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7才 (ケイトス)

二万七千字越えております。


後で誤字脱字、文章の誤りを修正するかと思いますが、内容に変更はありません




自作自演で亡くなった伯父の葬儀後、一週間は雨や曇りと小雨で、なかなか晴れなかった。八月も終わりだというのに、今日も朝から曇っている。

そのために日課の早朝訓練は、室内訓練場を連日利用して続き、男所帯のむさ苦しさがより一層感じられた。


裏世界では有名な『国の闇』と建国当初から役目を負ってきたサンルテア男爵家の私兵団。その頑強さと優秀さは有名で、特に諜報能力の高さは各国からも一目置かれていた。だから、見慣れた鍛えられた筋肉に囲まれていると、僕としては暑苦しいとしか思えない。


そんな男所帯の訓練所で、普通の人が見たら盛大に首を捻りそうな光景だなと思いながら、自身の体格の倍はある大の男を倒して、闘技場に立つ可憐な美少女に僕は拍手を送り、笑いかけた。


僅かに乱れた呼吸を整えた従兄弟が僕を見て、星の光を集めたような優しい色合いのシャンパンゴールドの瞳を細めて、柔らかく微笑んだ。春の萌芽を思わせる薄翠の髪を一つに高く結んで、いつもは質素なワンピースドレスを訓練用のシャツとズボンに変えて訓練していた誰もが認める完璧な美少女。


その無邪気な笑顔に、暗い室内の雰囲気が和んだのは気のせいじゃないかな。周りにいる殆どの人の顔が、眦が下がってでれでれしていた。……コレが強くて優秀と名高い手練れの実態。依頼人や僕らを恐れる裏社会の人たちには絶対に見せられない…。

リフィが僕の方へ駆け寄って来た。


「ケイ、調べごとは終わったの?」

「うん、取り敢えず結果が出なかったっていうのはわかったよ。もう少し頑張ってみるかな」

「……疲れた顔してるね。わたしに何か手伝えることはある?」


僕を気遣うように、じっと見上げてきた。可愛いな。それだけで少し、調べごとの疲れが癒された。リフィに手伝ってもらえたら嬉しいけど、手伝わせるわけにはいかない理由があるんだよね。


僕は「ありがとう。気持ちだけ貰っとくね」と、頭を撫でた。リフィが大人しく撫でられながら「困ったときはいつでも言ってね」と真面目に言ってきた。━━いい子なんだよね、時々変な方向に暴走するけど。


僕は曖昧に微笑んで流した。

結果が出なかったことは残念だけれども、それは予め予想していたことだった。

僕の調べごとは厄介というか、最初から手強いことはわかっていたから、次の手がかりを探しながらコツコツと自分で調べるしかない。

この調べごとには諜報機関『影』もサンルテアの私兵も誰も動かせないから、僕が一人で周囲の誰にも知られずにやり遂げる必要があった。


周りから向けられる生暖かい視線をまるっと無視して、僕は次にどんな特訓を彼らにさせようかと考えた。闘技場で審判を務めていたクーガが、「訓練に混ざって約二ヶ月のリフィーユ様にあっさり負けるなんて情けない」とのびたラッセルを闘技場から蹴落として片付けてから、僕たちの方にやって来た。恭しく頭を下げられる。


「ケイトス様、お疲れ様です。丁度、訓練が一段落したところですが、本日はどうなさいますか?」

「参加するよ。周りのたるんだ視線が腹立つから、僕と動ける奴ら全員で相手してもらおうかな」


僕が笑顔で告げると、私兵団の顔色が瞬時に引き吊った。クーガは顔色一つ変えずに、「畏まりました」と頷いた。


「げえっ!?」

「若、疲れているんなら無理はしない方がいいですよ」

「そうですよ! それよりお嬢と朝食に行って下さい」

「お嬢もその方がいいですよね!?」


全員の視線がリフィに集まった。

訓練に参加し始めてから、むさ苦しい男たちに囲まれることにも慣れていたリフィ。それでも三百六十度から一斉に迫られるのは怖かったのか、ちょっと下がって僕とクーガの後ろに少し隠れた。


「わたしも参加したい」


希望の籠った一言に、真っ白になる者、腹を抱えて笑い出す者、やれやれとため息を吐く者に別れた。クーガは微笑ましいと慈愛の表情。


リフィの容姿から、可憐で清楚な台詞を期待していた一部の夢見る若い人たちは、衝撃を受けて落ち込んでいた。……何ていうか、全員がウザくなってきている気がする。以前はもっとしっかりしていたというか、クールだったように思うんだけど。


結局、僕 対 私兵団全員とリフィということになった。

舞台は訓練所全体。クーガの合図で、襲い掛かってくる者たちと隠れて罠を仕掛ける者たち、様子を見て隙を窺う者たちに分かれた。


片手に刃を潰した剣を持ち、かかってきた全員を魔法と体術、剣技で叩きのめした。その隙を狙って放たれた魔法を回避して、放ってきた者たちを一人一人、床に沈めていく。

善戦する者も多くて、手こずることもあったけど、三十分後には三人に減っていた。


その内の一人は息も絶え絶えで、地面に前のめりに倒れたラッセル。いつでも倒せるので、僕は向かってくる茶髪の少年に意識を向けた。

氷の魔法剣を操る若手の実力者デゼルの攻撃を受け流して、バックステップ。そこからすぐに、ぐっと踏み込んで懐に肉薄した。それまでと緩急が変わって、デゼルが一瞬惑う。


下がる彼を追いかけないで、横から放たれた火炎を水魔法で相殺。デゼルの後ろに水龍を出現させて絡めとる。そのまま締め上げようとしたところに火炎を放ったリフィが忍びより、放ってきた蹴りを防いだ。連続で、拳とフェイントを織り混ぜてくる。━━上達しすぎ。本当に最強の冒険者を目指すのかな?


サンルテアの私兵団と、それも幹部の手練れとも十分渡り合えるレベルだ。僕は純粋に驚き、少し楽しく嬉しくなった。余裕ぶっていると、僕でも足元を掬われかねない。リフィが僕の反撃を受け流して、互いに離れた。


背後から氷の刃が飛んでくるのを地を蹴ってかわすと、刃はリフィに向かっていく。それを炎の壁で全て溶かし、リフィが宙に浮く僕に風の刃を放つ。合わせたようにデゼルも氷の刃を再度僕に向けて放って来た。空中で二つの力がぶつかるのを見ながら急降下。着地して避けようとしたら、着地点で火柱が上がった。


体を捻って避けたところを的確に狙った氷の礫。それを風をまとって僕に届く前に削り、乱雑に放たれた火球も飛行してかわす。でもリフィの狙いはデゼルを締め付ける水魔法で、炎が当たって僕の魔法が消されて、デゼルが自由になる。目的に気づいた僕は容赦なく電撃を放つと、痙攣したデゼルががくりと膝をついた。その背後に移動して、首に手刀を叩き込んで意識を刈り取った。


気配を消してすぐ横に現れたリフィから放たれた拳をかわして、ガードして、僕も反撃して。リフィの手数に慣れてきたから、一連の流れを崩していこうとしたら、リフィが笑った気がして離れた。寸前まで僕がいたところに眩い光が放たれた。


咄嗟に目を瞑って視覚を遮断。光を突っ切ってきたリフィの炎の拳、風をまとった蹴りと連続攻撃を辛うじてかわした。左頬がチリリと炙られ、右脇腹あたりのシャツが裂かれた。僕も反撃で岩のように固くした拳をリフィに向ける。両腕で防いだものの、リフィは押し下がった。


僕は風の檻にリフィを閉じ込めると、足に違和感を感じた。固い岩石と太い蔦が僕の足を縫い付けていた。リフィの魔法だ。僕は足元を陥没させて拘束を緩めると、魔力を流してリフィの魔法を消した。同時に内側から強い風を放って、風の檻を弾き飛ばしたリフィが、真っ直ぐ僕に向かってくる。

動こうとして、がっと足を掴まれた。反射的に目を向けると、倒れていたラッセル。


「お嬢、今だ!!」

「オレらの無念を!」

「日頃の恨みを晴らしてくれ、お嬢!!」

「若の一人勝ちを許すな!」

「ヤッチマエ、お嬢~!」


野太い声援があがった。………リフィ、人気だね。

僕が悪役かー。それは別にいいんだけど、後でちょっと全員をもう一回ずつ叩きのめしておこうかな。ついでに最近、装備を新調して出費が大きかったから、昼食と夕食のおかずも少し減らしてあげよう。


僕は小さく息を吐いて、目を閉じた。

ラッセルの背中に岩石が落ちて、「うっ!」と背後で呻き声がした。緩んだ手を抜けて、ラッセルを岩石と土で覆って埋めた。

よし、一人死亡。周りも合掌して「ラッセル、お前の働きは無駄にしない」とか「安心して成仏してくれ」と声をかけている。


僕は突っ込んできたリフィを避けて、リフィが持っていた見えない風の剣も一回転して避けた。リフィが目を丸くした。

僕はちょっと笑って背後に転移。リフィがはっと振り返ろうとした頬に、つんと指を突きつけた。リフィがむぅっと少し頬を膨らませて風の剣で隙を狙っていたけど、すぐに息を吐いて「参りました」と武装解除して降参。


「うがーっ!」と奇声があがり、墓からラッセルが蘇る。


「真打ち登場! お嬢の仇はオレが……ぐぅっ」


起き上がったラッセルに、僕が石の礫を眉間に放つと、そのまま仰向けに倒れた。他にかかってくる者はいるかなと辺りを見回す。いなさそうなので、これで試合終了。リフィと僕とで回復の光魔法を訓練所全体にかけた。


負けた全員にペナルティとして、苦手魔法の訓練後に筋トレ、素振り、組み手練習を五セットプレゼントした。「鬼、悪魔、鬼畜」とか言われた気がしたけど、聞こえなかったことにした。

リフィもやろうとしたけど、それを止めて屋敷へと一緒に戻った。


女っ気がない我が家で、唯一腕を振るう機会であるリフィの支度はメイドたちに人気がある。今日の権利を勝ち取ったメイド二人に従兄弟を預けて、僕も別の浴室に向かった。


さっとシャワーを浴びて手早く衣服を身につけて、リビングのソファーでリフィを待っていると、従僕が手紙を一通持ってきた。それを受け取って、開封した。送り主は騎士団長の父を持つ侯爵子息のキース・エアル。


アホ王子兄弟が勝手に城を抜け出したことを、護衛ができずに危険に晒したと反省して、自分で領地に戻って真面目に訓練しながら謹慎していたけど、少し前に王都に戻ってきたらしい。


その挨拶と僕が見つけて王子たちを保護したことへのお礼。できれば今日の午後に伺いたいという内容だった。都合が良ければイナルと久々に訪問したいと書かれている。━━どうしようかな。


キースとは二ヶ月近く会ってない。一方のイナルはお茶会で第一王子たちと会って、港町にいたリフィの元に向かった後日、一度だけ会っていた。突然、移動魔法で城から消えて、何の説明もなしで一週間以上音沙汰なかったから、心配して三日前に訪ねてきてくれた。その時に、伯父が亡くなったことで忙しかったとは伝えてあった。


イナルからは僕が去ってからのことを聞いた。唖然としていたスピネル第一王子の取り巻きたちが、口々に去った僕を非難したらしい。そこにブレイブ第二王子がやって来て、更に大変だったと。既に城の『影』から報告を聞いて知っていた僕は、苦笑して相槌を打ちながら彼の愚痴を聞いた。



・*・*・*



城に忍ばせている『影』の報告によると。

僕が去ってから、不敬だ、これだから下位の男爵家は無責任だと非難が上がり、第一王子が宥めるというか、自分は気にしていないと告げても罵倒はエスカレートした。そこに廊下を駆けてきた赤い目を輝かせた第二王子が加わった。


『今のはケイトスだな。凄いな、精霊と話せて、特上級魔法の移動魔法で転移できるなんて、この城でもその魔法が使えるのはサンルテア男爵と片手で足りる人数しかいないのに』


その発言に取り巻きたちが面白くない顔をして口を噤んだ。

困惑する第一王子を見て、イナルが嘆息して、にっこり笑うとその場を収めにかかったらしい。


『そうですね。ケイは全属性の上級精霊と面識があるようですから。さっきのも土精霊ノームと風精霊ウィンですね。どちらも精霊王の側近とされる上級精霊です。それから風と土の精霊王とも契約を結んでいますし、魔力量もとても多く、魔法も体術も勉強においても、ぼくたちよりも先を既に修学していますからね。陛下から特別に、勉学の登城を免除されたほどに優秀なんですよ』


イナルの発言にめいめいが驚き、その表情にイナルは満足そうというか、すっきりした顔をした。それから柔らかな表情を一転させて、取り巻きたちを睨み据えた。


『身分や血筋に関係なく、優秀さは陛下も認めているんです。いい加減に、自分たちの不甲斐なさを棚にあげて蔑むのはやめたらどうですか。そもそもケイを殿下の側に置いたのは陛下です。そのケイを貶すことは陛下の意向を貶めることと同義ですよ』

『そんなつもりは…』

『ただあまりにも不遜すぎるから…』

『知っておりますか? いないものとして扱っている侍従たちは常にぼくたちの側でやり取りを全て見ていることを。━━全部、陛下や重鎮たちに筒抜けであることを』


取り巻きたちが青ざめ、自分達の前を先導し、背後にも付き従っている二人の城の使用人を恐れるように見た。


『それと、サンルテア男爵家は王家やぼくやキースの家と同じくらい昔、建国当初よりある家柄ですよ。あなた方が貶す内容の一つに血筋がありますが、分家とはいえ血筋の古さはあなた方の誰よりも尊い。そんなことも知らないなんて、あなた方とは合わないと常々思っていましたが、正しかったようです』

『そんなっ』

『ですが、イナル様も今まで何も仰らなかったではないですか!』

『そうです! なぜ急に…』

『はぁ。あなた方も少しは考えたらどうですか。ケイはぼくが今話した内容を全て知っていて、あなた方に何も言わず、相手にすらしていなかったんです。理由はどうでもよかったから。あなた方と今後付き合うつもりもないから捨て置いたんです。ケイやサンルテアが本気を出せば、いつでもどうとでも出来ますからね。だから未だに、あなた方はこうして普通に暮らしていられる』


それからイナルは、震えだした貴族子息たちを残念そうに見て最後通牒を突きつけた。


『ぼくが放置していたのはケイが構う必要ないと言ったからです。そうでなければ、友人を貶められて不快極まりない発言を黙認しませんでしたよ。ケイが実力を隠していたのも、知られたらそれはそれで面倒だったからです。ケイの魔力量は去年、神殿から報告があったので調べれば簡単にわかることでしたし、時々城の騎士団たちの訓練に頼まれて混ざるくらいの実力者ですよ』


取り巻きたちはもちろんのこと、サンルテアについて他より知っているのに目を丸くする従兄弟のスピネル第一王子にも、イナルは呆れた視線を向けた。『国の闇』をまとめるサンルテアのケイが、興味関心がないのはあなたも同じですよと言わんばかりに。

ブレイブ第二王子は目をキラキラさせて『さすがケイトスだ! ますます欲しい~!』と笑って告げたらしい。


━━それが『影』から報告を受けた内容だった。



・*・*・*



報告を受けて、第二王子が厄介だと頭が痛くなった。

それにしても意外だったのは、イナルがそこまで話したことだ。いくら陛下や重鎮たちに筒抜けで、バカ丸出しの発言をしていても、彼らも陛下と重鎮たちに選ばれた側近候補。もう少し成長したら変わる可能性もあるのに。


それ程イナルが腹に据えかねていたってことなんだね。僕は構わなくても、側で聞いていた彼にとっては耐えかねる嫌なことだったんだろう。その点は申し訳ないことをしたと思う。怒ってくれたことは素直にありがたく、嬉しい。


イナルにはあの日帰ったことを、伯父の訃報の知らせを受けてだと話した。ここ最近もその件で色々あって忙しかったのだと。

それを聞いたイナルは神妙な顔で「ご愁傷さまでした」と言った。それから最近の僕が変わったと。うまく言えないけれど前よりも今の方がいいとも言われた。思い当たるのは、従兄弟のこと。僕が変わったとしたらその影響は、見ていて驚かされるリフィをおいて他にはないかな。


「伯父ってことは、社交界の華と言われたサンルテア直系の姫であるシェルシー夫人の夫ですか。そういえば少し前に訪問してから、よく遊びに行っていましたね」


ギクリとした。確かに登城しなくて済むようになってから、少しずつ減らしてはいるけど、見る人が見ればよく遊びに行っていることになる。特に任務以外で出不精の僕が、週一で出掛けていたことは、僕をよく知るイナルからすれば珍しいようだ。


「でもそれなら、未亡人ということですよね。どこかの後妻になるのでしょうか?」

「え?」

「まだ二十代半ばのお美しい方だと聞いていますよ。最近では商家や新興貴族のパーティーに出席しているとか。彼女に憧れた方々は少し調べ始めているようですね。サンルテアの直系で、社交界の華と言われ、教養も美貌も兼ね備えたドラヴェイ伯爵家の女性ですから、欲しいと思う者は多いでしょう。確か、子供が一人いると聞きました」


僕はにっこり笑って一つ頷いた。ここで否定する方がややこしく、興味を持たれて面倒になる。


「…うん。従兄弟がいる。それなりに仲良くなって、町に遊びに出たこともあるんだ。僕とは遠い親戚だって知っても、自分がサンルテアの直系と知っても、態度が変わらない良い子だよ」

「そうでしたか。ではその従兄弟も、今回の件ではさぞかし落ち込んだことでしょう」


僕は困った顔で首肯した。

一見、問題はないように見えた。けれどあの出来事以来、リフィはぼんやりしていることが増えた。何もない宙や遠くをただ見ていることがたまにある。町に出たときも、何か見ていると視線を向けたら、父親と子供の家族連れだった。痛そうな顔をしてすぐに逸らしたけれど。まだ、うまく消化できていないんだと感じた。それを知られないようにしているだけ。


リフィは葬儀のときも泣いていたけれど、土の精霊王の召喚が成功したときや人拐いに捕まって死にかけて助かったとき、訃報の真実を知ったときのような、感情を剥き出しにした泣き方ではなく、静かに涙していた。


伯母様もはらはらと涙を流していて、その様子を見た仕事関係や近所の人たちは、胸が締め付けられたような顔をしていた。

多くの人が伯母様やリフィに励ましの言葉をかけ、伯父様の古くからの友人という地方の豪商人も「何かあったらいつでも頼ってください」と伯母の肩を叩き、リフィをぎゅっと抱き締めて撫でていた。


ちなみに商会のお金を横領してトンズラしたクラウスは『影』により、すぐに発見された。クラウスのしたことを彼の家族は知らなかったようで驚いていたけど、急に商会を辞めて引っ越したことをおかしいとは感じていたようで、残っていた使って少ないお金を返してくれた。そのクラウスは今、牢屋にいる。


葬儀後リフィは、自室に閉じ籠った伯母様のもとへ行った。声をあげてリフィを抱き締めて泣く伯母様を、小さな従兄弟が抱き締め返して慰めていた。

その後は、商会に寄付したことを聞かれ、リフィはあっさり認めて役立ててくださいと告げていた。


リフィがギルドの依頼報酬をムーンローザ商会に送金してから、その日の内に、クーガと父のジルベルトにはリフィの特異な無属性魔法とその商品について話していた。


二人とも俄には信じられないようだったけど、実物を見て、僕が試してみると驚愕しつつも納得し、魔法銃も異空間入れ物もサンルテアの『影』用として買い取ってくれることになった。

それを告げるとリフィは喜び、分割払いでいいと少し値引きして、サンルテアの『影』でも幹部だけが使えるように、商品を設定してくれた。


僕も実際に従兄弟の造った物を試して、あまりの使い勝手のよさに改めて、凄いと驚かされた。製造した本人は至って特別なことはしてない、便利な魔法のお陰と飄々としていて、危機感がないから頑張って守ろうと思ったよ。


リフィに分割払いで支払い、そこから寄付された商会は持ち直した。伯母様とメイリンはまだ商会に詰めっぱなしらしいが、リフィは真面目に自分にできる勉強やマナー講習や訓練をこなして、全精霊王を召喚できたと笑顔で教えてくれた。ちなみに知っているのは僕とアッシュだけらしい。


三日前、イナルにはそんな諸々の従兄弟のことを話せなかったけど、また今回聞かれそうな気がして、ため息を吐いた。

僕の雰囲気が変わったことを、彼なら従兄弟と関係づけて考えそうだ。前回は調べごとがあると話を切り上げたけど。

ただ、性別を知っているのどうかわからないから、こちらからも明言することは避けて話した。


このまま任務や調べごとをしていても仕方ないから、早めに会って僕はこのまま側近候補をフェードアウトするつもりでいることを伝えよう。少し気が重いけど。

ついため息を吐いたら、ソファーの背もたれ側からリフィがひょっこり顔を出してきた。


「随分深いため息だね。何か悪いお知らせ? 手伝うことある?」


複雑な編み込みをしながら肩下に流された髪が、振り仰いだ僕の顔に僅かにかかった。爽やかな柑橘系の香りが鼻孔をくすぐる。陰って濃いシャンパンゴールドの目と間近で合った。


リフィが髪を押さえて下がり、ソファーを回り込んで僕の隣に座った。気になるようで、じっとテーブルの上に置いた白地に青と藍の封筒と畳まれた便箋に目を向けている。

気になるなら、さらっと教えても良いんだけど、教えたら顔を顰めて聞いたことを後悔しそう。


「それ、もしかしてケイにも……」

「ん?」

「えと、……何でもない……」


微妙な顔をして曖昧に笑うリフィ。何だろう、気になるね。じっと見ていると、まただ。リフィは茫洋とした目をして、僕の視線にも気づかない。

「リフィ」とそっと呼び掛けると、蒼白い顔がゆっくりこちらを向いた。


「手紙がどうしたの? 僕にもって、リフィにもどこからか手紙が届いたの?」

「……届いてないよ。朝ごはんに行こう」

「リフィ?」


リフィが明らかにしまったという顔になる。従兄弟が好きな笑顔を浮かべると、「可愛い!」と口を開きかけて、慌てたように立ち上がって逃げる。その後を僕は追った。


リフィは早足で扉に向かい、捕まえようとしたら扉が開いてクーガがいた。追いかけっこをしているような僕らの様子を見て、クーガがきょとんとしている。


「クーガ、訓練がいつもより長引いて遅くなったから、朝食いらない。帰るから送って」


リフィが抱っこを求めるように手を伸ばすと、クーガは戸惑いつつも抱き上げようとした。逃げられまいと、僕はクーガが抱き上げる前にリフィの肩を掴まえ、胴に手を回して後方の僕のもとへに引き寄せた。捕獲完了。リフィが逃げようと小さく抵抗する。


「クーガ、朝食の準備をしておいて。僕はリフィと少し話してから行くから。送るにしても僕が送るよ」


クーガがちらりと助けを求めるリフィを見て、申し訳なさそうな顔をした。「畏まりました」と退室したクーガに、リフィの手が伸ばされ、扉が閉ざされた。力なく腕が下ろされる。


「さて、落ち込む前に素直に白状しようか」


くるりと体を反転させて、リフィと向き合う。リフィは少し不貞腐れた顔でプイッと顔を横に向けた。可愛いけど、反抗的。


「リフィ、どういう手紙が届いたか僕に教えてくれる?」

「女の子の秘密を聞くなんて野暮だよ」

「そういう台詞は僕の目を見て言おうか」


顔と目を逸らして言っても説得力ないよね。

笑顔のまま、リフィの顔を両手で挟んで、僕の方へと向けさせた。それでも頑なに見ようとしない。


「そんなに僕に詳細を調べて欲しいの?」

「それはイヤ」


即答された。

僕は苦笑して、俯こうとするリフィを少しかがんで下から見上げるように、視線を合わせた。


「正直に教えて欲しいんだけど、ダメ?」

「ぐはぁっ」


リフィが胸を押さえて、やや仰け反った。それからがくりと項垂れ、じっと熱っぽく僕を見てきた。開いた唇が声なき声を伝えてくる。

女装させたい! 凶悪的に可愛い!! 激カワ美少女のお願い、鼻血出そう! ━━くぅっ、と拳を握ってうち震えるリフィ。

……言動はともかく、もう一押しかな。


「リフィ、教えてくれるよね?」と笑顔で首を傾げたら、ぷるぷる震えながら赤い顔を手で覆って「……うん」と頷いた。

それからぼうっとした表情からはっと我に返って、どうしようと辺りをきょろきょろし、助けがないと察して眉尻を下げていた。


観念した従兄弟は口を割って、教えてくれた。

三日前に、本人しか開けられない親展の手紙が、知らない人から届いたこと。開封するとアイリーンからの物で、もしシェルシー伯母様が再婚するときや、実家に戻ってリフィが貴族になるときに、読むか読まないかは自分で決めて、最悪読まずに捨ててもいいとのメモ付きでもう一通手紙があったこと。

それをどうしていいかわからずに、鍵付きの机の引き出しに閉まって未開封なこと。……内容が気になるけど、それはリフィの判断に任せよう。開けなくても、開けても。


ただ「何かあったら相談して」とは伝えた。リフィは「わたしが忘れてってお願いしたのに、こうして話に付き合わせてごめんね」としょんぼりした。そんなこと気にしなくて良いのに。

リフィが躊躇うように、口を開く。


「だから、てっきりあの事情を知るケイにも届いたのかなって思ったの。似たような封筒だったから」

「……僕には届いてないよ。これは友人から届いた手紙で、今日訪問したいっていう打診の手紙」

「そうだったの。それならわたしは早く帰った方がいいね」


やっぱり会いたい、知り合いになりたいとは微塵も思わないらしい。商会を宣伝して、支援して欲しいとも。

その辺をぼかして聞いてみたら、リフィは今の商会に他の店より際立った物も、商会の売りとなる特色をもって支援した方がいいと思われる物もないから、それはできないと言った。━━うまい言い回しで真実そうだけど、知り合いになりたくないという感情が透けて見えるのは気のせいじゃないよね。


その後は朝食を食べて、リフィをムーンローザの館に送り届けた。食事中、今日の予定を聞いたら、この後は勉強とマナー講座があるらしい。それが終わったら、大人しく家にいるか、散歩するとのこと。


アッシュのことを聞けば、この一ヶ月、人型になる練習のため祖父の土の精霊王に異界で教えを乞うているそうだ。何でも成長して力が安定せず、コントロールも学んでいるらしい。

絶対に制御して人型になれたら、町で人に混じって遊んだり、買い物したり、生活を楽しんでみたいと熱心に励んでいるようだ。


アッシュや僕がいないときリフィは、土精霊ノームに付き添ってもらって、町や友人の家に遊びに行ったり、散歩しているから心配しないでと笑顔で言われた。……まぁ、どこで何をしているのか一抹の不安はあるけど、一人で動いている訳じゃないから…。

たとえノームに、どこで何をしていたか口止めしていたとしても。ふわふわの黒い毛並みを堪能して、それが目的かなと思うことはあるけれど、上機嫌なのでいいかな。


販売品の売り上げも順調で、既に体験したギルドで名の知られた人から話が広まりつつあるらしい。『影』で購入した分を除けば、既に魔法銃を三点、異空間入れ物を六点、売っていた。


便利だと冒険者の間で評判で、ダンジョンと呼ばれる古代遺跡探索で、瀕死の重症を負った仲間を異空間入れ物に保護し、遺跡から出てすぐに治癒魔法使いに見せたら助かったと、話が広まっている。━━もちろん、噂の操作はお手の物な『影』たちが実話を広めただけなんだけど。


リフィのためならと、張り切ってくれたお陰で情報は守られている。普段の任務にももっと意欲を見せて欲しいけどね。

最近はリフィを見たいと、地方の『影』たちが王都勤務を希望したり、一年に一度報告に姿を見せるかどうかの『影』が報告に王都に行くとうるさいので、仕事しろとクーガが怒っていた。


ゴルド国の魔方陣を駆使して使われる魔術。そう称される魔法の仕組み本を読みながら、僕はちらりと時計に目を向けた。

もうそろそろかなと考えていると、クーガが来客を知らせてきた。僕は応接室に向かう。室内では、藍の髪に灰色の目をした凛々しい美貌を持つ宰相子息イナル・エンデルトと、長い金髪を一つに括った青い目の僕と同じ年の騎士団長子息キース・エアルがソファーから立ち上がった。


お決まりの挨拶を交わして、席につく。お茶が各自に配られると、僕たち三人だけになった。

キースが端整な顔を曇らせて、席を立つと僕の側で綺麗にお辞儀をした。


「ケイ、この前は殿下方を保護してくれてありがとう。お前から連絡が来て殿下の側にいると知り、どれだけ心強く安心したか。それなのに礼も言わずに領地に戻り、挨拶も遅れてすまなかった」

「相変わらず真面目だね。そんなの気にすることないのに。そもそもキースのせいじゃないんだから」

「そうですよ。悪いのはあのアホ兄弟です。一体どれだけ周囲に迷惑をかけたのか…。考えが浅はかで困ります」


僕に続いて、イナルからも擁護の声があがった。キースが困ったように笑って、首を横に振る。


「そう言ってくれるな。殿下方も窮屈な思いをしているのだから。もっとぼくが強くてしっかりしていれば、普通に王都くらい連れていけたんだ」


僕とイナルが目線を合わせて、微苦笑しながら肩をすくめた。本当にキースは真面目で良い奴だよね。

改めて席についた僕たちは、お茶菓子のクッキーに手を伸ばした。


「陛下の信頼篤いケイなら、町へ行く許可もおりて『影』ながら見守ることも簡単にこなすんだろうが」

「できてもやらないけど」


僕は笑顔で拒絶した。あの二人の面倒を看ろなんて、冗談じゃない。前回の騒動だけで、もう十分。お腹一杯だよ。

イナルとキースが苦笑して、僕を見てくる。


「できないとは言わないんだな。さすがはサンルテア」


僕は笑顔で流した。紅茶を一口飲む。

キースから横のイナルに目を向けると、何か言いたそうにしていた。視線があったので首を傾げて促す。やや躊躇して、イナルが疲れたように、ため息を吐いて言った。


「……ブレイブ殿下から聞いてきて欲しいと頼まれたのですが」

「嫌な予感しかしないけど、何?」

「『髪リボンは、あの子に返したのか?』だそうです。とても気にしていましたよ。返したのなら、その子の家や素性がわかっているはずだと」


━━あのバカ王子は、懲りもせず……!

僕は頭が痛くて、実際に右手でこめかみ辺りを押さえた。僕の様子から何かを察したのか、キースが困った顔になり、イナルも深い深い息を吐いて、苦いものを飲んだ顔になった。


「……何でも大層な美少女だとか。綺麗な貴族の令嬢を見慣れているあの王子が、そう仰って気にするからには相当なんでしょうね」

「ちなみにケイ、その美少女って……」

「キースの想像通りだよ。城を脱走した第二王子が、町で兄王子とはぐれて待ち合わせ場所にいたら、その子を見かけて、熱心に追いかけ回していた平民の子。その子を捕まえようとして、リボンを引っ張っり取ったんだ。呑気に取り巻きにしたいと言ったから、殴っておいた」


二人が、聞きたくなかったと、机に両肘をついて耳を塞いだ。僕も言いたくなかったよ。まさかまだ忘れずに執着しているなんて……こわっ! ナニ考えてんの、あのバカは。いや、知りたくないことを知るのはやめよう…。どうせロクなことじゃない。

それなのに、イナルが頭が痛そうに教えてくれた。


「……大丈夫です。ご自分が他国の王女や有力貴族の娘と将来結婚することは解っていて、絶対に変えられないことだからと仰っていました。平民の子とは身分的に結婚できないとも」


それは随分と物わかりの良い言葉だね。逆に別の意味で、恐ろしい。キースが心得たように蒼白い顔で「その続きは……?」と問う。イナルが険しい顔でぐっと黙り、顔を俯けた。


「……どちらにせよ、一人の人としか結婚できませんし、その子は愛人にすると━━あのバカ王子が……。幸い今はまだ、ぼくしかこの話を知りませんが…」


表情筋が死んだ能面のイナル。キースも蒼白い顔で固まっていた。━━ああ、やっぱり。本当にロクでもないことを企んでやがった!


「……イナル、そのバカは城にいる?」

「ええ、勉強予定のはずが遠乗りに行くと、周りを困らせていましたね」

「はは……ちょっとあのバカ、サクッと殺ってくるかな」


止めようか躊躇ったキースが、笑顔の僕を見て口を閉ざした。

六歳の子供が愛人とか妙なこと覚えて抜かしている暇があったら、少しは勉強して欲しいんだけど。

何でリフィをあのバカの愛人にしなくちゃいけないんだか。全く意味がわからない。あのバカは、王族の愛人が素晴らしい階級や身分だとでも勘違いしてるようだね。大方、その言葉を使ってみたかっただけという可能性も十分あり得るから余計に頭が痛い。考えた時点で許せないけど。


夜会じゃない子供ばかりのお茶会でも、愛人がどうの、あの子は誰の愛人の子だとか、あそこの家は後妻が愛人だったとか、話しているご夫人方がたくさんいるからその影響も否めない。子供ながらに、どの貴族の子もそういった噂や話を聞いて育っているから。


「ぼくもケイの意見に概ね賛成ですけど、少し待ってください。あのバカでも一応王子の称号があって、外交では役立つと思うんです」


にこりと笑うイナルの言葉に、僕は納得して頷いた。


「確かにあのバカさは他国の油断を誘って、色々とボロを出すところを見せてくれそうだよね。そこに優秀な外交官を付ければまぁ……役には立つかな。道化として」

「ええ、あの明るさと物怖じのなさと、グイグイ食らいついていく姿勢は外交向きかと思いまして」


もう未来の活用法を見つけているなんて、さすがは今後の国政を担う次期宰相どの。そういうことなら、もう少し待ってみようか。毒にしかならない場合はまた考えよう。

談笑する僕たちを見て、キースが半眼で呆れた。


「お前ら酷いな……」


まぁ、それも知ってるよ。僕は笑顔でスルーした。

キースが話を元に戻そうと、青い目が僕に向く。


「それでケイ、その子にリボンを直に返したのか?」

「そのリボンなら、警備隊の落とし物届けに出しておいたよ。その子はバカに追いかけ回されているなんて知らなかったから、どこかで落としたと誤魔化せるかなと思って。その後、落とし物届けを見に行ったら無かったから、持って帰ったんじゃない? 生憎、僕はどこの誰が持ち主かなんて知らないよ」


笑顔で先手を打った。

本当はよく知っているし、ほぼ毎日会っているけど、教える必要性を感じない。教えたら、僕への鬱陶しい訪問が増えて、楽しい従兄弟の訪問が減るよ、確実に。


「もし、サンルテアを使って、そんな下らないことを調べさせようとするのなら、王族に従うのやめるよ? そんなアホな国のために僕たちは訓練して、命懸けの任務をしているわけじゃないから。少なくとも僕は仕える気にはならない」

「あなたは仮にも王族に、殺すだの仕えないだの…おまけに殴ったり…。そんな強気な言葉をさらりと言えるのはケイで、サンルテアだからですかね。その実力もありますから」

「王子たちにダメ出しして、ガンガン思ったことを言葉の刃で突き刺す、イナルほどじゃないと思うんだけど」

「安心しろ。お前らはどっちもどっちだ」


キースの一言に、三者が無言で睨み合い、どちらからともなく笑いだした。


「まぁケイはそれで良いのでしょう。あなた方の存在が王族の抑止力になりますから」

「貴族のときは従っているよ。少なくとも表面上は」

「ブレイブ殿下は荒れそうだな。欲しかったものが手に入らないなんて」

「陛下や側近たちもそれで、あの我が儘王子が大人しくなるのならと、条件を出して平民の友人を認めそうですよね…。平民の子一人で済むのなら安い買い物だと考えそうです」


冗談に聞こえないよ、イナル。あの陛下と重鎮共もそんな計算をしていそうだけど。

僕は笑顔でバカなことをするなと牽制した。


「………国民の意思を無視して、一人でもそんな扱いをするのなら、失脚させるよ? 『国の闇』である僕たちは建国当初から色々な家の隠し事を知っているから。当然、王族のもね。だからイナルが言った通り、王族の暴走を許さない抑止力になっているのだから」

「……はぁ。解っていますよ。あなた方が言うと冗談にならない実力があることも。あの俺様女好き王子には良い薬です。その異性に対する関心が、スピネル殿下に少しでもあればよかったのですが……これからですかね」

「今から心配しても仕方ないだろう」


キースが苦笑して、イナルが首肯した。変な話が終わったことに僕は内心安堵した。

他愛もない話をして、キースが思い出したように、ソファーの傍らに置いていた包みをテーブルの上にのせて、僕に差し出した。


「イナルから、ケイが今この本を探して欲しがっていると聞いた。謹慎中に領地を見回っていたら見つけたから、やる。殿下たちを速やかに保護してくれた詫びと礼だ」


包みを開くと、確かに欲しがっていた隣国ゴルドの『魔法研究に関する記述書』と『他国で生息する薬草図鑑』の二冊だった。リフィも読みたいって探して、本屋や図書館に冒険者の名前で、入荷したら教えてと告げていた。


「わざわざ取り寄せてくれてありがとう。でもこんな高価な物を本当に頂いてもいいの? これを貰って他に頼みごとをされても、僕はやらないよ?」

「………正直に言えば、ぼくを訓練に混ざらせて欲しかったんだが別に構わん」


更に押し出されて、僕は感謝して受け取った。後でリフィにも見せてあげよう。


「そういうことなら、ありがたく使わせてもらうよ。それにキースの実力なら訓練に混ざる必要ないと思うけど?」

「ぼくの一族は王族の盾であり剣だぞ。一番強くなくちゃいけないのに、騎士団や近衛隊が諜報機関より弱くていいわけないだろ。騎士たちはそんなこと知らないけどな。それに」

「諜報機関は元からサンルテアの直轄で、それを国が借りているだけですからね。長官のドラヴェイ伯爵が陛下の命を聞いているから、従っているにすぎません。伯爵やあなたの父君が異を唱えれば、王家の命令を無視するでしょう」


キースの言葉をイナルが引き取った。

確かに、騎士団や近衛隊に貸している『影』が一番頼りになる事実は、僕たちが謀反を企んだらそれを止められる人がいないということだから、心配にもなるか。


「ぼく自身、ケイには文武共に及ばないから尚更な。お前が殿下に仕えてくれたら心強いんだけど」

「それはない。仕えるに値するとは思えないから」

「あなたははっきり言いますね。もう少し長い目で成長を見守ってくれませんか? スピネル殿下も側近にならなくて良いから、ぼくたちのように友人になりたいとこぼしていましたよ」

「……面倒くさい。友人でも頼みや命令はきかないのに、それでもなりたいの?」


イナルとキースが、笑って頷いた。それでも友人になりたいらしい。考えておく、と返した。


「それにしても随分と熱心ですね。他国の魔法までもう学び始めているなんて」

「ぼくらですら、ようやく中級魔法を学んだくらいなのに。それも全属性のケイとは違って、使える属性だけだ」


悔しがる真面目なキース。イナルも重い息を吐いた。

僕は苦笑する。


「……学んで使えるのなら、色々知っておいて損はないからね。向こうは色々と便利な魔道具開発に力を入れていて、魔力封じも既に実用化済みだから。抵抗できる手段がないのは困るだろう」


二人がはっとした顔で、頷いた。

ゴルド国の魔法体系は学んで詳しくなれば、自由に魔方陣を考えて作れる。精霊魔法でも色々応用がきくけど、魔道具は興味深いし、精霊魔法の使う幅も広がる気がしていた。


ゴルド国の人も精霊と契約するか、精霊に好かれて祝福されれば魔方陣を必要としない精霊魔法が使えるけれど、契約できるかどうかは本人次第なので、魔術のように誰でもできるという保証はなかった。


「あなた程とはいかないでしょうけど、ぼくの方でも情報を集めるとします」

「ぼくも注意しておこう」


それからは魔法や城の噂や、困ったことや最近起こった出来事を話して、久しぶりに友人と楽しい一時を過ごせた。



・*・*・*



次の日、訓練のときは会ったけど、僕もリフィも勉強があって一度別れた。それから午前十一時前にリフィを訪ねると、ぼんやりと庭のベンチに座っていた。白い犬の姿は見えない。アッシュは今日も訓練中らしい。


ジャックは今日も出掛けていて、最近、外出や不在で姿が見えないことが増えているとのこと。代わりに最近新しく入った寡黙で勤勉な従僕兼執事見習いのジェレミーがしっかりしていて、問題はないらしいけど、リフィは寂しそうだ。

伯母様ともなかなか会わないから余計に。


だから、母親が心配で気になるのなら、ランチのお弁当でも持って届けに行こうと提案した。リフィは迷惑になるんじゃと戸惑っていた。これは、気分転換にでも外に連れ出すかな。


「リフィに良い知らせがあるんだけど」

「え、何?」


俯いていた顔を上げて、リフィが興味を覗かせて僕を見てきた。


「実は昨日、欲しがっていた本が二冊とも手に入ったんだよ」

「本当っ?」


食いついた従兄弟に僕は笑って頷いた。ただし、貰い物なので変な魔法や呪いがかかってないか調べたり、書籍を保管所登録したり、紛失や盗難防止の魔法をかけたりしているため、数日時間を要している。二日後には全部終わるから、『他国で生息する薬物図鑑』はあげると言えば、リフィが感動して喜んでいた。


この従兄弟は最近、病気と薬に興味を持っているようで、独学で本で学んでから、ラカン長老に紹介してもらった町医者の元に通っては、実地で詳しく学んでいるらしい。

実際に笑い茸を食べたり、熱や腹下しの毒草も食して、それを自分で解毒するということもやったと聞いた。『影』からこの報告を受けたときは本気で驚いたし、心配したけど僕が会うときはけろりとしていた。


「本当に貰っちゃっていいの? せっかくケイが貰ったのに」

「いいよ。その代わり、隣国の魔法の本は僕が先に読んでもいい?」

「もちろん! ありがとう、ケイ。楽しみにしてる。そういえば、昨日は友達に会ったんだよね? どうだった? 楽しかった?」

「うん、楽しかったよ。リフィはあの後何していたの?

「本読んで、魔法の練習」

「精霊魔法はもう全部使えるんだったよね?」

「一応ね。最上級魔法とかは学んだだけで使ったことないけど」

「うん、使ったら大変なことになるからね。前回のギルドの魔物退治では、上級魔法と特上級魔法を試していたけど、この辺で使ったら、すぐに城や神殿の魔法使いたちにバレて、リフィのこと調べて連れ去りそうだし」


本人もそれをわかっていたから、別の土地や地方でのみ、練習がてら上級魔法と特上級魔法を使用しているんだろう。それにしても、どんどん能力をあげてるよね。……本気で最強冒険者になりたいのかな。僕も頑張らないと。


「今はね、繊細な魔力操作を練習中。あとは発動時間を短くするために集中力と精神を鍛えようと、走り込んだり、素振りしたりしていたよ」

「そっか。それなら今日は、僕と一緒に町に行こうよ。お昼ご飯を買って、伯母様とメイリンに届けるのはどう?」

「ケイ……」


眉尻を下げていたリフィがパン、と両頬を叩くと、ぐっと拳を握った。


「そうだね。そうしようかな。うじうじしていても仕方がないし、気になることがあるのなら当たって砕けろ。倒れるときは前のめりだ!」

「……や、砕けちゃダメだと思うけど、うん。リフィがそれでいいのならいいと思う」

「ありがとう、ケイ。相変わらず気遣いの天使だね」


横から抱きつかれて、ハイハイと頭を撫でた。

それから、出掛けてくることをジェレミーに伝えて、僕たちは移動魔法で町に繰り出した。


時間があるので、リフィの行きたいところに連れて行って。マニエ婦人のお店を訪ねたら、来てくれてよかったと、早速まだリメイク中の例のワンピースドレスを改めて採寸したり、リフィの髪を簡単に結い上げてもらった。九月には仕上がって届けるから、楽しみにしてほしいと生き生きした笑顔で言われたよ。


それからは新しく出来たお菓子屋に入って、おやつに簡単に食べられる焼き菓子の詰め合わせを購入。隣接するパン屋で、クラブサンドをそれぞれ包んでもらって、店を出ると。


「お嬢様、ケイトス様」


声がかかった方に目を向けると、書類の入った大きな鞄を持ったメイリンがいた。通りを横断して、僕たちの前に立つ。


「なぜこの様なところに?」

「丁度よかった。これから伯母様のところに行こうとしていたんだ。昼食はもう食べた? まだなら一緒にどう?」


僕が答えると、リフィは緊張した面持ちで、抱えている包みをぎゅっと微かに握った。メイリンがその様子を見て、合点がいったように首肯して、リフィの前にしゃがみこんだ。珍しく、優しい笑顔を浮かべて。


「これから昼食を買って帰ろうとしていたところだったんです。ありがとうございます、お嬢様、ケイトス様。シェルシー様も喜ばれると思います」


その返答に、リフィがホッと力を抜いた。メイリンの笑顔を見て、表情が花が綻ぶように緩んでいく。


「ですが、私はまだ寄るところがありますので、先にお二人でシェルシー様に昼食を届けて下さいますか?」


僕たちは了承して、先を急いだ。

メイリンのお墨付きを貰えたからか、リフィの足取りも軽く、すぐにムーンローザ商会に辿り着いた。ふと、僕は屋上を見上げて、何気なく辺りを見回した。……お父様の命令かな。


リフィに「どうしたの?」と問われて、「何でもないよ」と微笑む。

商会の中に入り、受付に挨拶して多目に購入したお菓子を渡し、僕たちは階段をのぼって、最上階にある商会長の部屋を目指した。階段の途中でリフィがちょっと立ち止まったのを見て、『影』に気づいたのだと判断した。本当に日々、成長しているよね。


最上階に着くと、久しぶりに会う母を思ってか、リフィの表情にほんの少し緊張が宿った。そろそろとドアに近づき、僕もその後に続く。ドアノブに手を伸ばし━━ガタッ。

伸ばされたリフィの手が止まった。僕を不安そうに見てきたので、一つ頷き、一本だけ立てた指を口元に当てた。リフィが微かに顎を引いた。二人で室内の気配を探る。


「カール、手を放して」

「奥様……いえ、シェルシー様。どうかオレを受け入れてください。本気で愛しています。この前のプロポーズの返事を聞かせてください」


聞こえてきた会話にリフィが固まった。僕も息を呑んで、衝撃を受けている従兄弟を一瞥した。━━あいつ、伯母様にまだ言い寄っていたのか。

僕はそっと嘆息して、気配を探ると屋上に『影』の気配。この『影』は伯母様の護衛だろう。だから、メイリンも安心して側を離れた。


「カール。何度も言っているけれど、わたくしはあなたのことを何とも思っていないの。もう三度も断っているのだから、いい加減に自分で気づいてほしいのだけど。あなたを今だけ側においているのは、この商会を運営する上で仕方なくよ。それが終わったら、たくさんいる恋人たちの誰かのところに行ってくれて構わないわ」


……伯母様にしては随分はっきりと辛辣な物言いだ。

驚いたけど、そこまで言わないと話が通じないのかもしれない。ため息まじりの呆れた言葉から予想した。

隣を見ると、青ざめてふるふる震えている従兄弟。……気持ちは解るよ。腹立つよね。


「奥様、安心してください。他の女とあなたなら、比べるべくもなく、あなたが大事です。昔の女性関係は清算しています。だから、嫉妬しなくてもいいですよ」


伯母様が「話が通じないわ」と嘆息した。僕とリフィも思わず開いた口が塞がらなかった。……こいつ、バカなのか。

どうやったら都合よく聞き間違えられるんだろう。呆れを通り越して、感心する。勘違いも甚だしい。けれども、狂気に染まると厄介かな。

僕は風魔法で、屋上にいる『影』に父に連絡するよう告げた。


「結婚はしないわ。わたくしにはリフィちゃんがいるのよ。これからは、わたくしがエアルドの遺してくれた大切なものを守っていくの。他の人やメイリンも助けてくれるから、そこにあなたは必要ないわ」


きっぱりと強い声で断言した伯母様。聞いていたリフィは、喜びとほんの僅かな後ろめたさと申し訳なさを滲ませた表情。

……確かに複雑だよね。

それでもアホはめげなかった。


「大丈夫ですよ、奥様。一人で背負わずともオレがあなたを支えます。子供がいても関係ありません。メイリンもリフィーユもオレが責任をもって面倒を看て、三人とも幸せにしますから」

「……あなた、何を言っているの?」


伯母様も戸惑っているけど、聞いていた僕とリフィも困惑していた。リフィの顔色は白に近くて、今にも倒れそうだ。意味がわからなくて、不気味過ぎる。


「それにしても嬉しいですね。旦那様にはアイリーンがいても普通でしたのに、オレの周りにいる女性には嫉妬してくれるなんて。旦那様に操だてしなくてもいいんじゃないですか。案外、あの世で旦那様もアイリーンとよろしくやっているかもしれませんよ」


リフィから、するりと表情が抜け落ちた。氷のように冴え冴えとしたかんばせに、側にいて思わずぶるりと身震いしてしまう迫力。絶対零度の空気を纏う中、瞋恚しんいの炎を宿した瞳は鮮やかで、見惚れるほど綺麗だった。


止める間もなく、リフィがドアノブを回して勢いよく開け放った。僕は内心で息を吐いて、仕方ないかと思う。このアホは従兄弟の逆鱗に触れたのだから。


室内では、机を離れて書類棚の前でファイルを手にした伯母様。その棚に左手をついて伯母様を腕の中に閉じ込め、右手で彼女の手を握りしめて迫っているカール。

二人がこちらに驚いた顔を向けていた。


リフィが眉間に深い皺を寄せて、カールを睨み付けた。カールが息を呑んで、捕らわれたようにぼうっと見つめる。伯母様はいつもと雰囲気の違う娘を察して、すかさずカールから離れた。

━━あ、そっか。伯母様は怒ったリフィを見るのは初めてか。リフィはいつも大好きな伯母様とメイリンの前だと、鼻歌でも歌いそうなほど上機嫌だから。


一方で僕は内心胸を撫で下ろした。

以前のように、リフィが魔力を暴走させたら止めようと思っていたけど、落ち着いていて濃厚な魔力を身に纏っているだけだ。

緻密な魔力操作のなせる技。練習、頑張ってたんだね。これなら、城の連中には気づかれない。


それでも安心できない事態に変わりはないけど。

この猛吹雪が吹き荒れていそうな中で、カールはふっと笑ってみせた。嬉しそうに頬を染めて、リフィを見つめる。

頭のネジでも飛んだのかな?


「そんなに怒るなよ、リフィーユ。心配しなくてもお前のことも構ってやるから。オレが奥様に取られると勘違いしたんだろ? 嫉妬とはなかなか可愛いところがあるな」

「「━━はぁっ!?」」


思わず、リフィと異口同音に叫んだ。

きっと同じことを思っているだろう。ナニ言ってんだコイツ、と。伯母様もあまりの発言に唖然としている。

リフィが嫌悪を滲ませて、侮蔑の眼差しを送った。


「構ってもらわなくて結構! わたしはあなたが大嫌いなのに、どうして嫉妬するなんて図々しい勘違いしてるのか意味不明だよ。神経図太すぎ」

「照れんなよ。今日もこの前も嫌いと言ってオレの気を引こうとしたんだろ。本当は甘えたいんだよな。いいぜ、オレのことを恋人と思って甘えてくれても。ただ、オレが恋人として扱えるのはあと十年後くらいだが」


思い込みが激しく、都合よく勘違いするカールの絡み付くような視線を受けて、リフィがぞわぞわと震え、両腕を擦った。伯母様が青ざめて庇うように、娘を抱き締めた。オリーブ色の双眸で、キッとカールを睨みあげた。


「…カール。あなた、本当に一体ナニを言っているのかしら? わたくしに求婚しておいて、リフィちゃんの恋人になるつもりなの?」

「奥様、心配なさらないでください。妻の座はあなただけです。ただ他の二人も恋人として一緒にいますが、三人とも仲良くできると思います」

「……三人?」


リフィが顔を顰めた。

僕も奇妙な物を見る表情になってる。寒気が止まらない。伯母様が表情を引き吊らせるところを初めて見たよ。

コレの脳ミソどうなってるの?

無駄にポジティブなカールは楽しそうに、リフィに目を向けた。


「オレが奥様もメイリンもお前も全員の面倒を看て、付き合ってやるから。三人ともオレの恋人っていう同等の立場で、それぞれ大切にする」


僕たちは戦慄した。

…………三人全員を囲いこむつもりって……え、ナニこのアホバカ。

カールはそんな未来を想像してか、ニヤついて気持ち悪い。

空気が凍っている。僕たちは極寒の地にいるように寒いのに、カールだけは脳内花畑が満開のようで、愉しそうに締まりのない顔だ。


「殴ったら治るかな、この変態」


ポツリと呟かれた美少女の一言。表情は能面のように無。

修羅場をくぐり抜けた僕でも、ゾッとした。気分を悪くして口元を押さえた伯母様を庇うように、リフィが前に進む。それを顔面蒼白の伯母様が「あんなのに近づいてはダメよ」と腕を掴んで止めた。


「ですがお母様。わたしロリコン変態ゲス野郎は受け付けないので、ちょっとサクッとこの世から永遠に消えて欲しいと思いますの」


ニコッと淑女スマイルの従兄弟。感情だだ漏れな上に、言葉遣いがおかしい。相当、混乱しているようだ。

楽しい妄想の世界から帰ってきた変態カールが、格別に整った容姿の母子を見て、にんまりと笑った。

僕も鳥肌が立ったから、直接見られたリフィたちはそれ以上におぞましいだろう。


「やっぱり殺るしか…」


決意を固めるリフィ。それを首を振って止める伯母様。

「ヤるならわたくしが」…って伯母様も落ち着いてほしい。

僕は「一旦、落ち着いて」とリフィを背後に隠した。すかさず、邪魔だとカールに睨まれる。……何かもう、このロリコン変態が面倒臭い。

そう思っていると、伯母様が僕たちを抱き締め、変態カールを見て目を三角にした。


「いい加減になさい。わたくしたちがあなたの妻や恋人になるわけないでしょう!? ましてや、そんな不誠実な変態にリフィちゃんを渡すわけにはいかないわ!!」


ふと、魔法の気配がした。

僕は現れる地点以外の部屋の物と僕たち三人だけを、地魔法の固定と風魔法の空気遮断で覆い、守った。

壁一面のチェストやラック、花瓶や絵画、書類棚から重厚な執務机、ソファーセットの他に、メイリンとカール用と思われる簡易机と椅子が二つずつ、そしてシャンデリアに絨毯。

予想通り、転移してきたのはお父様だった。


風を纏った移動魔法の衝撃で、カールがふっとんで壁に叩きつけられた。そこにうっかり僕が固定し忘れた簡易椅子が一脚飛んで、カールを押し潰した。ぐあっ、と声をあげるカール。気絶したみたいだ。

落下しそうになった簡易椅子を空中で風が拾い、元の場所に戻した。


お父様が長い足で、つかつかと倒れた変態カールに歩み寄る。服の後ろ襟を掴むと乱暴に引き上げた。それを音もなく背後に現れた黒ずくめの『影』に差し出す。……お父様まで無の表情。怖いんですが…。

それも『影』と変態が消えるまで。


伯母様とリフィと僕、そしてお父様の四人が残された室内で、深い息を吐く音がした。声の主は伯母様。伯母様は震えながらもきゅっと僕とリフィを抱き締めたまま。

僕がそっと腕の中から出ると、リフィが伯母様に抱きつく。


「お母様、大丈夫ですか?」

「………ええ、わたくしは何ともないわ。リフィちゃんは?」

「大丈夫です。お母様とケイが守ってくださいましたから。………お母様、あの変態の言うことに傷付くだけ無駄です。……わたし、知ってます。あの………お父様が、どれだけお母様を大切にしていたか。だから……」


躊躇いがちに二人でお互いの無事を確認しあい、リフィが言葉を詰まらせた。あれは泣くのを我慢する顔だ。無理に微笑んでいる。ジャックやメイリンには、穏やかで大丈夫に見える微笑。

伯母様が強張っていた表情を緩めた。


「━━ありがとう、リフィちゃん。大丈夫よ、わたくしも知っているから。それにしても困ったものね。あんなのだったなんて気づかなかったわ」

「わたしもです。いつも嫌味を言ってくるので、てっきり嫌われていると思っていました。まさかわたしもあの変態の恋人候補だったなんて気持ち悪いです」


……アッシュと僕は何となく、気になる好きな子を虐める行動かなと思っていたけど、あそこまで怖気立つ思考だとは気づけなかった。理解するのも難しい。理解したくもないけど。

お父様が僕の頭を撫でて、いつもの微笑みを向けてきた。


「シェルシー姉様、大丈夫です。あの者はこちらできっちり処分しておきます。今後、姉様とリフィには関わらせませんので、ご安心を」

「叔父様、ありがとうございます。職務中にわざわざ来ていただいて申し訳ございません」


リフィが丁寧に一礼すると、伯母様も緊張していた体から力を抜いた。


「ジル、来てくれて助かったわ。ありがとう。彼がいなくなってももう業務に支障はないから、この商会に戻さなくていいわ。どうやって辞めさせようか、メイリンとも考えていたの」

「そうでしたか。あの男ももう必要なくなると気づいていたのかも知れません。だから……姉様やリフィを嫁にしようなんてふざけたことを━━あの野郎…」


……お父様、最後の本音、僕にだけ聞こえてますよ?

まぁ、僕も同感だけどね。

隣を見ると、伯母様とリフィを気遣うように見るお父様。とりあえず、一件落着かな。

僕はほっと息を吐いた。




・*・*・*




そんな日も季節もあっという間に通り過ぎ、秋の終わりにはジャックが末期の癌で薬でも魔法でもどうにもできないと、伯母様にだけ告げて館を辞職した。よく外出して不在が多かったのは、検査やら病院通い、体調不良のせいだったらしい。

故郷に戻って余生を静かに暮らすとのこと。後任はジェレミーで、淡々とそつなくこなしている。


リフィは最初、落ち込んで泣いて、悔しがって泣いて━━ジャックの故郷まで追いかけていった。

ある日吹っ切れたと思ったら、こそこそ僕に内緒で仲の良い『影』を使って、ジャックの足取りと故郷を調べていたらしい。皆も非番や休みの日といったプライベートで調査に協力していたから、尚更気づきにくい。……本当に、すっかりリフィを気に入っているようで何よりだけど、仕事ももっと真面目に取り組んでほしい。


ジャックの消息が掴めた頃には僕も何をしているか知っていたけど、放っておいた。そうしたら、リフィが得意満面の笑顔で僕に「ジャックを掴まえたから、その場所に連れて行って」とお願いしてきた。

驚く僕に「一人なんて寂しいよ。わたしもお別れの悲しさと寂しさは我慢する。会うとジャックが辛いのもわかっているけど、会いに行きたい。だから移動魔法で連れて行って」と頭を下げて頼み込まれ、連れて行った。━━何だかリフィらしいと思って、笑ってしまったから。


事情を話したジャックとクーガには、微笑ましいものを見る目で見られたので恥ずかしかったけど、リフィが笑っていたから気にしないことにした。……それに、長く一人でしていた調べもので決定打に欠けていた僕に、ジャックは有力な情報をたくさんくれたから、リフィには感謝している。

長年サンルテアの『影』をまとめていたジャックのツテや情報網は、とても役に立った。


そのジャックに、リフィはわたしの実験に付き合ってと、急ぎ詰め込んだ薬の知識で、ジャックに色々と飲ませては、癒しの光の精霊魔法を限界まで行使していたよ。……魔法は、外傷を治せても、病気にはなかなか効かない。それでもリフィは諦めなくて。

三ヶ月の寿命と宣言されていたのに、ひと冬を越して春までもった。それでも、花が咲き乱れる春爛漫の中、笑って逝ってしまったけど。


葬式は伯母様とお父様で手配した。

『影』や裏世界、『国の闇』で世話になったという関係者がたくさん集まって、泣いて笑いながら盛大に見送った。ラカン長老も泣いて、それから大きく口を開けて笑った。リフィも泣かずに無理に笑って見送っていた。


その夜に、アッシュからリフィがいないと連絡が来て、ジャックのつい住処すみかに移動したら、大泣きする従兄弟を発見した。ジャックのことを考えていたら、移動していたらしい。相変わらず無意識に凄いことをやってくれる。


大泣きしながら、もっと早くに薬師くすしに弟子入りして学べばよかったと、少し斜め上にずれた言葉を言われて、僕は不謹慎にも笑いを堪えるのがちょっと大変だった。気になったのはそのあとだけど。

━━お母様は絶対に助けるって、どういう意味なんだろう?


普段の生活を支えるってことなのか、それとも、ジャックのように何か病気になるということなのか…。

結局、聞けずじまいで、泣き疲れたリフィを送り届けて、その日は終わった。今回は誰にも知られなかったから、騒ぎにならずに済んで一安心。



・*・*・*



その後のリフィは、時々ぼんやりすることがまた増えた。そして魔法と武芸訓練、それから薬学にもより力を入れて、緻密な制御と繊細な魔法も上達した。きっと冒険者ではSランク、この国では特級魔法使いになれるかな。


ギルドの依頼も数をこなして、フロース・メンシスより遅くなったけれど、僕もリフィもAランクの冒険者になったよ。

二回、国外の依頼もこなして、リフィは特上級魔法を使って、魔物の群れを一掃した。大技六発で魔力切れを起こして、バテたリフィを連れ帰ったのはいい思い出かな。


フロース・メンシスは変わりなく正神殿の依頼を優先で受けて、先にSランクの冒険者になっていたけど。それに加えて、素性不明も相変わらずだった。


その間にも、割れば誰でも魔物から身を守れる結界が張れる上に辺りを浄化する『結界玉』や、ブロン国で発明された、見た場面を切り取ったように残しておける白黒カメラ━━それも撮影にも現像にも相当な時間がかかる物が発表されたばかりなのに、発表された物より小さく、撮ったらすぐその場で鮮明な色づいた写真が出てくる『ポラロイドカメラ』。誰でも魔法を使わずに離れた相手と話せる『通信機』等を無属性魔法で造っては売り捌こうとしていた。……本当に、高性能な従兄弟が造り出す物には毎回驚かされたよ。

ただし、ポラロイドカメラと通信機は製造を秘密にして、リフィと僕とアッシュだけしか知らないようにした。さすがにコレを今出すのは、ブロン国にまで狙われて大変そうだったから。


ブロン国は魔法が衰退して、科学や技術の発展が著しいけど、まだ魔法師や魔女がいて、科学と魔術の融合体系を目指していると聞いたことがある。そんな国に噂でもリフィの造った商品のことが知られれば、絶好の研究対象になりかねない。


ちなみに、魔法銃と異空間入れ物は大好評だった。僅か半年で予定していた各定数の五十に、あっという間に達してしまった。今は幻の物と噂になり、復活を望む声が上がっている。




・*・*・*



そんな忙しい日々の中で目下、困ったのはリフィが『影』の任務についていく━━僕の任務についてこようとすること。

春が過ぎて初夏になり、リフィの誕生日が迫ってくると、特にその傾向が強くなった。


それまでは簡単な『影』の諜報活動を昼間だけ頼んでいた。愛らしい美少女に無邪気に問われると、大抵の人の口が軽くなり、滑らかに語られる。もしくは、子供だと油断して堂々と話してくれる。とても貴重な戦力になっていた。

それで満足していたはずなのに、最近はまた何かに追い詰められたようにリフィが焦り始めた。


僕のエゴで自己満足だけど、リフィには人と殺し合う任務や、子供の惨殺死体やおびただしい血が残された悲惨な現場に触れてほしくなかった。

助けるためとはいえ、人拐いを力で捩じ伏せた僕の手を、出会った頃から変わらずに握ってくれたことを知っているけど、不安になる。

それはいつまでなのか。どこまでなのか。

例えば非情な決断を下して人を殺した場合、正当防衛でやむなく命を奪った場合、命令でとある人の存在を消した場合━━優しい従兄弟は僕をどう見るのかな。どんな態度になるだろう?


『国の闇』の管理を任されている以上、当然そういうこともある。僕も何度も命を狙われてきたから。

それなのに当の本人はこちらの気遣いを無視して、あまりにしつこかった。何故か僕の後をついてきて離れない。

さすがにイラついて、きつく当たったり、実際に口にして問いかけたときは、自分の未熟さと幼稚さを見せつけられ、衝撃を受けて自己嫌悪に陥った。穴があったら入りたい。


責めるように言った僕の本音と事情と避けていた理由を知ったリフィは、心底喫驚して呆然としていたのに、少し考えて僕の汚れた手を気にせず強く握った。真っ直ぐ僕の顔を見て、曰く。


「そのときはケイが手を汚さなくて済むように、わたしも協力するよ。だから、わたしも任務に連れて行って。一人より二人の方が相手を押さえやすくていいでしょ? わたしがいたら便利でお得だよ?」


一瞬、何を言われたのかわからなくて、ポカンと間抜け面を晒してしまった。


「それでも、もし人死にが出たときは、そーゆーもん。命令された任務で殺しても同じ。仕方ないって、割りきっていくよ」


わんわん大泣きするくせにと思ったら、口にしていたようでリフィがムッとした顔で、そのときはケイとアッシュが慰めてくれるから大丈夫と、面妖なことを言ってきた。確かに僕たち二人の前でしか、彼女は大泣きしないけど……。

何だか散々悩んでいた自分がバカらしく思えて、二人でちょっと笑いあった。


「ケイ。あなたが優しいことも、わたしを守ってくれたことも、凄く強いことも、誰かを思いやれることも、大切な物のために傷つくことも、傷つけることもできるって知ってるよ。そうやって叔父様やみんなと、わたしを守ってくれたみたいに、国の人を守ってくれていることもね。━━守ってくれて、ありがとう」


握られた両手が暖かかった。

花が咲いたように綺麗な笑顔を向けられて、どうしようもなく嬉しいと思った。安堵して危うく泣きそうになって、目を合わせていられなくて、視線をさ迷わせた。


「暴力は怖いよ。けれど、あれからわたし、大分強くなったと思うの。血気盛んな冒険者たちの喧嘩も仲裁できるし、強盗犯も取り押さえたよ。ね、わたしなら大丈夫。だからわたしにも手伝わせて」

「でもリフィ」

「大丈夫だよ、ケイ。あなたがどんな任務をしていても、わたしの天使で、大切な従兄弟で、恩人であることに今後もずっと変わりないから」


ぐっと拳を握って、詰め寄るリフィ。

ずっと心の奥につかえていたものが、軽くなった気がした。

思わず、まじまじと従兄弟を見てしまう。


「できれば時々、可愛い姿を見てみたいと」

「女装は無理」

「……………たまに、ちょこっとだけは?」

「無理」


笑顔で断言すると、眉間に皺を寄せて悩む従兄弟。勝手に唇が動く。━━よし、ケイの女装を見るために頑張るぞ! と、新たな決意をして、拳を握ってくれた。

……切実に遠慮してほしい。変なところで頑張らなくていいから…。

肩を落としつつも、僕は変わらないリフィを見て、仄かに笑った。



・*・*・*



それからはちょっとずつリフィにも、多少危険な任務に参加してもらっている。リフィは緊張と報酬が格段にあがったとビックリしていたから「気にするのそこだけ!?」と思わず、突っ込んでしまった。


けれど、最近のリフィはますます不安が募った顔で、じわりじわりと追い詰められていくようだった。特にリフィの誕生日が過ぎてからそれが顕著だ。

会うたびに焦燥した顔で僕の誕生日が近づくにつれ、何かと僕の無事な姿を見ては、ほっと胸を下ろしていた。


そんなある日、覚悟していたとはいえ、お父様から告げられたサンルテアの慣習。

サンルテアの男児は八歳になった一ヶ月後に、冒険者四名を雇って統率し、一週間サンルテアの領地を見回り魔物退治をする習わしがあり、それは今年八歳を迎える僕に当てはまる。


そのことをリフィに話すと、驚いたものの、すぐに何か考え込んでしまった。その後のリフィは今までの焦りが嘘のように凪いでいて、わたしも領地に行きたいと言ってきた。

僕は危険だから渋ったけど、お父様が許可を出して、伯母様は相変わらず仕事が忙しいけど、あっさり許可を出してくれた。


こうなったら仕方がないので、僕は受け入れる他なく、要望が叶ったリフィは、「わーい」と喜んでいた。一緒に喜んだラッセルたちには特別訓練のメニューを考えてあげることにした。


気づけば僕とリフィが会ってから、一年が経過していた。









後半駆け足ですみません。

お付き合い下さり、ありがとうございました。

次は本編です。

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