━って、何でがっかりしてるの!? 嫌だよ。僕はしないからね? してほしいのなら、ラッセルたちにリフィがしてもら」
「それはやだ」
皆まで言わせず、拒否された。ラッセルとセスが衝撃を受けて、落ち込む。……自分がされて嫌なことを僕にさせようとするのは、どういうつもりかな…?
最近、リフィも僕に遠慮がなくなってきたよね。
「怪我している従兄弟を、お姫様抱っこ以外ではつれていけないから、ここはわたしが」
「リフィ。はぐらかさない」
僕がまっすぐ見つめると、目線を逸らす従兄弟。やっぱりわざと…半分は本気か。……本当にこの子は…。
ため息を吐いて辺りを見ると、結界が変わったことで遠巻きにしていた魔物たちが再度、結界を取り囲んでいた。すぐに結界を壊そうと攻撃が始まる。
けれど、結界玉の結界のように、簡単には揺らがない。
感心するドルマンたちを他所に、作った本人は今の状態に「……振り出しに戻った…」と、肩を落とした。……そうだね。これで簡単には結界を抜け出せないし、ここを離れられないね。
「仕方ない。倒すか」
「ちょっと待った」
ため息を吐いて、結界を出ようとするリフィを僕が止める。いや、不思議そうな顔をしないで。何で当然のごとく戦う気満々なの…。
「別に倒さなくても、このまま現状維持をしておいて、父が来てから動いても間に合うよ」
「……ケイ。正直に教えてね。あなたの結界、魔物に攻撃されてる? されていたら、壊されるまでどのくらい?」
「……大丈夫だよ」
にっこり笑った僕を、星色の目がじっと見つめてきた。
「ケイ。わたし言ったはずだよ。望むなら、全力で力を貸すって。これ以上、魔物に増えられるのも、結界を攻撃されるのも、困るんだよね?」
僕は目を瞠り、そうだったと自分にため息を吐いた。
でも、やっぱり簡単には言えない。頼ることに慣れてないのもあるけど、この場面で頼ってこの従兄弟が頑張って…無理して、大怪我をしたり、最悪……死んでしまったら━━悔やんでも悔やみきれない。
今、僕は困った顔をしていると思う。━━まったく。こんなに僕を困らせるのはリフィくらいだよ。
当の本人は相変わらず、じっと見つめてくるけど。そんな無言のやり取りが続き、僕は観念した。
「……そうだね。このままだと困るかな」
僕の一言に、リフィの表情が嬉しそうに輝いた。「じゃあ」と言いかけたリフィを僕は片手をあげて、制した。
「リフィ、約束してくれる?」
「何を?」
「無茶はしない。少しでも疲れた、危ないって思ったら、戦闘をやめて戻ること」
リフィが真剣な面持ちで、しっかり頷いた。
「任せて!張り切って頑張るから!」
「いや、張り切らないで。ハイテンションになったら君、うっかりをやらかすでしょ。まだ大丈夫とか思って、魔物に突っ込んだ挙げ句、魔力切れになったら困るよね?」
リフィが愕然として、僕を見てきた。
「……ケイもわたしの生態をよくご存知で…」
「一年以上も殆ど毎日、顔をあわせて一緒にいるからね。特にここ最近は、任務でもどこでも僕の近くにいたでしょ。━━何か心配事があるのか、常に僕の周囲を警戒しながら」
リフィの反応を窺うと、恥ずかしそうにしながら、「近くにいたのはお母様たちが忙しくて、叔父様にわたしを預けたからでしょ」と返された。……最後の言葉に反応したかどうか微妙。また隠されたのかな。読めないことに僕は内心で息を吐いた。
リフィの言葉通り、この半年の間は、サンルテアの家で彼女を預かって、泊まっていくこともあった。それで一緒に訓練したり、マナー講習や僕と一緒に領地や経営の勉強、多種多様なダンスも学んだ。
リフィが泊まるときは、『影』もメイドたちも喜んで見守り、張り切って世話をしていた。今や客室の一部屋はリフィの部屋と化していて、使用人の誰もがリフィの部屋だと認識している。
「とりあえず、行ってくるよ」
逃げるように、リフィが結界を出て魔物に向かっていった。ラッセルとアッシュもそれに続く。
僕は嘆息しつつ、魔法銃を手にしたまま援護しようと、辺りの気配を探ろうとすると、リフィが戻ってきた。
「どうしたの?」
「言い忘れていたから」
「何を?」と言葉を続けようとしたら、手を伸ばしてきたリフィに頭を撫でられた。僕は硬直して、満足げに微笑むリフィを見つめた。
「よくわたしを頼ることができました。まぁ、ケイがわたしを頼ってこなかったとしても、わたしが勝手に動くだけだから問題はないんだけどね」
「ナニそれ…」
「でも頼ってもらえたので、とてもやる気が出たよ。頑張ってくるね」
軽く手を振ってリフィが結界を出ていき、戦闘するラッセルとアッシュに加勢した。……僕が守っていたと思っていたのに、ここに来てからは、やや大人びた従兄弟に守られてばかりな気がした。
・*・*・*
どれだけ戦って倒してもキリがない。
僕は結界内で休憩する面々を見て、苦い表情になるのを堪えた。リフィに借りた懐中時計を見ると、既に戦闘開始から三時間が経過して、今は午前三時四十六分。
ラッセルは体力も魔力も限界。アッシュは残りの魔力は二割で、既に気力と体力が限界。そしてリフィは、今は寝ていた。
一時間前までは休憩を挟みつつ戦っていたけど、午前二時半過ぎに僕が休むよう促して、強制的に眠らせた。
そうでもしなければ、倒れていたと思う。
予想通りというか、慣れない状況で自分の限界も曖昧になり、それでも戦おうとしていたリフィ。顔面蒼白で動きや反応が鈍くなったことに気づいて、僕が呼び寄せると素直に戻ってきた。まだやれると言い張る従兄弟に闇魔法で眠りを促すと、あっさりかかった。
異常な空間と感覚に身をおいて麻痺していたけど、リフィがここにいることが、そもそもおかしいよね。ここで体を張って追い詰められながら、極限状態まで戦っていることが異常だ。
それに、この二十年で国内に現れた魔物の倍以上を始末しているのに、まだ『大波』が収まらないことも異常だった。
午前三時を過ぎた頃には、全員が疲労困憊でこの結界内で休んでいた。かくいう僕も、魔法銃の弾が尽きかけ、魔力は温存したものの残量は二割くらい。魔物を三百は倒して減ったけど、すぐこの結界に群がってきて、結局また六百体以上に囲まれている。
幸いなのは、僕の結界を攻撃していた魔物たちがこちらにきたお陰で、結界が壊されていないこと。最悪なのは、魔物たちを指揮している様子の、今までの上級魔物よりも強い障気と殺気を持った黒い羽を持つ化け物がいて、姿を隠しながらこちらの様子を窺っていること。先程までの戦闘中も殺気と視線を感じていた。
ため息を飲み込んで、眠るリフィに目を向ける。
それは僕だけじゃなくて、全員が同じだった。彼女が休みに入ってから口数は少なく、疲れがどっと押し寄せていた。焚かれた火の薪が燃えて弾ける音と、断続的に続く魔物が結界を攻撃する音だけが、辺りに響く。
気づけば僕も微睡み、ドン、と大きく結界が揺さぶられた衝撃と振動で目を覚ました。握っていた時計を見ると、まだ四時前で十分も寝ていなかった。
休むことに専念していた全員が起きて、再度大きく揺らされた結界と攻撃する魔物に意識を向けた。例の魔物が指揮して二点を集中攻撃していた。結界が消える、と直感した僕は、従兄弟を起こしにかかった。
疲労の濃い蒼白い顔で、気絶するように眠るリフィ。彼女に頼らなくてはいけないことに、僕は不甲斐なさと憤りと後ろめたさと申し訳なさを、ぐっと飲み込んだ。
ここまで巻き込んだからには、僕が望んだように領地も領民も守りたい。それは、大事な従兄弟を利用してでも。
今までは避けてきたけど、そんなことを言っていられない状況だってわかっていた。
先程と違い、リフィはすんなり目を覚ました。寝ぼけ眼で宙を見て、結界が揺れた轟音に、亀裂が入った音に、例の魔物の殺気に、はっとした。頭が痛そうに、「またこのパターン…」と呟く。
それから顔をあげて、僕を睨んできた。
強制的に眠らせた恨み言が紡がれると思った。それなのに、リフィは悔しげな顔で「……ありがとう」と不本意という感情を隠しもせずに、言ってきた。
虚を衝かれた僕は、思わず笑ってしまった。
ますます目を吊り上げて睨まれたけど、可愛いものだよね。
呑気にそんなことを思っていると、結界が壊された。セスが結界玉を割って、すぐに結界が張り直された。けれどそれも、また簡単に亀裂が入る。
リフィが立ち上がる。ふらついた体を、腕をとって支えた。僕より小さく、華奢な体躯。まだ本調子じゃないリフィに、これ以上無理はさせられない。けれど、このままでは切り抜けるのが難しそうだった。
僕が目を向けると、リフィはわかっているというように、首肯した。「ここまできたら仕方ないよね」と諦めたように、どこか吹っ切れたように、笑う。
きっと今の僕は情けない顔をしていると思った。
僕の顔を見たリフィが「気にしないで」と笑って、頭を撫でてきた。
怪我をして動きは鈍いけど、辛うじて自衛できる程度には、セスやドルマンたちも回復していた。全員が覚悟を決めて、武器を構えて互いの背中を守りあう。
結界が壊れて、ラッセルが最後の結界玉を割った。再度結界が張り直される。
「リフィ」
僕から少し離れた従兄弟を呼んだけど、どう声をかけていいのか、わからなくて言い淀む。言葉を探していると、リフィが困ったように笑った。
「ケイにはたくさん助けてもらって、本当に色々と任せて頼って、迷惑かけて、守ってもらったから、そのお礼だよ」
僕は苦笑した。
こんなときまで、僕は言えない。リフィは最初から言ってくれていたのに。━━僕が望むのなら、助けを乞えば、全力で力を貸すって。
……でも本当に、巻き込みたくなかったんだよ。今更言っても仕方がないことだけど。
僕は一つ息を吐いて、覚悟を決めた。
「━━リフィ。お願いを聞いてくれる? 君を頼ってもいいかな?」
リフィが瞠目し、凄く嬉しそうに笑った。
「もちろん! まっかせて!!」
「いや、程々でお願い」
「まぁそう言わず。遠慮しないで」
「してないから」
やる気の漲るリフィに、僕は苦笑を返した。
アッシュは静かに僕たちを見守り、ラッセル、セス、ドルマンたちは、僕たちのやり取りがわからず不安そうにしつつも、何も言わなかった。
結界に亀裂が入る。
リフィは深呼吸して、目を閉じ、集中した。
結界内にリフィの魔力が収斂されていく。
内と外からの圧力に結界が耐えきれず、割れた。同時に、その場を支配したのは、眩い光と熱気と渦巻く風の気配、それから強い水と大地の香りに夜より濃い闇の気配。
思わず目を閉じたのは、全員。魔物に囲まれた中でそんなことをするのは自殺行為だけど、僕は大丈夫という確信があった。
瞼を閉じたのは一瞬。開くとそこには、人の姿を纏った各属性の精霊王たちがいた。
・・・***・・・(リフィ)
うまくいった自信はあった。わたしは目の前に浮かぶ六人の姿を見てにんまり笑うと、自分で自分を褒めた。
一番右端には、豪奢に波打つ金髪に、金の目に輝く白い肌の絶世の美女姿の光の精霊王。袖も裾もふんわり広がる白い簡素な服を着ているのに、抜群のプロポーションがわかる。女性として大変羨ましいと、わたしは常々思っております!
その隣に、燃え盛る炎色の髪に深紅の目、褐色の肌の勇壮な男が炎の精霊王。左肩にある金の留め具で赤い布をまとめた簡易な…お坊さんみたいな袈裟の服装で、晒された腕や胸板部分は筋肉質。熱血というか暑苦しいので、失礼ながらわたしはあまり関わらないようにしてたりする…。暑いの苦手なんであしからず。
それからわたしは真ん中にいる二人に視線を移した。
若草色の髪に琥珀の目をした若者。整っているのに、ぼんやりした風貌が相変わらずの風の精霊王は、ぱっと見は気だるげな旅人といった風情。
もう一人は、流れる真っ直ぐな水色の髪に目を閉ざした静かな面差しの美女である水の精霊王。静謐な佇まいが美しくて、淑女の手本というか鑑みたい。でもより印象的だったのは、開かれた際の深い蒼い目。一度見たら忘れられない程、鮮やかで綺麗だった。思わず、霊験あらたかな宝玉を見た気がして、ありがたや~と拝みたくなったよ。
そして、左側にいる二人に目を向けた。
一人はわたしにもケイにもアッシュにも、一番馴染みがある巨漢の老人姿の地の精霊王。巌のようにがっちりした体躯に褐色の肌。真っ白な髪と長い髭は地面についていて、わたしたちを見る目は慈愛に満ちた緑で、穏やかな王だ。
一番左端にいるのが、闇の精霊王。肩より長い漆黒の髪と目に、蒼白い肌の優男といった感じの、中性的な美貌の王。全身真っ黒で闇から抜け出してきたみたいだ。
各精霊王たちは圧倒的な存在感を放ち、その目線は召喚したわたしに向けられていた。少し居心地悪くて、周りに目を向けると、あまりの驚きと威圧感に、ラッセルとセス、ドルマンたちは顔面蒼白で硬直していた。
一方で、炎と闇の精霊王には初めて会ったはずなのに、ケイは平然と順応していた。流石ハイスペック従兄弟。
全精霊王が召喚された瞬間、逃げ遅れた魔物は全て消え失せ、残りは姿を見せた統率する魔物が一声あげると黒の森に退避していた。チラチラとこちらを窺う嫌な視線は健在だけど。
「ようやっと、わらわたちを喚んだか。もっと早くに喚べばここまで苦戦することもなかったろうに」と光の精霊王。光が散る金の髪を背に払って、不満げな顔でわたし、次いでケイを見た。
文句を言いながらも、現れたときから光の結界を張って、わたしたちを守ってくれている。……コレが俗に言うツンデレというやつでしょうか。
「そう言うものではありませんわ。リフィたちにはリフィたちなりの事情があるというものです。察してあげませんと」と水の精霊王が静かだけどよく通る声で、諭した。……素敵です。ぜひお姉様と呼びたい。
「どうでもいいから早く用件」と気だるげな風の精霊王に、「そんなのこの場所と状況を見れば一目瞭然だろう。戦うに決まっている。腕がなるな」と炎の精霊王が返した。━━見た目通りの脳筋発言ありがとうございます。頼りにしてますよ。
闇の精霊王が嘆息し、土の精霊王が若い精霊王たちを優しく見て、まとめにかかる。
「そう急くでない。まずは我らが契約者であり、召喚主たるリフィーユから話を聞くべきだろう。リフィーユ、我らを召喚してまで望むことは何だ?」
さすがは年長者。同格の精霊王たちがピタリと口を噤んで、従っている。全員を喚んだのは初めてだけど、うまくいってよかった。まぁ、契約した時点で喚ぶのは簡単というか、楽になっていたけど。六割残っていた魔力をごっそり持っていかれて、今一割しかないけど。……でもこれで、逃げられないなぁ。
わたしはそっと吐息した。
王都みたいに有名な魔法使いがたくさんいて、濃厚な精霊の気配が常にあり、多くの魔力を持つ人々がいるところでは、見た目も威力も派手な大規模魔法と違って、例え精霊王が一人召喚されて十分いたくらいでは、凄い魔力を感じ取っても他の雑多な魔力に紛れて、すぐには把握できない。だから、召喚と契約が王都でも可能だった。
でも地方は別。召喚したのが精霊王一人ならまだ誤魔化せても、こんなところで全精霊王が召喚されたら、領内にいる神殿の魔法使いを始め、国内の結界や民を監視する城にいるエリート魔法使いや、魔法の研究者に間違いなく気づかれた。それも場所は黒の森。高位貴族、王族に報告がいきそう…。
ケイも火と闇の精霊王以外と契約しているけど、彼のしたことだとは誤魔化せないね。
はぁぁぁ…わたしが今まで必死こいて小細工して、隠してきたことが露見した。これで帰れば、間違いなく城に呼び出されて、国の駒となるか、危険な力だと監視付きの幽閉コースかその他……全然いい未来が思い浮かばない。
ため息しか出てこないし、もう鬱になるよ。
ロクでもない未来しか思い浮かばないから、知られないようにして、正神殿を巻き込んで黙っていてもらって、王族や国の中枢━━攻略対象者というものがいるとして、それらに見つからないようにしてきた。
漫画では、膨大な魔力量は知られていても、精霊との契約もまだで力も扱えずのんびりしていたし、精霊たちと関わって全属性を使えて召喚するのも、魔力を暴走させて目をつけられるのも魔法学園に入学してからだった。
でも今のわたしはサンルテアと『影』と関わりがあって戦闘できるし、各精霊王と契約済み。魔力を暴走させることなく、緻密な操作もほぼ完璧で全属性魔法を扱える。即座に捕獲されて利用される未来が思い浮かぶね。
だから、隠した。攻略対象者のこともあるけど、サンルテアとの繋がりや国の駒として、わたしを利用されるのが御免だから。結局、自白しちゃったけど。今後を考えると頭が痛い。まぁ、従兄弟と彼の大事なものを守るためだから、仕方ないか。
魔力すっからかんで、精霊王たちを喚べなかった従兄弟。わたしがケイたちを助けに来た時点で、始めからこうしていれば、すぐに結界石を埋めて簡単に解決できたと思う。━━わたしと引き換えにして。
でもまだ、それ以外にもどうにかできる可能性があったから、わたしもケイも選ばなかった。自己犠牲になるつもりはなかったし、ケイもわたしを巻き込むつもりはなかったと思う。
国の命令や予想外に魔物がわんさか溢れたせいで、そうはいかなくなったけど。
ある意味、自己犠牲になりかけているけど……約束したからね。ケイを全力で助けて力を貸すって。
自分でもそれは絶対って決めていたし、全滅するのも嫌だし、わたしの魔力や能力がバレたのは……うん、多少の自業自得は潔く認めるよ。ずっと騙せるとは思っていなかったから。
それでも、ついため息が出てしまう。
何にせよ、今はとりあえず、八つ当たりしよう。
この状況に陥らせてくれた魔物たちに、何度も従兄弟たちを殺しかけてくれたムカつく奴らに、未だにどういうわけか溢れ出てきてキリがない害悪に、わたしの力を示す羽目になった元凶に。
わたしは深呼吸して、全精霊王を見つめて笑った。━━わたしの望むこと? そんなの決まってる。
「━━報復」
「リフィ?」
精霊王たちが一斉に不思議そうな顔をした。ラッセルたちも。ケイだけが笑顔で首を傾げた。もう一回言ってみようかとゆー無言の圧力が……。はい、ごめんなさい。マチガエマシタ。言い直すので、その黒いオーラを引っ込めてください!
「えと、この結界石を埋めてきてほしいのと、わたしたちを守りながら、ケイの結界内にいる魔物たちの殲滅をお願いシマス」
ちらりと司令官を窺うと、よくできましたと満足げな笑顔。━━イエッサー、やり遂げました。心中で、わたしは直立不動の敬礼で応えた。
差し出した結界石を、一番やる気なさげな風の精霊王がひょいと持ち上げて「ぼくが行くよ」と宣言。他の精霊王たちがちょっと驚いて、成長したなと慈愛の表情。
そこに、「では、わたくしが場所の案内とサポートにつきましょう」と水のお姉様。
残りの精霊王たちが「片っ端から倒すか」と火の精霊王の言葉に頷いた。それからはあっという間だったよ。上級精霊の側近たちを喚んで手伝わせながら、結界に守られたわたしたちを残して、四方に散開。
魔物がわたしたちの結界を狙って攻撃しても、光の精霊王の結界は小揺るぎもしなかった。結界を攻撃されると、誰かしら戻ってきては魔物を片付けて、次へと去っていく。━━いえ~ぃ、チート能力万歳~!
緊張と馴れないことをして体力気力魔力が尽きかけのわたしは、ぼけらっと座りながら、呑気に浮かれた。
唖然として固まっていたラッセルたちが、我に返って当惑しつつ「お嬢」と声をかけてきた。何か問いたげな視線が寄越される。アッシュは気にせず、わたしの横でお座りしながら、精霊王たちの戦いに魅入っていた。
「全員、色々と思うところがあるだろうけど、リフィのことで驚いていたらキリがないよ。ここはそういうものだと受け入れておいて」
わたしの代わりに説明を買って出てくれたケイさん。━━それ、説明になってないよね? わたしはビックリ箱じゃないよ。って、「なるほど」ってナニ!? 「お嬢だから仕方ないな」って、何で全員それで納得してんの!?
一時間もしたら空が白々と明け始め、ケイに渡した時計を見ると午前五時過ぎ。少し前に風と水の精霊王が戻ってきて、結界は無事に強化され、黒の森から出てくる魔物はもういないとのこと。
他は少なくなった魔物の残党を処分するだけと言われた。━━ありがとうございます! とても助かりました!!
聞いた全員がほっと胸を撫で下ろして、強ばりが解けた。わたしも一安心。
朝日が昇り始めた午前六時頃。
あらかた片付いて、残りの魔物はもう二十体もいないからと、部下の上級精霊に任せて、わたしたちの元に戻ってきた精霊王たち。
「限界が近いだろう」と闇の精霊王に言われた。━━そうだね。上級精霊たちと契約してないとはいえ、この魔力量で初の全精霊王の力を使用するのは堪えた…。若干グロッキーです…。
少しでも体を休めようと横になっていたわたしは、精霊王たちを見送るために体を起こした。辺りを警戒していたケイが側に寄ってくると、光の精霊王が難しい顔で、そわそわとケイを窺う。
「ケイトス。お主の怪我を今すぐ完治してやろうか」
光の精霊王の申し出にケイは目を丸くしたものの、「今すぐ治るのなら」と首肯した。ケイはまだ何かを警戒するように頻りに辺りを気にしている。ほっとする光の精霊王。━━可愛いツンデレの王様だ~! って、呑気にほけほけしている場合じゃなかった!
わたしは光の精霊王に近づくケイを、「反対」と慌てて止めた。だって、光の精霊王が言う今すぐ完治って、魔力の代償だけで傷をくっつける癒しの魔法と違って、ケイの寿命を少し削って治すやつだよね? ダメ、絶対。
「せっかく助かったのに、命を縮めるなんてお姉さん赦しませんよ!」
「だから誰がお姉さ」
「障気は残ってないし、傷の治りが通常の時間通りなだけでしょ。それ普通だから。寿命を削ってまで今すぐ治さなくてもいいよね!? 早死にしたくないでしょ?」
わたしの魔力が戻ったら、治療するからほんのちょびっとでも命を縮めるなんてやめて。
わたしの勢いに押されたケイが、驚いた顔でこくりと頷いた。光の精霊王がやや困った表情で口を開く。
「だがリフィーユ」
「駄目ですよ。ケイが召喚して望んだのならいいですけど、今回召喚したのはわたしです。わたしの意見を優先してください」
そう言うと、「む。それは確かに」と頷く豪奢な美女。わたしはそれで押し通して、強引に話を終わらせた。
ほっとしていると、薄い青空を飛んで各精霊王の側近たちが鳥獣の姿だったり、ぼんやりした存在だったり、人型で戻ってきた。「駆逐完了しました」と優美な黄金の鳥から、金髪の青年騎士の姿になった光の精霊ライが、光の精霊王の側に侍る。
一仕事終えた雰囲気に、全員の表情が明るくなる。
わたしも長かった従兄弟の視察が終わったことに安堵して、「お力を貸していただき、ありがとうございました」と丁寧に淑女らしく頭を下げた。━━ようやくここから帰られる!
「もう結界を解いても大丈夫だよ、ケイ」
「……うん」
周りはにこやかなのに、従兄弟だけは厳しい、納得のいっていない顔をしていた。ラッセルやセス、ドルマンたちは安心したからか、肩から力を抜いて談笑しているのに。
わたしが「どうしたの?」と訊くと、ケイは自分でもうまく言えないと、もどかしい顔をした。
「ちょっと気になることがあるんだ」
ケイが精霊王たちに向き直った。
「精霊王方にお聞きします。一際強い…上級魔物の中でも別格の魔物に遭遇しませんでしたか?」
ケイが何を警戒していたのか知って、わたしは思わず辺りを見回した。戦闘中、ちらりと姿は見せても、近寄ってこなかった人型で黒い翼のある魔物。別のところで殺気を感じたと思うと、今度は違う方向からこちらを窺う不気味な視線を感じた厄介な存在。
精霊王たちが互いの顔を見合わせて、首を横に振った。そんなのは見ていない。尤も上級魔物全てを容赦なく駆逐していたから、何とも言えないと返され、ラッセルたちが「あの戦いぶりじゃあそうだよな」と納得した。
結局、ケイの結界内に魔物の気配を感じないと、上級精霊たちも全精霊王たちも太鼓判を押した。
わたしはほっとする。もう魔力が全然残ってないんだよ。このまま精霊王たちがいたら、契約を維持する魔力もなくて生命力を削ることになる。
精霊王たちが異界に戻るというので、わたしを含めた全員が頭を下げてお礼を述べ、光の結界が解除されたそのとき。
狙っていたように、今まで気配を感じていなかった魔物の気配が膨れ上がった。━━え、ウソ。ナニこの数。
愕然とするわたしたちをよそに、茂みから三十体近い魔物が、それも上級、中級ばかりが、飛び出してきた。その先頭は、話していた例の魔物。
「魔物が自分たちの姿を隠す結界を張るとは面白い」
闇の精霊王が艶然と微笑む。━━大変麗し…じゃなくて、今そんな感心いりませんから!!
各精霊王とその側近たちが即座に応戦した。
光の精霊王がわたしたちを守ろうと結界を張ろうとし、魔物たちに邪魔される。他の精霊王たちにも魔物が襲いかかっていた。それでも例の魔物を攻撃する各精霊王と側近たち。俊敏な動きで全ての攻撃を掻い潜り、瞬く間にわたしたちの━━ケイの横に現れた例の魔物。
━━あ、またか。
仮にシナリオという名の運命があるとして、それはどうあっても、わたしの大事な従兄弟を死に追いやりたいらしい。んなもん、認めるわけないけど。
わたしは力いっぱいケイの手を引いて、ぐるんと遠心力を利用して体の位置を入れ替えた。ケイの深い緑の目が大きく見開かれたのが見えた。
気にしないでほしい。そう思って微笑むと、強い衝撃がわたしの背中を襲った。
・・・***・・・(ケイ)
ドクン。
心音が跳ねた音が、やけに大きく耳に響いた。
「っ……!」
声に出して、呼びたかったのに。何か叫ぼうとしたのに、息が詰まって、喉が苦しくて。出てきたのは空気を求めるような、はくはくと動く唇の音。
それからは数秒の出来事が、全てスローモーションで見えた。
まず目で拾った情報は、深い紅の色。
晴れ渡る秋空に、赤黒い鮮血が飛び散る様が、まるで死人花━━大きな曼珠沙華のようだった。
はらりと舞う薄翠の髪が茎のようで、僕はまた幻覚でも見たのだと思った。━━確か以前の幻影は、髪飾りが身代わりになって壊れて……。
薄翠の髪に混じって、青緑の細いリボンの切れ端が飛んでいった。僕の脳裏に数日前の会話が甦る。
『やっぱりリボンにも守護の効果があるのを選べばよかった。』
華奢な体が斬られた衝撃で飛ばされて、僕の体にぶつかる。僕は、唇から血を流しながら、星色の目を閉じるリフィを受け止めた。
これまでに何度も嗅いだことのある鉄錆の臭い。
受け止めるため背中に回した手には、ねっとりとした温かな感触。五感全てが従兄弟の負傷を伝えてくるのに。僕には、見慣れたはずの感触と光景が、どこか遠くに感じられた。
鍛えられていたお陰か、思考と感情を切り離して、冷静に、反撃するか逃げなければと判断した。そのためには、どこをどう攻撃するべきか━━。
頭では、わかっていた。でも体が動かなかった。ただ瘧のように震えるだけ。唯一できたことが、体温と血液が失われていくリフィの体をきつく抱きしめること。
そのことに僕自身が、驚きと衝撃を受けた。いつもはすんなり動いていたのに。頭でわかっているのに、体が震えて動けないなんて初めてだった。
目の前には、父よりも大きな羽が生えた黒い影。赤い眼がギラギラしていた。
魔物の長く鋭利な刃のような手が、再び振り下ろされる。
「━━リフィッ!!」
怒号にも似た叫び声は、アッシュだった。
黒い影の向こうから、険しい顔で駆けてくる。魔物が立ち塞がったけど、「どけ!」の一言で、隆起した土に貫かれて雲散霧消した。
間に合わない。
冷静に思いながら、僕はリフィを守ろうと、黒い影の魔物を最後まで睨みながら背を向けた。もうこれ以上、傷をつけたくなかった。痛みを覚悟したそのとき━━咆哮が、場を支配した。
空気を、空間を、裂くような。鼓膜を、肌を、脳を、震わせる叫び声。
実際に少し、時が止まったと錯覚するような間があった。例の魔物も静止していた。その隙に、一足とびで距離を詰めたアッシュが、魔物の背後で大きく爪を振りかぶっている。
その頃には僕の感覚も元に戻り、強化されたアッシュの大きな爪に裂かれて倒れた例の魔物を、視界に捉えていた。魔物が倒れて紫の血が流れ、着地したアッシュが全身で荒い息を繰り返す。
動けなかったのは他の魔物も同様で、瞬く間に全て精霊に狩り尽くされた。魔物たちが完全にこの場から姿をなくす。全て十秒にも満たない間の出来事だった。
僕は力が抜けたように、リフィを抱えながら座り込んだ。今の僕にあるだけの魔力で、傷口に浄化魔法をかける。
光の精霊王がすぐにリフィの治療にとりかかろうとし、土の精霊王に止められた。代わりにアッシュがリフィの側で大地の癒し魔法を使用した。
各精霊王とその側近たちが集まり、僕たちを囲む。
「全員、力の使用は控えよ。これ以上はリフィーユの負担になり、命を削ることになるぞ」
土の精霊王の言葉に、他の王たちが辛く悔しげな顔をした。
意味がわからず、どういうことか問うと、闇の精霊王が答えてくれた。
精霊魔法を使うには、自分の属性に合った精霊と契約する必要がある。互いの魔力を少し交換し、契約が完了してようやく、契約した精霊の力量分の力が使用可能になる。
その後の魔力の消費は、精霊も契約者も個人で使うよりも魔力の消費が少なくて済む。それも高位の精霊であればあるほど、魔力の消費は少なく大きな魔法を使える。ただし、契約した精霊と人が近くにいる場合だけ。
そのことは知っていたので、僕は頷くに留めた。
通常、精霊の召喚には多くの魔力を要する。召喚相手が高位であるなら、必要とする魔力も必然的に多くなる。一度契約をすれば喚び出すのは簡単だけど、契約者が魔力の半分を持っていかれる。
召喚後、魔力が限界まで使用されて尚、精霊が力を使おうとするなら契約者の生命力を削ることになるから、土の王は各王たちが力を使うの止めた。それどころか、今は精霊王たちとの契約自体がリフィの負担になっているらしい。
魔力が底を尽きかけ、限界に無理を重ねて精霊王たちを留めているリフィ。この状態で契約者を癒すために、精霊王たちが更に魔法を使えば、どうなるかわからない。
そう言われて、理性で納得しても感情が追い付かない。これ程、感情が厄介だと思ったのは初めてだよ。いつもはもっとうまくコントロールできていたのに、今はそれができなかった。
各精霊王が力を使えないので、代わりに側近の上級精霊たちがリフィに各属性の癒しの魔法をかけていた。それでも、血が止まらず、傷も遅々として塞がらない。障気は浄化されたのに。
僕も残り少しの魔力で、癒しの魔法を使った。背中どころか山吹色のドレスの前まで血でしとどに濡れている。
見守る土の精霊王が嘆息し、他の王たちが眉根を寄せた。
治療をしたくても、僕たちの持つ応急セットや今の力ではどうにもできず、かといってリフィの紐が切れたポシェットは、本人以外に開けられない。
最悪の事態が思い浮かんで、僕は膝の上で、血の気がなく俯せになるリフィを見つめた。心臓が鷲掴みにされたような感覚を味わい、視界がぼやけて呼吸が苦しくなる。「若…」と、ラッセルたちと精霊王たちが驚いたように、僕を見てきた。
リフィの髪に水滴が落ちて、雨でも降ってきたのかと思ったら、空は相変わらず青かった。セスにハンカチを差し出されて、自分が泣いていることに気づき、僕自身が一番驚かされた。……物心ついてから、今まで泣いたことなんてなかったのに…。
涙を拭って、リフィを見つめる。
どうしていいのかわからなかった。不安で心細くて、このまま喪うと思ったら、体が震えて仕方ない。思考も体も停止していた。リフィの服はすっかり赤く染まっている。
「大丈夫だ、ケイトス。この子は強い。それに我らが授けた祝福は契約を破棄してもあり続ける。……わしとしても失うことは本意ではない」
アッシュが発言を理解したように、土の精霊王を見た。
「じーさん…」
「少しでもリフィーユの負担をなくすために、我々から契約を破棄しよう」
他の精霊王たちが、苦しくもその提案を受け入れるように、目を伏せた。僕もラッセルたちも息を飲んで、各精霊王を見つめる。
そこに、移動魔法の気配を感じて顔をあげると、約束通り顔色の悪い父が現れた。シェルシー伯母様とメイリンの姿も共にあり、僕やラッセルたちは目を見開いた。
僕たちの姿を見た伯母とメイリンが、娘の姿に蒼白な顔で駆け寄る。
「リフィちゃん!」
傍らに膝をついた伯母が、少し荒れた手をリフィの頬に当てた。頬や髪を撫で、酷い背中の傷を見て、涙を流す。
冷静沈着なメイリンでさえ一瞬硬直し、目元を拭って処置に必要な布や薬を用意し始めた。
僕の横に来た父に、無言で頭を撫でられた。父が癒しの光魔法を発現させ、伯母も同様に行使した。
僕は限界で、まだ治療をしていたくても魔力がない。体から力が抜けて、手足が痺れた。
「ケイトス、我らは契約を破棄した。契約がなくなればここに留まれず、すぐに異界に戻る。だから、リフィーユに伝えておくれ。また喚び出してくれるのを待っておると」
土の精霊王の体が空気に溶けるように、薄くなった。父や伯母が驚いたように各精霊王を見つめた。全員の姿が消えていく。
「必ず伝えます」
そう返すと、安心したように精霊王たちが微笑んで、姿を消した。側近の上級精霊たちだけが残って、リフィの治療を続ける。その成果か血が止まり、傷が半分程、塞がった。
「傷口を看ます」
メイリンが破けた背面の服を切り裂いて、傷口を見やすくした。そこに水をかけて、傷口を洗い流し━━。
「…っぅ、っめた…」
リフィの唇が動いて、僕は目を丸くした。メイリンは気にせず、清潔な布で血を拭きとり、白い背中に右肩から腰まで斜めに走った傷口が露になる。
「リフィ」
「リフィちゃん!」
僕と伯母様が声をかけると、リフィが目を開けた。虚ろな目を動かし、顔だけ横を向いた俯せの状態で、目の前にいる伯母様を認識して、刮目した。
「っ、お母さ━━っったただだっ! ぃいっったぁっ…」
がばりと上半身を起こし、背中の痛みにリフィが悲鳴をあげて倒れ込むように僕の膝に頭を戻す。
父や伯母、ラッセルたちがリフィの行動に驚き、僕とアッシュが驚きつつも呆れた。……そりゃいきなり動いたら、そうなるよね…。
「ぅうっ。痛い……何で…━━そうだっ、ケイは無事…っでいだだだだだっっ!!」
再度腕を伸ばして起き上がり、倒れるリフィ。━━うん、心配してくれて嬉しいけど、リフィ。君、瀕死の重傷だったんだよ。今もまだ治ってないからね。傷口ぱっくり開いたままだから。というか、さっき突然起きたら激痛が走るって学んだはずだよね。
起きたばかりなのに、リフィらしくて僕はほっと力が抜けると同時に、少し笑った。
父や伯母、ラッセルたちも深く安堵して、笑っている。メイリンも微笑しながら、傷の周りに薬を塗り込んでいた。
精霊たちも喜び、より一層、治癒に力を入れた。あれだけ深かった傷が、少しずつ薄く小さくなり、消えていく。
それを見届けると、メイリンがすかさず白いタオルを被せて、肌を隠した。力を使ったアッシュがばたんと倒れ、浮いていた精霊たちもその側に寄り添うように座り込んだ。
「………わたし、生きてる…」
肩にかかるタオルを押さえながら、ゆっくりと体を起こして不思議そうに呟かれた一言に、服が胸や腹まで赤く染まった姿に、僕の中で張りつめていた糸が切れた。冷え冷えとした声が出る。
「━━死にたかったの?」
リフィが目を瞬かせて、正面の僕を見た。柔かな優しい色合いのシャンパンゴールドの目に、僕がしっかりと映っていることに、喜びを噛み締めて、心が震えた。━━本当に、よかった……っ。あのままいなくなられたら━━。
そう考えると、背筋に氷塊が滑り落ちた心地がした。バクバクと心臓が荒れ狂う。
「死にたくなかったから、よかったよ。皆、無事みたいだし。アッシュたちも皆、治してくれて本当にありがとう」
辺りを見て呑気に笑ったリフィに、僕は毒気を抜かれた。けどすぐに腹の底から、怒りがふつふつと沸き起こる。
「……僕を庇って死ぬなんて、やめてよ。もう二度としないで」
「それはできない相談だよ。そのときになってみないと何とも言えないし、さっきのだって体が勝手に動いちゃ…━━っ!?」
突然、目をまん丸にしたリフィが、万歳するように両腕をあげた。傷が塞がっていても背中が引き吊るのか少し顔を歪め、どうしたらいいのかわからないといった様子で腕をワタワタし、助けを求めるように眉尻を下げて、キョロキョロと父や伯母を見た。
「……驚いた…。初めて見たな」
「あらあら。リフィちゃんたら隅におけないわね」
「お嬢様ですからね」
「いえ、できればひっそり隅に隠れていた……じゃなくてわたし? これはわたしのせいですかっ!?」
父も伯母もメイリンも目を見開いて、僕を見ていた。意味がわからず首を捻ると、呆然としていたリフィが恐る恐る手を伸ばしてきて、宥めるように頬に触れてくる。
それで、僕の頬が濡れていたことに気づいた。
「泣かないで、ケイ。たぶん、これからも無茶はしそうだけど、死ぬつもりはなくて、わたしは生きる気満々なんだよ…って、ナゼに疑いの目を向けるかなっ?」
「無茶するって、今度も僕を庇うかもと宣言しておいて、トラブルに巻き込まれたり、突っ込んでおいて、簡単に信じられるわけない」
思わず半眼になり、涙も引っ込んだ。頬にあったリフィの手を取って、どこにも行かないよう強く握りしめる。
「えぇっ、不可抗力だよ? それにわたしの方がケイより生命力というか、生きるガッツに溢れていると思うよ?」
「は?」
「だってケイは、自分は死ぬのか仕方ないってあっさり諦めそうでしょ。でもわたしは、イヤだー、まだ生きるーってジタバタ往生際悪くもがくから。最後にそういうとこで生死をわけることもあると思うんだ。今回だってお母様たちとの約束通り、皆で元気に帰る予定だったし、実際にこうして無事でしょ」
僕は驚かされた。
確かに僕は任務とかで死ぬのは仕方ないって割り切っていたし、今回もリフィが助けに来なければ一度は諦めて死んでいた。でもいざそのときになったら、生きようと少し……抵抗したんだよね。その行動に、以前とは変わった自分を自覚した。
まじまじと改めて従兄弟を見た。
━━驚かせるのも、怒らせるのも、笑わせるのも、泣かせるのも。いつだって大きく僕の感情を揺さぶるのは、リフィだね…。
けどリフィ、いくら君に生きる気力があっても、助からない可能性の方が高かったんだよ。お父様たちが間に合わなかったら、伯母様たちが居合わせなかったら、上級精霊たちやアッシュの力が足りなかったら、何か一つでも欠けていたら、こうして話せなかったかもしれない。そうなったら、僕はたぶん……隣国も、シルヴィア国と王様たちも恨んで、前よりも酷い人形になっていたかも。
「助かったのは結果論だよ。もしかしたら、最悪の可能性だってあったからね。何度も…僕と魔物の間に入って……」
こんなに短期間で何回も死にかけたことなんてなかった。それだけ異常事態だった。父も伯母もメイリンも、そのことを認識して、息を飲んだ。
言葉に詰まる僕に、リフィは困ったような苦笑を浮かべる。
「それだけケイが大事ってことだから、大目にみてよ」
「━━…はぁぁぁ…」
「何で深いため息をっ!? ワタシ何かしたっ!?」
「僕は君の将来が心配だよ…」
……無自覚で人をタラシこみそうだよね。僕の心配をする前に、変なのを引っかけないようにしてほしい。言葉通りで他意がないってわかっているけど。たぶんそれが通じるのは、長い付き合いの友達くらいだよ。
父と伯母、ラッセルたちが、悩むリフィに苦笑した。
「お嬢様。とりあえず、着替えましょう」
メイリンが血塗れの服を見て促すと、木や茂みの陰にリフィと伯母様を連れていってしまった。僕たちは少し離れたところで、地面に座りながら、これまでにあったことを簡潔に父に説明した。過酷だった事態を知り、領主の顔で重々しく頷くお父様。そこに。
「ぅぇええぇぇぇっ!?」
━━今度はナニがあったのかな。
アッシュたちが動けないながらも目をさ迷わせ、耳を動かしている。着替える淑女の側に行って許されるのは、まだ子供の僕だけだからと促され、僕が立ち上がると。
白いブラウスと青いスカートに着替えて、切れた肩紐を結んだポシェットを下げ、不揃いになった髪を下ろしたリフィと伯母様、メイリンが姿を見せた。
手に短い青緑のリボンを持ち、泣きそうなリフィが僕の前に立つ。
「…ごめんなさい」
「何が?」
「せっかくくれたプレゼント、全部ダメにしちゃった…。お母様が昔着ていたドレスも血塗れにしちゃうし…洗って落ちなかったらどうしよう…」
「明らかに気にするのはそこじゃねぇ」
しょんぼりするリフィに、ラッセルたち六人から突っ込みが入った。━━僕もそう思うよ。まずは無謀と無茶を反省して、生き延びたこととか、自分の体調とかを考えてほしいよね。
僕は腰近くまであった髪が、肩下とはいえ肩甲骨辺りまで短くなった髪を見て、既に始末された魔物にムッとする。
リフィには「命の恩人だから、何か別の物を贈るよ」と言ったら、微妙な顔をされた。伯母とメイリンにも苦笑され、僕は首を捻った。大抵のご令嬢は新しい贈り物を喜んでくれるのに、何か変だったかな。
「ケイトス様。多くの女性がそうというわけではございませんが、女性は大事な方から贈られた思い出の詰まった物を簡単に切り捨てられないものですよ。先程の発言は、かけがえのない思い入れの物の代わりを簡単に宛がえばいいというもの。相手の思いを無視したデリカシーのない発言かと思われます」
メイリンに静かに諭されて、僕は失言を認めた。次からは気をつけよう。ついでに「若も女性の扱いはまだまだか」と楽しげに言ったラッセルに微笑んでおいた。……あとで特別訓練かな。
落ち込むリフィを見かねた伯母が、彼女を抱き上げた。……伯母様、その細腕でよくできましたね…。
僕たち周囲が唖然とする。リフィだけが「ふぉぉおぉお」と声に出さずに唇だけ動かし、頬を紅潮させた。照れながら伯母様に、潤んだ目で熱視線を送っている。
「……可愛いけど、お嬢ちゃん。反応おかしくねぇか」とドルマン。「あーゆー乙女な反応って、ふつー異性にするもんじゃねぇの」との言葉に、シダたちが残念そうに首肯した。僕は苦笑しながら「リフィは伯母様が大好きだからね」と返しておいた。
リフィは「お母様、素敵です!」とうっとりしていた。気分が急上昇したのはいいことだよね。近くで伯母様に会うのも、話すのも久しぶりだろうから。
それに応えるように伯母も、嬉しそうに抱きしめ、安堵の深い息を吐いた。
「リフィちゃんは大きくなったわね」
「ふぉっ!?」
リフィが奇声をあげて、動揺した。青ざめた顔で悪戯が見つかった子供のように、ゴニョゴニョ話す。
「……決して食べ過ぎのせいや、間食が多いわけではないんです。成長期で身長と共に体重も自然と増加したというか…」
「そうね。あなたの成長はとても嬉しいわ。でもね、まだまだたくさん甘えてほしいとも思っているのよ」
「お母様、大好きです!!」
感極まったリフィが抱きついた。伯母も相好を崩して愛でていた。「……相思相愛が凄いなー」「砂はきそう」と遠い目のドルマンたち。
伯母様が侍女に娘を預けた。リフィが「幸せ~」と、珍しく微笑むメイリンにほくほくする。
正面に立つ伯母様と、その傍らに立つお父様。
ラッセルとセスが膝をつき、頭を垂れた。ドルマンたちもそれに倣う。
「この度は娘を保護して下さり、ありがとうございました。またこの領地のためにお力添えをいただき、感謝します」
頭を下げて微笑む伯母に見惚れるドルマンたち。あー、とかうー、とか唸って赤面し、緊張して「いえっ、こちらこそっ」と言葉を返すのが精一杯だった。
父が「話は邸に戻ってからにしよう」と促す。それで僕はようやく肩の力を抜いて、張っていた結界を解除した。重荷が減った気がして、ほっと息を吐く。
「ふぉぉおぉっ!? こ、これは……っ!」
地面に下りたリフィが、草の上に転がる藍色のゼリー状の物体をしゃがんで熱心に見つめていた。━━あそこは、例の魔物が絶命した場所……魔物の素材かな…。それにしては、ナマコみたいで少し気持ち悪い。
大人でも触れるのを躊躇いそうなグニャリとした物体を、リフィは遠慮なく両手で掬い上げるように持ち上げた。……うん、危険はないから別にいいと思うけど、普通の女の子は気持ち悪がるんじゃないかな。そんなにじっくり見て面白い?
「これっ、わたし貰ってもいいっ?」
興奮して鼻息荒く叫ぶ従兄弟。僕はドルマンたちやアッシュと顔を見あわせて、「いいんじゃないかな」と頷いた。
「やったぁぁぁ!!」
瞳を輝かせて満面の笑顔を浮かべるリフィ。伯母とメイリンと父が微笑ましいと眦を下げた。……持っているものは奇妙な物体なんだけどね。
リフィは上機嫌で鼻歌を歌いながら、気色悪い物体を両手で捧げるように持ちながら、小躍りした。……うん、別の意味でこの従兄弟の将来が心配だ。
「それは何だ?」
誰もが疑問に思ったことを、アッシュが尋ねた。リフィはぐったりと一塊になっている精霊たちの側に近寄ると、にこにこ笑った。━━可愛いのに、持っている気色悪い物体が残念な光景…。
「これはね、とっても稀少なお宝だよ。これを乾燥させて固めた物を粉末にして、薬に混ぜたり、人にかけたり、物にかけたりすると、それぞれが持つ力が強められるの。薬なら効能が、人なら魔力や体力が、物なら壊れなくなったり、威力が強くなったり。とにかく、便利な物なの。文献でしか知らなかったし、発見された場所もまちまちだったけど、素材なら納得だね!」
嬉々として語るリフィ。博識に驚かされるけど、興奮に頬を上気させて、気味の悪い物体をうっとりと見つめるのは少女としてどうかと思うよ。
話を聞いて少し考え込んだアッシュが、不意に息を飲んだ。
「……待て待て、リフィ。早まるな」
「どうしたのアッシュ?」
「これ以上お前の猛烈に不味いお茶を更に不味くする必要はないだろ! 今でも充分殺人級なのに、そんな妙なものを加えて、人命を奪ったら洒落になら……だぁーっ、そのツボは、やめっ。ギャー」
リフィにツボ押しされたアッシュがぱたりと倒れて、動かなくなった。意識はあるらしく、ぴくぴくと痙攣しつつ「くっ」と呻いた。アッシュの周りで休んでいた上級精霊たちが、ずざざーっとアッシュを盾にして陰に隠れる。
リフィがニコッと微笑んだ。
「安心してアッシュ。わたしを助けてくれて疲れているアッシュたち皆のために、これを使って疲労回復にいい薬を作るから」
「いやっ、リフィーユ。気にしなくていいっ」
「そ、そうよ。あなたを助けることは主様たちの命令だし、私たちの意思でもあったから」
「うんうん。それに異界に戻ってゆっくりすれば体調も魔力も戻るから━━ってことで、ぼくは帰るね! お大事にリフィーユ」
一人の精霊が言うと、口々に自分も戻ると、上級精霊の気配が一つまた一つと消えていく。最後に残されたのはアッシュで「俺様も戻って休む」と言うなり、姿を消した。
「……薬の効能を試したかったのに」
こちらに背を向けているので、リフィの表情はわからない。
僕は呟かれた言葉を聞かなかったことにした。とりあえず、アッシュ。逃げて正解だと思うよ。
嘆息したリフィが、藍色の物体をポシェットにしまい、振り返った。こちらに戻ろうと足を踏み出して、カクリ、とその場に座り込む。
「リフィ!」
「お嬢様っ」
近くにいたメイリンがすぐに抱き抱えた。伯母と父に次いで駆け寄り、僕は血の気のない顔で「目が回る~」と瞳を閉ざして呟くリフィに、ほっとした。
安堵したら、僕の体からも力が抜けて、お父様が支えて抱き上げた。僕の額に手を当てたお父様が、顔を顰める。
魔力も体力も気力もすり減らし続けて、全部使いきった僕たちに限界がきたみたいだ。━━けれどまだやることがある。
無理矢理、起き上がろうとしたら。
「大丈夫よ、ケイトスくん。あなたたちはよく頑張ってくれたわ。だから、後は大人のわたくしたちが頑張る番よ。……もう王家にこれ以上、大切なわたくしの家族を奪わせないわ」
「え?」
僕が目を丸くすると、伯母様が微笑んで頭を撫でてくれた。
「大丈夫よ。今はゆっくりお休みなさい」
伯母の冷たい手が心地よく、父も「後のことは任せて、お休み」と告げられ、僕は意識を手放した。
お疲れ様です。ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
次は幕間を挟んで、登城編にいく予定です。




