13, 6才 ⑧
六歳編終了です。
二万六千字越えているので、長いです。
後で誤字脱字直すと思いますが、内容に変更はありません
目を開こうと思ったのに、開けなかった。でもうっすらと光は感じ取れる。
目をしょぼしょぼさせたわたしは痛むこめかみに手をあてながら、仰向けに横たわる体をゆっくりと起き上がらせて、息を吐いた。
何だか目蓋が腫れぼったくて重い気がする。頭も少しズキズキと痛んだ。喉も痛くてヒリヒリ。声も出てこなくて、はくはくと口が動き、掠れた声が漏れるばかり。━━これは俗にいう二日酔い!?
「うん、とりあえず違うかな。そもそもお酒飲めないでしょ、リフィ」
耳に馴染んだ声がして、わたしはパチッと目を覚ました。
見慣れた自分の部屋。寝ていたのは自分の天蓋付ベッド。右側の窓にはカーテンが開けられていて、明るい光が差し込んでいた。……はて、わたしは一体どうしたんだっけ?
腕を組んで首を傾げると、ふっと困ったように笑う気配がして、わたしはベッドの左側に目を向けた。……天使がいました。相変わらず可愛い~!
微笑ましくて、うふふと笑うと、天使の笑顔が引き吊った。
「………リフィ。元々大事な話があって起きるのを待っていたけど、その前にちょっと話し合おうか。何度も言っているけど僕は男だからね? 子供だから今は違和感無くても、大人になれば可愛いは当てはまらないほど大きくゴツくなる可能性も━━って、何で君が泣きそうなのっ!?」
「ゴツいの嫌。ケイはずっと美少女なのに……」
うちの天使は、ごつくて暑苦しくてむさ苦しい脳筋になんてならないよ~! 確かに女装は二十歳前までが限界かもしれないけど、それまでならイケると思う!!
「いや、それはないから。あと少女じゃないし、僕は暑苦しくてむさ苦しい脳筋とまでは言ってないよ? それに然り気無く女装することが当然みたいに言わないように」
声に出ていない心の声が読まれた! 読心術!? ほわぁ、さっすがケイだ~!
目を丸くしてキラキラさせたわたしに、従兄弟がガクッと肩を落とした。
「心じゃなくて唇を読んだんだよ。読唇術ね。仮に心を読まれてそんな反応……リフィくらいだよ。とりあえず水を飲んで」
ケイがサイドテーブルにあった水差しから、コップに水を注いでくれた。それを受け取って、こくこくと飲む。物凄く喉が渇いていたみたい。水分が足りなかったのかな。
全部飲んでしまって物足りなく思う。まだまだ喉がからからで水がほしい。それを察したケイが再度コップに水を注いでくれた。声が少し出るようになって「ありがとう」とお礼を言うと、渇きが癒えるまで存分に飲んだ。……こんなに干からびるほど、わたしの水分ってどこに消えたんだ…ろ、う……?
思い出したのは、真っ赤な空に浮かぶ二組の黒いシルエット。ソファーで対面して紡がれた言葉。怒って宿を飛び出して、人拐いに遇いかけて、アッシュとケイに助けられたこと。
たくさん泣いて泣いて、わんわん泣いて。「帰ろう」と差し出された手を取ったこと。……………それで、水分なくて干からびそうで、目が腫れぼったくて重くて、頭が痛むのか…。
思い出してしまった。夢でも何でもなかった…。ちょっと落ち込む。そうしている間に、ケイがわたしの手からコップを取って、サイドテーブルに戻した。
「……その様子だと何があったか覚えてるんだね」
静かな声にはっとした。
そうだよ、この従兄弟に変なとこ見せたんだよ! どろどろした昼ドラみたいな展開の場面を!!
か、顔向けできない…! でも確認しなくちゃ。どこまで知っているのか、どんな風にお母様たちに伝わっているのか。気が重いけど。
わたしはベッドの上で正座して、沙汰を待つ人のように神妙に俯いて、頭を下げた。
「……その節は、ご迷惑をお掛けしました…。連れ帰ってくださり、ありがとうございます。それで、ですね…。あの……」
「全部、知ってるよ。アッシュもね」
「それは」
「伯父の訃報を受けたことも、それでリフィが一人で家を飛び出したことも、アッシュが僕に連絡をくれて追いかけて、君がどこで何をしていたか、あと会話は全部聞いていたよ」
━━マジか。この従兄弟が凄すぎる…。てか、アッシュもなんだ。下級精霊に口止めしてたのに……居場所を知られて全部聞かれていたなんて…。
項垂れたわたしの頭に、ケイがポンと手をのせた。
ふと、魔法の気配がした。声が漏れない、けれども部屋の外には気づかれない繊細な魔法。
「下級精霊に口止めしてたんだろうけど、アッシュはアッシュで鼻が利くし、僕も精霊に教えてもらえるくらいには好かれているから。盗み聞きしたことは悪かったけど、リフィは色々と隠してたからそれで相殺してくれるかな?」
……問いかけの形なのに、有無を言わせぬ圧力があるのは何ででしょう?
あ、気のせいデスカ。ソウデスカ。
そして、色々と隠していたって……確かに諸々と心当たりがあるけども……どこまで知っているのかな…。
わたしの背筋にツ…と冷や汗が…。
わたしは恐る恐るそっとケイを見上げた。
「あの、それで今回のこと、お母様たちには……」
「忘れてって言われたからね。言ってないよ」
その返答に、わたしは詰めていた息をほっと吐き出した。ケイが頭を撫でてくれる。
「本当にそれでいいの?」
わたしを気遣ってくれる優しい声だった。それに思わずじわりと涙が滲む。目を閉じて、深呼吸━━大丈夫。
わたしはケイを真っ直ぐ見て、頷いた。
「━━うん、それでいいの」
「わかった」
暫くわたしはケイに頭を撫でられるまま、慰められた。
危うくまた眠りそうになったけど、このままではいけないとわたしはベッドに座って、正面から椅子に座すケイと向かい合い、昨日わたしが寝た後のことを教えて貰った。
「疲れたからってことで、夕食とお風呂をいただいて、すぐに僕も寝たから、昨日のことはまだ詳しく説明してないよ。伯母様たちに、どう説明するかはリフィが決めてね。僕とアッシュはそれに合わせるから」
「……わかった」
それから、わたしは少し考えながら今回のことに関する説明をケイに話して、彼がそれで大丈夫と首を縦に振ってくれたので、安心した。
ふと、気になって今の時間を聞いた。あれから、どれだけの時間を爆睡していたのかな。
「一日経って八月の十七日。朝の午前八時過ぎだよ」
わたしはサイドテーブルの置時計を見やり、愕然とした。本当に八時過ぎてる! 正確には八時十八分。
「しまった! 訓練サボって寝過ごした!!」
「気にするのそこ!?」
うぁ~、やっちゃた…。欠かさず続けてきたのに…。
ため息を吐いて落ち込むわたしに、ケイが微妙な表情をしていたけれど、一つ息を吐いて微苦笑した。
「ところで、アッシュは?」
部屋のどこにもいない。ちょっとあの素晴らしい毛並みのもふもふで是非とも癒してもらおうと思ったのに…。
ケイがちょっと躊躇って、「異界に戻ったよ」と教えてくれた。
その言葉にはっとさせられた。
アッシュはわたしを追いかけて、移動魔法を使った。まだ力の使い方を訓練中の幼い精霊なのに、わたしが無茶をさせてしまった。だから、異界に戻って休んでいるだと思う。
そしてそれはケイにも当てはまる。
確か、昨日は何か用事があったはずなのに、アッシュの連絡を受けて、わたしのために駆けつけてくれた。━━わたしは気が動転していて、自分のことしか見えていなかったのに…。
「……ごめんなさい」
「伯母様はずっと君に付きっきりで、さっき僕と交代したところだから」
「はい。後で謝っておきます」
この従兄弟だけじゃない。やっぱりお母様にもジャックにもメイリンにも叔父様にも、迷惑をかけてしまっていた。後でしっかり謝らなくては。
わたしが勝手に飛び出して、あんな風に心配と迷惑を……。
ふいに、何か引っ掛かりを覚えた。
━━わたしがあの長距離を移動できるなんて、能力の高さと魔力量の多さを周りに教えたことになる…?
ぶわっと脂汗が噴き出した。………ヤバい。コレは本格的に…。前にケイが言っていた通り、隠していた力を自分でうっかり見せていたら世話がない。
ちらりと従兄弟を見ると、にっこり微笑まれた。
大変麗しい天使の微笑みですね。なのに、背筋がゾワッとしたのは何ででしょう?
いつもはぽわぽわするのに、何だかとても怖い…ような。
「しっかり反省したところで、リフィ。ちょっと聞きたいことがあるんだ」
「………何でゴザイマショウ?」
「あれ? 何か緊張してる?」
「気のせいデス」
「そっか。それなら、教えてくれるかな。リフィは実は移動魔法が得意なんだね。ここからマリーナまで転移できる程の凄い魔力量を持っていたようだし。移動魔法は苦手って言っていたのは何か僕の聞き間違いか勘違いだったってことかな?」
「……………」
━━ヤバい。笑顔なのに、この上なく恐ろしい…! どうしよう、どう誤魔化す、わたし!?
たらりと額から汗が流れるのを袖で拭い、わたしは頬に手を添えて困ったような淑女の微笑みを浮かべた。本音を言うと、今すぐトンズラしたいです!
何とか答えようと、唾を飲んで口を開くと。
くーきゅるる~…
気の抜ける音が部屋に鳴り響きました。……はい、わたしのお腹の音です。
笑顔で固まるわたしとケイ。━━ものっすごく、居たたまれない!! 恥ずかしすぎる! 変な汗が出てきたよ!?
先に降参したのはわたしで、きゅるきゅると更に鳴るお腹を押さえるようにベッドの上で前屈み。……自分の残念さに少し情けなくなったよ。
でも仕方ないと思うの。だって、おやつはルワンダさんといただいたけど、夕食と朝食はまだだよ? 半日寝こけてたわたしが悪いっちゃあそうだけど、不可抗力だよね!?
きゅるる~
……おのれ、まだ鳴るか。確かにお腹すいたけど!
完全にシリアスな空気ぶち壊れたけど、もっと他に何かなかったの、わたし!?
「…ふっ、……くっ、はははははっ!」
「ケイ、笑いすぎ…。うぅ、お腹すいた」
わたしは、顔を逸らして笑いを堪えようとする従兄弟を、恨めしげに見た。ケイが笑いながら「そうだよね、お腹すいたよね」とわたしの頭を撫でた。
「少し前に伯母様が朝食を食べに向かったから、すぐにリフィの分も用意できると思うよ。ジャックとメイリン、それに僕の父も心配で何も手がつかないようだから、元気な姿を見せて安心させてあげて」
「うん、ごはん!」
「その前に、きちんと昨日のこと説明できないとお預けじゃないかな」
「……頑張ります」
「そうだね、まずは色々と終わらせてから、後でゆっくりじっくりさっきの話の続きを聞かせてもらうとするよ」
「ふぇっ?」
尋問を回避できたと安心していたのに! さすがに流されてくれませんでした…。
うーん、もう何だか面倒くさい。取り敢えず、ごはん! の前に、説明か。仕方ないね。それに、叔父様もいるって言っていたような…。早く安心してお仕事行ってもらおう。
にっこり笑う従兄弟に、わたしも微笑した。
「それとも、やっぱり先に僕の質問に答えてくれる?」
「お母様たちへの説明、頑張る!」
問い詰められそうになるのを、母への説明を先にして逃げた。
お腹を膨れさせてから、お風呂入って時間稼いで、その間に話を考えよう。もしかしたらケイに用事ができて帰るかもしれないし、何も思いつかなかったら最悪、仮病を使って逃げよう。
それでも逃げられないなら、受けてたちましょう?
本当は全力猛ダッシュで逃げたいところだけど。
その前に、ご飯だけどね。腹が減っては戦はできぬ~。
ケイが防音の風魔法を解除した。
その時、部屋をノックする音がして、叔父様が入ってきた。
「ケイ、城から呼び出しがかかって行かなくて……リフィ! よかった、目が覚めたのか。気分はどうだい?」
戸惑って答えられないわたしの代わりに、ケイが「今、目が覚めたばかりです」とさらりと嘘を吐いた。助かった。
ジルベルト叔父様が部屋を歩いてきたので、わたしはベッドをおりて、しっかり立った。
「心配したよ、リフィ」
「ごめんなさい、叔父様。お仕事をお休みさせて、同僚の方にもご迷惑を…」
「ああ、大丈夫。むしろ働きすぎていたから、休める理由ができて丁度よかったんだ。なのに、登城するよう言われて……ちょっと教育してくるよ。二十分もかからず戻ってくるから。そうしたら、話を聞こうか」
「う、はい…。ごめんなさい」
頭を下げると、叔父様が苦笑して撫でてくれた。相変わらず美麗でかっこよすぎだよ。
「わたしは怒ってないよ。むしろケイが怒らなかったかい? 何か無理を言ったり、罰として外出禁止とか言われなかった?」
「僕は怒ってませんよ。そんなことも言ってません。リフィが一番自分のしでかしたことをわかって反省して、後悔していますから」
うぅ、いい子だ~! もう、マジ天使!! こんないい子に育ってくれて嬉しい! ごめんね、今度からはあまり心配かけないようにうまくやるよ。
「ですが、反省を促し、繰り返さないことを求める為に罰則があってもいいと思います」
前言撤回。天使の笑顔でなんてことを言ってくれるんだ! 恐ろしい子!!
叔父様も一理ある、と頷かなくていいですから。
「それなら罰として何がいいだろう?」
━━くっ、わたしの自業自得とはいえ、何で乗り気なの!?
うちの天使は現在、敵だし! 助けがないよ!?
「今後一週間のお茶の時間、リフィだけおやつなしはどうですか?」
「何ソレ!? 地味にひどい!」
つい反応すると、ケイと叔父様の顔がこちらに向いた。……こんな時まで綺麗な顔デスね! 悔しいけど、この親子に絆されちゃダメだ、わたし! 断固抗議するよ! だってわたしに効果覿面だから!
さすがは従兄弟どの。わたしの急所をグリグリと突いてきた。こんな子に育って、わたしはあなたの未来が心配です!
「夕食のデザートもなくなるよりはいいと思うよ。それとも、お茶もなくなった方がいいってこと?」
「素敵笑顔でなんて恐ろしい提案を…っ! ケイのいじめっ子~! オニ~! そんな子に育てた覚えはありませんっ」
「確かに育てられた覚えはないね。そもそも誰が悪いんだっけ? 全然反省してないのかな?」
「うぅ、わたしが悪かったです! 反省してます~」
わたしが降参して、ケイが呆れたように息を吐く。
これまでのやり取りを見ていた叔父様は、驚いたように息子のケイを見て、苦笑した。仲がいい、と。
まぁ、悪くはないですよ? おやつの恨みはありますが!
「━━リフィ?」
「ふぁぃっ!? わたし何も言ってないよ?」
「目がギラついてた。隠すなら、もっと上手にね?」
「はい、先生」
恐ろしい子!! でも凄い!
だから、直立不動の敬礼で答えました。何故か二人に笑われたけど。
「本当に仲がいい。そういえば、我が家の手練れたちとも仲がいいそうだね、リフィ。お嬢と呼ばれておやつ貰っているとか。それなら、ここで貰えなくても問題ないんじゃない?」
「彼らには僕から渡さないように言い聞かせておきます。リフィも貰ったら、ラッセルたちがどうなるかわかるから貰わないでしょう」
本当にわたしの行動をお見通しデスね!? しかもピンポイントでラッセルを出してくるとか、普段から恨みでもあるの?
わたしは観念した。今のケイに交渉の余地なし。
くーきゅるる~…
切なく抗議した、わたしのお腹。
本当に決まらないな、わたし! いや、ある意味正しい抗議?
お腹を押さえたわたしを、叔父様が生暖かい目で見てきたよ。
「訓練から急いで戻るなり、姉様と交代したからケイも朝食まだだろう。それに、今日の訓練も上の空だったらしいね」
「お父様!」
ケイが叔父様に抗議の目を向けた。
……えーと、つまり…? え、やだ。何ソレ、か~わ~い~い~!!
ツンデレ? いや、普段は素直ないい子だ!
心配かけて申し訳ないけど、嬉しいかも。
息子の抗議も受け流して、慈愛の笑みを向ける叔父様。
「ケイもリフィと一緒に食べておいで」
「そうします」
頷くケイを撫でて、叔父様は眩しそうにわたしを見た。
「リフィは凄いな」
「何がですか?」
「わたしが言うのもなんだけど、クーガやダグラスも一筋縄じゃいかなくて気難しいのに、こうもあっさり懐柔するなんて、見事だ。ケイトスが積極的に人に関わるのも珍しい」
「…そう、ですか?」
そう言われてもよく分からない。
だって会った当初から、皆の態度は変わってないから。それ以前の彼らは知らないけど。まぁ、ケイは遠慮がなくなってきたよね。それはわたしも同じだから問題ない。
首を傾げていると、叔父様がわたしとしっかり視線を合わせるようにしゃがんだ。
「リフィ、頼みがあるんだ」
「何ですか?」
「シェルシー姉様のことを頼みたい」
「えっ?」
「……あの人をどうか、支えてやってほしい。きっとリフィなら笑顔にしてあげられるから」
真剣に懇願するようなジルベルト叔父様。
困惑しつつ、わたしはぎこちなく頷いた。ちょっと荷が重い気もしたけど、お母様を励まして支えようとは昨日、あの人と決別したときから決めていた。
わたしの都合で、夫を死んだことにして、失わせて寡婦にしてしまったから。━━大丈夫。お母様はわたしが守るよ。
少し胸が痛んでも見ないフリ。
叔父様が水色の目を和ませて、「ありがとう」と頭を撫でてきた。それを、横からケイが払った。
驚くわたしと叔父様も何のその。ケイは父親を怒ったように睨んでいた。
「お父様、リフィだって喪って辛いんですよ? それなのに幼いリフィに頼るのは間違っています! 大変なら、お父様が伯母様の力になってあげるべきではないのですか?」
叔父様がはっと息を呑み、わたしも目を丸くした。わたしを庇うように叔父様の前に立つ。凛々しい従兄弟の背中を見て、昨日から緩んでいた涙腺のせいで目に膜ができた。
叔父様の恥じ入るような声が届く。
「ああ、そうだな。すまない、リフィ。きみに背負わせようとするなんてどうかしていた。心配要らないよ、必要な手続きはわたしやジャックで手配しておくから」
「……こちらこそ、何から何まで頼りきりですみません。お母様に代わってお礼申し上げます」
頭を下げて、わたしはこっそり水気を帯びた目元を拭った。叔父様が、ケイとわたしの頭を撫でて張り詰めていた顔から、ふっと力を抜いた。
それからすぐに戻ってくると、移動魔法で城に転移したのを見送り、わたしはケイと一緒に食堂に向かった。
そこで一緒に朝食を食べた。お陰でお腹が膨れたよ。よし、これで準備万端。どこからでもバッチこい!
朝食を取って人心地ついていたら、知らせを受けたジャックやメイリン、部屋で休んでいたお母様が食堂に集まって、わたしを見て疲労が滲んだ顔に笑みを浮かべた。そこに叔父様も城から戻ってきて。それで食堂でお茶を前に、昨日の件に関する説明会が開かれました。
わたしはまず深く頭を下げて、みんなに心配をかけたことを謝罪。それから、昨日のことを説明した。
父の訃報を知ったわたしはアッシュと共に町を出たこと。
実は転移するわたしを追ってきたアッシュは、まず土の下級精霊にわたしの居場所の特定と情報を寄越すよう命じ、拒絶されたらしい。それで自分で探りつつ、ケイと連絡を取ったそうな。
そのことはケイとアッシュ以外知らないので、わたしは一人で動いてなかったことをアピール。
アッシュと共に事故現場ではなくて、もし生きているならと一縷の望みを託して港町に向かったこと。その際にアッシュがケイに連絡していたこと。
父の訃報を知らせてくれた商隊をアッシュと手分けして探したけど見つからず、落ち込んで道に迷って、人拐いに遇いかけたところをアッシュとケイに助けられたこと。そうして家に戻ってきたこと。
そう説明した。
母には泣いて怒られた。それから、「無事でよかった」と抱き締められて、申し訳なくなった。ジャックとメイリンも青ざめていたけど、今は安心した様子で母を宥めてくれた。
叔父も心配して何か言いたそうにしていたものの、息子と視線を合わせて、二人で何か話を終えていた。もしかしたらケイが知った魔力量の多さや、長距離移動の能力に気づいたのかな。それとも他のことかな。
わたしはケイに感謝して、改めて思う。
父のことはもういい。わたしは切り捨てる感覚で、全部に蓋をして完全シャットダウン。こうなってしまったことに胸はまだ痛むけど、今後はあの人の為ではなく、この大切な従兄弟と母の為に今まで以上に頑張って、絶対に死なせずに守ることを心に誓った。
ちなみに罰則はお母様たちの分も追加されて、二週間、おやつ抜きに決定しました。地味に辛い!
父エアルドの葬式は諸々の手続きを済ませて、三日後に行われることが決定した。母たっての願いで、叔父様が直々に諜報機関『影』を動かして事故死と生存を調べてくれるようだ。
『影』については少し前にジャックと母から聞いて、大まかに役割を知っていたわたしは、内心焦った。後でノームにお願いして偽装工作をし、彼らには何としても事故死で片付けてもらおう。
説明が一段落して、大人たちが忙しく葬式に向けて手配と準備をするため動き回り出す。
わたしはお風呂に入って着替えて、邪魔にならないように図書室にこっそり避難したはずなのに、もれなくケイもついてきました。そして椅子に向かい合って座って、現在、笑顔で対決しております━━。
「さて、リフィ。体調も万全みたいだし、改めてさっきの質問に答えてくれるかな?」
天使スマイルに、わたしも負けじと微笑み返した。頬の筋肉を動かして鉄壁の淑女の微笑みで向かい合う。
「それより、ケイは用事とか大丈夫なの? 昨日、予定があったのに無理に来てくれたのでしょ。誰か人と会っていたのなら、わたしも謝罪するから、そちらに行っても大丈夫だよ」
「気遣ってくれてありがとう。でも大丈夫だから、遠慮なく話してくれて構わないよ。ほら、防音の風魔法も展開したから安心して?」
「あら、本当。気づかれずにこの繊細で緻密な魔法展開の速さはさすがだね」
「苦手なはずの移動魔法を使って、行ったことのない港町マリーナにあっさり転移したリフィほどじゃないよ」
しまった、やぶ蛇!
自分の失態を悟り、切り返しのうまい従兄弟に内心で舌を巻く。……くっ、逃げ切れなかったか。
それでも何とか話を逸らそうと、話題を笑顔で提供すること十分。ケイは笑顔で聞いて返事をしてくれつつ、流されてくれなかった。
隙があろうものなら、すかさず話が戻されそうになるのを何とかかわして、笑顔で向かい合うこと五分。話題も尽きかけて、何だか、じわりじわりと追い詰められている気がするよ。
ケイが焦れたように嘆息した。それから、「リフィ」と真剣な声と不安を滲ませた表情で、わたしを見てくる。
正面から静謐さを湛えた鎮守の森のような瞳が、真摯に向けられていた。
「そろそろ話してくれてもいいと思うんだ。君が苦手って言っていたし、魔法で移動するのも酔うからって避けて、大抵は馬車で出掛けていたから、護衛も家の敷地から出たら付けるようにしていたんだよ。それがもし違って、いつの間にかあちこち移動できるなら、そんな護衛は意味がないよね? そうして出掛けた先で、前回や昨日みたいに危ない目に遭っていても助けられないよ?」
正論に、わたしは俯いて黙りこんだ。
確かにこの従兄弟の言っていることは正しい。散々心配と迷惑をかけたわたし。知らないところで勝手に危険な目にも遇い、自分の力でどうにかできずに助けてもらった。また誰かに傷つける役目を担ってもらった。
依頼の魔物退治とか慣れて、一人でもこなしているけど咄嗟の時は弱い。そして相変わらず対人で魔法を使うことも、体術を使うことも怖い。試合とかなら平気なのにね。
サンルテアの朝訓練に参加するにあたって、クーガに言われたことがずっと頭に残っている。
『殺さずを自分に課すのなら、相手の何倍も強くなければ誰も、自分すらも守れませんよ。死に物狂いの相手と不殺では圧倒的に後者の分が悪く、力量を求められるのですから』
でも、わたしはまだ弱い。
「リフィ。言いたくないことは、言いたくない、言えないでもいいんだよ。理由を教えてくれたら嬉しいけど、それも何か事情があって言えないのなら仕方がないんだから」
黙りを決め込んだわたしに、ケイが困ったように微苦笑した。頑ななわたしの態度にしびれを切らしても仕方ないのに、辛抱強く待って大人だなぁ。
ふと、思う。さっき叔父の重いお願いから庇ってくれたけれど、もしかしたらケイにはそういう人がいなかったのかな。だから、こんなに大人びてしまったのかもしれない。環境的にもそうならざるを得なかったのかも。
じっと目を見つめると、ケイが少し身を乗り出して頭を撫でてくれた。……結局、この従兄弟はわたしに甘いよね。
「相談してくれて力になれたらよかったんだけど、どうやら僕では力不足みたいだから。頼りなくてごめん。心配だけど、監視のような護衛を付けて君を束縛したいわけじゃないんだ」
頭を撫でていた手が離れて、わたしはそれを掴んだ。
もしかしたら、わたしはあの人みたいなことをしているんじゃないかと不安に思ったから。あの人みたいに、勝手に決めて一人で暴走して、わたしとお母様、自分の人生すらも死んで捨てていってしまった人。きっと今ごろ、ブロン国に向かう船の中だろう。
「頼りないんじゃないの。ずっと頼っていて申し訳ないくらいだよ。こんなことにまで巻き込んで。守ってもらってばかりで」
「そんなことリフィは気に病まなくていいんだよ。僕が好きでやっていることだから」
━━うぅ、いい子だ~! カッコ可愛い!
この天使を悲しませるなんて…っ。何をしているの、わたし!
ある程度打ち明けないと納得してもらえないことは、わかっていた。だから、説明を求められたときに、話そうと決めていたのに。朝食を食べながら、お風呂に浸かりながら、話す内容も考えて整理していたのに、何を勿体ぶっているんだか。
罪悪感に苛まれながら、悲しげに微笑むケイを見た。
「ごめんね、ケイ。話したくないわけじゃないの。ただ自分でも混乱して、話がまとまらなくて、……まだ昨日のことを信じられなくて、どう説明していいかわからなくて困って…。整理してから、話そうって思って……」
朝起きて、戸惑って答えられなかった理由を話すと、ケイは痛ましいというような顔になった。本当のことだけど、できれば説明を避けたかったという思惑もあった。これから更に優しい従兄弟を騙すことに、良心が痛む。
色々と隠して欺いているという事実が、わたしに重くのし掛かってくるけど、前世とか、ここによく似た世界を知っているとか、うまく説明できない。変人と避けられたり、信じてもらえずに病院を紹介されたら、きっと傷ついて悲しくなるよ。
「そうだったんだね。問い詰めるような真似をしてごめん。まだ混乱しているのなら、口に出して一度整理してみるといいと思うよ」
「……そうだね」
ケイが正面から隣の席に移動してきて、労るように頭を撫でてくれた。わたしは親身になってくれるケイを騙すことに胸を痛めながら、神妙に頷く。撫でられるのが心地よくて、目を閉じた。撫でられる動物になった気分。気が緩んで、そっと息を吐いた。
「目まぐるしく色んなことが起こったから、戸惑うことが多かったよね」
「うん」
「リフィも大変だったでしょ。僕で良ければ話を聞いて、整理するの手伝うよ」
「うん」
「今はもう落ち着いた?」
「うん」
「それなら話してくれるかな?」
「……うん…?」
あれ、何かはめられた?
安心したと笑う従兄弟に、何だかうまく誘導されて引っ掛かったような気がした。首を傾げていると、「よかった。話すのはゆっくりでいいよ」と疑問を持つ前に先に話を進められた。
よしよしと撫でられ、反対側に首を傾げながら、まぁいいか、と流すことにした。
・・・ *** ・・・ (ケイ)
不思議そうに小首を傾げているリフィから言質を取った僕は、頭を撫でるのをやめて、隠し事がうまい従兄弟が誤魔化そうと思考する前に、にっこり笑って話を促した。
正論でせめれば、簡単に流されてすんなり教えてくれると思っていたのに、リフィは頑なに口を閉ざしてなかなか手強かった。
心配と気遣いでせめたら、ようやく混乱してうまく呑み込めていなかったと、心細そうに吐露した。……少し反省したよ。六歳の女の子が昨日の出来事を、一晩で全部納得するなんて無理だよね。大人だって難しいだろうから。
子供らしくなく難しい書物を読んで、魔法も体術も達者な大人顔負けのリフィなら大丈夫と、僕もどこかで思っていたのかもしれない。お父様のことを棚にあげて責められなかった。少し、尤もらしい理由を付けた時間稼ぎかなと、疑う気持ちもあるけど。
その理由は、もし魔力量の多さをこれまで隠していて、実はどこにでも移動魔法を使ってあちこち行けていたとしたら、僕は一ヶ月以上そのことに気づかず、まんまと呑気に騙されていた道化になるから。でも本当にその通りだとしたら、見事だと心から感心するかな。
昨日アッシュに、リフィが誰にも見つからずに、移動魔法を使って内密に行動していた可能性を示唆されて沸き上がったのは、純粋な驚きとしてやられた、やってくれたという胸がすくような清々しさ。
出し抜かれてそう思うのはおかしいのかもしれないけど、これまで僕はそんなことされた経験があまりなかったから、とても興味深くて面白いと笑いたくなった。
それもそんなことをしたのが、よりにもよって僕より年下の女の子だったから驚きも一入だ。
騙しあいが日常茶飯事の世界を見てきて、各有名な家の情報を持っているから、大人であっても僕を欺くことは難しいと思う。
それをやってのけたかもしれない従兄弟。これまでも十分楽しかったけど、より一層、驚かせて楽しませてくれると思う。
そう考えていたのも最初だけ。
リフィが言うことには、昨日の移動魔法は火事場の馬鹿力らしい。それまでは移動魔法は本当に苦手で、というか今も苦手で、飛行魔法に至っては嫌いなままとのこと。
本人も昨日の移動魔法についての記憶は曖昧で、父の訃報を知らされてもそのことが呑み込めず、ただただ呆然としていた中で強く思ったのが、マリーナに行かなくては、ということだったらしい。
それは事前にアッシュから聞いていた様子と一致していた。
ひたすら無心に行きたいとマリーナまでの地図を思い浮かべ、風と地の精霊王の助力を乞い、そうしたらできた、と本人もどうやったかはいまいちよく解っていないみたいだ。
それでも、実際にやってのけられたのだから能力の高さも魔力量の多さも、相当なものだろう。
この発言も演技なら面白いと高揚するけど、よく分からない。見破れないから、それだけで凄いと思う。リフィはうっかりしていて分かりやすいけど、隠そうとしたことはきっとうまく隠しそうだと何となく思う。
表面上通りに単純明快で、リフィには演技も隠し事もない、全部僕の勘違いだというのならそれはそれで構わない。
僕の思い過ごしでも、この従兄弟は他に何か隠していることがありそうだから。それを暴くのもまた一興だよね。僕は僕で演技かどうか探らせてもらおう。
それに、既に一つ隠していることがあるからね。
「移動魔法の件はわかったよ。確かに切羽詰まった状況なら、潜在能力が引き出されてもおかしくないよね。神殿の測定値から成長と共に大きく増えた例も稀にあるから」
「そうなのかな。でも、もしケイがピンチで助けてって言ってきたり、お母様が事故で行方不明ってなったら、わたしはきっと、どんな手を使っても、全精霊王の力を借りてでも、駆けつけると思うよ」
………真っ直ぐな星色の目は、真剣で曇りがない。本音だと、真面目に言っているとわかる。わかるんだけど、凄い台詞だよね。そこまで思われて、こっちが恥ずかしくて照れるよ?
一つ息を吐いて、心を落ち着けた。ペースを乱されちゃ駄目だ。
「移動魔法を使うのは、本当に町に行くときくらい?」
「うん。基本、この魔法自体があんまり好きじゃないというか、町とかならまだ平気だけど、他の場所に行く自分っていうのが……思い描けないんだよね。今回は地図で詳しく知っていたのと風と地の精霊王の支えがあってこそだと思う。今やれって言われてもできないから」
しょんぼりと肩を落とすリフィ。僕は一応、納得した。さて、ここから演技かどうか切り崩せるかな。
僕はにっこり笑った。
「確かにリフィは町には気軽に転移できるみたいだね」
「え?」
「昨日も町に行っていたんでしょ?」
「えっ?」
「散歩に出たふりして一人で出掛けてたんだよね?」
「えっ!?」
「そこで元従僕のカールに会ってなかった?」
「何で知ってるの!?」
零れ落ちそうなほどリフィが目を見開いた。正直な反応をありがとう。少しアッシュから話を聞いただけだから、憶測も混じっていたけど、正解みたいだ。
「リフィ」
「しまった、語るに落ちた!?」
「うん、そうだね。今、口を押さえても遅いと思うよ」
青ざめる従兄弟に僕は生暖かい目を向けた。
その一方でじっと観察して、些細な表情の変化も見逃さないようにする。驚きと動揺。目を白黒させて混乱しているのが、手に取るようにわかる。唇が無意識に動いたので、読み取った。
『はわわわわっ!? 何で? どうしてバレてるのっ!?』
━━……うん、何というか僕を欺いているとか妙な勘違いしてごめんって言いそうになったよ。取り敢えず、理由を聞いておこうか。
「リフィ、これは一体どういうことかな?」
「そ、それは……えっと、あの、……」
「まさか、カールに会いたかったの?」
「それは絶対ない。あんな意地悪な人、大嫌い」
真顔で即否定。そうだとは思ったけど、心底嫌そうだった。
「それなら、どうして町に一人で出掛けたのかな?」
リフィが困ったような顔をして、どう話したものかと視線をうろうろ。口を開きかけては、閉じて俯いてしまう。
恥ずかしそうに僕をちらりと窺ってきたので、首を傾げたら、再度俯いてしまった。どうしたのかな?
「リフィ?」
「~っ! 寂しかったの!」
「え?」
「ここ最近、お母様たちは社交で忙しくて、ジャックも外出ばかり。アッシュも異界に戻って力の訓練。ケイも忙しかったし、サリーも家族で買い付けに他所の町に行ったでしょ。アランさんもカルドも避暑で親戚の家だし。読書と魔法練習は捗るけど、何て言うか、一人でつまらなくて……。だから、ちょっと賑やかな町に出掛ければ、少しは気分が晴れるかと思ったの!」
リフィは恥ずかしそうに目元を赤くして俯き、「あ~恥ずかしい! 言いたくなかったのに!」と、両手で顔を覆ってしまった。
てっきり何か隠し事で単独行動したのでは、と推測していた僕は予想外のことを言われて、ぽかんと呆けてしまった。
恥ずかしさを隠すように理由を怒涛のように捲し立てて、赤くなる従兄弟を見て、言わせて悪いことをした気分になった。
「みんな仕事とかで忙しいから、我が儘言って困らせちゃいけないってわかってるけど、つまらなくて……」
呟かれた言葉に、この館で一人静かに待つリフィが思い浮かんだ。……まぁ、遊びたい子供盛りだよね。
色々と我慢しているのは、容易に想像がついた。
「それで、カールに会ったの?」
「……偶然というか」
リフィが言いたくなさそうな不満げな顔をしたけど、黙って促せば渋々、話した。
「……大口の取引があるからって遠くに出掛けた………お父様が、心配で、気づいたら足が商会に向いていたの。いないって知っているからお菓子買って帰ろうと考えていたら、カールが商会から出て来て、見つかって捕まったの」
……なるほど。そうして心配していた父親は愛人の秘書と、商会のお金を持って隣国へ高飛び。━━うん、本当にふざけてるよね。僕なら半殺しにしてるかも。
早急に、この件も調べてみないと。
「……思い出させて、言わせてごめん。カールには何もされなかった?」
「うん。嫌みを言われたから言い返してやったよ」
「それはいいね」
お疲れ様と頭を撫でると、リフィが少しだけ口角を上げた。
シャンパンゴールドの大きな瞳が、じっと僕を見上げてきたので、「何?」と尋ねた。
「ケイはどうして出掛けているってわかったの? バレてないと思ったのに。カールに会ったことまで」
「アッシュが、君が昨日散歩から戻って来たときに様子がおかしくて、カールの匂いがしたって言っていたから。その日、訪問客がないことは報告を受けていたからね。それで予想しただけだよ」
「そうなんだ。カールの匂いか…」
「それで、一人で出掛けたのは今回だけ?」
「……うん、そう」
リフィが気まずそうに目を逸らした。僕は微笑んで、逸らされた顔の頬に手を添えて、こちらを向かせた。
「リフィ?」
「……三回目です」
ため息が零れた。無事でよかったけど、危険なことに変わりない。僕は改めて、今後は一人で外出しないように言い含めた。でも、あっさり出掛けそうな気がする。
申し訳ないと反省している従兄弟をじっと見て、こっそり護衛を付けようか迷っていると、両頬に添えた手にリフィの手が重なった。彼女の方を見ると、正面から目が合った。
「心配させてごめんね、ケイ。もし今度一人で出掛けるときは必ずアッシュか誰か付けるようにするよ。誰もいないときはケイに連絡するか、クーガたちに知らせるようにする。それでいい?」
僕は目を瞠った。
自分勝手で情けなくなる。リフィに窮屈な思いをさせたいわけじゃない。束縛して自由を奪いたいわけじゃない。
伯母様やジャック、お父様たちは、リフィの強さを信用しているのか反省を促しただけで、行動を制限してなかったのに。
心配性な僕を気遣い、窺うように見る従兄弟に、柔らかく微笑みかけた。
以前、ラカン長老に言われた『執着』という言葉が思い浮かんだ。その通りだと思う。失いたくなくて、気にしすぎて、興味関心があって。
リフィはその辺の大人より強い。魔物相手でも対処できるのに。
「リフィ、一つだけ約束してくれる?」
「何?」
「もし次に、何か驚いたり、衝撃を受けたりしたときは、一度ゆっくり深呼吸して。それで誰かに連絡した方がいい気がしたら、誰でもいいからそうして」
「━━わかった。そうする」
こくりと真剣に頷いたリフィに、僕は手を離して安堵した。
・・・ *** ・・・ (リフィ)
うまく誤魔化せたかな。
わたしは内心ドキドキしながら、超絶可愛い従兄弟の笑顔を見て、ふにゃりと目尻を下げた。
ケイは鋭い観察眼があるから、誤魔化すわたしも気が気じゃない。神経がゴリゴリすり減っている気がするよ。
長距離の移動魔法は、火事場の馬鹿力ってことで何とかなった。実際にそうなのだから、どうしてできたと言われてもそうとしか言えない。あのときは本当に、父のことしか頭になくて、どうにか救いたいと無我夢中だったから…。結果はあんなことになったけど。
こっそり一人で出掛けていた件も、何とか乗りきれてほっとした。まさかバレているとは思いもしなかったから、滅茶苦茶焦ったよ。しかも話の出所はまさかのアッシュ。……鼻がいいんだね。カールの匂いとか……今度から気を付けよう。
神殿とか、ルワンダさんのことが露呈しなかっただけマシかな。運が良かった。
一人外出の理由は、本当に困って頭の中が真っ白。咄嗟に口をついて出たのが、まさかの寂しかったからって! ━━言った後で物凄く恥ずかしくて、居たたまれなくなった!!
いや、うん、確かに一人でつまらなかったよ。本音ですよ。わたしも用事があったとはいえ、神殿の依頼一件だけだし、それ以外は暇でしたとも。放置されてましたが、何か?
本当に身悶えしそうなほど、恥ずかしかった。子供で良かったよ。ケイも一瞬意外そうに驚いたけど、納得してくれたから。
羞恥に耐えた甲斐があろうというもの。あとはもう、わたしは六歳児と開き直った。精神年齢は前世も合わせるとアラサー近いけど。
取り敢えず、隠したかったことは知られてないよね。
町への外出はこうなったら仕方ない。背に腹には代えられないから。実は三回どころか、二桁は行ってるけど真実を今お知らせする必要はないし。
外出禁止か制限されるかなと思ったけど、大丈夫だった。むしろ、周りが見えなくなったときは落ち着くように諭されてしまった……ケイこそ本当に七歳? 年齢詐称してませんか?
いや、でも、三歳から訓練を受けて英才教育施されたら、本人のハイスペックと合わせて、こうなるものなのかな…。
そう考えると、胸が痛んだ。
せっかく心配してくれているのに、騙してごめんなさい。でもまだ言えない。頭や精神がおかしいと病院とか神殿に預けられて、近くで従兄弟と母を守れなかったら意味がないから。だから、まだもう少し嘘をつきます。後でどんなに嫌われても、嘘つきと詰られても。
「そういえばケイ、……あの人が言っていた……うちの副商会長が不正をしている件って」
「まだ誰にも言ってないよ。確証がないし、その……申し訳ないけど僕の方で調べてみようかと」
「うん、お願いします」
わたしではきっと調べられないし、情報の出所も明かせない。ありがたくケイの力を貸してもらおう。
頭を下げると、館内が騒がしくなった気がした。
ケイが防音の魔法を解除して、風で探索の魔法を発動させた。館内のざわめきや人の歩く音、話し声が届けられた。人が集まっているのは玄関ホールかな。
わたしとケイは近くにいた風の下級精霊と視覚と聴覚を同調させ、様子を窺った。
『なぜお前がここに…っ! 奥様、すぐに摘まみ出します』
『待てよっ! 大事な話があるから、ここまで来たんだ!』
『ジャック、手を離して。カール、話を聞くわ。何があったの?』
ジャックの冷たい声に、焦ったようなカールの声。そこに落ち着いたお母様の声が玄関ホールに響き渡った。何事かと掃除中のメイドや新人の従僕も集まってきた。
その注視の中、カールが呼吸を整え、口を開く。
『クラウス副商会長が今日で無断欠勤、二日目なんです。仕事の指示書は今日までの分があったけど、おかしいと思って具合が悪いのなら様子を見ようと家に行ったら、誰も住んでませんでした。一昨日、家族で引っ越していったと近所の人から聞いて……奥様、何か聞いてませんかっ?』
その場の全員の息を呑む音が同調した。
わたしとケイも思わず顔を見合わせた。話を聞いた状況から見るに、どうやら既にトンズラしたらしい。
カールの話はまだ続き、内容がどんどん深刻化してきた。
『取り敢えず商会の事務所に行って、誰か何か聞いてないか話を聞こうとしたら、商会に貸していたお金の期日が一週間後だって銀行の人に言われて……。クラウス副商会長に一週間前にここに来て知らせるよう頼まれたから来たけど、用意できてますかって。奥様は何かご存知ありませんか?』
全員の視線が顔面蒼白のシェルシーお母様に集まる。ジル叔父様やメイリンが心配顔になる。
『……いいえ、何も聞いていないわ』
それはそうだよ。お母様は最近ようやく商会に関わるようになったばかりで、それも商会の商品や宣伝、出資者を集める広報の役割として自主的に行っていたに過ぎないのだから。
商会のことは全て父とアイリーンと、父の友人で一緒に商会を立ち上げたクラウス副商会長が取り仕切っていたはず。
カールがこの世の終わりのような白い顔で、呆然と床に膝をついて座り込んだ。
『……終わった。旦那様がいて、隣国との大口取引がうまくいっていればまだ望みはあったけど、その取引もパァになって金もない。銀行に援助を頼んでみても今の業績ではって断られて…それで一週間後に三千万バールって……』
金額の大きさに、聞いていた全員が愕然とした。
バールはこのシルヴィア王国の通貨単位で、日本での円、アメリカのドルのようなもの。それが三千万……何て言う借金を残していってくれたのか、あいつら!
わたしは拳を握りしめた。
商会の儲けは殆どないほど低迷していて、それを打破するための他国の商品の大口取引。でもそれは父たちの狂言で……頭が痛いっ!
『商会に残っているお金は』とジャックが問いかけた。カールが力のなく頭を横に振った。
『殆ど旦那様が取引に必要だからと、持って出ていかれた。それも崖に落ちて回収できないんでしょう。金庫に残っていたと思うけど、一昨日、クラウスさんが金庫を開けて銀行に行っていたことを考えると……残ってなさそうですね…』
何とも言えない重苦しい沈黙が、玄関ホールに落ちた。商会の存続の危機に、使用人たちが不安そうにお互いの顔を見合わせる。
『━━わかったわ。その借金はわたくしの方で何とか用意します。他に必要な物はあるかしら?』
震えながらも凛としっかり立つ母に、はっとしたジャックが言葉をかけた。
『奥様、いけません! 旦那様の保険金が出るとはいえ、商会の現状は厳しいです。このまま続けても益があるどころか、出るばかりになります。ここは破産を━━』
『それで破産して、これからどうするというの? 商会もこの家も手放して、父のもとに戻れというのかしら? わたくしたちに長く仕えてくれた商会の方や使用人を無責任に放り出して、リフィちゃんにも肩身の狭い思いをさせろというの?』
『奥様……』
『わたくしはもう貴族ではないのよ。ムーンローザ夫人なの。ジャック、あなたにはこの家のこと、旦那様の葬儀のことを任せるわ。わたくしはカールと共に商会に詰めます。あの人が残してくれたものですもの、何一つ失わせないし諦めないわ。メイリン、手伝って』
毅然としたお母様に、メイリンとジャックが恭しく頭を下げた。その場が慌ただしく動き出す。
『姉様、わたしも━━』
『気持ちだけありがたく受け取っておくわ、ジル。あなたはあなたで忙しいでしょう。たまの休みの日くらい、少しは男爵家の仕事をなさい。わたくしは大丈夫よ』
お母様が柔らかく微笑んで告げ、使用人たちにも安心させるように優しく微笑んで『大丈夫よ。あなたたちは何も心配しないで、この家のことをお願いね』と言った。
その笑顔に使用人たちも、幾分か肩の力を抜いて表情を柔げ、頭を下げた。
わたしには商売のことなんて分からない。でも力になりたかった。あの二人を逃がしたわたしにも責任があると思うから。それをお母様一人に背負わせるわけにはいかないよ。だから、何とかしなくちゃ。
没落して母の貴族の家に厄介になるなんて考えられない。この六年、一度も会ったことのない祖父とうまくやれるか不安だし、こんなに会わない、普段から祖父の話も聞かないことから、仲が良くないような気がしていた。━━何より、お母様が奮起したのはわたしの為でもあるのだから。
「取り敢えず、お金……。━━よし!」
何においても先立つものが必要だよね。ギルドの依頼で貯めたお金を全額、寄付しよう。ミラ・ロサとフロース・メンシス両方の貯金を合わせれば、百万バールはいく。使わずに貯めておいて良かった!
「リフィ? 取り敢えずお金で、何がよしなの?」
「うん、わたしのギルド依頼で貯めたお金を少しだけど、商会に全部寄付しようと思って」
「………」
「あとはわたしの造った商品を売って、高額のギルド依頼をこなせば、当面は何とかなると思うの。それでケイ、相談があるんだけど」
「例の商品を売るのに、どんな手続きが必要か、リフィだって知られないようにするためにどうするか、どうしたら僕たちが君の情報を守りやすいか、だね」
わたしは「うん!」と頷いた。
さっすが、ケイ! 頼りになりすぎる!
思案する従兄弟をじっと見ると、考えがまとまったのかあちこちに風の伝言魔法を送り始めた。わたしに聞かれないよう防音して。それが終わったら、思慮深い濃緑の目がこちらに向いた。
「……まずは送金してこよう。僕も一緒にギルド支部に行くよ。その間に僕の方で諸々の手筈は整えておくから」
「お願いします!」
わたしは早速ギルドカードとか販売商品の荷物を取りに、自室へ。そこで外套を着て、例のポシェットに物を詰め込んでいく。
忘れ物がないかとぐるりと部屋を見渡して、大事な物を思い出して慌てて机の鍵がかかった引き出しを開けた。
布に包まれたそれを抱えて図書室に戻ろうとしたら、扉がノックされる。入室を促すと、外套を着込んだケイが姿を見せた。
「お父様たちには、騒がしくて落ち着かないから、町に出てから僕の家に行くって言ってきたよ」
「何から何までありがとう。ケイ、これ、約束の物。包みを開けてみて」
布に包まれた物を差し出すと、ケイが不思議そうな顔をした。急かされるままに包みをほどいて、ケイが少し驚いた。わたしは満足げに笑う。
現れたのは黒光りする拳銃と濃い茶色の革でできた箱形のベルトポーチ。ついでにベルトとホルスターも付いている。
わたしの無属性魔法から造った完成品第一号の魔法銃と異空間入れ物。どちらにも目立たない底に、小さく月と薔薇の意匠にナンバー001とある。
「これは……」
「ケイ専用の魔法銃と異空間入れ物。ケイなら大丈夫だと信頼しているから、この二つだけ制限がないように造ってあるの。他の人には内緒ね」
「それって」
「照準を人でも物でも合わせられるよ。威力も制限なし。ベルトとホルスターはおまけ。弾は異空間入れ物に各属性十発ずつ用意してあるから。無くなったら言って。特別にただで造るよ。入れ物の容量は今のわたしにできる最大の大きさで、この部屋二つ分くらい。こっちも制限ないから危険物でも何でも入れられます。二つを持って国境も越えられるよ。どちらも壊れたら使い物にならないけど、この二つだけは強化しておいた。ケイだけが使えるから、他の人にあげないでね」
にっこり笑って言ったら、ケイが苦笑した。それから、真剣にわたしを見てきた。
「……本当に僕が貰っちゃっていいの?」
「もちろん。ケイの為に造ったものだから。………使用に制限がなくて責任が重い? ケイの都合上、ないほうがいいかなと勝手に思ったんだけど」
「嬉しいよ。そこまで信頼してくれて。僕なら悪用しないと思ってくれたんだから。━━ありがとう、リフィ。大切に使わせてもらうよ」
ケイが神聖な物のように慎重に手を伸ばして受け取り、ベルトを腰に巻いて、ベルトポーチと魔法銃が収められたホルスターを腰の後ろに装着した。
「状態がおかしくなったり、何か要望があったら言ってね。できるだけのことはするから」
「うん、ありがとう」
その後はケイの移動魔法で、王都近郊にあるギルド支部に向かった。
ギルド支部の近くの森に転移して、ケイにお礼を言う。わたしも自由に移動できるようになれたら便利なのに…。
嘆息して、わたしは何度も来た、天高く真っ直ぐ伸びたレンガの塔を見上げた。小型のバベルの塔みたいな外見。
一階がギルド登録や依頼受付や相談窓口、依頼の表示、フリースペース、いらないドロップアイテム等の換金所。
二階から四階までが冒険者たちのための宿泊スペース。個室から大部屋まで様々で宿をとってもいいけど、他国に来たばかりの人は慣れないから、利用する人が多いらしい。
五階、六階が訓練所で、借りた部屋で新しい魔法を開発、新魔法を試したい人や武芸の訓練、模擬戦、合同作戦会議ができる。
七階から九階がギルド運営を行っている支部。そして十階がその土地一帯の冒険者や依頼の責任を負うギルドの最高責任者、ギルドマスターの部屋。マスターは二つ名持ちと言われる世界的に有名なSランクの冒険者がなっていて、ここのマスターは『紫電の槍使い』の二つ名を持つ大柄の男性。たしか名前はクルド・ダッカ。
それで地下には、色んな便利アイテムを扱う地下ショップ。冒険者には欠かせない必需品が揃っている。ここでは冒険者登録した者が販売できるようにもなっていて、わたしはここを通して冒険者に売ろうと考えていた。
ちなみに、ギルド発祥の地は隣国のゴルド国で、大きな本部はその国にある。ギルドの運営に使用される魔法というか、紋章が浮かんだり魔方陣を使った魔術は、魔力持ちが学べば誰でも使えるものだよ。色んな便利アイテムもゴルド国産。
わたしが知っているのはあくまでシルヴィア王国を舞台にした話だから、この辺の詳細設定は漫画にも、たぶんゲームの方にもなかったんじゃないかな。なので、とても興味深くて目下、勉強中。色々できたらいいな~と思って。
ギルドの広い一階フロアは、依頼者や冒険者たちで結構な人口密度。わたしとケイは入り口で別れて、ケイは販売の手続き、わたしは送金するために、換金所の側にある十ヵ所のボックスのうちの一つへ。
電話ボックスのようなこの場所は、所謂ATMだね。
ギルドカードを細長い穴に入れて、登録時に決めた暗証番号を入力。送金、入金、お引き出し、暗証番号変更やらその他色々。窓口でも可能だけど、ここで身分証にもなる冒険者の名前やらランクやら、こなした依頼の内容や販売実績や、各ステータスの証明書も発行できる。
まぁ、名前は偽名も可能だけど、実力のステータスだけは誤魔化せない。そして依頼人にとって重要なのは実力だから、いいのかな。
わたしは早速、二つのギルドカードを使って、ムーンローザ商会へ送金した。よし、これで少しは役に立つかな。ルワンダさんと取引して、神殿の依頼を受けておいて本当に良かった!
ミラ・ロサより明らかにフロース・メンシスの貯蓄が多いから。
カードをポシェットに戻して、依頼掲示板から少し離れた柱へ移動。柱に寄りかかってケイを待ちながら、精霊と同調して高額の依頼はないかなと、他の冒険者に混じって探す。
いくらフード付きの外套を着て姿を隠していても、小柄な人が掲示板の前で依頼を探していたら、変な奴らに絡まれたり、奇異な目を向けられて印象に残っちゃうからね。
いくつか高額の依頼があったけど、シルヴィア王国は治安がいいのか魔物討伐や賊の排除というよりも、他国への長期間の護衛任務ばかり。正神殿の依頼ってとても割りのいいお仕事なんだなと実感しました。
好きなように依頼を受けていいとはいえ、現在Dランクのミラ・ロサと、Bランクのフロース・メンシス。高位ランクの依頼はフロースで受けて、一人でせっせとこなした方がいいかな?
一応、フロース用の変装指輪を持ってきているけど。荒稼ぎすれば有名になって、依頼料金もランクも上がって、儲かるかな。
「リ……ミラ・ロサ」
声がかかって顔をあげると、ケイがこちらにやって来た。そうだった、ここはギルドだから本名はご法度だよね。えーと、確かケイの冒険者登録名は…。
「ルシオラ・ノックス。こっちは終わったよ。そっちはどうだった?」
「手続きは済ませてきたよ」
「それじゃ、地下のショップに行ってみよう」
わたしが歩き出そうとすると、手を掴まれて建物の外に連れ出された。そのままあちこち歩いて、転移した森に戻ってようやく止まった。
「地下ショップに商品を卸すんじゃないの?」
「それはサンルテアを窓口にして、こちらでやるよ。ちなみに、いくつ商品を卸す予定?」
「今のところ、どちらも十個ずつ用意してあるよ。あとはそれらに使用者の条件を付け加えるだけで扱えるかな。ただその前に、使用者には本名も住まいもある程度の経歴も面談で聞いて、それが嘘じゃないか調査して信用できたらになるけど」
「でもすぐにお金が欲しくて、魔法銃は一つ三百万バール。異空間入れ物は四百万バールだったね」
わたしは一つ頷く。高いかなとも思うけど、一点物で半永久的に使えてアフターケアも万全。他国には無い物でわたしにしか造れないから。
ブロン国で造られた火縄銃みたいなのが一丁、百万から二百万バールが相場だし、小型で威力もある魔法銃や日常でも使える入れ物は便利だよね。ケイももっと高くしても大丈夫だと言っていたから。
「あ、お試し用で一回だけ誰でも使える状態にも設定できるよ。と言っても、わたしが魔力流し込んで条件を付け加えるだけだけど。すぐに売れるとは思ってないよ。こんな商品、反則もいいとこだし、商品の能力を簡単に信用するのは無理だろうから。仕組みを解明しようと分解しようとしたら、塵になって消えちゃうから複製できないし、調べられないもの。気長に根気よく売っていくしかないよね」
「それがわかっているのなら良かった。ここで直接、商品を卸すところを見られるのは危険だから、サンルテアの人を使ってやるよ。今の僕たちの容姿が隠れていても体格から子供だと丸わかりだからね。印象に残りやすいと思うし。さっきの手続きの時は光魔法で大人の幻影を見せてやって来たけど、あれも長時間はもたないから。長く接していると、見破られかねない」
「色々と考えてくれて、ありがとう」
どこまでも考えてくれている優しく頼もしい従兄弟だよ。感謝感激雨霰! ケイトス様々だね!
「あとは広告塔として、誰か有名な冒険者に使用してもらうとか、話題の冒険者に話を広めてもらうとかすれば、認知度が上がって試してみようとする人が増えると思う」
「有名と言うと、クルド・ダッカとか?」
「そうだね。あとは今話題のフロース・メンシスとか」
「ふぇっ?」
━━わたしの名前が出てきたよ!? え、何で?
一人で混乱したけど、深呼吸して自身を落ち着けた。他に誰かいるかなと考える従兄弟を見る。ここはさりげな~く情報収集しとこう。
「……ケイ、そのフロース・メンシスって人は有名なの? わたしは聞いたことないけど」
「そうだね、知られてきたのは最近だと思うよ。十代前半の赤い髪に赤い目の美少女って言われているけど、まだ詳しくは知られてないかな。冒険者登録してから一ヶ月……もうすぐ二ヶ月か、それなのに、ランクは既にB。正神殿が指名して依頼を頼むほどの実力者で、素性は一切不明。依頼達成率は百パーセント。冒険者たちの間では近頃、よく話題に上がってきているね」
「……………へぇ、そうなんだ。シラナカッタヨ…」
詳しく知られていない割りに、何故この従兄弟はこんなにも今のところ開示されているフロースの情報を全部持っているのかな。汗がぶわっと出てきて、心臓バクバク、内心ヒヤヒヤ……。
「ケイは何でそんなに詳しいの? 任務で調べたの?」
「任務ではないんだけど、大神殿がうるさいんだ。フロースに対抗して僕を引っ張り出そうとしてきたり、それが無理ならフロースを探って繋ぎを取ってほしいって言ってきたり。それも大神殿だけじゃなくて、貴族でも動向を気にしてるんだ。もちろんどちらの相談も断ったけど」
任務でがっつり探られているわけじゃなくて、ほっと安堵しかけたのも束の間。心臓が止まるかと思いました……。
━━うーわぁ、マジかー…。そこまで気にされているとは…。地味に生きたい。………はぁ、もう謎は謎のまま放っておこうよ。
わたしの中で貴族と大神殿の印象が駄々下がり。そんなことを気にして……暇人どもめ。
「それでケイも一応、調べたんだね」
「まぁ、少しだけ。冒険者でも話題になってきたからね」
情報をありがとうございます。今後はより一層、気をつけます!
それにしても大神殿めー、天使な従兄弟を担ぎ出そうとするなんて、けしからん!
「とにかく、サンルテアの方で名が知られた冒険者に体験しないか声をかけるようにするよ。それと、お父様とクーガにはこの件、話してもいいかな?」
「うん、いいよ。お世話になるんだし、ケイがそうしたいのなら構わないよ」
「……本当に、どこまでも僕を信用しすぎじゃないかな」
「特に問題ないよね? ケイならどこまでも安心信頼しておりますとも。優秀な従兄弟どの」
いつだって守ってくれたしね。
そう言ったら、ケイが困ったけど嬉しそうに小さく微笑んだ。
「……本当に凄い殺し文句…、ちょっと将来が心配だよ」
最初の呟きが聞こえなくて首を傾げたら、何でもないよと天使の微笑み。ふわ~眼福~。
「二人もきっと他言無用にしてくれると思う。それと聞きたいんだけど、もし商品を組織で買い取ったとして、その組織の人だけしか使えないっていう、限られているけど不特定多数が使用できる条件は可能?」
「できるよ。ただ、あくまで個人に売りたいな。そういう大きな組織にはあまり気乗りしない」
「そう。じゃあ、仕方ないかな」
「何が?」
「きっとお父様とクーガに話せば、二人とも『影』で欲しがりそうな気がして。それなら、すぐに話をまとめればお金を出してくれて、今ある分を買い取ってくれると思ったんだけど、リフィが個人に売りたいのなら」
「━━売ります!」
ぐっと拳を握って身を乗り出すわたしに、ケイが驚いたように仰け反った。はっ、つい興奮してしまった!
わたしは身を引いて、深呼吸。
「ケイたちは特別! お安いご用だよ! まぁ、叔父様たちが買ってくれるのならだけど…」
「そこは自信をもっていいと思うよ。それじゃ、取り敢えず今ある物は売らないで、ギルドのショップに卸す用に一つずつ新しく造ってもらってもいいかな」
「もちろん!」
お買い上げ、ありがとうございます!!
まだ売れてないけど、何だか買い取ってくれるようだし、今の状況からして早く売れるのなら、わたしは売りたい!
お母様はきっと、叔父様やお祖父様の援助は断ると思うから。
「早速、帰ったら話してみるよ。少しだけ時間をくれる?」
「わかった。それでお願いします。本当に何から何までありがとね、ケイ」
頭を下げると、ケイが「気にしないで」と微苦笑した。ふと、思いついた。
「姿を偽る魔法に限界があるのなら、変装指輪を使用すればわたしでもうまく交渉して直接卸したり、買い手の面談できるかな」
「ん? 何それ、どういうこと?」
「うん、最近試しで造った物で変装指輪があってね、指輪を着けただけで、髪や目の色はもちろん、容姿も多少なら融通をきかせて声も変装できるという優れ物を目指して………って、ケイ? どうしたの? 何で踞ってため息を!? どこか体調悪い!?」
わたしもしゃがんで心配すると、ちらりとケイが顔をあげてわたしを見てきた。……ナニコレ、めっちゃ可愛いんですけど!?
「本当に君は……はぁ。……大丈夫。驚いただけで、どこも悪くないよ」
「うん? うん、何でわたしは撫でられているの?」
「何でだろうね。取り敢えず、たぶん僕にだけしかまだ言ってないだろうから、いい子だなって」
「うん、今ケイに話したくらいかな」
ルワンダさんにもフロースの変装は知られていたけど、指輪の着脱一つでそれが行われていることは話してないよ。
「ちなみにリフィ、それってこの人に変装したいって希望したら、その人物になれるの?」
「もっちろん! でもそんなことになって悪用されたら大変だから、商品にはしないで、わたしがこっそり使うだけにしようかなって思ってた」
「……僕に言っていいの?」
「ケイは内緒にしてくれるからね! それとね、容姿は完璧に騙せても、話し方や振る舞いは化けた本人仕様なので、演技力がないと簡単におかしいって思われるよ」
「なるほど。━━はぁあ…」
……だいぶ深くて重いため息ですね。わたし何かしちゃった?
思い当たらなくて、落ち込むケイを首を傾げながら背中を撫でて慰めた。
「そうだね。また随分と画期的な物を造ろうとしてくれたなーと思って。そしてそれを売ろうとはしない良識のある従兄弟で良かったと実感していただけだよ」
「……褒められてるの?」
「すごくね。僕にも事前に教えてくれたから……。だから、本当に気を付けてね、リフィ」
「何を?」
「君が造った物は全部、ゴルド国でも研究されているけど、開発の目処がたっていないものばかりだよ。この国だけじゃなくて下手したら、隣国にも狙われかねない」
「………き、気をつけます…」
まさか、そんな大事になるとは!
こわっ! 外を歩くのも怖くなるよ!?
喉が渇いて、体が冷たくなっていく気がした。それを、ケイがわたしの手を握ってくれて、暖かいと感じて震えが治まる。
「リフィ、大丈夫だよ」
「……うん、そうだね。わたし、もっと強くなるよ。わたしを連れ去ったら、最上級攻撃魔法で一矢報いるくらいに!!」
「……………それは、やめておこうか…。被害が尋常じゃないから」
ふるふると首を横に振るケイ。
む、そっか。周りの一般人にも迷惑かけちゃうかな。それは確かにダメだね。でも山奥とか大きなアジトだったら。
「いや、危険だから。普通にみんな召されるから」
「……ダメかぁ」
「何でちょっと残念そうなの!? それに最上級魔法の使用は禁止されているからね?」
「そうだった…危険だから使っちゃいけないんだった。仕方ないね。それなら、特上級魔法にしておく」
「………………もうそれでいいんじゃないかな」
何かを諦めたように、疲れたと脱力するケイ。
でもわたしはやる気に満ちていた。拳を握る。━━来るならこい! 返り討ちだっ!
「そうと決まったら、早速訓練しよう。特に対人戦闘を鍛えないとダメだよね。訓練での手合わせじゃない実戦経験を積む必要があると思うから、サンルテアの任務に混ぜてほしいな~なんて」
「それは無理」
にっこり笑顔でお願いしたら、笑顔で却下された。……手強い!
「ダメかぁ。それなら、そういうギルドの依頼を受けようかな」
「本当に、君は……。わかったよ、考えておくから。勝手な行動はしないように」
「本当にっ? すごく渋っているのにいいの?」
「不本意だけどね。でも断ったら、一人で依頼を受けてやるんだろうから。知らないところで危険な目に遇われるよりは、しっかり護衛がついたところで無茶してくれた方がましだよ」
「ありがとう、ケイ!」
感極まって抱きつくと、ケイが大きくため息を吐いた。はいはいと、頭を撫でてくれる。
「ケイにも女装とか変装指輪を造るね! そうすれば一緒に姉妹として潜入捜査できるかも」
べりっとケイに引き剥がされた。
「何で女装なのかな?」
「前の似合っていたし、可愛かったから! ぜひお姉さまと呼びたい!」
「いや、性別違うから」
「些細な問題だよ!」
「どこが!? 生まれる前からの大きな違いだからね!?」
「大丈夫! ケイなら美人さんだから!」
「どこにも大丈夫な要素がないけど……?」
本当にこの従兄弟は可愛いな~!
ジト目で見ていたケイが、嘆息した。手を繋がれる。
「取り敢えず、帰ろう。その後でじっくり話すことにする」
「うん。ケイ」
「何?」
「本当に、感謝してる。昨日も、今日もありがとう」
「どういたしまして」
ケイがふっと笑ってくれたので、わたしも嬉しくなる。
━━大丈夫。わたしは、大丈夫。
まだ胸は痛むけど、あの人のことはゆっくり呑み込んでいこう。今は落ち込むのではなくて、次の未来のために、動こう。 ━━この優しい従兄弟と母を喪わないために。
もう既に、一年のカウントダウンは切られているのだから。
発動した移動魔法に身を任せながら、強く、失わないようにと願って、従兄弟の手を握った。
お疲れさまでした。
取り敢えず、微笑み対決はリフィの勝ち…?ですかね。
延長戦になりそうですが。
番外編挟んで七歳編にいく予定です。