お茶の席、もしくは悟りへの道(1)
やっぱり切るタイミングが計れてません。難しいです。
「可愛らしい婚約者を連れてきてくれてよかったわ。
息子にあまりにも浮いた話がないから、ひそかに心配していたの」
「お、恐れ入ります……」
後日家族同士での顔合わせ――日本で言うなら結納的なあれ――を控えた私は、本日改めてグレール伯爵家へ招かれた。
そこでグレール夫人とシャルロッテ様にお茶の席を用意して頂いたわけだ。ここへ来るまでは前世の昼ドラを思い出して一人震え上がっていたのだが、今のところ好意的に対応してくれているのでほっとした。
「それで、パトリックと貴女たちが婚約を決意したなれそめはあるのかしら?
パトリックにはいくら聞いても答えてもらえなくて」
「え、その……」
黒々とした髪の毛は艶やかで美しい。とても四十過ぎとは思えない若々しさのグレール夫人にきらきらとした目で見つめられて、思わず言葉に詰まる。
「ね、どうなの?」
「ええと、ええと、その……」
正直に言って大丈夫かなこれ。
友人とシャルロッテ様について話していて、それを聞きとがめたパトリック様に問い詰められそうになったのを、暴漢と勘違いした私が暴れたことがきっかけです――
だめだこりゃ。
バカ正直に言ったら、絶対に私、いい印象持ってもらえないよね!? と冷静な部分が判断を下す。
かといって、グレール夫人に嘘は通じない気がする。だからパトリック様も答えるのはためらったのだろう。
困っていると、シャルロッテ様が助け船を出してくれた。
「お母様、あまり無理強いはしないでさしあげて。ジェラルディーヌ様が困っていらっしゃいます」
「あら、ごめんなさい。
でもシャルロッテ、貴女も気になるでしょ?」
グレール夫人に言われたシャルロッテ様が困ったように眉をよせた。
「……まあたしかに、あの頼りない兄が、どうやってこんなに素直で可愛らしい方を見初めることができたのかは気になりますけれど……」
「そうよね? あのパトリックよ?」
「ええ。よく屋敷を抜け出して町へ繰り出しては迷子になって、わたくしいつもじいやと一緒に兄のことを探し回っていました」
「そうね。屋敷でも勉強がいやだ、作法が面倒だと脱走を企てては、いつもシャルロッテに連れ戻されていたパトリックだもの」
「苦労しましたわ」
「そうね、いつもシャルロッテが家庭教師に一緒に頭を下げてあげていたものね」
パトリック様……なんだかすごい言われようです……
というか、やんちゃな幼少期だなあ。そこはイメージ通りというか。
「それに集中しだすと言葉が足りなくなるのだわ。部屋で本を読んでいたら、わたくしいきなり兄に羽交い締めにされて庭まで引きずり出されたことがありましたの。
なにかと思えば、なんとそれが遊びに誘っていたつもりだったのですよ。わたくし、家に侵入した不審者に誘拐されそうになったのかと思いました」
「ま、まあ、それは……」
シャルロッテ様、その時のお気持ち深くお察しいたします。
――とは言えないが。
しかしご本人のいない場でこれ以上はかわいそうだろう。止めた方がいいかもしれない。
「あ、あのパトリック様は王城では騎士として非常に優秀で、信のある方だとうかがっています。決して頼りない方ではないかと思うのですが……」
「あら、では貴女はそれに惹かれたの?」
「い、いえ……私は王城で勤めを果たすパトリック様とまみえたことはございませんので……」
「でしょう? そうなると、どうしてパトリックと貴女が婚約に至ったのか、理由がわからなくって」
パトリック様のフォローをしようとして、あっさりと返り討ちに遭った。おうふ。
ごめんなさい、パトリック様! 私にはグレール夫人には逆らえません!
「その……先日の夜会で初めてお目にかかりまして。
私が友人と夜会を抜け出してお茶をしていたのですが、そのことを見とがめられてしまいまして。それがきっかけで今回のお話が」
「あら、そのご友人は男性?」
しまった、この言い方だとそっちに取られる恐れがあった。
「いいえ、女性です。シシリエンヌ男爵令嬢と懇意にしておりまして……」
令嬢同士ならよほど険悪な雰囲気がなければ警備は見とがめないだろうから、普通は私が異性といたからパトリック様が見とがめたと考える方が自然だ。
今回は本当に違うので急いで否定するが、そうすると今度はどうしてパトリック様が不審に思ったのかという疑問が出てきてしまう。シシリーが悪者になるのは絶対に避けねば。
言いよどむ私にグレール夫人が優しい笑みを浮かべたまま待っている。
急かしたりしないところがさすがでございます……
もういいや、言っちゃえ!
ごまかそうとすればボロが出る。本当に危ない場面であれば話は別だが、私には基本的に相手を言いくるめる頭脳などないのだから正直に話すのが一番だと思う。
今のままなら結婚してこの家に嫁ぐことになるのだ。このお二人とは信頼関係を築く努力をすべきであり、そのためには不用意な誤魔化しなどは避けるべきだと思う。
……もちろん、正直にしつつも悪印象を持たれるような余計なことは言わないようにもしないといけないが。
ポロッと不用意なこと言わないように気をつけよう。ほんと気をつけよう。
「シャルロッテ様が先日のデビューの際のできごとで大きな話題になっていることはご存じだと思いますが、実はシャルロッテ様が今後の夜会で、一部の貴族令嬢の方から心ないことを言われてしまうのではないかと思いまして……
ですが私はシャルロッテ様と交友があるわけではないので、万が一何かがあった際にしゃしゃり出るのもいかがなものかと思いまして。シシリエンヌ男爵令嬢ならいい打開策をお持ちなのではと思い、相談をしていたのです」
「まあ……」
シャルロッテ様がわずかに目を見張ってそっと口元を押さえている。
ブルネットの前髪がかしげた首の動きに合わせてふわりと揺れた。これに深い綺麗な青の瞳。噂に違わぬ美女です。
「申し訳ありません! 嘘っぽいですよね! でも本当なんです……」
「いいえ、疑ってなどおりませんわ。そう言ってくださる方がいらっしゃるのはとても心強いことです。
正直なところ、おっしゃるとおり今後のことはとても不安でしたので……なにかあってアナトール様にご迷惑をおかけすることになるのではと思っていたところなのです」
「そうですよね、お察しいたします……」
デビュー直後、これから貴族社会の中で交友関係を築こうというところであの騒ぎなのだから、敵も味方もわからない状態に違いない。
普通に考えれば伯爵家とつながりのある家の方々であれば問題ないと思うだろうが、縁戚の方々であっても、もし本気でかの方へ思慕を抱いていたご令嬢がいたとしたら、好意的に接してくれるかわからない。痴情のもつれは時に人の想像を遙かに超えるこじれ方をしてくれる。油断大敵。
「つまりジェラルディーヌ様は、わたくしとマルゲリット様のことを心配してくださって、夜会の席でご友人に相談してくださっていたのですね」
「はい……やはり、噂はご存じでしたか」
実は先日、パトリック様がグレール夫人が私たち四姉妹のことをご存じだと仰っていたのを聞いて予感はしていた。容姿も行動も目立たない私なんかより、絶対に容姿端麗で派手な(うかつな、とも言う)動きをしているマルゲリット様の方が社交界では知名度はある。
だから私を知っているならマルゲリット様のことを把握していらっしゃらないはずはないし、その評判をご存じであれば娘に警戒させないはずはないと思っていた。
グレール夫人は私を見つめて困ったように眉を寄せた。
「貴女のお心遣いはとても嬉しいわ。
――でもね、正直なところを言うと、現状でいうとシャルロッテよりもジェラルディーヌさん、貴女の方が大変だと思うのよ」
「はい。おっしゃるとおりです……」
グレール夫人の言葉に私はしおしおと身を縮めた。
「それで、それについてパトリックはなんと?」
「はい、その」
これ、私の口から言っちゃっていいんだろうか……?
「失礼するぞ、母上、シャル」
言いよどんでいると、ノックなしに背後の扉が突然開いたので驚いて顔を上げると、パトリック様が私の視線に気づいたのか手をあげた。
「パトリック様……」
「よう。オレも混ぜてくれ」
ずんずんと部屋へ入ってくる。
ぬかりなく執事も連れていたらしいパトリック様は、テーブルにもう一脚椅子を運ばせると私の隣にどかりと腰を下ろした。部屋に待機していた侍女に目配せして自分の分のお茶を追加させている。
「お兄様、もう少し作法を……」
「身内の席だ、気にするな」
「ジェラルディーヌ様もいらっしゃるのに!」
シャルロッテ様のお叱りの声に堪えた様子はない。その言葉にパトリック様はこちらをちらりと見た。
「あー……慣れただろ?」
「アッハイ」
パトリック様の言葉に即答する。
パトリック様とはファーストインパクトでは拉致未遂、セカンドインパクトでは気づかぬうちに背後に立たれて飛び上がった。接触というよりもむしろ衝撃だったもんな。うん。
わかりやすく扉から入ってきてくれただけ、今までで一番心臓に優しかったと思う。
「……ごめんなさい、こんな人で……」
「い、いえ。どうぞ頭をお上げください」
シャルロッテ様は眉を下げて私へ頭を垂れるので、あわてて首を振る。でもさすがに『気にしていません』とは言えません。
グレール夫人も額に手を当ててため息をついている。
「……貴方は、またどこかで聞いていたのね?」
「人聞きが悪いな。全部は聞いていない。
そろそろ本題に入る頃かと思っただけだ」
不機嫌そうなグレール夫人の視線もなんのその、パトリック様は肩をすくめた。
かの方のお名前がやっと出ました。どこまで名前を出さずに行けるかチャレンジを無駄に試みていました。