17, 7才 ④
二万字越えて長いです。
誤字脱字、文章等を直しますが、内容に変更はありません。
・・・***・・・ (ケイ)
セスとマシューから話を聞いて、ギルド『女神の片翼』に指示を出して、デゼルと急いで戻ってきたサルカのホテル。
紺碧の空には、月と星明かりが映えていた。
ホテルの入り口もロビーも、午後八時前だというのに、閑散としていて、それなのに中てでは物々しい人の気配がした。それだけで、僕の不安を煽るのは充分だった。
デゼルと視線を交わして、厳重な警備の入口に向かう。ガードマンに止められたけど、宿泊客だと告げると、慎重に身元と宿泊記録を確認された。時間がかかってイライラする。
レストラン厨房の火元が不調で小さな爆発が起こり、安全が確認されるまで念のために、レストランが使用できないこと、近寄らないこと、ルームサービスには対応できることが伝えられた。……なるほど? 問題が起きているのはレストランか。
そちらに足早に向かうと、従業員たちが慌てたように「お部屋にお戻りください」と道を塞いできた。道を塞ぐ人垣の向こうに、集まる客とそれを止める従業員、見慣れた濃紺の制服を着た軍団が見えた。━━今回は随分と対応が早い。
僕は皮肉げに口元を歪めた。
自分でも不思議なくらい、苛立って……いや、焦って怖がっている…。十中八九、大丈夫だと思っているのに、無事な姿を見るまでどんどん不安が膨らんで、気が触れそうになる。
「ケイトス・サンルテアです。事情は知っていますから、通してください」
硬い声で威圧的に、退け、と言外に告げた。
迫力に気圧されて、数人が震えながら道を開けたが、まだ数人が腰を抜かして動けずに残っていた。職務に忠実なのはいいけど、時と場合を選んで欲しい。苛立ちが━━不安と恐怖が強くなる。
「若、落ち着いてください」
デゼルに諭されて、僕は呼吸を整えた。
レストランを見守る支配人の姿を見つけ、そちらに近づいた。初老の老人が僕に気づいて、目を瞠る。
「これは、ケイトス様。まさか当ホテルにおいでとは気づきませんで…」
「僕も対応に当たります。知る限りの事情を教えてください」
挨拶を省いて本題に入ると、支配人が「この方はお通ししてよい」と、従業員たちを遠ざけてくれた。
そして、僕の要望した知る限りの事情を話してくれた。
庭を散策していた宿泊客の少女が、意識を失い倒れている男を見つけたこと。その男を少女の護衛と近くに居合わせた少年の護衛が、医務室に運んだこと。そこで目が覚めるなり、男が少女を人質にとったこと。━━僕は血の気が引くのを感じた。護衛を伴った七、八歳の薄翠の髪の少女なんて一人しか思い当たらない。
コレは間違いなく、従兄弟だろう。
僕が留守番なんて言いつけなければ…、ホテルの敷地内で過ごせなんて約束させなければ…。
僕は無意識に爪が食い込むほど、拳を握った。そうしなければ、足元がぐらついて、目眩に耐えられそうになかった。
自分に、腹が立つ。
盗賊のなり損ないの彼らが、どうしてそうなったのか、ホテルに来る前に話を聞いた。
もし犯人が役所や『夜』を恨んでいて、リフィが領主に縁のある子だと知れたら……そんなことにはならない、そう思うのに、悪い方に考えすぎて頭がおかしくなりそうだった。
支配人が言いにくそうに、ただ、と言葉を付け加えた。
どんな些細な情報も欲しくて続きを促せば、支配人は困惑した顔で、衝撃の言葉を続けた。
「……お腹がすいたと賊と人質の少女が、簡単な夕食を食べて和やかに自己紹介をしていたそうです」
「………は?」
僕とデゼルは虚をつかれ、がくりと肩を落とした。
━━リフィ、君は本当に……。一体何でそんなことになっているのかな…?
張り詰めた緊張の糸が弛んで、僕たちは思わず苦笑してしまった。同時に、確信を持つ。
やっぱり、わざと捕まってるのか。
「その、人質を取りはしましたが酷い方…根っからの悪人というわけではないようで、少女とその護衛が説得していたのですが、報告を受けた『夜』の方が突撃してしまい、驚いた相手…ヘルトンが恐怖で不安定になった状態で、レストラン内で睨み合いとなっております」
それだけ聞ければ、もう充分だった。
きっとリフィは無事だろう。もし勝手に傷を作っていたら、たっぷり説教して、今後はおやつとお土産なしで。
三人の盗賊もどきを捕まえる前に、約束通り町で名物のワッフルを買っておいたんだけどね。リフィだけ、お茶のみのお茶会を開いてあげよう。その間、ラッセルは特別訓練をさせて。
何はともあれ。僕は、もう賊もどきを探索しながら戻らなくていいから最速で戻るように、とセスとマシューに事情を説明した伝言を風で届けた。
デゼルと視線を合わせて、頷く。僕たちは気配を薄くし、人だかりへと足を進めた。
レストランに、デゼルとそっと足を踏み入れると、ガタイのいい猟師のような男が、リフィを人質にしていた。予想していても、ざわっと心が波立つ。殺気を抑えた。
━━本当に、人質になってた…。怪我はないようだけど……はぁ…。
ヘルトンと『夜』は互いに睨み合い、支配人の言った通り、膠着状態が続いていた。周りには、従業員たちが押さえきれなかった野次馬が少しいる。
リフィは面倒くさそうな顔で、遠い目をしていた。両者のやり取りを聞きながら、早く解放されたいと顔に書かれている。普段と変わらない様子に、僕はちょっと笑ってしまった。
この膠着状態を終わらせようと、僕は割って入った。
その場の視線が僕に集中する━━約二名を除いて。
僕は集まる視線を一切無視して、こちらを見ないで人質になっている従兄弟と、その護衛にそれぞれ声をかけた。
ラッセルにはつい、強い苛立ちをぶつけてしまったけど、僕は頑なに視線を合わせないリフィを見つめた。
青ざめて震えて固まっているってことは、怒られることをした自覚があるってことだよね?
ようやく星色の瞳がこちらを見たと思ったら、デゼルの言葉に反応して…少しムッとした。
僕が声をかけても、いつもの朗らかな声は返ってこなくて。
リフィは、何だか一人でぐるぐると考え過ぎているみたいだった。
それでやっと反応したのが、「おかえり?」って。
人質になっているこの状況で、よく言えたね…。呑気にも程があるよ?
妙に力が抜けてしまった。
それはデゼルとラッセルも同じようで、がくりと肩を落としていた。とりあえず、疑問系なのはスルーしとこう。
場違いなリフィの発言に、周囲は反応に困って鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。僕は笑いを堪えるのが、ちょっと大変だった。
他に何か言うことがあるか尋ねると、反省を促したつもりだったのに、ちょっと悩んで「お土産ってナニ?」って。
僕はさすがに呆れ、それが突き抜けて、笑いたくなった。確かに留守番してたら、買ってくるって約束したけど━━普通、今ここで訊く? たくさんの人に囲まれて、賊にナイフ突きつけられて……君、一応人質だよね?
ラッセルとデゼルが「残念すぎる…」とため息を吐いた。
「……リフィ。この状況で君が気にするのは、そこなんだ…」
「「……お嬢…」」
異口同音で発された『影』二人の言葉には、残念さが滲み出ていた。
リフィが居たたまれなさそうに、両手で目元を覆って俯いた。見えている口元が『隠れたい』と動く。
お土産の確認をする人質…。思わず笑ったら、デゼルとラッセルが生暖かい笑みを浮かべていた。『夜』と他の人たちは、ついていけずに呆けている。もしかしたら、笑う僕が珍しいのかもしれない。
本人も『さすがにコレはないでしょ、わたし!?』って自分で突っ込んでいた。━━うん、そうだね。けど、リフィらしいような気もするよ。
「リフィ」
頬を赤く染めて、恥ずかしいと顔を覆っていたリフィが、僕の声に反応して顔をあげた。
その表情に、周囲がぽーっとなる。けれど、本人は気づかない。僕はにっこり笑った。
「早く片付けないと、お土産なしで僕たちだけで食べちゃうよ」
「えっ…!?」
いや、冗談だから。何もそんな、本気で泣きそうになることじゃないよね!?
本当に、この従兄弟は……飽きないなぁ。
思わず、微笑がこぼれた。
「だから、早く戻っておいで」
すっかり毒気が抜かれ、怒りが萎んで掌を向けると、僕が怒っていないと伝わったのか、リフィの表情が花が咲いたように明るくなる。
「うん!」と、満面の笑みを向けてくれた。……ああ、何か従兄弟が変な人に目をつけられた気がする。
でもすっかりお土産に思考を移したリフィは、気づくどころか瞳をキラキ…ギラギラさせて上機嫌。食欲のためにやる気に満ちていた……。
それからのリフィの行動は鮮やかで、見事だった。
まず拘束するヘルトンに、「力が強くて痛い」と涙目で訴えて━━外野に妙なファンを増やしてくれた。こうやって変な虫が寄ってくるのかぁ…。
ヘルトンは基本、臆病で善良なんだろうね。
訴えを聞いて、嘘とも知らずに慌てて拘束を緩め、手が首筋に触れた。瞬間、リフィが過剰に反応する。
あ、と思ったときには、時既に遅し。すかさずリフィが彼の親指を外側に折った。……咄嗟に理性が働いたのか、まだマシかな。
一拍遅れて認識したヘルトンが痛みに叫んだときには、腕の拘束からしゃがんで抜け出したリフィが足払いをかけていた。
自分の身に何が起こったのか理解してないまま、「へっ!?」と間抜けな声をあげて、ヘルトンの巨体が仰向けに傾く。
流れるように動き、もう体を起こしていたリフィが、下からポンと倒れかけのヘルトンの右手首を叩くと、右手にあったナイフがすっぽ抜ける。それを掴んで、背中を床に打ちつけて訳がわからないといった表情のヘルトンに、リフィは手にしたナイフの切っ先を向けた。
これでチェックメイト。一件落着かな?
大人たちが雁首揃えても対処できなかったのに、リフィがかけた時間は一分どころか、十秒にも満たない。━━お土産の効果は抜群だった…。
事情を知らない『夜』も周囲も、ヘルトン同様に何が起きたのかわからないといった顔。事情を知る僕と『影』二人は、これくらい当然っていう態度。
それにしても、やっぱりリフィはいつでも逃げられて、捕縛できたんだね。ラッセルもそれをわかっていて、リフィに付き合っていた。きっとヘルトンの事情を探るためだったんだろう。
それで話を聞いた後は、罪が重くならないよう彼を説得して、自首をすすめていたところに『夜』が突入してきたといったところかな。
僕は未だに呆けている『夜』の隊長ザイーダと、サンルテア領の本邸を預かる家令補佐兼代理のアルフを冷ややかに見た。
この領地の現在のトップ二人が隙だらけとか、本当にやめて欲しい。
「ザイーダ、アルフ、何をしている? 早く事態を収拾しろ」
僕の声に二人と『夜』部隊が反応して、我に返った。慌てたように部下に指示を出して、封鎖を解き、人だかりを散らす。
その様子を見ながら、よく知らない彼らに預けるのが不安なのか、戸惑ったリフィがラッセルたちを一瞥して、僕を見てきた。
「リフィ、ここは『夜』の管轄だ」
何もしてなくても、花を持たせるのは『夜』であって、『影』じゃない。この領地で『夜』が騒がせていた盗賊を捕まえた、その事実こそが領民にとっても、『夜』にとっても重要なのだから。
僕の言いたいことが伝わったのか、不満げではあったものの、リフィは静かに首肯した。
ただ、ヘルトンを引き渡す前に、彼の体を起こすのを手伝った際、さりげなく折った指を治癒魔法で治していた。
僕はそっと吐息した。
五歳時にあった誘拐事件以来、リフィは他人に首を触られるのが苦手になった。特に男性の手が不意打ちで触れると、過剰に反応する。自分で視認している場合は、触られるのもまだ耐えられるようだけど、それ以外は自然に体が反応してしまう。
家族や僕、信頼して慣れている『影』や友達なら平気だけど、それ以外は拒絶反応が出て、手の相手から逃れて距離を取ろうとする。━━それを見ると死にかけた従兄弟を思い出して、原因を作った犯人にも、間接的に関係した王子たちにも、未だにムッとする。
リフィに治療されたヘルトンは、『夜』部隊の面々に囲まれて、今にも卒倒しそうだった。ナイフを『夜』の一人に預け、去ろうとするリフィの服を、怯えたように掴んで情けない顔で訴えている。
人質にしていた子供に、盾として扱っていた大人がすがるなよ、と思うけど。
僕は嘆息した。
ヘルトンたちには同情するよ。
一番悪いのはゴルド国から来た盗賊だけど、邪険に扱った役人と『夜』も悪かった。その辺は調査して、対応した人たちをじっくり問い詰めて更正させるとして。
僕は困惑する従兄弟に歩み寄り、ヘルトンを見た。
「あなた方の事情は把握しています。他の三名も捕まえて、こちらに移送中です」
「そんな……」
「悪いようにはしません。きちんと罪を償ってもらいますが、あなた方だけに罪を負わせるつもりはありません。きっちり全部に責任をもって対処させていただきますし、村への補償も考えます」
ヘルトンが目を丸くして、当惑したようにリフィを見上げた。
リフィは僕を見て、嬉しそうに笑った。僕の手を取って、自分の隣に引っ張り、ヘルトンに胸を張った。
「大丈夫だよ、ヘルトンさん。安心してケイに任せて。きっとうまいこと解決するから!」
「……リフィ、僕にプレッシャー与えないでくれる?」
走り出したら止まらない従兄弟は、僕の言葉を聞かずに僕の右腕に抱きついて、自信たっぷりに請け合った。
すがるように不安げな顔で見てくるヘルトンに、僕は微笑を向けた。
「既に本当の盗賊の足取りを追わせて、捕縛命令を出しました。近日中に捕まえられるでしょう」
ヘルトンが安堵したように、涙を流した。
僕は周りに聞こえないよう結界を張って、唇を読ませない立ち位置で、謝罪した。
「対応が遅れてすみません。役人と『夜』の一同にも強く言ってきかせます。本来であれば、あなた方の味方となり、力を貸すべき彼らが傲慢に振る舞ったこと、彼らをまとめる立場の者として恥ずかしい限りです。申し訳ありませんでした」
「……え?」
ヘルトンが目を見開いた。リフィが何故か得意げに笑う。
「ケイは次の領主だよ。わたしの従兄弟はしっかりしていて、凄く頼りになって、とっても優秀なの! だから、きっと大丈夫」
「………次の領主、様……」
リフィ、何で君がドヤ顔してるの…。それとさっきの言葉、知り合いを自慢する親戚のおばさんみたいな台詞なんだけど…。
「す、すみませんでした! 領主様の従兄弟とは知らずに、ご無礼を……っ!」
ヘルトンが、何だかワタワタした。自己満足の謝罪を終えた僕は、結界を解除した。リフィが微笑む。
「わたしの一件は罪に問わないから、安心してね」
リフィの一言に驚いたのは、事態の収拾に動いていた周囲の大人たちだった。ヘルトンも呆然としている。困惑して助けを求めるように、僕を見てきた。
「さっきのでわかったと思うけど、あなたにリフィは拘束できないよ。あれは自主的にリフィが捕まっていたから、成り立っていたんだ。誰かが強行に出て、最悪あなたに危害を加えて捕らえる可能性があった。でも人質がいれば、強行手段から守れる。だから護衛のラッセルも動かなかった」
だから僕も、何かの新しい遊びか、と訊いた。あんな緩い拘束で、彼女が逃げられないわけがないから。
情報を全て聞いたらヘルトンを確保しようとしていたのに、折り悪く『夜』が来て、人質のリフィが逃げたら乱暴に扱われるのが目に見えていた。前に一度、村人の彼らへの対応を『夜』は間違えている。
一人の村人が屈強な『夜』たちに囲まれたら、不信感も募って悪い方に捉え、ますます恐怖に支配されかねない。
ヘルトンが瞠目して、リフィを感謝するように見つめた。
それにしても、とリフィが不思議そうな顔をした。
「騒ぎ立てないように頼んでいたのに、何でか大事になっていたんだよね」
「気にしなくていいと思うよ」
僕は微かに身動いだ灰色の髪に緑の目の男と、その男が庇っている銀髪に水色の目をした少年を一瞥した。
あの二人が、キャロルが見つけても放置して欲しいと言っていた、彼女の弟とその従者だろう。
事情聴取を受けるために、『夜』の隊員二人とレストランの片隅の席に移動していく。その際に、目が合った少年に何故か睨まれた。面倒くさそうだから、気づかなかったことにしておこう。
ギルド『女神の片翼』には、ゴルド国から来た盗賊の一味ギルドの情報を求めた。一口にギルドと言っても千差万別で、暗殺者のギルドから人拐いを専門としたギルド等の犯罪者集団のギルドがあることは噂に聞いて知っていた。
今回の盗みは、あまりに手際がよすぎる。
一つの村が丸々被害にあった話を聞いて僕が思ったのは、盗賊ギルドの可能性だった。だから該当するギルドを知らないか、知っている限りの情報開示をドルマンに求めた。
下手すれば国際問題、ギルドマスターであるクルドの責任問題だ。今回の件が表沙汰になれば、ギルド全体の信頼も落ち、この国での活動が困難になるだろう。国民はギルドを警戒して、信用をなくしかねない。
もし今回の盗賊たちが大きな犯罪ギルドの小飼だった場合、最悪、そこと事を構えることになるけど、仕方ないよね。サンルテアの領地にちょっかいをかけて、あまつさえ領民に手を出したんだから。
━━きっちり代償は支払って貰わないと。
リフィがびくり、と反応して不安げに僕を見てきたから、「何でもないよ」と笑顔を返しておいた。
そこに事態をある程度片付けた『夜』隊長のザイーダと、本邸の使用人をまとめる家令補佐兼代理のアルフがやって来て、僕の前に立つと頭を下げた。
「ケイトス様、ご無沙汰しております」
「到着が明日になると連絡を受けておりましたが、まさかここでお会いできるとは」
「道中、盗賊のことを聞いて、民が不安になっていたから。もしこの町を通るのなら、ついでに捕まえておこうかと思って」
ヘルトンを捕らえて、部下たちに指示を出し、ホテルの支配人や野次馬の対応を終えたザイーダとアルフに、僕は笑顔を返した。言外に、対処が遅いと詰ると、二人の笑顔が強ばった。
アルフが直ぐに立て直す。
「それは申し訳ありませんでした。お心を砕いて下さり、ありがとうございます。ところで、そちらのお嬢様はもしや…」
アルフとザイーダが、僕の後ろに少し隠れたリフィに熱い目を向けた。サンルテア直系の姫、シェルシー伯母様の娘を連れていくことは事前にクーガから話を聞いているのに、ちょっと白々しくないかな。
「僕の従兄弟でシェルシー伯母様の娘だよ。リフィーユ・ムーンローザ。一緒に邸に滞在するからよろしく」
僕はやや警戒した様子の従兄弟を見て、苦笑した。リフィに挨拶を促すと、淑女の微笑みと動作で完璧に他人行儀な挨拶をする。その姿をほぅっ、と感心して見惚れたアルフとザイーダ。
はっきり言って、僕はこの二人が苦手だ。というよりも、サンルテア領の本邸があまり好きじゃない。
王都よりも、サンルテア領の本邸が本来いるべき場所なのはわかっている。けれども、本邸の使用人は長くサンルテア男爵家に仕えてきた者が多く、直系じゃない父と僕がサンルテア跡取りであることに、思うところがあるのは気づいていた。
恐らく、僕よりも父の方が風当たりが強かったと思う。父はうまく折り合いをつけて従えているけど、僕はなるべく関わりたくないと思うし、苦手だった。
いつまでもそんなことを言っていられないし、そつなくこなさなくちゃいけないのも、わかってる。
値踏みされる視線も王都で、慣れている。だから問題ないはずなのに、苦手意識が先にきてそれが難しい。
彼らも彼らで僕を苦手としている節がある。ただ、心配しなくて助かるのは、リフィなら諸手を上げて彼らが受け入れてくれることだ。
何たって、サンルテア直系のシェルシー伯母様の娘だから。当然、本邸の人たちも、アルフたちも幼い頃から伯母様を見知っている。
サンルテア家は男系で、女性は滅多に生まれず、生まれても虚弱で、病や事故で早くに亡くなることが多いらしく、久方ぶりに生まれた伯母は、それはもう文字通り溺愛されるお姫様扱いだったと父やクーガ、祖父から聞いた。だから直系の女子のことを、サンルテアの使用人や民たちは、サンルテアの姫、サンルテアの宝、と称することが多いらしい。
そのサンルテア直系の姫である従兄弟は、使用人たちの熱い視線にじりじりと然り気なく後退して、目下、逃亡の準備を図っているんだけど。……とりあえず、僕を盾にしようとするのはやめて欲しいかな。
警戒されているのを感じたのか、アルフが微笑んで口を開いた。
「シェルシーお嬢様に似ておりますね。初めまして、リフィーユ様。お母様が若い頃に使われていた部屋をそのまま残してありますから、お屋敷ではそちらをお使いください。こちらに滞在中、リフィーユ様のことは、このアルフ・ランドルフがお世話をさせていただきますので、よろしくお願いいたします」
昔の母親の話に、リフィが興味を引かれて反応した。お淑やかな令嬢然と、綺麗に一礼して「こちらこそお世話になります。よろしくお願いいたします」と微笑んでいる。━━まだ距離が少し離れているけど。
アルフが少し肩を落とした。その隣でパッと見はわからないけど、左こめかみ付近に傷があるザイーダはリフィを見てご機嫌だった。━━ザイーダ、でれでれして怖いから。『夜』の部下たちが、遠巻きに戦々恐々としてるよ。
僕は肩を落としたアルフに声をかけた。
「デイビットは元気?」
「はい。全体をまとめて指揮を執っているので、こちらには自分とザイーダを派遣しましたが、相変わらずですよ。何がなんでも賊を捕まえてくるまで帰ってくるなと、追い出されました」
アルフが苦笑して、本邸と『夜』をまとめる家令であり、父親のデイビット・ランドルフについて語った。
懐かしいなと僕も苦笑した。
苦手な人が多い本邸だけど、好ましく思っている人もいて、家令のデイビットはその内の一人だった。
「若、お嬢。ご無事ですか?」
ラッセルとデゼルが、僕とリフィの後ろに控えた。
「問題ないよ。ただ二人には、後でじっくり話を聞かせてもらうけどね」
そう告げると、リフィが固まり、ラッセルが乾いた笑みを張り付けた。デゼルからのフォローはない。
リフィが衝撃を受けたように僕を見ると「何で…っ?」と青ざめた。僕から体を離して、逃げるように、ふらりと下がり、後方に控えていたラッセルを盾にした。
二人で仲良く小刻みに震えている。
「じ、事情聴取なら、『夜』の人たちにスルヨ…?」
ラッセルを盾にしながらリフィが言ってきたので、僕はにこやかな微笑みを浮かべた。
「それは後でね。何しろ明日には『夜』のまとめ役がいる本邸に着くから。今日は僕に話を聞かせて欲しいな。お土産はそれからにしようか」
笑顔の僕に、何故か二人の顔色が更に悪くなったけど、話の詳細を聞くまではお土産なしで。
リフィが愕然として俯き、両手で顔を覆ってしまった。
従兄弟、曰く。
お土産がないということは、もふっふわっじゃないアッシュがずぶ濡れでぺしゃんこのようにとても悲惨で、ナンテコッター的に残念なことらしい。
━━うん、ごめん、意味がわからない。
僕は笑顔でスルーした。
・・・ *** ・・・ (リフィ)
万事休す……。
わたしは絶望に似た衝撃に思わず、顔を覆ってしまった。
尋問やだ拷問やだ、お土産なしもイヤだっ!
留守番していたらお土産買ってくるって言ったのに。ヘルトンさんのとこから早く戻っておいでって言ったのに。怒ってないって言ったのに……酷い…。お母様、ケイに弄ばれました……。
「うん、その言い方は多分に誤解を招くからやめて。あと拷問なんてしないから。ただ話を聞くだけ。それから、怒ってないとは言ってないよ?」
わたしは思わず顔を上げて、ぐったりした様子の従兄弟に目を向けた。━━もしかしてまた、声に出してた…?
「とりあえず落ち着いて、リフィ。お土産の前に話を聞かせて欲しいだけだから」
にっこり麗しい天使の笑顔。なのに、黒い不機嫌オーラが見える…? 気のせいかな…。
思わずラッセルを窺うと、白い顔で無になってた。━━あ、コレ危険な展開だ。
退避ー!! は、無理か。それなら、何とか回避を!
必死に頭を動かせて、考えようとするけど……無理。焦るばかりで妙案が思い浮かばない。ヤバい! 絶体絶命のピンチ!?
助けを求めて盾にしたラッセルを見上げた。…斯くなる上は、ラッセルを生け贄にして……。
不意に、こちらを見てきたラッセルの琥珀の目と合ってビックリし、閃いた。少し前の彼とのやり取りを思い出す。
『あ、いや、確かにあいつらが暴走したら怖いけど、若たちはお嬢が泣き落とせば、一発でおさまるぜ?』
……試す価値はあるかも…。
覚悟を決めて。ごくりと、わたしは生唾を飲み込んだ。ラッセルをじっと見つめ、二文字の単語に唇を微かに動かすと、琥珀の目が開かれた。伝わったようだ。ラッセルが僅かに頷いて、生気の戻った顔でわたしを守るように、眼前のケイと相対する。
わたしはラッセルの後ろに顔も引っ込めて、俯いた。手どころか全身が震える。わたしは荒くなる息を整えて、そっと深呼吸。
準備が整ったと、ラッセルの服をくいくいっと引っ張ると、彼が僅かに動いた。
━━よし。絶対、尋問を回避してお土産を手に入れてみせる!
目標がしょぼい気がしたけど、物凄く大真面目!!
「若、もうやめようぜ。お嬢もオレも心配かけて悪かったと思ってる。反省してるんだ」
「ごめんね、ケイ。言われた通り、大人しくしてたんだよ? わたしだって、まさか善意で医務室に運んだ人に、起きるなり拘束されてナイフ突きつけられるなんて思わなかったから…」
しょんぼりと肩を落とし、湿り気のある声で小刻みに震えながら、ラッセルの背後で俯いて告げた。
「そうだぜ。護衛なのに、守れなかったオレが悪かった」
「違うよ。捕まったときは、わたしがヘルトンさんのすぐ横にいて、ラッセルとは距離があったんだよ。あの状態じゃ誰でも介入するのは無理だよ」
「…お嬢」
「話を聞いたら、世間を騒がせていた盗賊だって言われて…それなら、事情とか情報を聞き出した方がいいかと思って、さっきの状態になっただけなの……」
わたしは必死に悲しいことを━━毛をむしられて痩せこけたアッシュを妄そ……思い描き、涙を目に溜めた。
顔を上げて、うるうるに潤んだ瞳をケイに向けると、デゼルが硬直し、従兄弟が僅かに視線を動かした。
「でも、余裕だったよね。すぐに逃げ出せたはずでしょ」
ケイの目線が泳いだのは一瞬。すぐに、ふっと肩の力を抜いて、真っ直ぐ深い森のような目を合わせてきた。━━やっぱり手強い。さすがに慣れてるね。周りはどよめいてデゼルは固まってるのに、その反応…もう少し従兄弟を労って心配しようよ…。
ちょっと悔しくなったので、負けてなるものかと、わたしは闘志を燃やした。
「話は聞くから、とりあえず部屋に戻ろうか」
差し出された手に、わたしはイヤイヤと首を振った。
ここで戻ったら、確実に尋問コースまっしぐら。ピリピリした空気の中で針の筵になるのは、遠慮します!
反射的にぎゅうっとラッセルの服にしがみついて、わたしの返答にやや不機嫌になった従兄弟を見る。……今すぐ、家に帰りたくなりました…。
ナニあれ!? 初めて見たよっ!?
天使が! 可愛いわたしの天使が、般若と悪魔を通り越して大魔王になりかけてる!!
……アレが、俗にいう堕天するという悪魔落ち…。般若心経唱えても、効果なさそう…。
わたしは本能に忠実に従い、逃げようと震える体を叱咤した。
……落ち着け、わたし。ここは冷静に、よーく考えて。
かたや八歳の従兄弟。そして、子供でも精神は大人の(はずの)わたし。
ここで負けていいの? ここはバシッと大人の威厳を見せ━━うん、無理。
弱気やる気なし怠惰のわたしが、やる気に満ちた強気のわたしを即座に否定しました…。って、現実逃避して内なる自分どうしの対決を妄想している場合じゃないよわたし!?
わたしは深呼吸して、怯える心を宥めた。
さすがに八歳の威圧に負けてどうするよ? ここは大人の余裕で対応するべきでしょ。
以前どこかで聞いた名言にこんな言葉があった。━━『女はみんな女優』。
わたしはぐっと拳を握った。
きっと大丈夫。ワタシ大人の女性、今子供でもコレでも女の端くれ。やってやれないことはないはず! よし、やれる!
勢いよく顔を上げて━━悪魔の笑顔に、心臓が凍りつきました。
「リフィ?」
「……」
再度ラッセルを盾にした。
いやいやいや。コレ無理っしょ。
大人の威厳、ナニソレ美味しいの? やれるとか調子にのってさーせんした!
白旗を上げて降参しようとしたら…。
「大丈夫だ、お嬢。怯えなくていい」
頭を撫でる大きなラッセルの手。
演技で『泣く』と宣言して話にのってもらって、散々この凶悪な雰囲気の中で盾にしたのに…。
ホロリときました。
「若、お嬢が怖がってるから、そのピリピリした空気を出すのやめてくれ。そもそもその怒りは、誰に向けられたものなんだ?」
ニッとラッセルが口の端を上げて、笑った。
ケイが息を飲んだのが、わたしにまで伝わってくる。━━ヤバい! 今だけラッセルが素敵にカッコよく見える! すごいね、今限定のラッセルマジック!
励ましてもらったんだから。がんばれ、わたし。負けるな、わたし! 今だけワタシ女優!
わたしはそっと顔を上げた。
ケイどころか、ラッセルもはっと息を止めた。
今にも決壊しそうなほど、わたしの目には涙が溜まっている。瞬きをすれば、はらりと零れるだろう。
息を詰める二人の様子を見て、わたしは内心でガッツポーズを作った。
━━大丈夫、イケる。勝算は半々だけど、やってみる価値はある! 女性の涙は最強の必殺技って聞いたことあるし、ここぞというとき使わず、いつ使う!?
悪女の手管? んなもん知るかっ。こちとら恐怖の尋問回避に必死っすわ。
演技ではなくぷるぷる震えながら、従兄弟を見つめ、一度大きく瞬きする。予想通り、わたしの頬を水滴が伝った。
ケイが驚いた顔をして、漂っていた不穏な空気が霧散した。心の中でわたしは拳を突き上げた。━━よし、勝った!!
「……リフィ、ごめん。怖がらせるつもりはなくて」
申し訳なさそうなケイに、いつもの天使の姿に、わたしは胸を撫で下ろした。良かった、悪魔が去った。
わたしがラッセルを見上げると、ラッセルは微笑んで頷いてくれた。ごしごしと袖口で涙を拭いて盾から体を出し、わたしは従兄弟にそろそろと歩み寄る。
「大丈夫。今のケイは怖くないから」
そっとケイの左手を両手で包むと、安堵したように笑顔を向けられた。━━愛らしい天使の笑顔、いただきました!!
安心してください、まだヨダレは出てないから。ごくりと生唾飲んだだけだから。ワタシ危ない人じゃナイデス。
魔王が天使に封印されたこの状態なら、部屋で話すことになっても大丈夫なはず。やった! 無事に回避できた!
ラッセルの琥珀の目と視線が合って、お互いに笑顔で頷きあった。
すると、危機が去ったと思っていたのに、何だかレストランの入口が騒がしい。何ごとかとそちらに目をやると、見知った姿が。
「「お嬢っ!!」」
「ぐはっ」
駆け寄ってきたセスとマシューに体当たりされました。いや、比喩じゃなくマジで。
消化中の胃から夕食がせり上がってきたよ。でも淑女教育の賜物で何とか堪えた…。わたし偉いと、今は誉めていい気がする!
それなのに、セスがマシューからわたしを横取りして後ろからお腹に手を回した状態で、ぎゅうぎゅう絞めてきた。
「お嬢、無事で良かった! 心配したんだぞ?」
「セス、邪魔。どいて」
「ぅおうっ」
今度はセスからわたしを取り返したマシューに、正面から抱きしめられた。……うぅっ、乗り物酔いの気分…。
「お嬢、どこにも怪我はない? 変なことされなかった?」
━━うん、二人がスッゴく心配してくれたのはわかる。迷惑かけてごめんね、気にかけてくれてありがとう。でも今は放してくれないかな。じゃなきゃ、吐くぞ!?
土気色で動かなくなったわたしを心配して、ラッセルがひょいとマシューの腕からわたしを取り上げた。……何でしょう、この愛玩ペットになった気分。
「あ! 返してください、ラッセルさん」
「そうですよ、お嬢はオレが守りますから」
「……お前らなぁ…」
ラッセルが呆れた。
わたし、今はラッセルを支持するよ。今日はどうしちゃったの!? っていうくらい、さっきから頼もしい!
「お二人とも、落ち着いてください。二人が力の限り締め付けたせいで、お嬢の顔色が悪くなってるんですよ。お嬢は繊細で小さな女の子なんですから、手加減してください」
ナイス突っ込み、デゼル。
まさにソレ。
二人ともわかった!? わたしは、デリケートでか弱い子供だから、丁寧に扱うように!
そんなことを思っていたら、セスとマシューがからからと笑い出した。ラッセルも、「繊細?」と首を捻るな。今ので急にカッコよくなくなった! ━━三人とも。明日の朝練、覚えとけよ。
今はグロッキーで動けないけども!
「頭は大丈夫か、デゼル? お嬢が繊細とか、何の冗談だよ」
「セスの言う通りだよ。繊細なお嬢様は、自分を捕まえてる賊と呑気にご飯食べて自己紹介しないって」
「だよなぁ。聞いたときは、マジかと思ったぜ。さすがお嬢、オレらの人質のイメージひっくり返されたぞ」
「………」
けらけらと楽しげに笑う二人を、殴って黙らせたくなりました。━━よりにもよって、なぜ今そこを蒸し返したっ!?
ラッセルがひゅっと息を詰めた。
ワタシはそぉっと従兄弟に目を向けて、ラッセルに抱きついて顔を隠した。
笑顔で、魔王が再臨してた…。
もう無理。せっかくうまくいきかけてたのに!
セスとマシューのバカ。もう知らない。大嫌い。
呟きが聞こえたのか、ラッセルがよしよしと頭を撫でて、慰めてくれた。
「そういえば、リフィは夕飯を済ませていたんだったね。それならもう、夕食もお土産も今日はいらないかな」
「大魔王のケイが苛める…」
「そっか。リフィは明日もお土産いらないんだ。僕たちで全部食べるかな」
「全部、不可抗力だもん。心配と迷惑かけたのは悪かったと思うから謝るけど、他は何をそんなに怒ってるの? わたし何もやらかしてないよ? 理不尽だー」
ジトッと恨みがましい目でケイを一瞥して、ラッセルに隠れた。今日はついてない。精神が磨耗してもう寝たい。気持ち悪い……のは、明らかにセスとマシューのせいだね。はぁ…。
「リフィ」と、ケイに声をかけられたけど、気持ち悪くて無理。今、口を開いたら、吐く。青白い顔で目を閉じて、抱き抱えるラッセルに体を預けた。ケイから当惑した気配を感じたけど、ごめん、わたし今フォローする余裕ない。
背中を撫でられながら、とんとんとゆっくり叩くラッセルの手拍子に呼吸を合わせて、徐々に落ち着かせていく。
「若、お嬢に話を聞くのは無理だ。少し休ませてからじゃないと。セス、マシュー…お前らは手加減を学べ。じゃなきゃ、お嬢に避けられるぞ」
「そんな…」
「お嬢が心配だっただけなのに…」
二人の言葉に、はっとした。心配をかけたのは事実だよね。わたしがそこら辺の冒険者よりも強いのは皆が知ってる。それでも五人とも、物凄く心配していた。
わたしもケイが強いのは知ってるけど、何かあれば心配で不安になって仕方がない。
ラッセルにもう大丈夫だからと下ろしてもらい、わたしはこの雰囲気に困惑しているデゼルに近づいて、見上げた。
ちょいちょいと手を招くと、デゼルがしゃがんでくれる。わたしはそっと内緒話をした。
「デゼル、わたし強いよね。それでも心配した?」
デゼルは目を丸くして、「はい」と真剣に頷いた。
そっか。能天気なわたしと違って、皆、心配してくれていたんだ…。じんわり感動した。
わたしは様子を窺う面々を見て、ケイに目を向けて、ぎゅっとデゼルに抱きついた。
「ありがとう、デゼル。心配かけてごめんなさい」
耳元で囁いて、いきなりのことに驚いているデゼルに笑って、わたしは離れた。それから、不安そうな従兄弟をぎゅうぎゅうに抱きしめた。
突飛なわたしの行動についていけなかったのか、ケイが驚いて固まった。「リフィ?」と心配する声で呼ばれる。
「ごめん、心配かけた。でもわたしは怪我もないし、こんなに元気で大丈夫だよ。ケイ、わたしが凄く強いのは訓練を見てきて、手合わせもして知っているでしょ? ……まぁたまに、やらかすけど、わたしはそう簡単に死なないし、傷つかないよ。だからもう少し信頼して」
少し離れて、瞠目するケイの顔を見た。じっと深く濃い緑の瞳を見つめる。
「わたし、もう守られるだけの存在じゃないよ。わたしだってケイやお母様、メイリンや叔父様、ラッセルたちの手助けになれるくらいには強いからね」
真実はともかく、ここは自信たっぷりにドヤ顔しときました。
実際に、そりゃあもう必死で訓練しましたから。得意不得意はあっても精霊魔法は完璧に操れて制御できるし、今ではゴルド国の魔方陣も簡単なものなら使える。万物や事象を表すそれぞれの文字や記号は覚えたから、後は基本にアレンジして応用は可能だしね。
お母様用の薬だって、わたしに薬学を教えてくれた先生や土精霊の協力のもと、一年以上かかっているけど、ほぼ完成は間近。ケイが取り寄せてくれたブロン国の本のお陰でもあるけど。いやホント、従兄弟様々です。
本当に本っっ当にっ、未来とシナリオ変えるために、コレでもかなり真面目にせっせと小細工してます!
ぐっと拳を握って、強くなったと力説したわたしに、ケイが「まったく君は…」と呆れたように、それでいて憑き物が落ちたように笑った。……あぁ、癒される~。
可愛い! と抱きついたわたしに、ケイが息を一つ吐いた。わたしの背中に腕を回して、観念したように少し目を伏せて、わたしにだけ聞こえる声で教えてくれた。
「……凄く、心配した。ここは安全だと思って、君の反論を封じて置いてきたのに、僕の判断ミスのせいで怪我をさせていたらと思うと……怖かった…。リフィを残してきた自分に、腹が立ったよ」
━━懺悔したケイが、めっちゃ可愛かったです!
いや、もうコレ鼻血もの。出さなかったわたし偉いっ!
同時にラッセルの言葉の意味がわかった。怒って苛立っていたのは自分自身に対してか…何か、クールというか一つ年上なだけなのに責任感強いね。
よしよしとケイの頭を撫でた。ケイが驚くけど、気にしない。
幼いのに、色々背負ってるんだなぁとしみじみ思った。
たまに出たお茶会で見かけた貴族の子供は、ここまで━━…いや、違うか。ケイほど真面目に貴族として意識して振舞い、領地や国民のことをしっかり考えている貴族をわたしは見たことがない。もしかしたら、他にもいるのかもしれないけど……お忍びで町にいたあの王子たちを見る限り、不安がある。
ケイも前に言ってた━━幼い頃から熱心に勉学や魔法、武芸に取り組んでいる王候貴族は少ないと。
最近、気になった噂がある。
それはゴルド国が兵力を増強しているらしいこと。
フロース・メンシスとして、ギルドで聞いた噂だから真実はわからない。事実だったとして、その理由も知らない。
黒の森の魔物が活発したからかもしれないし、別の目的があるのかもしれない。
ゴルド国の魔方陣は色々応用がきくけど、描く時間が勿体ない。魔方陣を簡略化すれば威力効力が落ちるし、事前に描いておいた魔方陣を携帯して使っても、使う陣を間違えたり、陣に注ぐ魔力を間違えたら大変なことになる。
しかも一回使う度に魔方陣は消えるから作り直し。戦闘向きじゃない。わたしの場合、咄嗟のときは使い慣れた精霊魔法が出る。事前に強力な魔方陣を用意しておけば脅威だけれど。
黒の森とゴルド国と隣接したサンルテア領地は、改めて重要な土地だと認識させられた。それを叔父様とケイに任せている。
……わたしは呑気に自分のことばかり考えているのに…。でも、だからこそ、わたしは自分の決めたことはやり遂げようと、この従兄弟を見て強く思うようになった。わたしが男爵家に入って政治や領地経営を学ぶより、ケイが生きて治めた方が、確実にこの国と人のためになる。
「ケイ。もし今後、今日みたいにわたしが人質になったとしてね、仮に怪我をしたとしても、それはケイのせいじゃないよ。わたしが未熟だったのと、確実に犯人のせいだから。ケイが責任を感じることじゃないからね」
たくさん背負っているんだから、わたしの分くらい気にしなくていい。そう言ったら、更に驚かれたけど、わたしは笑った。ついでにラッセルの助け船を出しておく。
「だから、ラッセルに罰は必要ないからね」
「リフィ、それは…」
「ケイが命じた護衛が出来てなかったって言うんでしょ。でもその命令を阻害したのは、わたしだよ」
わたしは笑って、デゼル、セスとマシューを見やった。
「三人は、わたしにそこを動かないでって言われたら、そのお願いを聞いてくれるでしょ?」
当惑しつつ、三人が互いの顔を見ながら、首肯した。わたしは笑みを深くした。従兄弟に向き直る。
「ほらね。『影』の面々はわたしの言葉を聞いちゃうんだよ」
「そうだとしても、僕の命令を優先しなければいけなかったのに、それができなかったのはラッセルの落ち度だよ」
ケイが冷静に言ったけど、ほぼ毎日一緒にいて顔を会わせる長い付き合いだからね。わたしには、そんなことしたくないって感情が見えていた。でもそれじゃ、他の『影』にも『夜』にも示しがつかない。
「そうだね。だからラッセルはケイの命令通り、護衛の仕事を実行しようとしたよ。そのラッセルを、わたしが動かないでって止めたのが原因だから、罰は代わりにわたしが受けるよ」
にっこり笑ったら、ラッセルたち『影』の面々が、水だと思ったら酢でも飲んだような顔をした。
・・・ *** ・・・ (ケイ)
リフィの発言に純粋に驚いた『影』たちを見て、僕はにっこり笑いつつも、一歩も引かない星色の目を正面から見た。
「それにここで罰を与えるのは得策じゃないと思うよ。例えばご飯抜きにしたとして、魔物や手練れの賊に襲われてラッセルが本来の力を出せなかったら、それこそ困るでしょ?」
……うん。リフィ、言いたいことは何となく伝わってきたよ。ただね?
僕はちらりと彼女の背後にいる『影』たちを見た。
「お嬢…」と感動しつつ、苦笑いのラッセル。嘆息して「何でそこでご飯抜きが罰……」とセスが呟き、「ちょっと残念だね」と苦笑するマシュー。デゼルも困ったように笑っていた。
でもリフィは全部スルーした。
或いは、僕を説得することしか見えてないようだ。
一方で、ラッセルを庇う姿に、僕は出会った頃を思い出していた。
執事のジャックを小さな背に庇い、震えながらも父と僕の前に進み出て、しっかり目を合わせてきた今よりも幼かった少女。
その様子がとても眩しく見えて、自然と頬が緩んだ。「変わらないね…」と称賛を込めて、言葉がこぼれた。
すると、成長していないという意味にとったのか、リフィが少し慌て出した。何やら一生懸命に考え込んで、焦ったように口を開く。
「わ、わたしだって成長してるよ? えーと、ほら、髪も身長も伸びたでしょ?」
弁明(?)らしきものを告げたリフィの後ろでは、ラッセルたち『影』が笑いを堪えながら、「身長はわかるけど、髪って…」と顔を背けていた。
僕は目の前で得意顔の従兄弟に絆されて、生暖かい目を向けながら頭を撫でた。
僕は「仕方ない。今回だけね」と言うと、リフィがほっとしたように笑った。すっかり毒気を抜かれてしまう。
その後、安心したからか、緊張した疲れが出たのか、眠そうに目を擦り、ぼんやりしてふらつくリフィを部屋に運ぶよう、ラッセルに命じた。
ラッセルがリフィを抱き上げると、うとうと微睡みながらリフィが僕を見てきた。
「ケイ。わたしの心配してくれてありがとう。また明日」
リフィがふにゃりと笑うと、周りの動きが止まった気がした。
ラッセルがはっとして、僕に一礼して部屋でリフィを寝かせるために、レストランの入り口から出ていった。
『影』は言わずもがな、その場にいた『夜』も事情聴取から解放された銀髪の少年たちも、その彼らを取り囲んでいた『女神の片翼』も、ホテルの従業員の男女も頬を染めて、呆けたようにラッセルたちを見送った。
僕はバカなことを考える大人がいないことを願った。じゃなきゃ、痛い目に遭うこととサンルテアを敵に回す覚悟で、彼女にちょっかいをかけに来るしかない。思わず、深いため息が出てきた。
そんな僕の横にスッとアルフが並んだ。まじまじと僕を見てくるので、居心地が悪い。
「暫く見ない内に、大分変わられましたね、ケイトス様。正直、とても意外でした」
「僕らしくなくて不安か?」
皮肉ったつもりなのに、アルフは今まで見たことのない柔らかな笑みを浮かべた。珍しい顔に僕の方が驚かされた。
「いいえ。以前のあなた様でしたら、不安だったことでしょう。飛び抜けて優秀ではありましたが、淡々と勉強をこなして武術を行使し、正しくても感情がない人形のようで、そんな方が領主となり人を導いていけるのか、とても恐ろしかった。ですが、今はとても安心しております。父が言ったことは正しかったのですね」
「デイビットが?」
「はい。いずれ変わると。ケイトス様なら王都で、周りからいい刺激と影響を受けて、きっと良い方向に変化していくから心配ないと。私が浅慮でした。ケイトス様でもあのように上手くいかずに、焦ることも不安になることも笑うことも怒ることもあるのですね。━━安心いたしました」
「……どうして」
「今回のように、領民が罪を犯したとき裁くのは領主です。以前のあなた様でしたら、罪は罪と法令や判例に照らし合わせて、領民の事情をあまり省みることなく、裁いて罰を下したことでしょう。それもある一面では正しいのでしょう。けれどきっと、民には痼が残ります。不信感も」
アルフの懸念していた指摘に、僕は納得した。確かにそういうところがあった。四角四面に、人形のように他者を省みることなく、国の歯車の一部として淡然と役目をこなし、役割を演じ続けただろう。考えて、ゾッとした。僕だったらそんな領主、不気味で仕えたくない。
「今までのご無礼、申し訳ございませんでした。今後ともサンルテア領地をよろしくお願いします」
「…こちらこそ。身をもっていい体験させてもらった。仕える主を監視し、諌めることが必要なときもあると。……僕は部下に恵まれたみたいだ」
僕は最初から面倒ごとを切り捨てて考えていた。
アルフたち然り、あの王子兄弟然り、その取り巻き然り。それも改める必要があるのかもしれない。━━基本、後者の二つは今まで通りでも問題ない気がしたけど、不満と文句を言うのではなく、もう少し歩み寄って成長するのを見てから判断するのもいいのかもしれない。今のところ仕える気はないから、とりあえず友達として。
「お話し中、失礼します。ケイトス様、関係者の事情聴取を終えました。捕まえた四人の領民はこの町の『夜』の支部へ移送し、詳細を個別に聞いております。また今回の彼らの対応に当たった不遜な役人と『夜』の支部へは、内密に監査に入りたいと思います。本当の賊の手配は既に領内に通達し、領境の警備と検問を厳しくしました」
ザイーダの報告に、僕は頷いた。『夜』の面々とザイーダ、アルフを見て、従兄弟に言われた『もう少し信頼して』という言葉を思い出す。僕一人で対処するのは、限度があるよね。
「今回の件は、アルフとザイーダに任せる。進展があったら随時、僕に報告を」
二人が「畏まりました」と頭を下げた。
僕は『女神の片翼』たちへと足を向けた。頭を下げる二人の前で、立ち止まる。
「アルフ、ザイーダ。今後ともよろしく頼むよ」
二人が驚いたように顔を上げて、微笑んだ。深く頭を下げられる。僕は『影』をつれて、今後の話し合いをするために『女神の片翼』に近づいた。
・・・ *** ・・・ (リフィ)
極度の緊張状態から解放されて、爆睡すること四時間。
目が覚めると、わたしは真っ暗な室内のベッドの上にいた。魔法で小さな光を一つ室内に灯して時計を見ると、もう少しで日付が変わるところ。
ベッド横のサイドテーブルには、伝言のメモが一枚。
「早朝訓練なし。七時に朝食、八時半に出発」
読み上げて、ちょっとガッカリ。セスとマシューに体当たりのお返しが出来ない!
俯くと、メモの下方に追伸があった。━━お土産は明日ねって、さっすが従兄弟様!
気分が浮上した。
お風呂に入って寝ようかと考えていたら、机の上に出しっぱなしの薬草や乾燥した果実や種、花たち、乳鉢や乳棒が目に入った。すっかり忘れてたけど、ケイたちを見送るまで、塗り薬とお茶作りをしてたんだった。
わたしはベッドを降りて、机に近づいた。椅子には、オーナーさんに貰った薬草が入ったポシェットが、置かれている。
わたしは机の上を片付け始めた。
残念なことに、わたしには珍しい料理やお菓子作り、美容品の化粧水やら香水、シャンプーやリンス、ハンドクリームや洗剤を作るといった前世を利用した知識と才能がない。そりゃもう壊滅的に。あれば、商会の商品として売りにできたのかもしれないから、非常に残念なんだけど。
食べるのと使うの専門で、漫画や物語や文学しか読んでこなかったからなぁ。
まぁ知識があったとしても、既にこの世界にあるから改良して別の売り文句を付けないと、爆発的に売るのは難しかったけど。
そんな中で、辛うじて何とか出来そうだったのが、薬を作る過程で薬草やハーブに詳しくなったから、健康茶ならできるかもと思い付いたこと。それで始めてみたけど、不評だったよね…。うん、そう簡単にはいかなかった。効能はバッチリだったのに……。
今も試行錯誤の繰り返しだけど、楽しんでやってる。
それで偶然にも美味しくて香りのいいお茶ができたら、先生やお母様たちに試飲してもらって、商品化を目標にしてるんだけど道のりは遠そうだなぁ。今度、お茶の農家でも訪ねて修行してこようかな。
今優先するのは、ケイとお母様だけど。
机の上を綺麗に片付けて、わたしは明日の着る服を用意しようと、お母様が詰め込んでくれたトランクを初めて開いた。
今までは、自分で詰めたボストンバッグやメイリンの詰めたトランクで間に合っていたから、このトランクを開けるのは初だ。
目に入ったのは、折り畳まれた服や下着、タオルの上に一通の手紙。お母様の筆跡で、わたし宛。
何だろう。滞在の注意事項かな?
封を切って便箋を取り出して開く。
「うげ」と、呻いたわたしは悪くない。予想通り、お母様からの注意事項だった。
規則正しい生活を送ること。一人で勝手に出歩かないこと。節度ある服装を心がけること。間食は程々にすること。……さすがお母様。娘の生態をよくご存知で。
他に、ケイの言うことを聞くこと。『影』に迷惑をかけないこと。お菓子を見せられても知らない人についていかないこと。危険に首を突っ込んでいかないこと。……あのー、お母様? わたしそこまで無謀じゃないと思うんです。いや、子供への注意事項としては適切なのかな…複雑だ。
ああでも、心配してくれてるんだなぁ。ほっこり胸が暖かくなって感動しつつ、二枚目に移る。何だかお母様に会いたくなってきた。
魔物に戦いを挑んで突っ込んでいかないこと。
わたしはそっと便箋を折り畳んだ。
そろそろ寝ようかな。少し寝たら、ご飯とお土産だし。
…………………。…………………はぁ。
わたしは渋々、再度便箋を開いた。
ちょっとお母様、わたしはあなたの中でどういう娘なんですか!!
魔物に戦いを挑んで突っ込んでいかないこと━━って、当たり前でしょう!?
わたし戦闘狂じゃありませんよっ?
向こうから挑んで来ない限りは無視しますよ!
あと気に入らない場合と、むしゃくしゃしていない限りは放置しますから安心してください。
えーと他には、怪我をしないこと。淑女らしく振る舞うこと。ケイたちと仲良くすること。変態に捕まらないこと。……うん、わたしも遠慮したいです。
それから三枚目に移り、お母様の本当のお願い事というか懸念事項を知って、わたしはそっと息を吐いた。……わたしを悩ませる心配事がまた増えた…。
そして結びには、笑って皆で無事に帰ってくること。
とりあえず、了解しました、お母様。
上手く出来るかはわかりませんが、出来る限りの最善を尽くしましょう!
道中、本邸のことを訊くと、少しだけ固い笑顔を浮かべた従兄弟を思い出す。ヘルトンさんたちを捕らえた『夜』とアルフさんと対峙したときのことも。
━━でも一番は、うちの可愛い従兄弟を毒牙にかけんとする魔物退治を優先で。……って、コレか! 注意事項の魔物に戦いを挑んで突っ込んでいかないこと。
お母様の注意事項、半端ねぇー…。
とりあえず、……何でお母様がそんなことをご存知なんでショウカ…。怖いけど、偶然だよね。
わたしは便箋を封筒に戻して、異空間ポシェットに入れた。
着替えを用意して、もぞもぞとベッドに潜り込む。
「……寝よ」
考えてもわからないことは棚上げ放置で。
明日は明日の風が吹くから、寝てから考えよう。
寝る子は育つし、果報は寝て待てだし、寝るのが一番だよね。
わたしは惰眠を貪るべく、魔法で灯した光を消して、夢の世界に飛び込んだ。
お母様の注意事項は偶然です。
無駄に長くなりました。ここまでお疲れさまでした。
次は例の事件の序章になるかと思います。




