11, 6才 ⑥
一万二千字越えてます。
誤字脱字、違和感ある場所の削除と追加修正をしました。
内容に大きく変更はありません
今日は一段と深い深い青の夏空だった。もくもく膨らむ真っ白な積乱雲が映えて、ソフトクリームみたいで美味しそうだなぁとわたしは眺めた。こんな暑い日は食べたくなるよね~。
ジリジリ鳴く蝉が更に暑さを強調している気がするよ。何もしなくても、じっとり汗ばんでくる。
さすがは八月の半ば過ぎ。午後の太陽光線が恐ろしい凶器だね。
太陽に背を向けて、太陽光を跳ね返す白く荘厳な建物を見上げた。
わたしは光魔法を使い、光学迷彩の要領で姿を周りから隠して人気のない芝生をてくてく歩き、堂々と庭を突っ切って壮大な白亜の正神殿の一角にある目的の部屋に向かう。
目的の部屋を窓の外から覗き、人がいないのを確認して五回ノックした。暫くして窓が開かれ、わたしは地面を蹴ってひょいと窓枠を跳び越えた。
訪ねた先は、わたしの取引相手である正神殿の副正神殿長のルワンダ・アルシャールさんの執務室。
広々とした質素な白い部屋では、焦げ茶色の髪を後ろに撫で付けた焦げ茶色の三白眼の男性が、日常用の黒い神父服を着て、待ち構えていた。彼はわたしが部屋に入ると、すかさず窓を閉めた。わたしは部屋全体に外から見聞きできないよう魔法をかけて、自身にかけた魔法を解いて姿を見せた。
ルワンダさんが丁寧に腰を曲げて頭を下げる。
「こんにちは、リフィーユ嬢。その様子ですと何事もなく依頼の魔物討伐を完了したようですね。ご無事で何よりです」
「こんにちは、ルワンダさん。はい、無事に終わりました。珍種の巨大もぐらの魔物が住み着いた、村の畑へ被害を最小限に速やかに倒すこと、でしたよね?」
わたしも水色のワンピースのスカートを少し摘まんで、丁寧に淑女の礼をとり、微笑みを浮かべた。
正神殿の依頼を受け始めてから、早一ヶ月と半月。
当初は奇跡の御業といった正神殿の評価と名を上げる仕事が主だったけど、最近は正神殿の神官さんが手に負えない魔物討伐の依頼もちょこちょこ舞い込んでいた。
わたしの依頼内容確認に、ルワンダさんが嘆息して頷いた。席をすすめられて、ふかふかのソファーに腰かけると、副正神殿長が手ずからお茶とロールケーキを用意して、目の前に差し出された。魔物退治した後の午後四時過ぎのお茶会もいいものだね。
ルワンダさんもローテーブルを挟んで、わたしの向かいに座する。
「ええ、そうです。ちょこまかと土中を動き回り、丸まると甲殻が頑丈にガードして中級魔法も効かない。この野菜の収穫最盛期に厄介な魔物が出てきてくれたと、頭を悩ませていたのですが、この短時間でさすがですね。今後の参考までに、どのように退治されたのかお伺いしても?」
ふわっとして口の中で蕩けるケーキを、うまうまと堪能して食したわたしは、興味津々の副正神殿長に目を向けて、小首を傾げた。最近はルワンダさんとも茶飲み友達と化している。━━どうやって魔物を倒したか、ねぇ。参考も何も、特別なことはしてないですし、面白くも何ともないですよ?
こちらをからかうように、もぐら叩きよろしくポコポコ出ては野菜を食べて引っ込んでを繰り返し、わたしを見て得意気に嗤った(気がした)魔物を見てイラっとしたので。
強い風を拳に纏わせ、そのもぐらが無数に作った魔物のいる土中に繋がる穴の一つに向かって突風をぶちこんだだけ。
そうしたら、地響きを轟かせながら土中の通路を風が吹き抜けて、ぽーんと、魔物が穴から空中に押し出されたところを光の網で捕獲。土がなくて慌ててジタバタ手足を動かす間抜けなそれを見て、そのまま丸焼きにしました。固そうだったから食べなかったよ。
簡潔に退治した経緯を話すと、「………力業…」と呟いたルワンダさんが、残念なものを見るようにわたしを見てきた。
わたしは口の中をすっきりさせるために、紅茶を一口飲んでスルー。
「だから面白くないって言ったじゃないですか」
「面白さは求めておりませんよ。豪快だなと思っただけです。たしか前回はフォグマという巨大で凶暴凶悪な熊を一本背負いで投げ飛ばしてましたよね…」
「大丈夫ですよ。フォグマの障気は浄化しましたし、今回も荒らされた畑は土魔法を使って直しておきました。土壌もよくしておいたので、美味しくて質のいい物が収穫出来ると思います」
ルワンダさんが苦笑して、「とにかく、お疲れ様でした」と綺麗にまとめた。終わりよければ全てよし! ━━いい言葉だよね。
「そう言えば、五日前はあなた様の従兄弟の誕生日ではありませんでしたか? 一緒にお祝いをされたのですか?」
従兄弟の話題をあげたルワンダさんに、わたしは曖昧に頷いた。残りのロールケーキを口に放り込んで、咀嚼。うまうま~。
美味と頬をだらしなく緩めていると、「こちらも食べられますか?」と、自分の分をすすめて慈愛の目を向けて来るルワンダさん。━━大丈夫ですよ、人の分まで取ったりしません。一瞬、お母様にバレなければいいかなと、邪心が顔を覗かせたけれど。淑女ですからね、わたし!
「従兄弟のケイトス様はお元気ですか?」
「ここ最近、会っておりませんので何とも言えませんが、恐らく元気だと思います。……何故、彼のことを気になさっているのですか?」
「我々正神殿側が名をあげて民衆の支持も集まってきたので、大神殿側が焦っているようです。フロース・メンシスの存在を気にかけるのと同時に、書類の上ではこの国で現在、最も魔力を有し潜在能力の高いケイトス様を担ぎ出そうとしている様子が見受けられます。ケイトス様もサンルテア男爵家としても断っているようですが、思わぬ余波があなたに及ばないとも限りませんので」
大神殿がフロースを探っていて、ケイに依頼を承諾させる手段として従兄弟のわたしに目をつける可能性があるのかぁ。実に面倒だね。
「……ご忠告ありがとうございます。わたしの方でも気を付けるとします」
サンルテアの訓練にお邪魔して二ヶ月近く。
週二でサンルテアの早朝訓練のお休みがあって、お休みの日は変わらず家の庭を走り込んでから基礎訓練。その後に母とメイリン相手に修行、魔法の練習をして過ごしていた。
今回は珍しく、ケイとは一週間ほど会っていなかった。
六月の終わりに初めて会話してから、お互いに予定が合わない日はあっても、二、三日に一度は会っていた。
たぶん、ケイのお誕生日パーティーに正式に出席すれば、顔を見ることは出来たんだろうけど、貴族と関わらないって決めているから……どこで誰とどう繋がっているかわかったもんじゃないし。元々、わたしが出席しない旨は伝えていたからね。
なので、誕生日は会っていない。当日の午前中にサンルテアの屋敷を訪ねたけど、午後には戻って来るが用事があってケイとクーガは不在だと、クーガの下でサンルテアの私兵をまとめる隊長のダグラスに申し訳なさそうに言われた。
言葉を濁していたから、きっと任務で忙しくしているんだと思う。わたしは従兄弟への誕生日プレゼントをダグラスに預けて、その日は帰った。
午後に訪ねることもできたけど、忙しい中でパーティーの準備や支度があって大変かなと思い、遠慮した。ちなみにお母様はメイリンを伴って出席。
わたしの誕生日での闖入事件で、父の商会の経営状態を知った母は、商会に関われなくてもお茶会やパーティーで商会を売り込むことはできると、かつての社交界の華が昔とった杵柄で、近頃、笑顔を浮かべて営業中だ。━━お母様のドレス武装、素敵にかっこいいです!! 惚れ惚れするよ~!
まぁ営業しているから、母やメイリンと会う時間が減って、時々一人で食事するのは悲しいけど、仕方ないよね。━━わたしはわたしで売るためにせっせと試作段階の、誰でも全属性を使える対魔物用の魔法銃と異次元入れ物の製造に忙しく、著しく魔力を消耗して連日ぐったりしているから。
ちなみにケイへの誕生日プレゼントは悩んでも何もいい物が思い浮かばず、クーガに相談したら「リフィーユ様が贈られた物でしたら何でも喜んで大切にすると思いますよ」と言われたから、余計に困った。
だから冗談で、「幸運の木彫りの熊の置物とか、変わったインテリアのお面でも喜んでくれるかな…」と呟いたら、クーガから表情が抜け落ちて遠い目になった。
「…………よろしいと思います…」って言われたけど、あ、コレ駄目だ、と返答までの長い間で察したよ。ケイの意外にお茶目な一面として冗談で演出しようと思っただけなのに…。
ちょっと試みが失敗して落ち込んでいたら、「リフィーユ様らしく楽しくてよろしいかと思われます」とクーガが優しい笑顔で励ましてくれた。━━ちょっと待って。クーガの中のわたしの印象が物凄く気になったよ!? そして、クーガの笑顔を見た使用人たちが天変地異のごとく激しく動揺していたのも気になりました!
笑顔で流しておいたけどね。
取り敢えず、叔父様やお母様が贈る物を聞いて、被らないようにした。マニエ婦人のお店にも伺って、ケイの好みをリサーチ。そこでも相談にのってもらい、流行りの懐中時計をすすめられたので無難でいいかなと決めた。サンルテアの家紋である太陽のように咲き誇る牡丹を蓋に彫ってもらえるよう特注で頼みました!
本当はマネキンを見て、危険な任務もこなすケイの身代わり人形でも作ろうかなとマニエ婦人に相談したら、蒼い顔に強張った笑顔で無言で首を横に振り続けられた。……いい考えだと思ったのに…。
仕方がないので、出来上がった淡い金色の懐中時計に、無属性魔法を使って少し作り替えた。お陰で、持っているだけで持ち主の守護と幸運、魔力と魔法の増強効果を付与したハイスペック懐中時計になったよ。自他共に認める強力な効果が半永久的持続する最高の一品。その分、製造に時間がかかり、わたしは根こそぎ魔力が削られたから連日ぐったりしていたけど。
ついでにそれに、わたしが契約した土、光、それから新たに契約できた風と水の精霊王の祝福を追加しました。文字盤で各属性の祝福が込められた宝石が輝いているんだよ~。
贈った翌日の朝に、ケイからお礼の手紙が届いた。そこには、お茶会とかで数日会えない日が続くことが詫びられていたけど、仕方ないよね。ケイには貴族としての立場と付き合いがあるんだから。
精霊王たちとの契約は、コツを掴んだらすいすい召喚できて、残すは火と闇の精霊王との契約のみ。残りの二つの属性はわたしと相性がいいから、きっとうまくいくと思う。
ただ精霊王同士のネットワークで、わたしが全精霊王との契約を目指していることは知られているらしく、一番最後に召喚されるのは嫌だと、上級精霊を通じて火と闇の精霊王から圧力がかかりました…。聞かないと機嫌が悪くなって面倒臭くなる。
仕方ないから同時召喚の練習をしてるよ。毎日ごっそり魔力持っていかれて、やり過ぎると時々ぶっ倒れては気絶するように寝ているけど。先が長い…。
ケイはケイでこの一ヶ月の内に、彼が得意とする水と光の精霊王と契約完了。闇と火は他と比べて、どうしても少し苦手らしいから、契約は諦めていると言っていた。反対にわたしはその二つの属性ととても相性がいいのに………わたしって悪役向き…? ……うん、気のせいだね。
お茶を飲み、報告も終わったので、わたしはルワンダさんに挨拶をして、彼の執務室を退室することにした。「今度はフロース・メンシスの姿を見せてくださいね」と言われたので、ちょっと驚いたよ。
「機会があれば」と曖昧に濁して微笑んでおいた。
少し前に、わたしだとバレないために、無属性魔法で変装指輪を創作。フロースの時にそれを着用すれば、髪と目の色は赤になり、実年齢に五歳くらい成長させた姿になる。でも結構疲れるし、成長した体に慣れなくて始めは四苦八苦していたよ。今でも違和感があるんだよね。
「私の息子もフロース・メンシスに会って手合わせしたいと申しておりました。機会がございましたら、遊んであげてください」
「……ルワンダさんのお子さん? おいくつですか?」
「十三です。来年、魔法学園に入学します。たまに魔物討伐など手伝ってもらっているのですよ。当初フロース・メンシスに依頼していたケビン・アルシャールは息子の名前です。神殿や私の名で依頼すれば、目立つかと思いまして。その息子が正神殿の依頼を最近受けているフロースに興味を示しておりまして」
いつになく饒舌なルワンダさん。成る程、知らない依頼主の名前だと思ったけど、息子さんか。アルシャールの姓でルワンダさんからだとわかったんだよね。てっきり偽名だと思っていたけどお子さんの名前だったのか。……でもどこかで聞いたことあるような…まぁ、よくある名前だよね。
「……ご配慮はありがとうございます。ですが、わたしと遊ぶ年齢ではないと思います」
笑顔で流した。交流を持ってボロが出たら困るのは、わたし。丁重にお断り致します!
心配してくれるのはありがたいし、懸念事項もわかるけど、そこは自分でどうにかするよ。正神殿側の監視も護衛もお断り。
「大丈夫ですよ、ルワンダさん。わたしは割と強いですし、護衛も『影』ながらついてますから。大神殿とは関わりを持ちませんし、息子さんの守りは必要ありません」
「そうですか。それでも、気をつけてくださいね」
苦笑した副正神殿長に挨拶して、わたしは転移魔法を使用。猛練習して、正神殿とよく遊ぶ町の二ヶ所なら呼吸するように移動が可能になった。お陰で誰にもバレずに正神殿に行き来できるよ。わたしの『影』ながらの護衛は、あくまで家の敷地の外に出たときだけだから。門から外に出ない限りは気づかれない。
家の皆は仕事で忙しいから「裏の森を散歩してくる」と言えば、放っておいてくれる。……他への移動は未だに苦手です。アッシュとか風の精霊王に頼ってようやくできるくらい。練習すること、やることがいっぱいだなぁ。
・*・*・*
転移したのは、町にあるムーンローザ商会の近く。人気のない路地裏。
目下、私の心配と関心は、四日前に港町マリーナに出発した父、エアルド・ムーンローザのこと。
覚悟してたし、魔法の腕も磨いたし、特上級魔法を使って風と土の下級精霊にお願いして、三日交代でマリーナまでの道すがら、お父様の様子を見守ってもらっているけど、やっぱり不安。落ち着かなくて、そわそわする。事件、事故、その他、異常なことが起こったらすぐにわたしに連絡してねってお願いしてあるから、何かあれば知らせてくれるのはわかっている。でも、怖くてやっぱり不安だらけ。今頃、無事に辿り着いているのかな…。
最近、無属性魔法を使って疲労が大きいし、四日前は父の見送り、今日は正神殿の依頼があった。そんなだから、早朝訓練は当分自主練にしていて、ケイとは会っていない。今の状態のわたしに気づかれても説明できなくて困るから。少し前に遊んだカルドやサリーにも、上の空でどうしたの? って言われたくらい取り繕うことも難しいようなので。
ケイも忙しそうだから、その事にほっとしてもいた。わたし自身、全く予想がつかないことに巻き込めないからね。
元になったゲームでは始めから両親と従兄弟は出てきていないし、回想でも語られてなかったと思う。ゲームした人の感想にも何もなかったし、同じ漫画やアニメを見た人も何も言ってなかったし、そっちにも叔父様しか出てこなかった。
そして公式のラノベに興味ある人は少なかったのか、あちこち書店を覗いて駅近くの大型店でようやく一冊見つけて、わたしが購入したくらい。きっと読む人は少なくて、三人の親族が亡くなる設定を知っている人は少ないと思う。
わたしとしては、生まれたときから両親大好きだし、従兄弟も大切だから助けられるなら、助けたい━━違うか。助けるって自分でそう決めていた。
正神殿からまっすぐに家に帰る気にならなくて、気晴らしに町に来たのはいいけど、それが商会の近くって……相当気にしてるんだなぁ。
正面から四階建ての建物を見上げた。
通りから三段ほどの階段を昇ると、重厚な木の扉にガラスの窓が嵌まった扉がある。そのガラスには銀で月と薔薇の商会の紋章が描かれていた。………ここにいても仕方ないし、お気に入りの雑貨屋とお菓子屋を覗いて帰ろう。
踵を返そうとしたら、扉に人影が映って開かれた。出てきたのは、会いたくない人。正直者のわたしはつい、嫌そうに顔を歪めて視線を逸らした。去ろうとしたのに、相手━━家で従僕をしていたカールが気づいて、苦虫を噛み潰した表情。……仮にもわたしは雇い主のお嬢さんなんですが?
そのまま気づかなかった振りでもして、無視してくれてよかったのに、こちらに近づいて来やがった。……ちっ、仕方ない。鍛えられた鉄壁の淑女の微笑みで迎え撃とう!
「こんにちは、お嬢様。お久しぶりです。こんなところで遊んでいられるなんていいご身分ですね」
「ご機嫌よう、カール。この商会では真面目に働いているようでよかったわ。それともこれから長い休憩にでも入るのかしら?」
カールが目を丸くして、口を開けて間抜けな顔になった。
家では大人しくしていたけれど、こんなところでこんな奴に言われっぱなしになるなんて御免被るよ!
ただでさえ、むしゃくしゃしているんだから━━八つ当たりだけど、喧嘩売ってきたのは向こう。返り討ちにしてくれる!
ふんす、と鼻息荒く、心の中ではファイティングポーズ!! ━━来るならこい! と、思っていたのに、カールはまだショックを受けて固まっていた。………え、何で? わたしに反撃されるのがそんなに意外だったの!?
……相手にするのが急激に馬鹿らしくなりました。
構ってられないね。それよりお菓子がわたしを待っている~!
気持ちを切り替えて、カールに背を向けて歩き出した。あんなのが商会のナンバースリー。父の左腕なんて……果てしなく商会の未来が不安だ…。
粗相を働いてジャックに叱られた後、カールはわたしの家から出ていき、アイリーンに泣きついたのかムーンローザ商会で働き始めた。それが約二ヶ月前のこと。
お陰で家での生活は快適で、とても過ごしやすくなったよ。
元は優秀なのか、後がないとわかっているのか、綺麗な女性に目がなくてナンパなのは変わり無いけど、商会ではそれなりに真面目にやっているらしい。たまに仕事関係で家に来て、母とメイリンに色目を使って口説いていくのは腹が立つけど。
お気に入りのお菓子屋で何を買おうか考えていたら、後ろから肩を強く掴まれた。無理矢理、振り向かされて、怒った様子のカールと対面する。
掴んだ手を払いのけ、わたしが不機嫌に、冷ややかに睨み上げると、カールが一瞬怯んで息を呑んだ。サンルテアの私兵と訓練して、魔物と命のやり取りしているわたしが、カールに怯えるわけ無いでしょ。
「何かご用ですか? それなら用件を速やかに述べてください。用がなくて関わるのなら、大声をあげて叫びますよ」
我ながら可愛くない子供だと思う。
カールもそう言いたげな顔だ。この人は何でわたしをいちいち構ってくるのかな。口を開けば子供っぽく嫌味を言ったり、小バカにしたり、ちょっかいをかけてくる。
カールが固まって動かないので、わたしは嘆息して彼を無視して歩き始めた。慌てたように「おい!」と声がかかったけど、わたしはそんな名前じゃありません。
目が合う度に固まられて、失礼しちゃう! そんなに怖いなら話しかけなければいいのに。
「━━っ、リフィーユ!! お前こんなところで呑気にしていていいのかよ!?」
━━この野郎…今、何て言った!? わたしの名前を呼び捨てにした! ものすっごく不愉快!! 鳥肌たったよ!?
ムッとして振り返ると、ガシッと両肩を掴まれた。何で急に強気になってるのか、意味不明。あと肩痛い。
眉を顰めて見やると、カールはよく館でわたしに対する度に見せていた嗜虐的な笑みを浮かべた。
「……旦那様とアイリーンが旅行に出掛けたっていうのに、よく呑気に遊んでいられるな。さすがはお嬢様。愛人との旅行も貴族の家では普通か? 嗜みとやらの一つかよ?」
「……何を言っているの? 変な憶測や勘違いでそんな発言をするものではないわ。品性が疑われるわよ」
身を捩って体を離す。それなのにカールは、目が合ったわたしを見つめて、歪な笑みを深くする。
「お綺麗な言葉を使ってんじゃねぇよ。お前も平民だろ。ていうか、薄々気づいてんだろ、お嬢様」
「……」
「理解しろよ。常にアイリーンと一緒の旦那様はお前たちのことなんてどうでもいいんだよ」
━━わかってる。こんなヤツの言葉に耳を貸す必要ないって。
悔しがる必要も泣く必要もない。傷ついてやるもんか!
大きく揺れた心と小さく震える体を抑え込んで、息をゆっくり吐き出し、わたしは口端を吊り上げた。
カールが驚いたように、息を呑んだ。わたしは息を吸って、吐き出す。
「ここで、人拐いだと叫ばれたくなければ、とっとと消えて。あ、もしかして商会の人間だと知られたら困るから、わたしがそんな事しないと思っている? そんな騒ぎを起こしたら、商会は庇わずにあなたを切り捨てるわ。わたしと知り合いだと言い張っても、わたしの家を解雇された使用人が一人でいる子供に近づいたと聞いた周りの人たちはどう思うかしら?」
カールが呻いて、わたしから一歩、二歩と離れる。わたしは彼に意識を向けながらも、彼を視界から外した。こちらに向けてくる強い視線を背中に感じているけど、無視して歩き始める。既にお菓子屋に行く気もなくなっていたよ。
家に帰ろうと別の細い通りに入ると、暫く歩いて誰もいないのを確かめてから、転移魔法を使用した。
転移した森から館に戻り、玄関から入ると館内は静かだった。人の気配はするものの、ホールには誰もいない。みんな仕事で忙しいのだろう。お母様とメイリンはお茶会、ジャックも用があるらしく朝見かけたきりだ。
玄関の柱時計を見ると、午後五時半前。空色にうっすら茜色が混ざり始め、侘しさを感じさせる時間だ。
誰もいないことにほっとしていたが、少し寂しくも感じた。
広い玄関ホールで少し俯いていると、ドアの開閉音がして、灰白色の毛並みに尾を立てたアッシュが現れた。
「戻ったのか、リフィ。……どうした?」
わたしは無言でアッシュに近づいた。膝をついてぎゅっと抱き締めて、ふわふわもふもふの肌触りを頬ずりして、手で撫で回しながら堪能する。……はぁ、癒される!
始めは抗議の声をあげていたアッシュだけど、途中から何か感じ取ったのか大人しくされるがままでいてくれた。
約二ヶ月近くも経てば、出会った当初と比べて成長し、もうわたしでは抱っこが出来ないくらいにアッシュは育っていた。
「……最近のお前は少しおかしいぞ、どうしたんだ?」
「もこもこ~!」
「真面目に答えろ」
「アッシュが肉球ふにふにさせてくれて、これからいつでも好きな時にもふもふ抱っこでも何でも堪能させてくれるなら……ふわぁ、柔らか~」
すりすりとアッシュの首に抱きついていると、嘆息してぐりぐりと鼻先や額を肩や頬に擦り付けてきた。少しだけささくれだった心が暖かくなった。
「アッシュ、心配かけてごめんね。わたしは大丈夫だから」
「リフィ━━」
アッシュが何か言いかけたそのとき。
玄関の呼び鈴が鳴った。来客らしい。わたしはアッシュから離れて、玄関扉を開けた。
薄青に橙の混じった空を背に、息を切らした男性が立っていた。わたしを見て、目を丸くして生唾を飲むと、我に返ったようにわたわたとして頭を下げた。
扉の外に立っていたのは、緑の制服を身にまとった人。見覚えのあるこの世界の郵便屋の制服。わたしは嫌な予感に、心臓が跳ねた。━━うそ、ウソ嘘…。お願い、ちょっと待って!?
「━━こちらムーンローザ商会のお屋敷で間違いございませんか?」
「…はい」
「どなたかご家族の方、大人の方は」
「この家の娘です。生憎と母も執事も出払っておりますので、わたしがお話を伺わせていただきます」
震えそうになる声を、拳を握って耐えた。それでも表情が能面のようになってしまったのは、否めない。血の気が引いていくのが自分でもわかった。アッシュがわたしの隣でお座りして、郵便配達の人とわたしを困惑して交互に見た。
男性も当惑して困っていたが、再度わたしが促すと赤い紙切れを差し出して、切羽詰まったように捲し立てた。
「火急の報せです。昨日、ムーンローザ商会の馬車が港町マリーナに向かう途中の山道で落石事故に遭い、谷に落ちて流されました」
「━━そんな」
「確かです。道には車輪の跡があったのですが、途中で押し出されたように切れておりまして、斜面の岩肌には馬車の部品と思しき木の板や車輪等が散乱しており、人の姿は確認できないとのことです。マリーナへ続く山道は二つあるのですが、丁度もう片方の道に進んだ商隊が、事故のあった道に銀で月と薔薇の紋章が描かれた馬車が入っていったと証言しております。彼らがもう片方の道に入ろうとしたら、大きな地響きと馬の嘶きと人の悲鳴、派手な音が聞こえたそうです。そちらに進んでみたところ、道から落ちた車輪の跡があったのと、岩肌のくぼみにこれが…」
差し出されたのは、見覚えのある父の汚れたハンカチと片方の靴。遺品だと告げられて頭の中が真っ白になった。のほほんほんわか笑顔のお父様と泣いたお母様の悲しげな顔が脳裏に浮かぶ。
男性に差し出された赤い四つ折りの紙切れを開き、目を動かす。そこには父とアイリーンと御者の訃報が記されていた。体が瘧のように震える。
「その商隊の方が本日マリーナに着いて、こちらの遺品と共に速達の移動魔法を使用して、急ぎ知らせてくれたのですが…」
郵便屋が痛ましいものを見るように、沈痛な表情をわたしに向けた。訃報を聞いて呆然としていたわたしは、その後どう答えたか記憶が定かじゃなかった。ただただ、告げられたことが信じられなくて。頭の中では疑問の嵐だ。
何で? どうして!? だってコレじゃあ、わたしは何のために力を……っ!!
━━本当にもう、お父様に会えないのっ!?
思考が全てぐちゃぐちゃで、愕然としてその場に座り込むと、そこへジャックが外から戻ってきた。
ジャックが何があったのか問いかけ、郵便屋の男性もほっとしたようにジャックにもう一度説明を始めるが、わたしの耳には入ってこない。
━━わたしは間に合わなかったの!? 精霊王との契約も無意味━…っ、そうだ、精霊は!?
苦労して修得した特上級精霊魔法。その下級精霊たちに父の様子に異変があったら助けてくれるよう、知らせてくれるよう頼んでおいた! それなのに、彼らから何の異変の知らせも受けていない。
コレはおかしい! と、わたしは直ぐに精霊たちに連絡を取った。そして、返ってきた返事に……わたしは混乱して、訳がわからなくなった。
━━生きてるって、ナニ? え、生きてるの!? マリーナにいるって…!?
当惑していたけど、わたしは希望が差し込んだ気がして、とにもかくにも確かめないといけない衝動に駆り立てられた。━━行かなくちゃ。もしまだ重傷でも息があるのなら、救える。精霊王の力を借りれば、助けられる!
居ても立っても居られなかった。
わたしは郵便屋の横をすり抜けて、館の外に出た。ジャックとアッシュの焦った声がしたけど、止まらずに館から死角になる木立に足を踏み入れ、この国の地図と自分のいる場所と港町マリーナを思い浮かべた。
そこにアッシュが駆け込んできた。
「リフィ! お前一体ナニをっ!?」
「アッシュ! わたしちょっと確めに行ってくる!」
「はぁ!? 待て、落ち着けよ!」
風と土の精霊王に力を借りて、移動魔法を発動させる。慌てたアッシュに、わたしは辛うじて青い顔ながら、笑みを浮かべた。
「確かめたら直ぐに戻るから、心配しないで」
「おい、リフィ!!」
叫ぶアッシュの姿が掻き消えた。
気持ち悪いほどの濃厚な魔力の揺れと耳鳴りと目眩に目を閉じて耐え、わたしの中で魔力が減っていくのを感じた。━━こんな無茶な移動魔法、やったのはわたしくらいかな。
行ったことはなくても、風と土の精霊王はその場所を把握しているし、わたしの魔力なら行けると思ったから実行した。けれど、うまくいくか少し不安もあったから、アッシュを巻き込むのは避けた。━━お願い、着いて。
必死にそう願った…。
ぐわんと頭の中で銅鑼が盛大に響いた感覚。
微かな浮遊からの落下に驚きながらも、わたしはどうにか両足で立てたけど、直後に膝をついてしゃがみこんだ。
次いで濃厚な森の匂いを感じ、覚束ない足取りながらそこから拓けた場所に出た。気持ち悪さにふらふらして、耳鳴りと吐き気をこらえて辺りを見回し━━青白い顔で、わたしは笑った。
目の前には『マリーナへようこそ』という巨大な立て看板。海から来た潮風が、わたしの髪を揺らして吹き抜けていった。
夕日に赤く染まる町に足を踏み入れて、人気のない隅へ。そこで耳鳴りと目眩が治まるのを待つ。
そうして焦燥感を堪えながら、じわじわと感覚が戻ってきたので、直ぐ様、下級精霊たちに連絡を取った。お父様はどこにいるの!?
聞けば大通りを、それもわたしのいる近くを一人の女性と歩いているらしい。無事ならそれでいい。どうせ誰か困っている人を助けているとかそんな感じなのだと思った。怪我もないとのことなので、あの報せは誤報か何かなのだろう。未来が少し変わったのかもしれない。
安堵して、わたしは大通りに走って向かった。早く無事な姿を確認したい。風の下級精霊たちにお礼を言いながら、父のいる場所へとまばらな人が歩く大通りを駆けて━━眦が裂けそうなくらい目を瞠って、息を呑んだ。
ドクン、と心臓が鳴った。
「━━………お父、さま……?」
赤く染まり行く空と町並み。
その大通りを歩く一組の腕を組んだ男女━━父のエアルド・ムーンローザとその秘書アイリーン。
それを見た瞬間、脳裏に響いたのは、数時間前に嫌いな男から聞かされた言葉。
『理解しろよ。常にアイリーンと一緒の旦那様はお前たちのことなんてどうでもいいんだよ』
解ったはずなのに、わたしは理解するのを拒絶した。
その男女がふいに振り返って、目が合った。二人の表情が驚愕と恐怖に染まる。
「………リフィ━━…」
父の呼ぶ声を暗い感情に捕らわれながら、わたしは聞いた。
お疲れ様でした。
あと数話で、六歳編終わる予定です。
よろしければ、お付き合いください。