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20, 7才 ⑦

お待たせしました。

シリアスです。二万字近いです…。

いつも以上に流血シーンや、怒ってぐちぐちしてるかもなので、苦手な方はバックしてください。



後で誤字脱字直します。内容に変更はありません。



・・・***・・・ (ケイ)




視察三日目の夜。

既に九時過ぎ、先程ようやく夕食を終えた僕たちは、リフィのお茶ではなく、ドルマンが淹れてくれた紅茶を飲みながら、焚き火を囲んで人心地ついた。


余裕でこなせる日程だったのに、昨日よりも結界石を埋めるのに時間がかかってしまった。その原因というのも━━「このお茶マズイ」と苦い顔をしているハイドを見て、僕は内心で大きく息を吐いた。


始めの地点までは、僕が全員を魔法で転移させた。石を埋める度に現れる魔物の数が増え、強さも増していることに気づいて、父には報告をしておいた。


 今日は最初から二百の魔物に取り囲まれた。上級も三十体はいた。

こなせると思ったし、自信もあった。これまでのドルマンたちみたいに、一ヶ所に固まって互いの背中を預け、せめて自衛に徹してくれていたら、問題はなかった。そう簡単にはいかなかったけど。


まず、ハイドがあまりの恐怖に引きつけを起こした。体中が痙攣し、その場で腰を抜かした。呼吸困難に陥りかけた彼を護衛のヴァンフォーレが、活を入れて失神は避けたけど、その場で失禁した。


ドルマンに命じて、ハイドを守りながら自衛させ、その間に僕は魔物を狩っていった。上級魔法も使って、剣を持って、防護結界を張って、力配分とペースを考えながら、二十分以内に片づけた。


一昨日も昨日も、今日も、どれだけ倒しても使える素材は出ない。遺跡の魔物じゃないからかな…。

中級以下の魔物は跡形もなく消え、上級は死体も毒なので燃やし尽くした。


僕が貸した服に着替えるハイドを待ち、遅い彼の足に合わせて、魔物を倒しながら次の場所に移動した。

次は意識があったけど、ハイドが恐怖に耐えきれず逃げ回ったので守りにくかった。ヴァンフォーレとドルマンが無理やり動かないよう押さえつけて、守っていた。


その次も、四ヶ所目までも、途中ハイドが「疲れた」と言っては休憩を何度も取り、魔法を使おうとしては発動しなかったり、暴発して味方の陣形が崩れたり、守るのが大変だった。いつも以上に気力も体力も魔力も消耗した。

お陰で、四個目の結界石を埋めたのは、午後七時を過ぎていた。

少し移動して、すぐに野営の準備に取りかかり、簡単な報告をしながら夕食をとって今に至る。


「疲れた。全部魔法で移動すればいいのに。何でこんなところで野宿なんだ。ご飯も美味しくない。それにまたいつ魔物が襲ってくるかわからないのに」


文句ばかりのハイドに、ドルマンたちもヴァンフォーレもため息を吐いた。どれだけ嗜めても、叱っても、効果がないので諦めている。ただ死にたくなかったら、戦闘中は大人しく指示に従って動くな、と言えばそれには大人しく従った。


ヴァンフォーレに足をマッサージしてもらうハイドを見ながら、僕は単純バカな第二王子を思い出していた。アレとよく似ている。正直なところも、偉そうなところも、無駄に自信家で図太くて、諦めず食らいついてきた姿も。リフィに一目惚れしたところも。眼中に入らず相手にされていないところも。


「悪いな、ケイトス」と、ドルマンが言ってきたので、僕は「大変だね」と労った。少し前から、坊っちゃんという呼び方を隠さなくなったドルマンたちに、名前でいいと言ったのだ。それからは、呼び捨てで接してもらっている。


「いや、アレのこともだが、クルドの件も。お嬢ちゃんがよく怒り狂わなかったと感心したよ」


ドルマンの言葉に、シダたちも深く首肯した。僕は苦笑する。

大人しくはしていた、表面上は。内面は知らないけど。もしかしたら今頃、怒って枕やラッセルやアッシュに被害が及んでいるかもしれない。……アッシュが遊ばれていませんように。


「あの、…彼女はケイトス様の……婚約者ですか?」


ヴァンフォーレがハイドを一瞥してから、控えめに声をかけてきた。リフィの話になったら、ハイドが反応していたことに気づいていたけど、従者に質問させるなよ…。

ドルマンたちも嘆息していた。一方で、興味津々という顔で見つめられる。


「僕にもリフィにも婚約者はいないよ。僕たちは従兄弟で幼馴染みで、親友、かな」


僕は期待にピクリと反応したハイドを冷ややかに見ながら、「ただリフィは貴族が大嫌いで、興味関心がないけどね。それに恋愛とか婚約者よりも、今は別に大切なことがあるみたい」と言うと、ハイドが石化した。ヴァンフォーレが「気をしっかり」と声をかける。

ドルマンたちが意外そうというより、不思議そうに首を捻りつつも頷き、笑った。


「それなら、嫌いな貴族でも、慕われているケイトスはよっぽど特別なんだな」


僕は苦笑を返す。

その自覚はある。とても大事にされているのも、僕を守ろうとしているのも。構い倒したアッシュくらいに溺愛(?)されているのも。感極まって「可愛い! 大好き!」と、抱きつかれるくらいだ。大抵の頼みは聞いてくれそうだと思うよ。


まぁ、隠し事もありそうだけど。でもそれは、僕にもあるから何とも言えない。結果が出た春先から、ずっと言えずにいることがある。どうすればいいのかわからなくて、困っていた。

僕は一つ息を吐いた。ハイドに睨まれているけど、スルーする。


「お嬢ちゃんは、普段はどういう子なんだ?」とドルマンに問われて、僕は「見たまま、あのままだよ」と答えた。

他人には淑女らしく素を見せないけど、普段は笑って怒って、泣いて。僕は従兄弟の豊かな表情を思い浮かべて、自然と笑顔になる。


リフィは正直で、嬉しいことは全面に素直に出す。怒っていること、不満なことも。無邪気で、たまに「えっ」って周りが驚く言動をして。少し我が儘で、寝るのも食べるのも怠けるのも好きだけど努力家で、僕たち父子や『影』を含めた伯母様やメイリンといった家族や、友人たちが大好きで大切で。


楽しむことに全力で、たまに物凄く大人びている。そして自分のしていることを凄いことと認識してなくて、どこか抜けていた。けれどその一方で、僕と従兄弟でもきちんと貴族と平民の線引きをしっかりしている。


私的なことなら「女装して」とか「可愛い」とか、隣で遊んで気軽に接するのに、他人の前やお茶会、僕が公務のときは基本、口を挟まず離れて、静かにしている。


「特別でも身内の好意というか、お菓子が好き、花やリボンが好きといったものと変わらないだろ」


ハイドの大きな独り言に、場が凍りついた。僕は何ともないけど、ドルマンたちやヴァンフォーレが固まってしまった。

僕はにっこり笑った。


「たぶん、その通りだと思うよ。ただ、お菓子とかよりも限りなく一番に近い特別だけど。それに、君を選ぶことはないからね」

「何だと?」

「リフィは王候貴族が嫌いで関わりたくないって教えたよね。それに、君にリフィが好意を持つ接点が何もないから」

「……。ホテルで困っているときに手を貸してやったぞ?」

「ヴァンフォーレがね。君は何もしてない」

「人質のときに、『夜』や外部に連絡を取った」

「大事にしないでって言ったのを無視してね」

「………」

「あとは今日、寝顔を見られて水かけられて、喧嘩しようとして、リフィの殺気に敵わなくて黙らされて、強引にここに来た。これまでで好意を持つ場面あった?」


ハイドが驚いたまま固まっていた。ドルマンたちが慰めるように肩や背中を叩いている。僕を気にして牽制する前に、まずは己を省みようか。


「ケイトスの勝ちだな。てか、疲れてんだからお前はもう休め。この健康茶でも飲んで休め」


そう言ってドルマンが、リフィに持たされた水筒をハイドに押しつけた。漂う異臭にハイドが「目が痛い! くさっ!」と我に返り、文句を言おうと口を開けたところに、すかさずシダが流し込む。……ご愁傷様。

僕は強制的に眠りに旅立ったハイドから、視線を外した。


「ハイド様っ!? ドルマンお前、何をしたっ!」とうるさいヴァンフォーレにも、ドルマンが黒いさらりとした液体を流し込むと、沈黙した。……さすが、リフィ。凄いお茶だね。

ドルマンが少し飲んで、苦い顔をした。


「マズイが、昨日よりもマシになってる。効力は確かなのに、本当に残念なお茶だな。お嬢ちゃんもすげー美人なのに、何で言動が少し残念なんだ…。いや、クルドとやり合ったときは令嬢らしかったが……最初に会ったときからクルドのときみたいな感じだったらよかったのに……まさしく理想のお嬢様って感じなのに」


ドルマンの言葉に深く頷くシダたち。僕は以前、ラッセルたちが似たようなことを本人に言っていたことを思い出した。

そう言うと、「それで?」とドルマンに話の続きを促されたので、僕は苦笑した。


あのときは、リフィが面倒臭そうなものを見る目になって「そんな傍迷惑な理想は、その辺にポイっと捨てておけばいいよ」って、言ったんだよね。

それにラッセルたち『影』の面々がショックを受けて、「男のロマン」だとか「少年や男たちの夢」だとか「夢を裏切らないでくれ」と嘆いて…涙目になって真剣に訴えるのもいた。


いい歳した大人の男たちの勢いに、口々に直訴されたリフィがたじろいで遠い目になり、「……あー…ウン。それならお嬢様になるために、暫く来るのやめるね?」と、明らかに放っておこうと目を逸らして言うと、今度は「それはダメ。絶対」と引き留める『影』たち。


恐ろしいことに、その状況を僕に丸投げして逃亡を試みるリフィと、必死の形相で引き留める厳つい『影』で鬼ごっこが始まって━━クーガと『影』隊長ダグラスに、「女の子を本気で追いかけ回すとは何事か!」かなり怒られていた。

散々、追いかけ回されても、あの『影』から逃げ切ったリフィは「コワイ」と怯え、また少し男嫌いというか苦手になって、五日間は訓練に来なかった。


しょんぼりと萎れた図体の大きいおっさんたちは、全然可愛くなかった。訓練も腑抜けて、僕は心底呆れ、厳しくクーガとダグラスと一緒に叩き直し、「僕に触れたら、リフィをつれてくる」と条件を出したときの気合いの入れようには、さすがに引いた。

クーガとダグラスも表情を引きつらせていた。

……うん、あんなのに追いかけ回されたら、トラウマになっても不思議じゃないかな。思わず全力で逃げたよ。


『影』たちの連携と執念で、指先が服をかすったから、「必要以上に近づかない、話しかけない、触らない」ことを条件に、約束通りリフィをつれてきた。リフィは、クーガやダグラスの後ろに隠れていたけど、すぐ慣れて順応した。そのあとは訓練にもまた顔を出すようになった。


話終えると、ドルマンたちが微妙な顔をしていた。「仲がいいんだな…」のあとの会話が続かない。とりあえず、「疲れたからもう寝よう」と、火の番を二時間交代で決めて、念のために結界玉を一つずつ渡したら、驚いた顔をされた。魔法銃も含めてしつこく聞かれるので、制作者と知り合いで色々と融通が利くとだけ伝えた。



・*・*・*



その翌朝は快晴で、一口だけ飲んだリフィのお茶のお陰で、疲労は回復していた。簡単に朝食を済ませて、野営を片づけ、そこでハイドたちとは別行動になる予定だったのに、何でかハイドが僕に妙な対抗心を燃やして、ついてきた。はっきり言って、迷惑で邪魔。


そうして視察四日目が始まった。

昨日よりは守りやすかったけど、移動が遅い。その辺の子供よりは速いし、靴に魔方陣が仕込んであるんだろうけど、遅い。

出てくる魔物が雑魚ばかりで、上級と中級でも強い魔物や大型の魔物が出てこなくなったのが幸いだった。


視察をしている内に日が暮れて、三ヶ所に結界石を埋めただけで、決めた予定ではまだ一ヶ所ある。それでも、これまでに全二十一ヶ所の内の十八ヶ所は結界を強化済み。残り三ヶ所を明日に回してもいい気はするけど、何だか嫌な予感がした。


その予感は当たって、四ヶ所目に着いて、無事に結界石を埋めたときだった。

満月が少し欠けた月の明かりが差し込む暗い森の中。黒の森からは強い障気が溢れ、無数の魔物の蠢く気配がした。

ハイド以外の全員が、あまりの物々しい気配に、体を強ばらせた。僕も気を引き締めて警戒した。


「何があっても動かないで、僕の指示に従って」


鳥か獣か魔物か、不気味な鳴き声が辺りにけたたましく響いた。ハイドがびくりと反応して、顔面を蒼白にした。

微かな風切り音がして、僕が周囲に風で結界を張ると、ハイド近くの結界でバチッと弾ける音がした。ハイドが恐怖に顔を引きつらせて、今までの比じゃない爛々と光る赤い魔物の目を見て、喉を震わせた。


ハイドの叫びを無視して、僕は戦闘に頭を切り替える。

黒の森には、千はありそうな禍々しい赤い眼。月明かりに照らされて、結界石が埋まってない範囲の森から出てきたのは、全身真っ黒な体毛に二足歩行の獣。上級か…。鋭い牙が冷たく月光を弾いた。


今ある普通の結界じゃやっぱり『大波』を抑えきれず、次々と魔物が出てくる。通常の結界の隙間から下級、中級もしゃしゃり出てきては、僕たちを取り囲む包囲網を作ろうとした。

恐慌をきたしたハイドが絶叫しながら、一目散に駆け出していく。あっ、と思ったときにはヴァンフォーレも。


魔物たちが待ってましたとばかりに、ハイドに狙いを定めて一斉に動き出した。ハイドとヴァンフォーレだけじゃなく、ドルマンたちにも。もちろん僕にも殺到する。


魔法銃と剣を片手に、襲いくる魔物をいなし、致命傷を負わせて、一塊になったドルマンたちに群がる魔物を燃やして、この四人ならある程度大丈夫と、僕はハイドたちの後を追った。……何でこの速さを移動で発揮してくれなかったのかな…。


追いかけながら風の刃と剣で魔物を切り裂き、魔法銃で消す。ヴァンフォーレが主に追いついて、ハイドを守るために抜いた剣で魔物を斬った。辺りの魔物を倒しながら、僕はマズイと感じていた。昨日今日と無駄に魔力と気力、体力を使い、野営で休んでも、いつもより回復していない。


今日も今日で疲労が蓄積されていた。

逃がすまいと、六体の魔物がハイドを目がけていく。倒しても倒してもキリがなかった。セスとマシューも出てきて、退治しているが一向に減った気がしない。


ぐっ、と呻き声がしてそちらを見ると、シダたちが負傷していた。四人の周りというより、辺りが魔物の群れに埋め尽くされていた。ヴァンフォーレの方も限界が近い。


僕は光の大魔法を行使した。一帯が昼間のような光に包まれ、中級以下の魔物の姿が消えて、残った魔物たちも苦しんで動けなくなっていた。それでも、まだ増える。


この状況を見てヴァンフォーレが、決断した。「申し訳ありません」と告げるなり、ハイドを抱えて全力で遁走した。離脱することに専念して、僕たちを置いて走り去る。怪我したドルマンたちも魔物を食い止めようと二人の援護に回るが、傷が増えていく。


……まぁ、仕方ないかな。事情が事情だ。

ギルドの一員といっても腰かけだからね。それでも、彼一人で恐怖で暴れるハイドを抱えながらの逃走は厳しい。すぐにまた十数体の魔物に囲まれてしまい、僕は凶刃から二人を庇った。

パキン、と胸ポケットから澄んだ音がした。同時に胸ポケットが軽くなる。


「行くなら早く行って。何としても逃げ切るように」


驚く二人を一瞥して、僕は襲いくる魔物を必死に捌いた。もうすぐ魔力が限界になる。この二人を庇ったせいで、利き腕の右腕に深く傷を負い、血が流れていた。


五撃は受け流したけど、六撃目は胴を切り裂かれていたはずだった。けれどそれは、胸ポケットの懐中時計の守護が働いて、守ってくれた。ただ七撃目で右腕が裂かれ、傷口から障気が入り込んだ。

僕は逃げ道を塞ぐ魔物の群れを、風と炎で竜巻を起こして一掃した。邸への道ができた。


ヴァンフォーレが一礼して、駆け出す。

ハイドが青ざめた顔で、残る僕たちを瞬きもせず呆然と見ていた。ドルマンたちが僕の近くにきて、守るように囲む。「ありがとう」「悪かったな」と四人が言った。「オレらは最後まで付き合うから」と。


傷を治す時間も魔力も惜しく、そんな余裕もなくて、ハンカチで縛って止血すると、僕は戦闘に戻った。一体でも多く魔物を食い止めて、町に被害を出さないようにしないと。

結界石を埋めていないのは、残り二ヶ所。魔物が出てくるとしたら、結界が強化されていないその四キロの範囲から。……ギリギリ光魔法で魔物を閉じ込める結界を張れるかな。魔力がなくなるけど、魔法銃で戦えるか。


僕は怪我を見て、苦い顔をしているマシューに命じた。

ハイドたちの援護と、無事に二人を安全なところまで送り届けること。それと邸に戻って、念のために民の避難と、応援要請を。━━それから、一時的に僕が戻るまで代行の権限をリフィに。


たまに一緒に僕と勉強しているリフィ。きっと彼女なら僕の意を汲んでうまくやってくれる。

心配する従兄弟の顔が思い浮かんだけど、僕は領主代理として必要な指示を簡潔に告げて、マシューを送り出した。

この状況を怪我したドルマンたちと僕とセスで凌ぐのは厳しい。でもどうにかするしかない。

僕は増える魔物の大群と向き合った。




・・・ *** ・・・(リフィ)




玄関ホール脇の応接室で、わたしは憔悴したマシューとヴァンフォーレから起こったことを聞いた。

彼らが話している間に、深い傷を負ったマシューの治療と障気の浄化をした。


ソファーに一人座ったわたしの足下にはアッシュ、テーブルの上には結界石を埋めた場所を記した地図、そのテーブルを挟んで向かいのソファーに茫然自失のハイドと彼の手を握って沈黙するキャロルが座り、その後ろに落ち込んだヴァンフォーレと青ざめたロンドが控えた。


わたしの後ろには怒りと衝動と感情を押し殺すラッセルとデゼル。そして、アルフとザイーダ、震えるマース。話を終え、ケイの伝言を伝えて、血を流しすぎたマシューは、強制的に別室で眠らせた。


はぁっ…はぁっ…はぁっ…は…っ!


荒い呼吸音がどこからか聞こえてきた。

早く、何とか…どうにかしなければ。そう思うのに、頭の中がぐちゃぐちゃで、心が落ち着かない。まともな思考が展開できない。視界もぼやけてきた。……凄く、苦しい…!


「━━リフィ、しっかりしろ!」


声が聞こえて、目を向けると、床に座るアッシュの顔がすぐ近くにあった。緑の目が焦っていた。


「呼吸をしろ! 落ち着いて、息を吐け!」


息を、はく?

わたしはアッシュの緑の目を見て、それよりも濃く暗い深い緑の目を思い出す。━━『もし次に、何か驚いたり、衝撃を受けたりしたときは、一度ゆっくり深呼吸して』。

前に言われた言葉を思い出して、大きく口を開けた。


「…はぁっ……っ、ごほっごほっ……はあっはあっ」


バクバク脳裏に響く心音。ドクドク脈打つ血管。

どうやら過呼吸に陥りかけていたらしい。上半身を膝につくほど折り曲げていたから、アッシュの顔が近くにあったのか…。


呼吸の仕方を思い出し、荒い息を落ち着けたわたしは、向けられた驚きや不安、気遣う視線を目を閉じて遮断した。今、何をすべきか考える。

大丈夫。落ち着いて、わたし。

何度か繰り返し深呼吸して落ち着くと、ラッセルたちやアッシュがほっとした。


「大丈夫だ、リフィ。ケイはまだ生きてる」


アッシュの言葉に、わたしは精霊と意識を繋いだ。目に見えるのは、負傷したギルドの四人を庇いながら、肩で荒く呼吸するセスと一緒に、魔法銃と剣を片手に戦う従兄弟の姿。

ケイを見守るよう頼んだ精霊たちから、利き腕の右腕と軸足の左大腿に傷を負ったことは聞いた。


月明かりの中で戦う彼は美しかった。けど、動きに精彩さがない。━━魔法銃を使ってるってことは、魔力がもうないんだ。魔物を逃がさないよう大きな光魔法の結界を張って…。ギリギリじゃない…っ!


わたしは唇を噛んで、考えた。どうするのが彼の望みかを。

渇く口内で唾を飲み下す。……コワイ、こわい怖い。

判断を下すのがコワイ。あんなにたくさんの魔物と戦うのがこわい。死ぬのが怖い。痛いのは嫌だ。それ以上に━━ケイを喪うことが一番こわくて嫌だ!!


助けに行こうと立ち上がろうとして、震える足に力が入らず、どてっとソファーに戻った。「お嬢」とラッセルとデゼルの不安な声。アルフたちも心配していた。━━ああくそっ、かっこ悪いな、わたし。


手が、体が、震える。

動揺が隠しきれないほどに、滲み出る恐怖を誤魔化せないほどに……なんて情けない。


わたしはもう一度、深呼吸して拳を握った。震える足を殴って、パン、と己の両頬を叩き、すっくと立ち上がった。━━よし、今度は立てた。


地図を持ち、ソファーを回って、かつてない緊急事態に固まっている五人の大人と対峙する。アッシュがすぐ後ろについてきて、お座りした。


アルフやラッセルたちの不安な顔を見て、わたしは少しだけ冷静になった。同時に、領主代理の権限を一時的とはいえ、わたしに与えて巻き込んだケイにムッとした。


ケイの考えはわかってる。わたしに託された代行の権限の意味も知ってる。だから、任されたことはするよ。でも、わたしはわたしの我が儘を押し通すから、協力するのは始めの指示を出す領主代行だけ。


震えは、隠せるほどになった。声を出そうとして、けれど泣きそうな情けない声が出そうで、もう一度、目と口を閉ざし、深呼吸。


「…アルフは至急、国と叔父様に連絡を。人の出入りを封鎖して。それから、国境の砦にいるデイビットにもことの次第を伝えて。決して魔物をこちらからゴルド国に入り込ませないように。必要なら『夜』部隊を派遣して。人選は任せるから」


アルフが目を見開き、「はいっ」と返事をしてくれた。


「ザイーダは『夜』を指揮して領民の避難と保護、結界から抜け出た魔物の討伐をお願い。他に国の騎士団と神殿にも連絡を。人手が必要なら、連携してことに当たって。非常事態の統率や指揮を誰がどうするかは決まってる?」

「すべて『夜』にあります。各小隊に見回りをさせ、そこに必要なら応援をつけましょう」


返ってきた言葉に、わたしの方が驚いた。縄張り争いというか、誰が上に立って指揮をするか揉めていざこざがありそうなのに。その戸惑いに気づいたザイーダが苦笑した。


「ジルベルト様がかねてより交渉しまして、そのように決まっております。半年に一度は、合同演習で黒の森で行動を共にしてますので問題ないかと」


さすが叔父様! もうめっちゃ、かっこよすぎです!! できる領主は違うわー。


「それじゃ、あとは一応念のために隣の領にも連絡を。この領内で片づけるけど、万が一があるから警戒するよう伝えて。領内の人の守護と討伐は『夜』に任せるね」


「はい」とザイーダが頷いた。続いてマースを見た。


「マースは、頼って逃げてきた領民の保護と、負傷者の手当てをお願い。神殿や『夜』の支部でも、なるべく民を受け入れるように伝えて。マース、この邸のことはあなたに任せます。アルフを中心として協力して情報をまとめて。アルフとザイーダ、マースで指揮をとるように」


三人が「はい」と了承したあとで、「ん?」と首を傾げた。

わたしはそれを無視して、デゼルとラッセルに目を向けた。


「デゼルはクーガに応援を頼んで。応援の『影』は、アルフたちに従うよう伝えて。そのあとは、情報伝達の要として、ここに残って三人のサポート。風の対話魔法を使えるのは他にもいるだろうけど、長く連続で使えるのはあなただけだから」

「………お嬢だって使えます」

「うん。でもね、わたしは行くから」


笑って言ったら、その場が静まり返った。

誰も「どこに?」とは聞かなかった。ただラッセルだけが困ったように笑って、皆の言いたいことを代弁した。


「お嬢が若にここの指揮を頼まれたんだぜ? 代行の権限を預かった」

「わかってるよ、ラッセル」


みなまで言わせず、わたしは怒りながら微笑んだ。五人がぎょっとした。

ケイにふつふつと怒りがわいてくる。よくもわたしに面倒な権限を渡してくれたよね! これはもう、女装のお願いをきいて詫びてもらわないと!!


従兄弟とはいえ、わたしは平民。普通なら、領地を管理して魔物の対処にも慣れている家令のデイビットか、その代理のアルフに任せるのが筋でしょ。わたしじゃなくてもザイーダとか、適任者はいる。


「優秀な従兄弟の目論みは知ってるよ。わたしに領主代行の重石おもしをつけて、安全な邸から動けないよう、出さないようにした。わたしが黒の森に間違っても近づかないように。直接ここに留まるよう言っても聞かないから。重石をつけて、わたしを守ろうとしてくれたんだよね」

「お嬢、わかってるなら」

「━━わかってるけど、んなもん知るか。わたしは承服してないし、代理の権限なんて要らない。だから、より相応しいアルフたちに預けるの」


ここで代理でも領主の権限を持ったら、サンルテアの血筋至上主義者共が鬱陶しいことになるよ。そんな面倒は御免被ります!


「そういうわけで、わたしは遊軍としてケイのところに向かうね。『夜』はまだ結界石を埋めてないこの範囲には近づかないように」


地図をザイーダに押し付け、アルフたち三人が困惑しつつも了承する中で、納得していないのが二人。『影』のラッセルとデゼルだ。二人とも普段とは違う気配をまとい、真剣にわたしを威嚇してくる。


「わりぃがお嬢、その頼みはきけねぇ」

「そうですね。お嬢はここで大人しくしていてください」


わたしに甘かった二人の豹変ぶりに、わたしとアッシュ以外が驚いた。わたしは呑気に二人を見やり、アルフとザイーダが当惑しつつも、止めようとしてきた。


わたしを庇おうとしたアルフに、「危ないから、下がって。それより早く自分のすべきことをして」と言うと、アルフとザイーダが「リフィーユ様っ!?」と驚いた。


「二人の主は、叔父様とケイだからね。ケイの意向に沿うのは当然。わたしが我を通して黒の森に行こうとするなら、命令に従って、通せんぼするのは仕方ないよね。本当はすんなり通してほしいけど」


始めからわかっていたよ。どんなに『影』と仲良くなっても、気安い態度でお願いを聞いてくれても、『影』たちはケイの命令を優先するって。

アルフたちが息を飲んで黙った。

ラッセルが苦笑して、デゼルが困った顔になる。


「わかっていて、そこで引かねぇお嬢も大概だよな。なぁお嬢、頼むから若の命令通りにしてくれ」

「若たちのことなら、オレたちに任せて下さい。必ず連れて帰ります」


なんて魅力的なお誘い。危険な目に遭わず、わたしがぬくぬくとここで守られて怠けている間に全部片づいたら、素敵だよね。これが、ケイやお母様といった大好きな人たちじゃなく知らない人だったら、喜んで頷いていたかも。


ヒロインじゃないわたしは、誰も彼も救いたいっていう人間でも、国や人々のために力を使うっていう善人の博愛者でも、わたしがやらなくちゃって自己犠牲になる人でもない。

けど、そういう人を否定しない。そうしたいときに、やりたい人がやればいいよ。


立場が王族とか上位の貴族とか、国民や税金に生かされた存在だったり、もしくは記憶が戻らずにこの国の民っていう認識があったら、また考え方も違ったのかもしれないけど。


今のわたしは安穏とした自堕落な生活のために、せっせとチート能力鍛えて、シナリオを全力で拒否って逃げる気満々なので!


そのために怠けるのも程々に、こつこつと小細工して、あるかわからないシナリオ回避を頑張ってきたから。

自分勝手なエゴイスト? 罪悪感? そんなマズそうなもの遠慮します。


━━…あー、コレ悪役っぽいわー。はは、仕方ないね。始めに配役ミスを訴えていたのに、チェンジなかったし。変更を受け付けていたけど、今は無理。


だって、お母様や従兄弟や叔父様にメイリン、クーガや『影』たち、サリーやカルドといった友達も……もう大好きだからね。今の自分の居場所が大切だし、今さら変更なんてやだよ。


元々、ヒロインじゃなくわたしとして、シナリオ回避のために動いてきた。わたしはわたしのまま頑張るって、とうの昔に決めてある。


……さっきは助けに行くの、ちょっとビビったけどね。

準備万端でも、未来はどうなるかわからないから、こわいものはこわい!! ━━負ける気は更々ないけど!


「ごめんね、二人とも。その頼みは聞けないかな。だってわたしが行く方が、戦力になるよ」


わたしは部屋に周囲に漏れないよう結界を張って、瞬時に練り上げた魔力を解き放った。

濃厚で圧倒的な魔力の圧迫感に、部屋にいる全員が驚いて、動けなくなった。

アルフやザイーダが苦しそうな顔をし、ハイドたちのいる後ろのソファーからは体がずり落ちる音、足下には重圧に耐えるように伏せるやや険しい顔のアッシュ。わたしは魔力を放つのをやめて、結界も消した。重圧感が消えて、空気がふっと軽くなる。


わたしの膨大な魔力量を知っているのは、ケイとアッシュ、副正神殿長のルワンダさんだけ。今はより扱いに長けて、六歳のときより増えてる。そして、全精霊王を召喚したことを知っているのは、ケイとアッシュのみ。


ラッセルとデゼルが驚愕して固まっていた。信じられないといった表情。まぁ二人なら、さっきのでわたしがケイ以上の魔力を持っていることに気づいても不思議じゃないか。

わたしは二人に、優雅に微笑んでみせた。コレで強引に押し通せ!


「文句なく戦力になるでしょ?」

「……でもお嬢」

「それでもやっぱり…」


流されずに言い淀む二人に、わたしは駄々をこねる子供のごとく、力づくで丸め込むことにした。

時間が惜しいの。助けに行きたいの!


「あーもー、うるさい。領主代行のわたしがそう決めたの。だから、二人は従う! 命令違反でケイに怒られるなら、そう言えばいいよ」

「や、それって屁理屈」

「屁理屈も立派な理屈! それに、わたしは怒ってるんだからね! ケイに文句言って、怒らなくちゃ気がすまない!!」


すると、何故か全員がぽっかーんと、呆けた。

え、ナニ? わたしおかしなこと言ってないよ? 正直な気持ちをお知らせしただけ。

大丈夫、ガチの喧嘩はしません!


「……お嬢が、若を怒るのか…?」

「そうだよ。ものすっごく怒ってるからね! 魔物退治しながらお説教です! というか、こんなやり取りの時間も惜しいから早く納得して。じゃなきゃ、転移魔法で一人で行くか、二人を倒していくよ」


ラッセルとデゼルが息を飲んだ。わたしを見つめて、苦しげな顔をする。行かせたくない、けど止められないって表情。

その顔をしている時点で、結論が出ているよね。

底知れぬわたしの魔力量と、『影』幹部並みの━━ケイと渡り合える武術の腕前を加えて考えて。二人でわたしを無傷で抑え込むのは難しいと、冷静に理解している。


「本当に行くんですか?」

「わりぃことは言わねぇから、やめとけってお嬢」

「くどいよ、二人とも」

「でもお嬢、心配なんです」

「デゼルの言う通りだぜ。さっきだって、震えてビビってただろ?」

「う、うるせーですわよ。大事な人の未来がかかっていて、ビビるなって方が無理に決まってんでしょ!?」


図星さされて逆ギレとかカッコ悪いけど、今のわたしに余裕なんてないの! 動揺して言葉遣いもおかしくなりましたけど、気にしてらんねぇっすわ!


二人と睨み合って、呼吸も落ち着いて、周りを見る余裕ができたわたしは、ようやく気づいた。

わたしより多く、修羅場も死線も潜り抜けてきた大人たちが、不安がっていることに。隠しているけど、目線に、下がった眉に、強ばった頬に、震えを隠す体に、緊張と不安が滲み出ていた。


━━そりゃそうか。誰だって不安で、怖いものはこわい。

どんな経験を積んでこようと、何度体験しようとも、簡単に慣れるものでも、消えるものでもないのだから。


ケイがいなくなるかもしれない。

そのことに、わたしよりも付き合いの長い彼らが、ずっと近くで彼の努力を見てきた人たちが、心を痛めないはずがなかった。


「……もしかして、だから…?」


だから、ケイはわたしをここに残そうとした?

わたしを守る以外にも、わたしまでいなくなって生じる、彼らの心の負担や不安を減らそうとした?

直系のわたしが指揮をとることで、『影』や『夜』たち、邸の人たちや、もしかしたら領民まで━━次がいるから大丈夫と、精神的支柱にして安心させようとしたの?


━━ナニそれ…。本っ当に、フザケンナ。


考えすぎ? いやいや、あの従兄弟ならそのくらい考えても不思議じゃない! 本っ当、自分が危機的状況でも、どれだけ周りや領民のことを考えてるの?


……わたしなんて、とことん自分の未来のことばかりなのに…。かっこよすぎ。でもそれなら、やっぱり怒らなくちゃ。その考えは間違っているから。わたしにそんな大役が勤まるわけないって、教えないと。


「お嬢?」と怪訝な顔をした面々に、わたしは一度頭を振って、小さく吐息した。ますます思いは強くなる。こんなところで、大事な未来の領主様をなくしちゃいけない。

わたしは真摯に大人たちと向かい合った。


「━━安心して。絶対にケイを連れて戻るから」


この異常事態に、誰もが安心を欲しがっている。拠り所となるものを求めている。それは本来なら、ケイがいることで解消されるはずだった。

彼が堂々と指揮を執って、「大丈夫」と笑んで一声かければ済むことだった。━━この領地のために、何もしてないわたしじゃ支えられず、代われないことなのに。


だから余計に、さっきまでの怒りとは別に、腹が立った。

安心させて拠り所となる存在なんて、そんな大層な役割をわたしに任せないでよ。

今まで領地のために心を砕いてきたのは、わたしじゃない。周りが、皆が、認めて頼りにしているのは、ケイなんだから。


わたしが言葉を尽くしても、これまでこの土地を守り抜いてきたケイや叔父様の「大丈夫」の一言には、敵わない。

民が安心できるのは、言葉を待っているのは、ぽっと出のわたしじゃなくて、自分たちを庇護してくれた人たちの言葉なんだから。


わたしは心を落ち着け、深呼吸。

アルフやザイーダ、マースやこの土地、領民たちのために、わたしができるのは、ケイを無事に連れ帰ること。

わたしの言葉に、反対するのはもう誰もいなかった。

ただ、アルフが「せめてジルベルト様と連絡がつくまで、こちらに留まってはいかがでしょう?」と提案してきた。


「それは無理。きっと叔父様はすぐ、ここに駆けつけられないでしょ。城で王様や貴族たちとどう対応するか話し合いが始まって、長くなると思うよ。そんなに待ってられない。そのためにデゼルを残していくの。叔父様と連絡が取れたら、すぐにわたしに知らせて」


他に反論がないのを見て、わたしは告げた。

各自すぐに動くように。黒の森に向かうラッセルとわたしは、必要な物を準備して整え、十分後にこの部屋に集合。


各々が散会して、慌ただしく動き始める。既に伝言の風を送ったデゼルだけが、キャロル、ロンド、ハイド、ヴァンフォーレを見張るように部屋に残った。

そこでわたしもやっと、四人に目を向けた。言うべきことは一つだけ。


「この邸の外に出ず、大人しくしておくように」


従わないのなら、あとは知らん。

わたしは素っ気なく顔を見ずに言い、部屋をあとにした。

生憎と、あの人たちを気遣ってあげられるほど、優しくない。冷たいと言われようが、これ以上、余計な面倒をかけられるのは御免だし、勝手をされて死なれるのも迷惑だ。


自室に戻ったわたしは、結界玉、予備の薬、魔法銃、弾丸、清潔な布や毛布など、その他必要な物を、異次元入れ物のポシェットに詰め込んだ。

支度をしながら部屋についてきたアッシュを見て、口を開く。


「アッシュはここか異界に」

「オレ様も行く。ケイにお前のお守りを頼まれた。それに契約してねーが、あいつは好きな人間だし、友達だ。心配するな、危なくなったら逃げる」

「……うん。アッシュは地の精霊王から預かっている大事な子だけど、わたしに行動を決める権利はないから自由にしていいよ。━━ありがとう、アッシュ」


部屋を出るときに横切った鏡台が目に入る。琥珀核でできた薔薇の髪飾りが見えた。

廊下に出て、他に持っていく物を思い出したわたしは、ポシェットを持ってアッシュとケイの部屋に向かった。



・*・*・*



十分後。

あちこち回って必要な物を詰め込んで、わたしは玄関ホール脇の部屋に戻った。

そこには、さっきの話し合いに参加した全員がいて、キャロルがハイドの頭を押さえつけて、土下座していた。その後ろにはこれまた土下座するロンドとヴァンフォーレ。━━面倒だから、無視していいかな?


わたしは見なかったことにして、「準備はいい?」とラッセルに聞いた。アルフから、指示通り全てに連絡したこと、今のところ領内に被害がないこと、ザイーダも命令に従い、既に小隊からなる班を編成して領内に振り分けていること。マースは使用人たちをまとめて、備蓄の確認や治療場所、薬や布を揃えて動いていると報告を受けた。


マースには、必要なものを取りに行ったケイの部屋で既に会っていた。その際に、報告を受けつつ食料や水や日用品を大量にもらい、わたしはポシェットに収納した。


アルフに「あとはお願いね。何かあったらすぐに連絡して」と言葉をかけ、さて行くかと、アッシュと移動魔法を発動しようとしたら。


「リフィーユ様、どうかお待ち下さい」とロンドが声をかけてきた。……スルーしたかったよ。ていうか、一刻を争うこの状況で、声をかけるとかやめてほしい。わたしはイラッとしつつも、「手短に」と目を向けた。


正直、無視したかった。

どうしようもないほど腹が立って━━…違う。はっきり言うと、憎んでる。恨んでる。ほの暗い殺意もあった。

きっと激情のまま酷いことを平気で口にして、傷つける誹謗中傷、暴言の類いしか出てこないから、存在を無視していた。


「あなたたちは悪くない。悪いのは魔物。それに間が悪かっただけ」とか、「あなたたちだけでも無事でよかった」とか、「あなた方を赦します」なんて優しい台詞、口が裂けても言えない。


どろどろと醜く、自分でも整理がついていない心。

それに蓋をして、今は見ないようにした。そんなものに捕らわれている場合じゃないから。今はそれよりするべきことがあるから。

一度噴出してしまえば、止めることが難しい怨嗟が溢れてくるから、目を背けていたのに。


「ムーンローザ様、この度は愚弟並びにその従者が大変な」

「━━謝らないで」


謝罪なんて聞きたくなくて、冷たく遮った。

自分でも、本当にわたしか? と疑いたくなるほど、背筋が凍りつき、ゾッとする声だった。


「謝られたら、ただでさえ抑えつけている罵詈雑言が出てくるから……本当に、半殺しにしたくなるからやめて」


抑えきれず殺気の籠った目を向けると、全員が金縛りに遭ったように動かず、顔面蒼白で呼吸もままならないようだった。

わたしはどうにか目を逸らした。手が出そうになり、拳を作って堪えた。奥歯を噛み締める。


「……あなた方に、罪悪感を軽くしたくて謝られても、わたしは人間できていないので、許すことなんてできない。きっと恨んで憎んで……殺したくなるかもしれない」


その場の全員が、意外なことを聞いたようにヒュッと息を飲んだ。でも、嘘でも赦すなんて、わたしには言えそうにもない。今だって、詰りたいのを、恨みをぶつけたいのを、我慢してる。


どうして視察についていったの。何で朝の内に戻ってこなかったの。二人がいなければ、ケイやドルマンたちが余計な魔力や体力を消費することもなかった。庇って怪我をすることもなかった。マシューだって、この二人を守って傷つくことも、ケイの側を離れることもなかった。


戦えないのなら、足手まといにしかならないのなら、せめて邪魔しないで邸にいればよかったのに。本当にナニしにきたの。ニクい。赦さない。赦せない。謝罪するくらいなら、来ないでほしかった。疫病神。キライ。大嫌い。━━ここにいるのが、何でこの二人で、ケイたちじゃないの。ケイの方がよかった…!!


……ダメだ。言っちゃいけない。こんな言葉…。酷く醜い…でも、紛れもなくわたしの本心…。

この人たちにどんな事情があろうと、そんなのわたしには関係ない。ギルドとして受けた依頼なら、ドルマンたちみたいに義務を果たせ。できないのなら、受けるな。強引に来て、無理矢理ついていったくせに。悪いと思うなら、皆を助けろ。


「……どんなに恨まれようとも、罵られようとも、それでも今の私たちにできるのは誠心誠意、謝罪してお詫びすることだけです」


キャロルが深く頭を下げた。

わかってるよ…。

わたしにキャロルたちの事情が関係ないのと同じように、わたしたちの事情なんてキャロルたちには関係ない。ケイたちが無事に戻ってきた方がわたしは嬉しいけど、キャロルたちにとっては、その二人が戻ってきた方が喜ばしいこと。


「これだけは言っておくよ。━━もし、ケイたちが無事じゃなかったら、わたしは一生、あなた方を赦さない…! 特にヴァンフォーレ、大人のあなたが従者の義務を怠った責任は重い」


ハイドが驚き、ヴァンフォーレが深く頭を下げた。


「主人の我が儘をきくのと、命令に従うのは全くの別物。唯々諾々と従うのなら、子供でもできるよ。真に忠誠を誓っているならば、諌めて邸に連れ帰るべきだった。そもそもここに来る前に、安全な場所で保護しておくべきだった。そうすれば無様に遁走することもなかった。ギルドに迷惑がかかることもなかった」


沈黙するキャロルたちを無視して、わたしは移動しようとした。これ以上話せば、口汚い言葉を羅列しそう。


「……何で、何でヴァンフォーレやギルドが関係してくる? 悪いのはオレだろ?」


ハイドとは話す気になれなかった。いないものとして扱い、アッシュにケイのところまで移動魔法のサポートをお願いした。移動魔法はまだ少し苦手だ。特に初めての土地は、難しいから余計に。

ラッセルが側に来て、わたしは魔法を使うのに、乱れた心を落ち着けようと深呼吸。そこに、ハイドの呟きが聞こえた。


「………仕方なかったんだ…。オレは死ぬわけにはいかなくて……だから━━っうっ!?」


ハイドがわたしが叩いた右頬を押さえながら、唖然とした。

ダメだと思うのに、我慢できなかった。ぎゅっとスカートのポケット辺りを、きつく握りしめた。


「━━ケイなら、ドルマンたちなら死んでいいとでも言うつもり?」

「なっ、違っ! そんなこと」

「言ったも同然でしょ。自惚れないで。あなた一人、世界から消えたって世界は続いていく」


言っちゃいけない、最低な言葉だって自覚はあった。それにその言葉はわたしにだって、それこそケイにだって当てはまる。

こんな子供にナニを言ってんだろ…。子供を苛める趣味はないし、関わりたくもなかったけど、我慢できなかった。

こんなのがケイと同じ王候貴族。……フザケンナ。


「本当にっ、オレは死ぬわけにはいかない立場で…っ」

「死んでもいい立場の人間ってナニ? 高位の王候貴族なら、自身を守るために民が死んでも仕方ないと?」

「それは…っ」

「逆でしょう。庇護すべき民を守るのが、権力を持つ者の務めでしょ」

「けれど、皆そうして……」

「一緒にしないで。そんなこともわからない人と、あなたより年下なのに、あなたたちを逃がして今でも民を守ろうと戦っているケイを一緒にしないで」


不快だし、頭が痛い。こんなのを守ってケイたちがいなくなるとか、冗談じゃない! そんなシナリオ、あるなら真っ黒に塗り潰して捨てていいと思います!!


それにしても、一体どういう教育を受けてきたの、コレは。わたしがコレの姉や従者に目を向けると、愕然とした表情で信じられないものを見るように、十歳の驕る少年を見ていた。


キャロルとロンド、ヴァンフォーレが「申し訳ございません」と深く土下座した。

わたしはスカートのポケットに手を入れた。取り出したのは、記憶玉。今までは会話のみだけど、今は土下座する映像が記録されている。ラッセルたちが呆気にとられていたけどスルーした。


「ギルドの一員にも関わらず、依頼を放り出してきたヴァンフォーレ。せめてもの責任として、ギルドマスターのクルド・ダッカに連絡を。自分たちが護衛対象に守られて遁走したから、後始末をつけてほしいと正確に伝えて」

「……既に詳細を伝えましたが、ゴルド国でも非常事態が起こり、各地のギルドマスターが召集されたようで、こちらには」

「こられないと。……役に立たない」


本音がこぼれた。やっぱり名前を借りるよりも、半額券の方が役立つ気がする…。

わたしは記憶玉の記録をとめた。これ以上は時間を無駄にしたくない。この人たちと話したくもない。


アルフとデゼルに「叔父様から連絡きたら、よろしくね」と告げて、わたしはラッセルの手を握った。アッシュと視線を合わせて、移動魔法を発動させた。




・・・***・・・(ケイ)




戦い始めてから、どのくらいの時間が経ったんだろう…。


僕は荒い呼吸を繰り返しながら、ふらつく体をどうにか支えた。立っているのは、僕とセスのみ。

ドルマンたちは少し離れた場所で、渡した結界玉を割って、倒れて休んでいた。その効果ももうすぐ消える。


多少は回復しただろうけど、戦闘は四人とも無理そうだ。僕は、既に痛みも麻痺した腕と足の怪我を見た。適当に止血したけど、じくじくと存在を主張するように傷口が疼く。障気が入り込んだ傷口回り五センチの皮膚が黒ずんでいた。他にも小さな傷が、体のあちこちで痛みを主張している。


それなのに、魔物は一向に減らない。

緩急をつけて襲ってきては、不利になると黒の森に退いていく。

くらりと、目眩がした。どうやら血を流しすぎたみたいだ。


光魔法で傷は治せても、流した血は戻らない。

早めに治療すればよかったんだろうけど、そんな暇も余分な魔力もなかった。どうにか体力と気力で、魔法銃を片手に戦っても、あまりに多勢に無勢で傷は増えるばかり。けれど魔力がなくて、治せない。


セスも右脇腹や左肩、右腕に右の脹ら脛を深く損傷していた。それでも倒れて一歩も動けない傷だらけのドルマンたち四人よりは、まだいい方だった。

結界石を埋められなかった区間に、光魔法で結界を張っているけど、それもそろそろ限界だ。それに、何体かは領内に抜け出た気がした。


セスと、バラバラに倒れていたドルマンたち四人を一ヶ所に集めた。限界だったようで、セスが倒れる。

僕は五人が転がる範囲に結界玉を割って、新たな結界を作った。魔物が近づけないのを確認して、一人で結界の外に出る。


少しでも民の脅威となる魔物の数を減らさないと。

『夜』も苦労するし、応援に来てくれる部隊の命の危険も、できる限り少なくしておきたい。

鈍く痛む頭で考えて、魔法銃を構えて魔物を減らしていく。目が霞んで、弾丸はロクに残っていない。


……あ、限界が近い。結界に戻らないと。

動かそうとして、足がもつれて転倒した。起き上がろうにも酷使した体は、無理と訴えるだけで、動いてくれそうにもない。僕はベルトポーチから結界玉を取り出そうと、手を伸ばした。けれど、間に合わない。


好機と、魔物がわんさか出てきて、僕たちを取り囲んだ。僕に向かって、風の刃が放たれた。

暗い暗い闇の中で、疲れたと目を閉じる。まず思ったのは、これで解放されるということ。家から、義務から、呪縛のように僕を縛っていた『サンルテア家の子息として役割を果たしなさい』と母に言い聞かされ続けた言葉から。


━━……あぁでも、死んだらお父様やクーガも悲しんで、従兄弟がわんわん泣くかな。それに、彼女の楽しい言動が見られなくなる。

それは寂しくてつまらないなと、ぼんやり思った。もう少し頑張って生きてみようって。


風の刃を防ごうとしたけど、やっぱり魔力が足りなくて。僕の顔面めがけて飛んでくる不可視の刃を受け入れるしかなくて、悔しく思いながら、目を閉じると。


ふわりと暖かくて眩しい光に包まれた気がした。疲労が癒されていく感覚。

重い目蓋を開けると、山吹色の翻るスカートが視界に入った。目線を上にあげると、一つに括られた薄翠の艶やかな髪が翻っていた。そこには見慣れた琥珀核の薔薇の髪飾り。

少女が半身だけ振り返る。見慣れた綺麗な顔に、今にも泣きそうな表情を浮かべていた。


「……リフィ…」


名前を呼ぶと少し安堵が滲み、泣きそうな顔で微笑んだ。けれど、それだけじゃなくて……怒ってる…?

目を開けると、囲んでいた魔物たちの姿は消えていて、リフィの側にアッシュとラッセルが駆け寄ってきた。


助かった。そう思った。

ほっと胸を撫で下ろしていると、倒れた僕の横にドレスが汚れるのも構わず膝をついたリフィが、不安げに顔を覗き込んできた。


「ありがとう、助かったよ」


笑顔で言えば、優しい光のようなシャンパンゴールドの瞳に、涙が盛り上がっていった。僕は何故か慌てて、涙を拭おうと手を伸ばして。

土と血にまみれた汚い自分の手を見て、引っ込めようとし━━ガシッと白い手に掴まれた。


「………リフィ…?」


俯いて何も言わない従兄弟に呼び掛けると、顔をあげた彼女は目を吊り上げて怒っていて、僕は目を丸くした。

リフィが深呼吸する。

そして。


「━━ケイのバカっ!!」


僕は初めてバカ呼ばわりされて、大声で怒られた。





シリアス続きます。お疲れ様でした。

テンション低いと進みません…。


三月くらいから、どう進めようかあっぷあっぷして、スランプです……次も更新できるよう頑張ります…


残念ながら、まだ助かった訳ではなく、次は━━脳筋戦闘シーン…に、ならないといいですね。

コメディなしが続きそうです…

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