放置のカレーパスタ
セヴェガは軍事大国であると同時に、唯一国王の存在する王政国家だ。国軍は王に忠誠を誓い、高潔な血潮を抱いて戦う。随分と意識の高い連中である。
そんな国が面白いとは到底思えないのだが。
「行ってきます」
「あぁ、行ってらっしゃい」
今日も姉は朝から外出だ。こうも毎日年頃の娘が外出していることに、危惧の一つでも抱くのが普通なのかもしれない。だが俺にはそんな過保護体質は無いし、泉火自身も望んではいない。逆に絵のためなら、背徳的な恋愛や犯罪まがいの行為に手を染めてもらった方が、インスピレーションも湧くだろうなんて思う始末だ。我ながら低俗だと思う。
俺にとって、姉は金蔓であって、たまたま血が繋がっていただけの他人だ。血が繋がってさえなければ、例えば義理の姉だったなら、俺は泉火を性奴隷のように扱うことも厭わなかっただろう。
使えるものは使い、楽しめるだけ楽しむ。
それが俺の人生に於ける全てだ。
「さて。洗濯でもするかね」
俺はそう一人気合を入れ、絵の具で汚れまくった衣類共に視線をくれた。
夕食の支度をしながら、俺は外ばかりを見ていた。
今日は晴れて雪も降らず、比較的穏やかな気候だったのを感慨振っているわけではない。
「うちのワガママ娘はまだ帰らんかね〜」
泉火が帰らない。
日も暮れる頃には必ず帰ってくるのが常にもかかわらず、午後七時にもなる今、この家に姉の姿は無い。珍しい。本当に珍しいことだった。
「もうそろそろ出来ちゃうんだけど。カレー」
既に炊飯器の中には炊いたご飯が鎮座し、鍋のルーも溶けきっている。あとは泉火用にパスタを茹でるだけであるが、帰ってきてから茹で始めないと延びて悲惨なことになるため、未だエプロンを脱ぐことは許されない。
せめて連絡をもらえればいいのだが、泉火にはそんな気配り、期待するだけ無駄というものだった。
「………………」
仕方無い。待つか。
カレーはそのままとろ火で放置し、ご飯は一度かき混ぜ、これも放置。
「さて」
どう暇を潰そうかね。
とりあえず腰を落ち着けた俺は、エプロンは着けたままに、括っていた髪を解いた。
長く鬱陶しい黒髪が視界を彩り、蜘蛛の巣が張ったような世界を形作る。それも重力に導かれ、俺の背中へと落ちていった。
「ふへぁ〜……」
引っ張られていた頭皮が解放され、気の抜けた声が漏れる。
いつもは邪魔で縛っているが、こうして解放した時の快感は、短髪では味わえないものだろう。が、本当は切ってしまいたいというのが本音だった。
しかしそういうわけにもいかないのが、泉火を姉に持つ俺の苦悩だ。
泉火は十枚に一枚、必ず絵の中に少女を描く。それも決まって同じ人物を。
で、そのモデルになるのが俺だ。母の遺伝子は濃いらしく、男の俺も母に似た美人顏であるのが幸いした。いや、災いした。
もし俺がむさ苦しい地味男だったなら、泉火は他からモデルを調達してきたはずである。まぁ、それを雇う手続きは俺がやるんだろうが、こうして髪を伸ばしてなきゃいけないことに比べれば大した労苦ではあるまい。
全ては泉火のため。いや、泉火の絵のためである。
「あぁ〜〜〜…………」
何か、泉火のことを考えてたら待ってるのが辛くなってきたな。風呂も沸かさないといけないし。家事がどんどん滞るぅ〜〜〜っ!
「はぁ……。まぁ、官公庁からの仕事もあるしな」
こういう日があっても仕方無いか。
俺は姉の帰還を早々に諦めると、カレーをよそうべく鍋の側へ近寄った。
結局その日、泉火は帰らなかった。