偽者とジーニアス
読みは如飞=ルフェイです。
香蘭の案内でたどり着いた扉は、俺と泉火がアヴァロンで住んでいた家と同じ片開き戸だった。ノブと鍵穴が一体になっており、そこも我が家と同じ構造だ。
改めて手の中の鍵を眺める。
表面に大小の凹みが穿たれた、ディンプルキーという種類のもの。一見単純な構造だが、鍵穴の方は中々に優秀で、ピッキングにとっては天敵と言える。
そんな高性能な鍵を備えたこの部屋の主人は、ここセヴェガ王国の第一王女。つまりはお姫様な訳だが。
どうも父親の仁甫曰く、引きこもり状態らしい。
何故彼女が引きこもっているのか訊ねたところ、さっぱり見当がつかないらしく、仁甫も手を出しあぐねていたようだ。
「だからって俺を頼られてもねぇ」
俺が出来るのは、一般的な炊事洗濯と現代絵画の大まかな鑑定ぐらいだ。小娘の調教なんざ専門外である。性的なものも含め。
「あのぉ〜終酔先生。入らないんですか?」
と、何故かずっと後ろで待機していた香蘭が、躊躇いがちに苦笑いを浮かべて、こちらを見ていた。
「あぁ、まだいたのお前」
「いましたよ!」
甲高い声が耳にキンキンする。五月蝿い。
「で、何でまだいるの」
「何でって……いくら賓客だからといっても、外国の人を王女様の部屋に一人で放置するわけにはいきませんって」
「そう先輩か侍女長にでも言われたのか」
「そうです!」
あっさりと認めやがった。こいつはこういう行動で、自分が『典型的な馬鹿』認定されていることに気付いてないのだろうか。
「はぁ……。まぁ、とりあえず突入といくか」
鍵穴に鍵を挿入していく。まるで処女の膣穴をこじ開けるように何度かガチャガチャとやった後、手首を回して解錠。
「えっ、突入するんですか?」
「うん。困ったらお前に押しつけるからヨロシク」
そう言い捨てながらドアノブを握り、一息に開け放った。
ヒュッ
途端、長い髪に隠れた耳が小さな風切り音を拾った。脊髄反射に近い領域で右手が動き、嫌な感触が掌を貫いた。
「なんじゃい一体……」
思わずそんなおっさんくさい言葉が漏れる。何故か右手が熱くて痒くてとにかくアレだったが、とりあえずそれは置いておく。問題は目の前のこれだ。
「ボウガンか」
「えっ?ボウガンって……」
背後にいた香蘭部屋の中を覗き込んでくる。肩から乗り出してきた頭を押し戻しながら、薄暗い部屋の中央を目指す。
そこに置かれた黒塗りのボウガン。ドアが開くと自動的に発射するよう仕掛けが施されている。
「物騒ね」
「あ、ボウガンってこれですか……って、先生!て!手!」
宣言通りついてきた香蘭が、俺の右手を指差しながら何やら喚いてる。……って、あぁこれか。
「騒ぐな。別に大したことじゃない」
そう返しながら、熱を持つ右手を掲げる。そこには母譲りの白い肌を貫く、一本の矢があった。掌から手の甲まで突き抜けている。見事な貫通ぶりだった。出血は少ないので、倒れたりはしなさそうだ。
「大したって……絵描きが手を怪我しちゃダメじゃないですかぁ!」
「五月蝿い黙れ」
鏃を折ってボウガンの設置されたテーブルに置く。ぶらぶらさせて他の所を怪我しないためだ。抜くのはまぁ、やめたほうがいいだろう。
「とりあえず如飞を探すわよ。この様子じゃあどっかに埋まってるでしょうし」
「あぁ、確かにこれは……」
改めて部屋を眺める。
十六畳程の広い空間は、その大半のスペースが紙に覆われていた。
クローゼットや冷蔵庫といった家電家具。それと何故か、木製のイーゼルが確認出来るだけで五つ転がっている。
散らばった紙を拾い上げる。
「これは……」
モノクロで描かれた風景画。まだ線が荒いが、見れる代物ではある。
「何ですか?これ」
「書き方から察するに……これは漫画ね」
他の紙も見てみるが、枠線でコマ割りされた長方形の絵面は絵画ではあり得ない。これは最近アヴァロンで流行り出した漫画というやつだ。
「見るのはいいけど、それは王女様を探してからよ」
「あっ、すいません」
画家としては興味があるのだろうが、今は我慢してもらおう。
紙の海を掻き分けながらうろうろしていた香蘭が、小さな机の前でひたと足を止めた。
「先生!いました!」
「そう。今行くわ」
摺り足で紙を破らないよう彼女の元へ近寄る。するとその足元に、一人の少女の姿が現れた。
「すぅ……すぅ……」
静かに寝息を立てる少女。控えめに言ってもかなり可愛い。香蘭があれだけ騒いでいたのに起きていないのは、頭にかぶったヘッドホンのせいか。
「香蘭。起こしてくれる?」
「はい」
頷くと、香蘭はいきなり少女を抱え上げた。何をするかと思えば、そのまま壁際のベッドに放り投げた。
「ゲフッ」
蛙のような呻き声を上げて王女様が咳き込んだ。おいおい酷いな。
「普通投げるか?」
「え?私いつもああやって起こされましたけど……」
だからって仕えてる王族の姫を投げちゃうのかこいつは。馬鹿だな。
「で、起きたの?」
「目は開いてます」
一先ず顔を拝ませてやろうと、ベッドサイドに向かう。そこには不貞腐れたように顔を背ける王女様の姿があった。存外大人しいな。ただーーー
「無茶苦茶怒ってるわね……」
「なんか死ねって言われました。酷いです」
どっちがだ。
「まぁいいわ。貴女はドア付近で待機。絶対に喋らないで」
馬鹿の相手はしてられん。
「はいっ!」
香蘭は元気よく返事をすると、すったかとドアの前に向かった。素直なとこはいいんだがな……。
「さて王女様。私が誰だか判ります?」
「…………誰?」
姉のファンだと聞いていたが、姿は知らないのか。
「アヴァロンで画家をやっております。飽憑終酔です」
「…………嘘」
はい嘘です。
「信じてもらえないかしら」
ポーカーフェイスを保ちながら問う。王女様は部屋の中央を眺めながら答えた。
「うん。だってこの部屋に入れるわけがないもの」
「それはあのトラップのこと?」
目線を追いながら、矢が刺さったままの右手を掲げる。僅かに目が見開かれた。
「別に気にしないでいいわよ。治るから」
ヒラヒラと貫かれたままの右手を振る。傷口が刺激されてかなりの痛みが奔ったが、別にショック死する程ではないので無視した。
「……痛くないの?」
流石仕掛け人だけあり、罪悪感は然程無いようだ。まるで奇妙なものを見るような不躾な視線をぶつけてくる。
「痛いわよ」
無痛覚ではないからね。
「でも、今は貴女に会いたくてね」
さりげなく微笑む。すると王女は何故かより一層の警戒を露わにした。
「本当に誰、貴女……」
ほぅ……。
どうやらこういう顔は嫌いらしい。中々に聡明で……捻くれてるな。
「さっきも言ったけれど、飽憑終酔よ。それとも本名のほうがいい?」
なので、本格的に姉の皮を被ることにした。遊んでると話進まないし。
「……いいえ」
王女はそう返すと、上体をすくっと起こした。
「会えて光栄だわ。私、貴女の絵がかなり好きだから」
「そう。この場合はありがとう、って言えばよかったかしら」
そう素っ気なく答える。ちなみにこの台詞、泉火が三年ぐらい前に実際に言った言葉だ。
「えぇ。そうね」
そんな素っ気ない会話なのに、心なしか少し嬉しそうに見える。
ふむ。
泉火よりかは多少人間らしいものの、本質は似たり寄ったりな印象だ。先程見た漫画原稿は、内容はともかく、絵は才能を感じるものがあった。
「今日はもう戻るわ。今後も頻繁に来るから」
「トラップを片付けておけ、ってこと?」
「話が早くて助かるわ」
立ち上がる。
ドア付近に待機していた香蘭を左手で呼び寄せると、ノブを回させて部屋を出た。
俺が立ち去るその瞬間、チラリと見えた彼女は、一心不乱に机に向かい始めていた。
そしてドアが閉まる音と同時に、俺は香蘭の胸の中に倒れ込んだ。
「先生!終酔先生!」
「ウルサイ……疲れた……」
痛みを無視するなんていう無茶を続けていれば、脳が悲鳴を上げ始める。当然のことだった。
「医務室へ運べ……すごく眠い」
「了解です!」
香蘭は珍しく真剣な表情でそう返事をすると、俺の身体をお姫様抱っこして走り出した。
まったく…… 体力は一級品だな。
そんなことを思いながら、俺の意識は融け落ちていった。
さて。ようやくここまで進みました。ここからどうしよう。