16, 7才 ③
静まり返った白い壁の清潔な空間に、時計の針の音だけがカチコチ響く。
丸い壁時計をぼんやり見ると、もうすぐ午後六時だ。
わたしはこっそり、ため息を吐いた。
表情は落ち着いているけど、顔色はさぞかし青ざめていることだろう。実際に、心の中は恐慌状態。混乱と弁明の嵐だ。
ヤバいヤバい。コレは、ヤバい。マジでヤバい。
わたし巻き込まれただけなのに、絶対に後で麗しの従兄弟からお叱りを受けるパターンだよ。頭が痛いっ!
仕方ないじゃん。約束通り、ちゃんとホテルの敷地内で大人しくしてたよ。庭の散歩中に偶然、倒れていた男性を見つけて助けたら、ナイフ突きつけられちゃったんだから。うん、わたし悪くない。運が悪かった事故みたいなもの。
そう何度も言い聞かせているのに、背中の冷や汗が止まらない。本当に何てコトをしてくれたんだ、このおじさん!!
怒らないから、わたしを解放してくれないかな!?
あ、無理。そりゃそうですよね。わたし人質ですもんね?
コンチクショウ。
でも今の内に解放しておいた方が、まだ命拾いすると思うんです━━あなたの命が。そうじゃないと、わたしやラッセルよりも怖い人たちがやって来るので。……あ、想像したら、体に震えが。
うぁー、こーわーいー。
何で人質になってるの、とか言われるよ。訓練が足りなかったんだねとか、言ってきそう。
いやいやいや。無理だから。どっからどう見ても不可抗力!
わたし人道的に病人の面倒を看ただけ。
理不尽な要求反対! ここは断固抗議して徹底交戦しなければ!!
そんな楽しくない未来予想をしていたら。首に回された男のがっしりした左腕に引っ張られ、仕方ないので一緒にそろそろとベッド側から医務室の入り口へと移動する。
青ざめて震えるわたしを苦しげに見ながら、ラッセルが安心させるように口を開いた。
「……大丈夫だ、お嬢」
その点は疑ってないよ。だから、素直に頷いた。
「うん、こっちはね。ただ後でケイたちの反応が……」
自然に、ぶるりと体が震えた。
想像するだけで、本当に怖い。
正直に懸念事項を伝えたら、唖然としたラッセルが脱力した。
「……そっちかよ。この状況で、お嬢が気にすんのそこかー…」
突然のわたしたちのやり取りに、わたしを人質にとっているおじさんも、巻き込まれた銀髪の少年とその従者、医師もポカンと口を開けていた。
「あ、いや、確かにあいつらが暴走したら怖いけど、若たちはお嬢が泣き落とせば、一発でおさまるぜ?」
そうかなぁ。
わたしでも抑えられる自信はあんまりないよ。わたしが得意な魔法を使っても、本気のケイとはギリギリやりあえるかどうかだし。止めるのは難しい気がする。
わたしの困惑が伝わったのか、ラッセルも合流してからの未来を想像して遠い目になった。
「とにかく、お嬢さんを放しなさい。その子は傷ついたお前さんを見つけて、介抱してくれたんだぞ。悪いことは言わん。お前さんだって本調子じゃなかろう」
丸眼鏡をかけた白髪が目立つお医者さんが、諭すように語りかけた。
わたしを拘束しているおじさんが、当惑したように腕の中で震えているわたしを見下ろし、目が合った。
困り顔だったおじさんがはっと息を飲む。わたしは拘束されながらじっと見つめられて、居心地が悪い。肩から首に回された太い腕に力が入って顔を顰めると、おじさんが慌てたように力を緩めた。
………あんまり、悪い人じゃないのかな。
「何故こんなことを? お前さんはこのホテルの宿泊客じゃないのか?」
お医者さんが事情を聞こうと、交渉に乗り出す。流石は年の功。あまり動じてないみたい。
わたしも何でこんなことになっているか知りたいから、目で動かないようラッセルに合図した。わかってる、とラッセルが瞬きを一つ返す。
「━━オレは……。巷を騒がせている盗賊の一人だ」
まさかのカミングアウト。
そしてなんたる偶然。お探ししてました!
ラッセルを見やると、彼は静かに頭を振った。だよね、話には聞いていたけど、知るわけないよね。
「その盗賊が何故こんな場所にいる? そもそも何故盗賊などしているんだ?」
「追われて仲間とはぐれた際の次の待ち合わせ場所が、ここだったんだ」
思いの外、素直に話してくれた。盗賊になった理由も。
盗賊たちは、元はサンルテア領の港町に近い村で、猟師と木こりと農作業をして、質素に暮らしていたらしい。
そこに、船で来たと隣国ゴルドから男五人の隊商がやって来た。歓迎して、数日一緒に過ごし、すっかり仲良くなった。
各家の売り物を買いたいと言われ、こんないい材木や燻製肉や毛皮は見たことないと誉めそやし、買い取りに提示された金額もいつもよりも高くて、この一冬も安泰だと村人皆が浮かれ気分。
旅立つ前に、村人が全員参加の宴会が開かれるくらい打ち解けていた。
だが翌朝、村人が起きると日がすっかり高く、男たちは旅立った後だった。村人の家宝や、冬を越すために用意していた財や売り物を持って。
村中の家から売れそうな物が、根こそぎ無くなっていた。
愕然とし、近くの町の役所に事情を説明に行くと、「そんな馬鹿な話があるか」と嗤われて相手にされず、仕事の邪魔をするなら詐欺として捕まえる、と本気で脅されたので、引き下がったらしい。
それならと、領地内に散らばる『夜』の駐屯所を訪れたものの、役所と似たり寄ったりな塩対応。誰にも信じてもらえず、それなら直接村を見て盗賊を捕まえてくれと頼んでも、忙しくて行けないと断られた。
確かにこんな話、普段の自分たちも、そんな馬鹿なと荒唐無稽として相手にしない。
途方にくれ、然りとて男たちを赦すことが出来ず、怒りが燻っている。このまま泣き寝入りするのも癪だ。他に被害に遭わない村がないとも限らない。
それならと、村人たちは一計を案じた。
今後、盗賊の彼らが自由に動けず、いつバレるか戦々恐々とするように、意趣返しとして自分たちが盗賊の真似事をして世間を騒がせ、本当の盗賊たちを動きにくくすると同時に周囲に警戒を呼び掛け、注意を促す。
自分たちが捕まったら、本当のことを話して対処して貰えたら、と願いながら。
勿論、盗った物も使わずに残っており、きちんと持ち主に返すつもりだったとのこと。
「じゃあ何で今、そいつを人質にして盾として扱っているんだ」
銀髪の少年が冷ややかに、水色の目で猟師のおじさんを睨み付けた。
まぁ、正論かな。事情は解ったから、それならそろそろ解放して欲しい。というか、捕まる覚悟をしていた割には、一昨日の夜、逃げたよね。
本能で捕まるのが怖くなったと言われたら納得だけど、後で返すつもりだったとはいえ、人の物を盗んだことに変わりはない。自分たちがされて嫌だったことを他人にもして、罪を犯したのだから。
それに今、わたしを人質として捕まえているのは、このおじさんの捕まりたくない、逃げたいという心理が働いているのかな。
「事情はわかった。とにかく、お嬢さんを放しなさい。このまま他の人たちにもその姿を見られたら、取り返しがつかない大事になる。今ならまだこの場だけの話に出来るから。お前さんは仲間と自首した方がいい。だから、関係のないお嬢さんを放しなさい」
「……でももう、こんなことしたら話を聞いてもらう前に、この子の親が出て来て罪が重くなって……貴族に手を出したオレのせいで仲間たちの罪も重く……」
……えーと、何か悪い方向に考えている、よね?
ちらりとラッセルを見ると、心得たように頷いた。
おお、ラッセルが頼りになる!
「安心しろ。お嬢は貴族じゃねぇよ。平民だ。ここでのことは、お嬢を解放してくれたら、罪には問わねぇ」
ラッセルの言葉に、うんうんとわたしが首を縦に振る。━━って、何でこの場の全員が驚いて、わたしを見ているのかな?
え、ナニ。わたしが貴族じゃないのが、そんなに意外? それとも寛容に赦すと言っていること?
「嘘だ! この子はお嬢様だから、あんたみたいな護衛が付いてんだろ。さっきだって、この後の暴走がどうのとか言ってたじゃねぇかっ!! 目が覚めたオレが気が動転してこんなことをしたせいで、他の奴らにまで迷惑が……っ!」
震えるおじさんが、悲鳴みたいな声をあげた。
あ、そこでそっちの悪い方向に話を繋げちゃうんですか。困ったなぁ。穏便に済ませたいのに。わたしだって怒られたくないから、ラッセルと口裏合わせてこのことは黙っておこうと思っているのに。……仕方ない。
「あの、お話を聞いてましたか?」
思い切って声をかけたわたしに、注目が集まった。
「あなた方の事情はわかりましたし、わたしは貴族じゃなくて平民です。役所と『夜』の対応がもっと誠実であれば、あなた方が思い悩んでこんなことをしなかったと思うくらいには、お気持ちお察し致します」
……何で皆さん、奇妙なものを見る目でわたしを見てるんだろうね?
子供らしくない? ははっ、今更だから。ていうか、ここを乗り切らないと、後でわたしの精神がゴリゴリ削られる事態になりかねないし、ケイたちにバレる前に解放されたくて、そりゃもう必死っすよ。━━おやつ抜きとかもう嫌だ!
「あなた方が訴えた件については、恐らくわたしの知り合いに頼めば対処してくれると思いますから、とりあえず落ち着いて、お仲間を待ちましょう。なので、わたしを解放してくださいませんか?」
穏やかに促したのに、何故かおじさんに泣きそうな情けない顔を返された。蒼白い顔の中に、張りつめた糸が切れそうな危うさがある。
「やっぱり貴族のお嬢様だった! そんな口利きが出来る知り合いがいるってことは、相当偉い人と繋がりがあるってことだろ?」
「……あのー、わたしの話を聞いてました? わたしは平民だって言って━━」
「あんた手放した途端、捕まって牢屋行きで処刑なんて……」
「え、何でそこまで話が飛躍したの?」
「やっぱりダメだ! あんたは手放せない!! 悪いが、もう少し付き合ってもらうぞ、お嬢様。あんたの身柄と引き換えに交渉して、きちんとオレたちの身の安全の保証が確信できたら、解放するから」
「いや、わたし命綱じゃないんで、そんな役目を期待されても……駄目だ。すっかり恐怖に支配されて変なことを思い込んでる。話が通じない…」
こんな状態のおじさんに何を言っても無駄かな。徒に刺激したくないし、余計なことは言わないでおこう。
ラッセルを見ると、苦々しく思っていても表情は隙を伺い、冷静そのもの。わたしは顔の左下にある自分に向けられたナイフを一瞥した。ちょっと怖いけど、まぁ、たぶん大丈夫な気がする。
それよりは、髪がこのおじさんの服のボタンに絡まって、地味に痛い。おじさんは大きいけど、わたしも百二十センチはあるから、ちょうどこの人のお腹辺りにわたしの頭が来る状態。伸ばしていたわたしの髪が、シャツのボタンに引っ掛かっているみたい。
早く解放して欲しい。そう思って、ため息をそっと吐いた。
ぎゅるぐるるるる~。
盛大に鳴り響くお腹の音。
違うよ、今回はわたしじゃないよ!!
すぐ近くのお腹から聞こえてきて、わたしは拘束しているおじさんを見上げた。……何て声をかければいいのかわからない。
当事者もだけど、周りも居たたまれなくなるね。
わたしもお腹がすきました、とか言った方がいいかな。実際に、お腹すいてるんだよね。もう夜の六時だし、おやつ無かったし、ケイたちには遅くなるから先に夕食を済ませてって言われたし。
お腹すいてイライラして、この人に変なネガティブ方向に考えられるのも困るし、とりあえず提案しよう。
この状況で言う台詞じゃないのは、百も承知だけど。
「ご飯、食べに行きませんか?」
全員の、物凄く呆れた視線が痛かったです。
・・・***・・・ (ケイ)
『影』の情報通り、二人の盗賊というよりどこかの村人は、宿を取ったサルカの隣町で簡単に捕まえられた。三人目も、追跡を頼んでいて取り逃がしたギルドの冒険者が、失態を挽回すべく頑張って探し出してくれたお陰で、すぐに潜伏しているサルカ付近の森で発見。一番星が控え目に輝き、月が淡い藍の空に目立ち始めた頃に、三人目を確保した。
依頼の失敗は所属しているギルドの信用問題にも係わるからか、元々一人の冒険者が請け負っていたのに、取り逃がしてすぐにギルドの仲間が合流して無給で探してくれた。
そのお陰ですんなりと、夜になる前に捕らえることが出来た。
依頼したギルドの幹部である赤褐色の髪に顎髭を生やした厳つい大男が、捕らえた三人を見ながら僕の側に立つ。
恐らく、この中では一番の年上である四十代。
「この度の部下の失態、誠に申し訳なかった」
ギルド『女神の片翼』幹部であるドルマンに、丁寧に頭を下げられた。彼の後ろに並んでいた部下五人にも一斉に頭を下げられ、僕は苦笑した。
「こちらにも邪魔した責任が、多少なりともありますから。それに早急に対応して、こうして捕縛にも協力していただきましたので」
「いえ、どんな予想外のことが起ころうとも、依頼を一度受けた時点でそれを含めた対処が求められるのは当然です。しかも二人はこちらで見つけたとはいえ、一人はそちらに見つけていただいた。そして最後の一人はまだ見つかっていない。今回は依頼料無しで対応させてもらうのは当然として、もう一人の捕縛と対応も任せていただけないだろうか」
「それは助かるけど……」
「それで挽回できたら、今回のことはそれで手打ちにしてくれると有難い。また今回の領地視察の同行も、このまま任せてもらいたいと思うが、それはそちら側で協議して決めていただいて構いません。不安に思うのは尤もだ。その場合は責任をもって、信頼できる別のギルドを紹介します」
そう申し出てくれたのは有難いけど、それを決める権利は僕にないんだよね。
慣習による僕の領内見回り兼魔物討伐の付き添いの供、四人を決めたのは、父とこの国におけるギルドマスターのクルド・ダッカだから。
そう言ったら、ドルマンに困った顔をされた。眉間に皺を寄せて、どう見ても睨んでるとしか思えないけど。
他の人たちも戸惑った顔をしているけど、別に不思議なことじゃないよね。王都郊外にあるギルド支部は、サンルテア領地とも密接している。
僕も少し前に会わされて知ったけど、クルドと父は古くから知り合いで気安い仲みたいだった。そして『影』がたまに人手が欲しくて依頼するのは、クルドと繋がりがあるギルド。
ここにいる『女神の片翼』も、クルドと繋がりがあるギルドの一つだ。
「恐らく大丈夫だと思いますよ。父は今回の失態について何も言ってきませんし、視察は誰が付き添っても大差ないので」
不遜な僕の言葉に、プライドが高いメンバーの二人が反応してこちらを見てきた。仕事中なのに、失敗しているのに、感情を殺せずこちらを睨む人を、供にするのは少し不安かな。
「勘違いしないでくださいね。あなた方の実力を軽んじているわけではなく、依頼した僕の供は、非常事態の僕の護衛と僕の命令に従ってする魔物討伐の手伝い。まぁ、子守りのようなものですが、討伐は基本、僕一人に任せるように言われているでしょう。そういう意味で、誰が付き添っても大差ないと言っただけです」
僕は睨んできた二人を一瞥して、ドルマンに目を向けると、彼は困ったように年若い二人を見て、苦笑した。ドルマンの視線を受けた十代前半の男女二人は、ばつが悪そうに俯いて目を逸らす。僕の懸念事項を正確に読み取って、ドルマンが再度頭を下げた。
「教育が行き届かず、自尊心ばかり強くて申し訳ない。心配せずとも付き添いの供は元より、オレとそちらの残り三人が務める予定です。あの二人は付き添わせず、本国に送り返します」
「そうですか。僕に異論はありません」
「………」
「何か?」
「………この地をいずれ治める方に失礼かとは思うが、もし興味があるのなら、一度どこかのギルドに所属することをおすすめする。良ければ、うちに入って欲しいくらいだ」
どうか? と勧誘されて、若い男女二人が驚き、面白くなさそうな顔をした。他の落ち着いた三十代の三人の男たちは驚いたようにドルマンを見たけど、何も言わずに様子を見守っている。
「遠慮します。既に冒険者登録はしていて、共闘であれば他のギルドと依頼を通してしたことはあります。ギルドに入るのは楽しそうですけど、それより楽しくて興味を引くものが別にあるので、どこかのギルドに所属するつもりはないんです」
「そうですか。残念だ」
「今回の件も、クルドから父に詫びと事情説明の手紙が届いているので、この失態を理由に今後こちらから依頼しないということはないので、安心してください。これからもよろしくお願いします」
僕の言葉に、ドルマンが微かに息を飲んだけど、すぐに笑顔で流した。他の面々は酢でも飲んだように、目を丸くして固まってしまった。
「こちらこそ、今後ともよしなに」
僕に笑顔を向けたドルマンは、それから部下の若い男女二人を振り返って見た。
「痛感し学習したか、ロンド。キャロル。一つの失態はギルド全体の信用問題にも関わるが、この国でギルドをまとめるクルドさんにも迷惑がかかると。特にこのサンルテア男爵領は特別な土地であり、クルドさんが現領主様と懇意にしているお陰で、この国の裏世界と少し関われて、仕事を貰っているんだ」
金髪の少年ロンドと、銀髪を肩口で切り揃えた少女キャロルが青ざめながら、こくこくと頷いて僕を見て、すぐに目を逸らした。二人とも十二歳くらいかな。確か『影』による盗賊追跡の任務を受けて、失敗したのがキャロルだった。
「若、ちょっといいですか」
セスに声をかけられて、僕はドルマンたちから離れた。辺りはすっかり、宵闇に包まれ始めている。夜目が利くけど、僕は光をぼんやり周囲に浮かび上がらせた。懐中時計を見ると、時刻は七時になるところ。……もう夕食、食べたかな。
僕は頭を振って、意識を切り替えた。
マシューが捕まえた盗賊三人から話を引き出したところ、追われてバラけた後はサルカで一番のホテルで合流予定だったらしい。最後の一人は、そこにいるか、もしくは向かっている可能性が高いと。━━物凄く頭が痛い…。
セスとマシュー、デゼルが冷静を装っているけど、そわそわと落ち着かない様子で僕を窺ってきた。
誰をどう心配しているのか、よく分かる。僕も同じ気持ちだから。トラブルから離したはずが、まさかの巻き込まれているかもしれない事態。
「何でかな。普通なら巻き込まれている可能性の方が低いから、大丈夫と思うところなのに、全然そう思えないのは…」
「奇遇ですね、若。オレらも同じことを思ってます」と闇に包まれたサルカの町の方を見たマシュー。
はぁぁあぁ。
僕たち四人は、一斉に大きくため息を吐いた。
少し離れた場所では、『女神の片翼』の面々がビクリと反応して、僕たちの様子を窺ってきた。今はそちらに気を遣う気力もない。
面倒に巻き込まれないよう、ホテルに彼女を閉じ込めたことが裏目に出るとは、僕の従兄弟は本当に予想を裏切ってくれる。
そう言ったらきっと、「わたしのせいじゃないよ!」と反論してきそうだけど。今回は、僕の判断が間違っていたのかな…。
「僕はホテルに戻る。セスたちはギルドの人たちと捕まえた三人を『夜』にでも任せて━━いや、一緒に連れてホテルまで戻って来て。もしホテルに最後の一人がいたとして、何かやらかしていたら捕まえた三人を見せた方が話が早く済むし、牽制にもなる。ただ、まだどこかに潜んでいる可能性もあるから、道中の警戒は怠らないようにホテルまでの道を辿ること」
セスとマシューが頷いたけど、デゼルは真っ直ぐ僕を見てきた。
「若、オレもホテルに戻っていいですか?」
従順で、優しく生真面目で、あまり命令に意見しないデゼル。そのデゼルの発言に、僕も、セスとマシューも驚いた。それだけリフィが心配ってことなんだろう。
これまでの任務で、女性不信気味というか女性嫌いになってきたデゼルは、最近では女性に触れられるのも触れるのも苦手で、屋敷のメイドも避けるようになった。その唯一の例外がリフィで、抱きつかれるのも自分から触るのも平気だった。リフィもデゼルとは年が近いからか、兄妹のようで他の『影』よりも距離感が近い。
「……僕に護衛がつかずに一人で戻るのも、ギルドの人たちから変に思われて説明が面倒だから、デゼルも僕と戻ろうか。後のことは二人に任せても大丈夫?」
セスとマシューが背筋を伸ばして、「お任せください」と胸に拳を当てた。僕は一つ頷く。
夜の帳が、すっかり僕たちを包み込んでいた。
「それと若、もう一つお耳に入れたいことが……」
早く戻りたいけど、僕はセスとマシューの言葉に耳を傾けた。
どうか従兄弟が変なことに巻き込まれていませんように。自らトラブルに突っ込んで、危険な目に遭ってませんように。もう本当に、コレで何かあったら……どうしようかな。
取り敢えず、従兄弟に傷一つでも付いた瞬間、伯母様もお父様もメイリンどころか『影』全員が怒り狂うから━━うん、犯人が地獄を見るのは確定だね。ラッセルもついているし、リフィもその辺わかってるから、大丈夫かな。
……そう思いたいのに、脳裏に警鐘が響いている。
僕は奥歯を噛んで、震えと感情を押し殺して、話を聞いた。
・・・***・・・ (ドルマン)
今回、仕事の依頼で初めて会うケイトス・サンルテアは、物凄く綺麗な貴族の子供だった。
だが実際は、こちらの様子を観察して出方を窺う、末恐ろしい子だった。
キャロルに単独任務をしたいと言われ、比較的安全なサンルテアの土地で、既に何度もこなして慣れていた、やれそうな追跡任務の依頼を任せた。
一応こっそり護衛のロンドを付けて送り出したのに、まさかの失態。予想外のことが起こったとはいえ、それも含めてこなさなければならない仕事に、これまで失敗したことがなかったキャロルは自信を失ってしまった。ただすぐに非を認めて、ギルド本部に連絡を取って報告し、逃がした一人だけでも追跡したのはよかった。
現在十二歳で、十歳からギルドに入り、今までの生活とはかけ離れたギルドで暮らし始めたキャロル。特別扱いはしねぇから、嫌なことも泣きたくなったことも、辛かったこともあるだろう。常に護衛を付けてひっそり守ってはいたが、それはあくまで体に傷がつかないようにであって、心は関係ない。
事情を知るのも本人と、オレを含めたギルドの幹部だけだ。
それでもキャロルは槍の腕を磨き、仲間と打ち解けて、実力をつけてきた。
たとえ守られた世界の中であっても、彼女は護衛のロンドと共に強くなった。
それが今回の失態で、彼女はギルドに来てから初めて少し泣いた。どうしよう、と、ごめんなさいドルマンと、謝って震えていた。
気にするなとは言えない。だから、仕事をこなして挽回しろと叱咤した。
少し遅れたが、十歳になったキャロルの弟も最近ギルドに入り、姉の手伝いに行くとうるさかったが、足手まといになるからオレたちに任せろと置いてきた。
仲間であるキャロルのために、同じサンルテアの土地で別の任務があったオレと三人が助っ人として早めに来て、少しでも彼女の憂いを晴らそうと動いたのが一昨日の夜中。
六人で専念して探し、どうにか追跡相手を二人見つけたが、先に辿り着いて動いていたのは、よりにもよってサンルテアの次期当主だった。挙げ句三人目は、追跡の依頼をしてきた『影』が、忙しい通常仕事の片手間に見つけていた。
情報を伝えたとはいえ、伝えてから数時間でいとも簡単に捕まえてしまった次期当主たち。風の噂には聞いていたが、改めて、サンルテアの『影』と、それをまとめる領主一族の能力の高さに脱帽した。
不手際を謝罪すれば寛容に許して、手打ちにする条件を引き出したきた━━既にギルドマスターが謝罪して、話がついていることを伏せて。
それどころか試すようにほんの少し挑発して、メンバーの様子を探り、自身と領地を回るのに信頼できるかも確かめてきた。キャロルとロンドは簡単にのせられて、同行に不適格と見なされていたが。
その上、自分たちの失態と現状を思い出させて、牽制してきた。マジでこえー子供だな。
これで八歳って嘘だろ? ぜってぇ詐欺だ。
何度そんな言葉が口をついて出かけたことか…。
キャロルやその弟とはまた違う、他国の高貴な身分の子供。厄介だが、仲間になったら実に頼もしい。はっきり言って、この二人とは比べるべくもなく、幹部並みに即座に使える。実力は見てないのに、そう思わされた。
今も魔方陣を必要とせず、灯りを辺りに浮かべている。精霊魔法だろう。口だけでなく、魔法も達者なようだ。
でも、キャロルやロンドも今回のことで、まだまだ成長する。ギルドに入った頃の甘ったれたところは、なくなってきたからな。
それでも実力が別格だと思うのが、別嬪さも並外れたこの坊っちゃんなんだが。
様子を見ていると、護衛三人と深くため息を吐いていた。
ナンだ? あの四人があからさまに大きなため息を吐くなんて、余程のことがあったのか?
つい、警戒して見てしまう。だが、ロンドが試作の通信魔法道具を取り出して、どこかとやり取りを始めた言葉を聞いて、オレらは頭を抱えたくなった。
「あのバカ……」
苦々しい声がキャロルから出てきた。全員の気持ちを代弁した言葉だった。
連絡はゴルド国にあるギルド本部からで、キャロルの弟ハイドが従者のヴァンフォーレを連れて、こちらに向かったとのこと。出来得る限り調べたところ、サルカの町のホテルに寄っているらしい。
何でもそこの支配人が、キャロルとハイドの父親の若かりし頃の恩人で、訪ねてみたようだ。━━何を勝手な行動をしてるんだ、あいつらは!! ヴァンフォーレも止めろよ!
よくない話は続くもので、尋問したサンルテアの護衛が、賊の残り一人はサルカのホテルにいる可能性が高いと情報を寄越してきた。
マジかよ…勘弁してくれ……。
だがここで、勝手に動くことはできない。依頼主であり、決定権があるのは、この綺麗な坊っちゃんだからな。
話を聞くと、移動魔法で坊っちゃんと若い護衛の一人がホテルに先行するとのこと。
オレらは、他二人の護衛と拿捕した三人を連れて、道中を警戒しつつ、ホテルに来るよう言われた。そのついでに、情報提供も求められた。
理由を聞いて、ますます頭を抱えたくなった。オレの予想が当たれば、場合によっては国際問題というか、ギルドマスターの責任問題になる。
何でオレはこんなことに巻き込まれてんだ……。ついてねぇが、仕方ない。頼むから、ハイドがバカしないようしっかり見張っててくれよ、ヴァンフォーレ!!
オレはキャロルを宥めるロンドを見ながら、角張ったガタイのいい灰色の髪に緑の目の従者を思い浮かべた。ついでに姉と同じ銀髪に水色の目をした、姉よりも美人な弟ハイドも思い浮かぶ。
━━あのクソガキ、大人しくしていろと言ったのに!! 次会ったら首根っこ捕まえて、国に強制送還してやる!
・・・***・・・ (ヴァンフォーレ)
初めて会ったとき、衝撃のあまり固まってしまい、思わず見惚れるというよりも魅入ってしまった美少女は、盗賊もどきに拘束されたまま、行儀よくクリームスープにパンを浸して食していた。
姉のキャロル様が失態をおかしたと、ギルドに連絡が来てから側に行こうとしたハイド様。大人しくしていろとドルマンに置いていかれたが、ハイド様は彼の命令に従わなかった。
……本来なら懲罰ものだろう。
一人で行かせることも連れ戻すことも出来ず、結局ハイド様に付き添い、立ち寄った隣国シルヴィアのサンルテア領地の町サルカ。
ハイド様の父君であり、自分の雇い主である主人が、若かりし頃に命を助けられたというホテルの支配人に挨拶をしていると、慌てたように現れたのは目の覚めるような極上の美少女だった。
不思議な色合いの薄翠色の長髪を靡かせ、神秘的で柔らかな金色の瞳を持っていた。
普段より美少女を見慣れているハイド様ですら、息を飲んで見つめることしかできなかった。自分も同様に、彼女の一挙一動を阿呆のようにひたすら目で追っていることにも気づかずに。
それから、支配人に頼まれて人命救助を行った。滅多にお目にかかれない美少女は、ロビーにいる客たちの視線を一身に集めながらも、気にした風もなく丁寧にお礼を言って去ろうとし、ハイド様に手を掴まれた。
周りの目もあり、問題を起こすのは好ましくない。慌てて諫めるものの、ハイド様は熱に浮かされたように一心に少女を見つめるばかり。ほとほと困っていると、少女の護衛が声をかけてきた。確か、ラッセルと言ったか。
その隙に少女はハイド様から逃れて、がっしりとした体格のラッセルの後ろに隠れた。顔を少し覗かせている姿が、何とも可愛らしい。
自分は周りの視線を気にしながら、しどろもどろに言い訳を並べ、彼らが困っているようなのでハイド様に許可を貰い、庭園で見つけた男を医務室に運ぶのを、再度手伝った。
まさか目覚めた男が少女を人質にとり、キャロル様が取り逃がした賊の一人だとは思いもしなかった。その失態がなければ、少女がこうして恐ろしい目に遭うこともなかった。
ハイド様も眉間に皺を寄せて、悔しげな表情。
人質になった少女は青ざめた顔で、震えていた。キャロル様の失態はギルドの責任。入ったばかりとはいえ、ギルドの一員である自分もハイド様も罪悪感に襲われた。
一つの任務の失敗が、こんなところで関係のない子供を巻き込むことになる。自分もハイド様も、それを知った。
申し訳なく、護衛のラッセルと少女を見た。同じ護衛の立場だから、気持ちはよくわかる。もし自分も善意から起こした行動でハイド様を人質にとられたらと考えると、ゾッとした。
どうしたものかと、下手に動けず様子を見守っていたら━━何故か護衛が脱力していた。交わされた言葉に自分もハイド様も、老医師どころか、賊も虚をつかれた顔になる。
驚いたことに、彼女が気にして怯えているのは今の状況ではないらしい。護衛のラッセルも大切なお嬢様が捕らえられているというのに、全然緊迫感がなかった。
老医師が諭し、恐慌状態だった男が改めて人質の少女を見て、驚きに息を飲んでいた。……気持ちはわかる。
ところが、老医師の説得も虚しく、男は変な方に考えを進めてしまった。少女の視線を受けてラッセルが言葉を挟んでも、思い込みが激しいのか、酷く動揺しているのか、聞く耳を持たない。……確かに、彼女が貴族ではないということには、自分もハイド様も驚かされたが。
見た目もさることながら、洗練された立ち居振舞いに、凄腕の護衛がいることも含めて、良家のご令嬢だと信じて疑わなかった。それに、このホテルに宿泊出来るのは平民でも、よほど裕福な富豪でなければ、普通の部屋も借りられない。
何しろこのホテルは、ゴルド国の国境から整備された道が通り、旅人が入る最初の大きい都市で、頻繁に重要な商談が行われる。国を跨いだ商談等にも使われる格式高い場所だ。
この町に近接し、領都グロスデンにより近い中核都市クレスタもあるが、シルヴィア国の王都とサンルテアの領都のちょうど中間地点がサルカだった。
賊になった男の事情はわかったが、ラッセルの言葉も老医師の言葉も届かず、見かねて人質の少女が冷静に声をかけたのを見て、またもや衝撃を受けた。━━人質が自ら交渉するものなのか…? それもナイフを向けられた状況で、お気持ちお察し致します、とか。ハイド様より小さな女の子が!?
理不尽な状況に巻き込まれて、泣き喚くでもなく怯えるでもなく、恐怖も感じていないどころか平然として……むしろ慣れている…?
自分で自分の考えを否定しようとして、違和感がないことに気づいた。その考えが当たっているのではないかと、けろりとしている彼女の様子を見て、しっくりくる。
つい少し前も、ご飯を食べようとあの状況で宣った。そして、なんだかんだやり取りかあったが、お腹が減っていることにかわりなく、少女もお腹がすいたと訴え、医務室の隣にあった厨房に移動した。
突然の闖入者に、夕食時で忙しい厨房の従業員たちは「入ってくるな!」と怒鳴ってきたものの、ナイフを向けられている少女に気づくと目を丸くして空気が凍りついた。だが、そこは老医師が上手く取り成した。
厨房責任者に事情を話して、厨房横にある従業員の休憩所へと移動し、運ばれてきた簡単な食事を、人質を横に座らせた男が食べている。人質の少女も上品に、クリームスープとパンを食していた。……コレは、緊迫している状況なのか…?
大きな長方形のテーブルを挟んで、足を組んで男の正面に座ったラッセルが、頬杖をつきながら呆れた目を、男と少女に向けていた。
食事が運ばれてくる前に、男に自己紹介……自分を人質にしている大の男に少女が名乗った名前は、リフィーユ・ムーンローザ。聞いたことのない家名だった。平民というのは本当なのかもしれない。
男も男で、ぺこぺこ頭を下げて恐縮し、ヘルトンですと名乗っていた。……何か、やり取りが間違っていると思うのは自分だけか?
その際に、少女の髪の毛が男のシャツのボタンに絡まっていて、痛くて面倒だからナイフで切って外してと頼んだら、リフィーユ嬢よりも護衛のラッセルと、人質にしているヘルトンの方が慌てふためいて、それは最終手段だと説得していた。……女性にとって、髪は大切なものではないのだろうか…。
結局、男がシャツのボタンを引きちぎって対処し、あの綺麗な髪が短くなることはなかった。むしろヘルトンが恐縮して「すまなかった」と謝る始末。それで現在、食事に至っている。……この状況をおかしいと思うのは自分だけか?
何となくここまでついてきた自分もハイド様も最早、呆気に取られて、ただやり取りを静観していた。このまま部屋に戻っても大丈夫な気がする。
ハイド様だけでも無事を確保したくて、お部屋に戻るよう進言したが、頑なに固辞された。ハイド様もこの状況に責任を感じているようで。
「だってこんな滅多にない出来事、見とかなきゃ損だろ。あの子だって心配だ。もしもの時はヴァンフォーレ、お前が必ず助けろ」
自分に、そう命じられた。ここは期待に応えなければと思うものの、実はあまり心配していない。
このほのぼのした空気感もあるが、リラックスしているようでしっかり様子を窺っているラッセルがいるからだ。はっきり言って、かなりの手練れ。この護衛が、見るからに大切にしているお嬢様を、みすみす傷つけるのを良しとはしないはず。
それに老医師が既に動いている。
厨房に移動する際、さりげなくラッセルに助太刀を申し出たが、「必要ない。それより事を大きく騒ぎ立ててくれるな」と言われた。
解せない。が、こちらも聞き入れる筋合いはなかった。
休憩室の壁時計は既に七時半近い。医務室で一悶着とやり取りがあり、ここへ移動して、用意して貰った夕食を食べている間にも、一人この場を離れた老医師は動いていた。
支配人のもとへ事情を説明に行き、領地を守る私兵団『夜』へと連絡を取り、急遽理由をでっちあげて一階のレストランの一帯を封鎖し、客を自室へと戻して食事もそちらに運ぶようにした。
またホテルへの人の出入りも制限したらしく、周囲から極端に人が減り、代わりにロビーから物々しい気配を感じ取っていた。
それはラッセルも同様で、苦々しい顔をして、食べ終わったヘルトンの説得に取りかかっている。だが、ヘルトンは怪訝な顔をしつつも、首を横に振るばかり。リフィーユ嬢も隣から宥めて声をかけるが、ヘルトンは申し訳ない顔を向けながらも、人質を手放す気はないようだ。
それでも二人が根気よく話すと、ヘルトンも心を動かされたのか、熱心に頷きながら今後のことを考え始めていた。
ヘルトンが考えに没頭する隙に、リフィーユ嬢とラッセルが視線を交わしていた。……動くのだろうか。
その様子をハイド様の側で見ていると、勢いよくドアが開いて濃紺の長衣を纏った一団が押し掛けてきた。
弾かれたようにヘルトンが席を立ち、リフィーユ嬢に左腕を回して引き寄せ、右手に持っていたナイフを彼女に向けた。
ラッセルとリフィーユ嬢が「あちゃー」と小さくこぼして、片手で額と目元を覆った。自分もハイド様を庇うように立つ。
「とうとう見つけたぞ! 観念しろ盗賊!!」
「人質を離して、大人しく投降しなさい」
濃紺の長衣に一人だけ、襟や袖口、裾に白い線が入った五十歳前後の黒髪に白いものが混じった男が、親の仇を見るようにヘルトンを睨みつけた。『夜』部隊の隊長だろうか。
その隣に立って、冷静な目を向けているのは赤い髪に緑の目をした三十歳前後の若い男。
若い男が人質を見て、大きく目を見開いた。それは『夜』の隊長も同様で、困惑している。
自分はハイド様を庇いつつ、下手に刺激してヘルトンを追いつめた闖入者二人を見て、ため息を吐いた。
壁時計は夜の七時半を過ぎていた。
・・・***・・・ (リフィ)
なーんで、こんなことになったのかなー。
転生する前の刑事ドラマでよく見た、人質をとった犯人とそれを取り囲む警察みたいな状況をぼんやり眺めて、わたしは吐息した。
狭くて部屋に全員入りきらなかった『夜』と、少しでも広く逃げ道がある場所に行きたかったヘルトンさん。
わたしを盾に、厨房の横にあった従業員の休憩室から場所を移して、ロビーも見えるレストランの中で、両者が対峙している。
「投降しろ」
「来るな、死刑はイヤだ!」
「人質を解放しなさい」
「仲間も殺さないでくれ!」
噛み合わない要求はお互い平行線をたどり、同じ会話を続けること五分。人質の台詞じゃないけど、何かもう疲れたよ。
善意からなんだろうけど、あのお医者さん。余計なことをして、余計なものを連れてきてくれたよね。
ついでに間も悪かった。━━逃げようとしてたのに! 突入がもう少し遅ければ、わたしが逃げてラッセルが捕まえて、穏便に解決できたのに!!
ちらほら見える宿泊客や従業員たちの姿を見て、わたしは更に深いため息を吐いた。このまま魂を飛ばして気絶したい。けれど非常に残念なことに、そんな繊細さが発揮されない。ナゼだ?
そんな膠着状態の睨み合いが続き、レストランの柱時計を見ると午後七時五十分。わたしはどんどん気分が落ちていた。同時に冷や汗が吹き出てくる。早く、この状態を何とかしなければ。
焦りながらも、説得する方法を必死に考えていると。
「━━コレは一体、どういう状況?」
無言の睨み合いが続く空間に響いた声に、背筋がぞわわっと震えた。
━━やっべぇ。悪魔が…、魔王が降臨なさった……っ!!
あまりの恐怖に、わたしの体が小刻みに震える。
声のしたレストラン入口ではなく、ラッセルに目を向けると顔面蒼白で今にも死にそうな顔をしていた。
━━ですよね! わたしも恐怖の大魔王の出現に、今なら儚く気絶できそうです!!
いざ行かん、夢の世界へ!
そう思ったのに……。
「何でこんなことになってるのかな、リフィ?」
びくっと、大きく肩が跳ねた。……ソウデスカ、気絶も許してくれませんか…。でも頑なに視線は向けない。
目が合ったら最後、全力で逃げす自信があるよ! それで捕獲される未来が容易に思い浮かぶね!
「お前がついていながら…どういうことだ、ラッセル?」
今まで聞いたことのない咎める口調と絶対零度の声に、心臓が凍りついたかと思いました……。
ひぃぃいぃっ、こーわーいー!!
ギギギ…と、わたしはブリキの玩具のように首を動かして、ほんの少しだけ、入口は見ずにラッセルと『夜』と、他の人たちの様子を窺った。
あ、よかった。ラッセル、まだ生きてた!
『夜』の面々は……何でここに、って驚いてるね。同感です。もっとゆっくり戻ってきてほしかった。
他の人たちは、「誰だ?」って戸惑っている。でも当惑していても、美貌の従兄弟にほぅっと見惚れていた。……いいなぁ、わたしも関係ないですって顔して、美人を堪能したい…。
「お嬢、どうしてそんなことに…」
現実逃避しかけたわたしの耳に、不安と心配が滲み出ている苦しげな声が届いた。……もうちょっとだけ、あと少しだけ、と首を回して、デゼルの姿を視界に捉え━━バッチリ麗しい従兄弟の姿も捉えた。
……結果として、逃げはしませんでした。
ただ、蛇に睨まれた蛙のごとく、動けずに固まっただけ。そりゃもうカチコチに。
ケイににっこり微笑まれ、背中を押されて谷底に落ちていく映像が思い浮かびました…。はは、生命の危機かな…。
「ねぇリフィ。そんなところで何してるの? 新しい遊びか何か?」
えーと、ナニ……何してるんでしょーねぇ?
ホテル立て籠り事件の人質の役かなぁ……なんて。━━はい、嘘です。冗談です。だから、その黒いオーラ引っ込めてください。
いやホント、何でこんなことになってんだろ。わたしもずっと思ってたよ。さっきも考えていたよ。答えとしては、ちょっと油断してたからかなぁ……。
あぁ、寒い。冬はまだ先のはずなのに、何でこんなに寒気がするんだろう。とにかく、話題を……今の状況から目を逸らす話題が、切実に欲しい!!
「リフィ? 何で何も言わないのかな?」
ケイさん、ケイさん。
周りの人、ぽっかーん、してますけど。ついでにヘルトンさんも状況掴めず、ぽっかーんってなってますけど、ガン無視ですか。ガン無視でわたしに声かけますか。
その鋼メンタル、わたしも欲しいです。
「………あ、え…と、お帰り?」
「………(ニッコリ)」
……居たたまれない。非常に居たたまれない。穴を掘って埋まりたい。言葉のチョイス間違えた、絶対間違えた…。
何で皆、ノーリアクションなの…。
いや、ケイが笑ってくれたけどね!? でも……。
「ただいま、リフィ。それで?」
「へっ?」
「他に言うことはある?」
他? 他ってナニ!?
わたしは一体ナニを試されてるの!?
全くわからん! ナニか言うべきことあった!?
「……あ!」
「うん」
「お土産ってナニ?」
「………」
━━空気が凍りつきました。
・*・*・*
「………」
「………」
誰も何も反応しないで、時が過ぎること数秒。
わたしは心の安寧を求めて、心中で般若心経を一心不乱に唱えた。
まかはんにゃーはーらーみっだーはーらー……。……うん、こんなことしてる場合じゃないよね。
とりあえず冷静になって思うのは、穴掘って隠れたい!!
ぽっかーんとしている周りの視線が痛いっ! 自業自得とはいえ、無理、耐えられない。居たたまれなさ過ぎる!!
この状況はアレだよね━━俗にいう、やっちまったパターン…。
静まり返るレストラン内で、リアクションをくれたのは三人。
従兄弟を見ると、口元を隠して俯き、ぷるぷる震えていた。━━ソウデスカ、わたしの窮地がそんなに面白いですか。いっそのこと笑い飛ばして、この居たたまれない空気をどうにかして欲しい!
そしてデゼルとラッセルは、憐憫の眼差しを寄越すなこれ見よがしにため息を吐くな!
「残念すぎる…」とか、余計なお世話! 放っておけ!!
言いたいけど、言える場面じゃない。
視線の圧に耐えられず、わたしは両手で顔を覆って小さくなった。
すみません、まだ続きます。




