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19, 7才 ⑥

二万七千字越えました。

長いです、つまらな…テンション低いです。


後で誤字脱字等は気づいたら直していきます。




………眠い。

この頃、寝不足気味のわたしは、着ているオリーブ色のワンピースの裾を少し捲り、泉に膝下を浸しながら、草むらの上に仰向けになっていた。

足先を動かすと、ちゃぷ、と水音がする。


九月の半ばで残暑は和らいでいるものの、まだ午前十時過ぎ。少し動けば汗ばむくらいには蒸し暑い。

『夜』とは別に、ケイと『影』と一緒に早朝訓練をして、汗を流してご飯を食べて、本を読んで魔法の勉強して……色々あってちょっと息が詰まったので部屋を抜け出して、だらだらとしていた。こういう時間……プライスレス!


気候もちょうどいい。秋晴れで青空に白い雲がふわふわ浮かんでいるのを、日差しを遮る木陰で、木漏れ日を受けながら、ぼんやり見ていた。ぽかぽかの大地に、心地よい風が吹き抜け、ほうっと息を吐く。


このサンルテアの領地は、初代サンルテアが風と土の精霊王と契約をしていたからか、風と土の精霊たちが他の土地よりも集まりやすく、意識して見ればあちこちに下級精霊がいる。


ケイに聞いたら、黒の森近くは別として、領地に風と土の精霊王の恩恵があって、風と土の精霊たちにとって快適に過ごしやすい土地柄とのこと。なるほど、だから平常よりも精霊たちが浮かれて漂ってるんだ。


今日は裁定三日目で、ケイたちは、今日の午後に辿るルートや武器、陣形、埋める結界石を確認していた。わたしは話を聞くのもダメと参加させてもらえなかった━━のではなく。朝食後、打ち合わせまで部屋でゴルド国の魔法の本を読んでいたら、メイドたちが押し寄せてきて、お母様の昔のドレスを仕立て直すのに、採寸だ、明日着る服はどれだ、これも着てほしい、と着せ替え人形になり、疲れたから休憩とトンズラしてきた。お陰で、打ち合わせに参加できなかったし、見つかったら連れ戻されそうだから、ここに隠れる羽目になったよ。


客も入れない、邸奥の小さな花壇と泉のある木陰で姿を隠しながら、贅沢な一時を過ごしていた。

メイド長マースには、泉に足を浸しながら寝転がっているところを見つかって「あらあら」と笑われたけど、「内緒にして」とお願いしたら、明日はマースの選んだ服を着ることを条件に、契約が成立した。


わたしは寝転んだだまま、顔を僅かにけ反らせ、目だけを邸に向けた。その状態で、バルコニーに繋がるガラス格子の扉が少し開いている三階の角部屋を見た。あそこで今も、ケイたちは打ち合わせ中だ。


わたしは風の下級精霊の感覚を共有して、話を聞き、結界石を埋めたバツ印がついた地図を見て、進捗具合を確認した。

裁定二日目は、国境に近い北に二ヶ所、南に二ヶ所と両端から結界を強化し、昨日の時点で十一ヶ所に結界石が埋められていた。残りは十ヶ所。

今日も四ヶ所を回る予定で、時間に余裕があるからか、午後三時に出発するらしい。


初日に怪我をして帰って来た時は本当に驚いたけど、昨日は無事に早めに帰宅したので安心した。ただ、こうしている間も結界が弱い部分から魔物が抜け出して、町で暴れているので『夜』が連携して倒している。

ケイはそれを憂いて、なるべく早い日程で終わらせようと考えているみたい。立派に育ってくれて嬉しい限り。


そしてさすがは天使な従兄弟どの。

視察の内のどれか一日は野営の訓練もかねて、黒の森近くで一泊する必要があるけど、視察を早めに終わらせて、余った時間で近くの町や領都を案内すると約束してくれた。

わたしにまで気遣いができる、なんっていい子!!


その代わり、大人しく邸から出ないことを約束させられたけど。ケイが視察でいない間は、アッシュに抜け出さないよう監視されているけど。

……わたしの扱いが囚人っぽいのは気のせいだよ、ね…?


ケイの協力もあってアッシュとは無事に仲直り。一時間は思う存分に触っていいけど、それ以外は少し距離を取ることになった。物凄く残念。でも、一時間は思う存分もふってます。

この邸に滞在すればいいのに、毎回アッシュはケイが戻るとすかさず異界に引っ込むんだよね。ちぇっ。


「何かあったら喚べ」と言われたから、「もふもふ」と言いかけたら、「却下」と冷たく断られた。家ではわたしのベッド横や、隣で添い寝してくれるのに…。

もふり足りず、チョコとグラウンを喚んでとお願いしたら、ハンと鼻を鳴らしてそっぽ向かれた。問答無用でもふふわな毛並みを撫でくりまわしました。堪能して、余は満足じゃ~。


さっと風が吹き抜けて、梢を揺らした。

心地いい空間に、目を閉じて、うとうと微睡む。

ここに来てからというもの、常に誰かの視線を感じて心も体も休まらない。興味津々にサンルテアの使用人たちが見つめてくる。


初日もだけど、昨日は昨日で、また使用人たちに囲まれた。昔のお母様の話をしてきたり、今のわたしたち母子の生活を聞きたがったり、お祖父様や代々サンルテアの直系が治めてきたこの土地について語られたり、中には叔父様とケイをサンルテアに相応しくないと堂々と言ってきた人もいた。


本来ならわたしの鉄拳が唸っていたけど、我慢して困った笑みを浮かべながら「そうなんですか?」と、事情を知らない女の子を演じた。

内心で特大のため息を吐いて、ちょこちょこわいて出る直系主義の信者どもに「お前らもかよ」と盛大に怒りながら。ケイと叔父様を非難した使用人たちの名前を紙に書き留め、お母様の懸念事項が正しかったことを、この三日間で嫌というほど感じた。


お母様の手紙にあった懸念事項、もといお願いは、昔からサンルテアに仕える直系至上主義者たちが、わたしにすり寄って色々と言ってくるだろうけど、あまり相手にしないこと。


そして、ケイと叔父様のことを悪く言う人がいたら、叱るのではなく母に教えてほしいとのこと。一人で動かず、この邸で信頼できる人に頼ること。信頼できる人には、マースやまだ会っていない家令のデイビット、他に数人の名前が記されていた。

その中で、わたしはマースを巻き込んで頼った。わたしが従兄弟の安全確保に集中したくて、使用人たちに目を光らせる人がほしかったから。


まぁ、今のところ大丈夫そうかな。初日からわたしに積極的に接触してきた人たちのことは、既にマースに伝えてあった。

その人たちを、滞在中のケイの部屋や食事、行動範囲に近寄れないような配置にしたり、遠くの町にお使いを頼んだり、邸外の別の仕事に行かせたり。対応はバッチリ!


残っている人たちにも、今は動かないよう、わたしからお願いしておいた。後でわたしからそれとなく母や祖父にこの件を話してみるので、どのくらいわたしを領主にと考えている人がいるのか知りたい、とリストを頼んで。

マースの話では、わたしを支持する使用人確保に忙しいから、ケイに意識を向ける人は今のところいないらしい。……とりあえず、よかった。ぶん殴りたいけど、よかった。


お母様を慕ってくれるのは嬉しいけど、やり方が違うよね。なぜ子供のわたしに話を持ちかけて、担ぎ出そうとするのか…。これまでこの土地を守ってきたのは、叔父様とケイなのに。


わたしの側で撫でられながら使用人の話を聞いていたアッシュは、人間て面倒くさいという顔をして、会話を無視していた。ちなみにこの件は、ケイに話してない。『影』ながら護衛するラッセルやアッシュにも黙ってもらっている。


お母様には、もしかしたらケイの視察を妨害して、嫌がらせや傷つけようと考える者がいるかもしれないから、わたしも充分に気をつけて、と言われた。それから、ケイには視察に集中してもらって、煩わせないようにしてほしいとも。

同意見です、お母様。こんなことで天使な従兄弟を煩わせたりしません!


他に、本当はあまり関わらないでほしい、危険な目に遇ってほしくない……とお母様の葛藤が書かれていた。

任務了解です! わたしもそんな人たちより従兄弟の身の安全が最優先なので、適当に操ってコロコロ転がしておきます。……いや、悪女っぽくないよ? 邪魔にならないようにしてるだけ!


ケイと叔父様を侮辱し、否定する奴がいると知っただけでも腹立つけど、わたしがここに来たことで彼らを刺激した可能性があるから、自分にもムカついた。

ケイを心配してついてきたけど、わたしの浅慮な行動で従兄弟を傷つける結果になったら目も当てられない。


それに、ケイの視察に同行して、わたしも慣習をこなしたと見なされ、次期領主(候補)と勘違いされたら困る。

ましてや、わたしがケイの妨害をすると思われたり、それなら自分たちもちょっかい出そうと考えられたり、本当はわたしが魔物を討伐したんじゃないかと噂されたりしたら嫌だ。ケイの手柄を横取りするつもりはないよ!


そんな風に勘違いされるのも、その状況を作るのも嫌だから、こっそりとついていくことも出来ない。

ケイがいないと余計に、観察、値踏みする視線があって疲れとストレスが溜まり、従兄弟を見守れないことにわたしは苛立ちを感じていた。


まぁ、いざとなったら助けに行くけど。

必要なら、闇魔法で邸の人たちの記憶を改竄して行くことも厭わない。今後使う機会があるときのために、その練習もしていたから準備万端、いつでもバッチコイ。


具体的には、下町の先生のところに来る患者に、痛み忘れの魔法をかけたり、数日後に怪我したことを思い出す設定にしたり。もちろん、本人たち━━ラカンさんの子分の許可は取ってあるよ。今のところはうまくいってる。まだ記憶改竄の魔法は使ったことないけど。


どれだけ熱心に支持してくれても、わたしは領主なんて面倒なものになる気はないよ。ケイの視察を妨害する気もないし、勘違いした直系信者が従兄弟の邪魔したら、怒る。

……はぁ。まさか、ケイの視察に同行できない理由を自分で作るとは。

わたしは目を閉じたまま、息を吐いた。


そんな中での朗報は、ヘルトンさんたちの村を襲った盗賊が盗まれた家財ごと捕まったことかな。お金は少し使われていたけど、補償できるように動いていた。


ザイーダとアルフとホテルで会ったときのケイは、固い態度だったけど、この三日間は打ち解けているようだったから、この二人はケイの敵にはならないかな。

そんなことを考えながら、わたしは心地よい空気の中で眠りについた。



・*・*・*



ふと、意識が浮かんだ。

何となく少し騒がしい。人ではなく空間、周りの精霊たちが。そんな感覚に、ぼんやり目を開けた。

うとうとしながら見上げた木洩れ日の先。木の葉の間で何かと目が合った気がした。


半覚醒状態でも、はっきり視線を感じて目を開けると━━バッシャァァン!!

盛大な水音がしたと同時に、泉の水がわたしにかかった。


冷たっ。慌てて上半身を起こすと、泉の中からぬっと人影が出てきた。寝ぼけまなこで人を見る前に、寝起きの鈍い頭でパニックになり、わたしは恐怖に大きく口を開けて、叫んだ。


「ふぎゃあ━━━━━っ!?」


人影が慌てたように両手を伸ばしてきて、右手首を掴まれて口を塞がれた。その勢いでのしかかられ、また仰向けになる。そこでようやく人影の正体に気づき、わたしは目を丸くした。




・・・ *** ・・・ (ドルマン)




今日の予定について、問題なく確認と打ち合わせが終了して、オレはほっと息を吐いた。バルコニーへ続く開いている扉から穏やかな風が入ってくる。

打ち合わせには昨日戻った『夜』隊長のザイーダも加わっていたが、代わりに昨日も参加していたお嬢ちゃんの姿がなかった。


打ち合わせの途中、メイドたちが「お茶のおかわりをお持ちしました」と入室して、さっと室内の隅々に何かを探すような視線を走らせたのが、気になったと言えば気になったが。

すっかり冷めたカップの中を見て、昨日お嬢ちゃんにもらったキョーレツなお茶じゃないことに安心した。


あの健康にいいと渡されたお茶は、不味さと苦さとよくからない刺激と鼻がもげそうな異臭と……とにかく、ひたすらキョーレツなお茶の印象に、昨日の記憶が半分埋め尽くされたと言っても過言じゃねぇ…。


坊っちゃんのいる手前、捨てられねぇし、「帰ったら水筒回収するね」と笑顔で圧力をかけられたから残せねぇしで、部下たちと水筒の押し付けあいをして、結局、「オエッ、まずっ!」と各自で飲み干した。何の苦行だ!?


失神しかけたが、ここで坊っちゃんに迷惑をかけたら、お嬢ちゃんが荒れると思い至り、耐えた。

あのお嬢ちゃんは怒らせちゃいけねぇ。そう気を引き締めたのはいい思い出だ。

昨日と全く別物なお茶を飲んで、ふっと息を吐く。


その時、邸の気配が慌ただしくなった気がした。

坊っちゃんが邸にいる間は、お嬢ちゃんの護衛免除の『影』マシューが音もなく部屋から出て行く。……何だ? 何かあったのか?


様子を窺うが、『影』三人や坊っちゃんからは何も情報を読み取れない。部下たちも首を傾げているシダ以外、何も感じ取ってなさそうだ。ザイーダとアルフに目を向けようとして━━。


「ふぎゃあ━━━━━っ!?」


間抜けな叫び声がした。……って、お嬢ちゃんの声!?

気づいたときには、坊っちゃんがバルコニーから跳び出していた。続く、ラッセルとセス。

オレらもバルコニーに出て、手摺から声のした方を見た。


木々や低木の茂みに囲まれた、さほど大きくない泉が見えた。そのほとりに二つの人影がある。

一人は、オリーブ色のドレスを着たお嬢ちゃん。手首を掴まれ、口を塞がれて襲撃されているように見える。そしてのしかかっているのが━━……。顔面から血の気が引いた。

現場を見た部下たちも、息を飲んで硬直している。……これ、オレ死んだか…?


「………何でここにいるんだ、バカハイド…」


シダの言葉が、オレらの気持ちを代弁していた。

見間違いであってほしいが、あの銀髪や服装に見覚えがある。━━あのバカ!! ナンテコトしてくれてんだよ!? お目付け役のヴァンフォーレ、出てこいや!!


そうして辺りに目を向けると、灰色の外壁の上に、ガタイのいいヴァンフォーレと肩口で切り揃えた銀髪に水色の目をした少女、その少女の従者である金髪の少年を見つけた。

三人ともハイドの方を見て、目を剥いていた。

すぐにヴァンフォーレが塀から動き出す。


両者をおさめたその視界の端。坊っちゃんが風の刃を、割と本気で放っていた。━━って、ちょっ、それマジで危ないやつ!! 坊っちゃん本気で殺りにきてるよな!?


ゾッとする冷たい雰囲気を纏っている坊っちゃんを見て、オレは慌てた。手摺から跳び下りる。部下たちも続いた。

ついでにデゼルも追ってきた。━━こいつだけ残っていたのはオレらを監視して、もしものときは捕まえるためか!!

もうホント、嫌になるくらい優秀な!


「避けろ、ハイド!!」


オレの声に、ハイドが反応した。

ギルドに入ったばかりとはいえ、前からそれなりに武術の訓練を受けている。自分に向かってくる攻撃に気づき、お嬢ちゃんから離れて━━泉の水に足をとられて、派手に後ろにすっ転んだ。


バシァンッ!!


水飛沫みずしぶきが上がり、光を弾きなが水滴がお嬢ちゃんに降り注ぐ。同時に、仰向けになったお嬢ちゃんの上を、坊っちゃんの放った風の刃が水滴を切り裂いて通りすぎ、近くの太い木の幹を深く抉った。………こえぇー!! あれ、当たってたら確実に腕の一本は持ってかれたぜ!? つか、お嬢ちゃんまで怪我したら洒落にならんだろ!? それとも当てない自信が……ありそうだな! くそっ。


坊っちゃんは既に、お嬢ちゃんのところ。倒れた従兄弟の手を掴んで引っぱり起こし、背後に庇って、畔に手をかけたハイドと対峙した。

ラッセルとセスが待ち構えていたが、ヴァンフォーレが来たのでその場を離れて、坊っちゃんとお嬢ちゃんの側に控えた。


「リフィ、大丈夫?」と問いかける坊っちゃんに、お嬢ちゃんが頷いた。ちょうどその頃、オレらもキャロルとロンドも現場に着いた。

ヴァンフォーレに手を引かれ、濡れ鼠のハイドが陸に上がったところをオレら全員が取り囲む。


「何でここにいるんだ、ハイド!!」

「自分が何をしたのかわかっていますか」

「バカだとは思っていたけど、また勝手なことをして! あなたの行動一つで周りにどれだけ迷惑がかかったと思ってるの!! 挙げ句に、女の子を押し倒すなんて……最っ低ね!」


オレが怒り、ロンドが冷ややかな視線を浴びせ、キャロルが叱った。責められた本人はどこ吹く風で「冷たい」と、自分の姿を見ていたが。それがオレらの怒りを煽った。

━━……ダメだ、コイツ。話が通じねぇ。

オレはヴァンフォーレ、キャロル、ロンドを順に見て、説明を求めた。決して、坊っちゃんたちの凶悪な眼差しに屈したからじゃない。


話を聞くと、オレらの任務を面白そう━━よりにもよってあの任務をそう勘違いしてくれたバカは、ロンドから通信魔法道具を借りて、ギルド長のクルドに直談判したらしい。

あのとき使ってたのはそういう理由か。やっぱりロクでもなかった。


それでクルドが上下関係は大事だから、オレの命令に従って一度は本部に戻れと言ったらしい。ただその命令を果たしたあとは、休暇でどこに行こうが自由だとそそのかした。

━━あの野郎…。余計な悪知恵を吹き込みやがって!


それで本部に戻ったバカハイドは、従者を伴ってこの国にとって返してきたらしい。

本部に戻るのを渋っていた弟が上機嫌で大人しく、移動魔方陣まで使って最速で戻ることを怪しく感じたキャロルとロンドは、行動を見張って後をつけ、ここまでついてきた、と。

━━何でこう余計な面倒ごとが増えてるんだ!? クルドが関わると、オレの苦労が増えてねぇか!?


「で、ここに来てお前は何がしたかったんだ?」


オレは、顔や首筋に張りついた髪をよけているお嬢ちゃんと坊っちゃんを横目に見ながら、問う。返答がないので、視線を正面に向けると、「それは…」とハイドが言い淀み、リボンで高く結い上げた髪を手櫛でくお嬢ちゃんを、水色の目でちらりと見た。

坊っちゃんたちが視線に反応して、冷たい一瞥をくれた。背筋が凍りつく。


すぐに外れた視線に、オレは盛大にため息を吐いた。

……胃が痛い。がしがしと頭をかいて、出るのは大きなため息だ。今回のは部下たちとキャロルたちともハモって、より大きなものとなった。

……あー、つまり、何だ…。このバカは、よりにもよってお嬢ちゃんが気になっている、と…。━━死ぬ気か! 自殺志願か!? 悪いことは言わねぇからやめとけ!


「お嬢、何もなかったですか?」


デゼルの気遣う問いかけに、お嬢ちゃんは目を瞬かせて首肯した。濡れて乱れた髪を直そうと、青緑の細く繊細な刺繍が入ったリボンを外す姿を、皆が注視していた。薄翠の髪が真っ直ぐ流れる。


「大丈夫。少し濡れただけ。ここで寝てたら、精れ……辺りが騒がしい気がして目が覚めたの。そこの木の上から視線を感じて起きようとしたら、泉に落ちた彼がぬっと出て来て、寝ぼけてたからパニックになって大声をあげちゃった。ごめん、打ち合わせの邪魔したよね」

「……お嬢ちゃん、気にするのはそこじゃねぇと思う」


何とも言えない表情で黙る坊っちゃんたちに、オレはつい口を挟んだ。そして、ハイドに厳しい目を向けた。

大方、騒がしかった気配は、こいつらが邸に入り込んだからで、お嬢ちゃんが視線を感じて起きたってことは、このバカは木上から眠る少女を盗み見ていたってことになる………頭が痛い!


周囲のハイドを見る目が、変質者を見る白い目に変わった。

ハイドの気持ちはわかる。確かにお嬢ちゃんは目の保養だ。すげー別嬪で、つい目がいって鑑賞しちまうのも頷ける。けど、見られてた本人からすれば、気持ち悪いとなってもおかしくねーぞ?


鈍そうなお嬢ちゃんは、水を吸って斑の濃淡にわかれた自分の服を見下ろして、困った顔をしているが。……このお嬢ちゃん、危機管理、大丈夫か…? いや、あの殺気からしてタダ者じゃなさそうだが。


「ここにいる大まかな事情と経緯はわかったが、不法侵入してお嬢ちゃんを押し倒した理由にはなってねーぞ」

「なっ!? それは…っ! 大声を出されたから、それでっ」

「遭遇して、大声出されない侵入者なんていねーよ」

「そうだけど! 侵入される警備体制にも問題があるだろっ」


……コイツ、マジで命知らずのバカだな。

堂々と不法侵入しといて、当主代理の坊っちゃんの前でよく言えたな?

ほら、無表情の『影』の連中が、厳しく冷たい空気まとってるだろ!? シダたちや、キャロルとロンドなんて青ざめて固まってっから!! ヴァンフォーレもハイドのバカさ加減に落ち込んでる場合じゃねぇ!


お嬢ちゃんは「押し倒された…?」と不思議そうな顔をするとこじゃねーから! 今反応するの、そこか!? お嬢ちゃんまで怒らなくて助かったけどな!

もしものときは頼むから、坊っちゃんをとめて!!

そして肝心の坊っちゃんは……恐ろしくて目を向けられなかった。


「ハイド。お前、不法侵入した罪に問われて、役人に引き渡されても文句言えねー立場だってわかってんのか? それも今回はギルド関係なく、個人で勝手にお前がやらかしたことだ。新人の管理ができてなかったそしりはギルドが受けるが、犯罪者がいる方が問題だから庇わねーぞ」


ギルドとしての意向を伝えると、ハイドは予想していなかったことを言われたように、目を丸くした。

当たり前だろ。実家の権力はギルドに関係ねーよ。何度もそう教えただろーが!


ただ幸運なことに、坊っちゃんは怒るどころか気にもとめてなかった。キャロルたちは早々に、深々と頭を下げて弟の不手際と、自分たちの不法侵入を詫びた。オレらも謝った。それなのに、バカだけは渋っていた。お前、そんなことできる立場かよ!


謝れとキャロルも、ロンドも、ヴァンフォーレも、シダたちも口にして圧力をかけた。それが気に食わなくて、ハイドはますます意固地に黙りこむ。その間に、坊っちゃんは魔法でどこかに連絡を取っていた。アルフとザイーダもやってくる。

坊っちゃんが吐息した。


「無理に謝らなくても構わない。自分のしたことを理解せず、心にもない謝罪をもらっても意味がないから。ただ、ゴルド国の……いずれ民の模範となるべき人は、謝罪もできないと認識するだけだから」


オレを含めたメンバー全員が、息を飲んだ。……心臓が止まるかと思うほどの衝撃だった。……坊っちゃん、こいつら姉弟の実家に気づいてたのか…。さすがはサンルテア。恐ろしいな…。

そして『影』もアルフたちも驚いてないとこを見ると、首を傾げてるお嬢ちゃん以外は、周知の事実らしい。


唖然としたハイドが、鋭く坊っちゃんを睨んで「いつから…」と呟き、「キャロルに会って、ホテルに弟がいると聞いたときから」と、どうでもよさそうに坊っちゃんが返した。驚きっぱなしのオレらに「隣人のことを知っておくのは当然だよ」と。


「それと、敷地には対魔物の結界はあっても、対人用の結界はなくて警備も邸だけだから、誰でも入れる。そもそもここに足を踏み入れる物好きはいないんだよ」


意味深長に告げた坊っちゃんに、オレらは怪訝な顔になる。坊っちゃんはあっさり答えをくれた。


「誰でも入れるけど、誰でも出られるとは限らないよ。実際にここに自由に出入りできるのは、サンルテアの人間と当主が許可した人間だけ。そしてここはサンルテア邸。侵入者を生かすも殺すも、裁量はサンルテア領主にある。その侵入者がどこかに消えたとしても、使用人は気にも止めないよ」


淡々と告げられた真実に、オレらは背筋が震えた。同時に空気がひりつく。それは、今ここでハイドを処分すると決めて存在を消しても、誰も気にとめないってことだ。

坊っちゃんが話したのも、オレらが不満をもって全員でかかっても、その全員を御せる自信が、実力があるから。


ゾッとした。

こえーよ。マジで怖すぎだから、ここの領地!!

まるで、化け物の巣穴に飛び込んで丸飲みにされる被捕食者の気分だ。そんな異様な緊迫感が漂う中、考え込んでいたお嬢ちゃんが、はっとする。


「ヤバい。悲鳴が聞こえたってことは、人が集まってきちゃう! メイドたちに見つかる前に逃げないと」


張り詰めた空気が霧散した。

……お嬢ちゃん、あの空気の中で絶妙なスルー力だな。ある意味、助かったが。てか、何でお嬢ちゃんが逃亡を図ろうとするんだ…。

普通、逃げんなら、不法侵入したこいつらだろ?


坊っちゃんが理由を聞くと、どうやらお嬢ちゃんはメイドの着せ替え人形という苦行から、絶賛トンズラ中らしい。ここで見つかって、お風呂と着せ替え人形コースまっしぐらになるのは遠慮したいとのこと。

…メイドが打ち合わせ中に入室してきて探してたのは、お嬢ちゃんだったのか…。


「そういうことで、じゃ!」と、片手を上げて逃げ出そうとするお嬢ちゃん。呆気にとられるオレらと、アルフにザイーダ。『影』たちは肩を落とし、坊っちゃんがお嬢ちゃんの手を掴んでとめた。


「……さっきの叫び声は何でもないから、気にせず仕事を続けるよう使用人たちには伝えてあるよ。侵入者を追ってきた『夜』と見張りも元の配置に戻したから、大丈夫」

「本当? ありがとう!」


安心して笑うお嬢ちゃん。

完全にさっきまでの真面目な空気感が消えていた。ある意味すげーな。

それに触発されて「美人に囲まれて過ごせるなんて、オレとしては羨ましいけどな」なんて軽口を叩いたら、お嬢ちゃんが嘆いた。


「わたしだって可愛い人ときれいどこに囲まれて、ほわほわしたかったよ! でもとっても悔しくて残念なことに、それどころじゃないからトンズラしたの」


力説するお嬢ちゃんの発想と言葉が、残念だ。

口を開かなければ神がかった美しさなのに、話をするとその美貌も減って、一気に親しみやすくなるな…。


キャロルとロンド、ハイドにヴァンフォーレが、お嬢ちゃんの発言を空耳かとキョロキョロしていた。ここ数日で慣れたシダたちは穏やかな笑みを浮かべて固まり、坊っちゃんたちはため息を吐いていた。


「それで、不法侵入者はどうするの? わたしは一発殴らせてくれたら、それでいいよ!」と親指を立てた笑顔のお嬢ちゃん。

全員が思わず「えっ?」と驚いた。


「ケイたちを侮辱して失礼な態度だったから、本当なら十発は殴りたいけど……一発に思いの丈を込めて我慢するから…」


いや、何で泣く泣く断念したみたいな口調で、トンデモナイことを言ってんだ? 一発でも充分、殺人級だろ!?

今までの空気も流れも、見事にぶったぎったな。頼むから少しは空気読んで、お嬢ちゃん。


「な、何でオレが殴られなくちゃいけないんだ!」


唖然としていたハイドが、我に返って抗議した。

お前ももう黙れ、ハイド!! ややこしくなる!

お嬢ちゃんの方は、坊っちゃんやラッセルたちが説得に当たった。オレらもハイドを黙らせることにする。


「それよりお嬢は、もっと危機感を身につけるべきだ。何であんな状態になるまで、寝こけていられるんだよ」

「……ここ最近、睡眠不足なの。それにサンルテアの邸だし、ケイたちもいるし、だから安心したんだよ。今回は驚いて声をあげたけど、大丈夫。次は一撃で仕留めるから」

「そういう問題じゃねぇ…お嬢…。何で力業なんだ…」


ラッセルとお嬢ちゃんの物騒なやり取りが聞こえてきた。

お嬢ちゃん、それ洒落にならねぇからやめてくれ。次あったら、このバカが死ぬから。たぶん、確実に。

そしてそれに反応したのが、バカだった。


「オレを倒すなんて軽々しく言うな。無礼だ! そこの子供だって仕留められなかったんだぞ。お前にできるはずが…もががっ」

「あんたは黙りなさい!」


キャロルが強制的に弟を黙らせた。……このバカは…坊っちゃんに手加減してもらったことにも気づかねぇのか。あの風の刃は、威嚇。もし坊っちゃんが本気で放っていたら、お前は今ここにいねぇよ? あと、お嬢ちゃんはお前を仕留めるとは、一言も言ってねぇからな?


「やれるもんなら、やってみろ。受けて立つぞ!」


キャロルを振りきって、バカが吠えた。

お嬢ちゃんが冷ややかに、シャンパンゴールドの目を向けてきた。……ああ、終わった…。

キャロルたちが頭を抱える中で、オレは決めた。

今回の任務が終わったら、クルドに仕事押し付けて、ぜってぇ休暇取ってやる!


「そういえば、スルーしてたけど、あなたがここに来たのは、ケイたちの視察に同行するためだっけ?」

「リフィ、熱くならない。拳も握らない。何で君が好戦的なの。僕は気にしてないから」


せっかく坊っちゃんがフォローしてくれたのに。バカは勝手にアホなことを口走った。


「決闘するならオレの実力を見せてやる! ただ刃物は危ないし、お前も女の子だから……」

素手喧嘩すてごろで?」


またもや空気が、凍った。銀髪バカも「は?」と不思議そうな顔をしている。

坊っちゃんと『影』たちが、肩を落とした。アルフとザイーダが、すっかり驚きっぱなしで固まっている。この驚愕、オレらも初日に経験したな…。


「……お嬢ちゃん、どこからそんな言葉を覚えてくんだよ? 仮にも良家の子女だよな!?」

「え? どこって…ラカンさんの知り合いから? 下町に入場いりびたっているからかな。サリーにも嘆かれたんだよね」


「王都の下町でラカンって……長老か?」と聞いたら、お嬢ちゃんは頷いて「知り合い?」と聞いてきた。…………マジかよ。

目を丸くするオレらをよそに、深く嘆息した坊っちゃん。


「リフィ、もし執事だったジャックが聞いていたら、『お嬢様がこんな言葉遣いをするなんて…っ!』ってショックを受けていたと思うよ。ついでに、『今後のお嬢様への教育上、悪影響を与えている下町を滅ぼしてきます』とか言って、ラカン長老やその仲間を殴って埋めてきそう」


……執事、いたのか。つか、その執事もこえーから。そんな理由で町が滅ぼされたらたまったもんじゃねぇだろ━━って、何で深く頷いてるんだラッセルたちは! 冗談だよな、坊っちゃん!? まさか、本気でそんな危ない執事がいるのか!?

ラカン長老たちと下町戦争が勃発するぞ!?

否定してほしくて、思わずお嬢ちゃんに目を向ける。


「やだなぁ。ジャックはそんなこと言わないよ。きっと『素晴らしいですお嬢様! 今後もその付き合いを大切にしましょう』って、笑ってくれるはず」

「いや、それはねーだろ」


一瞬、オレは自分の心の声が出たのかと思った。もしくは他の奴がつい口を滑らせたのかと。けど、驚いたことにそうじゃなかった。

声の主はいつの間にか坊っちゃんの横にお座りしていた白灰色の獣だった。確かアッシュだったよな。ってか、犬が、動物が喋った!? 夢か? あまりの現実に脳が理解することを拒否して、オレは幻覚を見ているのか!?


犬が呆れた顔をして、ため息を吐いた。もう一度言おう。犬が呆れた顔をして、ため息を吐いた。

決してオレがおかしくなった訳じゃない。オレらの他にアルフとザイーダも驚いている。


「ケイの意見に一票。リフィお前、毒されすぎだろ。言葉遣い気をつけろよ。じゃないと、うっかりシェルシーとメイリンの前で口が滑って、淑女の再教育だな。前より厳しく」

「……が、頑張る。猫被りと演技を鍛えて」


………鍛える方向性がおかしいだろ、お嬢ちゃん。

アッシュが嘆息し、坊っちゃんが苦笑した。


「もしくはこう考えて、リフィ。さっきみたいな言葉遣いを聞いたシェルシー伯母様とメイリンは、どんな気持ちになるかな。きっと君を一人にしていた自分たちのせいだとショックを受けて落ち込むんじゃないかな」

「っ!! わたしったら何てことを…っ!! お母様とメイリンを悲しませるなんて!」


坊っちゃんの言葉に、お嬢ちゃんが項垂れた。効果覿面みたいだ。お嬢ちゃんが凛々しい顔で「今より分厚い淑女の仮面を身につけてみせる!」…って、頑張る方向がやっぱおかしい! するなら内面から、元からそうなろうぜ?


だが話題は既に移っていて、アッシュが何故ここにいるかという問いに、「お前が悲鳴をあげて周囲が物々しいって下級精霊どもが騒いだからだ」とアッシュ。お嬢ちゃんが「わたしを心配して……やだ、可愛い!」と抱きつこうとして、「濡れてるから」と坊っちゃんに止められた。ついでに坊っちゃんの魔法で、お嬢ちゃんの髪も服も乾いた。木の根本にあった靴を持ってきたセスが甲斐甲斐しく、お嬢ちゃんに履かせる。…………ハイドを乾かさなかったのは怒ってるからか、坊っちゃん?


そこに先に部屋を出ていたマシューが、朽ち葉色の封筒を手に持って現れた。封筒に見覚えがある。というか、ギルドからの手紙は、もれなくその封筒が使われている。

事情を聞いていたのか、マシューはハイドを冷ややかに一瞥し、坊っちゃんに「クルド・ダッカから至急で届きました」と恭しく差し出した。…………嫌な予感しかしねぇ。


手紙を読んだ坊っちゃんが小さく息を吐いて「場所を移そう」と告げた。そしてキャロルとロンドに今夜の宿を聞けば、喋る精霊のアッシュやその他の衝撃から立ち直った二人が案の定、困り顔で「まだです」と答えた。真っ直ぐここに来たんだから、そりゃそうだろ。


「こいつらは野宿でいい」とオレは言ったが、優しい坊っちゃんはアルフに、闖入者四人分の部屋を用意するよう命じた。ハイド以外が恐縮して礼を述べ、あまりの態度に怒ったキャロルとロンドが、ハイドの頭を力ずくで下げさせた。………ハイド、お前キャロルたちに感謝しろよ。じゃなきゃ、お嬢ちゃんがぶん殴る準備してたからな?



・*・*・*



そんなこんなで移した場所は、打ち合わせをしていた三階奥の部屋。オレらは楕円形のテーブルを囲んで立っていた。そのテーブルの上には、卵形に五つのボタンがついた固い材質の物体━━通信魔法道具が置いてある。

ちなみにハイドはシャワーを貸してもらい、アルフとヴァンフォーレと一緒に先程、合流した。だがオレは、ここに戻るまでに、坊っちゃんが教えてくれたクルドからの手紙の内容を聞いて、怒りを抑え込むのが大変だった。


クルドの手紙には、視察の同行人を追加したから、遠慮なく連れていって現状を見せてやってほしい、とあった。

それって、このバカとヴァンフォーレだよな!?

「それ見ろ」と言わんばかりのハイドのドヤ顔に、キャロルやオレら全員が殴りたくなった。


クルド、お前ふざけんなよ。

オレらにも坊っちゃん側にも何の説明もなく、唐突に無鉄砲バカをつれていけという態度に腹が立った。さすがにコレはないと、シダや他の部下たちも眉を顰めた。坊っちゃんのこれまでの働きと苦労を見知っていたから、尊敬すべきギルドマスターでも腹を立てている。


オレらでさえ、時々は坊っちゃんに守られている現場だ。ヴァンフォーレはともかく、ハイドは確実に足手まといになる。野営なんてしたら、特にだ!

坊っちゃんに負担をかけて何がしたいんだよ、クルド。契約違反じゃねえのか、コレ!?


坊っちゃんも突然のことに説明を求めたいと、クルドに連絡を取ることにしたようで、オレらも話を聞いた方がいいだろうと、この場を設けた。同意したオレは試作品の通信魔法道具で、早速クルドに連絡した。


この魔法道具は便利なんだが、通信できる距離に限界がある。風の精霊魔法で会話しているのを参考に作ったらしいが、魔方陣が不安定で通じなくなったり、魔力を注いでも起動しなかったり、通信先が三つしか設定できなかったりと、まだまだ改良する必要があった。


『よぉ、ドルマン。連絡くると思ってたぜ。ってことは、やっぱハイドはそっちに行ったんだな』


くつくつと笑いを含んだ陽気な口調に、オレはムッとした。全員に聞こえるようにしてたため、キャロルとロンドたちも苛立ったのがわかった。

文句を言いたかったが、抑えて坊っちゃんに目を向けた。


「久しぶり、クルド。大体は彼らから話を聞いたけど、そちらからも話を聞こうと思って、連絡した。今回の追加の件、契約になかったよね。つまり、契約違反だ。こちらが依頼した人数は四人。それも上級冒険者で中級以上の魔物退治経験者。条件からして当てはまってないけど、どういうこと? 場合によっては、今後のつきあい方を考えるよ」


敬称もなく淡々と、クルドに話かける坊っちゃん。結構、怒ってる。てか、色々とやっぱり怒ってた。


『よー、ケイトス。久しぶりだな。報告は聞いてるぜ。さすがはサンルテア。ゴルド国では上級冒険者、数百人が日替わりで魔物退治に四苦八苦してんのに、百体以上に囲まれても一人で瞬殺。上級が何体出ようが余裕らしいな。おまけに部下のドルマンたちを守ってくれてありかとな』


クルドの言葉に驚いたのは、キャロルとロンド、ハイドとヴァンフォーレだった。そりゃ、そうだよな。そんな芸当ができる人間っていったら、二つ名持ちくらいしか思い浮かばねぇ。それをこんな綺麗な子どもがこなしている事実は衝撃的だ。それも隣国として接しているとこの次期領主なんだから。


「それより、父には許可を取ってあるの? 依頼主である父が認めたのなら、試験の一環として僕も受け入れるけど、明らかにクルドの独断でしょ。それに今回の『大波』は今までにない規模の魔物の数で、上級魔物も多く出現してる。そんな危険な状況で人の追加なんて父が認めるはずない」


坊っちゃんの言葉に、ここまで大人しかったお嬢ちゃんが微かに反応して、撫でていたアッシュの首にぎゅっと抱きついて顔を隠した。アッシュがちらりとお嬢ちゃんを見て、大丈夫というように、しっぽでぱたぱたとお嬢ちゃんの服を軽く叩いた。


きっと文句を言うだろうと予想していたのに、意外だ。キャロルもロンドも、普段は逆らわないシダたちも、クルドに文句を言いたそうにしているのに。……いや、意外でもないか。お嬢ちゃんは始めから視察に関しては一切口出ししてない。


オレらの実力を観察したり、坊っちゃんの心配をしたり、打ち合わせの場にいても、こうした方がいいと意見を何も言わず、大人しく黙って見守っているだけだ。時折、不安そうな顔で坊っちゃんを見ては、震える手を拳にして隠していた。


ハイドが「オレも行く! 勝手についてくぞ!」と喚いてはキャロルとロンドに怒られ、そんなうるさい空気の中で、坊っちゃんに色々言われてたじたじだったクルドだが、「わかった! ジルに許可を取るから、今日から視察にハイドとヴァンフォーレもつれてってくれ!」と話を強引にまとめにかかった。「場合によっては、ドラヴェイ伯爵にも許可を取るから!」と。


坊っちゃんが考えるように黙り、クルドが「こいつらが怪我しても死んでもサンルテアに責任を負わせない。ドラヴェイ伯爵の名に誓う」と何度か強調して畳み掛けた。


ドラヴェイ伯爵である坊っちゃんのじーさん。坊っちゃんとその父親が感謝して尊敬していて、逆らえない恩人の名を使うのは、ズルいだろ。

依頼主とは適度な距離を取って感情移入するなんてなかったが、クルドのやり方には腹が立った。何だコレ、ハイドの実家から圧力でもかかってんのか?


建前として、ギルドが縛られるのは独自の掟と受けた依頼だけで、王候貴族の命令や権力は関係ないとされているし、少なくとも表面上はそうだ。でも影では…ギルド本部がある国の中枢に強く出られたら、全てを突っぱねることなんでできない。それこそ国を相手取ってやれる実力がなくちゃ、真っ向から対立なんてできやしねぇ。


敬愛する祖父の名前に、坊っちゃんも渋々、クルドの言葉に消極的ながらも、頷いている。このままではなし崩しに受け入れそうだな。……責任は負わなくていいったって、優しい坊っちゃんはオレらと同じように、ハイドたちも守ろうとするだろう。クルドもそれを見越して言ってんな。突然のお荷物を無理に背負わされたのに、身を挺して守る負担が増えただけで、坊っちゃんにデメリットしかない。……何だこの悪辣なやり口は。


「あの、少しよろしいでしょうか」


それまで沈黙していたお嬢ちゃんが立ち上がり、通信魔法道具を見て、坊っちゃんより少し前に出て声をかけた。まるで守るように。

激怒しているかと思いきや、お嬢ちゃんは冷静でふざけた雰囲気もなかった。


「会話に割り込んでしまい、申し訳ございません。初めまして、ギルドマスターのクルド・ダッカさん。わたくしはケイトスの従兄弟にあたります、リフィーユ・ムーンローザと申します」

『ああ、ジルたちが大事にして溺愛している姪っ子か。それで、そのお嬢さんが何の用だ?』


気取ったというよりも少し舐めてかかった口調のクルドだが、お嬢ちゃんは真剣な態度を崩さなかった。……こうして見ると、どっからどう見ても貴族の子女って感じだ。背筋を伸ばし、言葉遣いも変わっていて、キャロルたちが息を詰めて見入っている。


「失礼ながら、ギルドマスターとして、依頼を受けたギルドを統括する長として、あなたの態度が不誠実で不適切であると感じたので口を出させていただきました」


お嬢ちゃんは淑女のお手本のように綺麗に笑った。

その場にいた全員がぽかんと口を開け、坊っちゃんが「リフィ」と止めようとしたが、にっこり笑うお嬢ちゃんの視線に口をつぐんだ。坊っちゃんの隣にアッシュが座り、二人で仕方がないというように小さく笑う。


「依頼をしたのはこちらですが、受けたのはあなたのギルド『女神の片翼』です。それなら、契約した時点であなた方にはその依頼を果たす義務が生じます。よって、そちらの都合にこちらが振り回されてあなたの要求をのむ必要はありませんよね」


お嬢ちゃんが言い切ると、暫しクルドが沈黙した。オレらも固唾を飲んで返答を待った。やがて『ふっ』と笑う声がした。まるで面白いとでもいうように。


『本当にそうか? 契約書には場合によっては、こちらの意見を受け入れてもらうっていう条件もあったと思うが』

「それは魔物との戦闘において、ケイが動けず、指示も出せなくなった場合でしょう。条件の前述にある言葉を省いて、そちらの都合のいいように意味を違えるのはおやめください」


オレは素でびっくりしていた。確かに契約書にはそう書いてあった。初日の打ち合わせでさっと契約内容を確認しただけのお嬢ちゃんが、よく覚えていたな…。


『よく読み込んでんな。それで? どの辺が不誠実で不適当だと? 仮にもオレにそんな言葉を使ったんだ。きっちり説明してもらおうか、部外者のお嬢さん』


うわぁ、大人げねー。

子供相手に威圧的に脅した上に、部外者は引っ込んでろ発言。シダたちがマジで引いてるぞ、クルド。『影』連中もムッとしてるから。

それに何より、お嬢ちゃん自身がそれをわかっていたから、これまで視察内容にもオレらにも、何も口出しして来なかったんだぜ?


「あら。クルド・ダッカともあろう方が一から説明しないとご理解いただけないのですか? ご自身でもわかっているからこそ、わたくし相手にそのように苛立っているのでは?」

『さぁて。何のことやら』

とぼけるのはお上手ですね。それとも、ご自分の部下から言われた方が、聞いていただけるのでしょうか?」

『っ!』


お嬢ちゃんは愛らしく、ころころと鈴が転がるように笑い、スッと目を細めた。━━……コレ、怒ってるよな。むちゃくちゃ怒ってるよな!? 坊っちゃんの不利になりそうなことしたから、怒りの竜とか背負ってるよな絶対!!

そんな風に怒っていても真っ直ぐな目と綺麗な顔に、オレらは茫然と見惚れたんだが。

お嬢ちゃんの反撃に、クルドが息を飲んだ気配が伝わってきた。


「あなたが理不尽な要求を雇い主であるケイに、何の弁明もなくつきつけているのは、表情が見えないあなたにはわからないかもしれませんが、皆さんは感じとっておられるようです」


それからお嬢ちゃんは、そもそものサンルテアの依頼をクルドが無視していること。それが契約違反で違約金を求めることができること。よってクルドの頼みをこちらが聞く必要がないこと。この危険な状況で、ハイドなんて魔物の餌になりに行くようなものであること。それどころかこの邸に不法侵入してきた犯罪者であり、処分はどうとでもできること。むしろ下っぱの管理もできておらず、雇い主に迷惑をかけて契約違反をするギルドを今後、信用して頼む依頼者がいるか、というようなことを優雅な喋りと柔らかな口調で諭して、クルドを黙らせた。


魔物の餌と言われたハイドが暴れかけたが、お嬢ちゃんがぶわりと一瞬だけ膨らませた殺気を放つと、不思議そうな顔をして黙った。お嬢ちゃんの強すぎる殺気に反応できたのは、坊っちゃんに『影』たち、アルフとザイーダ、それからヴァンフォーレにオレ。シダも少しだけ。


つまり、他の奴らは、本気のお嬢ちゃんとやりあえる実力がないどころか、何が起こったのかわからない内に殺されているということだ。それも恐らくは、まだまだ本気じゃねぇお嬢ちゃんに。


「この程度にも反応できないなんて、わたくしは必要な戦力になるとは思えませんので、新しい同行者には反対です。一から修行して出直していらして? ケイはあなたと違って面白そうだからと遊びに行っているわけではないんです。この領地の生活を命懸けで守ってくれているんです。邪魔しないでくださいませんか」


訳がわからないでいる連中に、オレは簡潔に先程のことを告げた。クルドにも聞こえているだろう。殺気に気づけなかった奴らが呆然と淑女の笑顔に視線を向けたが、お嬢ちゃんは綺麗に無視した。


「それでも彼らを視察に同行させたいのでしたら、まずは叔父様の許可を正式にとり、契約内容を一部変更してからケイたちにお願いするのが筋かと思われますが、いかがですか?」

『……それじゃ遅いだろ。そうしている間に視察が終わっちまう』

「話をよく聞いてください。最初に申し上げたはずですよ。そちらの都合にこちらが振り回されて、あなたの要求を飲む必要はないと。こちらにはあなたの都合なんてどうでもいいのです」


淑やかな微笑みでお嬢ちゃんが酷いことを言った。クルドも何も言い返せずにいる。お嬢様な感じで怒るのもこえーわ。むしろグサグサとダメージが来そう。


「それにしても、礼を欠いた迷惑な訪問をされて、先に契約違反をおかしたあなた方が、こちらに謝罪するでもなく図々しくも要求を突きつけてこられるのが、わたくしとても不思議ですの。ぜひ、ギルドマスターの意見をお聞きしたいですわ。わたくしとしてはお詫びの一つや二つ、大人の対応があってもおかしくないと思ったのですが」

『ははっ、ははははっ! ケイトス、お前の従兄弟はおっそろしいな。なるほど、ジルやクーガが大事にするわけだ』

「あなたの感想は聞いてませんから、どのような対応をとってくださるのかだけ話してください」

『強いな。わかったわかった、オレの負けだよお嬢さん。丸め込めると思っていたのに、まさか逆にやり返されるなんてな。確かにこちらが悪かった。仲間を犯罪者として処分しないでくれて助かった。迷惑をかけたな』

「あら。それだけですか? サンルテアを見下し、ギルドにとって今後の依頼に関わる大事な信頼がかかってますのに、あなたの謝罪一つで済むとお思いですか?」


……このお嬢ちゃん、コワッ! 淑女の笑顔が怖い!

クルドも押し黙ってしまった。オレにとってはいい気味だが、ギルドの不利益になるのは避けたい。それなのに、クルドはあっさり依頼報酬半額を約束させられていた。何やってんだ、しっかりしろよ、ギルド長だろ! ギルドの報酬減らすなよ!?


それも言い逃れできないように、少し前にギルドショップで発売された『記憶玉』で、このやり取り映像を記録しているお嬢ちゃん。いつの間に用意してたんだ。しかもクルドは聞こえていても見えてないから、記録されてることに気づいていない。……そういやお嬢ちゃんの家って商人だったか…。コワッ!! 最近の子って用意周到で恐ろしい!!


挙げ句にクルドは、おまけでギルドマスターとしての名を一度は使える権利まで渡そうとしていた。だが、お嬢ちゃんはそれはいらないと言った。そんな権利もらって何の役に立つのか、と。どうせならギルドショップ全品半額の方がまだ役に立つと言い切った。………このお嬢ちゃん、マジで言ってんな…。

部屋の空気が、凍りついた。


「あ、あのなお嬢ちゃん。ギルドマスターの名前を使えるって結構スゴいことだぞ。ギルド全体に命令できるし、ギルド全体を動かせるし、厄介な交渉事とかでもギルドマスターの名前を後押しとして出して使うこともできるんだぜ? ギルドマスターとひいてはその命令下にあるギルドを好きに使えるってことなんだ」


クルドの悲しげな「要らないって言われた…半額よりも役に立たない名前だって言われた…」という呟きを聞いてしまい、オレは必死にお嬢ちゃんに魅力を宣伝してみた。シダたちも深く頷いて「とても便利で役に立ちますよ」とフォローしていた。


「でも平民のわたしにとっては使うところがないから、ギルドのサービス半額とか、アイテム購入半額の方がまだ使えるの」

「お嬢ちゃんんん!? 頼むから、それ以上うちのギルド長の傷を深く抉らないでくれ! 笑顔の悪意ない言葉が、今はめっちゃ効果覿面だから!! グサグサきてるからっ!」


焦るオレらとは対照的に、お嬢ちゃんはくすくすと笑って通信魔法道具に目を向けた。それから無邪気な笑顔を消して、食えない令嬢の笑顔に戻った。


「そもそも誠意をもって謝罪すべき相手と、お詫びの条件を出して赦しを乞う相手が間違っていますよ。最初にクルドさんが言った通り、わたくしは部外者ですから。ただあまりのことについ、差し出口をしてしまっただけにすぎません。ですので、わたくしではなくケイトスにお話を通してくださいませ」


お嬢ちゃんは呆けるオレらをスルーして、静かに笑っていた坊っちゃんに「ケイはその条件でいい?」と、凶悪なまでに可愛い微笑みを向けた。不満なら別の条件をもぎ取ると言わんばかりに。……恐ろしい子!!


「まぁ後で何かの役にはたつかもね」と興味なさげな坊っちゃん。……面白いものを見たと満足そうだなオイ。お嬢ちゃんに負けず劣らず綺麗な笑顔に、ハイドもキャロルたちも見惚れていた。お嬢ちゃんもほくほくと表情を和ませて、上機嫌だ。


間抜け面をさらすオレの耳にラッセルの「悪魔だな」という呟きが聞こえた。続いて「気のせいか、角と黒い羽が見えねぇか」とセス。ついでにマシューが「黒いしっぽも見えるね」とひきつった笑顔を浮かべた。

アルフとザイーダは、相変わらず衝撃を受けて固まっていた。


その後、どうにか立ち直ったクルドは、いたくお嬢ちゃんを気に入ったようだ。一目見たさのあまりに、今度ギルドに遊びに来いと誘っていた。坊っちゃんたちが冷ややかに、通信魔法道具から聞こえる声に耳を傾けていたが。


そしてお嬢ちゃんも「わたくしは用がないので、勝手にそちらが見に来て飽きたら帰ってください」と辛辣な言葉を返していた。どうやら坊っちゃんを丸め込もうとして、不誠実に対応したことに酷くお冠のようだ。


それでもまだ、せめて一日だけでも後学のためにハイドとヴァンフォーレを視察に同行させてほしいと、坊っちゃんに言い募っていたが。

もうその辺にしておけ、クルド。お嬢ちゃんが淑女の笑顔で静かに怒りのオーラを放っているから。オレらが極寒の吹雪にさらされてるから。


けれど、しつこいおっさんの泣き落としに、坊っちゃんが仕方ないと今日一日だけを条件に、受け入れた。お嬢ちゃんがハイドたちを睨んで、アッシュに抱きついて顔を隠したが、坊っちゃんの決めたことに文句は言わなかった。

代わりに坊っちゃんはクルドと何か取引したようだが、内緒で通信魔法道具と話していたので内容はわからない。


そうして四人の闖入者たちは、サンルテアの邸に滞在を許され、ハイドとヴァンフォーレは急遽、視察に同行することとなった。仕方ないので昼食までハイドを付け焼き刃で鍛え、昼食後はこれまでの成果と今日のルートやすること、注意事項を伝えて、三時までに同行の支度をさせた。




・・・ *** ・・・ (リフィ)




午後二時半前、わたしはアッシュと共に、ケイの部屋を訪ねた。

わたしはソファーに腰かけて、ドアの側で丸まるアッシュを見ながら、アルフが淹れたお茶を飲む。


領主代行だけあって、報告書を読んで簡単な書類仕事もこなさなくちゃいけない従兄弟は、アルフの補佐を受けながら最後の一枚にサインしていた。それをアルフが受け取り、捌いた書類の束を持って退室する。


ほっと一息吐くケイ。

綺麗になった机の上に、視察に持っていく荷物を並べて確認を始めた。その様子を見ながら、思う。

能天気なわたしに領主は務まらない。やる気もないけど。


まったく! こんな立派な従兄弟の何が不満なのカシラ、あの野郎共! 本当に腹立つー!! むしろ喜んで号泣して感謝するとこでしょ!?

わたしが領主になったら、責任の重い面倒な仕事イヤーって、アルフに押し付けて逃げ出すからね!?


ここに来るまでに、声をかけてきた使用人を思い出して、わたしはムカムカした。視察が終わったら鉄拳制裁と決め、紅茶を飲んで我慢する。

ケイには余計な心配も不安も与えたくない。ただでさえ、不要な荷物を抱え込んでしまったのだから。


そうなの、あの少年たちもムカつくー!!

あのおとぼけギルドマスターめ! よくも厄介事を天使に押しつけてくれたな!!

会ったらコレも鉄拳制裁で!

無意識に拳を握ったわたしに、アッシュが呆れた目を向けていたけど、スルーした。


ケイが無事に邸にいれば安心するけど、視察に出るとやっぱり心配で不安になる。

確かにわたしは強くなったと思う。記憶を思い出して、それが日々の中で移ろい、たまに朧気になるときがあっても、お母様と従兄弟を守りたいと心から思ってる。ただ、本当に守れるか。

それを考えると、軽々しく根拠のない自信をもって断言できないのが辛い。


この邸に来るときまでは不安を押し込めて誤魔化してきたけど、ここに着いてから、夢見が悪くなった。

いつもは夢なんて見ないでぐっすり快眠ばっちりなのに、ケイを助けようと手を伸ばして間に合わない……そんな夢を見るようになった。


もちろん、ただの夢。わかってる。わたしが不安で焦燥を募らせていることも、最悪を考えて失うのを怯えて怖がっていることも。簡単にはこれらの厄介な感情が消えないことも。

お陰で寝不足。なかなか寝付けないし、すぐに起きてしまうから。


つい、ため息をこぼして俯く。伸びた髪が顔を隠した。

そういえば、髪をほどいてそのままにしていた。そうなった原因を思い出して、「うぎょーっ!」と叫びたくなるのを堪えた。


最悪。本当に最低、最悪。

お母様のドレスと、ケイにもらった七歳の誕生日プレゼントの青緑ターコイズ色にレースかと見紛うような白糸の繊細な刺繍が入った細めのリボンが濡れた。

ケイが乾かしてくれたけど、よくも水をぶっかけてくれたよね!


あーもう! 何か今日はイライラ怒ってばかりいる気がする!

寝不足で不安で情緒不安定!!

うがーっ! って叫びたい。叫んだら発狂したと思われそうでできないけど。はあぁぁ……後でアッシュのもふもふに癒されよう。


息を吐くと、眉間をつつかれた。

驚いて顔をあげると、ケイの心配そうな顔。


「ここに来てから、何だか元気ないね。いつも難しい顔をしている」


相変わらず鋭い。わたしは意識して「そんなことないよ」と笑顔を作った。ケイに疑いの眼差しを注がれて、逃げ出したいのをどうにか堪えた。


「……僕がこんなに近くに来ても気づかなくて、精霊たちが騒いでもハイドに気づかないほど、何か考えごと?」

「寝不足なだけだよ。まぁ考えごとと言えばそうなのかな。不安なことなんだけどね」

「それは何?」

「ケイがちゃんと戻ってくるか心配で、寝不足なの。食事も喉を通らなく」

「今日も元気におかわりしてたよね?」

「食い気味にかぶせてこないでクダサイ」


むーっと、睨みあって、どちらからともなく笑った。

ケイが右隣に座って、伸びた髪を器用に編んでくれる。━━あぁ、癒される。ささくれだった心がほっこりする~。


持っていたお気に入りリボンで、ケイに緩く編んだ三つ編みを結んでもらった。その様子を見ながら、ケイの首もとに、わたしが贈った誕生日プレゼントの翡翠のリボンタイがあるのを発見。嬉しくて、でへへと顔がにやける。


「リフィ?」

「何でもないよ」


急いで崩れた顔を修正しました。ふぅ、危ない危ない。もう少しで変態と言われるところだった。大丈夫、まだ安全な人だよ、わたし。たとえ変態でも眺めてるだけで無害だから!


「…リボン、気に入ってくれた?」

「うん、もちろん!! 一番のお気に入りだよ!」

「そう。よかった」


くぅっ! 天使の微笑みが素晴らしく美麗に成長しております! 魔物や変質者に襲われないか、心配だよ~。


「いや、むしろ襲われていたのは君でしょ」

「はへ? …あ、今日のあれかー。あれは絶叫したわたしがうるさくて、黙らせようとしただけでしょ。でも次は、容赦なく叩き込むから大丈夫」

「……不安。やっぱりリボンにも守護の効果があるのを選べばよかった」


ケイが少し落ち込んだので、よしよしと頭を撫でてさらさらな髪を堪能する。━━コレはまだセーフ! セーフでしょ、審判!!


「いい子だね~。お姉さんはいい子に育ってくれて嬉しい!」

「……誰がお姉さん? 僕より年下で、あんなところで無防備に寝ておいて」

「いや、確かにお姉さんは言いすぎたかもしれないけどね、まだおばさんと言える勇気が持てなくて……少しずつ慣れてから」

「…………。リフィ、何を言ってるのかな?」

「えっ?」

「ん?」

「…………」


とりあえず、お母様直伝の笑顔でスルーして、手も引っ込めときました。あっぶな。つい、うっかりをやらかすところだった!

さーて、この微妙な空気を頑張って取り繕うかな。話題、カモン!!


「あ。そう言えば、今日マースが髪を結んでくれたときに言ってたんだけどね、昔、叔父様とお母様も似たようなことをしていたんだって」

「それって、僕たちみたいにプレゼントを贈りあってたってこと?」

「そう。叔父様がサンルテアにきて、初めてのお母様の誕生日に、ターコイズ色の大きなリボン。お返しにお母様はオリーブ色のリボンタイ。何年も使っていたから少し擦りきれているけど、捨てないで今でもこの邸のお母様と叔父様それぞれの衣装部屋に、大切に残ってるんだって」

「……そうなんだ」

「そう。それでね、家族とか大事な人とそういうお互いに贈り合うっていう謳い文句で何か商品を用意したら、その商品の売り上げ伸びるかなって考えたんだけど、どうかな?」

「いいと思うよ。リフィは相変わらず……商魂たくましいね」

「ありがとう!!」


よし、天使にお墨付きをもらったから、いけそうな気がする!

売るぞ~と気合いを入れていたら、頭を撫でられた。

楽しそうに笑われて、何ともいたたまれない気分デス!

えーと、次の話題!! ってか、わたしは何でここに来たのかと、当初の目的を思い出して、はっとした。

部屋から持ってきていた異空間ポシェットから、ケイのベルトポーチを取り出して、差し出した。


「ケイ、頼まれたの補充しといたよ」


初日に魔力をすっからかんに使い切ったからか、昨日は満タンではなく八割の回復で体がだるかったケイ。魔法を使うのも疲れるから二日目は魔法銃を使っていたらしい。邸に戻るなり、弾が減ったと申し訳なさそうに言われた。


大丈夫、わたしにどんとお任せあれ! そんなこともあろうかと今まで作り置きしておいた。『結界玉』も多く補充したから、以前あげたのと合わせて四百はあるかな。多すぎても問題なし。備えあれば憂いなしですから!


「各種弾丸、百五十発はあるから、合計九百発は撃てるよ。結界玉も補充してあるから、ぐっすり眠りたいときや魔物を足止めしたいとき、魔物に囲まれて休憩したいときは遠慮なく使ってね! それと一応、薬も入れておいたよ。どれもまだまだ補充できるから、無くなる前に遠慮なく言ってね」

「うん、ありがとう」


ケイが苦笑しながら、革製のベルトポーチを受け取った。ソファーから立ち上がって、机の上に並べた物をしまいこんでいく。

瑠璃色の結界石を一つ、二つ……九つと詰め込んでいくのを見て、わたしは、あれ? と首を傾げた。

他に、携帯食やわたしが今朝渡した薬草茶、簡易寝袋やタオルや着替えを、長方形のベルトポーチに詰め込んでいた。


「ケイ、今日視察するのって四ヶ所じゃなかった? 予備として一つくらい多く持つのはわかるけど、結界石って九つも必要?」

「あ、リフィにはまだ言ってなかったね。もし今日の視察が順調に済んだら、野営して泊まって明日の視察も済ませてから帰ることにしたんだ。早ければ明日の夕方には帰るよ」

「……そっか。じゃあ今日は戻らないかもしれないんだね」


申し訳なさそうなケイに、わたしは「大丈夫だよ」と笑った。それより、ハイド少年が二日も一緒の方が心配。

そう言ったら、一泊したら次の朝には帰すよと、天使な従兄弟どの。オッケー、こっちは任せて。

ケイに迷惑かけたらグーパンじゃ済まさないから!



そうして迎えた午後三時。

わたしはドルマンに、くれぐれもよろしくねと念押しして、お茶の入った水筒を四人分渡して、七人を見送った。


ちぇっ、事前に来るとわかっていたら、一番強烈にマズイお茶をあの二人に持たせたのに!

そのことを残念に思いながら、キャロルとロンドと一緒に、七人を見送った。━━どうか、無事で。

わたしは暫くそこで、祈った。




・*・*・*




午後九時過ぎ。

夕食を終えて、お風呂も入って、着替えて、本を読んだり、薬を作ったりして。そうしている間に午後十時近くなって、わたしはベッドに向かった。


「━━と、いうわけで。ケイが夕食にも戻らなかったから、きっと野営して泊まってくるんだね。つまり、アッシュはお泊まり確実。もふもふ~もっふもっふ~」


わたしは不安を隠して、ベッド横にいるアッシュにぎゅうぎゅう抱きついた。マースに洗われたアッシュは艶々の毛並みで、ふわふわでとっても綺麗。


「ヤメロ。近寄るな、ケイとの約束だから、あいつが戻るまではいるが、場合によってはすぐ帰るぞ。あいつは心配性なんだ。こいつがすぐにヤラレルわけねーのに」

「そんなことは置いといて。一時間はお触りし放題! 実はアッシュの服を持ってきているので、今日は気分転換をかねてファッションショーをしようと思います」


早速わたしは、ベッド横に置いておいたトランクケースを開けた。アッシュがぎょっとした。逃げようと暴れるけど、もう遅い。わたしがガッチリ捕まえてる!


「ちょっと待て。何で無駄になるオレ様の服を持ってきてるんだ!? そんなの詰めるなら、自分の服でも詰めておけよ!」

「ナニ言ってんの! お母様とメイリンと厳選に厳選を重ねた協議の結果、選び抜かれた服たちだよ」

「頼んでねー。そして着るとも言ってねー!」


ジタバタ暴れてもがくアッシュに、そんな…、と、わたしはふらりと膝をついた。アッシュが胡乱げな眼差しを向けてくるけど、気にしない。

ここはあれだね。わたしの演技力が試されてるんだね。お母様とメイリンのためにも、着飾らせて写真を持って帰らなくては!


「新しい商会の事業として、動物おしゃれファッションを立ち上げようとしていて、アッシュにモデルになってほしかったのに……。お披露目とかでカッコよく素敵に着こなしてくれると見込んでのことだったのに…」


俯き、両手で顔を覆い、ちらりと窺うと、「うっ」と少し弱った顔のアッシュ。よし、もう一押し。

鍛えられた演技力の真価を発揮するときが遂にきたよ!


わたしは涙のたまった顔をそっと上げて見つめると、目が合ったアッシュが狼狽えた。逃げようとしていたのに、わたしの側に戻ってきてうろうろした。緑の目がキョロキョロ動き、弱りきった顔をする。


「せめて着心地とか、着た感じとかだけでも知りたかったのに……お母様、お役に立てなくてごめんなさい…」

「え、あー、その、リフィ」

「アッシュ、どうしてもダメ?」


じっと見つめた。アッシュがたじたじになる。瞬きすると、はらりと涙が流れた。アッシュが目を見開き、動揺した。後ろの二本足で立って、わたわたと前足を動かす。……可愛い。

そんなアッシュを涙目で見つめると。


「………わかった! わかったから泣くな!! 着るから、モデルくらいやってやるから! だから、泣くな」


よっしゃ、言質いただきました!

わたしはにんまり笑って、顔をあげた。愕然とするアッシュに抱きつく。


「さすがアッシュ! ありがとー!」

「おい、涙どこ消えた!? 水気がさっぱりねーんだが!?」

「アッシュの快諾に涙は消えたよ!」


さすが最強の必殺技。ケイとアッシュにも効果抜群だ。いざというときは今後も使おう。頻繁に使い過ぎると、効果がなくなるから、ここぞというときに。


その夜は、思う存分アッシュを愛でて、選び抜いた洋服を全部着てもらって、写真撮りまくりました! ━━ふぅ、いい仕事した! お母様とメイリンにもいいお土産ができたね!

明日戻ってきたら、ケイにも見せよう。

わたしはぐったりしたアッシュを抱き枕にして、久しぶりにぐっすりと爆睡した。



・*・*・*



その翌朝、ラッセルとデゼルと軽く訓練して、万全な体調で朝食を済ませ、時々、使用人に話しかけられながらも、アッシュと大人しく、わたしは従兄弟の帰りを待ち続けた。


昼頃に下級精霊の目を通して見た限りでは、怪我もなく順調に結界石を埋めていた。ハイドとヴァンフォーレがまだ一緒にいたことには驚き、邪魔したらぶん殴ると決意を新にした。


そうして、宵闇に包まれ始めた頃。

わたしはそわそわと落ち着かない気分で、待ち続けていた。

本を読んでも内容はさっぱり入ってこない。


マースはそんなわたしを微笑ましいと笑った。彼女が選んでくれた山吹色のドレスに、ケイにもらったバラの髪飾りつけたわたしの装いを、夕方に軽く整えてくれた。

アッシュが呆れた目を向けてきても気にならないくらい、わたしの中で不安が破裂しそうなほど膨らんでいた。


今か今かと待ち続け、気づけばもうすぐ夕食の七時だ。

すると、玄関が騒がしくなり、わたしはアッシュをつれてそちらに向かった。━━よかった、無事に帰って来た!


けれど、そこに待っていた従兄弟はいなかった。

いたのは、青ざめたハイドを抱えたヴァンフォーレ。そして、腕から血を流すマシュー。傷が深く、障気に包まれていた。


ケイについていた『影』の内の一人。いつも穏やかに微笑んでいたマシューが、今は切羽詰まった顔をしていた。

彼が掠れた声で、息も絶え絶えに言った。

━━魔物が大量に押し寄せてきたと。


ケイたちが残って食い止めているから、民の避難と援軍を。

わたしは、どこか遠くから、そんな声を聞いた。

平穏な日常が、壊された音がした。





お疲れ様でした。

さて、例の事件になりました。

なるべく簡潔にまとめられるよう頑張ります。

恐らくこの七歳編が一つの山場になると思います。六歳の時の残してあるケイの調べ事の謎も回収していく予定です。

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