(6)
(バン!) 薄き闇より現れし、闇はまだ濃くまだ深く、常夜つきたる街灯が、風に吹かれてそわそわと、消えて失せるの摩訶不思議(バン!)、行き渡りたる電線に、走る電気の源は、どこぞのダムか原発か、今宵は風が強けれど、雷落ちたる気配もなくて、何の因果の停電か、廃工場に集いたる、悪党共も身じろぎし、頭目神谷に命じられ、一人の若者重き鋼の戸を引きて、外の様子を伺いければ、
<夕は灯も見ず、朝の割り木絶えて>
(夜は油もなくて灯火もつけられず、朝は薪がなく)
世間の油が枯れ果てたような、真の闇が立ち込めて、妙な気配に足元見れば、何やら霧かそれともガスか、怪しげな様に揺れ動く、
「何だこりゃ」
思わずつぶやくと、
「あ」
と答える女の声、遥か彼方の明かりを頼りに、そちらに視線を送りたれば、確かにそこに女が一人立っているようでございました。体に沿いし黒装束に、風にたなびく長き髪を、束ねるリボンは濃紺インディゴ、薄闇故に顔は見えぬが、何やら右手を口元に、そっと押し当てもぐもぐと、食べているよな音もして(ババン!)、左手にてはずるずると、重そうな何かを引きずり引きずり、はっと息飲み突然に、胸の辺りをどんどんと(バンバン!)、激しく叩いて咳込めり、後に安堵の一息を、
「あ~、詰まった。死ぬかと思った。やっぱしっとり系のケーキは、一気に食べるものじゃないわ~。ええと、ケーキ三ホール、コーラが何リットルだっけな、レバニラ十人前のあとはさすがにしんどいけど、口の中で混ざっちゃった、まあ、こんなもん食べておけば大丈夫かな、ほんとはサプリでもいいんだけど、楽しみってものがあるからね」
台詞とともに吐き出したる、真砂は男を見て笑い、
「じゃあ、始めようかなぁ?」
引きずり来るロープを担ぎ、その先には赤い軽自動車がくくりつけてあるのでございました。
幼き頃より臥せりがち、病院暮らしの毎日に、外で駆けたる子供らを、うらやましくも眺めおり、父御の顔は見も知らず、母御は優しくありたるが、雪の花より青白き、顔見ると真砂も悲し、母御は常に微笑みたるが、潜む嘆きを隠しはできず、十数年が過ぎて行き、体に起きたる変調は、隠しはできず母御へと、打ち明けたれば涙を流し、母御の因果が子に報いたか、真砂の体は半陰陽、男でもなく女でもなく、
<「男色・女色のへだてはなきもの」と、あさましく取り乱して>
(「男色と女色とには何のへだてもないものだ」などといって、ひどく取り乱して)
年経るにつれてどうなるか、あるいは手術でどちらかの、性に定めしこともできんか、しかしその身に幾多の病、欠損ありてこの年まで、生きられぬやも知れぬとは、嘆きて今に至りたる(ババン!)、げにこの半年は、いくら食すも腹満たず、節々たくましくなりぬると、真砂が訴えますらえば、母御はさらに顔青く、これは告げずに死のうかと、思いたれども神仏、許されぬのが親の咎、真砂に父御がおらぬのは、精子バンクより求めし、精子を腹に宿したる、されど母御の体には、遺伝子的に欠陥の、ありたる故に遺伝子操作、行い生れし子供なり、そのため真砂の体には、母御にもあるミオスタチンの、変異が起こりその結果、筋肉組織の肥大化が、起こりてさらに骨密度、常人ならぬ強靭さ、加えて変異のホモ結合、何の因果か見知らぬ父御も、ミオスタチンに変異あり、より強力に現れたる、本来ならば赤子の頃から、発現せしめるものなれど、何故今の年までに、あらわにならずにまいったか、神のみぞ知ることなれば、恐らくさらなる変異が起こり、筋肉組織も高密度、摂取されたるエネルギーを、全て使い尽くさんならば、スポーツの世界記録な(バン!)、いとも容易く塗り替える、だから決して本気を出してはいけないと、涙ながらに語りければ、真砂は言葉もなく、ただただ謝る母御を、壊れ物を包むよに、抱きしめることしかできずおり、それから数日過ぎゆきて、
<少しうち笑ひて、「是非なきは浮世、定めがたきは人の命」といひ果てず>
(少しほほ笑んで「ままにならないのはこの世、いつ死ぬとも定めがたいのが人の命ですから......」といい終わらぬうちに)
母御は身まかりてございます。
母御の残した遺産故、生きていくには困らぬが、あれほど焦がれた学校も、乙女のふりして通いたれども、いつ何時に秘密を知られ、白眼向けらる恐ろしさ(バン!)、体育の時間も心休まず、本気で走ることもなく、無性にすべてが恨めしく、ならば喰らうて憂さ晴らさんと、いくら食べても太ることなき、脂肪のつきにくい体なり、時に思いを寄せたる少年、ありても声はかけられぬ、容姿麗したおやかな、撫子たりたる真砂なれども、その実からだは半陰陽、なんぞ恋などできようか、ならば街にてごろつきと、喧嘩でストレス発散も、下手に殴れば人の骨など、軽く砕きし腕力、怒り悲しみ込めようと、決して握れぬ本気の拳(バン!)、どこで晴らせばいいのやら、心狂わしそぞろ歩き、
<次第にやつれて、昔の形はなかりしを、つらき世間なれば、誰もあはれむ方もなくて>
(次第にやつれて、昔の面影はなくなってしまったが、世間は冷たいもの、誰一人あわれむ人もなく)
たどり着いたは秋葉原、メイドの衣服に身を包み、何やら歌い踊りたる、少女ら決して上手にあらず、それでも何と楽しげに、集うオタクも声を上げ、喜びたるを観たときに、これなら身の内心の内を、晒すことなく思いのたけを、吐き出すことができるのか、みなが 観るのはメイドという、単なる記号でしかなくて、それが己に必要と、すぐに揃えたメイド服(ババン!)、歌も踊りも手習いなれど、
<晒し布の狂言綺語に身をなし、露の世を送りぬ、これを思ふに、恋にやつす身、人をも 恥ぢらへず>
(歌いながら布さらしの狂言芝居の所作をして、はかない世をおくっていた。これを見て思うに、恋に身をやつして暮していけなくなった者は、人目を恥じてなどいられないのだろう)
生まれて初めて己を開放したように思ったのでございます。
そんな真砂に目をつけた、妙閑親方千鳥姐さん、誘いはすれどまるでなびかず、
<もろもろの葛這ひかかりえ、おのづからの滴り>、
(軒端にはびっしりと蔦葛がはいかかり、雫がしきりに落ちている)
足元に絡む泥濘の、ごときしつこさに真砂辟易、たった一つの楽しみを、遮られて普段は堪える、怒りのままに殴りたる、千鳥はいとも簡単に、真砂を地面に組み伏せたれば、まさか遅れをとったなど、信じられぬともう一度、千鳥に襲いかかれども、再び巧みに抑えられ、
<「いつぞの時節には、この思ひを晴るべきと、楽しみける甲斐なく」>
(「いつかはこの思いを晴らそうと楽しみにしていたのに、その甲斐もなく」)
はっとこぼれる涙とまらず、あるいはこれも一目惚れか(ババン!)、この日より、真砂は千鳥の側にいようと決めたのでございます。
「あ、そこ動かないでね。できれば穏便にいきたいんだけど、私の場合そうもいかないことが多くて」
引きずり来る軽自動車の、後ろに回りたる真砂、しばらく狙いをつけたあと、腰を落としてバンパーの、下を掴んで一呼吸、立ち尽くす若者に向かって突進したのでした。
速度は一体どれほどか、若者車にはねられて、鉄の扉との間に、挟まれ悲鳴もあげられず (バンバン!)、喪神したる様子にて、
「まあ、運が良かったら、死なないんじゃないかな」
ぼそりとつぶやく真砂の横を、二つの影が駆け抜けて、扉より中に入りたり、後に続いて真砂は一人、扉の前で振り向きて、車のぶつかりたるために、歪んだ鉄の扉を閉めて、閂にさす鉄の棒、そのまま捻って輪にしたり、
「誰も逃げられませんよ、と」
<窓より通ふ嵐は、梅が薫りをつれて>
(窓から吹き込む風が、梅の香りをはこんで)
暗闇の中微笑んで、
「梅子ちゃんのためのお祭りだからね」
そうつぶやいたのでございます。
騒ぎを聞きつけ廃工場の、奥にありたる事務所より、若者達がぞろぞろと、現れたるも暗闇に、ほのかに灯る狐火か、灯りの中に一人のメイド、立ちてこちらを見たる様、柳の下にそろり立つ、幽霊なりかと肝を冷やすが(バン!)、どこか見覚えありしかと、
<見ぬ人のためといはぬばかりの風儀、今朝から見尽くせし美女ども、これにけおされて、その名ゆかしく尋ねけるに>、
(「見ぬひとのため」といわんばかりの風情、今朝から見続けて来た美女たちも、これには圧倒されるばかり。その名を知りたくて尋ねると)
「てめえ、誰だ」
メイド答えず灯りは消えて、ふと見渡せばまた別の、壁際灯りともりたり、メイドは虚ろな顔をして、若者達を見ますれば、そのうち一人が幽霊も、真っ青なれる青い顔、
「お、お前、梅子じゃねえか!」
「なんだと!」
にわかに若衆どよめき立ちて、互いに顔を見合わせたれば、頭目神谷はにたりと笑い、
「アホかお前ら。あの馬鹿メイドなら、こっちで自殺に見せかけて始末しただろうがよ」
「あ、そうだった」
ほっと安堵のため息を、つく間に灯りは再び消えて、闇に沈みたる中に、三たび灯った灯りの下に、現れたるは黒装束の、メイド服の意匠に似せた、ボディアーマー纏いて顔を、薄水色の布で覆った、沙杏の瞳は怒りに揺れて、
<なり代はらせられ、身を木綿なる単物にやつし>
(なり代わり、木綿の単物を着て)
「梅子に化けた甲斐はあったってもんやね」
吐き捨てたのでございます。
時は元和元暦か、源九郎義経が、幼名沙那王名乗りし折りに、身を預けたる都は貴船、黄泉の国へと通じたるが故に「きせん」と読めるとか、僧正ヶ谷を背後に抱き、誇る天狗の鞍馬山、太白金星より降だりたる、名状しがたき魔王尊、その同胞か輩か、煙波滄波の浮雲に飛行の自在を受けて、影身を離れず弓矢の力を添え守るべしと、沙那に兵法伝えたる、天狗の末裔そこにあり、沙杏もその一人たれば、故なく修行の毎日を、送りたりけるその日々を、閉ざして血塗る賊どもが、消え行くときに見つけたる、兄の顔見て裏切りを、知って怒りの沸きたれば、
<「思ふ子細のあつて、ただ今最期なるぞ」とかけ出で、あらけなき岩の上にして>
(「わけがあって、今死にます」といってかけ出した。けわしい岩の上で)
川に飛び込み命からがら、落ちて伸びたる東京へ、英気養いいずれにか、父母友の仇を取らんと、身を鎮めるに好都合、アキバのメイドに身を変えて、事情知ったる妙閑親方、匿い今に至るのでございます(バババン!)。
「誰だっつってんだよ!」
「顔まで隠して姿を見せてんねん、名前を名乗る阿呆がどこにおる? まあ、聞いてもわからんことなら教えてやってもええけどな」
「はあ?」
「鞍馬八流万象吼力行三十五代目、参る」
再び灯りは消えて失せ、後に残るはほのかな闇と、青き炎の幻像と、うろたえ惑う若者の、一人が背後に気配を感じ、振り向きたるも時遅し、
<この苦しさ、息も限りと見えて、顔色変りて悲しく>
(この苦しさに息も絶えだえとなって顔色も変わってしまった。それを悲しんだ)
口に何かを当てられて、途端意識は失せにけり、
「体内に残留して幻覚を見せる沢吼力・虚殺の行や。禁断症状はあれへんが、脳内物質に異常をきたし、記憶障害くらいは残る。せいぜいメイドの幻でも見るんやな」
闇に乗じて次々と、気絶させたればそのままに、闇に沈みて残りたるのは、頭目神谷ただ一人でございました。
「何だってんだ、おい」
さすがの強気もどこへやら、どこに誰がいるのやら、到底見えぬ闇の中、どこで咲いたか青白き、光がかすかに行き渡り、見ると仲間は一人残らず、冷たき床に打ち伏せられて、顔を上げれば目の前に、メイドの意匠残したる、黒装束の女が一人、ボディーアーマーに身を包み、髪覆いたる緑玉色の、布がかすかにひらめいて、左手下げる長得物、見れば無骨な木刀も(バン!)、闇の色にて塗られているのでございます。
「な、なんだてめえ」
「答える義務はない。答えるつもりもない。これも、一夜限りの夢幻。ただし、お前に醒める明日があるかどうかは、知らんが」
「ま、待てよ......」
「待たないよ」
千鳥姐さん黒塗りの、木刀をすっと青眼に、構えて一歩進み出れば、
「お、おい、どこにいやがるてめえ! ボディーガードだったら、仕事をしやがれ!」
途端に神谷叫びたれば、颶風一陣巻き起こり(バン!)、千鳥に向かって跳躍するは、こちらも黒衣を纏いたる、豪奢なレースに銀髪の、死人のようなその女、白き手袋嵌めた手で、振り下ろしたる日本刀、千鳥受けたる木刀で、鈍い音してつと離れ、女は眉をひそめたり、
「鉄より硬い黒沈木の木刀か。いいものを持っている」
「お前......」
確か代行屋儀一鐘鳴と、共に現れたる女、まさか儀一の護衛ではなく、悪党一味の護衛とは、しかしその腕確かなり、油断できぬと身構えて、
「しかたがない。こい」
「ふむ」
高い襟元に隠れたる、女の口が微かに動き、笑みの形を作りたる、壮絶なりや死人の笑みか、
「近頃裏街道の吹きだまりで話題になっている、イカれた格好の殺し屋集団というのはキミらのことのようだね。恨みはない、理由もない、ただかく在れ、と何かが告げるのだから是非もない。そちらも『仕事』を果たそうと言うなら、『殺し屋ギルド』の< 黄金の座>、この昏主水を殺して行くのだな」
「昏主水......『殺し屋ギルド』伝説の一位、<死恋女>か!」
千鳥の背中に戦慄が走ったのでございます。